Catégories:“文学(翻訳)”

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南に向けて6時間も飛びっぱなしだったカモメたちの一団は、見張り係がみつけたニシンの群れを目指して急降下。しかし銀色の翼のケンガーが4匹目のニシンをとりに海に潜った時、見張り係の警告の叫び声が。ケンガーが海面に頭を出した時、既に仲間たちの姿はありませんでした。警告は、海に原油が広がっていることを知らせるものだったのです。羽に原油がべっとりとついたカモメは、魚の餌食になるか餓死するさだめ。ケンガーはなんとか飛び立つことに成功するものの、やがて力尽きてハンブルクの一軒の家のバルコニーに墜落。そこにはゾルバという黒い猫がいました。自分の命が長くはないことを悟ったケンガーは、自分の産む卵をゾルバに託すことに。そして卵を食べないこと、ひなが生まれるまで卵の面倒をみること、そしてひなに飛び方を教えることをゾルバに約束させます。

ゾルバ、大佐、秘書、博士、向かい風といった猫たちと、フォルトゥナータと名づけられたカモメとの友情物語。「港では、一匹の猫の問題は、すべての猫の問題だ」「港では、一匹の猫が名誉にかけて誓った約束は、港じゅうのすべての猫の約束じゃ」という言葉のもとに、死んでいったカモメのケンガーとの約束は厳重に守られることになります。でも何でも載ってる博士の百科事典にも、カモメの育て方は載ってないんですよね。猫たちのカモメのヒナ育ては、全く手探り状態でスタート。ゾルバは綺麗な石みたいだなと思いつつも卵を温め続け、やがて生まれたヒナにハエを取ってやり、人間たちに見つからないように場所を移し、ヒナを狙わないように野良猫と下水管のネズミに話をつけます。フォルトゥナータをという名前になったヒナは、猫たちの愛情に包まれて育つんです。自分も猫だと思いたくなるほどまでに。
この猫たちがすごくいいんです。なんていうか男気があってカッコいい。私は本当は動物モノってあんまり好きじゃないんですけど、これは良かったなあ。とてもシンプルな物語なんですけど、とても力強くて愛情もたっぷり。ヨーロッパでは「8歳から88歳までの若者のための小説」という副題で刊行されたと聞いて納得です。確かに一見童話のような作品だし、すぐ読めてしまう短さなんですけど、これは単なる子供向けの作品ではないですね。子供も大人もそれぞれに楽しめる作品。なかなかいいものを読みましたー。(白水uブックス)

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ダヴンホール島のチャイナタウンで生まれ育ったマークは、生まれつき真っ白い髪をした少年。そのマークが、母親の足元に見知らぬ男の死体が横たわってるのを見たのは19歳の時。マークはそのまま回れ右をして島を出て行きます。島と本土を行き来する小さい船で働きながら、決して島に降り立とうとはしないマーク。そして15年が経った時。ダヴンホール島にやって来た青いドレスの娘に心を奪われたマークは、娘がなかなか戻って来ないのに苛立ち、15年ぶりに島に降り立ちます。しかし娘は見つからず、マークは母と再会。そして15年前に死んだ男の声、バニング・ジェーンライトの生涯を語る声を聞くことに...。

裏表紙に「仮に第二次大戦でドイツが敗けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら...」と書いてあったので、てっきりヒトラーのif物、第二次世界大戦でナチスが勝ち、その勢力が全世界に及んでいく話なのかと思ったら! いや、確かにヒトラーは生きてるんですけどね。そういう話ではなかったんですね。そして裏表紙に「ヒトラーの私設ポルノグラファーになった男を物語の中心に据え」ともあったので、最初に出てくる少年がそのポルノグラファーになるのかと思ったんですけど、どうやらそれも違うみたいで、そうこうしてるうちにバニング・ジェーンライトの話が始まっちゃうし。しかもそのバニング・ジェーンライトの話の中にも、いくつもの話の流れがあるんです。面白くてどんどん読み進めてしまうんですけど、えっ、これってどういうこと? 話はあとでちゃんと繋がるの? このまま読み進めちゃって本当に大丈夫...? なんて不安になってしまいました。
それでもとりあえず読み続けてたら。「あっ」と思った瞬間全てが繋がってました。そうか、よく分からなかったあの場面はこういうことだったのか! あれもこれも、そういうことだったのか! いきなり目の前がクリアになりました。オセロゲームで、いきなりパタパタと駒がひっくり返って、黒一色に見えた盤上が白一色になってしまった時みたいな感覚。
そうか、これはパラレルワールドじゃないんですね。パラレルワールドと言えるほど平行してないもの。捩れて絡まりあって侵食しあってます。そうか、クリストファー・プリーストの「双生児」か。あと、先日読んだばかりのガルシア=マルケス「百年の孤独」も? いや、凄かったな。これはもう一同最初に戻って読み返してみなくっちゃ。そうすれば、もう少し全体像を掴みながら読めるよね。ああ、作者の理解力を持ってこの作品を読みたい。って、理解力のなさを暴露してるようですが、そこはそれ、隅々まで理解したいということで♪

