Catégories:“文学(翻訳)”

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ローマ帝国の五賢帝の1人、皇帝ハドリアヌスももう60歳。死病に侵されるハドリアヌスがマルクス・アウレリウスに宛てた手紙。そしてそこで語る自らの生涯。

フランスではこの作品の影響で、ハドリアヌス帝が一番人気がある皇帝となったのだそうです。それもなるほどと納得させられてしまうような、無駄がそぎ落とされた美しい文章で構築されていく、静謐で高貴な世界でした。狩とギリシャ文化を愛したハドリアヌス。ヒスパニアに生まれ、ローマで教育を受け、青年時代に軍隊生活が始まり... ハドリアヌスにとっては聡明な守護神だったトライアヌスの妻・プロティナの存在。即位。粛清事件。そして帝国内を視察する旅から旅の生活。塩野七生さんの「ローマ人の物語 賢帝の世紀」(感想)に登場するハドリアヌスとは、ほんの少し印象が違う、でもどちらにも共通しているのは、間違いなく賢帝だったということ。何といっても皇帝在位中の業績が素晴らしいですしね。常に皇帝としての義務を果たしつつ、トライアヌスが拡大した帝国内をくまなく巡察し、既存の公共施設を修理、国境の防衛線を強化、地域ごとの問題を解決してローマ帝国の平和を維持していった人なんですから。

それでも、ユルスナールの作り上げた格調高い世界、そして塩野七生さんが繰り返し書く、現代人にとって理想像のように見えるローマ人の世界を読みながらも、本当にそうだったのかな?という思いもよぎってしまうのを止められない私。というのは、以前読んだペトロニウスの「サテュリコン」(感想)のせいですね。これがもう、ローマ文化の爛熟ぶりが良く分かるというか何というか、もう本当に辟易してしまうほどの退廃ぶりを描いた作品だったので...。
ペトロニウスというのは、ネロ帝時代の文人。ネロ帝の側近だった人なんですね。だから日々ネロ帝の華やかな生活の恩恵を受けていたでしょうし、そういう特殊な部分を描いた作品なのかもしれないんですが... でもローマ人の生活の乱れぶりについては、先日読んだタキトゥスの「ゲルマニア」(感想)にも、ちらりちらりと出てきたんです。この作品は、ゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などをローマ人に紹介するもの。なのでローマ人に関してはほとんど書かれていないんですが、品行方正なゲルマン人の暮らしぶりに対して、ローマ人の乱れ切った生活ぶりを嘆くような部分があるんです。このままではいつかゲルマン人にやっつけられてしまうだろう、という不安と。ネロ帝の時代は紀元37年から68年まで。ハドリアヌス帝は117年から138年まで。実際それほど離れているわけではないので、世の中だってそう大きく変わらないはず。タキトゥスの「ゲルマニア」が、その中間の98年に書かれたとされているんだから尚更。

でも... そんなことは既に関係ないんでしょうね。実際のローマ帝国がどうであったにせよ、そんなことは大した問題ではないんでしょう。確かにハドリアヌスだって若い頃から女性関係は結構盛んだったようだし、アンティノウスという美少年を寵愛したりしてるんだけど、それも含めて、ここに描かれているのは、あまりにも美しい世界。もうひれ伏すしかないほどの。ここに描かれたハドリアヌスは確かに生きているし、ユルスナールが描き上げたかったのは、ハドリアヌス帝の姿を借りたこの人物なのだと思えてきます。
ユルスナールは、この作品の構想を20歳から25歳の間に盛ったにも関わらず、実際に今ある状態の作品として書くまでには長い年月を経なければならなかったんだそうです。ああ、分かる気がする...。ユルスナールですら、この物語を書きあげるには、ある程度の年齢を重ねることが必要だったんですね。(白水社)


