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フィンランドの国民的叙事詩・カレワラ。これは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」と並ぶ世界三大叙事詩の1つでもあります。でも紀元前8世紀半ば頃にホメロスが作ったとされる「イーリアス」や、紀元3世紀頃にヴァールミーキが書いた(編纂した?)「ラーマーヤナ」とは違って、今読める「カレワラ」は、19世紀にリョンロットという人が様々な伝承歌謡を採取して、1つの物語となるように並べたもの。だからストーリー的には、「イーリアス」や「ラーマーヤナ」にやや劣るという欠点もあるんですね。私は好きなんですけど、なんでこれが世界三大叙事詩とされてるのかは、ちょっと疑問...。同じヨーロッパ圏から選ぶなら、例えば「古エッダ」「ニーベルンゲンの歌」辺りの方が妥当な気もするんだけど。
フィンランド人にとって「カレワラ」とは、カンテレという楽器の伴奏に合わせて吟唱するものなので、散文では書かれることはなかったそうなんですが、20世紀になって元ヘルシンキ大学教授のマルッティ・ハーヴィオ博士が「カレワラ物語」としてのカレワラを出版することになります。その訳がこの本。「タリナ」とは物語という意味なんだそうです。私は以前にきちんと叙事詩として訳されてる岩波文庫版の「カレワラ」を読んでるので、本当は散文訳は読まなくても良かったんですけど、でも北欧文化通信社の活動を応援する意味でも読んでみることに~。
ということで、カレワラを読むのはこれが3度目。(絵本を入れれば4度目・笑)
岩波文庫版に比べると、どうしてもかなり簡易版になっちゃってるし、私が大好きな「事物の起源」を唱えることによって魔法をかけるという部分もすごくあっさりしちゃってて残念なんですけど、それだけに頭の整理や復習にはぴったり。まとまりが良くて、とても読みやすかったです。これはカレワラ入門に最適かも。そしてカレワラ入門といえば、岩波少年文庫でも最近「カレワラ物語」というのが出てるんですよね。もしや「カレワラ」人気の兆候が?! そちらは岩波文庫と同じ小泉保さんの訳。これを読むまでは、「カレワラ物語」の方はいいやって思ってたんですけど、そちらもやっぱり読んでみたくなってきちゃいました。どう違うんだろう。同じような感じなのかしら。
あと、カレワラを題材にシベリウスが多数作曲していて、そちらもなかなか素敵です。(北欧文化通信社)

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初公判予定日の数日前に冠状動脈血栓症で死亡したハンバート・ハンバート。彼は「ロリータ、あるいは妻に先立たれた白人男性の告白録」という原稿を書き上げて弁護士に託していました。ハンバート・ハンバートとは、1910年にパリに生まれた人物。パリで1度結婚するものの離婚して渡米。下宿先のヘイズ夫人の12歳の娘・ドロレス(ロリータ)に少年時代の恋人・アナベルの面影を見て惹かれるものの、ヘイズ夫人と結婚することになるのですが...。

なぜか既視感がとても強かった作品。文庫本の裏表紙にも「ここまで誤解多き作品も数少ない」とあるし、他のところでも「思い描いているのとはまるで違う作品のはず」とか「先入観を覆される作品」みたいなことが書かれてるのを読んだことがあるんですけど、全然違いました。私が思い描いてる通りにどんどん展開していって、なんだか怖いぐらい。この作品は絶対に未読だし、映画も観たことないし、あらすじすら聞いたことないはずなのに、なぜ?!
周知の通り、「ロリータ・コンプレックス」という言葉の元になった作品なんですが、それについては、まあ「オイディプス王」と「エディプス・コンプレックス」よりは近いかなって感じですね。それより、これもまた「信用できない語り手」なんだなあという意味で面白かったです。この物語をロリータの目を通してみると一体どんな物語になるのかしら! そもそもハンバートの目を通して見るロリータは、ちょっぴり下品な小悪魔的魅力なんですけど、実際のところはどうだったのかしらーなんて思っちゃう。どうしても美少女とは思えないんですよねえ。可笑しかったのは、ハンバートがロリータと結婚して子供を作ったら、子供がニンフェットな年齢になった時に自分はまだ男盛りで... なんて考えをめぐらせてたりすること。この妄想振りが可笑しいです。外見にかなり自信があるようだけど、まだまだいけると本気で思ってるのか!(笑) それにしても「ニンフェット」って言葉はすごいですね。この言葉だけで、これほどのイメージの広がりを感じさせられてしまうなんて。
随所にフランス語の会話や言葉遊び、古今の文学からの引用がちりばめられていて、そういう意味でも面白かったです。(新潮文庫)

