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両親に言われて、東京にいる双子の妹・梢の様子を見に行くことになった翠。梢はプロのヴォーカリストになるのだと高校卒業と同時に岩手を出て、遠距離恋愛中だった恋人の家に転がり込んだのです。翠は行く前に福田パンに寄り、2人とも大好きなあんバターを、梢の恋人の分も合わせて3個買って行くことに... という「福田パン」他、全6編の短篇集。

高校に入学する年に一家で岩手に引っ越して以来、大学も就職も地元の翠と、高校を卒業してからは東京にいる梢。一卵性双子で顔はそっくりなのに、性格はまるで違う2人をめぐる連作短篇集。
穏やかな落着きを持つ翠と、華やかで奔放な梢。対照的な双子のうち、私は翠に惹かれながら読み進めたんですが、やっぱりそういう人が多いのかな? この短篇集全体にも、翠の穏やかな落着きが漂っているようです。高校時代は梢にかかってくる電話の方が圧倒的に多かったそうだし、2人が一緒にいたら、パッと目立つのは梢のはず。2人が別々にいる時も、翠のことを梢だと思って話しかける人が多かったんじゃないかしら。翠自身は、自分が物語の主役となるタイプだなんて思ったこともないだろうし、もしかしたらそれが密かにコンプレックスに繋がってたなんてこともあるのかも...。翠が岩手に残ろうと思ったのは、もしかしたら梢が東京に憧れるのを間近で見ていたからなのかもしれないですよね。
でも、華やかさでは梢に負けているように見えても、翠の地に足のついた誠実さや、和やかな優しさは、人々をほのぼのと心地よい気持ちにさせるもの。一緒にいて安らぐのは、やっぱり梢よりも翠のはず。そしてそれこそが、そのまま故郷という言葉が持つイメージなのかも、なんて思ったりもします。この作品に登場する人たちは、みな自分の「故郷」を探しているように感じたんですが... 生まれ育った懐かしい場所というだけではない、自分の居場所という意味での「故郷」を探しているような気がしたんですが、翠はその「故郷」の象徴のような存在なのかもしれません。

盛岡や花巻には1度だけ行ったことがあるんですけど、その時にこの本がまだなかったのがとっても残念。福田パンも行ってみたいし食べてみたいし、イギリス海岸にも光原社の中庭にも行ってみたいし、じゃじゃ麺も食べてみたい! そして、宮沢賢治記念館にも行ってみたい! 「イーハトーヴ短篇集」という副題通り、この本全編には宮沢賢治の存在感が漂ってます。賢治作品を知らなくても、読むのには全然問題ないんですが、知っていればこの作品の深みが一段と増すような気がする... その辺りがなんだかうまいなあ、匙加減が絶妙だなあ、なんて思います。(メディアファクトリー )

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大正から昭和初期にかけては、怪談文芸の黄金時期。その時代に「妖怪(おばけ)の隊長」と呼ばれた泉鏡花、そして名だたる文人墨客・名優たちが中心となり、百物語怪談会が繰り返し催されることになったのだそう。この本はその会の模様、そこで語られた数々の怪談と、そこから誕生した怪談小説や随筆作品を1冊にまとめたものです。

泉鏡花の名前に惹かれてなんとなく買ってしまった本なんですけど、一昨年刊行の特別編「百物語怪談会 文豪怪談傑作選・特別篇」が、やはり鏡花を中心とする顔ぶれの怪談アンソロジーで、こちらはその続編ともいえる本なのだそう。「百物語怪談会」は明治末期の怪談会で、こちらは大正から昭和にかけての怪談会です。

怪談会のメンバーは、泉鏡花、松崎天民、平山蘆江、久保田万太郎、長谷川伸、芥川龍之介、菊池寛、柳田國男、里見弴、長谷川時雨などなど。びっくりしてしまうほどの豪華メンバーによる怪談会は、意外と言っては失礼なんだけど、びっくりするほど面白かったです。そういった怪談会の模様が新聞や雑誌で詳報されたというのも納得できるレベルの高さ。
どれも文字にして読んでしまうとごく短い話ばかりなんですけど、みんな語り上手ですねー。特に印象に残ったのは、妖怪好きの新派俳優・喜多村緑郎の語る悲恋話かなあ。これは泉鏡花によって「浮舟」という作品にも仕立てられて、それもこの本に収められています。そして芥川龍之介や柳田國男も参加している怪談会の実録の面白いことったら。肝心の泉鏡花の存在感が一番薄かったりして...(笑)
怪談といえば、先日「牡丹灯籠」(感想)を読んで、本来怪談の主役かなと思うお化け話がすっかり脇に回ってたのにびっくりしたところ。こちらでは、短いだけあって主役は主役のままなんですけど、それでもやっぱり相手を怖がらせるだけが主眼というわけじゃないんですね。そこはかとない郷愁が漂っていたり、江戸時代の時代物に感じるような人情を感じさせたり。今時のホラーとはまた全然違ってて、なんだかとっても古き良き時代の和やかな(?)怪談という趣があって、そういうところが好きでした。怪談もいいものですね! まず真偽を疑うのではなくて、なんとそんな出来事があったのかと、話を楽しもうという姿勢がまた読んでいて楽しい一因なのかもしれません。...でもそうですか、死神や厄病神らしき姿を見た時は、頑張って睨みつけてやらないといけないんですね。心しておかなくちゃ。(ちくま文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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大雪の日の夕方、彗君は古い煉瓦造りの建物の中にあるクラブへと出かけます。それは祖父の入江さんが前世紀に始め、最近彗君が入江さんから譲り受けたもの。その日彗君は、バーテンダーの九鬼さんが作った、本物の雪がそのままグラスに盛られているようなカクテルと、鮮やかな血の色をしたカクテルを飲み、その2つのカクテルの不思議な相乗効果で酔郷へと出かけることに...。

バーテンダーの九鬼さんの作るカクテルによって、彗君がさまざまな世界に遊ぶという物語。「夢の通い路」では、桂子さんが「あちらの世界の面々」と交歓を尽くしたんですが、こちらはその慧君版なんですね。桂子さんの孫にあたる慧君が、様々な美女と情を交わすことになります。式子内親王に始まり、ゴーギャン風の南方系美女、かぐや姫、植物的魔女、鬼女、雪女... 時には髑髏まで。ちなみに「よもつひらさか」とは、現世と黄泉の国の境目にある坂のこと。
でも今回なんだかとっても不思議だったのは、全然エロティシズムを感じないこと! 「夢の通い路」も全然肉感的ではなくて、まるで水のような植物のようなさらさらとしたエロティシズムだったと思うんですけど、こっちはそれも全然... 少なくとも前半は全然でした。そういった場面は多いんですけどね。後半は、まあ少しは感じられるようになったけど、それでも「夢の通い路」に比べれば本当に薄いものだし。これって何なんだろう。慧君だからなのかな。それとも読み手の問題?
「ポポイ」を読んだ時にすごく興味を持った慧君なので、「ポポイ」の慧君の辺りを読み返してると、こんな記述がありました。

いつも無限に優しいのがこの人の特徴で、だから慧君は聖者なのだ。相手の意思に反して自分の欲望が働くということがなく、相手の欲することを自分も欲するだけなのだ。そして相手が狂って我を失っても、最初から我というものをもたない慧君は決して狂うことがない。

ああ、そうでした。そういう人だったのでした。だからだったんですね。
こちらの作品でも、慧君と舞の話は私にとってなんだか特別な存在だったなあ。「分子レベルでの理解」に関する会話は、すごく印象に残るものだったし。
でも、今回読んでいて興味を引かれたのは、慧君よりもむしろ九鬼さんだったかも。不思議な酒を作るバーテンダーであり、入江家を取り仕切る執事のような存在であり、入江氏の分身のような存在であり、そして冥界の女王の馴染みでもあり...。いったい彼は何者なんでしょうね?(講談社文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。

アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。

もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。

で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)

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デンマークのエルシノア。ハムレット王が亡くなって2ヶ月足らずだというのに、ガートルード王妃は、王位を継いだ亡き王の弟・クローディアスと再婚。そんな時、エルシノア城の銃眼胸壁の上の狭い歩廊に、今は亡きハムレット王の亡霊が現れます。甲冑に身を固め元帥杖を手に見張りの目の前を何も言わずに通り過ぎる亡霊。その話を聞いたホレイショーは自分も亡霊の姿を目にすると、早速ハムレット王子に告げることに。そして亡霊と対峙したハムレット王子は、父の死の顛末を聞かされることになるのです... という本家本元の「ハムレット」。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」から登場人物の名前と大体の環境を借りて書き上げた、2つの不幸な家庭の3日間の物語だという、太宰治の「新ハムレット」。

いわずと知れた、シェイクスピアの四大悲劇の1つ「ハムレット」。私はシェイクスピアはあまり好きじゃないし、色んな版で何度か読んでる割にその偉大さも今ひとつ理解できないんですが、四大悲劇は結構好き。特に「マクベス」。
ええと、今ひとつ感心しない理由の1つは、シェイクスピアのどの作品にも元となる話があって、あまりオリジナリティがないということなんですけど... まあ、それはあんまり説得力がないというのは、自分でも分かってます。(笑) でもこの「ハムレット」が書き上げられる数年前に、よく似た戯曲がロンドンで上演されていたのだそうで、そんなことを知ってしまうと、益々...。(笑) まあ、それ以前に明らかな元ネタ本があるので、その同時代の劇作家もそちらから取ったんでしょうけどね。でも今回訳者による解題を読んで、「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりです。そう言われてみると、似てるなあ、なんて思いながら読んでた話もあったような...。(←ダメダメな記憶力)
「ハムレット」自体には改めてあまり感想はないんですが、この福田恆存氏による解題が良かったです! 福田恆存氏は訳も素晴らしいけど、この解題が本当に素晴らしいー。特に「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯していることにある」という言葉。「ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯をし、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」ですって。なるほどね。そういうところを楽しむべき作品なんですね。やっぱり本で読んでどうこう言うのではなくて、演じられている「ハムレット」を観るべきなんでしょうね。シェイクスピアだって座付き脚本家として、演じられるための作品を書いてたんですものね。

そしてその「ハムレット」を読んだので読んでみたくなったのが、太宰治「新ハムレット」。太宰治自身、「人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレットから拝借して、ひとつの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味はみじんもない。狭い、心理の実験である」としている通りの作品。
大きな流れは同じなんですが、細かい部分は結構違います。「新ハムレット」のハムレットは、叔父とそれほど不仲ではないですし、以前は懐いていたのに、母親をとられた寂しさや戸惑いから反抗しているみたい。先王の幽霊騒ぎは、ここでは単なる噂話。そしてハムレットは結婚する気満々です! ここでのオフィーリアの造形が、まるで今時の女の子みたいでびっくりですよ。それに作品そのものもとても現代的。書かれた当時は、きっととても斬新だったんでしょうね。太宰治といえば一昔前の人、というイメージだったんですけど、そうではなかったようで...(笑)
行間から登場人物たちの気持ちを推し量らなければならない原作とは違って、こちらでは登場人物が滔々と雄弁に自分の気持ちを語ってるのが面白いし、ハムレットを初めて日本に紹介した坪内逍遥の訳をからかってるようなところも楽しいし...(「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」というのは、確か「はいからさんが通る」に出てきてたから知ってたけど、「すまいとばし思うて?」は知らなかったよ)、ポローニヤスから息子・レアティーズへの細かすぎるほど細かい遊学の心得も可笑しいし~。太宰治自身も同じことを言われたのかな? それとも自分自身の経験を踏まえた言葉? 人は死ぬんですけど、むしろ喜劇に変わってしまったような印象さえありました。とは言っても、このハムレットは、やっぱり太宰治自身なんでしょうね。ハムレットの台詞の端々に、太宰治自身が見え隠れしているようです。

「みんな、みんな可哀想だ。僕には昔から、軽蔑感も憎悪も、怒りも嫉妬も何も無かった。人の真似をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何も分からない。人を憎むとは、どういう気持ちのものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打つほどによく分る情緒は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。」(P.294)

「新ハムレット」には5編が収められているんですけど、表題作以外もそれぞれに良かったです。私が一番気に入ったのは「古典風」。取り立てて大きな出来事が起きるわけでもないのに、読ませてくれるんですよねえ。間に挿入されている手帳のメモ書きや、主人公が書くネロの伝記なんかも面白かったし。この作品、副題が「ーーこんな小説も、私は読みたい。(作者)」なんです。私だって読みたいよ!(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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実朝が殺されて、かれこれ20年。当時20歳を越えたばかりだった「私」も御家人たちと共に出家し、鎌倉時代も今や遠い過去。しかし実朝のことだけは懐かしくてならず... と、「私」が実朝の思い出を語る「右大臣実朝」。
そして東北帝大医学部の前身・仙台医専を卒業した老医師は、周樹人ことその後の魯迅と同級生。魯迅の「藤野先生」を読んでやって来た記者相手に、当時の思い出話を語ります... という「惜別」。

「右大臣実朝」の実朝は、もちろん鎌倉幕府の3代目の将軍だった源実朝。鎌倉幕府を開いた源頼朝の子であり、兄の頼家が追放された12歳の時に将軍となるものの、26歳で甥(頼家の子)の公暁に襲われて落命。その源実朝の人物像を、吾妻鏡からの引用と共に、12歳の頃から側近として勤めてきた人物の目を通して描き出していきます。
中盤まではすごく読みにくかったんですけど、途中、実朝に太宰治自身が見えるような気がしてからどんどん面白くなりました。具体的には「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ッテヨイ」という台詞からだったかなあ。他にも色々と印象深い台詞があるんですよね。「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」とか。全部読んだあとに最初の方に戻ってみると、「都ハ、アカルクテヨイ」なんて言葉もあって... 読んでる時はそのまま受け止めていたけど、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」なんて台詞を読んだ後に改めてこの言葉を見ると、また印象が全然違ってきますね。公暁の言う、実朝自身の都に対する思いのこともあるし、色々と考えさせられます。実朝自身の一種清涼な明るさもまた「ホロビノ姿」だったのかしら。
話し手が実朝を無条件に崇拝してるので、実朝の負の部分はほとんど見えてこなくて、ひたすら賢さと典雅さを兼ね備えた青年として語られることになるんですが、その光が当たった実朝と対照的な存在なのが、影の存在である公暁。まるでこの作品で実朝に欠落してしまった人間らしさを一手に引き受けているみたい。一見裏腹な存在に見える実朝と公暁が、実は太宰治自身の二面性なのかな?

「惜別」で描かれているのは、若き日の魯迅。魯迅の「藤野先生」(感想)と呼応するような作品です。その「藤野先生」が印象深い作品だったこともあり、とても興味深く読みました。でも、描かれているのは確かに魯迅のはずなんだけど、やっぱりこの魯迅は魯迅自身が描いた魯迅とはまたちょっと違いますね。「藤野先生」に描かれていた魯迅の方が、大陸的な大きさを持っていたような気がします。ということは、やっぱりこちらに描き出されているのは太宰治自身の姿ということなんでしょう。1人孤独を噛み締めていたとしても、本人にそのつもりが全然なかったとしても、「周さん」を中心としてみんなが磁石のように吸い寄せられてるように見えるのがとても印象的でした。お節介焼きな津田憲治だって、本当は悪い人じゃないんだもんな。なんか可愛いな。
そして読み終えた直後は「惜別」の方が私の中では存在感が大きかったのに、少し時間が経ってみると「右大臣実朝」の方がどんどん存在感を増しているような... 今は「右大臣実朝」の方がむしろ好きですね。この印象の変わりっぷりは、我ながらなんだか不思議になってしまうほどです。(新潮文庫)


+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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ある精神病院の患者第23号が誰にでも話す話。彼は、3年前に1人で上高地の温泉宿から穂高山に登ろうとした時に、河童の世界に転がり込んでしまったというのです... という「河童」他、「蜃気楼」「三つの窓」の全3編。

中学の頃以来の再読。「河童」という作品は、一種のユートピア小説に分類されるようです。日本の昔話では「浦島太郎」とか「海幸彦山幸彦」なんかがお馴染みですね。陶淵明の「桃花源記」なんかもそう。芥川龍之介が東大英文学科の卒業論文で取り上げたというウィリアム・モリスも、「ユートピアだより」(感想)なんてユートピア小説を書いてます。でも「河童」は、そういった理想の世界を描き出す作品ではなくて、例えば「ガリヴァー旅行記」のように、現実に対する風刺を中心とする作品。
河童の国では、人間が真面目に思うことを可笑しがり、可笑しがることを真面目に思うんですね。正義とか人道といったことを聞くと河童は腹をかかえて笑い出すし、産児制限についての話も笑いの種となるんです。河童の赤ん坊は、この世に生まれたいかどうか自ら選ぶことができます。生まれる前から、ものすごくしっかりしてる河童の赤ちゃん。芥川龍之介は、自分も生まれるかどうか選びたかったと思ってたのかな...。あと、生まれた最初はとても年を取っていたのに、だんだんと若返っていく河童の話もあったなあー。ミヒャエル・ゾーヴァとアクセル・ハッケの「ちいさなちいさな王様」みたいに。
河童の国での様々なことが語られるんですけど、その中でも特に強烈だったのは、製本工場の話。本を造るのに、ただ機械の漏斗型の口に紙とインクと灰色の粉末を入れるだけで、無数の本が製造されて出てくるというもの。しかもその灰色の粉末というのは、驢馬の脳髄を乾燥させたもので、ものすごく安価なものなんです。芥川龍之介は自身の書いた作品にも、その程度の価値しか認めていなかったのかしら...。
芥川龍之介が自殺したのは、「河童」を書き上げた5ヵ月後。私にはこの「河童」はユートピア小説ではなかったです。現実に対する風刺というより、もうこれはそのまま芥川龍之介自身のことなのでは? 上に書いたことだけでなく、どのエピソードも芥川龍之介自身と重なるようで、読みながらもうなんだか痛々しく哀しくて仕方ありませんでした...。そう思って読むと、「蜃気楼」や「三つの窓」にも不吉に感じられるモチーフが散りばめられていますしね。これは芥川龍之介の叫びだったのでは?(岩波文庫)

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母校である女子大の日本文学科専任講師を務める杉安佐子は、ロンドンに駐在している兄のもとに遊びに行く時に知り合った長良豊と、京都の学会に行くために乗った新幹線で再会。京都で行きたい場所がある安佐子は、それが「源氏物語」の藤壺のいた辺りだということを長良に説明し、かつて源氏物語にあったといわれる「輝く日の宮」という巻のことを語ります。

森谷明子さんの「千年の黙」が文庫になったので、それを読もうと思ったんですが、それなら合わせてこちらも読むのがお勧めと七生子さんに教えていただいて~。こちらを先に読んでみました。「輝く日の宮」というのは、「源氏物語」にかつてあったとも言われる幻の章。まだそういう学説があるというだけに過ぎなくて、存在が証明されてるわけではないようですが、「桐壺」と「帚木」の間にあったと言われてるんですね。確かに現在読める「源氏物語」には、藤壺の宮との一度目の逢瀬のことは何も書かれてないし! その後の六条御息所の登場も、もひとつ後の朝顔の姫のことも唐突だし! 特に六条御息所とは、初めて名前が登場した時にすっかり馴染んだ仲として描かれていたので、いつの間に?!と読みながら戸惑ったものです。大切な説明がすっぽりと抜け落ちているという印象。で、「輝く日の宮」という章があったという説があると聞いて納得したのですが... まさかその章が失われた理由がこういうことだったとは! うわあ、これは大胆な仮説ですね。でも驚いたけど、とても説得力がありました。
でもね、この作品で本筋の源氏物語の話になるのは、物語が始まって150ページほども過ぎてからなんです。それまでは安佐子が中学3年の頃に書いた短編のこととか、元禄文学学会で発表した「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」のこと、「日本の幽霊シンポジウム」など他の部分が詳細に描かれていて、その合間には為永春水と徳田秋声の「春水-秋声的時間」のことや、父・玄太郎の生活史研究のことも挟まれていて、そのそれぞれが色んな手法で書かれてるのが面白かったものの、いつになったら本筋になるんだ?って感じだったんです。でもこれが実は実は実は... 私がその意図を本当に理解したのは、本文を読み終えて解説を読んでからでした。うわー、なるほど、そういうことだったのですね! これには全く気づかなかった... というか、読みながら気づくのは私には到底無理なんだけど...(笑) なるほどぉ。どの部分も、実はそれぞれ実は深い意味があって存在してたんですねー。
これは安佐子の成長物語であり、恋愛物語でもあり、そして大きく昭和の時代を追う小説でもあり、「輝く日の宮」が存在したことを証明する小説形式の論文でもあり(松尾芭蕉論、泉鏡花論、そして宮本武蔵論も)... ああ、こういうのって面白いなあ。安佐子とか他の女性の造形が一昔前の女性のようで、あまり魅力が感じられなかったのが残念なんですが... それにかなり現代に近づいてもまだ旧仮名遣いというのはなぜ? と違和感も感じてしまったんですが... でも旧仮名遣いだからこそ、最後の章が違和感なく読めるのかもしれないですね。いや、面白い趣向でした。これは日本文学好きには堪らない作品かも~。私としても「輝く日の宮」の仮説が読めて良かった! 面白かったです。(講談社文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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夜が更けて夫も子供たちも犬も寝静まった頃。化粧を直して人と会う用意をする桂子さん。鏡を見ると、そこに映っているのは、夜の化粧のせいで妖しい燐光を放つ「あちらの世界」の顔。外に来ている人の気配を感じた桂子さんは、家を抜け出します。そこにいたのは佐藤さん。しかし佐藤義清という名前の長身痩躯の紳士は、実は西行なのです。

