Catégories:“文学(翻訳)”

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小さな町のラテン語学校に通っていた10歳の頃。シンクレールが近所の少年2人とうろついているところにやって来たのは、普通の小学校に行っている13歳ぐらいの強く荒っぽい少年・フランツ・クローマー。クローマーはシンクレールたちを手下のように扱い、クローマーを恐れていたシンクレールも内心面白くないながらも、それに従うことに。そして自分の身なりやしつけの良さが彼らの反感をそそっているのを感じたシンクレールは大げさな泥棒の話を作りだして語り、それが天地店名にかけて本当のことだと誓ってしまうのです。そしてその日からシンクレールはクローマーに脅されることになるのですが...。

感想はのちほど。(新潮文庫)


+既読のヘルマン・ヘッセ作品の感想+
「メルヒェン」ヘルマン・ヘッセ
「デミアン」ヘルマン・ヘッセ

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モストアッケル通りに住むある若い未亡人に子供が生まれ、かねてから挨拶を交わしていた、隣人のビンスワンゲルさんが名づけ親となります。そして1つの願い事を言うようにと言われた未亡人は、みんながわが子を愛さずにはいられないようにということを願うのですが... という「アウグスツス」他、全9編の短篇集。

ヘッセによる創作童話集。童話とは言ってもグリムやペローのようなものではなくて、どちらかといえばトルストイのような雰囲気。でも民話を膨らませたトルストイとは違って、こちらは純然たる創作です。そして童話とは言っても子供向けではなくて、むしろ青少年から大人向けの深みのある物語ですね。どれもすごく良かった~。ヘッセは「車輪の下」を読んだことがある程度なんですが、それも全然覚えてなくて...。改めて、色々と読んでみたくなりました。

特に良かったのは、やっぱり表題作の「アウグスツス」かな。これは「愛されること」の意味を考えさせられます。若い母親は「愛されること」こそが一番の幸福と考えて、息子のためにそれを願ったわけなんですが... 「愛されること」は、確かにすごく幸せなことですよね。誰だって他人は好かれたいはず。少なくとも嫌われたいとは思ってないはず。でも「愛されること」は、確かに幸せの1つではあるものの、それは一番良いことというわけではなくて...。1人の人間が日々生活し、様々な感情や行動を積み重ねてこその「愛されること」なんですね。ただ「愛される」だけではダメ。もちろん、他の人間が同じことを願ったとしても、同じ結末を迎えるとは限らないのですが。これを読んで、設定も展開も結末も全然違うんですが、オスカー・ワイルドの「ドリアン・グレイの肖像」を思い出しました。
あと私が好きだったのは「別な星の奇妙なたより」かなあ。これは、ユートピアとも言える美しい村が雷雨と大水と地震によって破壊され、死者のための花もなくなってしまったため、1人の若者が王様に花をもらいに行くことになるという話。この村には悲しみや憎しみ、嫉妬や殺人といった悪は存在しないので、若者もそういうのをおとぎ話で読んだことがあるだけなんです。でも王都への旅の途中に生々しい戦争を目の当たりにして...。この辺りは、やっぱり第一次大戦中に書かれたということなんだろうな。この作品もそうなんですけど、陰惨さと苦しさ、そして幻想的なまでに美しい情景が対照的な作品、主人公も絶望に打ちのめされたかと思えば歓喜に打ち震えることになって、極端から極端へ走るというのが多かったかも。ヘッセ自身も、感情の振れ幅の大きな人だったのかしら。そしてこれまた全編通して感じられるのは、母の大きな存在。ヘッセ自身、心の奥底で母親を求め続けていたんでしょうね。
訳者解説に「小つぶではあるが、最もヘッセらしい物語を集めている」とある通り、物語の1つ1つは小粒かもしれないんですが、乾いた心に沁み込んでくるような繊細で美しい物語ばかり。でもヘッセ自身は、「詩人」のハン・フォークのように、自分自身の言葉を切望して、探し求め続けていたんでしょうね。「詩人」では、言葉は最終的に音楽にとって代わられることになるんですが... ヘッセの中ではどうだったのかしら? (新潮文庫)

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レア・ド・ロンヴァル49歳。金に困らない裏社交界(ドウミ・モンド=高級娼婦の世界)の女として生きてきた彼女と、いまや25歳の美しいシェリは6年も続いている関係。しかしそのシェリが18歳のエドメと結婚することになって...。

