Catégories:“児童書・YA(翻訳)”

Catégories: /

 [amazon]
1916年の夏。15歳だったハワードがその旅で一番楽しみにしていたのはドライブ。車は、父が往診に使っていたT型フォード・ツーリングカー。父は生まれはイリノイ州南部のグランドタワーという小さな町で、ミズーリ州のセントルイスで医者として成功、多忙な日々を送っていましたが、ある日突然、家族旅行に出ると言い出したのです。結局母は家に残るものの、ハワードと双子の弟・レイモンドとアールは生まれて初めてイリノイ州の祖父母と大おじ、大おばを訪ねることに。そして祖母のティリーが15歳だった頃の物語を聞くことになります。

物語そのものも1916年の回想で始まるんですが、実際に中心となるのは、もひとつ遡った1861年に始まる物語。ハワードの回想の中で祖母のティリーが語っていた、祖母の娘時代の物語です。この話はイリノイ州のグランドタワーに、ニューオーリンズからセントルイスに向かう途中の裕福そうな娘・デルフィーン、そして肌の色の濃いカリンダが来たところから始まります。南北戦争がもうすぐそこまで迫ってきていて、ティリーの家でも、ティリーの双子の弟のノアが北軍に今にも志願しそうな状態。そんな家に、黒人奴隷らしきカリンダを連れたデルフィーン、つまり南軍側としか思えない2人が暮らすことになるのですから、フクザツです。...南北戦争は、勝った北軍の立場からすれば、南部の奴隷制度を廃止して、黒人を奴隷状態から解放したと言えるものなんですけど、南軍側、黒人側からすればそんな単純な問題ではなかった、という話を聞いたことがあります... まあいずれにせよ、南北戦争にとって黒人問題は、表向きの1つの大義名分に過ぎなかったと思うんですが。

ティリーの語る物語は、19世紀のアメリカの小さな町の様子を濃やかに鮮やかに描き出していきます。当時の人々の生活ぶりや社会風俗・習慣... 特に印象に残るのは、ティニョンと呼ばれるカリンダのスカーフ、そしてショーボートが来た時の興奮。そして戦地にいる兵士たちの酷い状態。キャスの視る幻も印象的なんですが、冒頭で彼女が見た青と灰色の少年たちというのは、軍服の色なのかな? その辺りが今ひとつ分からなかったんですが、読み落としたかな? あとプラサージュとかの言葉そのものは知りませんでしたが、そういう特殊な状態のことや、少しでも混ざっていれば、という話は聞いたことがありますねえ。そういった話の中にも当時の様子が見えてきます。物語終盤では、それまで考えてもいなかった事実が次々と明かされて、もう本当に目が離せない状態。いや、すごいですね。最初読み始めた時に想像していたよりも、ずっと深い物語でした。
美しく着飾り、自信に満ち溢れている都会の女性・デルフィーンも、無口だけどなかなか逞しいカリンダも、リベラルな物の見方ができるティリーも、それぞれにとても印象に残る女性たち。そして父の最後の言葉と、そんな父の言葉をきちんと受け止めるハワード。みんな、それぞれに素敵です。そして読み終えて最初に戻ってみれば、ハワードのお母さんはセントルイス出身だったんですね。うーん、なるほど。(創元ブックランド)


+既読のリチャード・ペック作品の感想+
「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」リチャード・ペック
「ミシシッピがくれたもの」リチャード・ペック

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: /

 [amazon]
8月、独身の女性教師・マート・アーバクル先生が40歳で突然の他界。ホーミニ・リッジ学校はインディアナ州の中でも最も辺鄙な地域にあり、教室は手入れの行き届いていない旧式のものが1つあるだけ。生徒は落ちこぼればかり。こんな学校に新しい教師を見つけるのは至難の業だし、教育委員会ですら学校を続けるのは割に合わないと考えているのを知っていたラッセルと弟のロイドは、とうとう学校が閉鎖される、と期待に胸をふくらませます。しかし教育委員会の決定は閉鎖ではありませんでした。なんと町の高校に通っている17歳の姉のタンジーが教師として抜擢されたのです。