桂子さんシリーズの外伝的作品... でいいのかな。魅惑的な「あちらの世界」の面々と交歓する桂子さんの物語。桂子さんと出会うのは西行、二条、後深草院、藤原定家、式子内親王、六条御息所、光源氏、藤原道長、紫式部、和泉式部、エルゼベート・バートリー、メーディア、則天武后、かぐや姫etcetc...という、虚実取り混ぜた豪華絢爛な面々。でもどんな人々と共にあっても、桂子さんの女神ぶりは相変わらずで~。相手に合わせて、しなやかに上品に踊っていますね。本当はとてもエロティックなはずなのに、そこには獣の生々しさは全くなくて、どこか植物的なんですが... ここで私が感じたのは、植物というよりも水。さらさらと流れる水のようなエロティシズムのような気がしました。現実と異界との転換点としても、水というのはとても相応しいのではないかと思うのですが~。
古今東西の様々な人物が登場するだけに、他の倉橋作品以上に様々な素養が現れていて、それもとても面白かったです。登場する面々の中でも特に印象深かったのは、処女の血を搾り取ったというエルゼベート・バートリ伯爵夫人、そしてエウリピデスの描いた物語は真相とは違うと語るメーディア。ここに描かれる血のお風呂や血のワインの魅惑的なことったら。さらに桂子さんが二条と語る、トリスタンと金髪のイズーの物語の話も面白かった! トリスタンとイズーが秘薬を飲んだ理由に、これ以上説得力のある回答は思い浮かばないな。(講談社文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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伊勢英子さんによる宮沢賢治作品の絵本を一挙に4冊。
ざしき童子(ぼっこ)は、東北地方、特に岩手県に伝わる伝説の存在。特定の家に居つき、ざしき童子がいる家は栄え、去られてしまった家は傾くという... そんなざしき童子のお話を4つ集めた「ざしき童子のおはなし」。
姿が醜いため、他の鳥たちに顔を見たくないとまで言われてしまうよだか。みんなに嫌われていることを悲しんだよだかは、弟のかわせみに別れを告げ、太陽の方へと飛んでいきます... という「よだかの星」。
谷川の岸にある小さな小学校に新しく来たのは、赤い髪に変てこな洋装をしたおかしな子供。父親の仕事の都合で、北海道の学校から転校して来たのです... という「風の又三郎」。
しきりにカルメラのことを考えながら、赤い毛布(けっと)にくるまって雪丘の裾を家に急ぐ子供。しかしその日は水仙月の四日。じきに風が出て、乾いた細かな雪が降り始め、あたり一面は真っ暗に.. という「水仙月の四日」。

やっぱり「ルリユールおじさん」や「大きな木のような人」、「にいさん」のような絵本とは違っていて、こちらはやっぱり子供向けだなあという感じでしたが、それでもどれも伊勢英子さんの絵が堪能できる絵本ばかり。「ざしき童子のおはなし」は、昼下がりの穏やかな光、夕暮れの柔らかい光、残暑の頃の明るい光、そして眩しいほどの月の光... と、どの絵も光がとても印象的だったし、「よだかの星」は後半の色の深みと美しさが素晴らしいと思ったし、「風の又三郎」はどれも吹き渡る風を感じるような絵。「水仙月の四日」は、青と白が美しくて、その中の子供の毛布や、雪狼の舌の赤がとても鮮烈。

最初読んだ印象では、「水仙月の四日」が一番好きかなあと思ったんですが... 文章だけで読んだ時もとても印象深い作品だったし、伊勢英子さんらしい青を楽しめますしね。でも読んでから少し時間が経った今は「よだかの星」の印象の方が鮮烈に残ってるということに気がつきました。この絵本、最初の何枚かの絵が、あまり私好みの色彩じゃないんです。どこか民話調の赤の使い方というか、あまり色にも深みがなくて、なんでこういう色使いをするんだろう、とどうも違和感があったんです。でも、後半の色の深みが素晴らしい! なんて美しいんでしょう... もしかしたら、前半の絵は表面上の美醜しか捉えようとしないほかの鳥たちの浅さを表現してるのかしら。そして後半の深みのある広がりのある色彩は、よだかの内面を表しているのかなあ、と思ったのでした。...ただ単に前半の絵の美しさを、私が感じ取れなかっただけなのかもしれないんですが。(笑)(講談社・くもん出版・偕成社)


+既読の宮沢賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

+既読の伊勢英子作品の感想+
「ルリユールおじさん」「絵描き」いせひでこ
「旅する絵描き パリからの手紙」伊勢英子
「グレイがまってるから」「気分はおすわりの日」伊勢英子
「マキちゃんの絵にっき」「ぶう」伊勢英子
「カザルスへの旅」伊勢英子
「はじまりの記憶」柳田邦男・伊勢英子
「1000の風 1000のチェロ」「雲のてんらん会」いせひでこ
「空のひきだし」いせひでこ
「むぎわらぼうし」竹下文子・いせひでこ
「大きな木のような人」「ルリユールおじさん」いせひでこ
「にいさん」いせひでこ
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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岩波少年文庫版の宮沢賢治3冊。今までいくつかの本を手に取ったことがありますが、岩波少年文庫で読むのは今回が初めて。3冊で童話が26編と詩が11編収められています。

今回改めて読んでみて特に印象に残ったのは、宮沢賢治の生前に唯一刊行された「注文の多い料理店」につけられている「序」。これ、素晴らしいですね。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」...宮沢賢治にとって、生きるために必要なのは単なる食物の摂取ではなくて、自然から得る精神的な栄養がとても大きかったというのが、よく分かります。身体の維持のためには食物の摂取がどうしても必要ですけど、彼にとっては精神を生かすための栄養の方がずっと大切だったんでしょう。そして、そんな宮沢賢治の書いた童話は、実際に身の回りの自然から栄養を得て書かれた物語ばかり。序にも「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」とあります。確かに空とか星とか風とか雪とか水とか、野山の動物とか、自然のものが沢山。もうほんと好きにならずにはいられないモチーフが満載なんですけど、でもそんなモチーフが使われているからといって、作品が大好きになるとは限らなくて...。素直に自然と一体化して、その素晴らしさを全身に感じて溶け合ってるからこそ、ですね。やっぱり宮沢賢治の感性って得がたいものだったんだなあ、なんて改めて感じてみたり。そしてこの序の最後の言葉は、「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」。たとえ読者が自然からほんとうの栄養を得られるような感性の持ち主でなかったとしても大丈夫なんですね。その作品を読むことによって、その栄養を得ることができるんですもの。まあ、それを自分の中でどう生かすかは、読者次第ではありますが...。
それにしても「イーハトーヴ」という言葉、いいなあ。「注文の多い料理店」には「イーハトーヴ童話集」という副題がつけられていて、エスペラント語の「岩手」のことなんですけど、これがまるで異界へ行くための呪文みたい。登場人物たちが岩手の方言で話していても、そこに描かれているのがごく普通の農村の情景ではあっても、この「イーハトーヴ」という言葉だけで簡単に異世界に連れて行ってもらえるんですもん。

特に好きな作品としては、「ふたごの星」と「やまなし」と「銀河鉄道の夜」かな。やっぱり「銀河鉄道の夜」は何度読んでも素敵。幻想的に美しくて、懐かしくて暖かくて、でもとっても切なくて。で、以前「宮澤賢治のレストラン」という本がとても楽しかったので、今回再読したかったのですが~。ちょっと手元には間に合わなかったので、そちらはまた日を改めて。(岩波少年文庫)


+既読の宮澤賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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ムーミントロールがまだ小さかった頃のお話。夏の一番暑いさかりに風邪をひいてしまったムーミンパパは、ふと、広間のたんすの上に飾っている海泡石の電車に、皆があまりあまり関心を持っていないことに不満を持ちます。それはムーミンパパの青春時代に大きな役割を演じたものなのです。それを聞いたムーミンママは、ムーミンパパに自分のこれまでの一生について書くことを薦めます。風邪を引いて外に出られない今は、思い出の記を書き始めるのにぴったり。しかも物置から大きなノートが1冊出てきたところだったのです。

ムーミンシリーズの3作目。ムーミンパパが、若い頃の物語をムーミントロールやスニフ、スナフキンに語り聞かせるという形で物語は進みます。がんじがらめの規則に縛られ、色々と疑問を持ちながらも何も答えてもらえなかった孤独なムーミンホーム時代。そしてそこからの脱出。発明家のフレドリクソンや彼の甥のロッドユール、立ち入り禁止の操舵室に入り込んでいたヨクサルとの出会いと、「海のオーケストラ号」での冒険の旅。
ムーミンパパの思い出の記は、冒険物語なんですけど、なんだかとても哲学的ですね。みんな結構色んなことを言ってて、その中でも一番印象に残ったのは、ヨクサルの「有名になるなんて、つまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でも、だんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーラウンドにのるようなものじゃないか」という言葉。このヨクサルというのは、スナフキンのお父さんなんです。道理で!ですよね。ついでにいえば、ロッドユールはスニフの父親。ミイもここで初登場です。若き日のムーミンママとの出会いの場面も。今は良き妻・良き母というイメージのムーミンママも、この頃はまだまだスノークのお嬢さんみたい~。スナフキンは「ムーミン谷の彗星」で初対面だったはずなのに、なんで小さい頃のムーミントロールと一緒にムーミンパパの話を聞いてるのかなー。なんてことは言いっこなし?(笑) スナフキンとミイの関係についてだけは余計だったような気がしますが(なんでそんなことをわざわざ!)、楽しいながらもなかなか奥の深い物語でした。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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山田が脳卒中で亡くなり、初七日がすぎると、桂子さんは研究室を片付けるために大学へ。山田が使っていたBRAINと呼ばれているコンピューターを自宅に持ち帰ります。書斎でマニュアルをめくっていると、そこから出てきたのはBRAINを試作した会社の会長・入江晃という人物の名刺。桂子さんは、山田が入江のことを大学の教養課程の時の級友だと話していたことを思い出します。告別式にも入江からの生花が届いていました。そして林龍太から無名庵を買い取った人物も、おそらくその入江なのです。

桂子さんシリーズ。先日読んだ「城の中の城」から、ほぼ10年後のお話。桂子さんは40歳、智子さんは16歳、貴くんは15歳、山田氏はいくつぐらいなんだろう。60代になる一歩手前ぐらいでしょうか。優子さんというお嬢さんも生まれていたようですね。宮沢耕一にも色々と変化があったようで、現在はパリ在住。
この作品で一番大きいのは、とうとう入江氏が登場したこと! もっと年配の人なのかと思ってたんですけど、山田氏と級友だったのかあ。あ、でももうじき60代(推定)となると、やっぱり年配とも言えるのでしょうか。既にかなりの人脈と金を持ってるようですが、まだ政界入りを果たす前。「ポポイ」を読んだ時、なんで愛人なんだろう...?って思ってたんですが、これを読むとなんとなく理解できるような気がしました。
途中でギリシャ神話の話も登場していましたが、まさに神々の交歓といった印象。でもたとえ入江氏がゼウスだとしても... いえ、入江氏はゼウスみたいな好色な人物ではないんですが、存在感的にゼウスはぴったり。でも、桂子さんに当てはまる女神が案外といないものですねえ。ヘラは似合わないし、知的なところからアテナ... というには桂子さんは色っぽすぎるし。逆にアプロディーテーというには知的すぎますしね。時にアテナのように、時にはアプロディーテーのように。時と場合によっては大胆に振舞うこともできるのが、桂子さんの一番の魅力。こういう人物を、女性作家が描いたというのがいいんでしょうね。男性作家が書いたら、印象がまるで変わってしまいそうです。でも、倉橋由美子さんという方の思考回路には、男性的な部分も多く入っていたに違いない...。ま、こんな人、本当にいるのかしらー?!とは思うんですけどね。そこはそれ、やっぱり「神々の交歓」だから。ということで。(笑)(新潮文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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ここには書かなかったんですが、先日パロル舎の「夢十夜」「猫町」「冥途」を再読したんです。金井田英津子さんの挿画は、もちろんとても素晴らしいんですけど... ! でもこれはあくまでも、金井田英津子さんがこれらの作品に持たれたイメージ。あまりにぴったりすぎて、そのことをすぐ忘れてしまうんですが。で、なんだか無性に文字だけの本が読みたくなって、こちらを手に取ることに。

「猫町」の方は、3部構成。第1部は「猫町」「ウォーソン夫人の黒猫」「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」という小説が3編、第2部は散文詩が13編。そして第3部は随筆が2編。
どれも読み応えのある作品ばかりなんですが、やっぱり「猫町」が突出してますね。ごくごく平凡な日常の風景が、ある時点でくるりと反転してしまう、そこの妙。これが素晴らしい。それまで長々と書かれてきたことは、全てこの一瞬のためだったのか、と、改めて感じ入ってしまいます。何度読んでも素晴らしい~。そしてこの作品は、解説によるとアルジャノン・ブラックウッドの「古き魔術」という作品も似た趣向の作品なんだそうです。朔太郎がその影響を受けているのかどうか、そもそもその作品を読んでいたのかどうかは不明なんですが、そちらもぜひ読んでみたいな。
そのほかの作品も良かったです。散文詩というのも意外と好きな自分を発見したり。(笑) 特に印象深かったのは、親交のあった芥川龍之介の死にも触れている「老年と人生」かしら。「老いて生きるというのは醜いことだ」と考え、30歳までには死のう、いや、40歳までには、と考えつつ老年に達してしまった萩原朔太郎。でも老いて初めてその楽しさを発見したり、案外肯定的に人生を捉えるようになるんですよね。それがちょっぴり意外ながらも興味深くて。

そして「萩原朔太郎詩集」は、「純情小曲集」「月に吠える」「松葉に光る」「青猫」「蝶を夢む」「桃季の道」「氷島」「散文詩」といった詩集から、三好達治が選んだ代表作を収めたもの。
基本的に詩心があまりない私なので、自由詩はよく分からなくて、どちらかというと定型詩を好むんですが、萩原朔太郎の詩はとても好き。特に初期の作品集である「月に吠える」は、朔太郎ならではの明るく鮮烈な若々しさ、そして生きる力をとても強く感じる作品群だと思います。何かといえば物が腐るし、どちらかといえば精神的に不安定なものを感じる方が当然なのに、そんなところに生きる力を感じるのもどうかと思うんですが(笑)、そこは詩心のない人間の戯言と思って流していただければ。いや、でもこんな詩を書く人が自ら命を絶つことなく寿命を全うしたというのが逆に信じられないほどですけどね。本当に。
印象深いのは、朔太郎特有の表現。「おわあ、こんばんは」と挨拶する猫、「ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ」と鳴く蛙。 「ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ」という蝿の、「てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ」と飛ぶ蝶。「のをあある とをあある やわあ」と遠吠えする犬。「じぼ・あん・じゃん!じぼ・あん・じゃん!」という柱時計の音... やっぱりこの人の感性は面白いな。(岩波文庫)

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桂子さんが山田と結婚して8年。桂子さんも30歳になり、今や6歳と5歳の2児の母親。山田の仕事も順調で、桂子さんも主婦業・母親業の傍ら翻訳の仕事をこなす日々。しかしそんな平穏な生活に、突然影がさすことになります。山田が前年パリに行った時にキリスト教の洗礼を受けていたというのです。

桂子さんシリーズです。
今回とにかくびっくりしたのは、思いっきりキリスト教絡みの話だったこと。このシリーズに、こんな風にキリスト教が登場することになろうとは! いや、ほんと全く思ってもいなかったのでびっくりです。なんとなくそういうのを超越してると思ってたんですけど、そうではなかったんですねー。でも私も驚いたんですけど、桂子さんの驚きはもちろん私以上なわけで。もう「青天の霹靂」というレベルではなく「冬の曇天がにわかに下がってきて頭上を圧する感じ」。目の前に黒々とした得体の知れないものが立ちはだかっているのを感じるぐらい。
でも「キリスト病」とは手厳しいけど、その辺りの話も面白かったです。桂子さんとしては、そんな病気にかかるような人間は大嫌いなんだけど、山田がそんな病気を発症するような人間だったと見抜けなかったのは、自分の落ち度でもあると考えてるんですね。そして桂子さんが受洗すると言う選択が考えられない以上、解決方法は離婚かもしくは山田が棄教するかしかないわけで... という所まで話がいってしまうのもびっくりなんですけど(笑)、それより常々「struggle」が嫌いだと公言している桂子さんがstruggleしてる! でもだからと言って、その葛藤に溺れてしまうなんてことは決してないし、子供たちに両親の不和を悟らせることもなく、あくまでも優雅な桂子さんなんですが。
まあ、今の日本ではキリスト教はすっかり落ち着いた存在になってると思うんですが、これを新興宗教に置き換えれば全てすんなり納得がいくことばかり。私も、自分の足できちんと立った上で宗教を心の拠り所にするのいいと思うんですけど、宗教に全面的に頼ろうとするのはちょっとね。自分は健康だからそういった宗教の世話になる必要がないと何度も繰り返す桂子さんですが、確かに彼女の心の健康さは大したものかも。彼女の精神はあくまでもしなやかで強靭で、相手に合わせて踊ることもできれば、それ自体を武器にすることもでき... どんなことが身の回りで起きても、あくまでも自然体。例えば桃花源記の中に出てきそうなお店に行った時も、今日は相手の決めた趣向に従うつもりでいたから、とまるで動じない桂子さんは、やっぱり大した女性です。(新潮文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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3月初め。両親と共に京都に着いた牧田桂子は、そこで両親と分かれて嵯峨野へと向かいます。両親は奥嵯峨の不昧庵へ。桂子は嵐山の西山草堂で宮沢耕一と約束していたのです。耕一は桂子の恋人。大学の先輩で、一足先に卒業した後、大阪の銀行で働いていました。しかし食事の後、2人で嵯峨野を歩いている時に桂子が見かけたのは、茶屋で床机に腰掛けて薄茶を飲む母と見知らぬ男性の姿。両親は揃って不昧庵でのお茶会に出ているはずなのですが...。そして耕一も、二尊院で母が中年の見知らぬ男と肩を寄せ合って階段を上っているのを見たと言います。

桂子さんシリーズ。先日読んだ「ポポイ」をうんと遡って、あそこではもう「祖母」という立場にいた桂子さんが、まだ大学生だった頃のお話。最初の場面は京都の嵐山なんですけど、西山草堂って!この間、私もお豆腐を食べに行ったお店じゃないですか。なんていうのに始まって、反応してしまう部分がいっぱい。桂子さんが卒論のテーマに選んだジェーン・オースティンにもいちいち反応してしまったし、横道に逸れることも多い読書となってしまいました。いえ、そういうのも楽しかったんですが!

いや、凄いですね。まるで満開の桜の花の下にいるような気分になる作品。とてもとても美しいのに、それでいてどこか不気味なものも潜んでいて... 作中でもこんな表現が。

花ざかりの下から振りあおぐと、この世のものとは思えない妖気の雲がたちこめていて、さびしさに首すじが冷たくなり、花の下にひとがいなければ、桂子は狂って鬼に変じそうであった。

もうぞくぞくとしてきてしまいます。

そして読み終わってみてまず最初の印象は、対比の多い作品だなあということ。美しいのに不気味さもある満開の桜、というのも既にそうだと思うんですが、他にも色々と。伝統的なものとこの作品が書かれた時代における斬新さとか、どこか平板に感じられる明るさと陰影に富んだ暗鬱さとか、死と生とか。...死と生というより、この場合は死と快楽かも。あとは桂子と他の女性の女としての対比とか、桂子と耕一のそれぞれの両親とか、最後にできる2組のカップルとか。なんて書いてたら、だんだん無理矢理な気もしてきちゃったんですが、そんな対比がいたるところにあって、でもそれらがお互いに溶け合ってもいて。物語の舞台としても、東京と京都。物語の始まりは、3月なのに「地の底まで冷え込んで木には花もなかった」という嵯峨野。そして終わりもまた嵯峨野。もっとも終わりの方では、2年前の嵯峨野に比べて「大気のなかにかすかながらも春の吐く息のような暖かさがこもっているのが感じられた」なんですが。常識では考えられない関係となってしまった後に、逆に明るさが見えてくるというのもすごい。
それにしても、「ポポイ」の桂子さんに至るまでには、まだ一波乱も二波乱もありそうですね。だってあそこの「お祖父さま」は... ねえ? 他の作品を読むのも楽しみです。

そして上にも書いたんですが、桂子が卒論に選んでいるのはジェーン・オースティン。「ジェーン・オースティンのユーモアについて」という題です。この大学は、やっぱり東大なんでしょうね。作中でしばしばジェーン・オースティンについての会話が登場するのも、私としてはとても興味深いところでした。特にこのくだり。

オースティンのは、何といっても女の小説ですね。女が手で編むレースのテーブルクロスとか、刺繍とか、そういう種類のものを、ことばを使って丹念に編み上げたのがオースティンの小説ではないかと思います。

ああ、なるほど... これは全くその通りだと思いますね。桂子さんの卒論、読んでみたいなあー。倉橋由美子さんも、きっとかなりお好きなんでしょうね。そういえば私、ジェーン・オースティンの長編では「ノーサンガー・アベイ」だけが未読のまま残ってるんだった。文庫になるのを待ってるんだけど、ならないのかな? 今度図書館で借りてこようっと。 (中公文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子

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近未来。生首を預かってもらえないか、と婚約者の佐伯に言われた舞は驚きます。それは数日前に、今でも政界で大きな影響力を持つ元首相である舞の祖父の所に乱入したテロリストの首。その晩、祖父が脳梗塞で倒れたため、祖父とテロリストとの密談の内容は不明であり、佐伯は生首を最新の医療技術で保存することによって何らかのことが探り出せないかと考えていました。舞が引き受けると、佐伯は早速生首を舞の元へと運びます。舞はその生首に「ポポイ」という名前をつけることに。

