Catégories:“文学(翻訳)”

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1986年2月。10歳の時に宇宙飛行士を目指していた両親を失い、母方の祖父に引き取られた少女・サイは、17歳になっていました。母方の祖父は元判事で、引退した後は北ヒマラヤの高地にある古い屋敷に愛犬のマットと料理人と共に暮らす日々。修道学校をやめたサイは近所に住むオールドミスのノニに勉強を習い、やがてノニが科学と数学を教えきれなくなると、家庭教師・ギヤンに数学を習うことに。そんな暮らしにある日侵入してきたのは、判事の狩猟用のライフルを狙ってやって来たネパール系の少年たち。インド、ブータン、シッキムの境界はこの辺りでは曖昧で、ネパール系インド人たちは自分たちの国または自治州を求めて集団で暴動を起こしていました。

中心となる登場人物はインド人ばかりなのに、純粋にインド人らしいインド人がほとんどいないのに、まずびっくり。サラを引き取った老判事は、元々は農民のカーストの貧しい家の出身なのに、頭の良さでケンブリッジ大学に留学したという人物。イギリスにいる間は全然イギリスに馴染めなかったのに、帰国後はまるで自分自身がイギリス人みたいな振る舞いなんです。近所に住んでいてサラの家庭教師を引き受けたノニとローラの姉妹も、経済的に豊かで、特にローラの娘がイギリスのBBCにいることもあって、すっかりイギリス贔屓。そしてそれはサイにも受け継がれています。サイはインド人なのに中身は英国人みたい。インドについてほとんど何も知らないんです。両親と暮らしていたのはロシアだし、インドに戻っても修道学校に入ってたし、両親が亡くなってからは祖父の家に来て、食事も当然のように手づかみではなくナイフとフォークを使いますしね。英国風の紅茶は淹れられても、インド風のチャイの淹れ方は知らないし。老判事の家の料理人は、先祖代々白人に仕えてきたことを誇りにしていたので、勤め始めた時はインド人の主人を不満に思っていたほど。今はアメリカに渡った息子が自慢の種。でもその息子はアメリカに不法滞在して、ニューヨークの飲食店で働いてはクビになるのを繰り返し。周囲にいるのはアジア人やアフリカ人ばかり。インドの歴史に白人がしたことは分かっていても、それでもやっぱり白人に憧れてて、同じアジア人に差別感情を抱いていたりします。みんな欧米文化に対して屈折した憧れを持ってるんです。
それでも、そのまま何もなければ良かったんでしょうけど...
ネパール系インド人たちのゴルカ民族解放戦線(GNLF)の運動に巻き込まれたことが引き金となって、それぞれの不自然さが浮き彫りになっていきます。

「喪失」とひとことで言っても、この作品には色々な喪失が登場すると思うんですけど、一番印象に残ったのは「純粋なインド」の喪失でしょうか。インドは厳格なカースト制度のある国だし、そういう意味でも問題は色々あるんでしょうけど、最初はボタンを掛け違えていただけだっただろうと思うんですよね。でも他国の介入によって、気づけば取り返しのつかないところまで掛け違ってしまっていたという現実に直面させられます。ローラが娘に言ったように、インドは最早「沈みゆく船」で、「扉は永久に開いていない」ようです。
孤独な人々が孤独なまま寄り添って暮らしながら、本質的な孤独からは目を背けているみたい。未来に対する希望も何もないままなのも、綺麗事ではないインドそのままの状況を描いたと言えるのかもしれないですね。(ハヤカワepiブック・プラネット)


+既読のキラン・デサイ作品の感想+
「グアヴァ園は大騒ぎ」キラン・デサイ
「喪失の響き」キラン・デサイ

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タイにやって来るのは、6月はドイツ人、7月はイタリア人、フランス人、イギリス人、アメリカ人、8月は日本人、9月は中国人とオーストラリア人。そして「ぼく」はこの夏、あるアメリカ人の女の子に出会っていました... という「ガイジン」他、全7編の短編集。