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フランシス・オームが住んでいるのは、望楼館と呼ばれる建物。24世帯が暮らせるように設計されているのですが、現在住んでいるのは7人だけ。まずフランシスとフランシスの両親。いつも白い手袋をはめている37歳のフランシスは彫像となりきる仕事をしており、趣味は他人が大事にしているものをコレクションすること。父は椅子に座り続け、母はベッドに寝たきり。そして常に汗と涙を流し続けているピーター・バッグ、部屋に閉じこもってテレビばかり見ているクレア・ヒッグ、まるで犬のような「犬女」、最後は極端に綺麗好きの門番。望楼館はかつては偽涙館と呼ばれた16世紀の荘園の領主館(マナーハウス)であり、オーム家が何世紀にもわたって所有してきたもの。しかし今はオーム家も没落し、現在のこの姿に改装されていたのです。そんなある日、玄関の告知板に18号室に新しい住人が入るというメモ用紙が貼られ、今の静かな生活を失いたくない住人たちは恐慌に陥ります。

ああ、面白かった~。ここ3日間ほど小出しにしながら読んでたんですけど、もう現実の世界に戻って来られなくなりそうになりました。不思議で、でもなぜだかとても馴染んでしまう雰囲気。境目を意識させられるというか。これは好き嫌いが分かれるかもしれないですね。挿絵は作者自身によるものなんだそうで、かなりシュールな人物像がついてます。これを見て思い出したのが、マーヴィン・ピークの「ゴーメンガースト」。タッチは全然違うんですけどね。そしてティム・バートンの世界にも通じるような...。主人公のどこか歪んでいる「物」へのこだわりは「アメリ」を思い出すし。愛し愛されたいとは思っているのに、求めていた形での愛がなかなか得られない人々。
舞台となる望楼館はまるで時間が止まってしまっているような場所。ここに住む人々の時間も止まってしまってるようで、みんなそれぞれに自分の内面にこもって、過去の時間に生きています。かつては素晴らしい邸宅だった望楼館も今は哀しいほどの荒廃ぶりだし、このまま建物も人々もじわじわと消滅していってしまいそうな感じなんですが、そこに登場するのがアンナ・タップという女性。彼女の登場によって、止まっていた時間がまた動き出すことになります。
傷つきやすく臆病な登場人物たちの姿そのままに、物語そのものも少しずつ少しずつ近づいてくるような印象。短い章の積み重ねで丹念に追っていくせいか、全体の長さを感じさせないし、とても読みやすくて~。印象に残る場面が色々あったんだけど、特にフランシスの父と母の意識がそれぞれに過去を辿って最終的に出会う場面が素敵でした。(文春文庫)

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200年ほど前、30年戦争が起きた頃。今は廃墟となっている城はヴィッティングハウゼンの宮殿と呼ばれ、そこにはクラリッサとヨハンナという美しく優しい姉妹が住んでいました... という「高い森」他、全4編が収められた本。

去年の年末にチョコちょこさんに「出ましたね!」と教えて頂いていたのだけど、実際に入手できたのはずっと遅くなってしまったこの本。後付を見ると2008年12月24日になってましたが、その頃私の周囲では、影も形も見当たりませんでしたよ! ネット書店に出たのも随分遅かったはず。いえ、多少待たされても手にすることができれば、それでオッケーなのですが~。
今回のこの本は、シュティフターの作品に共通する主題である「森」に着目して編んだという短編集。モルダウの流れるボヘミア南部の森、自然の美しさと恐ろしさを併せ持つ森は、シュティフターの故郷だということもあって作品によく登場しますが、ここに収められた作品もそうです。最初の「高い森」と表題作「書き込みのある樅の木」は中編で、次の「最後の1ペニヒ」が短編、そして「クリスマス」がエッセイ。

