Catégories:“文学(国内)”
[amazon]
両親に言われて、東京にいる双子の妹・梢の様子を見に行くことになった翠。梢はプロのヴォーカリストになるのだと高校卒業と同時に岩手を出て、遠距離恋愛中だった恋人の家に転がり込んだのです。翠は行く前に福田パンに寄り、2人とも大好きなあんバターを、梢の恋人の分も合わせて3個買って行くことに... という「福田パン」他、全6編の短篇集。
高校に入学する年に一家で岩手に引っ越して以来、大学も就職も地元の翠と、高校を卒業してからは東京にいる梢。一卵性双子で顔はそっくりなのに、性格はまるで違う2人をめぐる連作短篇集。
穏やかな落着きを持つ翠と、華やかで奔放な梢。対照的な双子のうち、私は翠に惹かれながら読み進めたんですが、やっぱりそういう人が多いのかな? この短篇集全体にも、翠の穏やかな落着きが漂っているようです。高校時代は梢にかかってくる電話の方が圧倒的に多かったそうだし、2人が一緒にいたら、パッと目立つのは梢のはず。2人が別々にいる時も、翠のことを梢だと思って話しかける人が多かったんじゃないかしら。翠自身は、自分が物語の主役となるタイプだなんて思ったこともないだろうし、もしかしたらそれが密かにコンプレックスに繋がってたなんてこともあるのかも...。翠が岩手に残ろうと思ったのは、もしかしたら梢が東京に憧れるのを間近で見ていたからなのかもしれないですよね。
でも、華やかさでは梢に負けているように見えても、翠の地に足のついた誠実さや、和やかな優しさは、人々をほのぼのと心地よい気持ちにさせるもの。一緒にいて安らぐのは、やっぱり梢よりも翠のはず。そしてそれこそが、そのまま故郷という言葉が持つイメージなのかも、なんて思ったりもします。この作品に登場する人たちは、みな自分の「故郷」を探しているように感じたんですが... 生まれ育った懐かしい場所というだけではない、自分の居場所という意味での「故郷」を探しているような気がしたんですが、翠はその「故郷」の象徴のような存在なのかもしれません。
盛岡や花巻には1度だけ行ったことがあるんですけど、その時にこの本がまだなかったのがとっても残念。福田パンも行ってみたいし食べてみたいし、イギリス海岸にも光原社の中庭にも行ってみたいし、じゃじゃ麺も食べてみたい! そして、宮沢賢治記念館にも行ってみたい! 「イーハトーヴ短篇集」という副題通り、この本全編には宮沢賢治の存在感が漂ってます。賢治作品を知らなくても、読むのには全然問題ないんですが、知っていればこの作品の深みが一段と増すような気がする... その辺りがなんだかうまいなあ、匙加減が絶妙だなあ、なんて思います。(メディアファクトリー )
[amazon]
大正から昭和初期にかけては、怪談文芸の黄金時期。その時代に「妖怪(おばけ)の隊長」と呼ばれた泉鏡花、そして名だたる文人墨客・名優たちが中心となり、百物語怪談会が繰り返し催されることになったのだそう。この本はその会の模様、そこで語られた数々の怪談と、そこから誕生した怪談小説や随筆作品を1冊にまとめたものです。
泉鏡花の名前に惹かれてなんとなく買ってしまった本なんですけど、一昨年刊行の特別編「百物語怪談会 文豪怪談傑作選・特別篇」が、やはり鏡花を中心とする顔ぶれの怪談アンソロジーで、こちらはその続編ともいえる本なのだそう。「百物語怪談会」は明治末期の怪談会で、こちらは大正から昭和にかけての怪談会です。
怪談会のメンバーは、泉鏡花、松崎天民、平山蘆江、久保田万太郎、長谷川伸、芥川龍之介、菊池寛、柳田國男、里見弴、長谷川時雨などなど。びっくりしてしまうほどの豪華メンバーによる怪談会は、意外と言っては失礼なんだけど、びっくりするほど面白かったです。そういった怪談会の模様が新聞や雑誌で詳報されたというのも納得できるレベルの高さ。
どれも文字にして読んでしまうとごく短い話ばかりなんですけど、みんな語り上手ですねー。特に印象に残ったのは、妖怪好きの新派俳優・喜多村緑郎の語る悲恋話かなあ。これは泉鏡花によって「浮舟」という作品にも仕立てられて、それもこの本に収められています。そして芥川龍之介や柳田國男も参加している怪談会の実録の面白いことったら。肝心の泉鏡花の存在感が一番薄かったりして...(笑)
怪談といえば、先日「牡丹灯籠」(感想)を読んで、本来怪談の主役かなと思うお化け話がすっかり脇に回ってたのにびっくりしたところ。こちらでは、短いだけあって主役は主役のままなんですけど、それでもやっぱり相手を怖がらせるだけが主眼というわけじゃないんですね。そこはかとない郷愁が漂っていたり、江戸時代の時代物に感じるような人情を感じさせたり。今時のホラーとはまた全然違ってて、なんだかとっても古き良き時代の和やかな(?)怪談という趣があって、そういうところが好きでした。怪談もいいものですね! まず真偽を疑うのではなくて、なんとそんな出来事があったのかと、話を楽しもうという姿勢がまた読んでいて楽しい一因なのかもしれません。...でもそうですか、死神や厄病神らしき姿を見た時は、頑張って睨みつけてやらないといけないんですね。心しておかなくちゃ。(ちくま文庫)
+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編
[amazon]
大雪の日の夕方、彗君は古い煉瓦造りの建物の中にあるクラブへと出かけます。それは祖父の入江さんが前世紀に始め、最近彗君が入江さんから譲り受けたもの。その日彗君は、バーテンダーの九鬼さんが作った、本物の雪がそのままグラスに盛られているようなカクテルと、鮮やかな血の色をしたカクテルを飲み、その2つのカクテルの不思議な相乗効果で酔郷へと出かけることに...。
バーテンダーの九鬼さんの作るカクテルによって、彗君がさまざまな世界に遊ぶという物語。「夢の通い路」では、桂子さんが「あちらの世界の面々」と交歓を尽くしたんですが、こちらはその慧君版なんですね。桂子さんの孫にあたる慧君が、様々な美女と情を交わすことになります。式子内親王に始まり、ゴーギャン風の南方系美女、かぐや姫、植物的魔女、鬼女、雪女... 時には髑髏まで。ちなみに「よもつひらさか」とは、現世と黄泉の国の境目にある坂のこと。
でも今回なんだかとっても不思議だったのは、全然エロティシズムを感じないこと! 「夢の通い路」も全然肉感的ではなくて、まるで水のような植物のようなさらさらとしたエロティシズムだったと思うんですけど、こっちはそれも全然... 少なくとも前半は全然でした。そういった場面は多いんですけどね。後半は、まあ少しは感じられるようになったけど、それでも「夢の通い路」に比べれば本当に薄いものだし。これって何なんだろう。慧君だからなのかな。それとも読み手の問題?
