Catégories:“文学(翻訳)”

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今まで会った人物の中で一番風変わりだったのは、H町のクレスペル顧問官。学識があり経験豊かな法律家で、有能な外交官でもあり、ヴァイオリン製作にしても超一流。しかしその奇行ぶりは、常に町中の人々の噂の種になっていました... という「クレスペル顧問官」他、全6編の短編集。

「黄金の壷」がどうもすっきりしなかったホフマンですが、こちらは面白かったです。「黄金の壷」はモチーフ的にはとても好きなはずなのに今ひとつだったのが我ながら解せないんですが...。(その後他のバージョンで読んだら面白かったです! 訳が合わなかっただけみたい)
訳者池内紀さんによる解説「ホフマンと三冊の古い本」に、ホフマンの作品ではしばしば鏡や望遠鏡が重要な小道具として登場するとありました。そして「砂男」の「コッペリウス」と「コッポラ」という2つの名前は、どちらも「眼窩」を意味する「コッパ」からきているとも。確かに気がついてみれば、鏡や望遠鏡だけでなく、目玉や眼鏡、窓といったものが、ホフマンの作品では常に異界への扉のように存在してます。その異界に待っているのは「死」。でもその「死」は物質的な冷たい死というよりも、幻想的な詩の世界への生まれ変わるためという感じ... 現実的で常識的な人々にとっては、狂気と破滅にしか見えなくても、そちらの世界に足を踏み入れた人にとっては、それは理想郷なんですよねえ。そしてホフマンは、そのどちらの世界でも生きた人なんですね。だからホフマンの作品の結末には、ちょっと異様な雰囲気を感じさせられることが多いんだろうな。ホフマンの描き出す幻想的な情景はとても美しいんですが、それは薄気味悪い不気味さと紙一重。
どれも面白かったんだけど、私が特に気に入ったのは、山の鉱山の幻想的な情景の美しさが際立っている「ファールンの鉱山」。これはどこかバジョーフの「石の花」のようでもありました。...なんだかんだ言って、幻想的な情景に惹かれてしまう私です。そして「砂男」は、バレエ「コッペリア」の原作となった作品なんですね。でもストーリーはかなり変えられていて、「砂男」の狂気を秘めた悲劇は、すっかり明るく楽しい喜劇となっちゃってます。同じ作品とは思えないわー。(岩波文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壷」「スキュデリー嬢」 ホフマン
「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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人間に火をもたらしたことによってジュピターの怒りを買ったプロメテウスは、インド・コーカサスの氷の岩の峡谷に縛り付けられたまま、昼間はハゲワシに肝臓を啄ばまれ、夜になるとその肝臓が自然に再生されるという状態で3000年を過ごすことに。

アイスキュロスのギリシャ悲劇「縛られたプロメテウス」を読み、影響を受け、プロメテウス礼賛者となったという詩人・シェリーの書いた詩劇。上演されることではなく、読まれることを目的に書かれている脚本形式の作品をクローゼットドラマ(レーゼドラマ・書斎劇)と言うのだそうで、これもその1つです。
アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」は私も読みましたが(感想)、これは3部作の1作目だし、しかし続く2作が既に失われてしまってるので、プロメテウスとゼウスがどんな風に和解することになったのかは不明なんですよね。ゼウスに謝るよう説得するために神々が次々にプロメテウスのもとを訪れるものの、ゼウスは予言知りたさで自分を許すはずだとプロメテウスが強気に考えているところまでで終わっています。
そしてシェリー自身の「序」を読むと、シェリーがこの失われた悲劇を修復しようと思ってこの作品に取り掛かったのではないことが良く分かります。プロメテウスとジュピターの和解という結末を好まなかったシェリー自身が作り上げたのは、またまるで違う物語。こちらのプロメテウスは、ゼウス相手に取引なんてしません。1章が始まった時、日々の苦しみに苛まれつつも、既にジュピターを恨んでいないどころか、かつて自分が口にした呪いの言葉も後悔しています。逆に、近い将来おとずれる自分の破滅を知らないジュピターを哀れんでいるほど。
シェリーは権力や支配、暴力を否定し、暴虐的な支配はいつか自らの暴虐によって自滅するという信念を持っていたようです。憎悪や敵意から解き放たれた時、人は初めて真の平和を得ることができる... ゼウスは使者を通してはキリストの磔刑やフランス革命の場面をプロメテウスに見せ付け、その過ちに気づかせようとするんですが、まるで効果なし。プロメテウスはゼウスの暴力的な支配に屈しないどころか、ゼウスを愛することによって、解き放たれることになるんです。とてもキリスト教的な物語ですねー。まるでプロメテウス自身がキリストみたいな描かれ方です。自らの暴虐に自滅するゼウスの姿は、万能の神ではなくて、まるで人間の世界の支配者。