読んでいると気持ちが穏やかになるような気がしてくるシュティフターの作品でも、一層静けさを感じるものだったように思います。本当にしんと静まり返った森の中にいるような気がして、なんだか怖くなってしまう... 作品には森で暮らす人々のことが書かれているんですが、本当の主人公は森そのものなのかもしれませんね。
美しくも哀しいロマンティックな「高い森」もいいんですけど、私が好きなのはやっぱり表題作かな。訳者解説を読むと、シュティフターの同時代の人々には酷評されていたようですが... どうやら違う点にばかり目を向けていたようですね。そうじゃないのに! でもこの結末が雑誌版ではまた違っていたと知って驚きました。この本に収められている結末の方が断然いいです。だってそれが次の「最後の1ペニヒ」に繋がっていくんですもん。そう、この並び順がまたとても素敵なのです。(松籟社)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター
「書き込みのある樅の木」アーダルベルト・シュティフター

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ある日ペーターが読んだのは、ロシアの捕虜収容所を脱走したドイツ兵士が故郷に戻ってくる物語。やっとの思いで家に戻ってきた兵士の目が見たのは、小さな子供2人と見知らぬ男と一緒にいる妻の姿だったのです... それは「喜びと娯楽のための小説」という冊子シリーズの編集をしていた祖父母にもらった見本刷り。ペーターには父がおらず、母の稼ぎは少なく、しかも紙は高価だったため、裏の文章は読まないという約束でその紙の束をもらっていたのです。しかし物語の断片しか残っておらず、肝心の結末部分を読むことができなかったペーターは、物語の結末を探し始めることに。

物語の中心となるのは、作者も題名も分からない小説の断片。その断片をつなぎ合わせて読むうちに、ペーターはそれがホメロスの「オデュッセイア」になぞらえられていることに気づきます。遍歴し、そして帰郷する物語。そしてペーターもまた、謎の小説の兵士・カールを追い求めて長い遍歴をすることになります。遍歴の後、イタケーに帰り着いたオデュッセウスが見出したのは貞節なペーネロペイア。しかしペーターが帰り着いた時、そこにいるのがペーネロペイアとは限りません。
シュリンクの作品を読むのは「朗読者」「逃げてゆく愛」に続いて3冊目なんですが、今回はあまり入り込めなかったかな... 中心となる小説の断片があまり魅力的じゃないというのもあったんですけど、ちょっと気になることが多すぎて気が散ってしまったような気がします。
まず「オデュッセイア」。ペーターの読んだ「オデュッセイア」は、イタケーに帰りついてハッピーエンドではなくて、その後も長い遍歴をしなければならなかったそうなんですけど... 私が読んだ「オデュッセイア」は、ほぼハッピーエンドだったはず! ペーターみたいに私も勘違いしてるのかなあ。いやいや、そんなことないと思うんだけど。まさかドイツ版はまた違うとか? うーん、気になります。私が読んだのは岩波文庫の松平千秋訳(感想)なので、ちゃんとしてるはずなんですが...。次に、事実の周りをぐるぐると回ってたペーターは、ある時いきなり核心に近づくんですが、そのことがなぜ分かったのかが良く分からないんです。天啓のようなものだったとか? いきなり自信を持って飛躍した話を始めるペーターにびっくりです。この辺りには、もう少し説明が欲しかったところ。さらに、ペーターは小さい頃から色んな人物に出会って様々な出来事があるんですけど、いかにも後に繋がりそうな人や出来事が、それっきりになってしまってるのが結構多かったような... それも気になりました。
ナチスのことや、東西ドイツを隔てていた壁の崩壊などのドイツの歴史的瞬間が描かれて、まだまだシュリンクにとって第二次世界大戦は過去のことではないのだということを感じさせられたのはこれまで通り。オデュッセウスがさらに遍歴を重ねなければならなかったように、シュリンクもまだ遍歴続けなければならないのでしょうか。でも今回、ペーターの遍歴の終わりには希望も感じられるんですよね。シュリンクの中の第二次世界大戦も、徐々に終わりに近づいているということなのかもしれませんね。(新潮クレストブックス)


