Catégories:“文学(翻訳)”

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キャサリンとの結婚1週間前に、工場での仕事中、機械に巻き込まれて死んだサイモン。弟のルーカスは13歳ながらも学校をやめ、同じ仕事につくことに... という「機械の中」。警察で電話を受ける仕事をしているキャットは、相手の本気を感じ取れる貴重な1人でありながら、「そいつ」を見過ごしてしまったのです... という「少年十字軍」。そして、毎晩のように子供を公園で散歩させるナディア人の彼女を見て、少しずつ距離を縮めるサイモン。彼女はカタリーン。エメラルド色の肌をしていました... という「美しさのような」。全部で3編。

過去から現在へ、そして未来へ。その世界に常に流れているのは、ウォルト・ホイットマンの「草の葉」。ある時は声高に、そしてある時は囁くようにホイットマンの詩を読む声が聞こえてきます。この本と併せて「草の葉」も読んだのですが、いいですねえ。そのおかげでとてもこの世界が掴みやすくなったし、入り込みやすくなったような気がします。
「草の葉」というのは、右の画像の帯にもあるように「アメリカをしてアメリカたらしめている根源的作品」と言われている作品。とても情景を立ち上げる力が強くて、文字を追うごとに情景が立ち上がり、世界が構築されていくような詩なんですよね。そしてその「草の葉」を読んだ後にこの作品を読んでみると、その詩で既に作り上げられていた世界と地続きで、さらに世界が広がったような印象。しかも作中にウォルト・ホイットマン自身も登場するんですが、それがまた驚くほどの違和感のなさで...。「草の葉」で思い描いていた人物そのまま。詩は基本的に苦手なはずなのに、きちんと受け止められていたんだなと思わず嬉しくなってしまったほど。
この「星々の生まれるところ」の3つの短編同士は、はっきりと繋がってはいないんですが、一番主要な登場人物はルークとサイモンとキャサリンの3人。この3人が名前や年齢といった設定を少しずつ変えながら入れ替わり、物語が流れていきます。変わらないのは「草の葉」と白い鉢だけ。この鉢がまるで次世代に希望を託しているようで、それもまた素敵なのです。そしてもしかしたらこの3編のどれが一番好きかというので、その人の本の好みが分かるかもしれません。という私が一番好きなのは最初の「機械の中」です。過去の世界。(集英社)

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中国の難関中の難関である選抜試験を優秀な成績で合格し、フランス政府国費留学生として80年代末からパリに留学していた莫(モー)。彼はフロイト派の精神分析学を学び、中国初の精神分析医として、11年ぶりに中国に帰国。そして中国での大学時代からずっと恋焦がれているフーツァンを刑務所から救い出すために、法曹界の実力者・狄(ディー)判事のもとを訪れます。フーツァンは、中国警察による拷問の場面を隠し撮りして、ヨーロッパのマスコミに売った罪で捕らえられていました。1万ドルを差し出した莫に狄(ディー)判事に要求された賄賂は、「まだ赤いメロンを割っていない」女性、すなわち処女。莫は条件に叶う女性を探し求めて、中国を旅して回ることに。

「バルザックと小さな中国のお針子」が面白かったダイ・シージエの長編第2作。
でも今回も面白かったんですけど... きちんと小説らしい構成と展開をしていた「バルザック~」に比べて、かなり読みにくかったです。物語が時系列順で展開していくわけじゃないし、筆の赴くまま、話が奔放に飛んでいってしまうんですもん。つきつめてしまえば、かつて好きだった女性を救うために莫が奔走する、というだけなんですけどね。その理由が分かるのも、ちょっと後になってから。
物語が始まった時、莫は既に処女探しを始めています。でも莫が真剣に処女探しをすればするほど、物語はどんどん喜劇的になっていくんです。訳者あとがきで「ドン・キホーテ」が引き合いに出されてるのを見て納得。ラストも可笑しい~。そもそも40歳にもなるいい大人の男性が、一体何やってるんだか。ほんと懲りないんだから。でも「懲りない」といえば、ここに登場する面々が1人残らず「懲りない面々」かも。何があっても何が起きても、したたかにやり過ごしていくんですね。こういうの、大陸的な底力なんでしょうか。
原題は「Le complexe de Di」。「Le complexe d'Œdipe」(エディプス・コンプレックス)のもじりなんだそうです。「Di」は狄判事のこと。丁度「Œdipe」の中に「di」がありますよね。でもロバート・ファン・ヒューリックの狄判事シリーズの主人公と同じ名前なんですが、そっちのシリーズの狄判事はとても好人物なので、名前が丁度良かったとはいえ、少々気の毒な気も...。ちなみに「長椅子」は、精神分析の時の必須アイテムの長椅子のことです。この題名センス(訳者さんがつけたのかな?)、好きだわー。(ハヤカワepiブック・プラネット)