「ポポイ」を読んだ時にすごく興味を持った慧君なので、「ポポイ」の慧君の辺りを読み返してると、こんな記述がありました。
いつも無限に優しいのがこの人の特徴で、だから慧君は聖者なのだ。相手の意思に反して自分の欲望が働くということがなく、相手の欲することを自分も欲するだけなのだ。そして相手が狂って我を失っても、最初から我というものをもたない慧君は決して狂うことがない。
ああ、そうでした。そういう人だったのでした。だからだったんですね。
こちらの作品でも、慧君と舞の話は私にとってなんだか特別な存在だったなあ。「分子レベルでの理解」に関する会話は、すごく印象に残るものだったし。
でも、今回読んでいて興味を引かれたのは、慧君よりもむしろ九鬼さんだったかも。不思議な酒を作るバーテンダーであり、入江家を取り仕切る執事のような存在であり、入江氏の分身のような存在であり、そして冥界の女王の馴染みでもあり...。いったい彼は何者なんでしょうね?(講談社文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon]
北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。
アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。
もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。
で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)
[amazon] [amazon]
デンマークのエルシノア。ハムレット王が亡くなって2ヶ月足らずだというのに、ガートルード王妃は、王位を継いだ亡き王の弟・クローディアスと再婚。そんな時、エルシノア城の銃眼胸壁の上の狭い歩廊に、今は亡きハムレット王の亡霊が現れます。甲冑に身を固め元帥杖を手に見張りの目の前を何も言わずに通り過ぎる亡霊。その話を聞いたホレイショーは自分も亡霊の姿を目にすると、早速ハムレット王子に告げることに。そして亡霊と対峙したハムレット王子は、父の死の顛末を聞かされることになるのです... という本家本元の「ハムレット」。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」から登場人物の名前と大体の環境を借りて書き上げた、2つの不幸な家庭の3日間の物語だという、太宰治の「新ハムレット」。
いわずと知れた、シェイクスピアの四大悲劇の1つ「ハムレット」。私はシェイクスピアはあまり好きじゃないし、色んな版で何度か読んでる割にその偉大さも今ひとつ理解できないんですが、四大悲劇は結構好き。特に「マクベス」。
ええと、今ひとつ感心しない理由の1つは、シェイクスピアのどの作品にも元となる話があって、あまりオリジナリティがないということなんですけど... まあ、それはあんまり説得力がないというのは、自分でも分かってます。(笑) でもこの「ハムレット」が書き上げられる数年前に、よく似た戯曲がロンドンで上演されていたのだそうで、そんなことを知ってしまうと、益々...。(笑) まあ、それ以前に明らかな元ネタ本があるので、その同時代の劇作家もそちらから取ったんでしょうけどね。でも今回訳者による解題を読んで、「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりです。そう言われてみると、似てるなあ、なんて思いながら読んでた話もあったような...。(←ダメダメな記憶力)
「ハムレット」自体には改めてあまり感想はないんですが、この福田恆存氏による解題が良かったです! 福田恆存氏は訳も素晴らしいけど、この解題が本当に素晴らしいー。特に「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯していることにある」という言葉。「ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯をし、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」ですって。なるほどね。そういうところを楽しむべき作品なんですね。やっぱり本で読んでどうこう言うのではなくて、演じられている「ハムレット」を観るべきなんでしょうね。シェイクスピアだって座付き脚本家として、演じられるための作品を書いてたんですものね。
そしてその「ハムレット」を読んだので読んでみたくなったのが、太宰治「新ハムレット」。太宰治自身、「人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレットから拝借して、ひとつの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味はみじんもない。狭い、心理の実験である」としている通りの作品。
大きな流れは同じなんですが、細かい部分は結構違います。「新ハムレット」のハムレットは、叔父とそれほど不仲ではないですし、以前は懐いていたのに、母親をとられた寂しさや戸惑いから反抗しているみたい。先王の幽霊騒ぎは、ここでは単なる噂話。そしてハムレットは結婚する気満々です! ここでのオフィーリアの造形が、まるで今時の女の子みたいでびっくりですよ。それに作品そのものもとても現代的。書かれた当時は、きっととても斬新だったんでしょうね。太宰治といえば一昔前の人、というイメージだったんですけど、そうではなかったようで...(笑)
行間から登場人物たちの気持ちを推し量らなければならない原作とは違って、こちらでは登場人物が滔々と雄弁に自分の気持ちを語ってるのが面白いし、ハムレットを初めて日本に紹介した坪内逍遥の訳をからかってるようなところも楽しいし...(「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」というのは、確か「はいからさんが通る」に出てきてたから知ってたけど、「すまいとばし思うて?」は知らなかったよ)、ポローニヤスから息子・レアティーズへの細かすぎるほど細かい遊学の心得も可笑しいし~。太宰治自身も同じことを言われたのかな? それとも自分自身の経験を踏まえた言葉? 人は死ぬんですけど、むしろ喜劇に変わってしまったような印象さえありました。とは言っても、このハムレットは、やっぱり太宰治自身なんでしょうね。ハムレットの台詞の端々に、太宰治自身が見え隠れしているようです。
「みんな、みんな可哀想だ。僕には昔から、軽蔑感も憎悪も、怒りも嫉妬も何も無かった。人の真似をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何も分からない。人を憎むとは、どういう気持ちのものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打つほどによく分る情緒は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。」(P.294)
「新ハムレット」には5編が収められているんですけど、表題作以外もそれぞれに良かったです。私が一番気に入ったのは「古典風」。取り立てて大きな出来事が起きるわけでもないのに、読ませてくれるんですよねえ。間に挿入されている手帳のメモ書きや、主人公が書くネロの伝記なんかも面白かったし。この作品、副題が「ーーこんな小説も、私は読みたい。(作者)」なんです。私だって読みたいよ!(笑)(新潮文庫)
+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア
+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
[amazon]
実朝が殺されて、かれこれ20年。当時20歳を越えたばかりだった「私」も御家人たちと共に出家し、鎌倉時代も今や遠い過去。しかし実朝のことだけは懐かしくてならず... と、「私」が実朝の思い出を語る「右大臣実朝」。
そして東北帝大医学部の前身・仙台医専を卒業した老医師は、周樹人ことその後の魯迅と同級生。魯迅の「藤野先生」を読んでやって来た記者相手に、当時の思い出話を語ります... という「惜別」。
「右大臣実朝」の実朝は、もちろん鎌倉幕府の3代目の将軍だった源実朝。鎌倉幕府を開いた源頼朝の子であり、兄の頼家が追放された12歳の時に将軍となるものの、26歳で甥(頼家の子)の公暁に襲われて落命。その源実朝の人物像を、吾妻鏡からの引用と共に、12歳の頃から側近として勤めてきた人物の目を通して描き出していきます。
中盤まではすごく読みにくかったんですけど、途中、実朝に太宰治自身が見えるような気がしてからどんどん面白くなりました。具体的には「何事モ十年デス。アトハ、余生ト言ッテヨイ」という台詞からだったかなあ。他にも色々と印象深い台詞があるんですよね。「平家ハ、アカルイ」「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ」とか。全部読んだあとに最初の方に戻ってみると、「都ハ、アカルクテヨイ」なんて言葉もあって... 読んでる時はそのまま受け止めていたけど、「アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ」なんて台詞を読んだ後に改めてこの言葉を見ると、また印象が全然違ってきますね。公暁の言う、実朝自身の都に対する思いのこともあるし、色々と考えさせられます。実朝自身の一種清涼な明るさもまた「ホロビノ姿」だったのかしら。
話し手が実朝を無条件に崇拝してるので、実朝の負の部分はほとんど見えてこなくて、ひたすら賢さと典雅さを兼ね備えた青年として語られることになるんですが、その光が当たった実朝と対照的な存在なのが、影の存在である公暁。まるでこの作品で実朝に欠落してしまった人間らしさを一手に引き受けているみたい。一見裏腹な存在に見える実朝と公暁が、実は太宰治自身の二面性なのかな?