まあ、面白いかといえば、正直あまり面白いとは思えなかったんですが... 私にとっては、アイスキュロスの悲劇の方がずっと力強くて面白かったし。でもギリシャ・ローマ神話関連ですしね。これはいつか読まなくちゃと思ってたので、今回読めて満足。それにロマン派詩人としてのシェリーの表現の夢のような美しさなど、部分的にはとても惹かれるもののある作品でありました。(岩波文庫)

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トマーグラ歩兵が列車の車室で座っていると、そこに背の高い豊満な女性がやってきて、彼の隣の席に腰を下ろします。見た目はどこか地方の未亡人。他の席もあいているのに自分のようなむさ苦しい兵士の隣にわざわざ座るとは...? という「ある兵士の冒険」他、「ある○○の冒険」という形で統一された全12編の短篇集。

「ある○○の冒険」... うーん、「冒険」と言われてみれば確かに冒険とも言えるんですが、事前の準備をした上で乗り出していく類の冒険ではなくて、どちらかといえばハプニングに近いもの。日常の偶然から生まれたちょっとした出来事から発展した、ちょっとした冒険ですね。いつもの日常からほんの少しずれた場所で、主人公たちは何かしら新しい景色を見ることになったり、何かに気づかされることになる、そんな物語。そして「むずかしい愛」という題名なんですが、真面目な愛の物語というわけではありません。それどころか、解説には「愛の物語の不在」だと書かれているほど。

ここで語られているのは恋愛譚ではなく、愛の物語の不在である。現実の(とよべるかどうかさえ覚束ない)愛のなかでなら、おそらく誰もが感じるであろうコミュニケーションのむずかしさを、カルヴィーノは、それは困難なのではなく、ほぼ不可能と考えているらしい。愛を語ることは、その不在を語ることからしかはじめられない、というより、不在を語ることこそが愛を語る唯一の方法だということなのかもしれない。(P.220)

愛の不在とは言っても、そこに愛が全くないわけではないんです。主人公たちはいつもの日常からほんの少しずれた場所で、ごくごくささやかな、ほのかな愛を見出すことになるんですから。でもそこに生まれた愛が、一般的な意味での「恋愛」として成長することはなく...。そういった意味では、やはり「むずかしい」というのがぴったりなのかも。
短い物語がそれぞれになんだかとっても可愛らしかったです。読んでるうちにどこか不思議になってしまうほど、何ていうかまとまりがいいんですよね。ある意味、きれいにまとまりすぎてると言った方が相応しいかも? でもやっぱり可愛らしかったです。(岩波文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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アミーン・ジャアファリは、ベドウィン(アラブ系遊牧民)出身でありながらイスラエルに帰化し、テルアビブの瀟洒な家で最愛の妻・シヘムと共に裕福で幸せな生活を送る外科医。しかしその幸せな生活は突然終わりを告げます。病院近くで自爆テロが起きたのです。怪我人たちの世話に追われてようやく帰宅したアミーンを待っていたのは、19人の犠牲者が出たその自爆テロの首謀者が妻のシヘムだという知らせ。シヘムが妊婦を装って腹に爆弾を抱えて自爆したのが、確かに目撃されていたのです。呆然とするアミーン。なぜシヘムが幸せな生活を捨ててそのようなことをしなければならなかったのか...。自らの容疑がようやく晴れたアミーンは、学生時代からの友人・キムの助けを借りて、妻の行動について調べ始めます。

