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全集の第3巻。20世紀フランスを代表する作家の1人、マルグリット・ユルスナールの作品や登場人物、そしてユルスナール自身に、自分自身の軌跡に重ね合わせていくエッセイ「ユルスナールの靴」。旅を通して出会った様々な人や訪れた街。そこで出会った建造物について書いた12のエッセイ「時のかけらたち」。ユダヤ人たちが高い塀に閉じ込められるようにして住んでいたゲットと呼ばれる地区、トルチェッロのモザイクの聖母像、コルティジャーネと呼ばれる高級娼婦など、主に水の都・ヴェネツィアの影の部分を訪れた旅と記憶の旅「地図のない道」。そして1993年から1996年にかけての18編のエッセイ。

全集の中でも、妙に読むのに時間がかかってしまった1冊。でも決して読みにくかったのではなくて、なんだか思考回路がどんどん広がりすぎてしまったせい。特に「ユルスナールの靴」は、ユルスナールの作品を実際に自分で読まなければという焦燥感に駆られてしまって... 結局は読まずに1冊手元に用意しただけで終わってしまったのだけれど。
その「ユルスナールの靴」の冒頭はこんな文章。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

次の「時のかけらたち」は、実際に足が踏みしめて歩くことになる石畳の道の話がとても印象的だったし、「地図のない道」は、人間としての足場や立ち位置を考えさせられるしエッセイ。この3巻は、「足」がテーマとなるものばかり集めたのかな?
意外な収穫だったのは、「時のかけらたち」の「舗石を敷いた道」の章で語られる「アエネーイス」の話。これは、須賀さんが日本に帰ってしばらくすると、歩きにくいはずの舗石の道が無性に懐かしくなるという話が発展して、ウェルギリウスの「アエネーイス」の中の描写へと話が広がるんですけど、以前「アエネーイス」を読んだ時に納得しきれていなかった部分が、須賀さんの文章を読んですとんと腑に落ちてしまいました... とは言っても、「アエネーイス」にはそんな部分が多かったので、まだまだ理解しきれてないのだけど。でもやっぱり日本語にするとウェルギリウスらしさや良さがさっぱりなくなってしまうみたいで、その辺りにも納得。って、自分の読解力や理解力を棚に上げて勝手なことを言ってるのは重々承知ですが。(笑)
須賀さんの「アエネーイス」の講義、聴きたかったな~。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
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+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

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「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子全集最終巻。ここに収められているのは、両親や後に夫となるペッピーノに宛てた書簡集、『聖心(みこころ)の使徒』所収のエッセイ、「荒野の師父らのことば」、未定稿「アルザスの曲りくねった道」とそのノート、そして年譜。

両親、特にお母さんへの手紙は、全体を通してとても明るいトーン。手紙はかなりの頻度で出されていたようで、日常生活のこまごまとしたことが色々と書かれています。でも、「忙しい毎日だけど、元気なので心配しないで」という思いがとても強くて、それだけに、逆にかなり無理して頑張っていたのではないかと思ってしまうほど。ちょっぴり痛々しかったです...。そしてそんな両親への手紙と対照的なのが、夫となるペッピーノへの手紙。こちらには素直な心情が吐露されていて、ペッピーノに対する信頼の大きさがすごく伝わってきます。抑えられた情熱が文面からあふれ出してきそう、なんて思いながら読んでいたら、徐々に2人の間で愛情が高まり、そして深まっていく様子が手に取るように... きゃっ。
そして残念で堪らなくなってしまったのは、最晩年に構想中だった小説「アルザスの曲りくねった道」が、結局未完のままに終わってしまったこと。ああ、これは完成された作品を読みたかったなあー...。