「惜別」で描かれているのは、若き日の魯迅。魯迅の「藤野先生」(感想)と呼応するような作品です。その「藤野先生」が印象深い作品だったこともあり、とても興味深く読みました。でも、描かれているのは確かに魯迅のはずなんだけど、やっぱりこの魯迅は魯迅自身が描いた魯迅とはまたちょっと違いますね。「藤野先生」に描かれていた魯迅の方が、大陸的な大きさを持っていたような気がします。ということは、やっぱりこちらに描き出されているのは太宰治自身の姿ということなんでしょう。1人孤独を噛み締めていたとしても、本人にそのつもりが全然なかったとしても、「周さん」を中心としてみんなが磁石のように吸い寄せられてるように見えるのがとても印象的でした。お節介焼きな津田憲治だって、本当は悪い人じゃないんだもんな。なんか可愛いな。
そして読み終えた直後は「惜別」の方が私の中では存在感が大きかったのに、少し時間が経ってみると「右大臣実朝」の方がどんどん存在感を増しているような... 今は「右大臣実朝」の方がむしろ好きですね。この印象の変わりっぷりは、我ながらなんだか不思議になってしまうほどです。(新潮文庫)
+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
[amazon]
ある精神病院の患者第23号が誰にでも話す話。彼は、3年前に1人で上高地の温泉宿から穂高山に登ろうとした時に、河童の世界に転がり込んでしまったというのです... という「河童」他、「蜃気楼」「三つの窓」の全3編。
中学の頃以来の再読。「河童」という作品は、一種のユートピア小説に分類されるようです。日本の昔話では「浦島太郎」とか「海幸彦山幸彦」なんかがお馴染みですね。陶淵明の「桃花源記」なんかもそう。芥川龍之介が東大英文学科の卒業論文で取り上げたというウィリアム・モリスも、「ユートピアだより」(感想)なんてユートピア小説を書いてます。でも「河童」は、そういった理想の世界を描き出す作品ではなくて、例えば「ガリヴァー旅行記」のように、現実に対する風刺を中心とする作品。
河童の国では、人間が真面目に思うことを可笑しがり、可笑しがることを真面目に思うんですね。正義とか人道といったことを聞くと河童は腹をかかえて笑い出すし、産児制限についての話も笑いの種となるんです。河童の赤ん坊は、この世に生まれたいかどうか自ら選ぶことができます。生まれる前から、ものすごくしっかりしてる河童の赤ちゃん。芥川龍之介は、自分も生まれるかどうか選びたかったと思ってたのかな...。あと、生まれた最初はとても年を取っていたのに、だんだんと若返っていく河童の話もあったなあー。ミヒャエル・ゾーヴァとアクセル・ハッケの「ちいさなちいさな王様」みたいに。
河童の国での様々なことが語られるんですけど、その中でも特に強烈だったのは、製本工場の話。本を造るのに、ただ機械の漏斗型の口に紙とインクと灰色の粉末を入れるだけで、無数の本が製造されて出てくるというもの。しかもその灰色の粉末というのは、驢馬の脳髄を乾燥させたもので、ものすごく安価なものなんです。芥川龍之介は自身の書いた作品にも、その程度の価値しか認めていなかったのかしら...。
芥川龍之介が自殺したのは、「河童」を書き上げた5ヵ月後。私にはこの「河童」はユートピア小説ではなかったです。現実に対する風刺というより、もうこれはそのまま芥川龍之介自身のことなのでは? 上に書いたことだけでなく、どのエピソードも芥川龍之介自身と重なるようで、読みながらもうなんだか痛々しく哀しくて仕方ありませんでした...。そう思って読むと、「蜃気楼」や「三つの窓」にも不吉に感じられるモチーフが散りばめられていますしね。これは芥川龍之介の叫びだったのでは?(岩波文庫)
[amazon]
母校である女子大の日本文学科専任講師を務める杉安佐子は、ロンドンに駐在している兄のもとに遊びに行く時に知り合った長良豊と、京都の学会に行くために乗った新幹線で再会。京都で行きたい場所がある安佐子は、それが「源氏物語」の藤壺のいた辺りだということを長良に説明し、かつて源氏物語にあったといわれる「輝く日の宮」という巻のことを語ります。
森谷明子さんの「千年の黙」が文庫になったので、それを読もうと思ったんですが、それなら合わせてこちらも読むのがお勧めと七生子さんに教えていただいて~。こちらを先に読んでみました。「輝く日の宮」というのは、「源氏物語」にかつてあったとも言われる幻の章。まだそういう学説があるというだけに過ぎなくて、存在が証明されてるわけではないようですが、「桐壺」と「帚木」の間にあったと言われてるんですね。確かに現在読める「源氏物語」には、藤壺の宮との一度目の逢瀬のことは何も書かれてないし! その後の六条御息所の登場も、もひとつ後の朝顔の姫のことも唐突だし! 特に六条御息所とは、初めて名前が登場した時にすっかり馴染んだ仲として描かれていたので、いつの間に?!と読みながら戸惑ったものです。大切な説明がすっぽりと抜け落ちているという印象。で、「輝く日の宮」という章があったという説があると聞いて納得したのですが... まさかその章が失われた理由がこういうことだったとは! うわあ、これは大胆な仮説ですね。でも驚いたけど、とても説得力がありました。
でもね、この作品で本筋の源氏物語の話になるのは、物語が始まって150ページほども過ぎてからなんです。それまでは安佐子が中学3年の頃に書いた短編のこととか、元禄文学学会で発表した「芭蕉はなぜ東北へ行ったのか」のこと、「日本の幽霊シンポジウム」など他の部分が詳細に描かれていて、その合間には為永春水と徳田秋声の「春水-秋声的時間」のことや、父・玄太郎の生活史研究のことも挟まれていて、そのそれぞれが色んな手法で書かれてるのが面白かったものの、いつになったら本筋になるんだ?って感じだったんです。でもこれが実は実は実は... 私がその意図を本当に理解したのは、本文を読み終えて解説を読んでからでした。うわー、なるほど、そういうことだったのですね! これには全く気づかなかった... というか、読みながら気づくのは私には到底無理なんだけど...(笑) なるほどぉ。どの部分も、実はそれぞれ実は深い意味があって存在してたんですねー。
これは安佐子の成長物語であり、恋愛物語でもあり、そして大きく昭和の時代を追う小説でもあり、「輝く日の宮」が存在したことを証明する小説形式の論文でもあり(松尾芭蕉論、泉鏡花論、そして宮本武蔵論も)... ああ、こういうのって面白いなあ。安佐子とか他の女性の造形が一昔前の女性のようで、あまり魅力が感じられなかったのが残念なんですが... それにかなり現代に近づいてもまだ旧仮名遣いというのはなぜ? と違和感も感じてしまったんですが... でも旧仮名遣いだからこそ、最後の章が違和感なく読めるのかもしれないですね。いや、面白い趣向でした。これは日本文学好きには堪らない作品かも~。私としても「輝く日の宮」の仮説が読めて良かった! 面白かったです。(講談社文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon]
夜が更けて夫も子供たちも犬も寝静まった頃。化粧を直して人と会う用意をする桂子さん。鏡を見ると、そこに映っているのは、夜の化粧のせいで妖しい燐光を放つ「あちらの世界」の顔。外に来ている人の気配を感じた桂子さんは、家を抜け出します。そこにいたのは佐藤さん。しかし佐藤義清という名前の長身痩躯の紳士は、実は西行なのです。
桂子さんシリーズの外伝的作品... でいいのかな。魅惑的な「あちらの世界」の面々と交歓する桂子さんの物語。桂子さんと出会うのは西行、二条、後深草院、藤原定家、式子内親王、六条御息所、光源氏、藤原道長、紫式部、和泉式部、エルゼベート・バートリー、メーディア、則天武后、かぐや姫etcetc...という、虚実取り混ぜた豪華絢爛な面々。でもどんな人々と共にあっても、桂子さんの女神ぶりは相変わらずで~。相手に合わせて、しなやかに上品に踊っていますね。本当はとてもエロティックなはずなのに、そこには獣の生々しさは全くなくて、どこか植物的なんですが... ここで私が感じたのは、植物というよりも水。さらさらと流れる水のようなエロティシズムのような気がしました。現実と異界との転換点としても、水というのはとても相応しいのではないかと思うのですが~。
古今東西の様々な人物が登場するだけに、他の倉橋作品以上に様々な素養が現れていて、それもとても面白かったです。登場する面々の中でも特に印象深かったのは、処女の血を搾り取ったというエルゼベート・バートリ伯爵夫人、そしてエウリピデスの描いた物語は真相とは違うと語るメーディア。ここに描かれる血のお風呂や血のワインの魅惑的なことったら。さらに桂子さんが二条と語る、トリスタンと金髪のイズーの物語の話も面白かった! トリスタンとイズーが秘薬を飲んだ理由に、これ以上説得力のある回答は思い浮かばないな。(講談社文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon] [amazon] [amazon] [amazon]
伊勢英子さんによる宮沢賢治作品の絵本を一挙に4冊。
ざしき童子(ぼっこ)は、東北地方、特に岩手県に伝わる伝説の存在。特定の家に居つき、ざしき童子がいる家は栄え、去られてしまった家は傾くという... そんなざしき童子のお話を4つ集めた「ざしき童子のおはなし」。
姿が醜いため、他の鳥たちに顔を見たくないとまで言われてしまうよだか。みんなに嫌われていることを悲しんだよだかは、弟のかわせみに別れを告げ、太陽の方へと飛んでいきます... という「よだかの星」。
谷川の岸にある小さな小学校に新しく来たのは、赤い髪に変てこな洋装をしたおかしな子供。父親の仕事の都合で、北海道の学校から転校して来たのです... という「風の又三郎」。
しきりにカルメラのことを考えながら、赤い毛布(けっと)にくるまって雪丘の裾を家に急ぐ子供。しかしその日は水仙月の四日。じきに風が出て、乾いた細かな雪が降り始め、あたり一面は真っ暗に.. という「水仙月の四日」。