タイを舞台にした短編集。タイ人作家の作品を読むのは初めてなんですが、カズオ・イシグロやジュンパ・ラヒリ、チャンネ・リーらと同じように英語で作品を書く作家なんですねー。シカゴに生まれ、タイで育ち、タイの大学とアメリカのコーネル大学で学位を取得後、ミシガン大学大学院のクリエイティブ・ライティング・コースで創作を学んだというインテリ作家。
観光客としてタイを訪れたことはあるし、日本で育ったタイ系の知り合いはいるんですけど、実際にタイの人を知ってるかといわれるとやっぱり「知らない」です。そもそも観光で訪れても、現地に生まれ育つ人々のことを知る機会ってあまりないですしね。彼らにとっても、訪れている観光客は十把一絡げに「観光客」で、それ以上のものでもそれ以下のものでもないでしょうし。そんな、普段なかなか感じることのできない現地の人々の生活や息遣いが直に伝わってくるような短編集。観光客には見えてこない生活がそこにはあるんだな、というごく当たり前のことを思い出させてくれるような作品群です。
でもね、読み終わってみると、やっぱりアメリカで教育を受けてる作家さんなんだなあ、というのも思ってしまいました。ここに描かれているタイ人たちの生活は生々しいようでいて、一番深くて汚い部分は綺麗に覆い隠しているような印象もあって... 現地の人々の生活が見えてくると思ってても、やっぱりそれはちょっと違うのかも、って思ってしまったんです。この短編集の最後に収められている「闘鶏師」なんかは、結構すごいんですけどね... でもどこか最終的な泥臭さが足りないような。そしてそんなところが欧米でベストセラーになった所以なのではないかと思ってみたり。
とは言っても、それでも素晴らしい作品だったと思うんですけどね。短編が苦手な私にも、ものすごく面白かったですし。(ハヤカワepiブック・プラネット)

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アイルランド語の物語を独特の口上で語り始めるのが好きだった父のように話を語り起こせたら。...父が得意だったのは船長もののお話。そのお話は、しばらく聞き入っていて始めてそれが単なる前口上に過ぎず、肝心の物語はまだ始まってないと分かるものだったり、果てしない入れ子構造だったり... 「嵐の夜、ビスケー湾でのこと、船長と船乗りたちが火を囲んで座っていた。突然、ひとりの船乗りが、船長、お話をしてくださいよ、と言った。そこで船長がこんなふうに語りはじめた。嵐の夜、ビスケー湾でのこと、船長と船乗りたちが火を囲んで座っていた。突然、、ひとりの船乗りが、船長、お話をしてくださいよ、言った。そこで船長がこんなふうに語り始めた...」 果てしない入れ子物語の拷問が続くのか、それとも7番目か8番目の船長がお話の中に乗り出していってくれるのか、それは誰にも分からないのです。

AからZまでの章題の元に書かれていく物語。そこに書かれているのは堤防の決壊を食い止めたオランダ人の少年の物語だったり、フェルメールの絵に関する薀蓄だったり、チューリップ狂時代のことだったり、中世の聖人たちの物語だったり、様々な民話だったり、ギリシャ神話やローマ神話のエピソードだったり... アイルランド生まれの作家であり詩人でもあるキアラン・カーソンなので、アイルランドの神話や民話も登場します。そして、それらの物語の語り手も様々。一番の語り手は「わたし」なんですけど、「わたし」の父親が語った物語、その父親の語った冒険王ジャックの物語などなど、どんどん入れ子になっていくという構造。訳者あとがきに「物語の尻取りゲーム」という言葉があるんですけど、まさにその通りですね。ほんのゆるやかな繋がりで物語は広がり発展し続けていきます。作中に出てくるアテネとアリアドネが織り上げる織物のように、様々な物語がそこには描き出されて... そしてそこに点在しているのが、道しるべのようにばら撒かれた琥珀。様々な色彩に溢れた物語を琥珀がゆるやかに結びつけていきます。
これは千夜一夜物語のように一夜に一章ずつ読んでいくのが相応しい作品かも。私も読むのに結構時間をかけたんですが、もっともっとゆっくり読んでも良かったかもーっ。1つの中心となるストーリーがあって展開していくタイプの作品ではないですしね。だからといって、途中から読んでも構わないというタイプの作品ではないのだけど。一旦この世界に迷い込んでしまったら、もう抜けられないというか抜けたくないというか... いつまでも読んでいたかった。ということで、一度読み終わってしまったんですけど、もう一回、26夜かけて1章ずつ読み返していくつもりです。(東京創元社)


+既読のキアラン・カーソン作品の感想+
「琥珀捕り」キアラン・カーソン
「シャムロック・ティー」キアラン・カーソン

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妹のマラーが亡くなった知らせに、サラの母・マリアムは嘆き悲しみます。ロンドンに住むマリアムは、テヘランに住むマラーに1年以上会っていなかったのです。マラーの夫が既に再婚していたこともあり、マラーの一番下の息子のサイードがロンドンへとやって来て、15年前にサラが家を出るまで使っていた部屋に落ち着くことに。しかしサイードは学校に通い始めるたとたん、いじめられ始めていました。授業時間中にショッピングモールで途方にくれていたサイードは警察に保護され、サラとマリアムは迎えに行くのですが、その後入ったパブでマリアムはサイードにいきなり平手打ちを食らわせます。店を出ると橋から飛び降りようとするサイード。そしてサイードの身体を引き戻そうとしたサラは腹部を蹴られ流産。ショックを受けたマリアムはしばらくイランへと帰ることに。