+既読のマルグリット・ユルスナール作品の感想+
「東方綺譚」マルグリット・ユルスナール
「ハドリアヌス帝の回想」マルグリット・ユルスナール

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「私」の恋人が逆進化。ある日まで彼は「私」の恋人だったのに、次の日は猿になり、それから1ヶ月たった今では、海亀なのです... という「思い出す人」他、全16編の短編集。

読み始めてまずびっくりしたのが、そのシュールさ。だって、恋人がある日突然猿になってしまって、それからヒヒになったりいろいろして、今は海亀なんですよ! しかもそんなことを、語り手の彼女が淡々と語り続けるんです。怒りも困惑も悲しみもなくて、ましてや狂気のかけらもなくて、ただ事実を事実として認めて、見守りつつ語るだけ。彼女は、覚えておくことこそが自分の仕事だと感じてるんですね。元々、少女の頃に既に特定の願いごとがもたらす結果を学んでしまったからと、星にはただ「善いこと」だけを願っていたような女性ではあるんですが... それでも、ね。普通ならパニックを起こしたり、元に戻れるよう神頼みになったり、もしくはすっかり諦めてしまって、その「元恋人」を捨ててしまったり... あと他にどんな選択肢があるのか今ぱっと思い浮かびませんが、彼女のように、ただ淡々と「見守り続ける」というのは、あまりないような。でも、彼女は当然のようにそうしてる。そして、そんな一種独特の雰囲気が、この作品だけでなくて、全ての作品に共通しているんです。何が起きても動じない神経の太さというのではなくて、とてもとても繊細なのに、何が起きてもただ受け止める度量を持つ人々の姿が描かれています。そこには無理な明るさも過剰な暗さもななくて。シュールでありながら、そこからあと1歩を踏み出してしまわない絶妙さ。そしてその絶妙なセンスがものすごく美しいのです。

訳者あとがきによると、エイミー・ベンダーはイタロ・カルヴィーノ、オスカー・ワイルド、ジェイムズ・ボールドウィン辺りの作品が好きなんだとか。キャリル・チャーチルの戯曲「クラウド・ナイン」、オリヴァー・サックスのエッセイ、ガブリエル・ガルシア=マルケスの「百年の孤独」が大好きで、その後村上春樹の奇妙な宇宙に入り浸ることになったんですって。ああ、分かる気がする! という私は、ジェイムズ・ボールドウィンもキャリル・チャーチルもオリヴァー・サックスも読んだことないんですが(汗)、カルヴィーノとワイルド、そして「百年の孤独」に村上春樹と聞けば、なるほど納得です。特にカルヴィーノが好きな方は、一度試してみる価値があるかと~♪ (角川文庫)

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ヴァレーゼに住むビアンキさんは薬のセールスマン。7日間のうち6日間はイタリアじゅうを西から東へ、南から北へ、そして中部へと旅してまわっています。そんなビアンキさんに幼い娘が頼んだのは、毎晩1つずつお話をしてほしいということ。女の子はお話を聞かないことには眠れないのです。そしてビアンキさんは約束通り、毎晩9時になるとどこにいようが家に電話をかけて、娘に1つお話を聞かせることに。

ロダーリによるショートショート全56編。電話で娘に語る小さな物語という設定通り、どれも小さなお話なんですが、これが本当に楽しくて! だって空からコンフェッティは降ってくるし、回転木馬は宇宙に飛んでいくし、鼻は逃げていくし...! ロダーリの頭の中ってどうなってるんだろう。次から次へとアイディアが湧き出してくるのかな~。時にはオチがなくても、全くのナンセンスでも、ロダーリの手にかかると楽しく読めてしまうのが不思議なほど。どれも奇想天外だし、読者の気を逸らさないどころか、全く飽きさせないはず。さすがロダーリ。
私が特に好きだったのは、散歩をしながら体をどんどん落してしまう「うっかり坊やの散歩」や、一見何の変哲もない回転木馬の話「チェゼナティコの回転木馬」、数字の9が計算をしている子供に文句を言う「9を下ろして」、春分の日に起きた出来事「トロリーバス75番」辺り。でも読後に本をパラパラめくってると、やっぱりどれも捨てがたいー。この本は手元に置いておきたいな。ちょっと疲れた時なんかに、1つずつ読むのもいいかもです。^^(講談社)