やっぱり「ルリユールおじさん」や「大きな木のような人」、「にいさん」のような絵本とは違っていて、こちらはやっぱり子供向けだなあという感じでしたが、それでもどれも伊勢英子さんの絵が堪能できる絵本ばかり。「ざしき童子のおはなし」は、昼下がりの穏やかな光、夕暮れの柔らかい光、残暑の頃の明るい光、そして眩しいほどの月の光... と、どの絵も光がとても印象的だったし、「よだかの星」は後半の色の深みと美しさが素晴らしいと思ったし、「風の又三郎」はどれも吹き渡る風を感じるような絵。「水仙月の四日」は、青と白が美しくて、その中の子供の毛布や、雪狼の舌の赤がとても鮮烈。
最初読んだ印象では、「水仙月の四日」が一番好きかなあと思ったんですが... 文章だけで読んだ時もとても印象深い作品だったし、伊勢英子さんらしい青を楽しめますしね。でも読んでから少し時間が経った今は「よだかの星」の印象の方が鮮烈に残ってるということに気がつきました。この絵本、最初の何枚かの絵が、あまり私好みの色彩じゃないんです。どこか民話調の赤の使い方というか、あまり色にも深みがなくて、なんでこういう色使いをするんだろう、とどうも違和感があったんです。でも、後半の色の深みが素晴らしい! なんて美しいんでしょう... もしかしたら、前半の絵は表面上の美醜しか捉えようとしないほかの鳥たちの浅さを表現してるのかしら。そして後半の深みのある広がりのある色彩は、よだかの内面を表しているのかなあ、と思ったのでした。...ただ単に前半の絵の美しさを、私が感じ取れなかっただけなのかもしれないんですが。(笑)(講談社・くもん出版・偕成社)
+既読の宮沢賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子
+既読の伊勢英子作品の感想+
「ルリユールおじさん」「絵描き」いせひでこ
「旅する絵描き パリからの手紙」伊勢英子
「グレイがまってるから」「気分はおすわりの日」伊勢英子
「マキちゃんの絵にっき」「ぶう」伊勢英子
「カザルスへの旅」伊勢英子
「はじまりの記憶」柳田邦男・伊勢英子
「1000の風 1000のチェロ」「雲のてんらん会」いせひでこ
「空のひきだし」いせひでこ
「むぎわらぼうし」竹下文子・いせひでこ
「大きな木のような人」「ルリユールおじさん」いせひでこ
「にいさん」いせひでこ
「よだかの星」「ざしき童子のはなし」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子
[amazon] [amazon] [amazon]
岩波少年文庫版の宮沢賢治3冊。今までいくつかの本を手に取ったことがありますが、岩波少年文庫で読むのは今回が初めて。3冊で童話が26編と詩が11編収められています。
今回改めて読んでみて特に印象に残ったのは、宮沢賢治の生前に唯一刊行された「注文の多い料理店」につけられている「序」。これ、素晴らしいですね。「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます」...宮沢賢治にとって、生きるために必要なのは単なる食物の摂取ではなくて、自然から得る精神的な栄養がとても大きかったというのが、よく分かります。身体の維持のためには食物の摂取がどうしても必要ですけど、彼にとっては精神を生かすための栄養の方がずっと大切だったんでしょう。そして、そんな宮沢賢治の書いた童話は、実際に身の回りの自然から栄養を得て書かれた物語ばかり。序にも「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」とあります。確かに空とか星とか風とか雪とか水とか、野山の動物とか、自然のものが沢山。もうほんと好きにならずにはいられないモチーフが満載なんですけど、でもそんなモチーフが使われているからといって、作品が大好きになるとは限らなくて...。素直に自然と一体化して、その素晴らしさを全身に感じて溶け合ってるからこそ、ですね。やっぱり宮沢賢治の感性って得がたいものだったんだなあ、なんて改めて感じてみたり。そしてこの序の最後の言葉は、「わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません」。たとえ読者が自然からほんとうの栄養を得られるような感性の持ち主でなかったとしても大丈夫なんですね。その作品を読むことによって、その栄養を得ることができるんですもの。まあ、それを自分の中でどう生かすかは、読者次第ではありますが...。
それにしても「イーハトーヴ」という言葉、いいなあ。「注文の多い料理店」には「イーハトーヴ童話集」という副題がつけられていて、エスペラント語の「岩手」のことなんですけど、これがまるで異界へ行くための呪文みたい。登場人物たちが岩手の方言で話していても、そこに描かれているのがごく普通の農村の情景ではあっても、この「イーハトーヴ」という言葉だけで簡単に異世界に連れて行ってもらえるんですもん。
特に好きな作品としては、「ふたごの星」と「やまなし」と「銀河鉄道の夜」かな。やっぱり「銀河鉄道の夜」は何度読んでも素敵。幻想的に美しくて、懐かしくて暖かくて、でもとっても切なくて。で、以前「宮澤賢治のレストラン」という本がとても楽しかったので、今回再読したかったのですが~。ちょっと手元には間に合わなかったので、そちらはまた日を改めて。(岩波少年文庫)
+既読の宮澤賢治作品の感想+
「宮澤賢治のレストラン」中野由貴 「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「注文の多い料理店」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」宮沢賢治
「ざしき童子のはなし」「よだかの星」「風の又三郎」「水仙月の四日」宮沢賢治・伊勢英子
[amazon]
ムーミントロールがまだ小さかった頃のお話。夏の一番暑いさかりに風邪をひいてしまったムーミンパパは、ふと、広間のたんすの上に飾っている海泡石の電車に、皆があまりあまり関心を持っていないことに不満を持ちます。それはムーミンパパの青春時代に大きな役割を演じたものなのです。それを聞いたムーミンママは、ムーミンパパに自分のこれまでの一生について書くことを薦めます。風邪を引いて外に出られない今は、思い出の記を書き始めるのにぴったり。しかも物置から大きなノートが1冊出てきたところだったのです。
ムーミンシリーズの3作目。ムーミンパパが、若い頃の物語をムーミントロールやスニフ、スナフキンに語り聞かせるという形で物語は進みます。がんじがらめの規則に縛られ、色々と疑問を持ちながらも何も答えてもらえなかった孤独なムーミンホーム時代。そしてそこからの脱出。発明家のフレドリクソンや彼の甥のロッドユール、立ち入り禁止の操舵室に入り込んでいたヨクサルとの出会いと、「海のオーケストラ号」での冒険の旅。
ムーミンパパの思い出の記は、冒険物語なんですけど、なんだかとても哲学的ですね。みんな結構色んなことを言ってて、その中でも一番印象に残ったのは、ヨクサルの「有名になるなんて、つまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でも、だんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーラウンドにのるようなものじゃないか」という言葉。このヨクサルというのは、スナフキンのお父さんなんです。道理で!ですよね。ついでにいえば、ロッドユールはスニフの父親。ミイもここで初登場です。若き日のムーミンママとの出会いの場面も。今は良き妻・良き母というイメージのムーミンママも、この頃はまだまだスノークのお嬢さんみたい~。スナフキンは「ムーミン谷の彗星」で初対面だったはずなのに、なんで小さい頃のムーミントロールと一緒にムーミンパパの話を聞いてるのかなー。なんてことは言いっこなし?(笑) スナフキンとミイの関係についてだけは余計だったような気がしますが(なんでそんなことをわざわざ!)、楽しいながらもなかなか奥の深い物語でした。(講談社文庫)
+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン
[amazon]
山田が脳卒中で亡くなり、初七日がすぎると、桂子さんは研究室を片付けるために大学へ。山田が使っていたBRAINと呼ばれているコンピューターを自宅に持ち帰ります。書斎でマニュアルをめくっていると、そこから出てきたのはBRAINを試作した会社の会長・入江晃という人物の名刺。桂子さんは、山田が入江のことを大学の教養課程の時の級友だと話していたことを思い出します。告別式にも入江からの生花が届いていました。そして林龍太から無名庵を買い取った人物も、おそらくその入江なのです。
桂子さんシリーズ。先日読んだ「城の中の城」から、ほぼ10年後のお話。桂子さんは40歳、智子さんは16歳、貴くんは15歳、山田氏はいくつぐらいなんだろう。60代になる一歩手前ぐらいでしょうか。優子さんというお嬢さんも生まれていたようですね。宮沢耕一にも色々と変化があったようで、現在はパリ在住。
この作品で一番大きいのは、とうとう入江氏が登場したこと! もっと年配の人なのかと思ってたんですけど、山田氏と級友だったのかあ。あ、でももうじき60代(推定)となると、やっぱり年配とも言えるのでしょうか。既にかなりの人脈と金を持ってるようですが、まだ政界入りを果たす前。「ポポイ」を読んだ時、なんで愛人なんだろう...?って思ってたんですが、これを読むとなんとなく理解できるような気がしました。
途中でギリシャ神話の話も登場していましたが、まさに神々の交歓といった印象。でもたとえ入江氏がゼウスだとしても... いえ、入江氏はゼウスみたいな好色な人物ではないんですが、存在感的にゼウスはぴったり。でも、桂子さんに当てはまる女神が案外といないものですねえ。ヘラは似合わないし、知的なところからアテナ... というには桂子さんは色っぽすぎるし。逆にアプロディーテーというには知的すぎますしね。時にアテナのように、時にはアプロディーテーのように。時と場合によっては大胆に振舞うこともできるのが、桂子さんの一番の魅力。こういう人物を、女性作家が描いたというのがいいんでしょうね。男性作家が書いたら、印象がまるで変わってしまいそうです。でも、倉橋由美子さんという方の思考回路には、男性的な部分も多く入っていたに違いない...。ま、こんな人、本当にいるのかしらー?!とは思うんですけどね。そこはそれ、やっぱり「神々の交歓」だから。ということで。(笑)(新潮文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon] [amazon]