幸せな人生だと思い込んでいたアミーンの土台が崩れ落ちる一瞬。その崩落感が見事に表現されている作品。よく知っているはずの自分の夫や妻が、実はまるで知らない面を持っていた、という物語は他にもありますけど、ここでは単に夫婦間の問題だけでなくて、民族的・政治的・宗教的問題も絡まりあうので、話はさらに複雑。しかも自爆テロというのはやっぱり強烈ですよね。妊婦の姿をして爆弾を抱えて自爆するなんて、余程の覚悟がない限りできないはず。幸せにしたつもりの妻にそのようなことをされるだけでも相当の衝撃なのに、徐々に事情が明らかになってきて、アミーンは妻のことを何も理解していなかったことを思い知らされることになります。幸せにしたと思っていたことが、自己満足に過ぎなかったということ。結局のところ、人間は自分の見たいものしか見ないってことなんですねえ。
イスラエルに帰化したアラブ人、という設定が、日本人である私には今ひとつ掴みきれてないとは思うんですが... 「カブールの燕たち」とは段違いに良かったです。(ハヤカワepiブック・プラネット)


+既読のヤスミン・カドラ作品の感想+
「カブールの燕たち」ヤスミナ・カドラ
「テロル」ヤスミナ・カドラ

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タリバン政権下で既に残骸となってしまっている、アフガニスタンの首都カブール。ここに住む42歳のアティクは、刑務所の看守。夜は死刑囚を監視し、昼は彼らを死刑執行人に引き渡すのが仕事。そしてアティクが仕事を終えてようやく家に帰り着けば、妻は重い病気。既に医師からも見放されていました。話を聞いたアティクの幼馴染の友人は、妻を離縁すればいいと言い放ちます。しかしアティクの妻は天涯孤独の身。20年も一緒に連れ添ってきた仲で、しかもアティクの命の恩人なのです。

アフガニスタンが舞台の物語。アフガニスタンが舞台といえば、丁度1年ほど前に読んだカーレド・ホッセイニの「君のためなら千回でも」(感想)もそうでした。あの作品は平和な時代も描いていたんですが、こちらは完全にクーデター後の話。人々の心は既に荒みきっています。教養のある善良な青年までもが思わず売春婦の公開処刑に加わり、投げた石が頭に当たって血が流れるのを見て喜びを感じてしまうほどなんですから。でも、ものすごく良かった「君のためなら千回でも」とどうしても比べてしまって、こちらは物語としてどこか決定的に物足りない...。描きようによってはもっといい作品になったのではないかと思うんですが、小説としては作りこみ不足、まだ小説として昇華されきっていないような気がします。
それでも衝撃といっていいほど印象に残ったのは、イスラム社会の夫婦関係。幼馴染の友人と話してる時は、妻を捨てるつもりはないなんて言って友人に呆れられてるアティクなんですが、いざ家に帰ってみると態度が...! 病気をおして起きだして、家を片付け食事を作る妻に一言のねぎらいの言葉もなく、逆に責めるだけですか。何がどうなっても、悪いのは全て妻? このあくまでも自分中心の思考回路、この亭主関白ぶりは凄すぎます。もうなんだか騙されたような気がしてしまうほど。この表と裏の違いは一体? イスラム関係の本も色々読んだけど、ここまでの夫婦関係が描かれてるのは初めてです。もちろんこれが全てではないでしょうけど、これはかなりの部分で真実なんだろうな。結局のところ、亭主関白に見える夫たちは、自分に甘くて妻に甘えているだけなんでしょうけど...。

このアフガニスタンとイスラエルの作品を書いたヤスミナ・カドラはアルジェリア人。上級将校で、軍の検閲を逃れるために女性名で執筆し、その後フランスに亡命するまで正体不明の作家だったのだそうです。でも実際、この作品はとても男性的だと思いますね。みんな女性作家の作品だと本当に信じていたのかしら。(ハヤカワepiブック・プラネット)


+既読のヤスミン・カドラ作品の感想+
「カブールの燕たち」ヤスミナ・カドラ
「テロル」ヤスミナ・カドラ

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妻のメアリーが引き起こした嬰児誘拐事件がきっかけで、32年間教壇に立ってきた学校をやめさせられることになった歴史教師のトム・クリック。彼は授業のカリキュラムを無視して生徒たちに、自分の生まれ育った沼沢地帯(フェンズ)のことや、自分のこと、家族のこと、先祖のことについて語り始めます。