「ずいぶん長いあいだ二つの場所のあいだにいたような気がする」というマリアム。彼女の中にあるのはロンドンでの現在とイランでの娘時代。そしてイランを知らない娘のサラ。2人の物語が交互に進んでいきます。
青いタイルを並べたような表紙が印象的な本ですが、サフランといえば赤。サフランを使った料理は黄色くなりますけど、サフランのめしべ自体は赤。キッチンの壁を塗ろうとした時に、サラとサイードが2人でサフランの色を表現し始める場面が素敵。「夕焼けみたいに真っ赤」「切り傷つくっちゃったときの血の色」「お母さんの指先についたヘナ」「トルバートゥの土か、ゴセマールバートの土」「溶岩の色」「水ギセル(フーカ)の燃えさし」「ケシにザクロ」... どの表現からも想像できるのは深い赤。サフランの赤は、きっとイランの赤なんでしょうね。

でも半分はイギリス人でイランには行ったことのないサラでも、そんな風にサイードと色の感覚を共有できるのに、マリアムはイギリス人の夫・エドワードとは言葉も記憶も分かち合えない夫婦だと感じてるんです。長年の夫婦生活の中でエドワードの穏やかさにきっと何度も救われてるでしょうに...。妻であり母である前に1人の人間、というのは誰にでもあると思いますが、マリアムはその傾向が人一倍強いです。普通だったら、年齢を重ねるにしたがって、石の角が少しずつとれていくような感じになりそうなものなんですが、マリアムの場合は革命で肉親を失ってるし、祖国から遠く隔てられてしまうことによって、そういう感情が人一倍強く残ってしまったのかも。でも、イランで一般的に女性が求められる役割を拒否することによって、マリアム自身が彼女の横暴な父親そっくりの人間になってしまったように感じられるのが皮肉です。...で、そういった昔ながらのイランの家族のあり方などもとても興味深く読みました。これを読むと、先日読んだ「テヘランでロリータを読む」は、やっぱり浅かったように思えてならないなあ。
でもね、終盤近くまでは良かったと思うんですけど、サラとマリアムが再会した辺りからは、なんだか妙に浅くなってしまったような... いきなり都合のいい話になってしまったようで、それがちょっと残念です。(新潮クレストブックス)

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ニューヨークから北へ50分ほど離れた美しい町・ベドリー・ランに住んでいるフランクリン・ハタ。彼はアメリカに留まることを決意した日本人。新聞の短い三面記事で新しくできた町のことを知り、どこか惹かれるものを感じて、30年以上前にここに医療用品や医療器具を扱う店を開いたのです。引越し当時は誰も知っている人間がいなかった彼も、誰にでも知られている存在。現在は70歳も過ぎており、既に店は売却しているものの、親しみやすさから敬意を込めて「ドク」「ドク・ハタ」と呼ばれており、そんな町の空気を有難いものとして受け止めてきていました。

ドク・ハタが日々出会う人々との話から過去のこと、養女のサニーとのこと、一時期親しかった未亡人・メアリー・バーンズのこと、第二次大戦中に医療助手として軍医について任務についていた時のことなどを回想していきます。
この作品のタイトルは「A Gesture Life」。作品の途中で「体裁」という言葉に「ジェスチャー」というルビが振られていました。「生活のぜんぶを体裁と礼儀でつくりあげてる」... というのは養女のサニーの言葉。序盤から自分のことを人望のある「親切なドク・ハタ」で、町一番の大きさではないものの、立派な美しい家に住んでいることをさりげなく強調するドク・ハタなんですが、やっぱりこれも一人称ですからね... 反抗期に入ったサニーがドク・ハタに向ける言葉がとても辛辣。確かにドク・ハタは自分の評判や立場を作り上げ、常にそれを守るために行動してるし、それは彼を一見人格者のように見せてるんだけど... でもこれも在日朝鮮人の子供として生まれて日本人の養子となり、アメリカでは日系アメリカ人として暮らすことになったドク・ハタにとっては、一種の防衛本能だったんじゃないかと思うんですよね。誰も傷つけたくないという優しさは優柔不断と紙一重だし、結局彼は大切な人間を傷つけて失ってしまうことになるのですが。選択をしないというのも、1つの立派な選択ですものね。そして彼の一番の不幸は、それでもドク・ハタが傍目には不幸な人間には決して見えないことだったのかもしれません。失ったものに対して罪の意識を持ち続け、そして常に自分が外部者であることを意識し続け、その最後の場所を失うことを心の奥底で怯えているドク・ハタの姿が切ないです。

チャンネ・リーは韓国人従軍慰安婦のことを全く知らずに育ち、ある時知って、大きな衝撃を受けたのだそう。そして韓国人従軍慰安婦だった女性に長いインタビューをして、最初はその女性を中心とした作品を書こうとして、でもそれでは真実も深みも全く足りないのに気づいて、このドク・ハタの物語としたのだそうです。確かにドク・ハタの目を通して従軍慰安婦を見ることによって、その問題を生き生きと蘇らせているような気がしますし、同時にそれによってドク・ハタの認識の甘さも露呈されることになってるんですね。(新潮クレストブックス)