...で、結局カーラって誰だったんでしょうか?(す、すみません、よく分からなくて...)(白水uブックス)

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19世紀末。葉巻店主の息子として生まれたマーティン・ドレスラーは、9歳の時に既に葉巻やパイプ、煙草に関する知識を十分持ち、客の気質を素早く見抜いてはぴったり合った品を勧めるのを得意としていました。人々はマーティンを気に入り、その判断を信頼していたのです。やがてヴァンダリン・ホテルの早番フロント係のチャーリー・ストラトマイヤーに、ホテルのロビーの葉巻スタンドでは売っていない高級パナテラ葉巻を毎日届けることによって、ビジネス上の初の成功を収め、14歳の時にマーティンはヴァンダリン・ホテルのベルボーイとして働くことになります。

今回主人公として描かれているマーティン・ドレスラーという人物像自体は、ミルハウザーが描いているほかの人物たちと基本的に同じ。自分の興味の対象に打ち込んで、素晴らしい作品を作り上げるというのも同じ。でもマーティン・ドレスラーは芸術家じゃないんですよね。アウグスト・エッシェンブルクやJ・フランクリン・ペインと同じように確かに職人気質なんだけど、マーティン・ドレスラーが作り出すのは時代を先取りするようなカフェレストランでありホテルであり、決して自動人形や絵画やアニメーションではないんですよねえ。そしてもう1つ違うのは、彼には全面的にお膳立てを整えて後押ししてくれる人間がいないということ。そういう人間の存在によって、アウグスト・エッシェンブルクやJ・フランクリン・ペインは自分の作り出す芸術品に没頭していればそれで良かったんだけど、マーティン・ドレスラーは自分が作り出す立場でもあり、全面的にお膳立てを整える立場でもあり、なんですよね。その都度パートナーはいるんだけど、気がついたら去っていってしまっていて。
いつものようにミルハウザーらしさを堪能できたし、今回は長編のせいかマーティン・ドレスラーの感情の移り変わりもいつも以上に濃やかに描かれていたんですけど、やっぱりどこか違うなあって気も...。いつもと同じような人物造形だけに、生み出すものに期待してしまうのかな。レストランやホテルというのがリアルすぎるんですよね、多分。あまり夢みる対象にはならないからかも。(白水uブックス)


+既読のスティーヴン・ミルハウザー作品の感想+
「イン・ザ・ペニー・アーケード」スティーヴン・ミルハウザー
「バーナム博物館」スティーヴン・ミルハウザー
「三つの小さな王国」スティーヴン・ミルハウザー
「マーティン・ドレスラーの夢」スティーヴン・ミルハウザー

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檻の前にいたのは、2時間以上も身動きせずにじっと立ち続け、青い毛並みのオオカミが行ったり来たりするのを眺め続けている少年。オオカミは、少年が一体自分に何をして欲しいのかと不思議に思います。そのうち飽きるだろうと考えるオオカミでしたが、少年は翌日もそのまた翌日も、そしてその翌日も、月に一度の休園日も、オオカミの檻の前に1日中立っていたのです。10年前に人間に生け捕りにされた日に片目を失って以来、人間に二度と興味を持つまいと誓っていたオオカミですが、やがて根負けして檻の中を歩き回るのをやめ、少年に真正面から向き合うことに。

今まで読んだダニエル・ペナックの作品って、マロセーヌシリーズの4冊だけなんですけど、そちらとはもう全然雰囲気が違っててびっくり。マロセーヌシリーズはもう本当に饒舌な作品でしたが、こちらはとっても静かなんです。外界から心を閉ざして檻の中を歩き続けるオオカミと、そのオオカミを見つめる少年が正面から向き合うことによって徐々に理解や信頼が生まれて、オオカミは再び生きる力を得るという物語。
読み始めた時は、児童文学?と思ったんですが、実際にはすごく深くて大人向きの作品ですね。子供のうちに読んでも楽しめるとは思うんですけど、本当に理解できるのは大人になってからでしょう。「先進国に対するアフリカ」とか「自然破壊」みたいに、表にはっきりと出てきてるテーマもあるんですが、一番大切なことはむしろ隠れてるし。読みながら、これはどういうことを意味してるんだろう?って1つずつ考えちゃう。
この作品に出てくる少年は、アフリカ生まれの黒人の少年なんですよね。フランス人作家のダニエル・ペナックがこんな作品を書いてるとはびっくりでしたが、モロッコのカサブランカで生まれ、両親とともにアジアやアフリカの各国で暮らした経験を持つのだそう。そうだったのか。納得です。 (白水uブックス)