魅力的な年上の女性と美しい青年の恋。フランスの文学には、そういう設定が多いですよね。でもその1つ1つの作品が、それぞれにまるで違う表情を見せているような気がするのは、さすがおフランスといったところでしょうか。恋愛物には年季が入ってますものね。(笑)
49歳のレアと25歳のシェリ。2人の関係は6年続いているので、始まったのはレアが43歳、シェリが19歳の時ですね。女性の43歳から49歳って、結構変化が激しいような気がするなあ...。それでもずっと一緒にいれば、その変化もごくなだらかなものなんでしょうけど、シェリが結婚してしまって、レアがシェリと距離を置くことになるのが、結果的にすごく大きかったような気がしますー。シェリの母親もレアと同じく高級娼婦だったし、娼婦相手に遊びたおしてるシェリの女性を見る目は相当肥えてて、そんなシェリの目から見れば、若く美しいながらもまだまだ子供っぽいエドメの魅力は、レアに遠く及ぶものではなかったはずなんですが...。これから年老いていくレアと、これから花開いていくエドメ。
年を重ねて尚美しいレアも、絶世の美青年ながらもまだまだ子供っぽく我儘坊やといった風情のシェリもどちらも魅力的。でも、今はまだ可愛いお人形さんみたいなエドメも、これからどんどん魅力的になっていきそうな予感。でも結局のところは、レアが自分の気持ちに負けてしまっていたんだろうなあ...。
本当は違う結末を読みたかったところなんですが、でもこの作品には生半可な同情は似合わないでしょうね。この息詰まるような結末こそが、やっぱりこの作品の一番の魅力だったような気がします。ああもう本当に、切なくて美しくて残酷なお話でしたー。やっぱりフランスだな。 (岩波文庫)

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へレスポントス海峡を挟んで向かい合うセストスとアビュドスの町。アビュドスに住む青年・レアンドロスは、セストスにある古い塔に住む、愛と美の女神・アプロディテ祭祀の美しい巫女・ヘーローと許されざる恋に落ちてしまいます。そして毎晩ヘーローが掲げる炬火の明かりを頼りに海峡を泳いで渡り、忍び逢うのですが、ある冬の嵐の晩、炬火の火は風に吹き消され、方向を見失ったレアンドロスも力尽きて溺れてしまうのです。そして翌朝、浜辺に打ち上げられたレアンドロスの亡骸を見たヘーローは塔から身を躍らせて自殺... というギリシャ神話の物語を元にした作品。

感想はのちほど。(東京創元社)

+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

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実在しない書物の書評を書くという試みは、例えばホルヘ・ルイス・ボルヘスの「伝奇集」初秋の「ハーバート・クウェインの作品の検討」にも見られるもの。そのアイディア自体はラブレー、そしてそれ以前の昔にまで遡ります。しかし「完全な真空」が一風変わっているのは、そういった書評集だけを集めたアンソロジーを目指している点なのです... という、架空の本に対する書評を集めた本。

スタニスワフ・レムの作品を読むのは初めて。SFは苦手だし、あまり読む機会はないかなと思ってたんですが、ボルヘスの「伝奇集」(感想)を読んだ時に、これが楽しめたらぜひレムを、とオススメいただいたので読んでみました。いや、難しかった。古典文学からSFまでなんて幅広い! どんな知性の持ち主なんでしょう、レムという人は。これは私には全部は理解しきれないよ... 知力はもちろん、そこまでの読解力もまだ身についてないです。でも面白かった!
ええと、真空というのは、物質が何も存在しないという状態。なので「完全な真空」というのは、まったくの空っぽということですね。確かに存在してない本に関する書評を書くというのは砂上の楼閣のようなものだし、「完全な真空」と言えるのかも。でもこれのどこが「からっぽ」? いや、確かに「からっぽ」なんだけど。(笑)

まず面白いのは、この「完全な真空」という本そのものも、レム自身によって書評が書かれているということ。これがちょうど序文のように読めるんですけど、こういう構造(こういうのをメタって言うんですかね?)がものすごくソソるんですよねえ。そして他の書評が15冊分。その中には架空のノーベル賞授賞式での演説原稿なんかも混ざってるので、全部が全部書評というわけじゃないんですが。
私が一番好きだったのは「ギガメシュ」。これは、パトリック・ハナハンという作家が、同郷人であるジェイムズ・ジョイスの「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」に対抗するかのように書いたという作品... 「オデュッセイア」は結局のところ古代バビロニアの叙事詩「ギルガメシュ」の剽窃に過ぎないと主張するハナハンは、自分なりの「ギルガメシュ」を「ギガメシュ」として書いたというんですね。ここで説明されているのは、なぜ「ギルガメシュ(GILGAMESH)」から「L」の文字を落として「ギガメシュ(GIGAMESH)」という題名とされたのか(「L」は「Lucipherus」「Lucifer」を表す... 存在はしているのだけれど目には見えない)ということに始まって、言葉遊びのオンパレード。でも単なる言葉遊びと侮るなかれ。これがもう、どこまで広がりを見せるのかと思っちゃうようなもので、すんごいツボです。「ユリシーズ」や「フィネガンズ・ウェイク」というのも、こういう作品なのかな? もしかしたら、私、好きかも? いや、もちろん、読むのは大変でしょうけど。以前から気になってたんだけど、ますます読みたくなってきたーー!
何も無いことを書き続ける「とどのつまりは何も無し」も面白いし(この「完全な真空」とちょっと似た存在ですね)、世界の古典文学をばらばらに解体して読者が好きなように再構成できる「あなたにも本が作れます」も~。コウスカ教授が自分のの出生の確率を太古の昔にまでさかのぼる「生の不可能性について/予知の不可能性について」のしつこさも楽しいです。でも、ここに書かれた書評の元になった本を実際に読んでみたいと思わなかったのは、なぜなんだろう? それはほめ言葉となるのでしょうか。それとも? このまま書かれたら、さぞすごい作品になっただろうな、というのもあるのに。(実際、書きあげるだけの能力はないが、書かないでおくのはもったいないアイディアもある、とのことでした)

