Catégories:“文学(翻訳)”

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貧しい牧師の家に育ったルシアン・テイラー。学校の休みの期間に牧師館の近隣の見晴らしのいい場所を見つけようと歩き回り、空の凄まじい赤光に目を奪われ、人の通らなくなった暗い小径を歩き回り、ローマ人が大昔に作った砦を眺めます。書物が好きで、様々な文学を読んで成長したルシアンは、やがて円い小山の秘密や秘境の谷の魔法、葉の落ちつくした林の中を赤い渦を巻いて流れる小川の音などを英語の散文に移し変えたいと、少しずつ書き始めることに。

「空にはあたかも大きな溶鉱炉の扉をあけたときのような、すさまじい赤光があった」という文章から始まる物語。その「赤い光」は作中に時々登場し、最後の最後までとても印象に残ります。
これはアーサー・マッケンの自伝的作品なんでしょうね。文学少年のルシアンが、自分の家の周辺の景色の美しさに気づき、その感動を文字に書き留めようとします。出版社に送った原稿は結局盗作されてしまうのですが、それでも書き続けるルシアン。ルシアンの持っている理想は現実から乖離してるし、ルシアン自身がルシアンの幻想の世界に生きているようで、ものすごく現実感がないんです。これは結局、現実と理想のあまりのギャップの大きさにルシアン自身が耐え切れなかった、ということなのかしら。ルシアンの書く言葉、そして作り出す文学はその橋渡しになるものというよりも、幻想を支える土台のようなものだし... 現実と向き合うための盾のようなものですね。そして読んでいる私も徐々に現実感を失ってしまうことに...。
場面場面の描写はとても印象に残ってるんですが、でもそれが頭の中で1つの流れとはならなくて、バラバラに存在してるみたいな感じなんです。今ひとつ掴みきれなかったのが残念なんですが、なんだか不思議な作品だったなあ。

作家の朝松健さんのこのお名前ってアーサー・マッケンからなんですかね?(創元推理文庫)

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市街の中心地に深く入り込んだところにあるアミール・ナトハ横丁。そこに住む若く美しい寡婦・ビセサは、ある日イギリス人のトレジャゴがまぐさに躓いて転ぶのを見て、窓の奥で笑い声をあげます。咄嗟に「千夜一夜」の「ハル・ダイアルの恋歌」を歌い出すトレジャゴ。小さな声ながらもその歌を見事に歌い継ぐビセサ。そして翌日、トレジャゴに謎めいた包みが届くのです。それはビセサからの謎かけ。トレジャゴはその夜ビセサのもとに赴き、2人は愛し合うようになるのですが... という「領分を越えて」他、全9編の短篇集。

常にインドが背景に存在するキプリングの作品。そしてそのインドの深みが結構怖いんですよね。以前読んだ「獣の印」(感想)も結構怖かったし、上にあらすじを書いた「領分を越えて」も強烈な作品です。義兄にそこまでする権利があるのか? いや、インドではあるのか...? なんて思いつつ。あと「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」も、キプリングならではのインドですね。インドの奥の深い迷宮のような部分がとても印象に残ります。

私が気に入った作品は「めえー、めえー、黒い羊さん」。これは、キプリング自身の幼い頃を描いた自伝的な作品なのだそう。「黒い羊」というのは厄介者という意味ですね。There's a black sheep in every flock... どこにでも厄介者はいる、みたいな意味のことわざ。両親と一時的に別れて暮らすことになった幼いパンチとその妹・ジュディなんですが、引き取られた家でパンチは文字通り「黒い羊」となってしまいます。ジュディはみんなに気に入られるのに、パンチ1人ローザ叔母さんとその息子ハリーにいじめられる日々。パンチ視点の物語なので、ローザ叔母さんがどうしてそこまでパンチが嫌いになったのかは分からないんですが。
最終的には仲介してる人が相当まずい状態になってるのに気づいて、2人の母親が迎えに来ることになるんですけど、パンチはその愛情も信じられないんです。夜、部屋に入って来た母親を見て「暗い中をやって来て叩くなんて卑怯だ。ローザ叔母さんだってそんなことはしなかった」なんて思うほどですから。これはお母さんにしてみたらショックですよね...(どんな理由があるにせよ、5年も放置してる方にも責任はあると思いますが) そしてそちらもインパクトが強いんですが、妹のジュディの方も案外、ね。ローザ叔母さんがあれだけ手懐けてたのに皮肉だわ~。まあ皮肉といえば、そんな兄妹にパンチとジュディなんて名前がつけられてるのが一番の皮肉なのかもしれませんが。
あと、色んな物語を作り出すのが大好きな主人公が不思議な夢をみる「ブラッシュウッド・ボーイ」も好き。この作品もキプリング自身を投影しているのかしら。なんて思ったんですけど、どうなんでしょうね。(岩波文庫)