+既読のダニエル・ぺナック作品の感想+
「人喰い鬼のお愉しみ」D.ぺナック
「人喰い鬼のお愉しみ」「カービン銃の妖精」ダニエル・ぺナック
「散文売りの少女」ダニエル・ぺナック
「ムッシュ・マロセーヌ」ダニエル・ペナック
「片目のオオカミ」ダニエル・ペナック
「カモ少年と謎のペンフレンド」ダニエル・ペナック
「奔放な読書」ダニエル・ぺナック

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アウレリャーノ・ブエンディーア大佐が子供の頃のマコンドは、澄んだ川が勢い良く落ちていく川のほとりに、葦と泥づくりの家が20軒ほど建っているだけの小さな村。毎年3月になるとぼろをぶら下げたジプシーの一家がやってきて、アウレリャーノの父のホセ・アルカディオ・ブエンディーアが母・ウルスラの反対を押し切って、なけなしの金で不思議な道具を買い込むのが常。当初は若き族長として村の発展のために尽くしたホセ・アルカディオ・ブエンディーアは、いつしか家の仕事も子供の世話もせず、ジプシーのメルキアデスに贈られた錬金術の工房に篭りきりの生活を送るようになっていたのです...

読もう読もうと思いつつ、ラテンアメリカ文学にはちょっと苦手意識があってなかなか手に取るところまではいかなかったんですが、ようやく読めました。いや、これを読んでもやっぱりラテンアメリカにはまだまだ慣れないなあという感じなのだけど... でも今なら寝かせ中のボルヘスの「伝奇集」が、もう少し読めるようになってるかな? 少しずつ読んでは寝かせてるので、一体いつになったら読み終わるの?状態なんですけど。(笑)

この「百年の孤独」を読み始めて最初に戸惑ったのは、同じ名前の人間が沢山登場すること。ホセ・アルカディオとアウレリャーノがいっぱい! もう半端じゃないです。そしてその2つの名前ほどじゃないけど、ウルスラとアマランタもいっぱい。これは混乱せずにはいられないでしょう。でも、これはわざとだったんですね。親の名前を子供につけるというのは普通にあることでしょうけど、なんでこんなことするんだろう... と、ずっと思いながら読んでたんです。最後まで読んですとんと腑に落ちました。
この作品、途中も十分面白く読んでたんですけど、同時にどこか収まりが悪くて落ち着かない気分もあったんですよね。ちょっと読んでは、また前に戻ってもう一度読み返したくなって仕方がなくて。しかも、先週の後半から週末にかけて全然まとまった読書の時間が取れなかったので、もう全然進まなくてー。でもそうやって「三歩進んで二歩下がる」読書を続けてた甲斐があったのか(笑)、最後の最後でドカンと来ました。いや、すごいな、これは。全てがこの最後のための積み重ねと反復だったのね。なるほど! この100年というスパンがまた素敵。いやあ、面白かったです。濃い話だったわー。

という私が読んだのは旧版。上の書影とリンクは最新版です。1999年度に出た版はレメディオス・バロの表紙が素敵だし作品にも合ってると思うのに、なんで変えちゃったのかな?(新潮社)

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月光の照る夜、ベッドの中で仏陀の本を読みながらなかば夢見心地になっていた「ぼく」が石と脂肪について考えていると、場面は突然プラハのゲットー(ユダヤ人街)にあるアパートの中庭に転換。赤毛のロジーナを避けて自室に戻った「ぼく」は、古道具屋のアーロン・ヴァッサートゥルムが店先に立っているのを眺め、ロジーナを探す双生児の兄弟の気配を感じ、隣の建物の同じ階から聞こえてくる男女の話し声に、数日前に人形遣いのツヴァック爺さんがアトリエを青年紳士に又貸ししたという話をしていたのを思い出します。その時、突然1人の貴婦人が部屋に飛び込んできたのです。「ペルナートさま、お助けくださいましーー後生ですから!ーーなにも言わないで隠れさせてくださいまし!」...「ぼく」は、宝石職人のアタナージウス・ペルナートになっていました。