ここには書かなかったんですが、先日パロル舎の「夢十夜」「猫町」「冥途」を再読したんです。金井田英津子さんの挿画は、もちろんとても素晴らしいんですけど... ! でもこれはあくまでも、金井田英津子さんがこれらの作品に持たれたイメージ。あまりにぴったりすぎて、そのことをすぐ忘れてしまうんですが。で、なんだか無性に文字だけの本が読みたくなって、こちらを手に取ることに。
「猫町」の方は、3部構成。第1部は「猫町」「ウォーソン夫人の黒猫」「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」という小説が3編、第2部は散文詩が13編。そして第3部は随筆が2編。
どれも読み応えのある作品ばかりなんですが、やっぱり「猫町」が突出してますね。ごくごく平凡な日常の風景が、ある時点でくるりと反転してしまう、そこの妙。これが素晴らしい。それまで長々と書かれてきたことは、全てこの一瞬のためだったのか、と、改めて感じ入ってしまいます。何度読んでも素晴らしい~。そしてこの作品は、解説によるとアルジャノン・ブラックウッドの「古き魔術」という作品も似た趣向の作品なんだそうです。朔太郎がその影響を受けているのかどうか、そもそもその作品を読んでいたのかどうかは不明なんですが、そちらもぜひ読んでみたいな。
そのほかの作品も良かったです。散文詩というのも意外と好きな自分を発見したり。(笑) 特に印象深かったのは、親交のあった芥川龍之介の死にも触れている「老年と人生」かしら。「老いて生きるというのは醜いことだ」と考え、30歳までには死のう、いや、40歳までには、と考えつつ老年に達してしまった萩原朔太郎。でも老いて初めてその楽しさを発見したり、案外肯定的に人生を捉えるようになるんですよね。それがちょっぴり意外ながらも興味深くて。
そして「萩原朔太郎詩集」は、「純情小曲集」「月に吠える」「松葉に光る」「青猫」「蝶を夢む」「桃季の道」「氷島」「散文詩」といった詩集から、三好達治が選んだ代表作を収めたもの。
基本的に詩心があまりない私なので、自由詩はよく分からなくて、どちらかというと定型詩を好むんですが、萩原朔太郎の詩はとても好き。特に初期の作品集である「月に吠える」は、朔太郎ならではの明るく鮮烈な若々しさ、そして生きる力をとても強く感じる作品群だと思います。何かといえば物が腐るし、どちらかといえば精神的に不安定なものを感じる方が当然なのに、そんなところに生きる力を感じるのもどうかと思うんですが(笑)、そこは詩心のない人間の戯言と思って流していただければ。いや、でもこんな詩を書く人が自ら命を絶つことなく寿命を全うしたというのが逆に信じられないほどですけどね。本当に。
印象深いのは、朔太郎特有の表現。「おわあ、こんばんは」と挨拶する猫、「ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ」と鳴く蛙。 「ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ」という蝿の、「てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ」と飛ぶ蝶。「のをあある とをあある やわあ」と遠吠えする犬。「じぼ・あん・じゃん!じぼ・あん・じゃん!」という柱時計の音... やっぱりこの人の感性は面白いな。(岩波文庫)
[amazon]
桂子さんが山田と結婚して8年。桂子さんも30歳になり、今や6歳と5歳の2児の母親。山田の仕事も順調で、桂子さんも主婦業・母親業の傍ら翻訳の仕事をこなす日々。しかしそんな平穏な生活に、突然影がさすことになります。山田が前年パリに行った時にキリスト教の洗礼を受けていたというのです。
桂子さんシリーズです。
今回とにかくびっくりしたのは、思いっきりキリスト教絡みの話だったこと。このシリーズに、こんな風にキリスト教が登場することになろうとは! いや、ほんと全く思ってもいなかったのでびっくりです。なんとなくそういうのを超越してると思ってたんですけど、そうではなかったんですねー。でも私も驚いたんですけど、桂子さんの驚きはもちろん私以上なわけで。もう「青天の霹靂」というレベルではなく「冬の曇天がにわかに下がってきて頭上を圧する感じ」。目の前に黒々とした得体の知れないものが立ちはだかっているのを感じるぐらい。
でも「キリスト病」とは手厳しいけど、その辺りの話も面白かったです。桂子さんとしては、そんな病気にかかるような人間は大嫌いなんだけど、山田がそんな病気を発症するような人間だったと見抜けなかったのは、自分の落ち度でもあると考えてるんですね。そして桂子さんが受洗すると言う選択が考えられない以上、解決方法は離婚かもしくは山田が棄教するかしかないわけで... という所まで話がいってしまうのもびっくりなんですけど(笑)、それより常々「struggle」が嫌いだと公言している桂子さんがstruggleしてる! でもだからと言って、その葛藤に溺れてしまうなんてことは決してないし、子供たちに両親の不和を悟らせることもなく、あくまでも優雅な桂子さんなんですが。
まあ、今の日本ではキリスト教はすっかり落ち着いた存在になってると思うんですが、これを新興宗教に置き換えれば全てすんなり納得がいくことばかり。私も、自分の足できちんと立った上で宗教を心の拠り所にするのいいと思うんですけど、宗教に全面的に頼ろうとするのはちょっとね。自分は健康だからそういった宗教の世話になる必要がないと何度も繰り返す桂子さんですが、確かに彼女の心の健康さは大したものかも。彼女の精神はあくまでもしなやかで強靭で、相手に合わせて踊ることもできれば、それ自体を武器にすることもでき... どんなことが身の回りで起きても、あくまでも自然体。例えば桃花源記の中に出てきそうなお店に行った時も、今日は相手の決めた趣向に従うつもりでいたから、とまるで動じない桂子さんは、やっぱり大した女性です。(新潮文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon]
3月初め。両親と共に京都に着いた牧田桂子は、そこで両親と分かれて嵯峨野へと向かいます。両親は奥嵯峨の不昧庵へ。桂子は嵐山の西山草堂で宮沢耕一と約束していたのです。耕一は桂子の恋人。大学の先輩で、一足先に卒業した後、大阪の銀行で働いていました。しかし食事の後、2人で嵯峨野を歩いている時に桂子が見かけたのは、茶屋で床机に腰掛けて薄茶を飲む母と見知らぬ男性の姿。両親は揃って不昧庵でのお茶会に出ているはずなのですが...。そして耕一も、二尊院で母が中年の見知らぬ男と肩を寄せ合って階段を上っているのを見たと言います。
桂子さんシリーズ。先日読んだ「ポポイ」をうんと遡って、あそこではもう「祖母」という立場にいた桂子さんが、まだ大学生だった頃のお話。最初の場面は京都の嵐山なんですけど、西山草堂って!この間、私もお豆腐を食べに行ったお店じゃないですか。なんていうのに始まって、反応してしまう部分がいっぱい。桂子さんが卒論のテーマに選んだジェーン・オースティンにもいちいち反応してしまったし、横道に逸れることも多い読書となってしまいました。いえ、そういうのも楽しかったんですが!
いや、凄いですね。まるで満開の桜の花の下にいるような気分になる作品。とてもとても美しいのに、それでいてどこか不気味なものも潜んでいて... 作中でもこんな表現が。
花ざかりの下から振りあおぐと、この世のものとは思えない妖気の雲がたちこめていて、さびしさに首すじが冷たくなり、花の下にひとがいなければ、桂子は狂って鬼に変じそうであった。
もうぞくぞくとしてきてしまいます。
そして読み終わってみてまず最初の印象は、対比の多い作品だなあということ。美しいのに不気味さもある満開の桜、というのも既にそうだと思うんですが、他にも色々と。伝統的なものとこの作品が書かれた時代における斬新さとか、どこか平板に感じられる明るさと陰影に富んだ暗鬱さとか、死と生とか。...死と生というより、この場合は死と快楽かも。あとは桂子と他の女性の女としての対比とか、桂子と耕一のそれぞれの両親とか、最後にできる2組のカップルとか。なんて書いてたら、だんだん無理矢理な気もしてきちゃったんですが、そんな対比がいたるところにあって、でもそれらがお互いに溶け合ってもいて。物語の舞台としても、東京と京都。物語の始まりは、3月なのに「地の底まで冷え込んで木には花もなかった」という嵯峨野。そして終わりもまた嵯峨野。もっとも終わりの方では、2年前の嵯峨野に比べて「大気のなかにかすかながらも春の吐く息のような暖かさがこもっているのが感じられた」なんですが。常識では考えられない関係となってしまった後に、逆に明るさが見えてくるというのもすごい。
それにしても、「ポポイ」の桂子さんに至るまでには、まだ一波乱も二波乱もありそうですね。だってあそこの「お祖父さま」は... ねえ? 他の作品を読むのも楽しみです。
そして上にも書いたんですが、桂子が卒論に選んでいるのはジェーン・オースティン。「ジェーン・オースティンのユーモアについて」という題です。この大学は、やっぱり東大なんでしょうね。作中でしばしばジェーン・オースティンについての会話が登場するのも、私としてはとても興味深いところでした。特にこのくだり。
オースティンのは、何といっても女の小説ですね。女が手で編むレースのテーブルクロスとか、刺繍とか、そういう種類のものを、ことばを使って丹念に編み上げたのがオースティンの小説ではないかと思います。