+既読のキプリング作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「少年キム」ラドヤード・キプリング
「キプリング短篇集」キプリング

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高貴な英国貴族の広大な屋敷に生まれ育ったオーランドー。エリザベス一世と血縁であり、大層気に入られていたオーランドーは美しく成長して宮廷に出仕。領地や屋敷、ガーター勲章を賜り、女王行幸の際には必ずお供することに。しかしロンドンの宮廷で出会ったロシアの姫君との恋愛、そして破局の後、オーランドーは屋敷に戻って読書に耽り、数多くの劇や詩を書くことになります。

文庫本の裏表紙の説明に

オーランドーとは何者? 36歳の女性にして360歳の両性具有者、エリザベス1世のお気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学賞を受賞した詩人、そしてつまりは... 何者? 性を超え時代を超え、恋愛遍歴を重ね、変化する時代精神を乗りこなしながら彼/彼女が守ってきたもの。...

とあるので、SF作品なのかと思って読み始めたんですが、全然そうではありませんでした。(良かったー) むしろ歴史小説ですね。でもオーランドーはエリザベス1世(1533-1603)の時代に生まれて、20世紀になるまでずっと生き続けることになるんですけど、時代はオーランドーが執筆に没頭していたり、7日間ほど目覚めないといった状態の間にごく自然に移り変わっちゃうし、周囲のメンバーもそのままなので、その時代時代の風物や流行が入れ替わるだけ。ごく自然な流れの話として読めてしまうほど。オーランドーがそれらの時代の移り変わりの生き証人となっている物語とは言えそうですが。

その300年以上に渡る時代の流れが何を表しているかといえば、オーランドーの家のモデルとされるサックヴィル家人々の歴史であり、ヴァージニア・ウルフと同時代のサックヴィル家の1人娘、そして女流作家となったヴィタ・サックヴィルの生涯なのだそうです。少年の頃のオーランドーや、まだ男性で大使をしていた頃のオーランドーの肖像画、そして女性となった後のオーランドーの写真が出てくるんですけど、その写真はヴィタの写真だし、肖像画はヴィタの祖先の肖像画とのこと。(どれも同一人物としか思えないほどそっくりですよー)
そしてこの300年は、エリザベス朝以降の英文学の流れも表しているのだそう。この英文学の流れがまたとても面白いんですよね。大学の英文学史の授業で名前を習ったり実際に作品を読んだ詩人や作家が次々と~。エリザベス朝の文学は、女性とは無縁で、シェイクスピアの劇のヒロインも演じたのは少年たち。そして男性に生まれたオーランドーが突然女性になってしまったのは、エリザベス朝が終わり、英文学に女性が登場するようになった17世紀末頃。確かにとても意図が感じられますね。
そしてオーランドーは男性の時も女性になってからも、名前は変わらずオーランドー。私としては「狂えるオルランド」(シャルルマーニュ伝説に出てくる騎士・ローランと同一人物)が真っ先に思い浮かぶんですが、やっぱりその線が濃厚のようで~。この作品でオーランドーの恋のお相手となるロシアのお姫様のポートレートは、ヴァージニア・ウルフの姪のアンジェリカのものだそうだし。アンジェリカといえば「狂えるオルランド」に出てくる異国のお姫さま! ほかにも色々な含みがあるみたい。作品そのものもすごく面白かったんだけど、そういう色々なことを教えてくれる訳者の杉山洋子さんによる解説「隠し絵のロマンス -伝記的に」もとても良かったです。(ちくま文庫)

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1625年4月。ガスコーニュ地方の古い貴族の家に育ったダルタニャンは、父親から15エキューの金と妙な色合いの馬、銃士隊の隊長・トレヴィル宛の紹介状、そして母親からはどんな傷にも効くという万能の軟膏の作り方を伝授され、パリへと向かいます。途中、マンの町で馬のことを笑われて、笑った男たちに殴りかかるものの、逆に殴り倒され、しかも気を失っている間にトレヴィル宛の紹介状を取られてしまうという出来事もあるものの、ダルタニャンは無事にパリのトレヴィルの屋敷に辿り着き、アトスとポルトス、そしてアラミスと知り合うことに。