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イダが生まれた時、エレンは既に4人きょうだいでした。長女のビリー、長男のケスター、次女のエレン、そして赤ん坊のカルロス。母のマルヒェは、自分が1人っ子の家庭に育って嫌な思いをしていたので、笑いと喧騒にあふれた家を幸せな家庭としてイメージして、子供を6人欲しがっていたのです。両親がアメリカに関する文献を専門に切り抜き資料として保存するファン・ベメル事務所をしていたために家中が天井まで届く資料棚と黄ばんだ紙の臭いで溢れかえり、家の中は賑やかさに包まれていました。しかし生まれたイダに吐き癖があり、1日中むずかって泣き叫び、母もイダにミルクを飲ませられないほど衰弱していたため、徐々に「幸せな家庭」の歯車が狂い始めます。

絵に描いたような幸せな家庭を襲う悲劇。物語が始まった時から、何とも言いようのない緊張感をはらんでいて、その予感通りに暗い方向へと突き進んでいきます。でもその核心が何なのか正体はなかなか見せないままに、エレンが12歳だった頃の物語と約30年後の現在の物語が交互に進んでいきます。30年後のエレンは解剖医。妊娠中にもかかわらず離婚して、かつて自分が少女の頃に住んでいた家に戻ってきています。
家族の中で一番利発だったエレン。難しい言葉を使うのが大好きで、時には生意気としか思えない発言をするエレンなんですが、それでもまだ12歳。それでこんな衝撃を体験することになったというのが... 利発だからきちんと全てを見届けてるんですけどね...。現代の読者が読めば、その時何が起きていたのかほぼ予想がつくと思うんですが、この頃はそういう概念すらなかったんですね。しかも今なら12歳の子供が家のことを他人に相談できる専門の場所もありますけど、この頃は全然だったはず。こういった物語はそこかしこにあったのかも。
最後に彼女が自分のイデ=ソフィーの名前を託す場面が良かったです。ようやく救われた気がします。(新潮クレストブックス)

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ノリーことエレノア・ウィンスロウは、お父さんとお母さんと2歳の弟と一緒にアメリカからイギリスに引っ越してきた9歳の女の子。イギリスのスレルという町でスレル校というところの小学部に通っています。将来の夢は、歯医者さんかペーパーエンジニアになること。最近とても好きなのは中国の女の子の絵を描くこととお話を作ること。

ニコルソン・ベイカーの本は「中二階」に続いて2冊目。でもその「中二階」とも全然雰囲気が違うし、「Hで愉快な電話小説」だという「もしもし」とも、「時間を止めて女性の服を脱がせる特技をもつ男の自伝」だという「フェルマータ」とも全然違う(はず)の作品。だってこの作品は、全編9歳のノリー視点の物語なんですもん! ニコルソン・ベイカーが自分の娘をモデルに書き上げたようで、かーなりのユニークな作品。「中二階」みたいな作品を書く人の娘だけあって、さすがに思考回路が理屈っぽいなーとも思うんですが(笑)、理屈っぽくても子供っぽい可愛らしさもたっぷりなので、全然大丈夫。ノリー、可愛いです! でもこの子供らしい様々な間違いも含めて全て日本語らしい日本語に訳すのは大変だったでしょうねえ。岸本佐知子さん、ほんと適材適所です。

アメリカで親友だったデボラと離れたのは寂しいけれど、新しい学校でもキラという仲良しの女の子ができるノリー。でも同じクラスのパメラという女の子がいじめられていているのを黙って見過ごしていることができないんですね。で、パメラとも仲良くなっちゃう。だってパメラは悪いことなんて何にもしてないし、ノリーが転校したばかりの時に道が分からなくなったノリーに親切にしてくれたんだから。でもパメラと一緒にいるだけで、ノリーも相当からかわれることになるんです。ノリーの仲良しのキラも、パメラと仲良くするとノリーもいじめられちゃうようになるよ、と何度も言ってますしね。こういう時、自分もいじめられるのが怖くて、嫌いでもないのにいじめっ子たちと一緒になって笑ったりしてしまう子の方が断然多いと思うんですが、ノリー、強いです。からかわれた時も、どれだけ効果的に反撃するか頑張ってますから。でもそんなノリーも常に自信たっぷりというわけではないのが、逆に人間らしいところでいいのかも。そんな時も、やっぱりノリーの思考回路って面白いんです。(白水uブックス)


+既読のニコルソン・ベイカーの作品+
「中二階」ニコルソン・ベイカー
「ノリーのおわらない物語」ニコルソン・ベイカー

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