ああ、なるほど... これは全くその通りだと思いますね。桂子さんの卒論、読んでみたいなあー。倉橋由美子さんも、きっとかなりお好きなんでしょうね。そういえば私、ジェーン・オースティンの長編では「ノーサンガー・アベイ」だけが未読のまま残ってるんだった。文庫になるのを待ってるんだけど、ならないのかな? 今度図書館で借りてこようっと。 (中公文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon]
近未来。生首を預かってもらえないか、と婚約者の佐伯に言われた舞は驚きます。それは数日前に、今でも政界で大きな影響力を持つ元首相である舞の祖父の所に乱入したテロリストの首。その晩、祖父が脳梗塞で倒れたため、祖父とテロリストとの密談の内容は不明であり、佐伯は生首を最新の医療技術で保存することによって何らかのことが探り出せないかと考えていました。舞が引き受けると、佐伯は早速生首を舞の元へと運びます。舞はその生首に「ポポイ」という名前をつけることに。
声明文を読み上げて切腹、といえばもちろん三島由紀夫なんですけど、首だけになった美少年と聞いて私がまず思い浮かべたのは「サロメ」。やっぱりこれは「サロメ」でしょう~。生首が舞の部屋にやって来た時に、舞が「私の予想ではそれは銀の盆に乗っているか青磁の水盤に活けてあるはずだったけれど」と思う部分があるのですけど、ここからしても明らかにそうですよね。サロメと舞の印象も、どこか似通ってる気がします。少女から大人の女になる、まさに境目の時期にある女性たち。少女の残酷さも大人の女のエロティックさも持ち合わせてて、男性は振り回されずにはいられない... というか。うーん、うまく表現できませんが。でも美少年の生首にポポイなんて名前をつけて、髭剃りをしたり男性用のパックをしたり、古代ローマ人風に髪型を整えたり、音楽を聞かせたりするなんて、悪趣味極まりないと思うんですけど、それが何とも言えない世界を作り上げていますね。本当はとてもおぞましい情景のはずなのに、この上なく美しくも感じられてしまうのが不思議。...そして読み終えた後に思い浮かべたのは、ボリス・ヴィアンの「日々の泡」でした。話そのものは全然違うんですけど、この作品の首が、あの睡蓮となんだか印象が重なってしまって。
倉橋由美子さんの小説を読むのは、実はこれが初めてなんですが、この作品の中ではそれほど重要ではない登場人物でも既にかなり造形が出来上がってるんですねー。不思議に思って調べてみたら、舞の祖母・桂子を中心とするシリーズがあるようで。彗のことなんかもすごく気になるので、ぜひ他の作品も読んでみたいなあ。(新潮文庫)
+桂子さんシリーズの感想+
「ポポイ」倉橋由美子
「夢の浮橋」倉橋由美子
「城の中の城」倉橋由美子
「交歓」倉橋由美子
「夢の通い路」倉橋由美子
「よもつひらさか往還」倉橋由美子
+既読の倉橋由美子作品の感想+
「偏愛文学館」倉橋由美子
[amazon]
大正時代の歌人であり、松村みね子名義で戦前のアイルランド文学の翻訳をしていた片山廣子さんのエッセイ。
以前フィオナ・マクラウドの「かなしき女王 ケルト幻想作品集」でこの方の文章に触れて、もっと読んでみたいと思ってたんですよねえ。その「かなしき女王」は現代の日本語となってしまってるんですが、こちらの「新編 燈火節」は本来の旧字・旧仮名遣いのまま。
ミッション系の東洋英和女学院を卒業後、歌人・佐佐木信綱に師事し、独身時代は深窓の令嬢、結婚後は良妻賢母の鏡のような令夫人と謳われたという片山廣子さん。ここに描かれていくのは、少女時代の暮らしぶりや結婚してからの日々のこと、短歌のこと、そしてアイルランド文学のこと。戦争を挟んでいるので、時にはかなり苦しい暮らしぶりが伺えるのですが、生来の上品さを失わずに持ち続けているのが印象に残ります。その文章の静謐さ、凛とした姿勢、そして歌人ならではの柔らかな感性がとても素敵。この感覚は、須賀敦子さんの文章を読んだ時に感じるものに近いかも。
昔の短歌の方が色が柔らかかったこととか、お好きなアイルランド文学に関してとか、色々と印象に残る文章がありましたが、その中でも私が特に惹かれたのはアーサー王伝説について語る「北極星」の章。大王ペンドラゴンのひとり子の金髪の少年「スノーバアド(雪鳥)」が山の静寂の中で天の使命を受け、「スノーバアド」から「アースアール(大いなる熊)」になったと宣言、「アーサア」と呼ばれるようになったという物語。このアーサーが天上の夢を見る場面がこの上なく美しいのです。松村みね子訳のアーサー王伝説というのも読んでみたかったなあ。その時はぜひとも旧字・旧仮名遣いで。そして旧字・旧仮名遣いといえば、フィオナ・マクラウドの訳も原文のままが読んでみたい...。松村みね子名義で訳されてるシングの「アラン島」や「ダンセイニ戯曲集」はまだ読んでないんですけど、こちらはどうなのかしら? 今度ぜひ読んでみようと思います。(月曜社)
+既読の片山廣子翻訳作品の感想+
「かなしき女王 ケルト幻想作品集」フィオナ・マクラウド
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング
[amazon]
百貨店の寝具売場に勤めながら百科事典の執筆に勤しみ、最近<ロンリー・ハーツ読書倶楽部>に讃歌した「小さな男」。そしてラジオのパーソナリティで、最近日曜の深夜1時からの2時間の生番組に抜擢されたばかりの34歳の静香。そんな2人のそれぞれの物語。
「小さな男」と静香の2人の小さなエピソードが沢山積み重なってできている物語。この2人、仕事も行動範囲も全然違うし、一見何も接点もないんですよね。もちろん物語なんで、どこかでクロスするんだろうなと思いながら読むわけだし、序盤で早速「ミヤトウ」さんが接点だと分かることになるんですけど、でもそうそうストレートに繋がっていくわけではありません。もっと小さいところから、少しずつ少しずつ、ゆるやかに重なっていく感じ。シンクロしているといえばしているし、気がつかなければ気がつかない程度。そのゆるゆる感が素敵。
印象に残ったのはこの言葉。
結局、いちばん残しておきたいものはいつでもこうしてこぼれ落ちてゆく。人の記憶なんてそんなものだ。(中略) 代わりに、どうでもいいことばかりが克明に記録されてゆく。
この言葉ね、本の感想を書くのも一緒だなーと思って。でも、確かに私もどうでもいいことばかり克明に記録してるんですけど、後で見たらちゃんとその時のことが思い出せるんです。だから、それはそれでいいような気もしてます。
あと私が気に入ったのは、古書店ならぬ古詩集屋の午睡屋。ここの店長は、昭和30年代の時刻表や「熱帯果実図鑑」「卓上灯製作の実際」といった本を「詩集です」と断言しつつ、「つまり、いったい何が詩で、何が詩ではないか、という根源的な問題に関わっているのです」なんて澄ました顔で説明しちゃう白影くん。彼に言わせれば、詩集とは静かな声を閉じ込めたもので、詩集屋というのは静かな声を売る店なんですって。そういう風に考えるのも、なんだかとっても素敵ですね。 (マガジンハウス)
+既読の吉田篤弘作品の感想+
「百鼠」吉田篤弘
「78」「十字路のあるところ」吉田篤弘
「という、はなし」吉田篤弘
「空ばかり見ていた」吉田篤弘
「それからはスープのことばかり考えて暮らした」吉田篤弘
「小さな男*静かな声」吉田篤弘
(Livreに「フィンガーボウルの話のつづき」「つむじ風食堂の夜」「針がとぶ」の感想があります)
+既読のクラフト・エヴィング商會の感想+
「アナ・トレントの鞄」クラフト・エヴィング商會
「犬」「猫」クラフト・エヴィング商會プレゼンツ
(Livreに、これ以前の全作品の感想があります)
[amazon]
「私」が感じたのは、ただならぬ水の気配。花冷えがする夜更けだというのに、何者かが川を泳いで渡ろうとしているのです。それは八重子だと直感的に感じる「私」。八重子がとうとう「私」の居場所を突き止めた...。相変わらず溌剌としている八重子に今の自分の姿を見せたくない「私」は、全財産を素早く隠して家を出ます。しかしその晩に限ってやけに体が軽く、じきに逃げようという気が失せ、川べりで八重子を待ち構えることに。そこに現れたのは1匹の大きな海亀でした。それは生と死の間を自由に行き来すると言われる伝説の海亀。「私」は既に死者となっていたのです...。
死者となった「私」が忘れじ川のほとりの草葉町に戻り、八重子や他の家族たちを見つめていく物語。1行の文章(詩?)と、数行の文章が交互に配置されていて、その定期的に現れるその1行の詩のような文章が、ぽつりぽつりと落ちてくる雫のように感じられて、とても印象に残ります。
死者となった「私」は様々な場面を見ることになります。今現在、そしてかつての草葉町の情景が鮮やかに浮かび上がってきて、「私」に何があったのかも徐々に明らかに...。生前の「私」が犯した罪は、やくざな弟に「こんなおれでもそこまで墜ちやしないぞ」と言わせるようなものだし、最初はそんな罪を犯した自分の不甲斐なさばかりが頭にある「私」なんですが、死者となった目で改めて家族の姿を見つめなおしていくうちに、それが自分なりの人生だった、自分らしい生き様だったと受け入れることができるようになるんですね。
去年の暮れに「水の女」というテーマでいくつか本を読んだんですが、この作品の「水」が、その時に読んだ「ペレアスとメリザンド」にものすごく重なりました。話としてはタイプが全然違うのに不思議なんですが。でも全てを受け入れる「水」という意味では同じような気がします。「ペレアスとメリザンド」のメリザンドは、その存在自体が「水」そのもの。そんなことを考えてると、この作品の八重子もまたメリザンドだったような気がしてきます。ああ、八重子もまた。いや、八重子だけではなかったのかしら。なんて思考の中の水に溺れそうになってますが、やっぱり絶えず流れ続ける水は人間の生そのものですね。ここに登場するのは正直あまりいい家族とは言えないけれど、それでも水は何もかもを同じように受け入れてくれるんだなあ。(求龍堂)
+既読の丸山健二作品の感想+
「荒野の庭」丸山健二
「水の家族」丸山健二
[amazon] [amazon]
13巻は「寄生」「東屋」「浮舟1」、12巻は「浮舟2」「蜻蛉」「手習」「夢浮橋」。
とうとう最後の2冊を読んでしまいました。全14巻読了ー!!