「三銃士」は子供の頃に大好きだったんですけど、それが「ダルタニャン物語」のごく一部だと知ったのは大人になってから。小学校の頃に読んでたのは岩波少年文庫だし、きちんとしたのを読んでみたかったんですよねえ。でも全11巻だし長いですからね。読みたい読みたいと思いつつ早何年。いえ、去年だって北方水滸伝全19巻とか窯変源氏物語全14巻を読んでるし、読めば読めないわけじゃないはずなんですけど... 長い作品には、やっぱり何かきっかけが欲しいわけです。で、先日丁度いいきっかけがあったので読んでみることに~。
いやあ、やっぱり面白かった。訳が古めで騎士のことを「武士」、剣のことを「刀」なんて言ってるし、「枢機卿」も「枢機官」になってるんですけどね。そして逆に「妹のアドレスをダルタニャンに教えた」なんて文章があって、「アドレス? URL?」なんて思ってしまったり。(笑) でもこの面白さには、全然影響しないですね。今読んでもミレディーの悪女ぶりは凄まじいし、ダルタニャンって実は結構女ったらしだったのね...とびっくりしてみたり。アトスとポルトスとアラミスも、久しぶりで懐かしかったです! これは続きを読むのも楽しみ~。

今回読んだ「友を選らばば三銃士」「妖婦ミレディの秘密」の2冊で第1部、普通の「三銃士」に当たります。私が読んでいるのは図書館にあった講談社文庫版なので、ここでリンクしているブッキング版とは違うんですが、訳者さんが同じなので多分一緒かと。そして3~5巻は第2部で「二十年後」、6~11巻が第3部で「ブラジュロンヌ子爵」。この「三銃士」の時、ダルタニャンは20歳なんですけど、第2部ではいきなり40歳になっちゃうってわけですか。びっくり! 次は3~5巻を借りて来ようっと。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ダルタニャン物語」1・2 A・デュマ
「ダルタニャン物語」3~5 A・デュマ

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母が突然亡くなり、父は永年勤めた製薬会社を辞めて、ヨーロッパを旅してまわることに。そしてその旅の合間に、娘のルーマが夫のアダム、息子のアカーシュと暮らす家にやってきます... という表題作他、全8編。

「停電の夜に」「その名にちなんで」に続くジュンパ・ラヒリの3作目。
これまでの2作同様、主要な登場人物たちはほとんどがインドにルーツを持つ人々。でも主人公となるのは、移民の第一世代ではなくて第二世代です。育ちも(そしてほとんどの場合は生まれも)アメリカという彼らは、もうアメリカ人と全く同じような生活を送っているし、本を読んでいる限りでは「アメリカ人」と呼んでもまるで違和感がありません。しかもこの本に描かれているのは、ごく普通の家庭にあり得る物語ばかりなんですよね。それでもインドの人々の浅黒い肌にくっきりとした目鼻立ちは、アメリカの白人の中にあって相当目立つはず。そうだ、インドの人々だったんだ、と読みながらふと気付いて、そのたびに驚くことになりました。最初の2作を読んだ時は「インド」という言葉が頭から離れたことはなかったのに。そして2作目の「その名にちなんで」を読んだ時には、第一世代と第二世代の意識の違いに驚かされたし、インドでもアメリカでも彼らが本質的に受け入れられることは既にないんだなあと強く感じさせられたのに、この本ではそうではありませんでした。肌の色が違っていても、彼らは既にアメリカという土地にしっかりと根付いているんですね。時の流れを感じるなあ。
やっぱりジュンパ・ラヒリはいいですね。本を開いたところに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンの「ラヒリが造形する人物には、作家の指紋が残らない。作家は人物の動きに立ち会っているだけのようだ。人物はまったく自然に成長する」という書評が載ってるんですが、本当にその通りですねー。それはもう本当にびっくりするほど。
そういえば去年は新潮クレストブックスを1冊も読まなかったんですよね、私。久しぶりに読みましたが、やっぱり良かったです。今年はまた色々と読んでいきたいな。(新潮クレストブックス)


