Catégories:“文学(翻訳)”

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派遣使として訪れた都市のことをフビライ汗に語り聞かせるマルコ・ポーロ。最初は東方の言葉にはまるで無知で、身振り手振りで伝えることしかできなかったマルコ・ポーロも、徐々に韃靼人や周辺の諸民族の言葉に慣れ親しみ、いつしか精緻詳細をきわめる報告をするようになっていたのです... 「東方見聞録」のマルコ・ポーロがフビライ汗に架空の都市のことを語るという趣向の作品。8章に分かれて55の架空の都市のことが語られていて、各章の最初と最後にマルコ・ポーロとフビライ汗の会話があります。

これが「見えない都市」という題名なんですけど、見えないどころか、文字を追うごとにそれぞれの都市の情景が頭の中に次々に鮮明に浮かび上がっていくようで、その濃密さに息苦しくなってしまいそうなほどなんです。すごいですね、これは。でも読み始めてすぐに一体いつの時代の都市のことなのかと考えさせれることになります。一昔前の華やかな都市を思わせる描写の中に登場するのはアルミニウムづくりの塔であったり、摩天楼であったり、整備された上下水道だったり... 海をゆく交通手段といえばまず帆船だった大航海時代に、蒸気船や飛行船、地底列車が。それぞれの都市の姿もすごくユニーク。高い柱の上にそそり立つ都市であったり、奈落の底の上に宙吊りになっている都市であったり、壁も床も天井もなく水道管だけが縦横無尽に張り巡らされている都市であったり。人間同士の様々な関係をより堅固にするために戸口から戸口へと糸を張り渡していき、通り抜けられないほど張り巡らされると、その都市を捨ててまた別の場所に都市を再建することを繰り返していたり。
そのまま物語が生まれてきそうな都市も多いんですけど、読んでいるとなんだか既に世界は終わってしまっていて、どこかからその亡霊のような残像を眺めてるような気がしてきます...。