ゴーレム伝説を下敷きにした幻想小説。マイリンクはユダヤ教、キリスト教、東洋の神秘思想を学び、しかもプロテスタントから大乗仏教徒に改宗という経歴の持ち主なんだそうです。マイリンクの作品には、新プラトン派やグノーシス派の哲学、錬金術やカバラの思想、バラモン教や道教などの東洋思想の影響が指摘されるそうで... 確かにそういう雰囲気がたっぷり。
ゴーレムというのはユダヤ教の伝承に登場する土人形のことなんですが、プラハのラビ(ユダヤ教の律法学者)・レーフが作ったゴーレムの伝説が一番有名なようですね。レーフは土を捏ねて人形を作り、護符を貼り付けて動けるようにするんですが、ある晩その護符を取り外すのを忘れるとゴーレムが凶暴化。護符を剥ぎ取ってようやく土くれに戻ったという話。でもこの作品は「ゴーレム」という題名ほどにはゴーレム伝説中心ではないんですね。本当はもっとそのゴーレム伝説そのものを読みたかったんだけど、ちょっと違ってて残念。

でもこれはこれで... なんて言い方をするのはこの作品に失礼なんだけど、すごく迫力のある作品でした。陰鬱な雰囲気のプラハのゲットーを舞台に、いくつもの断片的なエピソードが積み重ねられていて、まさに夢の中にいるような不思議な雰囲気。いくつかの場面が、ものすごくくっきりと鮮やかに脳裏に焼きついてしまったのだけど、その中でも謎の男が修理に持参した「イッブール(霊魂の受胎)」という羊皮紙の本を開く場面が、とても幻想的で美しい~。奇妙な通路を抜け出た先の部屋に落ちていたタロットカードを拾った場面も印象的だったし... あとはやっぱりラストの場面かな。きっと主人公がより深く自分自身を探っていく物語だったんだろうと思うんですけど、きちんと理解できたとは到底言いがたいです。でもものすごく存在感のある作品。これは落ち着いた頃にまた読み返してみたいな。(河出書房新社)

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幼い頃から絵を描くのが好きだったフランクリンは、高校を卒業すると似顔絵描き、広告ポスター仕事を経て、新聞の漫画を描くようになり、じきに自宅でアニメーションを作り始めることに... という「J・フランクリン・ペインの王国」。昔々、川向こうの険しい崖の上に建っている城に住んでいたのは美しい王と王妃。2人は心から愛し合っていたにも関わらず、1年と経たないうちに幸福は絶望へと変わり果てることになるのです... という「王妃、小人、土牢」。そしてエドマンド・ムーラッシュという画家の遺した絵画の解説から、エドマンドとその妹・エリザベス、エドマンドの友人・ウィリアムとその妹・ソフィアの4人の関係が見えてくる「展覧会のカタログ」の3編。

「J・フランクリン・ペインの小さな王国」のJ・フランクリン・ペインは、ミルハウザーがよく描く職人タイプの人間。1920年、まだディズニーのミッキーマウスも出てきていない、アニメーションのごくごく初期の時代。セル画を使えば相当楽になると分かってはいても、細部にまで拘って自分で描かずにはいられないフランクリンの姿は、まさしく「アウグスト・エッシェンブルク」タイプ。
そしてあとの2作は、小さなエピソードを積み重ねていくタイプの作品。「王妃、小人、土牢」は、それぞれ表題がついたエピソードがいくつも積み重なることによって、王と王妃、辺境伯、小人の4人の物語が展開していきます。「展覧会のカタログ」も、画家の遺した絵1枚1枚に書かれた解説を読んでいくに従って、4人の人間の変化し緊迫してゆく関係が見えてくる作品。

でも最初はそんな外見的な形式の違いに目が行ってしまってたんですけど、考えてみたら「J・フランクリン・ペインの小さな王国」は、フランクリンが自ら小さなエピソード積み重ねてるようなものだし... それにアニメーションというのは、観客がそこで繰り広げられる物語を眺めるというもの。「王妃、小人、土牢」で、川向こうのお城のお話がどんなに酷い展開をみせたとしても、川のこちら側の町の住人にとっては「昔々」のお話に過ぎないというのと同じなんですよね。展覧会のカタログだってそう。3つの作品はそれぞれに共通するものを持ってたのね。「探偵ゲーム」の現実の世界とゲームの中の世界のように、外の世界と中の世界と。

3編とも本当にミルハウザーらしい作品でした。幻想的という意味では今まで読んだ2冊の方が好きだったけど、この本もなかなか良かったです。この3作の中では「王妃、小人、土牢」が一番好きだな。これが一番境界線があやふやだからかな。(白水uブックス)


+既読のスティーヴン・ミルハウザー作品の感想+
「イン・ザ・ペニー・アーケード」スティーヴン・ミルハウザー
「バーナム博物館」スティーヴン・ミルハウザー
「三つの小さな王国」スティーヴン・ミルハウザー

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