12巻を読んでからちょっと合間があいてしまったんですけど、それが逆に良かったかも。10巻で源氏の君が亡くなってから11巻を読んだ時は、まだちょっと違和感があったんですけど、今回は純粋に楽しめました。いやあ、面白かった! どちらかといえば、やっぱり源氏の君が生きてた時の、思考のぶっ飛びっぷりが好きだったんですけどね。それでも薫と匂宮の話になってからこんなに楽しめたのは初めてかも。薫と匂宮も、この2人を巡る女性たちもどうしても好きになれないので、いつも「雲隠」以降は単なるオマケ状態になってたので...。今回別に好きになれたというわけではないんですが(笑)、いつもよりはもうちょっと近い位置で読めたような気がします。
今回ちょっと面白かったのは、浮舟のお母さんが身分とか幸せとかについて考えていたところ。でも読み終わった後で探しても出てこない... おっと思ったところが2箇所あったんだけどなあ。やっぱり読んでる途中で付箋をつけて置かなくちゃダメですね。って毎回思うんだけど、忘れてしまうのでした。ダメだなあ。>私
オススメして下さった、ちょろいもさん、ありがとう! いや、もうほんと楽しかったです。読んで良かった♪(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon]
11 巻は「雲隠」「匂宮」「紅梅」「竹河」「橋姫」、12巻は「椎本」「総角」「早蕨」。
源氏の君が亡くなってしまい、この巻からは紫式部の語りとなります。源氏の君から紫式部への交代は「雲隠」の帖の最初で行われるんですけど、ここがなんだかSFちっく。どことなく筒井康隆「エディプスの恋人」を思い出しました。(えっ、全然違う?) そしてここで語られるのは紫式部の現実。夫となった藤原宣孝のこと、若き源氏の君のような藤原伊周のこと、壮年の源氏の君のような藤原道長のこと。まさに藤壺の中宮のような中宮定子のこと、紫式部が仕えることになった中宮彰子のこと。1000年前の女性のこととは思えないほど身近な造形。
源氏の君の一人語りがなくなったのも寂しいし(やっぱりこれが面白かったのよね)、薫と匂宮はイマイチ役不足... この2人、源氏の君と頭の中将みたいな感じとはちょっと違いますしねえ。源氏の君と頭の中将にはやっぱり華があったわ! というより、薫と匂宮の周囲の女性陣に華が足りないのかな~? なんて文句を言いつつも、他の現代語訳に比べると遥かにきちんと読んでる私なのですが。すっかり大きくなってしまった明石中宮とか玉蔓とか、お馴染みの人もちらっと出てくるのが嬉しいです。(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon]
9 巻は「若菜 下」「柏木」、10巻は「横笛」「鈴虫」「夕霧」「御法」「幻」。
この10巻で、とうとう源氏の君が主人公となっている部分はおしまいです。「御法」で紫の上を失った源氏の君は「幻」の章を経て「雲隠」へ...。
源氏の君って「恋多き男性」と言われる割に、つくづく女運は良くない人ですね。源氏の君が自分から追う女性は、みんな出家をしてしまったり亡くなったり。もういいと思っている女性に限って執拗に追ってきたり。紫の上までもが出家したがるんだものなー。まあ、それも源氏の君の自業自得だと思いますけどね。紫の上1人に愛されていただけで十分幸せなはずなのに、ないものねだりばかりするんですもん。紫の上ももう疲れてしまったのでしょう。彼女には「本当にお疲れさまでした」と声をかけたくなってしまいます。(9巻の柏木と女三の宮の辺りもかなり盛り上がったのだけど、気分はすっかり10巻後半の切々とした感じになっちゃってます)
やっぱり源氏の君よりも、私は頭の中将(この時点では致仕太政大臣)の方が好きだったわー。ちょっと大雑把な感じもするけど、憎めない人柄だし。
さて、残すは薫の君が中心となる第3部の4冊のみです。(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon]
7巻は「胡蝶」「蛍」「常夏」「篝火」「野分」「行幸」「藤袴」、8巻は「真木柱」「梅枝」「藤裏葉」「若菜 上」。
「胡蝶」で描かれる春の町の美しさ艶やかさにうっとりしてたら、玉蔓に言い寄ろうとする源氏の浅ましさにがっくり。「常夏」で登場した近江の君の言葉遣いに目が点になってたら、夕霧が紫の上を垣間見てしまってどきどき。
まあ、本筋の通りの流れだと言えばそれまでなんですけど、でもやっぱり気を逸らさないところはさすがですね。
でもでも、玉蔓とのやり取りで見せる源氏の君のあの中年オヤジっぷりはいやーん。いくら外見が美しくてセンスが良くても、こんな鬱陶しい人が身の回りにいなくて良かったわ! なんて思ってみたり。や、もしいたとしても、私が当事者になることはあり得ないんだけど...(笑) ま、本で読んでる分には面白がっていられる範囲内なので、玉蔓にはお気の毒と思いつつ、源氏の君が悶々としてるのを「いい気味だー」とか思ってしまいます。ま、玉蔓自身あんまりきちんと意思表示をする人じゃないから、自業自得かもしれないけど。
あと、これは玉蔓と違って、どうしても気の毒なのが花散里。私、花散里って結構好きなんだけどなー。そもそも人物紹介で「源氏からはほとんど飼い殺しに近い扱いを受け、ただ息子の"夕霧"と玉蔓の世話に日を送るしかなくなっている魅力を失った女」と書かれてるのが悲しい。これはちょっと酷すぎやしませんか。あ、気の毒といえば、末摘花の姫も相当気の毒なんですけど... でもこの人の場合、「唐衣」にはやっぱり笑ってしまうわ!(笑)
「窯変」を読み終わったら、また円地文子訳の続きに戻ろうとは思ってるのだけど... その時はきっともっときちんと読めるだろうと思ってたんだけど... ここまで豊かに描きこまれた源氏物語を一度読んでしまったら、他のがすっかり色褪せてしまいそうで不安。丁度マリオン・ジマー・ブラッドリーの「アヴァロンの霧」を読んだ後は、マロリーの「アーサー王の死」がまるで記事でも読んでるような気がしてしまったように。うーん、ありそうだ...。(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon] [amazon]
4巻は「花散里」「須磨」「明石」「澪標」、5巻は「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」、6巻は「朝顔」「乙女」「玉鬘」「初音」。
一週間ぶりの「窯変」です。いやあ、今回も面白かった。今回は前回みたいな波はなくて、コンスタントにどれも面白かったな。特に楽しんだのは「須磨」「明石」「松風」... って、明石の女(ひと)が出てくるのばっかりだ。そういえば以前源氏物語を読んだ時は確か紫の上が好きだったと思うんですが、今回読んでて好きだと気付いたのは明石の女なんですよね。この「窯変」だけじゃなくて、与謝野晶子版でも円地文子版でも。...あ、源氏物語占いというのもあるんですよね。私は紫の上です。嬉しいけど、ちょっとおこがましい気も... 占いサイトはコチラ。私の環境だと、結果が文字化けしてしまうのだけど。
あと楽しんだのは「絵合」。源氏の君側と頭の中将(この頃は権中納言ですが)側に分かれての絵合わせの場面がとても好き。そして「乙女」の章。この章は長すぎるぐらい長いし、雲居の雁と夕霧の話はもういいよって感じだったんですが、この章最後の春夏秋冬の町に分かれている六条の院の描写がとても素敵なんです。「玉蔓」の章の源氏の君がそれぞれの女性に衣装を選ぶ場面とそれに続く「初音」も。ああ、雅だなあ。今の時代ではなかなか味わえないような贅沢ですよね。元々の源氏物語にある場面とはいえ、こんなに豊かに美しく描き出してしまうとは、橋本治さん、何者?!(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon] [amazon]
1巻は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」、2巻は「若紫」「末摘花」「紅葉賀」、3巻は「花宴」「葵」「賢木」。
1991年から1993年にかけて全14巻で刊行されたもの。源氏の君の視点で書かれていることもあって、かーなり大胆な翻案作品となっています。ちょろいもさんのオススメです♪
先日、与謝野晶子訳を読んだ時は、紫式部の思考回路って男だなーと思ったんですが、円地文子訳を読んだ時、その印象がちょっと薄れたんですよね。やっぱりあのさっぱりした与謝野晶子訳と、しっとりした円地文子訳の文章の違いでしょうか。そしてこの「窯変」を読んでみると、また印象が違う...! 書き手の橋本治さんは男性だし、源氏の君という男性の視点から書かれているにもかかわらず、どこかものすごく女性的なものを感じてしまうんです。なんでだろう。ほんとこれでもかこれでもかって勢いで源氏の君が1人で語ってるのに。
それにしても、ほんと今まで読んだ源氏物語と全然違っていて、それはもうびっくりしてしまうほどです。話の大筋は一緒なのに、同じ人と出会い、同じ出来事が起きてるのに、もうまるで違う橋本ワールド。...ものすごい曲解?(笑)ってとこもあるんですけどね。その強引とも言える話の流れが、強引なりにきちんと流れていくのがすごい。
ただ、全体的にすごく面白いんだけど、面白さにも波があるみたい。読み始めは「うわー、うわー、面白い!」で「桐壺」最後までテンションが高いまま。「帚木」は、それほど... で、「空蝉」は面白いんだけど、ちょっと落ち着いた感じ。と、章によって少し波がありました。基本的に面白いんですけどね。まあ、元々「帚木」はそれほど好きな章ではないから仕方ないのかも。それと、そもそもこの「窯変」の面白さは、世の中を斜めに見てる源氏の君の一人語りにあるとと思うんですが、同じように語っていても、話題によってちょっと違うのかもしれませんね。そのものズバリ女の話よりも、それに絡めて発展させた話の方が、私は楽しめるみたい。
それにしても橋本治さん、きっとものすごい知識量なんでしょうね。その上でさらりと書いてるって感じがします。本来注釈になりそうなことも全て本文の中に織り込まれてるんですが、この詳細な描写のおかげで、宮中での諸々のことや当時の風俗・習慣についてなど、ものすごく分かりやすいです。いや、これだけ書き込んでたら、長くもなりますよね。3冊読んでもようやく藤壺の宮が出家するところまでですもん。でも、長いけどこれは全14巻読みますよー。4巻以降は未入手なので、時間はかかりそうですが。