でも、こんな感じで情景が立ち上がってくる作品は大好きだし、今回はそれだけで面白く読んでしまったんですが、本当はこれらの都市の描写を通して、様々なことが語られているんですよね、きっと。マルコ・ポーロとフビライ汗の会話もとても暗示的だし。...この会話がまたすごくいいんです。時間を置いてもう一度読み返したら、その時はまた全然違うものが見えてきそうな気がします。まるで詩のような物語。(河出文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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カルヴィーノの比較的初期の作品だという11編を収めた短編集。
青い空に白い雲、明るい陽射し、光を照り返す海の水... 読んでると眩しくて目を細めてしまいそうな情景がどんどん広がる短編集なんですけど、でもどこか影が付きまとうんですよね。「蟹だらけの船」で子供たちが遊び場にしてるのは、戦争中にドイツ軍が沈めた船。「不実の村」で逃げているのは、パルチザンの青年。「小道の恐怖」に描かれているのは、駐屯隊から駐屯隊へと走る伝令・ビンダ。「動物たちの森」は、パルチザン狩りに来るドイツ兵の物語。どこか戦争の影が見え隠れしていて... これは、未読なんですが「くもの巣の小道 パルチザンあるいは落伍者たちをめぐる寓話」に近いのかな? 
私が気に入ったのは、寓話的な「動物たちの森」。ドイツ兵がパルチザン狩りに来ると、パルチザンたちは自分の大切な物を持って森の中に逃げるんですけど、この森の中がまるで魔女の森みたいなんですよねえ。現実のような非現実のような、このバランスがすごく好き。あと、いい年をした大人が揃いも揃ってお菓子を食べることに夢中になっちゃう「菓子泥棒」も滑稽で楽しかったし~。そして美しい庭園の中で遊んでいる少年と少女の姿はとても微笑ましいはずなのに、どこか不穏なものを感じて落ち着かない気分になってくる「魔法の庭」も印象深い作品でした。(ちくま文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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先日「アイスランドサガ」に入っている「ヴォルスンガサガ」を読んだところなので、この2冊が目についたのは、私の中ではとってもタイムリー。ジークフリート伝説に関しては「エッダ」(感想)「ヴォルスンガサガ」(感想)「ニーベルンゲンの歌」(感想)「ニーベルングの指環」(感想)と読んできたわけなんですが、その4つの作品、大きな流れは同じでも、細かい部分ではかなりの相違点があるんです。ジークフリートの設定からして、孤児だったり王子だったりと様々。この4作の中ではワーグナーの「ニーベルングの指環」だけ成立年代がかなり離れているし、これに関してはワーグナーの創作ということで構わないんですが... 他のものに関しては、どれが原型がどんな風に変化していったのかとか全然知らなかったんですよね。でもこの2冊を読んですごーくよく分かりましたよ。「ニーベルングの歌」の前半と後半ではクリエムヒルトとハゲネの造形があまりに違うのも以前から気になってたんですが、そのわけも分かりました。そもそも「ブリュンヒルト伝説」と「ブルグンド伝説」という2つの伝説があって、それが合わさって前編と後編となってたんですね。2つの違う伝説が合体させられてしまったのなら、雰囲気が変わってしまったわけもよく分かります。しかも「ティードレクス・サガ」だなんて、まだ私が読んでないシグルズ伝説のサガがあったようで!
この本を読むと、元となったジークフリート絡みの伝説やその内容、その伝説が広がって変化していき、「ニーベルンゲンの歌」ができ、他の作品ができていく様子がよく分かります。そしてそれらを土台にして書かれることになった沢山の戯曲のことも。
2冊続けて読んでしまって、しかもすぐに感想を書かなかったので、どちらがどうだったか分からなくなってしまったんですけど... 重複してる箇所も結構ありますしね。でも全体的には「『ニーベルンゲンの歌』を読む」の方が良かったかな。「ジークフリート伝説」には北欧のエッダやサガが取り上げられているところが、私にとってはポイントが高かったんですが、「『ニーベルンゲンの歌』を読む」の方が、「ニーベルンゲンの歌」や「ニーベルングの指環」について詳細なんです。作品の構造や解釈について色々と新しい発見があったし、より理解が深まったような気がします。(講談社学術文庫)

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秋の山で湿原に広がった真っ赤なこけのじゅうたんに足を踏み入れた「わたし」は、その美しい景色に見とれているうちに、すっかり道に迷ってしまいます。そして一番高いところから見極めようと山道を登り始めた「わたし」が見つけたのは、コタと呼ばれる、白いトナカイの皮で作ったサーメ人の小屋。その中には焚き火が燃えており、今はもういない魔術師ツォラオアイビの魔法のたいこが置かれていました。そのたいこは100年に一度、運よくコタを見つけた人にだけ、ツォラオアイビが残していった物語を聞かせてくれるのです。

ラップランドでトナカイの放牧をしてきた先住民族・サーメ人に語り伝えられてきた12編の物語。
これがもうとにかく美しい! 北極圏の厳しい自然の中で暮らす人々が語り伝えてきたのは、やはり自然にまつわる物語が中心なんでしょうね。この世に白夜ができたことや、オーロラの始まり、タビネズミ(レミング)の行進、花の中に太陽の光をたくわえて金色に熟すヒラという野イチゴ、深い緑色の目と砂金のように光る髪を持つ地の精... 山の風は、ヨイク(サーメ人特有の歌)が胸に溢れている青年が歌う声だし、初めは銀色だった花びらが赤く変わり、そして濃い青紫色になるきんぽうげの花は、美しい少女が変わったもの。白樺の木は、無理矢理な結婚から逃げ出した恋人たち。そして飼っていた銀の角を持つ真っ白なトナカイがいなくなり、魔術師のツォラオアイビも姿を消してしまったこと。
読んでいると鮮やかな色彩が浮かび上がってくるような、情景が印象的な物語ばかりなんです。生き生きとした夏も素敵なんですが、それ以上に冬の静謐な美しさが印象的で。