20世紀初頭のアメリカの田舎の町が舞台。全身を洗うのは1週間に一度、冬にならないと靴をはいたり下着をつけることもない子供たち。交通手段は馬車が主流で、特別列車で最新の蒸気エンジンと脱穀機がやって来る日には、30キロ周辺に住んでる男たちは、もう大人も子供も駅に集まってきちゃう。そして1904年モデルの鋼鉄製の攪拌分離式脱穀機に目も眩むような思いをするのです。そんな古き良きアメリカの田舎町が愛情たっぷりに描かれていきます。
この田舎町の学校で新任教師となったのは、17歳のタンジー。あんまり若いので、タンジー自身がこの学校の生徒で、勉強に苦労してた時のことを知っている生徒もいるんですよね。そういうのって相当やりにくいはず。その上、目が離せない悪がきたちの中には実の弟もいるし、さらには学校のトイレが火事になったり、教卓の引き出しに大きな蛇が入っていたり。でもタンジーは初日から、反抗的なパール・ニアリングを従わせて、学校になんか来たくなかった「ちびパンツ」も手懐けてしまうし、やる気のない生徒たちの頭に次々に知識を詰め込んでしまうんです。怖~いファニー・ハムラインおばさんに対峙した時も一歩も引きません。その毅然として教師ぷりは、若干17歳の少女とは到底思えなくて、とっても素敵。作られた人物だからというわけではなく、タンジーだからこそ、と素直に思えます。それだけに、タンジーの教員の仮免許状付与の審査のためにパーク郡教育長と副教育長がきた場面では、読んでいるこちらまで思わずどきどきしてしまうのですが...。この日のファニー・ハムラインおばさんは素敵でした♪
そんな波乱万丈な毎日が、ラッセルのユーモアたっぷりの口調で語られていくんですけど、やっぱり一人称だから、そこは信用しきれないところもあって。だってラッセルにかかると、タンジーは「田舎くさくて、骨ばった体つき」「年が上というだけでなく体も巨大」「男みたいに大柄で、先生みたいにいばってる」なんですよ! どんな大女かと思ってしまうんですけど、どうやらラッセル以外の人間の目には少し違う風に映っているようで...。ふふふ、騙されました。もちろん「合衆国で最悪」のパンやパイを作るモードおばさんに代わって、夏の休みの間は家に帰ってきているタンジーが食事の支度をしてくれることとか、キャンプに行くラッセルとロイドのために山のように食料を持たせることとか、「ショートニング入りビスケットは、わたしが焼いたものよ」なんて声を潜めるタンジーに、最初から母のような愛情を感じてはいたんですけどね。
最後の最後で語られる後日談も微笑ましくて、「そうなったんだ...!」と、びっくりしつつも納得してみたり。とても幸せな読後感です。(創元ブックランド)


+既読のリチャード・ペック作品の感想+
「ホーミニ・リッジ学校の奇跡!」リチャード・ペック
「ミシシッピがくれたもの」リチャード・ペック

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / / /

  [amazon] [amazon]
子供部屋にいる4人の子供たちにとって、一番楽しみなのは寝る前のお話。ばあやは穴のあいた子供たちの靴下を繕いながら、その穴の大きさに見合ったお話をしてくれるのです... という「年とったばあやのお話かご」。そして、イタリアのフローレンスの丘の上の屋敷に住むブリジェットを訪ねた「わたし」が、そこでの出来事をもとにお話を語っていく「イタリアののぞきめがね」。

先日「ムギの王さま」を読んで、無性にファージョンが再読したくなっちゃいました。まずはファージョン作品集の1巻と2巻から~。
どちらも枠物語になってるので、基本的には似たような雰囲気。「イタリアののぞきめがね」はどうやらファージョン自身が友達家族の家を訪ねたイタリア旅行が軸になってるようなんですけど、「年とったばあやのお話かご」のばあやが語り手だと言ってもおかしくない感じですしね。でも細かい部分は色々と違っています。
「年とったばあやのお話かご」は、ばあやがこれまで世話をしてきた世界中の子供たちのお話。ばあやの年は一体いくつなんだか、この本での聞き手の4人の子供たちのお母さんも、そのまたお母さんもばあやの世話になってるんですけど、あのグリム兄弟もばあやがお守りをしてて、兄弟はその時に聞いた話を自分たちの童話集に入れたとかいうんですよ! ペルーのインカ王やエジプトのスフィンクスもばあやお守りをしたっていうし、ギリシャ神話のネプチューンだって、ばあやのお友達。お話だけで世界一周気分になっちゃいます。そして大きな穴には大きなお話、小さな穴には小さなお話と穴の大きさに合わせてお話の大きさも変わるんですが、小さい穴でも細かく丁寧にかがらなくてはいけない時は大きなお話になるし、穴が大きすぎる時はいいかげんにくっつけておかなければいけなくて、それほど大きなお話にならない時もあって、そういうのも楽しいです♪
「イタリアののぞきめがね」は、基本的にイタリアのお話ばかり。大人も子供も仮装して通りをかけまわるイタリアでの謝肉祭のお祭りの日には謝肉祭のお祭りのお話、パスタを切らして困ってしまった日には、昔々小麦が取れなくなってパスタが食べられなくなった時のお話、と、「わたし」の身の回りの出来事がお話になってるんです。「年とったばあやのお話かご」を読んでからこっちを読むと、挿入されるお話が少ないので、それがちょっぴり物足りないかな... それでもやっぱり楽しいんですけどね。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