+既読のベルンハルト・シュリンク作品の感想+
「朗読者」「逃げてゆく愛」ベルンハルト・シュリンク
「帰郷者」ベルンハルト・シュリンク

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勅命を帯びて河源へと向かっていた「わたし」はいつしか道に迷い、古老の言い伝えによれば神仙の棲むという深山幽谷へと迷い込みます。そこで三日の間斎戒沐浴した「わたし」は軽い舟で渓流を遡り、やがて桃の花の咲く谷川に到着。空一面光り輝き、いい匂いのする風が吹くこの地には仙女の住まいがあり、一夜の宿を請った「わたし」は仙女と詩のやりとりをし、食事や音楽を楽しむことに。

遣唐使によって奈良時代に日本に伝えられ、古文学に多くの影響を与えたという唐代伝奇小説。中国では早くに散逸したらしんですが、日本にきちんと残ってたというのが面白い。巻末には醍醐寺古鈔本の影印も収録されてます。

やっぱり桃源郷とくれば桃の花がつきもの。ここに住んでいるのは「十娘」「五嫂」と呼ばれる仙女たち。「十娘」が17歳で「五嫂」が19歳、2人とも夫を亡くした身の上で、とても人間とは思えない美しさ。主人公は十娘と盛んに詩のやり取りをした上で、ようやく家に招き入れられ、十娘や五嫂に山海の珍味や美しい音楽でもてなされることになります。詩が多く挿入されているというのは今まで読んだ伝奇小説にはなかったので驚いたんですが、この優雅なやり取りが奈良・平安時代の貴族に好まれたんでしょうね。それにしても、美食に美姫。ああ本当に男性のドリームな話だわー。(笑)(岩波文庫)

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インド政府の官僚だった「わたし」は年齢を重ねるにつれて俗世を離れたいと強く思うようになり、妻を亡くした後、ナルマダ河のほとりに建つ政府関係の保養所に管理人として赴任。ナルマダ河はヒンドゥー教徒にとって最も聖なる巡礼地の1つで、シヴァ神の娘として尊敬を集めており、「わたし」も常々この河に惹かれていたのです。「わたし」の住むコテージの石のテラスからは、遥か下を滔々と流れるナルマダ河を望むことができ、私は毎日夜明け前に起きだしてテラスに座り、400キロ東のナルマダ河の水源に顔を向け、河を眺めては内省に耽ることに。

保養所の周りにはうっそうとしたジャングルが広がっていて、わずか19キロ先のルードラの町が見えないほど。1.5キロもの幅のナルマダ河の向こう岸には目の届く限りの沃野が広がり、隣の尾根の向こうには16世紀イスラーム神秘主義の聖人・アミール・ルミの墓に隣接しているムスリムの村があり、主人公は毎朝そこにいる賢者・タリク・ミアを訪ねてチェスをするのが日課。そしてナルマダ河の曲がり目にはマハデオの寺院群が見えます。このマハデオの寺院群は、日没時に石のテラスから眺めていると多くの巡礼者たちが茜色の夕空に影絵のように浮かび上がるし、黄昏になるとその辺りの水面は小さな炎で揺らぎ始めるんですね。それだけでも情景が雄大に、そして色鮮やかに浮かび上がってきます。
その穏やかな日々にふと侵入してくるのが、主人公の周りに現れる人々が持ち込む様々な物語なんです。これが面白かった...! 7つの物語があるんですけど、それぞれにインドならではですねー。いや、すごい迫力がありました。それは、苦行中のシヴァ神から流れ出た汗が美しく官能的な女の姿をとって、あまたの苦行者たちの欲情に火をつけたと言われるナルマダ河そのもののような物語。それぞれに愛の喜びや苦しみ、欲望が渦巻き、そして悟りへの道があります。
色々と深いレベルで感じるものがあるんですが、言葉にするのは難しいですね。でも途中とても印象に残った言葉を2つ。これは町から保養所に通って雑用をこなしてるミスター・チャグラの言葉。

ですが、サー、欲望がなければ生はありませんよ。何もかもが動きを止めてしまいます。無になってしまいます。それどころか死んでしまうのですよ。

何ひとつ失われてはいませんよ、サー。それが河の眺めの美しさというものです。
...インドってほんと果てしないほど広くて、果てしない深さがあるんでしょうね。一度は体験してみたいけど、自分がそれを受け入れる器の大きさを持ってるかどうかはまた別問題だな。(ランダムハウス講談社文庫)
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