声明文を読み上げて切腹、といえばもちろん三島由紀夫なんですけど、首だけになった美少年と聞いて私がまず思い浮かべたのは「サロメ」。やっぱりこれは「サロメ」でしょう~。生首が舞の部屋にやって来た時に、舞が「私の予想ではそれは銀の盆に乗っているか青磁の水盤に活けてあるはずだったけれど」と思う部分があるのですけど、ここからしても明らかにそうですよね。サロメと舞の印象も、どこか似通ってる気がします。少女から大人の女になる、まさに境目の時期にある女性たち。少女の残酷さも大人の女のエロティックさも持ち合わせてて、男性は振り回されずにはいられない... というか。うーん、うまく表現できませんが。でも美少年の生首にポポイなんて名前をつけて、髭剃りをしたり男性用のパックをしたり、古代ローマ人風に髪型を整えたり、音楽を聞かせたりするなんて、悪趣味極まりないと思うんですけど、それが何とも言えない世界を作り上げていますね。本当はとてもおぞましい情景のはずなのに、この上なく美しくも感じられてしまうのが不思議。...そして読み終えた後に思い浮かべたのは、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」でした。話そのものは全然違うんですけど、この作品の首が、あの睡蓮となんだか印象が重なってしまって。
倉橋由美子さんの小説を読むのは、実はこれが初めてなんですが、この作品の中ではそれほど重要ではない登場人物でも既にかなり造形が出来上がってるんですねー。不思議に思って調べてみたら、舞の祖母・桂子を中心とするシリーズがあるようで。彗のことなんかもすごく気になるので、ぜひ他の作品も読んでみたいなあ。(新潮文庫)


+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子

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「偏愛文学館」倉橋由美子

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大正時代の歌人であり、松村みね子名義で戦前のアイルランド文学の翻訳をしていた片山廣子さんのエッセイ。
以前フィオナ・マクラウドの「かなしき女王 ケルト幻想作品集」でこの方の文章に触れて、もっと読んでみたいと思ってたんですよねえ。その「かなしき女王」は現代の日本語となってしまってるんですが、こちらの「新編 燈火節」は本来の旧字・旧仮名遣いのまま。

ミッション系の東洋英和女学院を卒業後、歌人・佐佐木信綱に師事し、独身時代は深窓の令嬢、結婚後は良妻賢母の鏡のような令夫人と謳われたという片山廣子さん。ここに描かれていくのは、少女時代の暮らしぶりや結婚してからの日々のこと、短歌のこと、そしてアイルランド文学のこと。戦争を挟んでいるので、時にはかなり苦しい暮らしぶりが伺えるのですが、生来の上品さを失わずに持ち続けているのが印象に残ります。その文章の静謐さ、凛とした姿勢、そして歌人ならではの柔らかな感性がとても素敵。この感覚は、須賀敦子さんの文章を読んだ時に感じるものに近いかも。
昔の短歌の方が色が柔らかかったこととか、お好きなアイルランド文学に関してとか、色々と印象に残る文章がありましたが、その中でも私が特に惹かれたのはアーサー王伝説について語る「北極星」の章。大王ペンドラゴンのひとり子の金髪の少年「スノーバアド(雪鳥)」が山の静寂の中で天の使命を受け、「スノーバアド」から「アースアール(大いなる熊)」になったと宣言、「アーサア」と呼ばれるようになったという物語。このアーサーが天上の夢を見る場面がこの上なく美しいのです。松村みね子訳のアーサー王伝説というのも読んでみたかったなあ。その時はぜひとも旧字・旧仮名遣いで。そして旧字・旧仮名遣いといえば、フィオナ・マクラウドの訳も原文のままが読んでみたい...。松村みね子名義で訳されてるシングの「アラン島」や「ダンセイニ戯曲集」はまだ読んでないんですけど、こちらはどうなのかしら? 今度ぜひ読んでみようと思います。(月曜社)


+既読の片山廣子翻訳作品の感想+
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」フィオナ・マクラウド
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング

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百貨店の寝具売場に勤めながら百科事典の執筆に勤しみ、最近<ロンリー・ハーツ読書倶楽部>に讃歌した「小さな男」。そしてラジオのパーソナリティで、最近日曜の深夜1時からの2時間の生番組に抜擢されたばかりの34歳の静香。そんな2人のそれぞれの物語。

「小さな男」と静香の2人の小さなエピソードが沢山積み重なってできている物語。この2人、仕事も行動範囲も全然違うし、一見何も接点もないんですよね。もちろん物語なんで、どこかでクロスするんだろうなと思いながら読むわけだし、序盤で早速「ミヤトウ」さんが接点だと分かることになるんですけど、でもそうそうストレートに繋がっていくわけではありません。もっと小さいところから、少しずつ少しずつ、ゆるやかに重なっていく感じ。シンクロしているといえばしているし、気がつかなければ気がつかない程度。そのゆるゆる感が素敵。

印象に残ったのはこの言葉。

結局、いちばん残しておきたいものはいつでもこうしてこぼれ落ちてゆく。人の記憶なんてそんなものだ。(中略) 代わりに、どうでもいいことばかりが克明に記録されてゆく。

この言葉ね、本の感想を書くのも一緒だなーと思って。でも、確かに私もどうでもいいことばかり克明に記録してるんですけど、後で見たらちゃんとその時のことが思い出せるんです。だから、それはそれでいいような気もしてます。

あと私が気に入ったのは、古書店ならぬ古詩集屋の午睡屋。ここの店長は、昭和30年代の時刻表や「熱帯果実図鑑」「卓上灯製作の実際」といった本を「詩集です」と断言しつつ、「つまり、いったい何が詩で、何が詩ではないか、という根源的な問題に関わっているのです」なんて澄ました顔で説明しちゃう白影くん。彼に言わせれば、詩集とは静かな声を閉じ込めたもので、詩集屋というのは静かな声を売る店なんですって。そういう風に考えるのも、なんだかとっても素敵ですね。 (マガジンハウス)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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「私」が感じたのは、ただならぬ水の気配。花冷えがする夜更けだというのに、何者かが川を泳いで渡ろうとしているのです。それは八重子だと直感的に感じる「私」。八重子がとうとう「私」の居場所を突き止めた...。相変わらず溌剌としている八重子に今の自分の姿を見せたくない「私」は、全財産を素早く隠して家を出ます。しかしその晩に限ってやけに体が軽く、じきに逃げようという気が失せ、川べりで八重子を待ち構えることに。そこに現れたのは1匹の大きな海亀でした。それは生と死の間を自由に行き来すると言われる伝説の海亀。「私」は既に死者となっていたのです...。

死者となった「私」が忘れじ川のほとりの草葉町に戻り、八重子や他の家族たちを見つめていく物語。1行の文章(詩?)と、数行の文章が交互に配置されていて、その定期的に現れるその1行の詩のような文章が、ぽつりぽつりと落ちてくる雫のように感じられて、とても印象に残ります。
死者となった「私」は様々な場面を見ることになります。今現在、そしてかつての草葉町の情景が鮮やかに浮かび上がってきて、「私」に何があったのかも徐々に明らかに...。生前の「私」が犯した罪は、やくざな弟に「こんなおれでもそこまで墜ちやしないぞ」と言わせるようなものだし、最初はそんな罪を犯した自分の不甲斐なさばかりが頭にある「私」なんですが、死者となった目で改めて家族の姿を見つめなおしていくうちに、それが自分なりの人生だった、自分らしい生き様だったと受け入れることができるようになるんですね。

去年の暮れに「水の女」というテーマでいくつか本を読んだんですが、この作品の「水」が、その時に読んだ「ペレアスとメリザンド」にものすごく重なりました。話としてはタイプが全然違うのに不思議なんですが。でも全てを受け入れる「水」という意味では同じような気がします。「ペレアスとメリザンド」のメリザンドは、その存在自体が「水」そのもの。そんなことを考えてると、この作品の八重子もまたメリザンドだったような気がしてきます。ああ、八重子もまた。いや、八重子だけではなかったのかしら。なんて思考の中の水に溺れそうになってますが、やっぱり絶えず流れ続ける水は人間の生そのものですね。ここに登場するのは正直あまりいい家族とは言えないけれど、それでも水は何もかもを同じように受け入れてくれるんだなあ。(求龍堂)


+既読の丸山健二作品の感想+
「荒野の庭」丸山健二
「水の家族」丸山健二

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13巻は「寄生」「東屋」「浮舟1」、12巻は「浮舟2」「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」。

とうとう最後の2冊を読んでしまいました。全14巻読了ー!!
12巻を読んでからちょっと合間があいてしまったんですけど、それが逆に良かったかも。10巻で源氏の君が亡くなってから11巻を読んだ時は、まだちょっと違和感があったんですけど、今回は純粋に楽しめました。いやあ、面白かった! どちらかといえば、やっぱり源氏の君が生きてた時の、思考のぶっ飛びっぷりが好きだったんですけどね。それでも薫と匂宮の話になってからこんなに楽しめたのは初めてかも。薫と匂宮も、この2人を巡る女性たちもどうしても好きになれないので、いつも「雲隠」以降は単なるオマケ状態になってたので...。今回別に好きになれたというわけではないんですが(笑)、いつもよりはもうちょっと近い位置で読めたような気がします。
今回ちょっと面白かったのは、浮舟のお母さんが身分とか幸せとかについて考えていたところ。でも読み終わった後で探しても出てこない... おっと思ったところが2箇所あったんだけどなあ。やっぱり読んでる途中で付箋をつけて置かなくちゃダメですね。って毎回思うんだけど、忘れてしまうのでした。ダメだなあ。>私

オススメして下さった、ちょろいもさん、ありがとう! いや、もうほんと楽しかったです。読んで良かった♪(中公文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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11 巻は「雲隠」「匂宮」「紅梅」「竹河」「橋姫」、12巻は「椎本」「総角」「早蕨」。

源氏の君が亡くなってしまい、この巻からは紫式部の語りとなります。源氏の君から紫式部への交代は「雲隠」の帖の最初で行われるんですけど、ここがなんだかSFちっく。どことなく筒井康隆「エディプスの恋人」を思い出しました。(えっ、全然違う?) そしてここで語られるのは紫式部の現実。夫となった藤原宣孝のこと、若き源氏の君のような藤原伊周のこと、壮年の源氏の君のような藤原道長のこと。まさに藤壺の中宮のような中宮定子のこと、紫式部が仕えることになった中宮彰子のこと。1000年前の女性のこととは思えないほど身近な造形。
源氏の君の一人語りがなくなったのも寂しいし(やっぱりこれが面白かったのよね)、薫と匂宮はイマイチ役不足... この2人、源氏の君と頭の中将みたいな感じとはちょっと違いますしねえ。源氏の君と頭の中将にはやっぱり華があったわ! というより、薫と匂宮の周囲の女性陣に華が足りないのかな~? なんて文句を言いつつも、他の現代語訳に比べると遥かにきちんと読んでる私なのですが。すっかり大きくなってしまった明石中宮とか玉蔓とか、お馴染みの人もちらっと出てくるのが嬉しいです。(中公文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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9 巻は「若菜 下」「柏木」、10巻は「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」。

この10巻で、とうとう源氏の君が主人公となっている部分はおしまいです。「御法」で紫の上を失った源氏の君は「幻」の章を経て「雲隠」へ...。
源氏の君って「恋多き男性」と言われる割に、つくづく女運は良くない人ですね。源氏の君が自分から追う女性は、みんな出家をしてしまったり亡くなったり。もういいと思っている女性に限って執拗に追ってきたり。紫の上までもが出家したがるんだものなー。まあ、それも源氏の君の自業自得だと思いますけどね。紫の上1人に愛されていただけで十分幸せなはずなのに、ないものねだりばかりするんですもん。紫の上ももう疲れてしまったのでしょう。彼女には「本当にお疲れさまでした」と声をかけたくなってしまいます。(9巻の柏木と女三の宮の辺りもかなり盛り上がったのだけど、気分はすっかり10巻後半の切々とした感じになっちゃってます)
やっぱり源氏の君よりも、私は頭の中将(この時点では致仕太政大臣)の方が好きだったわー。ちょっと大雑把な感じもするけど、憎めない人柄だし。
さて、残すは薫の君が中心となる第3部の4冊のみです。(中公文庫)


+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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7巻は「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」、8巻は「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」「若菜 上」。

「胡蝶」で描かれる春の町の美しさ艶やかさにうっとりしてたら、玉蔓に言い寄ろうとする源氏の浅ましさにがっくり。「常夏」で登場した近江の君の言葉遣いに目が点になってたら、夕霧が紫の上を垣間見てしまってどきどき。
まあ、本筋の通りの流れだと言えばそれまでなんですけど、でもやっぱり気を逸らさないところはさすがですね。
でもでも、玉蔓とのやり取りで見せる源氏の君のあの中年オヤジっぷりはいやーん。いくら外見が美しくてセンスが良くても、こんな鬱陶しい人が身の回りにいなくて良かったわ! なんて思ってみたり。や、もしいたとしても、私が当事者になることはあり得ないんだけど...(笑) ま、本で読んでる分には面白がっていられる範囲内なので、玉蔓にはお気の毒と思いつつ、源氏の君が悶々としてるのを「いい気味だー」とか思ってしまいます。ま、玉蔓自身あんまりきちんと意思表示をする人じゃないから、自業自得かもしれないけど。
あと、これは玉蔓と違って、どうしても気の毒なのが花散里。私、花散里って結構好きなんだけどなー。そもそも人物紹介で「源氏からはほとんど飼い殺しに近い扱いを受け、ただ息子の"夕霧"と玉蔓の世話に日を送るしかなくなっている魅力を失った女」と書かれてるのが悲しい。これはちょっと酷すぎやしませんか。あ、気の毒といえば、末摘花の姫も相当気の毒なんですけど... でもこの人の場合、「唐衣」にはやっぱり笑ってしまうわ!(笑)

「窯変」を読み終わったら、また円地文子訳の続きに戻ろうとは思ってるのだけど... その時はきっともっときちんと読めるだろうと思ってたんだけど... ここまで豊かに描きこまれた源氏物語を一度読んでしまったら、他のがすっかり色褪せてしまいそうで不安。丁度マリオン・ジマー・ブラッドリーの「アヴァロンの霧」を読んだ後は、マロリーの「アーサー王の死」がまるで記事でも読んでるような気がしてしまったように。うーん、ありそうだ...。(中公文庫)


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「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

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「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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4巻は「花散里」「須磨」「明石」「澪標」、5巻は「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」、6巻は「朝顔」「乙女」「玉鬘」「初音」。

一週間ぶりの「窯変」です。いやあ、今回も面白かった。今回は前回みたいな波はなくて、コンスタントにどれも面白かったな。特に楽しんだのは「須磨」「明石」「松風」... って、明石の女(ひと)が出てくるのばっかりだ。そういえば以前源氏物語を読んだ時は確か紫の上が好きだったと思うんですが、今回読んでて好きだと気付いたのは明石の女なんですよね。この「窯変」だけじゃなくて、与謝野晶子版でも円地文子版でも。...あ、源氏物語占いというのもあるんですよね。私は紫の上です。嬉しいけど、ちょっとおこがましい気も... 占いサイトはコチラ。私の環境だと、結果が文字化けしてしまうのだけど。
あと楽しんだのは「絵合」。源氏の君側と頭の中将(この頃は権中納言ですが)側に分かれての絵合わせの場面がとても好き。そして「乙女」の章。この章は長すぎるぐらい長いし、雲居の雁と夕霧の話はもういいよって感じだったんですが、この章最後の春夏秋冬の町に分かれている六条の院の描写がとても素敵なんです。「玉蔓」の章の源氏の君がそれぞれの女性に衣装を選ぶ場面とそれに続く「初音」も。ああ、雅だなあ。今の時代ではなかなか味わえないような贅沢ですよね。元々の源氏物語にある場面とはいえ、こんなに豊かに美しく描き出してしまうとは、橋本治さん、何者?!(中公文庫)


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「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

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「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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1巻は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」、2巻は「若紫」「末摘花」「紅葉賀」、3巻は「花宴」「葵」「賢木」。
1991年から1993年にかけて全14巻で刊行されたもの。源氏の君の視点で書かれていることもあって、かーなり大胆な翻案作品となっています。ちょろいもさんのオススメです♪

先日、与謝野晶子訳を読んだ時は、紫式部の思考回路って男だなーと思ったんですが、円地文子訳を読んだ時、その印象がちょっと薄れたんですよね。やっぱりあのさっぱりした与謝野晶子訳と、しっとりした円地文子訳の文章の違いでしょうか。そしてこの「窯変」を読んでみると、また印象が違う...! 書き手の橋本治さんは男性だし、源氏の君という男性の視点から書かれているにもかかわらず、どこかものすごく女性的なものを感じてしまうんです。なんでだろう。ほんとこれでもかこれでもかって勢いで源氏の君が1人で語ってるのに。

それにしても、ほんと今まで読んだ源氏物語と全然違っていて、それはもうびっくりしてしまうほどです。話の大筋は一緒なのに、同じ人と出会い、同じ出来事が起きてるのに、もうまるで違う橋本ワールド。...ものすごい曲解?(笑)ってとこもあるんですけどね。その強引とも言える話の流れが、強引なりにきちんと流れていくのがすごい。
ただ、全体的にすごく面白いんだけど、面白さにも波があるみたい。読み始めは「うわー、うわー、面白い!」で「桐壺」最後までテンションが高いまま。「帚木」は、それほど... で、「空蝉」は面白いんだけど、ちょっと落ち着いた感じ。と、章によって少し波がありました。基本的に面白いんですけどね。まあ、元々「帚木」はそれほど好きな章ではないから仕方ないのかも。それと、そもそもこの「窯変」の面白さは、世の中を斜めに見てる源氏の君の一人語りにあるとと思うんですが、同じように語っていても、話題によってちょっと違うのかもしれませんね。そのものズバリ女の話よりも、それに絡めて発展させた話の方が、私は楽しめるみたい。

それにしても橋本治さん、きっとものすごい知識量なんでしょうね。その上でさらりと書いてるって感じがします。本来注釈になりそうなことも全て本文の中に織り込まれてるんですが、この詳細な描写のおかげで、宮中での諸々のことや当時の風俗・習慣についてなど、ものすごく分かりやすいです。いや、これだけ書き込んでたら、長くもなりますよね。3冊読んでもようやく藤壺の宮が出家するところまでですもん。でも、長いけどこれは全14巻読みますよー。4巻以降は未入手なので、時間はかかりそうですが。

生れ落ちた時から全てを手にしていたように見える源氏。本人も周囲もそう思っていたんでしょうけど... でもその手の中には実は何もなかったのね。(中公文庫)


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「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

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1巻は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」
2巻は「賢木」「花散里」「須磨」「明石」「澪標」「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」「槿」

先日与謝野晶子訳を読んだ「源氏物語」なんですが、今度は谷崎源氏が読みたいとかいいつつ、円地文子訳を読み始めてしまいましたー。これは森山さんが読まれて、とても面白かったと仰っていたもの。ちょろいもさんオススメの橋本治「窯変 源氏物語」にしてみようかなとも思ったんですが、こちらは全14巻と長いし、かなり大胆な翻案作品になっているようですしね。この2冊を読んでからにしようと思ったわけです。円地文子訳はしばらく入手できない状態になっていたのが先月から再版し始めたもの。まだ1巻と2巻しか出てません。全6巻の予定。

与謝野晶子訳に比べると、しっとりふっくらと女らしい文章。こうして比べてみると、与謝野晶子訳がかなりさっぱりとした文章だったことが分かりますねー。そして同じ章を読み比べてみると、円地文子さんの方がずいぶん長い! えっ、与謝野晶子訳にこんなのあったっけ?という部分もありました。ところどころで創作が入ってるというのはこういうことだったのか。いや、私は原文を読んだわけではないので、与謝野晶子訳では省略されてる部分というのもあるのかもしれませんが~。私としては基本的に忠実な訳の方が好ましんですけど(そうでなければ、思いっきり翻案か)、でも創作が入ってるおかげで与謝野晶子訳では唐突に思えた展開が柔らかくつながって読みやすくなっていたりしますね。さっぱりとした文章で読みたくなるような部分もあるんですけどね。(新潮文庫)


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「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

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「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
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「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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先日吉岡幸雄さんの「日本の色辞典」(感想)を読んだ時に、改めて読みたいと思っていた「源氏物語」。古典中の古典だけあって、本当にいろんな方が書いてらっしゃるんですよね。私も漫画を含めていくつか手にしたことはあるんですが、最後まで読んだものがあるかどうか...。改めて調べてみると色んなのがあって、どの版にするか迷ってしまいましたよー。今回読みたいなと思ったのは、翻案作品ではなくなるべく原典に近いもの。となると与謝野晶子訳か谷崎潤一郎訳か... はたまた円地文子訳というのも気になるし、玉上琢彌訳というのはどうなんだろう? 一番みやびな日本語になってるのは谷崎潤一郎訳かもしれないな... でも歌人の与謝野晶子の訳というのも捨てがたいし... 円地文子も評判いいみたいだし... などなど激しく迷いつつ、結局与謝野晶子訳を選んでみました。

結果的に、与謝野晶子訳はとても読みやすかったです。昭和13年の現代語訳だから適度に風情もありますしね。和歌の解釈がないんですけど、これも雰囲気で読めちゃう。でも源氏が生きている間の話は面白く読んだんですが、「宇治十帖」に入ってからは集中力が途切れてしまって... ちょっと斜め読みになっちゃいました。(^^ゞ
そして「まろ、ん?」は「大掴源氏物語」という副題の通りの本。源氏物語のそれぞれの1帖を長いものも短いものも見開き2ページの8コマ漫画にしてしまっていて、これ1冊で源氏物語の概要が分かってしまうというスゴイ本です。(笑) これは以前にも読んでいるので再読。
源氏系は栗顔(まろ→まろん→栗)、頭中将系は豆顔になってるので人間関係も掴みやすいし、登場人物系図や主な官位表もその都度登場するので、ほんと分かりやすいんです。それに小泉吉宏さん、概略を書くのが上手いし~。与謝野晶子訳を読みながら自分がちゃんと理解できてるか、こちらの本で復習しつつ読んだのでした。