+既読のダイ・シージエ作品の感想+
「バルザックと小さな中国のお針子」ダイ・シージエ
「フロイトの弟子と旅する長椅子」ダイ・シージエ

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カフェで見かけた男に運命を感じて、思わずその男の後をつける「わたし」。男はある建物のポーチをくぐって姿を消し、「わたし」が重々しいドアを押した時は、もうアパルトマンの1つに入った後でした。それは4階建ての瀟洒な建物。弁護士が1人いるほかは医療関係者ばかり。その後、男は4階に住む精神科医と判明し、男に言い寄るために「わたし」がしたのは、人生で出会ったありとあらゆる男性のことを語ることでした。

103の断章で語られるのは、「わたし」の夫のことや父親のこと、母の愛人、歌手、祖父や大叔父、そしてこれまで出会った恋人たちのこと。今まで出会った男性のことをひたすら語り、そして小説に書き綴っていくうちに、語り手である「わたし」の姿が浮き彫りになっていくという仕掛けのようです。この「わたし」はカミーユ・ロランスその人ではないと書かれてるんですけど、やっぱりカミーユという名前の作家なんですね。フランスではオートフィクション(自伝風創作)が文芸の一ジャンルとして注目を集めているようで、これもそんな作品の1つらしいです。同種の作品の中でも、この作品は別格の高い評価を得ているそうなのですが... でも男性のことだけでこれほどまでに語り続けられるのはすごいのかもしれないし(このバリエーションったら)、部分的に面白く感じられた部分はあったものの、103の断章がまるで金太郎飴みたい。「あーもーフランス人って一体」なんて思ってしまって。あまり面白く感じられなかったのが残念でした。(新潮クレストブックス)

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1975年1月1日の朝6時。アルフレッド・アーチボルド・ジョーンズは、クリックルウッド・ブロードウェイに停めた自分の車の中に掃除機のホースで排気ガスを呼び込み、自殺を図っていました。それは覚悟の自殺。30年連れ添ったイタリア人の妻・オフィーリアに離婚されたのが原因。しかしそれは妻を愛していたからではなく、むしろ愛情がないのにこれほどにも長く妻と暮らしてきたからでした。アーチーは合わないのが分かりつつも対面を気にして我慢して暮らしていたのに、ある日妻は出ていったのです。しかしアーチーの意識が朦朧としていた時にその自殺に邪魔が入ります。フセイン=イスマイルの店のオーナー・モウ・フセイン=イスマイルが自分の店の前の配達のトラックが停まる場所に違法駐車している車を見つけたのです。