+既読のジャンニ・ロダーリ作品の感想+
「猫とともに去りぬ」ロダーリ
「チポリーノの冒険」ジャンニ・ロダーリ
「うそつき国のジェルソミーノ」ジャンニ・ロダーリ
「パパの電話を待ちながら」ジャンニ・ロダーリ

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日本に帰化し、「小泉八雲」と名乗るほどに日本を愛していたラフカディオ・ハーン。彼が日本各地に伝わる伝説、幽霊話などを再話した、有名な「耳なし芳一のはなし」を始めとする17編の「怪談」と、「蝶」「蚊」「蟻」にまつわる3編のエッセイ「虫の研究」。

ラフカディオ・ハーンは、アイルランド人の父とギリシャ人の母の間に生まれて、アイルランド、フランス、イギリスで教育を受けた後にアメリカに渡ってジャーナリストになり、さらに紀行文を書くために来日したという人物。日本では高校や大学の英語教師をつとめ、小泉節子と結婚し、その後帰化。イザベラ・バードやアーネスト・フェノロサらと並ぶ日本紹介者として有名ですね。そのラフカディオ・ハーンが、妻である節子から聞いた怪談話をきっかけに、日本古来の文献や民間伝承に取材して創作したという短篇集です。原文は英語で書かれていて、これはそれを日本語に翻訳したもの。

「耳なし芳一」や「雪女」といった話は、もう本当に有名ですよね。最早ラフカディオ・ハーンの手を離れてるのではないかと思うほど、一般に浸透した昔話となっていますが、その他の話もよく知られているものが多いです。でも知っている物語でも、改めて読むと思っていたのとはまたちょっと違っていてびっくり。例えば「耳なし芳一」は、主人公の芳一は目が見えないので、基本的に視覚的な描写というのがないはずなんですが、これがものすごく映像的なんです。特に芳一が甲冑に身を固めた武者に連れられて「さるやんごとないお方」を訪れる場面。芳一の耳に聞こえてくる音からでも、情景が立ち上ってくるみたい。「雪女」も、子供用の絵本からはちょっと味わえない、しみじみとした哀切感と夢幻的な雰囲気があって素敵だったし...。可笑しかったのは「鏡と鐘」。「ちょっと言いかねる。」で終わってしまうところが絶妙なんですよね~。(これだけじゃあ意味が分からないと思うので、ぜひ読んでみて下さい♪) しみじみとした美しさのある「青柳ものがたり」もとても好きな作品。今回改めて読んでみて、純粋に物語としての面白さが楽しめたのはもちろんのこと、その端々から江戸~明治時代の時代背景を伺い知ることができたのも楽しかったです。そしてラフカディオ・ハーンの再話能力のすばらしさも。この「怪談」の日本的な部分があくまでも日本らしく描かれているのは、ラフカディオ・ハーンはキリスト教に対してそれほどの信頼を置いていなかったというのが大きく関係しているような気もするのですが... どうでしょう。
そして意外な収穫だったのが「虫の研究」。これは虫にまつわる3編のエッセイなんですが、ここでは生まれながらの日本人ではないラフカディオ・ハーンの視点から語られることが、単なる虫に関する意見だけでなく、文化論・文学論にも発展するようなものだけにとても興味深かったです。蟻社会を人間社会に重ね合わせた「蟻」も哲学的だし、どこか近未来小説みたいで(というのは私が「一九八四年」を読んだところだから?)面白かったです。(岩波文庫)

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世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