+既読のジュンパ・ラヒリ作品の感想+
「停電の夜に」「その名にちなんで」ジュンパ・ラヒリ
「見知らぬ場所」ジュンパ・ラヒリ

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遥か昔、元来太陽の周囲を回る惑星だった月は、地球の引力に吸い寄せられてしだいに地球に接近し、とうとう地球の周りに軌道を描くようになります。そして月と地球が相互の引力で引き合った結果、2つの天体の表面は変形し、柔らかい月の表面が地球に滴り落ちることになるのです。それを Qfwfq は帰宅途中の高速道路で見ていて... という「柔らかい月」他、全11編。

以前読んだ「レ・コスミコミケ」と同じくQfwfq 氏の出てくる短編集。あちらでも「月の距離」という月と地球がとても近くにあった頃の話から始まってたんですけど、こちらも月の話から。柔らかい月の表面が地球に滴り落ちるなんて部分もとても映像的で楽いし、その出来事が起きた当時もマディソン・アヴェニューには摩天楼があり、その時の月の滴り(隕石)に破壊されたものを、何百何千世紀かけて「かつての自然のままの外観を取り戻そうとして」再現しようとしているなんて、一体どんな発想なんでしょうね! 「語り」って、ほんと「騙り」なんだなあ。
ということで、この本は「Qfwfq 氏の話」「プリシッラ」「ティ・ゼロ」という3部構成。「Qfwfq 氏の話」で起源としての誕生、「プリシッラ」で細胞分裂としての生と死... 「ティ・ゼロ」で描かれているのは永遠のような一瞬? 最初は前面にいたQfwfq 氏は、第2部に入った頃から徐々に姿を消し始めて、第3部では、もういないも同然となってしまいます。2部の「死」と共に、「個」を失ってしまったみたい。先に書かれた「レ・コスミコミケ」から一貫して語ってきた Qfwfq 氏がこんな風にフェイドアウトするところにも、きっとすごく大きな意味があるんでしょうね。で、その第3部がまた面白かったりするんだわ! こういうの好き好き。そして最後の「モンテクリスト伯」で描かれてるのは、すでに迷宮のようになってしまった「イフ城」からの脱出について。「個」を失ったQfwfq氏は、ここから脱出していずこへ...? というよりカルヴィーノはどこへ脱出しようとしてるんでしょう。そうやって重さを払いのけて身軽になろうとしていたのかなあ。(河出文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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大西洋の沖合いの6000メートルもの深さの海面に浮かぶ小さな村。村を通るただ1本の道に沿って色褪せた赤煉瓦の家や店が並び、沢山の小窓がある鐘楼が立つこの村には、木靴をはいた12歳の少女がたった1人で暮らしています。船が近づくと少女は激しい眠気に襲われ村全体が波の下に沈むため、船乗りの誰1人として、この村を望遠鏡の隅にすら捉えたことがないのです... という「海の上の少女」他、全20篇が収められた短篇集。

日本では最初に堀口大學が紹介して以来、詩人たちのアイドル的存在だったというシュペルヴィエル。聖書のエピソードを膨らませたりアレンジした作品もあれば、ギリシャ神話をモチーフにしているものもあり、フランスの普通の人々を描いた作品もあり、どこか分からない場所の物語もあり、収められている20編はとてもバラエティ豊かです。でもそこに共通しているのは、透明感のある美しさ。どの作品も散文なんですけど、詩人だというだけあって詩的な美しさがありました。
特に印象に残ったのは、大海原に浮かぶ村を描いた幻想的な表題作「海に住む少女」。そして娘の溺死体が海に流れ着く「セーヌからきた名なし嬢」。読んでいると情景が鮮やかに浮かび上がってきます。美しいなあ...。そして驚いたのは、死を感じさせる作品がとても多いこと。大半の作品が何らかの形で「死」を描いてるんですね。「死」そのものというよりも、「生」と「死」の境界線上かも。「死」とは関連していなくても、たとえば「少女」と「女」、「人間」と「人間でないもの」みたいな何らかの境界線上で揺らいでる印象が強いです。それはもしかしたら、フランスと生まれ故郷のウルグアイとの間で揺れ動いていたシュペルヴィエル自身だったのかしら、なんて思ってみたり。
それと思ったのは、作品を自分の方に引き寄せて読むのではなくて、作品の方に歩み寄らなければならないということ。そこに書かれているがままを受け入れ、味わわなければならないというか... 絵画的な美しさが感じられることもあって、まるで静まりかえった美術館で絵画を眺めているような気分になりました。 (みすず書房)

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