「まろ、ん?」で一番「おおっ」と思うのはこの部分。

秘め事が知れたら恋人や妻を苦しめるというのに それを告白することが誠実なことだと思っている人がいる。だがそれは自分の罪悪感から解放されたいと思っているだけだ。つまり甘えているだけである。

こういうところを読むと、そうだ「ブッタとシッタカブッタ」やなんかを書いてる人だったんだわーって改めて思い出します。(笑)

今度は谷崎源氏を読んでみたいな。(角川ソフィア文庫、幻冬舎)


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「窯変 源氏物語」13・14 橋本治

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196x年秋の夜更け。権田原から外苑の並木道にそって車を走らせていた男は、行く手のヘッドライトの明るみの中におぼろなすがたが浮かび上がるのを見かけます。それはスウェーターもスラックスも白ずくめの小さな後ろ姿。そしてその姿は宙に浮かんでいたのです。濃い霧のために一瞬でその姿を見失い悔やむ男。しかしその時、その白ずくめの姿をした女が、男の車に乗り込んできたのです。

不思議な女の語る不思議な物語。でもすごく自伝的な作品なんですね。人妻だという彼女が語るかつての「主人」との話は、矢川澄子さんが結婚していた澁澤龍彦氏のことに重なります。私はこのご夫婦のことについては全くといっていいほど知らないんですけど、それでも読み始めてすぐにピンと来たほど。夫婦のやりとりの1つ1つに納得してしまう...。その中でも特に分かる気がしたのは、「主人」が子供を欲しがらないというくだりですね。子供に妻を奪られないために、妻をひとり占めしておくために、「いっそのこと、ぼくが子供になってしまおう。」と言う「主人」。時には夫と妻、時には子と母、そして時には兄と妹を演じながら、幸せな「おうちごっこ」に明け暮れる夫婦。そしてそんな生活に徐々に疑問を感じるようになりつつも、「主人」のことが好きで堪らなかったという「妻」の思い。
この作品に登場する人妻の女、そして「神さま」と1つの家に住んでいる兎は、明らかに矢川澄子さんご本人。「かぐや姫」についてのノートを書いたのは誰なのでしょう。それも矢川澄子さん? そしてそのノートの中で考察されている「かぐや姫」と、オデュッセウスの妻・ペネロペイアもまた矢川澄子さんなのでしょうか。入れ子構造になっているだけでなくて、捩れて螺旋になっているような物語なんですが、ただ伝わってくるのは、「女」である矢川澄子さんの思い。あまりに正直な気持ちの発露に、読んでいるこちらまで痛くなってしまいます...。(ちくま文庫)


+既読の矢川澄子作品の感想+
「わたしのメルヘン散歩」矢川澄子
「兎とよばれた女」矢川澄子

+既読の矢川澄子翻訳作品の感想+
「七つの人形の恋物語」「スノーグース」ポール・ギャリコ
「トンデモネズミ大活躍」「ほんものの魔法使」ポール・ギャリコ
「小鳥たち」アナイス・ニン
「フィオリモンド姫の首かざり」ド・モーガン
「風の妖精たち」「針さしの物語」ド・モーガン
「ザ・ロンリー」ポール・ギャリコ
「「きよしこの夜」が生まれた日」ポール・ギャリコ
「ゴッケル物語」クレメンス・ブレンターノ
「妖精の国で」W.アリンガム&リチャード・ドイル
「クリスチナ・ロセッティ詩抄」クリスチナ・ロセッティ
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク

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ウンベルト・サバ、ジュゼッペ・ウンガレッティ、エウジェニオ・モンターレ、ディーノ・カンパーナ、サルヴァトーレ・クワジーモドという20世紀を代表する現代イタリアの5人の詩人たちについて書いた「イタリアの詩人たち」、そして須賀敦子さんによる翻訳で、「ウンベルト・サバ詩集」「ミケランジェロの詩と手紙」「歌曲のためのナポリ詩集」。

「須賀敦子全集」のほとんどがエッセイだったんですが、この第5巻は須賀敦子さんによる翻訳が中心。最初の「イタリアの詩人たち」こそ現代詩人たちの紹介と批評になってるんですが、それ以降は全て翻訳です。でも読んでいて、これこそが須賀敦子文学の原点なんだなあという感じでした。やっぱりイタリアの文学、特に詩を愛していたからこそ、エッセイのあの文章が生まれてきたんでしょうね。
そして「イタリアの詩人たち」は、特に須賀敦子さんの核心に迫る部分なのではないでしょうか。5人の詩人たちの作品とその魅力が、それぞれに美しく透明感のある、1人1人の詩人に相応しい言葉で翻訳されていきます。私はあまり詩心がないんですけど、それでもやっぱり須賀敦子さんの言葉は沁みいってくるものがありますねえ。声に出して朗読してみたくなります。そして私が特に気に入ったのは、精神分裂症のために放浪と病院生活を繰り返しながら散文詩を書いていたというディーノ・カンパーナの作品。散文なので分かりやすいという部分もあるんですけど、とにかく美しい! 須賀敦子さんも書いてますが、狂気の中に生きていたからこそ純粋に詩の世界を追求することができたというのは、やはり詩人として幸せなことだったのでしょうね。もっと色んな作品を読んでみたいな。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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ベイルートで組織のためにしたはずの暗殺が、自分の暴走ということにされてしまい、仲間の手引きで船に密航して日本にやって来たターリク。東京で新しい他人名義のパスポートがもらえる手はずが整っているから、それを受け取って3ヶ月ほどほとぼりを冷ましてから帰国するように言われていたのですが、そのパスポートがターリクの手に渡る直前、入っていたアタッシュケースがひったくられてしまい...

中東レバノンの兵士だったターリクが、国にいられなくなって言葉も分からない日本に放り出されて、様々な人々の好意にすがりながら、なんとか自分の居場所を確保していくまでの物語。実際に戦火の中で生き延びてきただけあって、最初はものすごく危機感が強いですよね。実際、パスポートがない状態では不法滞在者としていつ国外に退去させられるか分からない状態なんですけど、常にアンテナを張って警戒し続けてるんです。そんなターリクの持つ緊迫感が、周囲の平和ずれした人々の中では浮いているように感じられるんですが、それだけにとても印象的だし、いろんなエピソードがターリクの視点というよりもむしろ周囲の人々の視点から描かれているので、いろんな視点が面白かったです。周囲の人たちも個性的な面々でしたしね。まあ、後半のあのトントン拍子っぷりは、どうなのか正直よく分からないんだけど...。前半の方が面白かったな。それにターリクの目に東京がバビロンのような華美な悪徳の都として映ったのかといえば、それもちょっと違うと思うんですよね。(新潮文庫)


+既読の池澤夏樹作品の感想+
「南の島のティオ」池澤夏樹
「スティル・ライフ」池澤夏樹
「真昼のプリニウス」池澤夏樹
「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
「バビロンに行きて歌え」池澤夏樹
「神々の食」池澤夏樹

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夜、マグロ漁船の後甲板で写真を撮ろうとしている時に、船尾に押し寄せた大きな波にさらわれて海に落ちた「ぼく」は、そのまま流され続け、やがて島に漂着。そこは珊瑚礁に囲まれた常夏の無人島。彼は椰子の実やマア、タロ芋を採り、バナナを食べ、雨水を貯め、貝や魚を採って生活することに。

池澤夏樹さんの長編デビューという作品。
思いがけないことから無人島暮らしをすることになった主人公は、生きていくことそのものが日々の目的となって、次第にその生活に充足感を覚えることになるんですけど、やがて現実の世界の人間と出会うことによって、生活が目的ではなく単なる手段に戻り、やっぱりまた文明へと戻っていく自分を感じるようになる... という話。(多分) 無人島で自給自足の生活を余儀なくされたからといって、それを必要以上に嘆くのではなく(絶望を感じた時期もあったと本人は言っていますが、それは読者には分からない部分)、文明批判や自然礼賛に走るのではなく、自然の中で送る日々の生活を淡々と描いているところが良かったな。でも、一度文明社会から完全に解き放たれてしまった主人公。再び文明社会に出会った時... どうなるんだろう?(中公文庫)


+既読の池澤夏樹作品の感想+
「南の島のティオ」池澤夏樹
「スティル・ライフ」池澤夏樹
「真昼のプリニウス」池澤夏樹
「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
「バビロンに行きて歌え」池澤夏樹
「神々の食」池澤夏樹

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八王子にある大学の理学部の助教授をしている頼子は、その晩、日本橋にあるイタリア料理店に向かっていました。数日前、友人の1人が頼子の研究の話を聞きたがっていると弟の卓馬が電話してきたのです。その友人とは、広告関係の仕事をしている門田。門田は、利用者が電話をかけると、予め用意されている何千何万もの話のうちの1つが無作為に選ばれて受話器から流れるという新しい種類の電話サービス・システムを作ろうと考えており、話のバラエティを確保するためにも火山学を専門としている頼子の話も聞きたいというのです。

地に足が着いた生き方をしている頼子が、様々な人の影響を受けながら、自分自身の一歩を踏み出す物語、でしょうかー。彼女が研究している火山のマグマそのままに、彼女の内部では様々な思いが高温高圧で活動していて、普段は胸の奥深くに潜んでいるものの、ふとした瞬間にほとばしり出てきたりします。彼女の前に現れるのは、バブル時代にいかにもいただろうなっていう広告業界の門田や、かつての恋人で、今はメキシコの遺跡の写真を撮っているカメラマンの壮伍、易を扱う製薬会社の社長、そして大学時代の友人の息子・修介など。でも、製薬会社の社長の易の話が絡んでくるところは面白いなと思っし、最後に意味が分かる題名もいいなあと思ったんだけど... どうも男女ともみんな、なんていうか紋切り型のように感じられてしまいました。特に女性たち。これじゃあ、男性作家の描きがちな女性像なのでは? こういう会話を読みたくなくて、私は一時男性作家離れをしてたんですよぅ。...そのせいか今まで読んだ池澤作品に感じられたような魅力が、この作品ではあまり感じられませんでしたー。残念。(中公文庫)


+既読の池澤夏樹作品の感想+
「南の島のティオ」池澤夏樹
「スティル・ライフ」池澤夏樹
「真昼のプリニウス」池澤夏樹
「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
「バビロンに行きて歌え」池澤夏樹
「神々の食」池澤夏樹

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ずっと旅から旅へという生活の中で絵を描いてきたのに、ある時、何のへんてつもない窓につかまってしまい、パリのアパルトマンにしばらく住むことになった「ぼく」。それはルリユールじいさんとの出会いでした... 「ぼく」から「Y」へのパリからの手紙。

以前、「ルリユールおじさん」「絵描き」(感想)を読んだ時に、これも読みたいと思っていたのです。でも題名と表紙から勝手にエッセイだと思い込んでいたら! これも物語だったんですねー。元は理論社のホームページに連載されていたエッセイを改稿、未公開スケッチを加えて構成し直したものだそうなので、もしかしたら元々の語り手は、「ぼく」ではなくて伊勢英子さんだったのかもしれないのだけど。

私が読んだ「ルリユールおじさん」と「絵描き」はそれぞれ独立したお話だったのだけど、これを読むと、1つに繋がった大きな物語だったんだなあって分かります。そしてやっぱり「絵描き」に登場しているのは、伊勢英子さんご本人だったのだなということも。前の2冊に比べると、もちろん絵は少ないのだけど、文字から伝わってくるものも大きいわけで。何度も読み返したくなってしまいます。

古いアパルトマンのルリユールおじさんの家の壁は、どれも天井まで本でいっぱいで!

何百冊あるかわからないけど、すべて革張りで深紅や紺や緑の表紙、金箔の背の文字 -- 気が遠くなりそうなほど美しい本棚だった。

やっぱり私は職人を目指すべきだったんだわ... 芸術家ではなくて、あくまでも職人。ああ、こんなところで何をやってるんだろう。(平凡社)


+既読の伊勢英子作品の感想+
「ルリユールおじさん」「絵描き」いせひでこ
「旅する絵描き パリからの手紙」伊勢英子
「グレイがまってるから」「気分はおすわりの日」伊勢英子
「マキちゃんの絵にっき」「ぶう」伊勢英子
「カザルスへの旅」伊勢英子
「はじまりの記憶」柳田邦男・伊勢英子
「1000の風 1000のチェロ」「雲のてんらん会」いせひでこ
「空のひきだし」いせひでこ
「むぎわらぼうし」竹下文子・いせひでこ
「大きな木のような人」「ルリユールおじさん」いせひでこ
「にいさん」いせひでこ
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子

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須賀敦子さんの全集の第2巻。これは既読の「ヴェネツィアの宿」(感想)と「トリエステの坂道」(感想)、そして1957年から1992年までのエッセイが収められた1冊。以前、手元の本の文庫のカバーが2巻なのに中身が1巻でびっくりしたと書いたんですが、その後無事に版元さんに交換して頂けました♪ 文庫版の全集では、まだ5巻が発刊されていないので、今のところこれが最後の1冊です。やっぱりこの辺りのエッセイはいいですねえ。読んでいてとても好き。でも「ヴェネツィアの宿」と「トリエステの坂道」については以前感想を書いたので、まあいいとして。今回は全集でしか読めない1957年から1992年のエッセイについて。

須賀敦子さんは、まずフランスに留学して、それからイタリアへと行って、結局そこで結婚することになるんですけど、今回このエッセイの中では、フランスとイタリアの違いについて時々触れてらっしゃるのが印象に残りました。フランスには2年滞在したのに、フランス語「いっこうにモノにならなかった」のに比べて、イタリアにはたったの2ヶ月の滞在で日常会話に不自由しない程度に話せるようになったという話。もちろん、英語やフランス語は日本の学校での勉強、イタリア語は現地の外国人大学だったという環境の違いは大きかったでしょうし、フランスでは随分嫌な思いもしたのに比べて、イタリアでは須賀さんが1つ単語を覚えるたびに喜んでもらえたりして、それもあってイタリア語にはずるずるとのめりこむように取り組んだのだそう。

パリの早口のフランス語になやまされていた私は、イタリアに来て、ほっとした。まだほとんどその国のことばは知らなかったのだが、イタリア語のゆるやかさ、音楽性がたいそう身近で、やさしい感じをうけたのである。そのせいか、自分にもわからぬ速さ、自然さで、イタリア語をおぼえることができたように思う。

ああ、分かるなあ、って思っちゃいました。私もフランス語を断続的に何年か勉強してるんですけど、全然モノにならないままなんですよね。って、もちろん私の勉強不足が最大の要因なんですが(笑)、いくら勉強しても話せるようになる気がしないんです。須賀さんがたったの2ヶ月でイタリア語の日常会話を操れるようになったと聞くと、すごい語学の天才?!って感じだし、実際才能はある方なんでしょうけど、でもイタリア語だったらそれもあり得るかもって思うんです。
私が以前フランスに行った時は、励ましてくれるような人こそいても、意地悪するような人には当たらなかったので、別に須賀さんみたいにフランスに対して悪印象を持ってるわけじゃないんですけど... やっぱり日本語とイタリア語って、発音的にも相性がいいと思うんですよね。それに確かに音楽的で耳にやさしいし、フランス語よりも聞き取りやすそう。実際、以前イタリアに行った時に、事前に初心者用の本をざっと見ていた程度だったのに、お店の人や街の人たちが言ってることもなんとなく分かる部分が多くて、びっくりした覚えがあります。「フィレンツェに何日いるの?」と聞かれて、ごく自然に「10日間」って答えていたり。本屋で地図を調べていたら、現地のおじさんたちが「どこに行くんだ?」と一緒に探してくれて、文章にはならないながらも、なんとなくコミュニケーションが取れていたり。私の場合、大学の第二外国語がスペイン語で、スペイン語とイタリア語って同じ日本語の中の方言のように似てる部分が多いので、ある程度素地ができていたとも言えると思うんですが。
もしかしたら自分にはイタリア語の方が向いてるかも、なんて思いつつフランス語を続けていたんですけど、やっぱり自分にとってはイタリア語の方が居心地がいい言葉かもしれないなあ、って改めて思っちゃいました。来年はイタリア語に挑戦してみようかしら? 現地で勉強、なんてことは到底できないし、せいぜいNHKのラジオ講座ぐらいなんですけどね。もちろんイタリア語にはイタリア語の難しさがあるでしょうし、1つの単語を覚えるたびに喜んでくれるイタリア人気質の後押しは期待できないので(笑)、とてもじゃないけど数ヶ月でマスターなんてできないでしょうけど、もしかしたら私も私なりに、ずるずるとのめりこんでしまうかもしれないなあ、なんて思ったりします。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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全集の第3巻。20世紀フランスを代表する作家の1人、マルグリット・ユルスナールの作品や登場人物、そしてユルスナール自身に、自分自身の軌跡に重ね合わせていくエッセイ「ユルスナールの靴」。旅を通して出会った様々な人や訪れた街。そこで出会った建造物について書いた12のエッセイ「時のかけらたち」。ユダヤ人たちが高い塀に閉じ込められるようにして住んでいたゲットと呼ばれる地区、トルチェッロのモザイクの聖母像、コルティジャーネと呼ばれる高級娼婦など、主に水の都・ヴェネツィアの影の部分を訪れた旅と記憶の旅「地図のない道」。そして1993年から1996年にかけての18編のエッセイ。

全集の中でも、妙に読むのに時間がかかってしまった1冊。でも決して読みにくかったのではなくて、なんだか思考回路がどんどん広がりすぎてしまったせい。特に「ユルスナールの靴」は、ユルスナールの作品を実際に自分で読まなければという焦燥感に駆られてしまって... 結局は読まずに1冊手元に用意しただけで終わってしまったのだけれど。
その「ユルスナールの靴」の冒頭はこんな文章。

きっちり足に合った靴さえあれば、じぶんはどこまでも歩いていけるはずだ。そう心のどこかで思いつづけ、完璧な靴に出会わなかった不幸をかこちながら、私はこれまで生きてきたような気がする。

次の「時のかけらたち」は、実際に足が踏みしめて歩くことになる石畳の道の話がとても印象的だったし、「地図のない道」は、人間としての足場や立ち位置を考えさせられるしエッセイ。この3巻は、「足」がテーマとなるものばかり集めたのかな?
意外な収穫だったのは、「時のかけらたち」の「舗石を敷いた道」の章で語られる「アエネーイス」の話。これは、須賀さんが日本に帰ってしばらくすると、歩きにくいはずの舗石の道が無性に懐かしくなるという話が発展して、ウェルギリウスの「アエネーイス」の中の描写へと話が広がるんですけど、以前「アエネーイス」を読んだ時に納得しきれていなかった部分が、須賀さんの文章を読んですとんと腑に落ちてしまいました... とは言っても、「アエネーイス」にはそんな部分が多かったので、まだまだ理解しきれてないのだけど。でもやっぱり日本語にするとウェルギリウスらしさや良さがさっぱりなくなってしまうみたいで、その辺りにも納得。って、自分の読解力や理解力を棚に上げて勝手なことを言ってるのは重々承知ですが。(笑)
須賀さんの「アエネーイス」の講義、聴きたかったな~。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子全集最終巻。ここに収められているのは、両親や後に夫となるペッピーノに宛てた書簡集、『聖心(みこころ)の使徒』所収のエッセイ、「荒野の師父らのことば」、未定稿「アルザスの曲りくねった道」とそのノート、そして年譜。

両親、特にお母さんへの手紙は、全体を通してとても明るいトーン。手紙はかなりの頻度で出されていたようで、日常生活のこまごまとしたことが色々と書かれています。でも、「忙しい毎日だけど、元気なので心配しないで」という思いがとても強くて、それだけに、逆にかなり無理して頑張っていたのではないかと思ってしまうほど。ちょっぴり痛々しかったです...。そしてそんな両親への手紙と対照的なのが、夫となるペッピーノへの手紙。こちらには素直な心情が吐露されていて、ペッピーノに対する信頼の大きさがすごく伝わってきます。抑えられた情熱が文面からあふれ出してきそう、なんて思いながら読んでいたら、徐々に2人の間で愛情が高まり、そして深まっていく様子が手に取るように... きゃっ。
そして残念で堪らなくなってしまったのは、最晩年に構想中だった小説「アルザスの曲りくねった道」が、結局未完のままに終わってしまったこと。ああ、これは完成された作品を読みたかったなあー...。

時代こそ少しズレてますが、うちの母も須賀さんと同じ「丘の上の学校」にいたので、須賀さんのこと知ってたりしたのかしら、少なくとも共通の知人は結構いるはず、なんて思いながら読んでいたら、いきなり私の友達のお祖父さんの名前が登場してびっくり。という私にとっても「丘の上の学校」は母校なので、そこで一緒だった友達。そのお祖父さんは既に亡くなってるので、もう須賀さんの話を聞くことはできないのだけど。
そんなこんなもあって、須賀さんの少女時代~大学時代のエピソードが書かれている「遠い朝の本たち」や「ヴェネツィアの宿」には、妙に思いいれがあったりします。今回は、普段なら読み飛ばしてしまいそうな年譜までじっくりと読んでしまいましたー。もしかしたら私が大学の時に入っていた寮に、かつて須賀さんもいらしたのかしら? なんてちょっとミーハー興味混じりですが。^^; (河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第7巻は、須賀さんがローマ留学時代に1人で企画から執筆、原稿の邦訳などをこなし、コルシア書店で出版して、日本に発送していたという全15号の冊子「どんぐりのたわごと」と、夫・ペッピーノの死から4年、翻訳の仕事をしながらミラノに住み続けた須賀さんの、ミラノを去ることになるまでの日記。