| | commentaire(6) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
小さな蒸気船に乗ってスコットランドの岸辺から西の群島に向かっていたフィオナ・マッコンヴィル。フィオナは群島の中の小さなロン・モル島で生まれて育ち、4年前、10歳の時に街に引っ越したのですが、街の空気が合わず、島に戻っておじいさんとおばあさんと一緒に暮らすことになっているのです。しかしそれはロン・モル島ではなく、もっと大きい島。ロン・モル島は、今では無人となり、かもめと灰色の大きなあざらしがいるだけの島となっていました。しかし無人のはずの島の小屋に明かりが灯っているのを見た人間がいる、浜から風が吹くと流木が燃えるにおいがするなど、蒸気船の船員が奇妙な話をするのを聞いたフィオナは、一家が島から出ることになった日に失った小さな弟のジェイミーのことを再び思い出します。

古くからあるケルトのセルキー伝説を取り入れた現代の物語。セルキーとはあざらし族の妖精。普段はあざらしの姿をしているのですが、時折その皮衣を脱ぎ捨てて人間の女性の姿になって、人間の男性と結婚することもあるんですね。だから羽衣伝説と同じようなパターンの話もあります。矢川澄子さんの訳者あとがきでも引き合いに出されてましたが、私も「妖精 Who's Who」は読みました。今パッとは思い出せないんだけど、他のところでも読んだはず。あ、でもこの作品を読んでる間は、どちらかというとヨナス・リーの「漁師とドラウグ」(感想)を思い出してたんですけどね。これはスコットランドではなくてノルウェーだし、本当は全然違うのだけど。(汗)

読んでいると、スコットランドの島々での人々の素朴な生活の暖かさがしみじみと伝わってきます。決して裕福な暮らしではないけれど、満ち足りた幸福な暮らし。その暮らしに欠けているものがあるとすれば、かつて行方不明になってしまったジェイミーの存在と、捨ててしまったロン・モルでの生活だけなんですね。おとぎ話では、時々際限なく望みをふくらませて全てを失う人間がいますが、この作品に登場する人々はそうではありません。島のやせた土でわずかながらも作物を作り、海で魚を獲り、困っている時はお互いに助け合う暮らしに満足してます。(フィオナのお父さんは強硬に島を出たがったそうなんですけど、奥さん亡くしてるし、それだけツラい思いがあったということなんでしょう) 日本での生活と比べれば、物質的には遥かに貧しいんでしょうけど、精神的には遥かに豊かな暮らし。木のゆりかごを海に浮かべて赤ん坊を育て、流木を焚いて海草のスープを作り... 作中でフィオナが1人で訪れた時のロン・モル島の情景は、本当に美しいですね。ヒースで紫色に染まった野、その中を緑色の道のように流れる小川、島を取り巻く真っ青な海。その直前の霧の場面が幻想的なだけに、この場面の明るい美しさが目にしみてくるようです。
基本的にとても現実的な物語の中に、かつてイアン・マッコンヴィルがロン・モルの岩礁(スケリー)から連れてきた妻、そして今も尚時折生まれる黒髪の子供、あざらしの族の長(チーフスタン)の賢く暖かい瞳といった不思議なことが少しずつあって、でもこの島の情景を背景にしてしまうと、ごく自然なことに見えてきてしまうのが不思議。そこにあるのは「信じる」ことの大切さなんですね。マッコンヴィル一族が一度は全員島を出てしまうという遠回りはありましたが、あざらしたちは一族がまた戻って来るのを信じていたんでしょうし。終盤のあの態度は、だからこそ、だと思うのです。そしてジェイミーがまだ生きて島のどこかにいると信じ続けていたフィオナ。おじいさんもおばあさんも、心の奥底ではジェイミーがまだ生きているのを信じていたはず。そんな信じる力が集まってこその大団円。種を超えた確かな心の絆が感じられるのが、とても素敵な物語です。