大学時代に書いた短編が話題となって、この作品の版権を巡ってロンドンの出版社が争奪戦を繰り広げたというゼイディー・スミスのデビュー作。ものすごく沢山の賞を受賞してるようですね... これは確かにちょっと新人離れした作品かも。
イギリス人アーチーの妻はジャマイカ人のクララ。2人の娘はアイリー。アーチーの第二次世界大戦来の友人・サマード・ミアー・イクバルとその妻・アルサナはベンガル人のムスリムで、マジドとミラトという双子の息子がいます。移民した2組の夫婦(アーチーは純粋なイギリス人だけど)とその子供たち、2世代のアイデンティティの物語という意味ではジュンパ・ラヒリの作品群を思い出すんですが... 雰囲気は全然違いますね。キラン・デサイの作品を読んでも、ジュンパ・ラヒリの描くインド系の人たちはごくごく少数の成功者だったんだなあとしみじみ思ったんですが、この作品を読んでも、あれはほんと綺麗すぎるほど綺麗な世界だったなと思ってしまいます。読んでいる時はむしろスタインベックの「エデンの東」を思い出してました。実際にはもっともっと饒舌でパワフル、そしてコミカルなんですけどね。20世紀末に生きる彼らの物語は、第二次世界大戦中の思い出から1907年のジャマイカ大地震、一時は1857年のセポイの乱で活躍したというサマードの曽祖父・マンガル・パンデーのエピソードにまで遡ります。150年ほどの長い期間を描き上げた大河ドラマ。舞台もロンドンの下町からロシア、インド、ジャマイカまで。人種や宗教、家族、歴史、恋愛、性など様々な事柄を1つの鍋に突っ込んでごった煮にしたという印象の作品。下巻に入ってユダヤ系のインテリ家庭・チャルフェン一家が登場すると、さらにパワーアップ。
途中やや中だるみしたんですけど、パワフルな登場人物たちが常に楽しげに忙しなく動き回っていて、全体的には楽しかったです。とてもじゃないけど若い作家のデビュー作品とは思えないスケールの大きさですね。このゼイディー・スミスの父はイギリス人、母はジャマイカ人。実際にこの物語の舞台となったロンドン北西部のウィルズデンに住んでいたのだそう。ということは、ゼイディー・スミスはアイリーなのかな? だからアイリーの心理描写が特に詳しいのかな。でも著者近影を見るとスリムな美人のゼイディー・スミスは、胸もお尻も腿も大きいジャマイカ系のアイリーとはちょっとイメージが違いますね。むしろその美しさでアーチーを圧倒したクララかも。(新潮クレストブックス)

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駅に行って駅員に家具の発送について尋ねたジョアンナ。次のの金曜日に寝室1つ分の家具をサスカチェワンに送りたいのです。切符を買うと、今度は高級婦人服店へと向かいます...という「恋占い」他、全9編の短編集。

カナダの田舎町を舞台にした短編集。同じカナダで、同じスコットランド系、同じ世代のアリステア・マクラウドの作品とはまた全然違うカナダの姿が見えてきます。でもアリステア・マクラウドの作品みたいな自然の厳しさみたいなのはなくて、作品の雰囲気としてはかなり違うと思うんですけど、骨太なところ、人間の営みとしての生と死が描かれているところは共通していると言えるかも。
一読しただけでは意味が取れなくて読みにくい文章が結構あったんですが、これは原文のせいなのでしょうかー。でも読み終わってみれば、どれも読後に余韻が残る物語ばかり。70年生きてきた人間の重みなのかな。まず登場人物の造形がいいんですよね。ふと通りがかっていく人物にも思わぬリアリティがあって、はっとさせられることもしばしば。そして、ふとした出来事がその後の展開をまるで変えてしまうというのもいいんですよね。あざとさみたいなのはなくて、ものすごく自然なんです。ああ、そういうことも本当にあるのかも、なんて思えることばかり。たとえば上にあらすじを紹介した「恋占い」なんて、本当はものすごく残酷な話のはずだったのに...! 何がどうなるのかは、それなりの時間が経たないと見えてこないんですけどね。そこには単純に「幸せ」「不幸せ」と判断されることを拒むような深みがあります。
印象に残った作品は、最初の「恋占い」と表題作「イラクサ」、そして最後の「クマが山を越えてきた」。特にこの「クマが山を越えてきた」が良かったな。何度も読めば、それだけ味わいも増していきそうな短編集です。(新潮クレストブックス)

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兄に冴えない容姿をからかわれて育ったソーネチカは、幼い頃から本の虫。7歳の時から27歳になるまでの丸 20年間というもの、のべつまくなしに本を読み続け、やがて図書館専門学校を卒業すると、古い図書館の地下にある書庫で働き始めることに。そんなソーネチカがロベルトに出会ったのは、第二次世界大戦勃発後に疎開したウラル地方のスヴェルドロフスクの図書館でのことでした。それまでは一生結婚する気などなかった47歳のロベルトは、ソーネチカに運命を感じて結婚を申し込むことに。