こちらも6巻に引き続き、ちょっととっつきにくい面がある1冊、かな。論文のような難しさこそないんですが、「どんぐりのたわごと」は、かなりキリスト教色の強い読み物ですしね。私にとってはキリスト教色云々よりも、この6巻は全体を通してひらがな率が妙に高くて、それがちょっと読みにくかったんですが...。でも、印象に残る文章が色々とありました。特に印象に残ったのは、「どんぐりのたわごと」の第3号に載っていたダヴィデ・マリア・トゥロルド神父の詩。彼はコルシア書店の中心的存在で、以前須賀さんの「コルシア書店の仲間たち」(感想)を読んだ時にもかなり前面に描かれてた人物です。2m近い大男で、人間自体もとても大きくて、その分懐はとても深いけれど、カトリック特有のこまごまとした様式的なものにはちょっと合わないんじゃ...? という印象だった人。もちろん繊細なところも持っているのは分かっていたのだけど、その彼がこんな詩を書いていたとは...。この詩を読んでるかどうかで、彼に対する理解は相当違ってくるのでは、なんて思ってしまうほど、ちょっと衝撃的でした。
そして第7号には、後に酒井駒子さんが挿絵をつけて絵本にした「こうちゃん」(感想)の原文が載ってます。酒井駒子さんの絵はとても素敵だったし、これを読んでいると改めてあの絵本を読み返したいなあと思ってしまったのだけど、今回、絵を抜きに字だけを読んでみて、すごく自分の中に入ってきたような気がしました。
あと、私が一番好きだったのは、第8号に収められているジャン・ジオノによる「希望をうえて幸福をそだてた男」の話。須賀さんがイタリア人の友人に宮沢賢治の話をしたのがきっかけで教えてもらったという物語なんですが、これはとても素敵でした~。「こうちゃん」やこの「希望をうえて幸福をそだてた男」は、キリスト教色もあまり強くないので、比較的とっつきやすいかも。
そして後半は、須賀さんの日記。後に書かれたエッセイとは違って、こういったプライベートな日記には、人の私生活を勝手に覗き込むような居心地の悪さを感じるんですが... 須賀さんが夫のいないミラノでの生活に限界を感じていたこと、それでも続いていく慌しい人間関係に、充実しながらも疲れていたことなどが感じられるようで、とても興味深いです。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
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「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

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「トリエステの坂道」須賀敦子
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「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

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「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第6巻は、ナタリア・ギンズブルグ論、イタリア中世詩論、イタリア現代詩論、文学史をめぐって、という4章に分けられた「イタリア文学論」と、須賀さんが邦訳したナタリア・ギンズブルグ作品、アントニオ・タブッキ作品、そしてイタロ・カルヴィーノの「なぜ古典を読むのか」につけられたあとがきを集めた「翻訳書あとがき」。

これまで読んだ全集の1巻と4巻は、一般人向けのエッセイということもあってとても読みやすかったのだけど、こちらの6巻は、「翻訳書あとがき」はともかく、もっと専門的でちょっととっつきにくかったかも。特に「イタリア文学論」の中のイタリア中世詩と現代詩。ここに紹介されてる作家なんて、全然と言っていいほど読んでないですしね... かろうじて、ダンテの「神曲」ぐらいですね。ウンベルト・サーバを始めとするイタリア現代詩人の名前は、須賀さんのエッセイを通じて名前を知った程度だし。しかも中には研究論文らしき文章も混ざってるので、難易度がかなりアップ...。須賀さんの訳でいくつかの詩が読めるのは、とても嬉しかったんですけどね。紹介されている作品に対する須賀さんの愛情がひしひしと感じられるだけに、自分の知識のなさがクヤシくなってしまいます。あ、でもナタリア・ギンズブルグ論はとても面白くて、「ある家族の会話」をぜひとも読んでみたくなりました! あと、アントニオ・タブッキも結局まだ「インド夜想曲」しか読んでないので、他の作品も読みたいなあ。
それと、詩論では原文が沢山紹介されてるんです。(日本語の文章の中にイタリア語が多用されてるのも、素人には読みにくい一因なんですが) 実際にイタリア語での朗読が聴いてみたい! イタリア語って本当に音楽的な言語だし、意味が分からないなりにも豊かに感じられるものがありそうです。(河出文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

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「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
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「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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須賀敦子さんの全集の文庫版第4巻。この巻に収められているのは、少女時代から大学時代にかけて読んだ本とその本にまつわるエピソードを描いた「遠い朝の本たち」、1988年から1995年にかけて発表された書評を中心とした「本に読まれて」、1991年から1997年にかけて発表された単行本未収録の「書評・映画評ほか」の3編。「本に読まれて」は再読。

須賀敦子さんの全集で1巻の次に手に取ったのは、本にまつわるエッセイが中心の4巻。「遠い朝の本たち」では、どんな本が須賀敦子さんの血肉となっていったのかよく分かります。その本に出会うきっかけとなった、周囲の人々の存在の大きさも。特にイタリアに行った後も、日本語が駄目にならないようにと森鴎外訳の「即興詩人」を送ってきた父親の存在は印象的。
そして「本に読まれて」「書評・映画評ほか」では、本当に沢山の本が紹介されています。本を読んで感じたことを素直に表現しているだけといった感じなのに、こんなに過不足なく紹介しているというのが、やっぱりスゴイなって思っちゃう。しかもさらりと深いんです。やっぱりいいなあ。実際には、その「素直に表現する」ということが、すごく難しいと思うんですけどね... これは「遠い朝の本たち」の中の「葦の中の声」の章に繋がってくるんでしょうね。アン・リンドバーグのエッセイを読んだ時に須賀さん感じたこと。

アン・リンドバーグのエッセイに自分があれほど惹かれたのは、もしかすると彼女があの文章そのもの、あるいはその中で表現しようとしていた思考それ自体が、自分にとっておどろくほど均質と思えたからではないか。だから、あの快さがあったのではないか。やがて自分がものを書くときは、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気がする。

私には、須賀さんの文章こそ「均質」で「まやかしのない言葉」に感じられるな。でも強く憧れてるだけじゃあ、須賀さんのように、そういった文章が書けるようにはならないんですよね。(河出文庫)


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「須賀敦子全集1」須賀敦子
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「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
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「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
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須賀敦子さんの全集の文庫版第1巻。まだ7巻が出てないし、先日出たばかりの3巻はまだ買ってないし、読むのがもったいないような気がしてしばらく寝かせてたんですけど、読まない方がもったいないので(笑)、ようやく読み始めました。この中に収められてるのは、「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」「旅のあいまに」の3つ。「コルシア書店の仲間たち」だけは既読。(感想) 「ミラノ霧の風景」「コルシア書店の仲間たち」は独立した本にもなっているのだけど、「旅のあいまに」は全集でしか読めない作品なのかな? これはミセス誌に連載されていたエッセイ。

そして「ミラノ 霧の風景」は、須賀さんがイタリアにいた13年間の日々や知り合った友人たちとのエピソードが綴られてるエッセイです。これがどうやら須賀さんのデビュー作だったようですね。

乾燥した東京の空には1年に1度あるかないかだけれど、ほんとうにまれに霧が出ることがある。夜、仕事を終えて外に出たときに、霧がかかっていると、あ、この匂いは知ってる、と思う。10年以上暮らしたミラノの風物でなにがいちばんなつかしいかと聞かれたら、私は即座に「霧」とこたえるだろう。

という冒頭の文章からしてとても印象的。ロンドンの霧も目じゃないほどのミラノの霧は、今はそれほどひどくなくなってしまったそうなんですけど、ミラノに霧が出るなんて全然知らなかったな。私が以前イタリアに行ったのは10月だったし、まだ霧なんて全然なかったし。先にこの本を読んでいたら、11月に行きたいと思ったかしら。でも飛行機がちゃんと降りてくれなきゃ困るから、やっぱりそういうのは旅行者には向いてないですね。(笑)
読んでいて一番印象に残るのは、須賀さんのしなやかな強さ。自分自身をしっかり持ってらっしゃること。日本にいてもイタリアにいてもどこにいても、周囲の環境に呑まれてしまうことなしに、しなやかに須賀さんらしさを持ってらしたのでしょうね。この本の中にも、普段親しくしてるイタリア人たちが急に遠い存在に感じられてしまったというエピソードが書かれているし、ここには書かれていないような嫌な思いもきっと色々とされたのだろうなとは思うんですが...。日本文学をイタリア語に翻訳する仕事で知り合った編集者のセルジョや、ご主人と知り合うきっかけとなったマリア、コルシア書店で精力的に頑張っていたガッティなど、須賀さんが大切に思うお友達がそれぞれにくっきりと鮮やかに描かれています。読んでいて心地いいとはこのことなのかしら。と思ってしまうぐらい没頭してしまいました。しばらくこの文章に浸ろうと思います。(河出文庫)


で、次は2巻を読もうと思ったのだけど!
手に取ってみたら、本のカバーは確かに2巻になってるのに、中身はなんと1巻でした...。もう買ったお店のレシートなんてないんですけどぉ。河出書房に言ったら、取り替えてもらえるものでしょうか... がっくり。2巻に入ってる「ヴェネツィアの宿」も「トリエステの坂道」も既読なので、とりあえず後回しにしようっと。


+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子

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「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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「私」が昇り龍の刺青を背負う印鑑職人の正吉さんと知り合ったのは、この町に引っ越してきて半年ぐらい経ったある日のこと。偶然立ち寄った「かおり」という小さな居酒屋で声をかけられたのです。それ以来、「かおり」や風呂屋で一緒になると、なんとはない世間話をする間柄。しかしそんなある日、「かおり」で話しているうちにいつの間にか眠り込んでしまった「私」が目を覚ますと、隣に正吉さんの姿はありませんでした。一週間ほどかけて仕上げた実印を大切な人に届けるという話を聞いていた「私」は、椅子の足元に黄色い箱の入った紙の手提げ袋が置き忘れられているのを見て、慌てて都電の駅へと走ります。

先日読んだ「雪沼とその周辺」(感想)に続いて、堀江敏幸作品2作目です。雪沼は架空の場所だったんですけど、こちらは実在の場所が舞台。都電荒川線の走る小さな町を舞台にした物語です。学校で教えたり、実務翻訳をしているけれど、日々の生活としては不安定な生活を送っている「私」が主人公。
まず書かれているのは、ここでの暮らしで「私」が出会った正吉さんや古本屋の筧さん、「かおり」の女将、大家であり町工場を営んでいる米倉さん、その娘で、「私」が時々勉強を見てあげることになる咲ちゃんたちとのエピソード。その合間に、過去の様々な回想や現在のことが浮かんでは消えていきます。競馬のことや読んだ本のこと、その時に目に映る情景など。思い浮かぶままに書き綴られているという印象もあるんですが、きっと実際にはそうではないんでしょうね。この文章、やっぱり読んでるとなんだか落ち着きます~。とても穏やかな心持ちになってきます。特に書かれていなくても、それぞれの登場人物の背後にある、これまでの人生が確かに感じられるような気がしてくるのがいいのかな。ふいと姿を消してしまった正吉さんは、最後までもう現れることなく終わってしまうし、そういう意味では物語がきちんと閉じていないとも言えるんですけど、その不在の存在感はとても大きかったですしね。実は相当な文学的素養を持つ「私」も、どこか魅力的だったし。読んでいて気持ちの良い作品でした。実際に都電に乗って、王子駅の辺りを歩き回ってみたくなっちゃうな。(新潮文庫)


+既読の堀江敏幸作品の感想+
「雪沼とその周辺」堀江敏幸
「いつか王子駅で」堀江敏幸

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アルバイト先の染色工場で出会った佐々井と親しくなった「ぼく」。やがて佐々井はそのアルバイトをやめるのですが、ある時、3ヶ月ほど集中的にお金を作る仕事をするので、それを手伝って欲しいと言われ、「ぼく」は手伝うことに... という「スティル・ライフ」と、1人娘のカンナを置いて東北に出張に出た文彦は、帰り道のサービスエリアで木材輸出の会社に勤めるロシア人のクーキンに声をかけられ、東京まで車に乗せていくことになり、それが縁でカンナも交えて時々会うことになるという「ヤー・チャイカ」の2編。

どちらも「ぼく」と佐々井、文彦とクーキンという、ひょんなことで知り合った2人の奇妙な関係と友情を描いた作品。これはもう物語の筋を追うよりも、雰囲気を味わいながら読むべき作品かもしれませんね。もちろん物語としても面白かったんですけど、それ以上にこの雰囲気が好き~。バーで飲んでいる時の星の話、雨崎での雪の降る情景、スケートをしている時の霧の思い出話... とても透明で、静かでひんやりとした空気が流れてます。いつの間にか、自分が空の星の1つになってしまったような気がしてくるような... もしくは宇宙から降ってくる微粒子の1つになってしまったような感覚、かな。音が感じられないのに、星の音がとても豊かに聞こえてくるような気もしたり。(それって一体どんな音? なんとなく硬質なイメージなんですが・笑) そして、紛れもない小説なのに、しかも理系の話題が多いのに(笑)、ものすごく詩的なんです。
ちなみに「ヤー・チャイカ」というのは、「私はカモメ」という意味だそうです。世界で最初の女性飛行士となったテレシコワのコールサインが、この言葉だったのだとか。Wikipediaによると、1963年6月16日にボストーク6号に搭乗したとありました。そんな時代の人だったのか。すごいなあ。(中公文庫)


+既読の池澤夏樹作品の感想+
「南の島のティオ」池澤夏樹
「スティル・ライフ」池澤夏樹
「真昼のプリニウス」池澤夏樹
「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
「バビロンに行きて歌え」池澤夏樹
「神々の食」池澤夏樹

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雪沼の小さなボーリング場、リトルベアーボウル最後の日。午前11時からの営業だというのに、夜9時を回っても誰1人として客がなかったその日、見切りをつけて壁の照明を落とした時に入ってきたのは、トイレを借りたいという若い男女でした... という「スタンス・ドット」他、山間の静かな町である雪沼とその周辺に住む人々を描いた全7編の連作短編集。

堀江敏幸さんの作品を読むのは今回が初めて。今までたらいまわしの時などにお名前を見かけていてずっと気になっていたんですが、ようやく読めました。
いやあ、良かった。解説で池澤夏樹さんも書いてらっしゃるんですけど、読んでいる間、まさに自分も雪沼にいるような気がしてくるような作品群でした。雪沼という場所の空気をそのまま感じることのできるような... 雪が降る時の匂いまで感じられそう。そしてこの雪沼で暮らしている人々。他人から見たら、平凡極まりない人生かもしれないんですけど、それぞれにとってはただ1つのかけがえのない人生を、彼らなりにきちんと向き合って生きてるんですよね。その中でとても強く感じたのは、「死」の存在。それぞれの物語の中では過去の話も多く語られていて、身近な人間の死の思い出も多いんです。それに中心で語られている人物もそれぞれに人生の終盤に差し掛かっていて、そう遠くない将来の「死」を感じさせます。でも落ち着いた筆致で描かれているので、過去の「死」は遠景として眺めることができるし、登場人物たちもそれぞれに自分の遠くない「死」そのことを静かに受け入れている、もしくはその時になればごく当たり前のこととして静かに受け止めそうな感じ。だからこんな静かな力強さが生まれるのかなあ...。読後、しみじみとした余韻が残りました。堀江敏幸さんの作品、他のも読んでみたいです。(新潮文庫)


+既読の堀江敏幸作品の感想+
「雪沼とその周辺」堀江敏幸
「いつか王子駅で」堀江敏幸

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どこの子なのか、だれひとりとして知らないけれど、そこに確かに存在している「こうちゃん」。そんなこうちゃんのことを書いた絵本。須賀敦子さんが唯一遺したという小さな物語に、酒井駒子さんの画をつけたものです。

絵本と言っても差し支えないとは思うし、こここに書かれている言葉は決して難しいものではないんですけど、やっぱり子供向きの絵本とは言えないですね。ひらがなの多い文章はとても柔らかくて、読んでいる人を包み込んでくれるよう。するっと心の隙間に入り込んで、ひび割れた部分を埋めてくれるような気がします。でも字面を追うのは簡単なんだけど、そこにどんな意味があるのかと考え始めると、ものすごく難しいんですよね。そもそも「こうちゃん」って一体誰なんだろう? ...私には、ふとした瞬間に感じられる明るい光のようなものに思えました。ふとした拍子にするりと逃げ去ってしまうんだれど、確かに存在するもの。日々柔らかな心で暮らしていないと、すぐに見失ってしまうようなもの。
本を見る前からきっと合うだろうとは思っていましたが、酒井駒子さんの絵が素敵。須賀敦子さんの文章にぴったり。でも、須賀敦子さんの文章をそのまま絵にしたという感じではないんですよね。須賀敦子さんの文章から浮かび上がってくる情景と、酒井駒子さんの描く絵が対になって、コラボレーションとなっているみたいです。(河出書房新社)


+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

+既読の酒井駒子作品の感想+
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「よるくま」「よるくま クリスマスのまえのよる」酒井駒子(「リコちゃんのおうち」)
「ビロードのうさぎ」マージェリィ・W・ビアンコ文・酒井駒子絵訳
「きつねのかみさま」あまんきみこ文・酒井駒子絵
「絵本のつくりかた1」「Pooka+ 酒井駒子 小さな世界」
「ゆきがやんだら」「ぼく、おかあさんのこと...」酒井駒子
「こりゃ まてまて」「ロンパーちゃんとふうせん」酒井駒子
「BとIとRとD」酒井駒子
「赤い蝋燭と人魚」小川未明文・酒井駒子絵
「くまとやまねこ」湯本香樹実文・酒井駒子絵
「金曜日の砂糖ちゃん」酒井駒子
「きかんぼのちいちゃいいもうと」1~3 ドロシー・エドワーズ

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虎猫のチビが生まれたのは、いい年して未だ独身のあくび先生の家の物置。あくび先生が子供の頃に飼っていた猫によく似ていたことから、チビはそのままあくび先生の家に居つくことになります。美味しいものとお酒に目がなく、食事の誘いを断ったことがないというあくび先生。連れて行ってもらえない時は、「猫爾薀(ねこにおん)」という技を使ってあくび先生を追いかけるチビの目を通してみた美食の人々の物語。

どうやら「食と酒」がライフワーク化している印象の南條竹則さん、この作品は「満漢全席」系の、作者の姿がそのまま出ているようなグルメ小説。実際に、登場人物が重なっているようですね。そんな物語が「我輩は猫である」的に猫のチビの視点から描かれています。
「満漢全席」は、食という意味ではものすごく美味しそう、でも読み物としての面白さは...(えへへ) だったんですよね。今回は、料理も話もそこそこ、だったかな。あ、でも1つものすごく美味しそうな料理がありました。それは「仙人雲遊」というお料理。名前からしてそそるんですが(笑)、これは「大皿の上に、雪のように白い粒々と、水飴みたいな色をした形さだかならぬものとが茫漠たる形姿を描いている。その上にすきとおったゼリー状の膜がかかって、あたかも雲の上から不思議な世界を見下ろしているみたい」な料理。透明な膜は熱いタピオカ、白い粒々は烏賊、飴色のものは白キクラゲなのだそうです。これは食べてみたーい。
基本的に食べたり飲んだりの話ばかりで、ストーリーの展開としては特にないし、せっかくの「猫爾薀」もイマヒトツ生かされてないし、小説としては「酒仙」や「遊仙譜」の方が断然好き!なんですが、あくび先生や同僚の大学の先生たち、出版関係者なんかが集まっての、友人知人の近況や旅行のエピソード、英国詩からいろは歌の解釈までの幅広い話題は結構楽しめました。「満漢全席」が実録小説だったことを考えると、こちらもきっとかなり実話に近いんでしょうね。あくび先生の同僚のオメガ先生がメザシ書房から本を1冊出すたびに豚の丸焼きパーティがあるというのも、果たして元になる実話があるのかな...? (文藝春秋)


+既読の南條竹則作品の感想+
「セレス」南條竹則
「りえちゃんとマーおじさん」南條竹則
「鬼仙」南條竹則
「あくび猫」南條竹則
「魔法探偵」南條竹則
Livreに「酒仙」「満漢全席」「遊仙譜」「ドリトル先生の英国」の感想があります)

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イギリスのヴィクトリア朝の詩人・テニスンと明治時代の文豪・夏目漱石の共通項は、実はアーサー王伝説。テニスンはアーサー王伝説に題材をとって「シャロット姫」「国王牧歌」といった作品を書いていますし、夏目漱石も、マロリーの「アーサー王の死」やテニスンの詩を元に「薤露行(かいろこう)」という作品を書いてるんですね。漱石にこういう作品があったとは知らなかった。

ということで、まずテニスンの「シャロット姫」。
塔に1人で住んでいるシャロット姫は、外を直接見ると呪いがかかると言われているので、日々鏡の中を覗き込み、そこに見える情景を布の中に織り込んでいます。しかしそんなある日、鏡に騎士ランスロットが映り、シャロット姫は思わず窓の方へ... その途端、鏡は割れ、織物は飛び散ります。その後キャメロットに流れ着いたのは、息絶えたシャロット姫の遺体を載せた小船。
この詩には多くの画家も触発されたようで、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(こんなのこんなの... こんなのもありますね)やウイリアム・ホルマン・ハント(こんなの)など、ラファエル前派の画家によって多く描かれています。こんなページも発見。アガサ・クリスティの「鏡は横にひび割れて」もここから取った題名ですね。「赤毛のアン」のアンも、友達とシャロット姫ごっこをしてますし~。
そしてテニスンの詩に触発されたのは、夏目漱石も同様。
テニスンの「シャロット姫」では、ランスロットに恋し、その恋によって死んで小船で流れ着くのはシャロット姫ただ1人なんですが、漱石の「薤露行」では、塔からランスロットを見て死ぬシャロット姫と、ランスロットに恋して死んで小船でキャメロットへとたどり着くエレーンという2人の女性がいます。この女性のどちらもが、テニスンのシャロット姫とはまたちょっと違うんですねえ。塔のシャロット姫は怖いです。ランスロットを一目見た時、「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪いを負うて北の方へ走れ」なんてランスロットに呪いをかけた途端、「?(どう)と仆(たお)れ」て死にますし(いきなり...)、ランスロットが北へ向かう途中出会うエレーンは逆に、全然振り向いてくれないランスロットに焦がれながら死ぬんですが、自分を憐れに思って欲しいなんて手紙を書いて、死んだら手に握らせておいてくれと父親に頼んでます。思いが深いというか情が強いという点では共通していますけどね。