そしてこの本自体も、青緑色の表紙や栞の紐、鈍い緑がかった色の文字といった、細かいところにまで気を配っているのが分かる、とても素敵な本です。この青緑色がスコットランドの海の色なんですね、きっと。(集英社)

| | commentaire(6) | trackback(0)
Catégories: / / /

[amazon]
小さなマルーシャは、兄さんのワーニャとピーターおじいさん、そして黒猫のウラジミールとエスキモー犬のバーヤンと一緒に、森の中の松の木で作った家に住んでいました。ワーニャとマルーシャの両親は2人が小さい時に亡くなっていたのです。2人の一番のお楽しみは、夜になるとピーターおじいさんが話してくれる物語でした。

先日読んだ「アーサー・ランサムのロシア昔話」の前に出ているのが、この本。ランサム自身がロシアで採取したという昔話全21編を、おじいさんが2人の孫に語り聞かせるという枠物語になってます。 めんどりの足の生えた小屋に住む恐ろしい魔女のバーバ・ヤーガ、火の鳥や魔法の馬といった存在はロシアならではだし、そんな物語で活躍するのは3人兄弟の末のイワンだったり~。それに川に恋する「サトコ」や「雪むすめ」といった物語も、ロシアの風土ならではの物語なんですよね。日本の雪女は怖いんですけど、ロシアの雪むすめはとても可憐。
しかも枠物語って大好きなんです。こういうところにアーサー・ランサムらしさが出てるんですね。とってもあったかくて、おじいさんと2人の孫という3人が、自分たちで物語を作り上げていってる感じです。自然にお話の中に引き込まれちゃう。いいなあ、こんなおじいさん、欲しいー。
プーシキンの本にもあった「金の魚」もあれば、エルショーフの「せむしの小馬」のような物語もあり、ラング世界童話集やアファナーシェフの「ロシア民話集」、「ブィリーナ英雄叙事詩」の中で読んだ物語もあって、全体的にはそれほど目新しくないんですが、それでも既に知っている物語とは展開の仕方や結末が少しずつ違うのが楽しいところ。例えば上で挙げた「雪むすめ」も、私が知っていた物語とは結末は同じでも、その途中経過が違うんですよね。そんな中で、とても新鮮に感じられたのは「銀の小皿とすきとおったリンゴの話」。これは3人姉妹が商人の父親にお土産を頼む物語で、それだけなら「美女と野獣」のバリエーションなんですけど、それとはまた違ってて... しかも「銀の小皿と熟れたリンゴの話」というのもロシア民話にはあるんですが(右の本に入ってます)、それともまたちょっと違ってて面白いんです。父親にその2つをどうするのかと聞かれた娘の答は、「お皿の上でリンゴをまわします」というもの。さてまわすとどうなるのでしょう? それは実際に読んでみてのお楽しみ♪(パピルス)


+既読のアーサー・ランサム作品の感想+
「アーサー・ランサムのロシア昔話」アーサー・ランサム
「ピーターおじいさんの昔話」アーサー・ランサム

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
世界各国の猫のおとぎ話ばかり全部で27編が集められている本です。
例えば「長靴をはいた猫」だけでも4つあるし、猫の王が死んで世代交代する物語は3つ。今まで猫のいなかった地方で猫を売って商人が大儲けした物語も3つ。同じ物語の様々なバリエーションが読めるというのがまず楽しいんですよね。「長靴をはいた猫」といえば、やっぱりシャルル・ペローの童話が有名ですけど、ここではまだ長靴をはくようになる前の猫もいれば、恩知らずな主人に怒る猫も...。もちろん世界に散らばる「長靴をはいた猫」は、この4つだけじゃありません。猫以外の動物が活躍するバージョンもあるし、実際私自身、先日ラング童話集でガゼルが主役の物語を読んだばかりですしね。(「むらさきいろの童話集」だったかと) この「長靴をはいた猫」のオリジナルは、ジャッカルが主人公のインドの物語と考えられているんだそうです。
そして、日本の猫の物語も3つ収められてました。ちょっとびっくり。そのうちの1つは小泉八雲が欧米に伝えたものでした。日本に赴任してた外交官が伝えた話も1つ。そんな風に広まっていくものなんですねー。日本の猫といえば、まず油を舐める化け猫が思い浮かんでしまうんですけど(笑)、そういうおどろおどろしいのじゃなくて、もっと後味のいいお話。そしてこの本で嬉しかったのは、編者がそれぞれの作品に全く手を加えていないということ。例えば「ウォルター・スコット卿の猫」は、ワシントン・アーヴィングの「ウォルター・スコット邸訪問記」のままの一節なんです。先日読んだばかりですよー。(感想
この中で私が一番好きだったのは、ルドヤード・キプリングによる「それでも一人で歩く猫」。世界中の動物たちが人間に飼いならされることになってしまっても、猫だけは自分の決して飼いならされることのない本性を失うことがないというお話。