時代こそ少しズレてますが、うちの母も須賀さんと同じ「丘の上の学校」にいたので、須賀さんのこと知ってたりしたのかしら、少なくとも共通の知人は結構いるはず、なんて思いながら読んでいたら、いきなり私の友達のお祖父さんの名前が登場してびっくり。という私にとっても「丘の上の学校」は母校なので、そこで一緒だった友達。そのお祖父さんは既に亡くなってるので、もう須賀さんの話を聞くことはできないのだけど。
そんなこんなもあって、須賀さんの少女時代~大学時代のエピソードが書かれている「遠い朝の本たち」や「ヴェネツィアの宿」には、妙に思いいれがあったりします。今回は、普段なら読み飛ばしてしまいそうな年譜までじっくりと読んでしまいましたー。もしかしたら私が大学の時に入っていた寮に、かつて須賀さんもいらしたのかしら? なんてちょっとミーハー興味混じりですが。^^; (河出文庫)


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須賀敦子さんの全集の文庫版第7巻は、須賀さんがローマ留学時代に1人で企画から執筆、原稿の邦訳などをこなし、コルシア書店で出版して、日本に発送していたという全15号の冊子「どんぐりのたわごと」と、夫・ペッピーノの死から4年、翻訳の仕事をしながらミラノに住み続けた須賀さんの、ミラノを去ることになるまでの日記。

こちらも6巻に引き続き、ちょっととっつきにくい面がある1冊、かな。論文のような難しさこそないんですが、「どんぐりのたわごと」は、かなりキリスト教色の強い読み物ですしね。私にとってはキリスト教色云々よりも、この6巻は全体を通してひらがな率が妙に高くて、それがちょっと読みにくかったんですが...。でも、印象に残る文章が色々とありました。特に印象に残ったのは、「どんぐりのたわごと」の第3号に載っていたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父の詩。彼はコルシア書店の中心的存在で、以前須賀さんの「コルシア書店の仲間たち」(感想)を読んだ時にもかなり前面に描かれてた人物です。2m近い大男で、人間自体もとても大きくて、その分懐はとても深いけれど、カトリック特有のこまごまとした様式的なものにはちょっと合わないんじゃ...? という印象だった人。もちろん繊細なところも持っているのは分かっていたのだけど、その彼がこんな詩を書いていたとは...。この詩を読んでるかどうかで、彼に対する理解は相当違ってくるのでは、なんて思ってしまうほど、ちょっと衝撃的でした。
そして第7号には、後に酒井駒子さんが挿絵をつけて絵本にした「こうちゃん」(感想)の原文が載ってます。酒井駒子さんの絵はとても素敵だったし、これを読んでいると改めてあの絵本を読み返したいなあと思ってしまったのだけど、今回、絵を抜きに字だけを読んでみて、すごく自分の中に入ってきたような気がしました。
あと、私が一番好きだったのは、第8号に収められているジャン・ジオノによる「希望をうえて幸福をそだてた男」の話。須賀さんがイタリア人の友人に宮沢賢治の話をしたのがきっかけで教えてもらったという物語なんですが、これはとても素敵でした~。「こうちゃん」やこの「希望をうえて幸福をそだてた男」は、キリスト教色もあまり強くないので、比較的とっつきやすいかも。
そして後半は、須賀さんの日記。後に書かれたエッセイとは違って、こういったプライベートな日記には、人の私生活を勝手に覗き込むような居心地の悪さを感じるんですが... 須賀さんが夫のいないミラノでの生活に限界を感じていたこと、それでも続いていく慌しい人間関係に、充実しながらも疲れていたことなどが感じられるようで、とても興味深いです。(河出文庫)


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須賀敦子さんの全集の文庫版第6巻は、ナタリア・ギンズブルグ論、イタリア中世詩論、イタリア現代詩論、文学史をめぐって、という4章に分けられた「イタリア文学論」と、須賀さんが邦訳したナタリア・ギンズブルグ作品、アントニオ・タブッキ作品、そしてイタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」につけられたあとがきを集めた「翻訳書あとがき」。