どちらの作品もとても美しいです。でも私にとって一読して簡単に理解できるような作品でもないので(こんな浅い記事ですみませんー)、味わいつつ噛み締めつつ、折に触れて読み返すことになりそうです。そうやって読み続ければ、そのうちもっと色々のことが感じ取れてくるでしょう、きっと。
それに対して、テニスンの「国王牧歌」はそれほど難しくないです。これは全12巻1万余行の叙事詩。叙情的な詩に比べると、やっぱり叙事詩は読みやすいー。でも、この詩集に収められているのは、最終巻の「アーサーの死」だけなんです。致命傷を受けたアーサーに頼まれたベデヴィア卿が3度エクスキャリバーを捨てに行く場面と、アーサーを乗せた船が去っていく場面。(こっちも船だ!) この「国王牧歌」が全部読みたいんですけど、どうやら日本語には訳されてないみたいで残念。原書で読むしかないのかなあ...。

「テニスン詩集」にも「倫敦塔・幻影の盾」にも、他にも色んな作品が載ってますし、もちろんそちらも読んでるんですが、今回の注目はアーサー王伝説ということで♪ (岩波文庫・新潮文庫)


+既読の夏目漱石作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「対訳 テニスン詩集」「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石

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新しい町に引っ越したオーリィは、すれ違う人が皆、「3」と1つ白く印刷された茶色い紙袋を持っているのに気づきます。それは近所のサンドイッチ屋の袋。アパートの大家の「なかなかおいしいわよ」の言葉に、ある日買ってみたオーリィは、その美味しさに驚き、それから毎日のようにそのサンドイッチ屋に通いつめ、とうとうそのサンドイッチ屋で働くことに。

のんびりとした主人公を取り囲む、安藤さんやその息子のリツくん、大家のマダム、濃い緑色のベレー帽をかぶった女性... 素敵な人たちがそれぞれに前を向いて進んでいて、それでいて全然あくせくしたりしていなくて、あくまでも自然体。そんな穏やかな空気が流れているのが気持ちの良い作品。彼らは彼ら自身の人生の主役ではあるんですが、主役の華やかさというよりは、脇役的な味わいを持った人々。それが古い日本映画に、ひたすら脇役として登場している「松原あおい」の姿に重なりますし、物語の最後にオーリィ君が作る、主役不在のスープにも重なります。それぞれに主張がありすぎないからこそ、お互いを引き立てあって醸し出した味わいは格別なんですねえ。登場するのは日本人ばかりなのに、パリの街角が思い浮かぶようなお洒落な雰囲気なのが素敵。(表紙のデザインもフランスのお料理本みたい!?) とても暖かくて懐かしい雰囲気で、美味しいスープのほんわかした湯気がとても良く似合います。
「3」のサンドイッチもとても美味しそうだし、オーリィ君のスープも美味しそう。食べてみたーい。そしてあのレシピも素敵ですねえ。ぜひ試してみたいです。あ、でもレシピだけ先に見ようとしちゃダメですよー。(暮らしの手帖社)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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6作が収められた、森絵都さんには珍しい短編集。6つの作品はそれぞれに趣向が違うものの、何か大切なものを持ち続けている主人公たちが、現在の迷いや悩みを振り切って、未来に向かおうとする姿を描いているのが共通点。
うーん、悪くないし、むしろ粒揃いの短編集なんだろうなとは思うものの... 私にとっては、何かが決定的に足りなかったです。
1作目の「器を探して」では、読み初めから引き込まれて、かなり期待がふくらんだんです。でも途中まではとても面白く読めたのに、最後の詰めが... ええっ、これで終わりですか? 3作目の「守護神」は、思いがけない方向への展開が楽しいんだけど、国文学のレポートがそれほど簡単に代筆できるなんてあり得ないーって思ってしまうし、表題作「風に舞いあがるビニールシート」は、この6作の中で一番ストレートに響いてくる作品だとは思うんですが、それにしても、読み始めた時から予想できていた展開と結末。(予想通りなのは構わないんですけど、「それでも良かった」という何かが欲しいところ)
結果的に一番楽しめたのは、一番肩の力の抜けたような「ジェネレーションX」だったかも。比較的小粒な作品だとは思うんですけど、軽快でまとまりが良くて楽しかったです。主人公にとって、最初は単なる「新人類」だった新入社員の「石津」なんですが、傍迷惑な私用電話から聞こえてくる会話から、だんだんその事情や人となりが見えてきて、印象が変化していくのが楽しかったし、ラストも爽やか。
...でも、そういえばこれって直木賞受賞作品なんですねー。
元々直木賞には関心がないんですけど、ここ数年の受賞作と候補作のリストを改めて眺めてみて、やっぱり自分にはあんまり関係ない賞だなあと思ってしまいます。直木賞って、なんでこんなに反応が鈍いんだろう... 人目を気にしすぎなのよね、きっと。(文藝春秋)


+既読の森絵都作品の感想+
「いつかパラソルの下で」森絵都
「にんきもののひけつ」「にんきもののねがい」「にんきものをめざせ!」「にんきもののはつこい」森絵都
「あいうえおちゃん」「流れ星におねがい」森絵都
「ぼくだけのこと」森絵都
「いちばんめの願いごと」森絵都
「屋久島ジュウソウ」森絵都
「風に舞いあがるビニールシート」森絵都
「アーモンド入りチョコレートのワルツ」森絵都
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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貞観7年、広州から船で天竺へと旅立った高丘親王。天竺は高丘親王にとって、幼い頃に父・平城帝の寵姫だった藤原薬子に話を聞いて以来の憧れの地、船に乗り込んだ高丘親王は、この時67歳。同行するのは、常に親王の傍で仕えていた安展と円覚という2人の僧、そして出航間際に船に駆け込んできた少年「秋丸」の3人。

澁澤龍彦氏の遺作だという作品。ずいぶん前に、森山さんにオススメ頂いた時から読みたいと思ってたんですけど、その時は本が手に入らなかったんですよね。先日LINさんが読んでらした時(記事)にふとamazonを覗いてみると、なんと「24時間以内に発送」になってるじゃないですか! たらいまわし企画でも何度か登場してたのに、その時は最初から諦めちゃってたんです。いやー、もっと早く気付くべきでした。私のばかばか。
高丘親王という人は実在の人物なんですが、天竺へ向かうこの旅自体は澁澤氏の創作の世界。山海経に登場するような生き物がごく自然に存在している、幻想味の強い物語です。現実世界と幻想世界の境目はもうほとんど感じられなくて、自由気儘に行き来している感覚。これって、一見現実に見えても、実は現実とは言い切れない場面もあるのね... と思っていたら、高橋克彦氏の解説に「一読した限りではなかなか気付かないだろうが、いかにも幻想的な航海記のようでいて、実際はその過半数の物語が親王の夢なのだ」とありました。「親王が現実世界を旅している時は、薬子はたいてい記憶として登場し、親王が夢の中を彷徨っている時は、薬子もまた別の夢となって現れる」とも。そうだったんだ! たとえば最初の大蟻食いの場面とか、これはきっと本当は夢の中の出来事なんだろうなと思っていたんですけど、やっぱりそれで合っていたようです。(よかった) でも読み落としてる部分もありそうなので、もう一度読み返してみなければ~。そしてこの幻想世界と現実世界は、お互いの世界を鏡のように映し合っているかのよう。夢や記憶でしか登場しないはずの薬子の存在感がとても大きくて、まるで薬子を通して様々なものが映し出されてるような感覚も...。
これまで読んだ澁澤氏の作品とは雰囲気がまた少し違っていて、まるで別次元へと昇華してしまったような感じ。おそろしいほどの透明感。途中、高丘親王が欲望を覚えるような場面もあるんですけど、生々しさはまったくなくて、むしろ枯れた味わいです。親王を通して感じられるのは、生への慈しみ。やはりこれは確かに遺作だったんだな... と納得してしまいます。やっぱり高丘親王は、澁澤氏自身ですよね。澁澤氏も、あの真珠を投げたのかしら。今頃、森の中で月の光にあたためられているのでしょうか。澁澤氏が亡くなって19年ですか... 薬子は50年と言ってるし、まだもう少し時間がかかりそうですね。(文春文庫)


+既読の澁澤龍彦作品の感想+
「私のプリニウス」澁澤龍彦
「異端の肖像」澁澤龍彦
「夢のある部屋」澁澤龍彦
「澁澤龍彦初期小説集」澁澤龍彦
「夢のかたち」「オブジェを求めて」「天使から怪物まで」澁澤龍彦
「高丘親王航海記」澁澤龍彦
「東西不思議物語」澁澤龍彦
Livreに「世界悪女物語」「幻想博物誌」「夢の宇宙誌」「フローラ逍遥」の感想があります)

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「撲滅の賦」「エピクロスの肋骨」「錬金術的コント」「犬狼都市」「陽物神譚」「マドンナの真珠」「サド侯爵の幻想」「哲学小説・エロティック革命-二十一世紀の架空日記」「人形塚」といった、1955年から1962年までに発表された全9編が収められた短編集。

澁澤さんのエッセイとか訳本は読んでるんですが、小説を読むのはもしかしたら初めてかもしれません。「撲滅の賦」は、小説家としての澁澤さんの処女作とされている作品なのだそう。処女作にして、後の澁澤龍彦らしさを既に備えているんですね。

ここで書かれているのは異端の性愛の姿ばかりなんですけど、どこか爽やかなのが不思議。エロティックではあるんだけど、またちょっと違う気がする。なんだかあんまりいやらしくないんですよねえ。もしかしたら、そういうのが澁澤龍彦らしさ?
この中で一番印象に残ったのは「犬狼都市」。そして好きだったのは、「エピクロスの肋骨」。コマスケの詩を書いた紙を加えて山羊になった門衛、詩を書いた葡萄パンを食べて少女となった三毛猫。「線香花火のようにきらきら燃え」ながら、その「ふかい目の底には、実は一点毛のさきでついたほどに、半透明の真珠母いろが油の澱みのようによどんで」いるという目の描写も素敵でした。(河出文庫)


+既読の澁澤龍彦作品の感想+
「私のプリニウス」澁澤龍彦
「異端の肖像」澁澤龍彦
「夢のある部屋」澁澤龍彦
「澁澤龍彦初期小説集」澁澤龍彦
「夢のかたち」「オブジェを求めて」「天使から怪物まで」澁澤龍彦
「高丘親王航海記」澁澤龍彦
「東西不思議物語」澁澤龍彦
Livreに「世界悪女物語」「幻想博物誌」「夢の宇宙誌」「フローラ逍遥」の感想があります)

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小学校の頃に父親と行っていた床屋にいたのはホクトさん。高校を出ると理容学校に通い、研修のためにフランスへ。たまたま出会った高名なパントマイミストの舞台に魅せられて弟子入りしてしまうものの、父親が急逝してホクト理容室を継ぐことになったというホクトさん。しかし色んな人の髪を切ってみたいという思いから、じきに床屋を閉じて、放浪の旅に出てしまいます。

流しの床屋・ホクトさんを中心にした12の短編集。店を閉じていなくなってしまった後も、他の物語に、流しの床屋として髪を切っているホクトさんの姿が垣間見えます。でも最初は普通の街の床屋さんとして登場していたホクトさんは、いつの間にか外国の街角にも姿を現すようになり、「ある小さな床屋の冒険」という映画になったり、トナカイの肉と引き換えに見知らぬ男の髪を切った「ノア」になっていたり。繋がっているようで繋がっていないようなこの雰囲気は、吉田篤弘さんならではですねー。
でも確かに床屋さんは、鋏1つあればどこででも商売ができますけど... でも、ずいぶん前に読んだスパイ小説で、床屋には町の噂話が集まりやすいから情報収集に便利、というのがあったのが頭の片隅に残っていたせいか(笑)、流しの床屋というのはとても意外でした。商売道具の鋏の入った鞄を持って旅をするホクトさんの姿はとても想像しやすいんですけどね。でも髪を切ってる場面よりも、鞄を持って去っていく後ろ姿が浮かぶのはなぜかしら。...もしかしたら、この装幀の青い空の色のせいかしら。北斗七星と鋏をあしらったこの装幀がとても美しいです。晴れた空、雨の空、夜の星空など沢山の空が登場しますけど、この物語にはこの色がぴったりですね。(文藝春秋)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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筑摩書房のPR誌「ちくま」の表紙に、2年間に渡って掲載されていたフジモトマサル氏のイラストレーションの通しテーマは「読書」。そして描きあがったイラストを受け取った吉田篤弘さんが、文章を添えていたのだそうです。24枚のイラスト全てが動物の絵。そしてその動物が本を読んでいたり、手に持っていたり。そしてそこに添えられた短編小説のような小文には、何かしら心にひっかかり、そのまま残る文章が入っていました。
その中でも一番心に残ったのは、「何ひとつ変わらない空」という話の中で、今の情報過多ぶりを嘆くアンテナ氏の言う、「十年前はこれほどではありませんでした。いま思うと、まだほどよい時代だったんです。ああ、西の空にNHKの『みんなのうた』が飛んでゆくなぁ、とはっきり確認できたんですから」という言葉でしょうか。そして「待ち時間」という話の中の、「死因は、携帯電話による『情報過多死』。」

情報が多すぎる、選択肢が多すぎる、っていうのは、実はあまり幸せなことではないと思ってます。選択肢が沢山あるのは自由なように見えて、実はとても不自由なこと。ある程度限られている方が、却って自分の望むものが見えてきたりするもの。実際、例えばお店の販売員さんがお客さんの前に全部の商品を並べてしまったら、とても選びにくいですよね。お客さんの好みを掴んで2つ3つ出してみた時の方が、売れゆきは遥かに良いはず。でもインターネットというのは、全部の商品を並べられてしまった状態なわけで... 自分である程度遮断しない限り、情報だけがどんどん流れ込んできてしまう... そんなことを思っている時に丁度この本を読んだので、なんだかとてもタイムリーでした。
決して派手ではありませんが、本が好きな人でなければ書けないし、本が好きでないと反応しないだろうと思われる文章。吉田篤弘さんご自身が本がお好きなことがとても伝わって来ます。(筑摩書房)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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第15回坪田譲治文学賞受賞受賞作だという、阿川佐和子さんの長編小説。中心となっているのは、みよちゃんとウメ子いう幼稚園児。読み始めた時は自叙伝なのかと思ったんですが、あとがきによるとフィクションなのだとのこと。
ある日新しく幼稚園にやって来たウメ子という女の子が個性的で楽しいんですが、いかんせん登場する園児たちがみんな揃って大人すぎ... 幼稚園児でも、集団の中に1人ぐらい年齢よりも大人びた子がいるというのは良くあることだと思うんですが、揃いも揃って幼稚園児とは思えないような子ばかりだとげんなりします。思考回路が論理的すぎるし、行動が首尾一貫しすぎてる! 作中でウメ子と「みよ」の書いた手紙にしても、全部ひらがなながらも、内容が大人すぎて違和感。丁寧に書かれた作品だとは思いますが、私にとってはリアリティゼロ。子供ならではの残酷さなんかも全然感じられなくて、むしろ「子供=天使」に近いかも。幼稚園時代なんて遥か彼方になっちゃった大人が、自分の子供時代の良い部分を思い出して微笑む夢物語という感じでした。(小学館文庫)

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天才少女と言われながら、16歳の時から自殺未遂を繰り返し、とうとう21歳の時に「幾度目かの最期」を3日間で書き上げて鉄道に飛び込み自殺(それも阪急の六甲駅だなんて...!)をしてしまった久坂葉子さんの作品集。私はこの方の名前を全然知らなくて、初めて知ったのがLoveBooksのIzumiさんのところ。たらいまわし企画第7回「20代に読みたい本は?」で「ドミノのお告げ」を挙げてらしたので。(記事
この本には「ドミノのお告げ」自体は入っていませんが、その元となった「落ちてゆく世界」は収録されています。これは当時史上最年少の18歳で芥川賞の候補となったという作品。

どの作品も自伝的で、「死」が目を引きます。早熟で感受性の強い人ほど、死へ衝動を感じてしまうんでしょうね。「死に際」という小文では「生に執着がないことはない」と書いてるんですが...。中でも表題作「幾度目かの最期」での彼女は、もう本当に読んでいて痛々しくて堪らないほど。私はどちらかといえば、あまり不安定だったことがなくて、「早熟」とか「感受性の強さ」という言葉には縁がない方だったんですけど(ツマランヤツダ)、少しでも似たようなものを持っていたら、そして彼女と同じぐらいの年齢だったら、読むのが実につらいのではないかと思います。つらくてつらくて、でも目が離せないんじゃないかと。これは「久坂葉子」としての作品なのでしょうか。それとも本名「川崎澄子」としての叫びだったのでしょうか。

あと、それとは関係ないんですけど、「読書」という小文の中で、「書物には理性を持って読む本と感情を持って読む本とがある」という言葉がとても印象に残りました。今まで考えたことなかったけど、そう言われてみると確かにそう。私はちゃんと読み分けてるのかしら? それとも知らず知らずのうちにどちらかの傾向の本だけを読んでたりしないかしら? なんて、しばらく自分の読書を振り返ってしまいました。名作と言われているのにその良さが自分には分からない本の場合、そういう読み方が間違ってるの可能性もありますね... 気をつけよう。(講談社文芸文庫)

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滝沢馬琴による「南総里見八犬伝」を、浜たかやさんが児童書用に編集したもの。山本タカトさんの表紙絵に惹かれて、ずっと読んでみたかったんですけど、お正月にテレビドラマを見て、いてもたってもいられず読んでしまいましたー。1巻は「妖刀村雨丸」、2巻は「五犬士走る」、3巻は「妖婦三人」、4巻は「八百比丘尼」。

こうやって並べると凄いですね、壮観。実際に手に取ってみても、やはりこの表紙は美しかったです~。表紙だけでなく挿絵も山本タカトさんで、随所に登場人物画が挿入されているのが、またイメージを掴み易くていいんです。
私は子供の頃に他のリライト版を読んだだけで、原作の現代語訳なんてものは読んでないので、他のリライト版に比べてこれがどの程度のレベルなのか良く分からないんですが、解説によると、原作を六分の一から七分の一ほどに縮めてあり、後半部分はかなり思い切って割愛、ストーリーを単純で分かりやすくして、約400人と言われる登場人物も大幅に整理したのだそう。数多い敵役を整理して籠山逸東太に兼ねさせたり、原作にはいない人物を作り出したり、最後の決戦に犬江親兵衛を登場させるなど、エピソードを変えた部分も多々あるのだそうです。でもそういう違いがあっても、読み手がきちんと認識していればいいことですしね。(読者が必ず解説を読むとは限らないけど) おそらく八剣士や他の登場人物たちのそれぞれの性格も、原作よりも分かりやすく強調されているんでしょうね。正義の味方も悪役もそれぞれに個性的で、すごく楽しかったし面白かった! 児童書なので、さすがに字は大きいんですが、これは入門編にぴったりかと。という私もいずれは岩波文庫から出ている全10巻の現代語訳を読破したいなと思ってるのですが、この4冊で一通り満足してしまったので、ちょっと先の話になりそうです。(^^ゞ (偕成社)

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去年の暮れに出た、クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんの2冊。「78」は、78回転の古いSPレコードにまつわる物語。そして「十字路のあるところ」は、題名の通り十字路を感じさせる6つの街の物語に、坂本真典さんの写真を合わせたもの。
どちらも吉田篤弘さんらしい世界なんですが、私としては「78」の方が断然好み。こちらには13の短編が収められていて、語り手も、舞台となる場所や時代も様々な物語が立体的に交錯していきます。登場する人物や小道具が次の物語へと繋ぐ役割をしていて、まるで物語同士が響き合っているみたい。こういうのは大好き。ほんと吉田篤弘さんらしいですね。読み終わった後も、またつらつらと読み返して余韻に浸っていました。
33回転や45回転のレコードは知ってますが、蓄音機や78回転のレコードというのは、私にとっては本来未知の世界。でも先日、古道具が好きな親戚の家に行ったら、古い蓄音機を修理したところだと言って、78回転のレコードをかけてくれたところだったんですよ。そんな風にとてもタイムリーにこの作品を読めたのも嬉しかったです。それに、物語の中に「SPは、空気を聴くためのものだから」「演奏者が盤に刻んだ音を聴きながら、同時にそれを繰り返し聴いてきた人たちが刻んだ『傷』の方も聴いている」という言葉が登場するんですが、これは私も(78回転ではないにせよ)33回転のレコードに感じていたこと。なんだか妙に幸せな気分になりました。(小学館・朝日新聞社)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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「海神別荘」は、表題作のほかに「山吹」「多神教」が入っていて、どれも戯曲。泉鏡花の戯曲はやっぱり読みやすいですね。特に「海神別荘」が良かったです~。これは浦島太郎の女性バージョン(?)。海の中の公子(乙姫様の弟!)に幸せな暮らしを約束された美女が、どうしても今の幸せを父親に伝えたいと言うんですけど、そこには玉手箱こそないものの、ふかーいふかーい落とし穴が... 結構シビアな結末になってます。(笑) でもやっぱり描写が美しい...。これだけでも酔えそうです、ほんとに。
そして「春昼・春昼後刻」は、 眠気を誘うような、うららか~な春の昼下がりの情景にのほほんと読み進めていると... ぎょぎょぎょ。これは実はホラーだったんでしょうか。最後まで読んでからまた最初に戻ると、のどかな春の情景だと思っていたものがやけに濃密に感じられてきて、びっくりでした。
以前に「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」(感想)を読んだ時、overQさんに、「鏡花の文章は波長が合うと案外読みやすいです。でも。そのときに一気に読まないと、他の本を読んでから戻ってくると、読めなくなってたりします(;・∀・)」と言われたので、ちょっと戦々恐々としててたんですが、前回も入りやすかった戯曲から入ったせいか、今回は大丈夫でした。でももう手元には戯曲がない... しかも「草迷宮」と「外科室・海城発電 他5篇」を続けて読もうと思ったのに、そっちは自宅に忘れてきてることが判明。うわー、残念。また改めて読むことにします。で、でも大丈夫かしら...。「外科室」は以前読んだことがあるんですが...。(どきどき) (岩波文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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60年代の大阪の下町を舞台にした短編集。表題作「はなまんま」は133回直木賞受賞作。
一読して、「ああ、朱川さんらしいなあ」というノスタルジックな雰囲気。それがまた大阪の下町の雰囲気に本当によく似合うんですよね。私自身が今大阪に住んでいるせいか、いつも以上に登場人物が身近に感じられました。特に大阪らしかったのが、「摩訶不思議」のツトムおっちゃん。人生をタコヤキに例えてしまうところとか、葬式での出来事のオチ、そして話全体のオチが、いかにも大阪人らしくって。(笑)
今回も不思議な存在が登場したり、不思議な出来事も起こるんですが、ホラーの雰囲気はなくて、ひたすらノスタルジック。でもこの作品も良かったんですけど、朱川さんの作品を全部読んだ今考えてみると、最初の「都市伝説セピア」が一番好きだったかなあという感じ。そういえば、これも直木賞の候補になってたんですよね。デビュー作が賞を受賞することは相当難しいと思うんですが、やっぱりあの時取っていたら良かったのにって思っちゃいます。という私自身は正直、直木賞にそれほど興味ないんですが...(^^ゞ (文藝春秋)