主人公は、幼い頃から本が大好きで読んでばかりいたというソーネチカ。彼女がここまで自分のことを客観的に受け止められるようになったのは、本を沢山読んで育ったことに関係あったんでしょうか。13歳の頃の失恋も関係していたんでしょうか。もちろん元々の性格というのも大きいんでしょうね。でもここまで幸せな人生を送れたのはソーネチカだからこそ、というのだけは間違いないです。ロベルトとの結婚後に何度も「なんてこと、なんてこと、こんなに幸せでいいのかしら...」とつぶやくことになるソーネチカ。経済的には貧しくとも、どれほどの困難が先行きに待ち受けていようとも、今の状態に感謝して、周囲の人々にも愛を惜しまない女性。これほど精神的に豊かな女性って、なかなかいないでしょうね。修道院のシスターにだって、ここまでの女性はなかなかいないんじゃ...。そしてそれこそが、彼女の幸せの源。
そんなソーネチカに晩年降りかかった出来事は、他の人間には災難としか言いようのないものなんですが、ソーネチカにとってはそれもまた神に感謝すべきもの。こんな風に物事を受け止めることができれば、どれほど幸せか...。実際、ソーネチカの幸せな一生はソーネチカ自身が獲得したもの、と言い切ることができます。彼女には本当の強さがあるし、大きな愛情の持ち主には、おのずと大きな愛情が返ってくるものなのでしょう。幸せとは人にしてもらうものでも、人に頼ってなるものではなくて、自分自身でなるものだ、ということを改めて認識させられます。静かな余韻が残る幸せな作品です。(新潮クレストブックス)

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トンネル露地の部屋に姉と2人で暮らしている少年・ピン。姉は売春婦。相手が敵兵でも気にしません。ピン自身はピエトロマーグロの親方の靴屋で働いているはずなのですが、親方は1年の半分は牢屋暮らしをしている状態。結局、たちの悪い悪戯をしたり卑猥な言葉や悪態を吐き散らしながら、大人の世界に首を突っ込む日々。2人の母は既に亡くなり、存命中は訪ねてきていた船乗りの父親も、それ以来すっかり間遠になっていました。ある日酒場の大人たちに、姉の客のドイツ人水兵からピストルを盗んで来いと言われたピンは、姉と水兵がベッドにいる間に部屋に忍び込みます。

第二次世界大戦中のイタリアが舞台に、落ちこぼれのパルチザンの部隊に参加したピンを描く物語。でもファシズムとか、それに対抗するパルチザンの存在は背景に過ぎないような気がします。迫ってはくるんですけど、実際の戦闘場面なんかほとんどないですしね。あくまでもピンの物語。

このピンという少年、大人と対等に付き合ってもらおうとして頑張って背伸びをしてるんですけど、実際にはちゃんと相手にしてくれる大人なんてなかなかいないんですよね。結局ただの悪たれ扱いされてる。だからといって、子供同士の仲間もいないんです。その辺りのお母さん連中は自分の子供に、あんな育ちの悪い子と付き合っちゃいけませんって言ってるぐらいですから。そして気がつけば、ものすごく孤独な存在になってるピン。話すことが下ネタばかりなのは、売春婦の姉と2人の暮らしが長いから。実はその話題しか知らないだけ。しかも大人相手に対等な口を利くためには、際どいことを言って注目を浴びるしかないと思ってるから。だから「ませた子供だ」とかそういうのとは、また全然違う。多少目端が利いてしまうだけに、逆にとても痛々しい。本当は歌がとても上手なので、そういうところで感心させればいいようなものなんだけど...
本当はまだまだ子供なのに、子供らしさが全然ないのは(子供らしさがないだけで、子供っぽさはある)、やっぱり戦争と家庭環境のせいなんでしょうね。せめて母親がもう少し長く生きていれば。それか戦争中でなければ。昨日までの友達が明日は敵になっていたり、味方だと思っていた人物が裏切って何人もの人間が殺されたり、という場面を目の当たりにさせられてしまうピン。戦争って、こんな風にして子供から子供らしさを奪うものでもあるんですね。ピンはどこに行っても居場所を探してます。そんなピンに差し伸べられた手は大きくて暖かかったんですが... 読後に残ったのは、圧倒的な哀しさでした。

でも、以前「カルヴィーノの文学講義」を読んだ時の印象では、この「くもの巣の小道」があんまり重苦しくなってしまったから「軽さ」を目指すことになったのかなって感じだったんですけど、この作品を読んでみるとちょっと印象が違っていてびっくりです。実際には、この作品にも既に十分「軽さ」があるじゃないですか。もちろん十分重くもあるんですけどね。「軽さ」がありながら、その視点は容赦なく実態を抉り出しているという印象です。(ちくま文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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