いやいや、レムというのは、ものすごい人だったようですね。ボルヘスもそうだったけど、自分と同じ「人間」とはちょっと思えない... 怪物? アイディアの奔流が怒涛のように流れ出してくる人だったんでしょうね。こういう人の頭の中を覗いてみたい。「知性」が目に見えるように蠢いていそうです。今度読む時は、架空の作品への序文集だという「虚数」にしてみようと思うんですが、その前に自分の読書力をもっと鍛える必要アリ。いや、いつまで頑張っても、このレベルまでは鍛えられないかもしれないな。(国書刊行会)

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ギリシャ軍によるトロイ城包囲が7年過ぎた頃。アガメムノンやユリシーズたちは、ギリシャ軍の華・アキリーズを戦場に駆り立てようとしていました。しかし自分の力や名声に酔いしれ、すっかり高慢になっていたアキリーズは、毎日パトロクラス相手にふざけたり、アガメムノンらを嘲るばかり。なかなか戦争に参加しようとしないのです。そんな時、トロイ軍の将軍・イーニーアスがギリシャの軍営を訪れます。それはプライアム王の息子であり、トロイ軍の大将であるヘクターからの一騎打ちの申し出。ユリシーズの提案でヘクターの相手に決まったのは、エージャックス。そしてその頃、パリスの弟のトロイラスは、クレシダに一途に恋をしており、クレシダの叔父であるパンダラスに仲を取り持ってくれるよう頼んでいました。

ギリシャ・ローマ時代の神話や出来事を題材に取ったような後世の作品で何が困るって、人名が違ってしまうこと。先日ラシーヌの戯曲を読んだ時も、「フェードル」がパイドラのことで、「アンドロマック」がアンドロマケーのことで、なんてところで苦労したんですが、こちらもそうでした。トロイラスやクレシダ、アガメムノンはまあいいとして、ユリシーズはオデュッセウス、アキリーズはアキレウス、エージャックスは大アイアース。プライアム王はプリアモス王、ヘクターはヘクトル、イーニーアスはアイネイアースのことなんです。確かにシェイクスピアは英語で書いてるから、私が馴染んでいるギリシャ語読みとは違っていても仕方ないんですが...。英語読みだと軽いですね。なんだか調子出ないなー。(笑)
でも、シェイクスピアの戯曲の中ではかなり評価が低い作品のようなんですけど、人名がきちんと飲みこめてしまえば、これが結構面白く読めました。まず可笑しかったのは、ヘクターと戦うことが決まったエージャックスを、ユリシーズやアガメムノン、ネスターやダイアミディーズがおだてつつ、実は虚仮にしているところ。そしてギリシャ陣営にやって来たクレシダをギリシャの将軍らが歓迎しているところ。これはどっちも日本語で読んでも笑えるような訳になってるんです。読みながら思わずくすくす笑いが漏れてしまったほど。訳者の小田島雄志さん、スゴイ!