世界中の全ての猫のおとぎ話を集めたら、一体どのぐらいあるんでしょうねー。手元に集まりながらも収録できなかった物語が沢山あったみたいです。確かにちょっと考えただけでも、鼠に騙されて干支に入り損ねた猫の物語とか、逆に他の動物を騙すずる賢い猫の話なんかもあるし... 猫といえば魔女の使い魔でもあるし、そういう話もいっぱいありそうですよね。でもこの本に登場する猫たちは、程度の差こそあれ主人思いの賢い猫たち。毅然としていて他者に媚びませんが、一度信頼した人物にはとても誠実です。...ま、それもまた猫のもつ1面ということで♪(草思社)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

  [amazon] [amazon]
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」を書くことによって作家としての地位を確立したエリナー・ファージョン。これは70歳をすぎたファージョンがそれまでに書いた子供向けのお話から27編を自選して編んだ短編集。

気がついた時にはもう私の部屋の本棚に入ってた本、というのが結構沢山あるんですが、これもそのうちの1冊。だからもう何度目なのか分からないぐらいの再読です。いえね、先日ぱせりさんに、このブログを見るたびに「ムギと王さま」の本の小部屋を思い出す、なんて嬉しいお言葉を頂いてしまって! それから久々に再読したくて仕方なかったんです。でも本はまだ持ってるんですけど、今手元になく... 待ちきれなくて、図書館で借りてしまいました。(笑)
でも、私が持ってる本は全訳ではなかったらしいです。そちらは1冊で全20編。この2冊が訳されて初めて全27編が完訳されたんですね。逆に知らない作品を読めて良かったかもー。「天国を出て行く」の最後に収められてる「パニュキス」なんて、なんでそれまで訳さなかったのかしら!と思ってしまうような作品だったし。(石井桃子さんによるあとがきに、その辺りのことも書かれてましたが) でも、今も昔も特別大好きな話というのは変わりませんね。「西ノ森」と「小さな仕立て屋さん」と 「天国を出ていく」... あと「レモン色の子犬」も! 「ヤング・ケート」も! それに忘れちゃいけません、本の小部屋の話!!

その本の小部屋というのは、「ムギの王さま」のまえがきに登場する部屋のこと。ファージョンの子どもの頃に住んでた家は、どの部屋にも本が溢れ出しそうなほど置かれていたらしいんですが、その中に「本の小部屋」というのがあったんですね。で、娘時代のファージョンは、他の部屋の本棚に置いてもらえずに流れ込んできた本がごちゃごちゃ置かれ積まれてる「本の小部屋」で、何時間も何時間も過ごしたそうなんです。...私が育った家も、かなり似たような状態だったんです。どの部屋にも本が溢れ出しそうなほどあって、廊下にも本棚が当たり前のように並んでいて... だからファージョンのこの言葉を、子供の頃から実感として感じていたんだと思います。

本なしで生活するよりも、着るものなしでいるほうが、自然にさえ思われました。そして、また本を読まないでいることは、たべないでいるのとおなじぐらい不自然に。(P.4)

でも、うちにも余った雑多な本が流れ込んでいく部屋はあったんですけど、本専用の小部屋というのはなかったんですよね。それだけに、このファージョンの本の小部屋の描写には憧れてたのでした。多少、埃で目や喉が痛くなったとしても! こんな素敵な場所があったら、ほんと毎日でも入り浸ってしまうだろうな。
ここのブログやサイトは、もちろん私にとっては居心地の良い場所なんですが、他の人にもそんな風に居心地良く感じてもらえてるとしたら、これほど嬉しいことはないかも。なーんて、とっても幸せな気分に浸ってた私です。

ファージョン、やっぱり素敵です。決して派手ではないし、むしろ地味と言われてしまいそうなほどなんですが... でも私にとっては愛しくなってしまうような、宝石のような作品群。エドワード・アーディゾーニの挿絵がまたぴったりで素敵。作品はほとんど全部読んでるはずなんだけど、改めて全作品読み返したくなってきました。(岩波少年文庫)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

| | commentaire(12) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.