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弁護士のアタスン氏と遠縁のリチャード・エンフィールド氏が恒例の日曜日の散歩をしている時に出たのは、ロンドンの繁華街の裏通りにあるドアの話。それはエンフィールド氏が初めてハイド氏を見かけた場所。早足で歩いていたハイド氏は、懸命に走っていた少女と正面衝突し、倒れた少女の身体を平然と踏みつけたのです。悲鳴をあげている彼女をその場に置き去りして歩み去るハイド氏に、エンフィールド氏は思わずの小男の襟首をつかんで現場に引き立てることに。そして少女の家族とやがて現れた医者と共にハイド氏を非難するのですが...。このハイド氏は、相手に嫌悪感を抱かずにはいさせないタイプの小男でした。

作品を読んだことのない人でも、「ジキルとハイド」といえば知ってますよね。既に有名になりすぎていて、改めて読む気がしないという人も結構いそうです。結構スリリングなサスペンスですごく面白いので、ネタがあまりに有名になってしまってるのが勿体ないなーと思うのですが... ネタを全然知らずに読めば、どきどきワクワクしながら読めるはず。でも有名な作品になってしまうと、ネタばれなしに読むのってほんと難しいですね。という私は、ふと読みたくなって、久しぶりの再読です。中学か高校の時に読んで以来。まあ、その時もネタを知りつつ面白く読んだのですが、今回はさらに面白く読めました。
でも今回ちょっと意外だったのが、というか、すっかり忘れていたのが、ジキルとハイドの分かれ具合。なんとなくカルヴィーノの「まっぷたつの子爵」(感想)のような感じに思ってたんですけど、そうじゃなくて! ジキル博士は確かにいい人なんですけど、それでも若い頃には結構放埓な生活を送っていたという人。ハイド氏が登場した後も、その性格は基本的にまるで変わっていないようです。そもそも、最初に登場する時に「きれいに顔をそった五十歳の博士は、多少狡そうなところもあるが、知性と善意にあふれている」とあるんですね。ここの「多少狡そうなところもあるが」というのが気になるーーー。だってこの時点では既に、なんですもん。ハイド氏のおかげで、悪の部分が抜けきったわけじゃなかったんだ! となれば、そりゃハイド氏の方が純度が高い分(?)強いでしょう。ジキル博士は、世間一般が好人物だと考えている、普通の人間のままなんですもん。
そうか、そうだったのか。この辺り、色々と突っ込んで考えていくと面白そうです。スティーヴンスンは、その辺りのことはどう考えてたのかしら。あまり深く考えていなかったのか、それとも考えつくした結果がこの作品なのか。こういうのって卒論のテーマにもいいかもしれないですね?って卒論を書く予定なんて、実際には全然ないんですけど。(笑)(岩波文庫)


+既読のスティーヴンスン作品の感想+
「新アラビア夜話」スティーヴンスン
「ジーキル博士とハイド氏」スティーヴンスン

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現代、古代のゲルマニアのことについて知ることができる文献といえば、まずユリウス・カエサルの「ガリア戦記」、そしてタキトゥスの「ゲルマーニア」。これは帝政期ローマの歴史家であったタキトゥスによる「ゲルマーニア」です。西暦100年前後に書かれた作品。ゲルマニア地方の風土や、そこに住む様々なゲルマニア系民族の慣習・性質・社会制度・伝承などについて書かれているもの。

いやあ、面白かった! 塩野七生さんの「ローマ人の物語」を読み進めているので、大体の流れがつかめてるというのが大きいと思うんですけど、ほんと楽しめました。岩波文庫の古典物は基本的に注釈が多いし、これもほんとに注釈のテンコ盛り。時には、注釈ページが章そのものの何倍もの長さの時もあるんですけど! 1章ずつがすごく短くて、その章ごとに注釈が入ってるので、1章読んで続けて注釈を読むと、まるでその章の解題みたいに読めたのも良かったです。
第1部は「ゲルマーニアの土地・習俗」、第2部は「ゲルマーニアの諸族」と分かれていて、「ゲルマーニアの境域」「ゲルマーニアの太古」「ゲルマーニアにおけるヘルクレースとウリクセース」「ゲルマーニーの体質」...などの章が、全部で46章。タキトゥスは実際にゲルマニアを訪れたことがなくて、ここに書かれていることは他者からの伝聞が主らしいし... だから信憑性も疑われていて、実際、ゲルマン民族といいながらケルト民族の話も混ざってたりするんですが、それでもタキトゥスの態度はとてもリベラルだと思うし、何より読み物として面白いから許しちゃう。(許すって)