これまで読んだ全集の1巻と4巻は、一般人向けのエッセイということもあってとても読みやすかったのだけど、こちらの6巻は、「翻訳書あとがき」はともかく、もっと専門的でちょっととっつきにくかったかも。特に「イタリア文学論」の中のイタリア中世詩と現代詩。ここに紹介されてる作家なんて、全然と言っていいほど読んでないですしね... かろうじて、ダンテの「神曲」ぐらいですね。ウンベルト・サーバを始めとするイタリア現代詩人の名前は、須賀さんのエッセイを通じて名前を知った程度だし。しかも中には研究論文らしき文章も混ざってるので、難易度がかなりアップ...。須賀さんの訳でいくつかの詩が読めるのは、とても嬉しかったんですけどね。紹介されている作品に対する須賀さんの愛情がひしひしと感じられるだけに、自分の知識のなさがクヤシくなってしまいます。あ、でもナタリア・ギンズブルグ論はとても面白くて、「ある家族の会話」をぜひとも読んでみたくなりました! あと、アントニオ・タブッキも結局まだ「インド夜想曲」しか読んでないので、他の作品も読みたいなあ。
それと、詩論では原文が沢山紹介されてるんです。(日本語の文章の中にイタリア語が多用されてるのも、素人には読みにくい一因なんですが) 実際にイタリア語での朗読が聴いてみたい! イタリア語って本当に音楽的な言語だし、意味が分からないなりにも豊かに感じられるものがありそうです。(河出文庫)


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須賀敦子さんの全集の文庫版第4巻。この巻に収められているのは、少女時代から大学時代にかけて読んだ本とその本にまつわるエピソードを描いた「遠い朝の本たち」、1988年から1995年にかけて発表された書評を中心とした「本に読まれて」、1991年から1997年にかけて発表された単行本未収録の「書評・映画評ほか」の3編。「本に読まれて」は再読。

須賀敦子さんの全集で1巻の次に手に取ったのは、本にまつわるエッセイが中心の4巻。「遠い朝の本たち」では、どんな本が須賀敦子さんの血肉となっていったのかよく分かります。その本に出会うきっかけとなった、周囲の人々の存在の大きさも。特にイタリアに行った後も、日本語が駄目にならないようにと森鴎外訳の「即興詩人」を送ってきた父親の存在は印象的。
そして「本に読まれて」「書評・映画評ほか」では、本当に沢山の本が紹介されています。本を読んで感じたことを素直に表現しているだけといった感じなのに、こんなに過不足なく紹介しているというのが、やっぱりスゴイなって思っちゃう。しかもさらりと深いんです。やっぱりいいなあ。実際には、その「素直に表現する」ということが、すごく難しいと思うんですけどね... これは「遠い朝の本たち」の中の「葦の中の声」の章に繋がってくるんでしょうね。アン・リンドバーグのエッセイを読んだ時に須賀さん感じたこと。

アン・リンドバーグのエッセイに自分があれほど惹かれたのは、もしかすると彼女があの文章そのもの、あるいはその中で表現しようとしていた思考それ自体が、自分にとっておどろくほど均質と思えたからではないか。だから、あの快さがあったのではないか。やがて自分がものを書くときは、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気がする。

私には、須賀さんの文章こそ「均質」で「まやかしのない言葉」に感じられるな。でも強く憧れてるだけじゃあ、須賀さんのように、そういった文章が書けるようにはならないんですよね。(河出文庫)


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須賀敦子さんの全集の文庫版第1巻。まだ7巻が出てないし、先日出たばかりの3巻はまだ買ってないし、読むのがもったいないような気がしてしばらく寝かせてたんですけど、読まない方がもったいないので(笑)、ようやく読み始めました。この中に収められてるのは、「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「旅のあいまに」の3つ。「コルシア書店の仲間たち」だけは既読。(感想) 「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」は独立した本にもなっているのだけど、「旅のあいまに」は全集でしか読めない作品なのかな? これはミセス誌に連載されていたエッセイ。

そして「ミラノ 霧の風景」は、須賀さんがイタリアにいた13年間の日々や知り合った友人たちとのエピソードが綴られてるエッセイです。これがどうやら須賀さんのデビュー作だったようですね。

乾燥した東京の空には1年に1度あるかないかだけれど、ほんとうにまれに霧が出ることがある。夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う。10年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に「霧」とこたえるだろう。