この作品では「トロイの城壁が七年にわたる包囲にも屈せず」とあるんですが、アキリーズがアガメムノンに対して怒っているので、おそらくホメロスの「イーリアス」と同時期の話なんでしょうね。(「イーリアス」はトロイ戦争の10年目) この「トロイラスとクレシダ」はタイトル通り、トロイの王子・トロイラスと、トロイの神官でありながらギリシャに寝返った神官カルカスの娘・クレシダという2人の悲恋物語ではあるんですが、それと平行して進んでいくのはトロイ戦争の顛末。というか、むしろ戦争の方が比重としては重いかもしれません。戦う気をまるで失っているアキリーズを、それと悟らせないように遠回し遠回しに戦場に引っ張り出すユリシーズの知略の物語。戦争ばかりだと観てる人が飽きてしまうだろうからと、ちょっと恋物語を入れて潤わせてみましたーという感じ?
人物の造形は、ホメロスの「イーリアス」とは、結構違ってました。一番目についたのは、ユリシーズに対するアキリーズの態度。「イーリアス」では、アキリーズはアガメムノンに対しては敵意を燃やしながらも、ユリシーズに対して敬愛の情を示してたんですよね。アガメムノンが折れて出た時も、ユリシーズが仲介役となったほど。でもこっちの作品でのアキリーズは、親友のパトロクラス以外の人間は全て見下してるんです。ユリシーズのことも。しかもアキリーズがヘクターを討ち取る場面が! これはないだろうという卑怯なやり口なんです。それまでのギリシャ陣営とヘクターの正々堂々としたやり取りからすると考えられなーい!

でも、やっぱり評判があまり高くないだけあって、ちょっと不思議な作品でもありました。それは、唐突に終わってしまうこと。ここで終わる? これから後はどうするの? もう呆気にとられてしまうような幕切れ。これは一体何だったんだーー。この作品は、シェイクスピアの作品の中でも「問題劇」という扱いをされてるそうなんですが、それも納得。現代の小説でも、ここまで読者に丸投げの作品はあんまりないんじゃないかしら。それに一応悲劇に分類される作品のようなんですが、とてもじゃないけど悲劇とは思えません。確かに愛は破局を迎えるんですけど、それでもこれって喜劇なんじゃ...?

シェイクスピアの作品に先んじて、チョーサーも同じ題名の作品を書いてるんですよね。日本では「トロイルス」という題名で訳されているようです。こちらではクレシダの造形がかなり違うようなので、そちらもぜひ読んでみたいなあ。そして「イーリアス」と並んでトロイ戦争についての筋の主な材源となっているという、ジョン・リドゲイド「トロイの書」、ウィリアム・キャクストンの「トロイ史集成」、チャップマン「イリアッド」も読んでみたいです... が、この3つは、どうやら日本語には訳されてないみたい... 残念。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」シェイクスピア

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フランス軍が敗北し、プロシャ軍がルアン市に入場。プロシャ軍は厳しい軍規によってこの町を支配するものの、噂になっていたような残虐行為をここでは一切せず、ルアン市民も徐々に平生の姿を取り戻します。ドイツ軍将校のつてを利用して司令官から出発許可証をもらい、10人が大きな乗合馬車で一緒にディエップに向けて出発することに。ブドウ酒問屋を営むロワゾー夫妻、上流階級に属する大物のカレ=ラマドン氏夫妻、ユベール・ド・ブレヴィル伯爵夫妻、修道女2人、共和主義者のコルニュデ、そして太った娼婦... その体つきからブール・ド・シュイフ(脂肪のかたまり)と呼ばれている女性でした。

乗合馬車に乗り合わせた10人の作りだす1つの世界。他にも登場する人間はいますが、中心となるのはあくまでもこの10人だけ。しかしここには、1つの完全な世界が作り出されています。
一言で言ってしまえば、とても嫌な話。そしてとても身につまされる話。でも人間の本当に醜い部分を、こんな風に描きだしてしまうのは、やっぱり凄いなあと思いますね。もしここに自分がいたら、どうなんでしょう。そう思わずにはいられません。心の奥ではダメだと分かっていても、やっぱり安易な方へと流れていってしまうのではないかしら...。誰が入れ替わっても、これ以外の結末というのはあり得ないんじゃないか、そう思えてしまうような、ものすごく底力のある作品。
社会的弱者であり、お上品な人たちに蔑まれる娼婦。でも他人のことを思いやり、我慢するということを知っているのは、みなに蔑すまれる「脂肪のかたまり」だけなんですね。どれほど立派な服装をしていても、教養があったとしても、顔立ちが美しかったとしても、それは単なる外側の飾り物。同じ人間をこんな風に踏みつけにしていいはずがないんだけど... でもこの面々は、目的地に着いて解散した途端、娼婦のことなんて忘れてしまって、きっともう一生思い出さないんだろうな。もしこの物語がキリスト教的寓話なら、最終的に天国の門で聖ペテロにどう扱われるかまで描かれるところですが、そうじゃないですしね。これは現実に起こりうること。他の人々のために自分を殺すことを知っている娼婦だけど、彼女が最終的に救われるとは限らないわけです。だからこそ人生の縮図を感じさせるし、娼婦の思いが一層響いてくるんでしょう。

...それでも俗人どもはまだ仕方ないかも。でもね、この修道女って...!(岩波文庫)

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