沼沢地帯(フェンズ)と共に語られていくのは、主人公・トム・クリックの家族とその歴史。両親のこと、「じゃがいも頭」の4歳年上の兄・ディックのこと、10代当時の恋人で今の妻でもあるメアリーのこと、そして祖先のこと。そこで語られているのは10代の赤裸々な真実。特にインパクトが強かったのは、好奇心旺盛なメアリーが主導だった10代の性のこと...! これにはかなりびっくりでしたが、嬰児誘拐事件に始まる話は、殺人もあれば自殺もあり、近親相姦もあり、堕胎もありという、人間に起こりえる様々なドラマを含んだものでした。大河ドラマであり、ミステリでもあり、サスペンスでもあり、かな。1人称で語られていくこともあって、まるで自叙伝を読んでいるような錯覚をしてしまうし、実際にはフィクション作品なのに「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い起こさずにはいられなかったです。歴史の教科書に載っているような無味乾燥なものではなくて、トム・クリックの語る生きた歴史。それこそが「小説」なのかもしれないですね。そんな風に読み手の心にも迫ってくる、大きな力を持った物語でした。(新潮クレストブックス)

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一番最初の記憶は、寝かせられていた部屋の壁紙の色。色に興味を持ち、言葉を学ぶにつれて色のこと徐々に分かっていきます。緑色は嫉妬の色であり、希望の色であり、愛と多産の色。ナポレオンが流刑になったセントヘレナ島で死んだのは、寝室の壁紙に塗られたヒ素系鮮緑の顔料が毒気を発散していたから。1888年8月 27日、クラカトア火山島が噴火崩壊した後、空に輝いていたのは緑色の月。聖霊降臨節が終わってから待降節までの間、司祭が日曜日に着用するのは緑色の祭服。ローマ皇帝ネロが迫害を観覧したのは緑柱石のプリズムを通して。1434年7月20日、フランドルのブリュージュの町に現れたのは、緑色の肌をした男の子と女の子...

「琥珀捕り」と同じく、大きな流れがありつつ、枝葉末節がまたとても楽しい物語。今回は様々な色の乱舞があり、シャーロック・ホームズやコナン・ドイル、ブラウン神父、ウィトゲンシュタイン、メーテルリンク、オスカー・ワイルドその人や作品のエピソードが登場しつつ、様々な聖人たちの話があります。そしてそんな様々な小さな物語の要となっているのが、15世紀の初期フランドル派の画家・ヤン・ファン・エイクの「アルノルフィーニ夫妻の肖像」。ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵のこの絵は、人物像がとても独特で私は薄気味悪さを感じてしまうんですけど... 真ん中の鏡なんかを見ていると、まさにこういった物語を生み出すのに相応しい物語だなあって思いますね。
全体的な作りももちろん面白いんですけど、この作品の一番の魅力はこの枝葉末節な部分の楽しさというのは「琥珀捕り」同様。でも枝葉な部分が大きすぎて、全体的な枠を圧倒して、気がついたらひっくり返されてしまってるんですよね。次から次へと綺麗で楽しい夢を見させてもらっているうちに、はっと気づけばそういうことだったのか... と我に返ることになります。そしてシャムロック・ティーとは。作品そのものに酩酊させられてしまったような読後感。

本を読んでると時々、もう理屈でもなんでもなく「好きーーー!!」となる作品があるんですけど、これもその1つ。そういう作品って読み始めた瞬間、というよりも手に取った瞬間、いやもしかしたら本を目にした瞬間分かりますね。本屋でこの本を見た時、欲しくてたまらなくなりましたよ。その時は「琥珀捕り」も読んでなかったし、キアラン・カーソンという作家も知らなかったのに。でもそういうことってありますよね? そしてそういう直感には素直に従うのが吉。
一般的な意味ですごくいい作品、大好きな作品もいっぱいあるけど、これや「琥珀捕り」は、もうストーリーがとか登場人物がとかモチーフがとか、そういうのを超越したレベルで好きな作品。そんな本、1年に1冊出会えるかどうかだって分からないのに、今年は早くも2冊出会えてしまうなんて... すごいかも。(東京創元社)


+既読のキアラン・カーソン作品の感想+
「琥珀捕り」キアラン・カーソン
「シャムロック・ティー」キアラン・カーソン

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Note


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