+既読の朱川湊人作品の感想+
「かたみ歌」朱川湊人
「さよならの空」朱川湊人
「花まんま」朱川湊人
Livreに「都市伝説セピア」「白い部屋で月の歌を」の感想があります)

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ある日突然、近くにいる人間に思った通りの言葉を口にさせられる「腹話術」の能力が自分にあると気づいた安藤。そしてその頃、政界でまさに台頭しようとしていた弱小の未来党党主、39歳の犬養。この安藤と犬養の物語を描いた「魔王」と、その5年後の「呼吸」。

今までの伊坂さんの作品とはまた違う雰囲気の作品で驚きましたが、面白かったです! あとがきに「ファシズムや憲法などが出てきますが、それらはテーマでありません。かと言って、小道具や飾りでもありません。」と書かれているのですが、全編ファシストやムッソリーニ、ヒットラー、憲法第9条の法改正案など、普通の小説で扱うには重いモチーフが満載。そして、それに対して伊坂さんなりの回答が示されているというわけではないんですが、主人公の安藤が何か起きた時に自分に向かって言い聞かせる「考えろ考えろ」という言葉、そして政治家・犬養の「私を信用するな。よく、考えろ。そして、選択しろ。」という言葉がポイントなんでしょうね。アメリカに言われる通りの行動を取り続ける日本人政治家、そんな政治家に対して苦々しく思ってはいても、結局のところ「無関心」から抜けきらない人々への警鐘。
安藤と犬養は、本当は対立するような関係ではないはずなのに、犬養のパワーが強すぎて、みんなが簡単に飲み込まれていってしまうのが問題なんですよね。1人1人がきちんと自分で考えればファシズムになんてならないはずなのに、結局流れとしてファシズムが出来上がってしまうのが、当然の成り行きとはいえすごい皮肉。犬養は、本当は安藤のような人間こそ欲しかったんじゃないかと思うんだけど... そして一旦流れが出来上がってしまったら、一個人でそれに逆うなんていうのはなかなか難しいわけで。
作品の薄ら寒くなるようなところに、シューベルトの「魔王」の歌詞が効いてますねー。(講談社)


+既読の伊坂幸太郎作品の感想+
「死神の精度」伊坂幸太郎
「魔王」伊坂幸太郎
「砂漠」伊坂幸太郎
「終末のフール」伊坂幸太郎
「陽気なギャングが地球を回す」「陽気なギャングの日常と襲撃」伊坂幸太郎
「フィッシュストーリー」伊坂幸太郎
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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以前、「トリエステの坂道」を読んだ時に(感想)、OMBRE ET LUMIERE の37kwさんにお勧めということで教えて頂いたのが、この「ヴェネツィアの宿」。そして合わせて「コルシア書店の仲間たち」「ミラノ 霧の風景」「ユルスナールの靴」。すっかり遅くなってしまったんですけど、そのうちの2冊を読んでみました。

まず「ヴェネツィアの宿」は、日本にいた頃の生活や、須賀さんご自身の日本での家族での思い出を中心に、留学先のフランスやイタリアでのことを書き綴ったエッセイ。心に思い浮かぶまま自由に書きとめられたという感じで、時系列順に並んでいるわけではないのですが、全体としては大きなまとまりを感じさせる1冊。やっぱり須賀さんは、いいですねえ。良いことも悪いことも、真っ直ぐな視線で受け止めて、落ち着いた静かな文章で描き出していくという感じ。特に印象に残るのは、彼女の父親のこと。贅沢が好きで、仕事に身が入らず、家族を置いて1年間ヨーロッパとアメリカに行ってしまったという父親。後に家を出て愛人の元へと行ってしまった彼の姿は、最初は短気で身勝手なイメージばかりだったのですが、やはり父と娘の繋がりは濃かったのですね。最後の「オリエント・エクスプレス」の章でそのイメージが覆されるシーンが堪らなかったです。あと、時代はかなり違うんですが、私も須賀さんと同じ風景を見ていたことがあるので、その部分が特にものすごく懐かしかったし興味深かったです。

そして「コルシア書店の仲間たち」は、ローマに留学していた須賀さんが、コルシア・デイ・セルヴィ書店の一員として加わった頃のことを書いたエッセイ。コルシア・デイ・セルヴィ書店は、書店でありながらただの書店ではなく、左翼系のカトリックの活動の場なんですね。この書店に、階級も職業も人種も年齢も様々な人間が出入りしるんですが、この人々こそが、須賀さんがイタリアで得た初めての仲間。そしてこの書店こそが、イタリアで初めて得た自分自身の居場所。後に須賀さんが結婚するペッピーノ氏も、ここの一員です。このエッセイに登場する人々は、文章を読んでいるだけでも、それぞれに鮮やかに浮かび上がってくるんですが、その中でも一番印象が強かったのは創始者のダヴィデ・マリア・トゥロルド神父。爆撃で瓦礫の山となったミラノの都心を親友のカミッロと一緒にが颯爽と歩いている場面なんて、ほんと目の前に情景が浮かんでくるようでした。でも出会いもあれば別れもあり、須賀さんは最愛の夫を失い。書店の理念も徐々に形を変えて... コルシア・デイ・セルヴィ書店と共に、1つの時代終焉を見たような思いがして切なかったです。

次は「ミラノ 霧の風景」「ユルスナールの靴」を探してみよう。(文春文庫)


+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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昨日に引き続きの泉鏡花。今度はSukuSukuPu-sanのmort_a_creditさんが、先日のたわいまわし企画「心やすらぐ本」で挙げてらした「二、三羽──十二、三羽」が入ってる本です。本当はこちらを先に読もうと思ってたんですけど、泉鏡花の本にしては少し厚いので(今時の本と比べたら全然ですが!)、先に薄い本から入ったという軟弱者の私です。(^^ゞ
まず読んだのは、その「二、三羽──十二、三羽」。これはエッセイ風の作品。ふと庭に遊びに来た雀が可愛らしいくて、奥さんと一緒になって飯粒をやったりするようになるんですが、その雀たちの様子がとてもいいんです。ことに、庭で雀が初めて見る花に驚いてご飯を食べに来るのを躊躇っちゃうところなんて、微笑ましくてほのぼの?。「心やすらぐ本」というお題にぴったり。でもそんな風に読み進めていると、ふと気がつけば鏡花版「雀のお宿」に招かれていてびっくり。やっぱり鏡花なんですね。

この本には9編が収められているのですが、私が一番好きだったのは「竜潭譚」と「薬草取」。これは2編とも神隠し譚で、満開の花の描写がすごいんです。「竜潭譚」は躑躅。「行(ゆ)く方(かた)も躑躅(つつじ)なり。来(こ)し方(かた)も躑躅(つつじ)なり」 あんまり咲いてるんで、土も赤く見えてくるほど。でもあんまり満開すぎると、逆にちょっと恐怖感もあるんですね。(満開の桜もそうですよね)
そして「薬草取」では、四季折々の花が一斉に咲き乱れています。躑躅に山吹、牡丹に芍薬、菊も桔梗も女郎花も朝顔も... 薬草を取りに行った山での話なので、全部野生のはず。どんな風に咲いてるのか見てみたい...。あ、でもこちらは怖くないです。やっぱり1種類ではないせいでしょうか。むしろ幻想的でした。
そして華麗な描写となると、「雛がたり」という作品。お雛様にまつわるエッセイといった感じの作品なんですけど、冒頭から過剰なほどの艶やかな色彩が乱舞しています。そして後半の、現実と幻想の一瞬の交錯... いやあ、すごいです。(お雛さまって、やっぱり人間がいない時はお互いにおしゃべりしてるんですかねえ? お雛様に限らず、人形ってそんなイメージがありますよね)

その他は紀行文など、比較的現実的な作品が多かったので、その分少し物足りなさもあったんですが、ふとした瞬間に見える幻想的な情景や、相変わらずの華麗な描写がやはり美しかったです。(岩波文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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泉鏡花、学生時代に少し読んだ覚えがあるんですが、それきり全然。ここのところずっと読みたいなあと思っていたんですが、ようやく読めました。「夜叉ヶ池」「天守物語」「高野聖」「眉かくしの霊」の4編の中では、「高野聖」だけが既読。

きっと相当時間がかかるんだろうな... と覚悟してたんですけど、これが全然。もう夢中になって読んでしまいましたー。特に良かったのが「夜叉ヶ池」。そして「天守物語」も。この2編は戯曲です。実際、映画やお芝居にもなってますね。(玉三郎のが観てみたいー) 戯曲を読むなんて、本当に久しぶり。子供の頃は、マルシャークの「森は生きている」とか大好きだったんですが、大人になってからはどうも読みづらくなってしまって敬遠してたんです。それがこんなにさらさらと読めるとは、びっくり。もしかしたら、泉鏡花に関しては、戯曲の方が普通の小説よりも入りやすいのでしょうか? 頭の中で台詞を音読するように読んでいると、泉鏡花ならではの艶やかな世界がぱあっと広がってすごく素敵でした。
「夜叉ヶ池」も「天守物語」も、人間だった時は痛ましい亡くなり方をした女性たちが、物の怪になってから幸せを掴むというのがポイント。それに物の怪の方が、人間よりも約束を律儀に守っているんですよね。夜叉ヶ池の主も、本当は剣ヶ峰千蛇ヶ池にいる恋する若君のところに行きたいのに、そんなことしたら大水になってしまうし、人間との昔からの約束もあるから「ええ、怨めしい...」と我慢しているのに、人間の方が浅はかな考えから約束を簡単に破ろうとしてます。醜い俗世と物の怪の美しい世界の対比?(雨乞いをする人間たちが妙なものを池に投げ込んで困る... と、渋い顔をしてる物の怪の姿が可笑しいです♪)
「高野聖」は、山で何度も遭遇する大蛇や、森の中で上から降ってくる蛭の場面がものすごくリアルで気色悪っ。その後のなまめかしい美女の場面が、余計に妖しく感じられました。川で水浴びをしている時、「うとうとする様子で、疵の痛みがなくなって気が遠くなって、ひたと附ついている婦人の身体で、私は花びらの中へ包まれたような工合」だなんて、イメージとしては恋人よりも母親のようだったけど...(笑)

泉鏡花の本は岩波文庫版が何冊か手元にあるので、ぼちぼちと読んでいくつもりです。(岩波文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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新潮文庫版にはどちらも安野光雅さんの絵が表紙に使われていて、さすが雰囲気を合わせてるんだなーと思ったんですが、どちらも画像が出てこなくて残念。

「明暗」は、新聞連載の途中で漱石が亡くなり未完のまま終わってしまった作品。ごくごく簡単にいってしまえば、津田という30男と、結婚して半年になる妻のお延、そして津田と結婚寸前までいきながら、津田を捨てて他の男のもとに走った清子という3人の物語。漱石にしては珍しく3人称で、登場する色々な人々の内面が描かれてます。大きな展開はなくて、むしろ細かい描写の積み重ねで読ませるという感じ。会話がすごいんです。夫婦間で、親子間で、はたまた友達(知り合い)同士での腹の探り合い。表面上は終始にこやかに応対していながらも、水面下では丁々発止の対決。こんな会話、毎日してたら絶対身が持たないよ... と思うんですが、そこからそれぞれの人物像や感情が克明に浮かび上がってくるのがすごいところ。その「明暗」のラストは、勤め先の社長夫人の口車に乗せられた津田が清子に会いに行って、再会するところまで。

そして水村さんが書かれたのはその後。一読して、「明暗」を相当読み込んでることが良く分かります。文体はそのまま。見た目にはまるで同じ。読んでいるとどこか印象が違うんですが、続けて読まなければ気づかなかった程度。どこに違いがあるんだろうと思っていたら、「あとがき」に、現代の読者に合わせて段落を増やしたとあったので、きっとその辺りなんでしょうね。確実に読みやすくなってます。そして「明暗」の煩雑な心理描写を減らして、筋の展開を劇的にしようとしたのだそう。確かに私にとっては、こちらの方がページをめくる手が止まらなかったです。
「明暗」では、津田の内面のずるさや弱さが、「好男子」という外面の良さに隠れていたようなところがあったんですが、こちらではその弱点が露呈されていて、それこそがこれまでの出来事の原因だった... というのがなかなかの説得力。そしてこれが今後のことにも大きく影響してくるわけですね。結局もう既に終わってることを、かき回しただけだった津田。お延の気持ちなんてまるで考えようともせず、ひたすら保身に走る津田の姿が情けない...。(こういう描写は女性作家さんらしいところかなと思ったんですけど、どうなんでしょう)

漱石が用意していた結末は、この続編とはまた違うのかもしれませんが、でも1つの結末としてすごく良かったと思います。「明暗」の伏線も見事に生かされていたし、「明暗」という作品の形を借りながらも、見事に水村さんの作品になっていたし。こうなってみると、他の方が書いた結末というのも読んでみたくなっちゃいます。他にはないのかな。「我こそは!」という作家さんはいらっしゃらなかったのかしら? でも水村さんの書かれたこの続編ほどの完成度を見せるのは、相当難しいことなんでしょうね、きっと...。(新潮文庫)


+既読の夏目漱石作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「対訳 テニスン詩集」「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石

+既読の水村美苗作品の感想+
「本格小説」上下 水村美苗
「私小説 from left to right」水村美苗
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「日本語が亡びるとき」水村美苗

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本格小説」(感想)がものすごーく良かった水村美苗さんの作品。これは筋らしい筋はほとんどなくて、ほとんどが2歳年上の姉との電話の会話です。両親に連れられて渡米して20年、それからあった様々な出来事が、電話での会話の合間に語られていくという形式。タイトルの"from left to right"というのは、日本語文学に特有の「縦書き」に対する「横書き」のことですね。日本語と英語、時にはフランス語も登場する「本邦初の横書きbilingual長編小説」。

日本語と英語が入り混じった会話、とは言っても所詮は日本語の本なので、英語の量は少ないんですけど、大学のゼミを思い出して懐かしかったです... 私の入ってたゼミ、先生は日本人だったんですが、当然のように英語を話してて(専門の授業自体、9割9分が英語で行われていたので)、生徒にも、母国語が日本語なのか英語なのか分からないような人たちが揃ってたんですよね。雑談は、その時に応じて日本語だったり英語だったり。彼らの会話が英語から日本語、日本語から英語と切り替わるのは、自分の言いたいことがその言葉では上手く伝えられなくなった時。英語と日本語でそれぞれ補完してるんです。
それ自体は全然構わないんですけど... 一見立派なバイリンガルな彼らの姿が、どうしようもなく中途半端に感じられてたんです。日本人の顔立ちで日本語を話していても、その日本語はちょっと怪しいし、日本人なら誰でも当たり前のように知ってること、子供の頃から当たり前のように体験してること、例えば「桃太郎」を聞いて育つ、みたいなことが、その根底に存在してるのかどうかも疑問だったし、だからといって西欧人として育っているのかといえば、それも疑問。この人たちの立ってる位置は、一体どこなんだろう、どちらにいても違和感を覚えるなんてことはないのかしら、なんてことを思ってて。子供を日本と海外2つの環境で育てるのって、親が余程しっかりしてないと難しいですよね。
そして読んでると、そんな彼らの姿が、水村美苗・奈苗という姉妹の姿にものすごく重なってきました。水村美苗さんは、中学から高校時代に何かに憑かれたように明治の文豪の文学作品を読み耽ったようですが、あの時の彼らにも、そういう拘りはあったのかしら。

この本から感じたのは、圧倒的な孤独感。どれだけアメリカにいて英語が上達しても、所詮は「アメリカにいるアジア人」に過ぎない2人。「帰国子女」として日本でもてはやされるには長くアメリカに居過ぎ、恋人のいない独身女性にとっては30代前半という不安定な年頃。既に帰るべき「HOME」はないのに、そこそこ良い家のお嬢さんとして生まれ育ってしまったプライドだけが今も彼らの根底にあって...
物語としての筋は特にないのに、これだけ読ませてしまうっていうのは、やっぱり凄いです。

水村美苗さんの作品は、次はデビュー作の「続明暗」を読む予定。なので先に本家の夏目漱石「明暗」を読もうと思ってます。「明暗」、読んだことあったかしら? それとも初めて? 読んだとしたら中学の頃だと思うんですけど、いわゆるその手の文豪の作品って、読んでるのか読んでないのか分からなくなっちゃったのが結構多いんですよね。水村さんの作品を読んでると、そろそろ初心に戻ってその辺りもぼつぼつと読み返していきたいなあって、そんな気になってきます。(新潮文庫)


+既読の水村美苗作品の感想+
「本格小説」上下 水村美苗
「私小説 from left to right」水村美苗
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「日本語が亡びるとき」水村美苗

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1954年、1955年に中央公論社から出版された「犬」「猫」を底本として、新たにクラフトエヴィング商會の創作・デザインを加えて再編集したという本。素敵な装幀に、古い文体のエッセイや小説が良く似合います。

作品自体もいいんですけど、それよりもここに収められているエッセイや小説を通して、今と当時のペット事情の違いが分かるのが面白かったです。猫に関しては、人間の生活の変化に伴って多少影響を受けてる程度だと思うんですが、犬に対する考え方が今と当時では全然違う! まず一番驚いたのは、当時、純潔種志向がとても強かったということ。作家さんたちの飼い犬は、テリアだのコリーだのグレーハウンドだのポインターだのセッターだの、血統のはっきりしてる犬ばかり。雑種を歓迎してるのなんて、自ら「名犬嫌い」と称する徳田夢聲ぐらい。でもその徳田夢聲にしても、「雑種=駄犬」って言い切ってるんですよね。どのエッセイや小説を見ても、当たり前のように「雑種=駄犬」とされてるのがなんかイヤ...。川端康成に至っては、「純血種を飼ふことは、愛犬家心得の一つである」とまで言い切ってるし。「純血種=純潔」という考え方って、一体どうなんでしょ。猫に関しては、そんなこと全然言われてないのになあ。まだ純血種があんまり入って来てなかっただけなのかなあ。(谷崎潤一郎がペルシャ猫を飼ってるぐらいなのだ)
しかも犬の扱いが粗悪すぎ。悪いことをすると棒でしたたか殴られてたり、食事もひどかったり... あと、当たり前のように放し飼いしている家が多いんですよね。そして今は野良犬の姿を見かけることの方が珍しいですけど、この頃は野良犬を狩る「犬取り」がいて、可愛がってる犬を連れて行かれそうになる場面も... なんか色々とびっくりでした

「犬」の巻末には「ゆっくり犬」、「猫」の巻末にはThinkもちらりと登場してます♪ (中央公論新社)


+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

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実は丁度1年前の第4回たらいまわし「秋の夜長は長編小説!」 の時に、主催者だったちょろいもさんが挙げてらした本。(その時の記事はコチラ) それ以来ずっと気になってたんですが、ようやく読めましたー。や、父が買うっていうから楽しみに待ってたのに、かーなり待たされちゃって... って人のせいにしちゃいけませんね(^^;。
これは作者の水村美苗さんが天啓を受けて書き始めた小説、という体裁。なので、前置きがすごく長いんですけど、でもその前置きすら面白くて、本題に入ってからはさらに面白くて、本当に夢中になって一気読み。読みながら、「そうそう、こういう作品を読みたかったのよー!!」って感じでした。読みながらこんな風に嬉しくて堪らなくなった作品って久しぶりかも。
肝心の作品の中身といえば、「嵐が丘」を下敷きにしたという大河小説という言葉がぴったりの作品です。そしてこの本が読みたいと思ったのは、この「嵐が丘」によるところが大きいのです。最初は「いつになったら嵐が丘になるんだ?」だったんですが、でも読み終えてみると、確かに「嵐が丘」でした。日本を舞台にして、ここまで描ききってしまうなんて凄いです。戦前から戦後にかけての富裕な名家の3姉妹を中心にした華やかな生活やその斜陽ぶりもとてもリアルに描かれていて、まるで目の前にその情景を見ているようだったし、「嵐が丘」のヒースクリフに当たる彼の受ける差別や、彼自身の捨身で一途な恋心もとても切なくて... 少し古めかしい作風がまたとても良く合ってるんですね。しかも、1つの物語が終わってみると、そこにまた突然違った様相が...。
いやあ、ほんと最後までドキドキでした。こういう作品が読めるとほんと幸せになっちゃいます♪ (新潮社)


+既読の水村美苗作品の感想+
「本格小説」上下 水村美苗
「私小説 from left to right」水村美苗
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「日本語が亡びるとき」水村美苗