という冒頭の文章からしてとても印象的。ロンドンの霧も目じゃないほどのミラノの霧は、今はそれほどひどくなくなってしまったそうなんですけど、ミラノに霧が出るなんて全然知らなかったな。私が以前イタリアに行ったのは10月だったし、まだ霧なんて全然なかったし。先にこの本を読んでいたら、11月に行きたいと思ったかしら。でも飛行機がちゃんと降りてくれなきゃ困るから、やっぱりそういうのは旅行者には向いてないですね。(笑)
読んでいて一番印象に残るのは、須賀さんのしなやかな強さ。自分自身をしっかり持ってらっしゃること。日本にいてもイタリアにいてもどこにいても、周囲の環境に呑まれてしまうことなしに、しなやかに須賀さんらしさを持ってらしたのでしょうね。この本の中にも、普段親しくしてるイタリア人たちが急に遠い存在に感じられてしまったというエピソードが書かれているし、ここには書かれていないような嫌な思いもきっと色々とされたのだろうなとは思うんですが...。日本文学をイタリア語に翻訳する仕事で知り合った編集者のセルジョや、ご主人と知り合うきっかけとなったマリア、コルシア書店で精力的に頑張っていたガッティなど、須賀さんが大切に思うお友達がそれぞれにくっきりと鮮やかに描かれています。読んでいて心地いいとはこのことなのかしら。と思ってしまうぐらい没頭してしまいました。しばらくこの文章に浸ろうと思います。(河出文庫)


で、次は2巻を読もうと思ったのだけど!
手に取ってみたら、本のカバーは確かに2巻になってるのに、中身はなんと1巻でした...。もう買ったお店のレシートなんてないんですけどぉ。河出書房に言ったら、取り替えてもらえるものでしょうか... がっくり。2巻に入ってる「ヴェネツィアの宿」も「トリエステの坂道」も既読なので、とりあえず後回しにしようっと。


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「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
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「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

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「私」が昇り龍の刺青を背負う印鑑職人の正吉さんと知り合ったのは、この町に引っ越してきて半年ぐらい経ったある日のこと。偶然立ち寄った「かおり」という小さな居酒屋で声をかけられたのです。それ以来、「かおり」や風呂屋で一緒になると、なんとはない世間話をする間柄。しかしそんなある日、「かおり」で話しているうちにいつの間にか眠り込んでしまった「私」が目を覚ますと、隣に正吉さんの姿はありませんでした。一週間ほどかけて仕上げた実印を大切な人に届けるという話を聞いていた「私」は、椅子の足元に黄色い箱の入った紙の手提げ袋が置き忘れられているのを見て、慌てて都電の駅へと走ります。

先日読んだ「雪沼とその周辺」(感想)に続いて、堀江敏幸作品2作目です。雪沼は架空の場所だったんですけど、こちらは実在の場所が舞台。都電荒川線の走る小さな町を舞台にした物語です。学校で教えたり、実務翻訳をしているけれど、日々の生活としては不安定な生活を送っている「私」が主人公。
まず書かれているのは、ここでの暮らしで「私」が出会った正吉さんや古本屋の筧さん、「かおり」の女将、大家であり町工場を営んでいる米倉さん、その娘で、「私」が時々勉強を見てあげることになる咲ちゃんたちとのエピソード。その合間に、過去の様々な回想や現在のことが浮かんでは消えていきます。競馬のことや読んだ本のこと、その時に目に映る情景など。思い浮かぶままに書き綴られているという印象もあるんですが、きっと実際にはそうではないんでしょうね。この文章、やっぱり読んでるとなんだか落ち着きます~。とても穏やかな心持ちになってきます。特に書かれていなくても、それぞれの登場人物の背後にある、これまでの人生が確かに感じられるような気がしてくるのがいいのかな。ふいと姿を消してしまった正吉さんは、最後までもう現れることなく終わってしまうし、そういう意味では物語がきちんと閉じていないとも言えるんですけど、その不在の存在感はとても大きかったですしね。実は相当な文学的素養を持つ「私」も、どこか魅力的だったし。読んでいて気持ちの良い作品でした。実際に都電に乗って、王子駅の辺りを歩き回ってみたくなっちゃうな。(新潮文庫)


+既読の堀江敏幸作品の感想+
「雪沼とその周辺」堀江敏幸
「いつか王子駅で」堀江敏幸

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