面白かったのは、ゲルマン民族の金髪碧眼、そして立派な体躯をローマ人(タキトゥスも含めて)が羨んでいたようだということ。そうか、やっぱりそういうのって羨ましいものなんですねー。金髪のカツラなんかもあったみたいですよ! 他民族との婚姻がほとんどなくて、その特徴は純血主義的に保存されていたようです。(それが後の民族主義に繋がるのか、なんて思っちゃうけど) 当時既に爛熟していたローマ人社会とは対照的に、ゲルマン民族は全般的に品行方正な暮らしを営んでいて、不義密通なんかもほとんどなかったようです。破廉恥罪(!)を犯した人物は、頭から簀をかぶせられて泥沼に埋め込まれることに。処罰の執行を見せしめにするべき「犯行」と、隠蔽されるべき「恥行」が区別されてるところも面白いなあ。姦通した女性は、夫によって髪を切られて裸にされて、家を追い出され、鞭を持った夫に村中追い掛け回されたんだとか...。夫を失った女性が再婚ということも、まずなかったようです。でもゲルマン民族といえば、ドイツ人のあの勤勉なイメージが思い浮かぶんですけど、この頃はまだ全然みたい。ゲルマン人の1日は日没に始まって翌日の日没に終り(宴会がメインなのか)、成人男性が好きなのは狩、そして戦争。何もない時はひたすら惰眠をむさぼる生活。朝起きればまず沐浴して食事。ビールやワインを好み、タキトゥスも「彼等は渇き(飲酒)に対して節制がない。もしそれ、彼等の欲するだけを給することによって、その酒癖をほしいままにせしめるなら、彼等は武器によるより、はるかに容易に、その悪癖によって征服されるであろう」(P.108)なんて書いているほど。

巫女のウェレダのエピソードは、密偵ファルコシリーズにも登場してたので懐かしかったし、ゲルマン神話のヴォーダン(北欧神話のオーディン)が、風の神であり、飛業、疾行の神であり、死霊の軍を率いる神だからと、ローマ神話ではそれほど地位の高くない印象のメルクリウス(ギリシャ神話のヘルメス)になぞらえられているのも可笑しいし。(ヘルメスって一応十二神に入るけど、下っ端の使いっ走りのイメージなんだもん ←私は好きなんですけどね) それにオデュッセウスがその漂泊の間に北海やバルト海の方まで流されて、ゲルマーニアの土地を踏んだことがあるんだとか...。オデュッセウス自身の手によって神にささげられた神壇や、ギリシャ文字を彫りこんだ記念碑まで残っているとは、びっくりびっくり。タキトゥス自身は、「わたくしには、こういう事柄を、一々証拠をあげて立証るす気もなければ、敢えてまたこれを否認する心もない。要は人々、各々その性に従い、あるいは信を措き、あるいは措かなければよいのであろう」(P.36~37)と書いてるんですけどね。(この人のこういう態度が好きなんです)
それにしても感じるのは、ローマ人はゲルマン民族にいずれやられるだろうとタキトゥスが強い危惧を抱いていること。悲観的と言ってしまえばそれまでだけど、爛熟・腐敗したローマに対して、素朴な力強さのあるゲルマーニアを認め、賛美しているように感じられる時もありました。ゲルマン民族はタキトゥスにとって「高貴な野蛮人」だったんですね。 (岩波文庫)

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