生れ落ちた時から全てを手にしていたように見える源氏。本人も周囲もそう思っていたんでしょうけど... でもその手の中には実は何もなかったのね。(中公文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon] [amazon]
1巻は「桐壺」「帚木」「空蝉」「夕顔」「若紫」「末摘花」「紅葉賀」「花宴」「葵」
2巻は「賢木」「花散里」「須磨」「明石」「澪標」「蓬生」「関屋」「絵合」「松風」「薄雲」「槿」
先日与謝野晶子訳を読んだ「源氏物語」なんですが、今度は谷崎源氏が読みたいとかいいつつ、円地文子訳を読み始めてしまいましたー。これは森山さんが読まれて、とても面白かったと仰っていたもの。ちょろいもさんオススメの橋本治「窯変 源氏物語」にしてみようかなとも思ったんですが、こちらは全14巻と長いし、かなり大胆な翻案作品になっているようですしね。この2冊を読んでからにしようと思ったわけです。円地文子訳はしばらく入手できない状態になっていたのが先月から再版し始めたもの。まだ1巻と2巻しか出てません。全6巻の予定。
与謝野晶子訳に比べると、しっとりふっくらと女らしい文章。こうして比べてみると、与謝野晶子訳がかなりさっぱりとした文章だったことが分かりますねー。そして同じ章を読み比べてみると、円地文子さんの方がずいぶん長い! えっ、与謝野晶子訳にこんなのあったっけ?という部分もありました。ところどころで創作が入ってるというのはこういうことだったのか。いや、私は原文を読んだわけではないので、与謝野晶子訳では省略されてる部分というのもあるのかもしれませんが~。私としては基本的に忠実な訳の方が好ましんですけど(そうでなければ、思いっきり翻案か)、でも創作が入ってるおかげで与謝野晶子訳では唐突に思えた展開が柔らかくつながって読みやすくなっていたりしますね。さっぱりとした文章で読みたくなるような部分もあるんですけどね。(新潮文庫)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon]
先日吉岡幸雄さんの「日本の色辞典」(感想)を読んだ時に、改めて読みたいと思っていた「源氏物語」。古典中の古典だけあって、本当にいろんな方が書いてらっしゃるんですよね。私も漫画を含めていくつか手にしたことはあるんですが、最後まで読んだものがあるかどうか...。改めて調べてみると色んなのがあって、どの版にするか迷ってしまいましたよー。今回読みたいなと思ったのは、翻案作品ではなくなるべく原典に近いもの。となると与謝野晶子訳か谷崎潤一郎訳か... はたまた円地文子訳というのも気になるし、玉上琢彌訳というのはどうなんだろう? 一番みやびな日本語になってるのは谷崎潤一郎訳かもしれないな... でも歌人の与謝野晶子の訳というのも捨てがたいし... 円地文子も評判いいみたいだし... などなど激しく迷いつつ、結局与謝野晶子訳を選んでみました。
結果的に、与謝野晶子訳はとても読みやすかったです。昭和13年の現代語訳だから適度に風情もありますしね。和歌の解釈がないんですけど、これも雰囲気で読めちゃう。でも源氏が生きている間の話は面白く読んだんですが、「宇治十帖」に入ってからは集中力が途切れてしまって... ちょっと斜め読みになっちゃいました。(^^ゞ
そして「まろ、ん?」は「大掴源氏物語」という副題の通りの本。源氏物語のそれぞれの1帖を長いものも短いものも見開き2ページの8コマ漫画にしてしまっていて、これ1冊で源氏物語の概要が分かってしまうというスゴイ本です。(笑) これは以前にも読んでいるので再読。
源氏系は栗顔(まろ→まろん→栗)、頭中将系は豆顔になってるので人間関係も掴みやすいし、登場人物系図や主な官位表もその都度登場するので、ほんと分かりやすいんです。それに小泉吉宏さん、概略を書くのが上手いし~。与謝野晶子訳を読みながら自分がちゃんと理解できてるか、こちらの本で復習しつつ読んだのでした。
「まろ、ん?」で一番「おおっ」と思うのはこの部分。
秘め事が知れたら恋人や妻を苦しめるというのに それを告白することが誠実なことだと思っている人がいる。だがそれは自分の罪悪感から解放されたいと思っているだけだ。つまり甘えているだけである。
こういうところを読むと、そうだ「ブッタとシッタカブッタ」やなんかを書いてる人だったんだわーって改めて思い出します。(笑)
今度は谷崎源氏を読んでみたいな。(角川ソフィア文庫、幻冬舎)
+既読の「源氏物語」の感想+
「源氏物語」+「まろ、ん?」小泉吉宏(与謝野晶子訳)
「源氏物語」1・2 円地文子訳
「窯変 源氏物語」1~3 橋本治
「窯変 源氏物語」4~6 橋本治
「窯変 源氏物語」7・8 橋本治
「窯変 源氏物語」9・10 橋本治
「窯変 源氏物語」11・12 橋本治
「窯変 源氏物語」13・14 橋本治
+既読の「源氏物語」関連作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール(雲隠)
「源氏供養」上下 橋本治
「輝く日の宮」丸谷才一
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編
[amazon]
196x年秋の夜更け。権田原から外苑の並木道にそって車を走らせていた男は、行く手のヘッドライトの明るみの中におぼろなすがたが浮かび上がるのを見かけます。それはスウェーターもスラックスも白ずくめの小さな後ろ姿。そしてその姿は宙に浮かんでいたのです。濃い霧のために一瞬でその姿を見失い悔やむ男。しかしその時、その白ずくめの姿をした女が、男の車に乗り込んできたのです。
不思議な女の語る不思議な物語。でもすごく自伝的な作品なんですね。人妻だという彼女が語るかつての「主人」との話は、矢川澄子さんが結婚していた澁澤龍彦氏のことに重なります。私はこのご夫婦のことについては全くといっていいほど知らないんですけど、それでも読み始めてすぐにピンと来たほど。夫婦のやりとりの1つ1つに納得してしまう...。その中でも特に分かる気がしたのは、「主人」が子供を欲しがらないというくだりですね。子供に妻を奪られないために、妻をひとり占めしておくために、「いっそのこと、ぼくが子供になってしまおう。」と言う「主人」。時には夫と妻、時には子と母、そして時には兄と妹を演じながら、幸せな「おうちごっこ」に明け暮れる夫婦。そしてそんな生活に徐々に疑問を感じるようになりつつも、「主人」のことが好きで堪らなかったという「妻」の思い。
この作品に登場する人妻の女、そして「神さま」と1つの家に住んでいる兎は、明らかに矢川澄子さんご本人。「かぐや姫」についてのノートを書いたのは誰なのでしょう。それも矢川澄子さん? そしてそのノートの中で考察されている「かぐや姫」と、オデュッセウスの妻・ペネロペイアもまた矢川澄子さんなのでしょうか。入れ子構造になっているだけでなくて、捩れて螺旋になっているような物語なんですが、ただ伝わってくるのは、「女」である矢川澄子さんの思い。あまりに正直な気持ちの発露に、読んでいるこちらまで痛くなってしまいます...。(ちくま文庫)
+既読の矢川澄子作品の感想+
「わたしのメルヘン散歩」矢川澄子
「兎とよばれた女」矢川澄子
+既読の矢川澄子翻訳作品の感想+
「七つの人形の恋物語」「スノーグース」ポール・ギャリコ
「トンデモネズミ大活躍」「ほんものの魔法使」ポール・ギャリコ
「小鳥たち」アナイス・ニン
「フィオリモンド姫の首かざり」ド・モーガン
「風の妖精たち」「針さしの物語」ド・モーガン
「ザ・ロンリー」ポール・ギャリコ
「「きよしこの夜」が生まれた日」ポール・ギャリコ
「ゴッケル物語」クレメンス・ブレンターノ
「妖精の国で」W.アリンガム&リチャード・ドイル
「クリスチナ・ロセッティ詩抄」クリスチナ・ロセッティ
「タイコたたきの夢」ライナー・チムニク
[amazon]
ウンベルト・サバ、ジュゼッペ・ウンガレッティ、エウジェニオ・モンターレ、ディーノ・カンパーナ、サルヴァトーレ・クワジーモドという20世紀を代表する現代イタリアの5人の詩人たちについて書いた「イタリアの詩人たち」、そして須賀敦子さんによる翻訳で、「ウンベルト・サバ詩集」「ミケランジェロの詩と手紙」「歌曲のためのナポリ詩集」。
「須賀敦子全集」のほとんどがエッセイだったんですが、この第5巻は須賀敦子さんによる翻訳が中心。最初の「イタリアの詩人たち」こそ現代詩人たちの紹介と批評になってるんですが、それ以降は全て翻訳です。でも読んでいて、これこそが須賀敦子文学の原点なんだなあという感じでした。やっぱりイタリアの文学、特に詩を愛していたからこそ、エッセイのあの文章が生まれてきたんでしょうね。
そして「イタリアの詩人たち」は、特に須賀敦子さんの核心に迫る部分なのではないでしょうか。5人の詩人たちの作品とその魅力が、それぞれに美しく透明感のある、1人1人の詩人に相応しい言葉で翻訳されていきます。私はあまり詩心がないんですけど、それでもやっぱり須賀敦子さんの言葉は沁みいってくるものがありますねえ。声に出して朗読してみたくなります。そして私が特に気に入ったのは、精神分裂症のために放浪と病院生活を繰り返しながら散文詩を書いていたというディーノ・カンパーナの作品。散文なので分かりやすいという部分もあるんですけど、とにかく美しい! 須賀敦子さんも書いてますが、狂気の中に生きていたからこそ純粋に詩の世界を追求することができたというのは、やはり詩人として幸せなことだったのでしょうね。もっと色んな作品を読んでみたいな。(河出文庫)
+シリーズ既刊の感想+
「須賀敦子全集1」須賀敦子
「須賀敦子全集2」須賀敦子
「須賀敦子全集3」須賀敦子
「須賀敦子全集4」須賀敦子
「須賀敦子全集5」須賀敦子
「須賀敦子全集6」須賀敦子
「須賀敦子全集7」須賀敦子
「須賀敦子全集8」須賀敦子
+既読の須賀敦子作品の感想+
「トリエステの坂道」須賀敦子
「本に読まれて」須賀敦子
「ヴェネツィアの宿」「コルシア書店の仲間たち」須賀敦子
「こうちゃん」須賀敦子・酒井駒子
+既読の須賀敦子翻訳作品の感想+
「インド夜想曲」アントニオ・タブッキ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「ある家族の会話」ナタリア・ギンズブルグ