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クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんによる、ちょっと不思議な3つの物語。「フィンガーボウルの話のつづき」や「つむじ風食堂の夜」も良かったけど、この「百鼠」が一番好きかも!
「一角獣」「百鼠」「到来」という3編の中で一番印象に残ったのは、表題作の「百鼠」でした。
これは天上界に住んでいる<朗読鼠>たちの物語。朗読鼠たちはそれぞれに下界の作家を担当していて、その作家が執筆する時に側で物語を朗読していくのがお仕事。作家は実は天上の力を借りて小説を書いてるんだというお話です。でも確かに、何事においても創作にはどこか別次元の神がかり的な部分が必要なんじゃないかなと思うし、こりゃ本当にありえるぞ... なーんて、読んでると思えてきちゃう。となると、ライターズハイと呼ばれる状態は、やはり鼠の朗読が乗ってきたという証拠なのでしょうか?(笑)
こういう話を吉田篤弘さんが書かれるというのが面白いなあ。
ちなみに「百鼠」とは、動物の鼠ではなくて鼠色のことです。銀鼠や桜鼠、鉄鼠、鳩羽鼠など、江戸時代の粋人たちが作り出した様々な色合いの鼠色のこと。朗読鼠たちは、チョコレートとミルクでこの鼠色を身体の中に作り出すんですけど、その<鼠>を作り出す過程も楽しいし、この物語の中で使われている色んな言葉も、視覚から想像力が膨らんでいくような言葉でとっても素敵。
この3編は、一見バラバラのように見えて、でも確かに繋がってるんですね。「一角獣」の主人公は元々校正者だし、「到来」の主人公は、その母親の書く小説にいつも分身が登場しているし、みんな物語に繋がりがあるんだなあ。でもって、「百鼠」があるからこそ、「到来」の最後の一節が意味深長で、それがまたいいんですよねえ♪ (筑摩書房)


+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)

+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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朱川さんの作品を読むのは1年半ぶり。これは昭和30年代~40年代の東京の下町を舞台にした、ノスタルジックな連作短編集。連作短編集とは言っても主人公は変わるし、時系列的にも少しずつずれているので、アカシア商店街という場所を舞台にした7つの情景って感じですけどね。それぞれの短編に少しずつ繋がりがあって、徐々に町全体の姿が見えてくるんです。
それぞれの短編の中で不思議な出来事も起きて、ファンタジーというよりもホラー寄りなんですが、でも怖さとか妖しさはほとんどなくて、むしろしみじみと切なかったり、やるせなかったり。この中では、胸きゅんの「栞の恋」や、お互いを思いやる兄と弟のやるせない「夏の落とし文」が良かったな。そして最後の「枯葉の天使」で、色んなことが綺麗に繋がっていくというのが好み。やっぱり連作短編集はこうでなくちゃ。
そして「かたみ歌」というタイトル通り、それぞれの短編の背景では、それぞれの時代を代表するようなヒット曲(多分)が流れてます。やっぱりこれは若い読者よりも40~50代の読者、この時代を直に知っている人の方が楽しめるんでしょうね。という私は、知ってたり知らなかったり... ザ・タイガースのサリーってどんな人だろうと検索してみたら、なんと岸部一徳さんのことだったんですね! 若い頃どんな感じだったのか、写真が見たくて色々検索しちゃったわ。(笑) (新潮社)


+既読の朱川湊人作品の感想+
「かたみ歌」朱川湊人
「さよならの空」朱川湊人
「花まんま」朱川湊人
Livreに「都市伝説セピア」「白い部屋で月の歌を」の感想があります)

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突然、体がセルフ・ロデオマシーンのように暴れだし、救急車で病院に運ばれた川波みのり。原因として考えられるのは、以前つきあっていた男性が結婚を決めたこと、そしてその話を聞きながら牡蠣を食べたこと。それ以来、胃の調子が悪かったところに、近所の病院でもらった胃薬を飲んだ途端、全身が震えだしたのです。しかし救急車で運ばれた救急外来の医者も、その後で行った3つの病院でも特に異常なしという診断。そこで思い出したのが、高校時代に喘息で通っていた漢方医。そこの若い医者は、みのりのドキドキする場所をあっさりと探り当て、しかも「腎」の働きが弱っているのだと言います。みのりはそれ以来、その漢方医に通い始めることに。

西洋医学と東洋医学の違い、陰陽五行説に関しては何となくの知識はあったんですが、目盛りのある西洋医学に対し、東洋医学はシーソーでバランスを取ってる感じだとか、体は常に変化し、病気も自分が生み出す変化として捉える考え方など、とても興味深かったです。坂口医師の言葉を聞いていると、あさっての方を向いている精神状態でも全然構わないんだなーって、そんな気になっちゃう。だからといって漢方医が漢方至上主義ではなくて、「病気によっては西洋医薬でバーンと治しちゃった方がいいものもありますけどね」なんて言ってるんですけどね。
みのりの症状はかなり深刻そうなのに、ユーモラスでほのぼのとした語り口。特に大きな変動もなく、あっさりとした展開。でも、読んでいるだけで安心できるような気がしてしまいます。まるでこの本自体が坂口医師の処方する漢方薬みたい。こういうの好きだなあ。(集英社)

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性倫理に厳格で、いかがわしさを連想させるものは机の脚ですら布で包み隠されたというヴィクトリア王朝の英国が舞台。そこには、性に対する様々な妄想を抱いた紳士が招かれる屋敷がありました。その屋敷に住むのは、屋敷の主人と3人のメイド、そして「語り手」。

というあらすじでは全然説明できてないんですが(笑)、いや、すごい話でした... 酒見さんが色んな作品を書いてらっしゃるというのは知識としては知ってたんですけど、でも「後宮小説」「墨攻」「陋巷に在り」「童貞」「周公旦」... と、中国物しか読んだことなかったんです、私。そこにいきなりヴィクトリアンなイギリス。しかも... えええ、もしかしてエロエロですか?! うわーん、びっくり。

でも読んでみると、確かにエロエロ(笑)だし、童貞喪失から性倒錯、性奴隷にSMとすごいラインナップなんですけど(笑)、酒見さんにかかると全然隠微じゃないんですよねえ。むしろ上品な軽快さがあるような... いや、面白かったです。人前ではちょっと読みたくないし、読めないですが。電車で隣り合わせたおじさんに本を覗き込まれた日には、切腹ものですが...! でも酒見さんって、こういうヘンな話を書くのが上手いですねー。本当はまともな中国物の方が好きですけど、でも実は本領発揮って気がします。
しかしこの作品が「文學界」に載っていたとは... 驚き。いや、実は意外と相応しいのか?(笑)
読み始めた時は「表紙のミュシャに騙された!」と思ったんですが、でも読み終わってみると、やっぱりミュシャが良く似合っていたのかもしれません。(って、本当かなあ? 笑)(文春文庫)


+既読の酒見賢一作品の感想+
「陋巷に在り」1・2 酒見賢一
「陋巷に在り」3・4 酒見賢一
「陋巷に在り」5・6 酒見賢一
「陋巷に在り」7・8 酒見賢一
「陋巷に在り」9・10 酒見賢一
「陋巷に在り」11・12 酒見賢一
「陋巷に在り」13 酒見賢一
「語り手の事情」酒見賢一
「聖母の部隊」酒見賢一
「ピュタゴラスの旅」酒見賢一
「泣き虫弱虫諸葛孔明」酒見賢一
「中国雑話 中国的思想」酒見賢一
Livreに「後宮小説」「墨攻」「童貞」「周公旦」の感想があります)

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作家としてデビューしながらも行き詰っている孝夫と、第一線の医師として国際的に活躍しながらも心のバランスを崩してしまった美智子の2人は東京を引き払い、孝夫が子供の頃を過ごした信州の田舎へ。そこで2人が出会ったのは、96歳のおうめ婆さんと、難病を抱えながらもおうめ婆さんにインタビューしながら「阿弥陀堂だより」という広報誌にコラムを書く24歳の小百合でした。

本が好き!お気軽読書日記のもろりんさんにオススメして頂いた本。豊かな自然に囲まれてゆったりとした空気が流れ、物語は淡々と進んでいきます。孝夫と美智子という夫婦には、実際に医者さんであり作家でもあるという南木佳士さんご自身が投影されているのでしょうね。そしてその2人に、自分自身を改めて見直すきっかけをくれるのが、おうめ婆さんと小百合の2人。小百合も可愛いんですけど、このおうめ婆さんがとにかく素敵なんですよー。何気ない一言に人生の重みがあってじわりとくるし、その自然体な生き方といったら、生半可な親切心が虚しくなっちゃうほど。もちろん自然というのは厳しいものだし、その中で自然体で暮らすことの大変さは半端ではないのですが...。この作品は映画化されてて、おうめ婆さんを演じたのが北林谷栄さんなのだそう。きっと絶品なんだろうなあ。観てみたくなっちゃいました。(文春文庫)

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夏目漱石「夢十夜」、内田百閒「冥途」、萩原朔太郎「猫町」。いずれもパロル舎の本です。たらいまわし企画第8回「あなたが贈られたい(贈りたい)本はなんですか?」の時に、日々のちょろいものちょろいもさんが挙げてらして、金井田英津子さんの挿画や装幀があんまり素敵なので、ついつい贈ってもらっちゃったんですけど(笑)、あまりの素敵さに、逆に読めずに寝かせてあったんですよね。(積んでるというのとはまたちょっと違う感覚) でも先日のたらいまわし企画「夜の文学」で、moji茶図書館のmoji茶さんが「冥途」を挙げてらしたり、おかぼれもん。のpicoさんが「猫町」を挙げてらしたり、ワルツの「うたかた日記」のワルツさんが「夢十夜」を挙げてらっしゃるのを見て、これはやっぱりすぐに読もう!と思ったのでした。
で、読んでみて。ほんとどれも素敵です。私は「夢十夜」だけが既読だったんですが、既に知ってる物語でも挿絵に邪魔されるどころか、逆に新たなイメージを膨らませてくれるみたいだし、知らない話は尚更、この独特な世界に引きずり込まれるみたい。これはもう既に挿絵というレベルではなく、コラボレーションですね。作り手の神経が隅々まで行き届いているが分かります。妖しくて美しくて、まさに夜の世界。ああ、こういう本は、誰かに読み聞かせてもらいたい...。ページをめくるのがなんだか惜しかったです。
内田百閒作品、もっと読んでみたいなあ。


+既読の夏目漱石作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「対訳 テニスン詩集」「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石

+既読の内田百閒作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「ノラや」「御馳走帖」内田百閒

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「トリエステの坂道」で、すっかりその世界に浸ってしまった須賀敦子さん。これは先日「トリエステの坂道」を読んだ時に、屋上庭園荘の居里悠未さんが「書評としてならこれを」と仰って下さった「本に読まれて」です。海外の小説を中心に、古典や詩集など沢山の作品が紹介されていきます。
実は私は新聞の書評欄も滅多に見ないし、プロの書評家さんの書評というのもほとんど読んだことがないので、そういった意味ではあまり比較できないんですけど(ネットでの書評は沢山読んでますが!)、こういう切り口で書評を書くのか、というのがとても新鮮でした。視点が鋭くて、それでいてどこか初々しい印象。相当幅広く多くの本を読んでらっしゃるんでしょうけど、本を読むこと書評を書くことに、「慣れ」のようなものがなくて、常に初心で正面から向き合っているという感じ。それに書評というより、既にエッセイのような... 独自の世界ですね。読んでいて心地良かったです。(須賀さんの書評に比べて、私の感想の、あまりに単純で詰まらないことといったら...っ。)
ただ、私自身が、ここに紹介されている本のほとんどを読んだことがないというのが、ちょっと残念。文学系には弱いんですよね、私...(^^;。あ、それでも十分面白かったし、先日アントニオ・タブッキ「インド夜話」を読んだばかりなので、その書評や本にまつわるエピソードなどが特に興味深かったです。色々と読んでたら、もっと楽しめたんだろうなあ。でもここで紹介されてる本を読んで、またこの本に戻れば、「1粒で2度美味しい」的に楽しめそう。
うーん、私ももっと色んな本を読まなくっちゃなー。特に須賀さんが傾倒してらっしゃる池澤夏樹さんの作品、読んだことないんですよね。今度挑戦してみよう。(中公文庫)


+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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昨日読んだ「インド夜想曲」の訳者、須賀敦子さんのエッセイ。これも前回のたらいまわし企画「旅の文学」で、コウカイニッシ。のあさこさんが紹介されていた本です。「ゆるやかでとても深くて、やさしい」だなんて、それは何とも読みたくなってしまうではないですかー。
最初は須賀さんがユダヤ人の詩人・サバに憧れてトリエステの街を訪れたことに始まり、イタリア人のご主人とのこと、お姑さんや義弟夫婦のこと、イタリアで出会った人々のことなど、合わせて12編のエッセイが収められています。でも確かにエッセイではあるんですけど、まるで物語を読んでいるみたいでした。情景も登場人物もとても生き生きとしていて、場面場面が浮かんでくるんですよね。文章も読んでいて心地良いし... 日本語としてもとても美しいと思うし、その美しさ以上に、穏やかに優しく包み込んでくれるような懐の深さが心地よかったです。
トリエステという街の名前から、どうしても「triste(悲しい)」という言葉を連想してしまって、なんだか物哀しい気持ちで読み始めてしまったんですけど、でもそれもあながち間違ってなかったのかも...? という静かな余韻が残りました。これは確かに「ゆるやかでとても深くて、やさしい」ですね。しかも芯の強さもあって。...いいなあ、須賀敦子さん。他の作品もぜひ読んでみなくっちゃ。(新潮文庫)


+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子

+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ

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取り上げられているのは、ルドヴィヒ2世、ゲオルギー・イヴァーノヴィッチ・グルジエフ、ロベール・ド・モンテスキュー、ウィリアム・ベックフォード、ジル・ド・レエ、サンジュスト、ヘリオガバルスという、3世紀から20世紀までの異端とされる7人の人物。同じ澁澤氏による「世界悪女物語」の男性版といったところでしょうか。ヴィスコンティ監督の映画で有名になったルドヴィヒ2世なんかは結構知ってたんですけど、全然名前を聞いたこともない人もいて、でもなかなか面白い人物が揃っていて楽しかったです。それぞれに写真や肖像画、彫像などが掲載されているというのも嬉しいところ。素直にハンサムだなあと思う人もいるんですけど、「えっ、この顔でそんなにモテたのかっ」なんて思っちゃう人も...。(殴)(河出文庫)


+既読の澁澤龍彦作品の感想+
「私のプリニウス」澁澤龍彦
「異端の肖像」澁澤龍彦
「夢のある部屋」澁澤龍彦
「澁澤龍彦初期小説集」澁澤龍彦
「夢のかたち」「オブジェを求めて」「天使から怪物まで」澁澤龍彦
「高丘親王航海記」澁澤龍彦
「東西不思議物語」澁澤龍彦
Livreに「世界悪女物語」「幻想博物誌」「夢の宇宙誌」「フローラ逍遥」の感想があります)

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2000年も昔に、古代ローマの博物学者プリニウスが記した「博物誌」全37巻。その「博物誌」から、澁澤龍彦氏が興味のある部分をランダムに紹介していった本。
この本で一番可笑しかったのは、プリニウスのことを引用魔だと言ってる割に、澁澤氏の引用も相当なこと。アリストテレスやヘロドトスの丸写しだと言いながら、澁澤氏も「博物誌」を丸写ししてたりしませんか...?(笑) とは言っても、引用するだけでなく、それらの引用に対するツッコミも充実。「博物誌」は読んでみたいけど、本格的に読もうと思ったら物凄く大変だし、これは丁度いい入門編にもなりますね。それにしても、絶対存在しないと思えるようなものでも、まことしやかに語られてるのって、ほんと面白いなあ。
で、この中に、一本脚でぴょんぴょん飛んで移動するという単脚族の話が登場するんですよね。暑くてたまらない時には地面に仰向けになって寝て、足で影を作って涼むって... これはどこかで読んだことが! しかも挿絵もあったはず。やっぱりナルニア? だとしたら、「朝びらき丸東の海へ」かしら? 手元に本がないから確認できなーい。(河出文庫)


+既読の澁澤龍彦作品の感想+
「私のプリニウス」澁澤龍彦
「異端の肖像」澁澤龍彦
「夢のある部屋」澁澤龍彦
「澁澤龍彦初期小説集」澁澤龍彦
「夢のかたち」「オブジェを求めて」「天使から怪物まで」澁澤龍彦
「高丘親王航海記」澁澤龍彦
「東西不思議物語」澁澤龍彦
Livreに「世界悪女物語」「幻想博物誌」「夢の宇宙誌」「フローラ逍遥」の感想があります)

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自分へのクリスマスプレゼント2冊目。装丁がとても美しい本で、汚したりしないように普段以上に気を使ってしまいました。青のクロス張りにパラフィン紙。さらに函。クロスの青は、ラピスラズリというよりはむしろトルコ石という感じの明るい青なんだけど(ここの画像の色は函の色で、クロスはもっと明るい色)、表紙に飾られたG.F.ウォッツの「希望」という絵が、この明るい青色と良く合っていて、また素敵なんですよねえ。で、よくよく見たら、函の「Lapislazuli」の文字がラピスラズリ色でした。(笑) 
全部で5章に分かれていて、最初の「銅版」で見た銅版画の情景が、次章以降で物語として展開していきます。すごく静かなのに、なんとも言えない雰囲気があって、イメージを喚起させる文章。絵画的というか、時には手触りや匂いを感じるような気がするほど。一読して、まだあまり理解していない部分もあるんですが、でもそういうのは、これからゆっくり理解していけばいいんでしょうね、きっと。キリスト教的な死と再生を強く感じる作品でした。最終章の「青金石」みたいな話が最後に来るところがまた嬉しいのだわ。(国書刊行会)

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稲垣足穂さんの作品に、たむらしげるさんがイラストをつけた絵本。絵本とは言っても、稲垣足穂さんのショートショートが70編ほど収められているので、あまり小さな子供用とは言えないんですけどね。ちょっと前にこの本を戴いて、たむらしげるさんのイラストがとても素敵だったので、しばらく絵ばかり眺めていたのですが、ようやく読みましたー。表紙もちょっとクリスマスっぽいでしょう?(笑)


+既読の稲垣足穂作品の感想+
「一千一秒物語」稲垣足穂・たむらしげる
「一千一秒物語」稲垣足穂

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博物館を作るために、ある老婆に雇われた若い博物館技師は、採用されて、その村に住むことに。老婆が作りたいのは、この世のどこを探しても見つからない、それでいて絶対必要な博物館。老婆が少女の頃からずっと集めてきたのは、死んだ村の人間の形見だったのです... ということで、「沈黙博物館」、ようやく読めました。
形見とは言っても普通の形見ではなくて、娼婦の避妊リングだったり犬の死骸だったりするんですよね。ほのぼのとするような田園の情景に、時々物凄いモチーフが混ざってくるからびっくり。でも話が進むにつれて、そういう「形見の品」の持っている狂気が昇華されていくような感じが良かったなあ。
それにしても、この舞台になる村はどこなんでしょう。日本... ではないでしょうね。でもそれほどかけ離れた場所とも思えないし。もしかして、先日読んだ「寡黙な死骸 みだらな弔い」も、これと同じような場所だったのかしら? すっきりしないまま終わってしまって、気になる部分もあるんだけど、でも全体の雰囲気がとても良かったです。(ちくま文庫)


+既読の小川洋子作品の感想+
「寡黙な死骸 みだらな弔い」小川洋子
「沈黙博物館」小川洋子
「心と響き合う読書案内」小川洋子
Livreに「偶然の祝福」「博士の愛した数式」の感想があります)

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ほんのりブラック風味の、不思議な連作短編集。それぞれの短編が、何かしらのキーワードで次の話と繋がっています。キーワードは人間であったり物であったりと色々。でも、すんなりと素直に繋がっていくのではなくて、ちょっとずつ捩れているんですよね。最後には、どこからどこまでが現実で、どこからどこまでが幻想なのかが分からなくなっちゃって、メビウスの輪状態。この繋がり方も面白いし、この雰囲気は好きだなあ。全部が繋がった途端、バラバラに壊れてしまいそうな危うさも。(中公文庫)


+既読の小川洋子作品の感想+
「寡黙な死骸 みだらな弔い」小川洋子
「沈黙博物館」小川洋子
「心と響き合う読書案内」小川洋子
Livreに「偶然の祝福」「博士の愛した数式」の感想があります)

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15歳の誕生日に家出をした「田村カフカ少年」と、猫の言葉が分かる「ナカタさん」、それぞれの視点から進行していく物語。最初はなかなか波に乗れなかったんだけど、1巻の後半からは一気に面白くなりました。でもねー、確かに面白かったんだけど、ちゃんと理解してるかと言われると不安なものが...(^^;。古今東西の文学や哲学からの引用がやたらと多いし、色々なモチーフが凄く暗示的なのです。プラトンの「男男・男女・女女」の話とか、面白かったですけどね。図書館館長の佐伯さんやナカタさんは、神様にすぱっと割られちゃった人たちなのかなー、とか考えたりして。
2人の人物の視点から語られていくところとか、図書館や森が重要なモチーフとなってるところが、まるで「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」。あれをもっとシュールにした感じ。でもやっぱり私は、「世界の終わり~」の方が好きだなあ。「海辺のカフカ」には、「世界の終わり~」を読んだ時ほどののめり込み感はなかったし、あの作品ほど何度も読み返したくはならないと思うし。あ、でも「世界の終わり~」もしばらく読んでいないので、頭の中で勝手に美化してる可能性がありますけどね。(笑)(新潮社)


+既読の村上春樹作品の感想+
「海辺のカフカ」上下 村上春樹
「雨天炎天」村上春樹
他の作品に関してはほとんど感想を書いていませんが、Livreに「村上ラヂオ」の感想があります

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