1つ紹介すると、「青い胸のコマドリ」は、どのようにして白夜の夏や闇に覆われる冬ができたのかが描かれる物語。
最初は光の精ツォブガが世界の南半分を、闇の精カーモスが北半分を治めていたんですが、ある時、1羽のコマドリが道に迷ってカーモスの闇に閉ざされた雪と氷の世界に入り込んでしまうんですね。そしてようやく見つけた陸地で6つの卵を産むんですけど、このままだと卵も自分も凍え死んでしまう... と、必死でツォブガに訴えるんです。そしてツォブガとカーモスの争いがあり、最終的には1年の半分をツォブガが、1年の半分をカーモスが治めるようになります。

そこでツォブガはカーモスのマントをめがけて力いっぱい熱い息を吹き付けました。火花のようないきおいでした。たちまち地平線のあたりでカーモスのマントが青い煙を上げてくすぶり、見る見るうちに炎をあげて燃え始め、東の空が金色や赤にそまってかがやきました。これが朝焼けの始まりです。

やがて秋がしのびよってきました。マントをつくろい終えたカーモスが、地平線のあたりからラップランドのようすをうかがっています。カーモスは黒い胸にたっぷりつめこんできた冷気を、今こそとばかりに力いっぱいあたりに吹きつけました。ツォブガも必死でたたかい赤い炎を吹きつけたので、カーモスのマントのすそがまた燃え始めました。西の空と地のさかいに現れる夕焼けは、こうして始まったのです。

いずれにせよ燃えるのはカーモスの黒いマント。花が咲き乱れ小鳥がさえずる青い空の世界を守ってるのはツォブガの白いつばさなんですけど、こちらは無事だというのが面白いなあ。(春風社)

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副題はトルストイ民話集。この2冊で全部で14編の物語が収められています。
どれも読んだことがある話なので、子供の頃に岩波少年文庫で読んでいたものと、入ってる話は同じなのかな? 岩波少年文庫版が手元にないので、比べられないのがもどかしいー。そして比べられなくてもどかしいといえば、訳もなんですよね。岩波文庫版は中村白葉訳、岩波少年文庫版は金子幸彦訳と訳者さんが違うので、岩波少年文庫の方は子供用に平易な訳となっているのかもしれないんですが、伝わってくるものは全く同じ。トルストイほどの文章になると、ロシア語→日本語なんて壁も既に壁じゃなくなってしまうのかしら、なんてふと思ってみたり。でもこの「イワンのばか」以下15編はトルストイ晩年の作品で、その頃のトルストイは、一般の民衆がきちんと理解できるように簡潔で平易な表現で書かれるべきだと考えていたようなので、日本語に直しても読み手に伝わりやすいのかもしれないですね。

内容的にはとてもキリスト教色が強いです。特に「人はなんで生きるか」の表題作とここに収められている「愛のあるところに神あり」「二老人」。「イワンのばか」も基本的にキリスト教色が強いんですけど、こちらに収められている作品は民話色も強いのです。「人はなんで生きるか」の方は、もっと純粋にキリスト教に近づいているような印象があります。キリスト教色が強いとは言っても、ロシアの話なのでイギリスやフランスの作品とはまた少し違う雰囲気だし、どことなく異教的な純粋さがあるような気がして結構好きなんですが。
他のたとえば「アンナ・カレーニナ」みたいな作品もいいんですが、私はこちらの方がずっと好き。芸術は宗教的なものを土台に持つべきだ、なんてことは思わないけど(トルストイはそういうことも言っていたらしい)、一般の民衆によく理解されるために簡潔で平易な表現で書かれるべきだという部分はその通りだと思いますね。私なんかからすれば、小難しい文章を書く人よりも、読み進めるにつれてすんなりと頭に入ってくるような文章が書ける人の方が頭がいいように思ってしまうんですけど、どうなんでしょう。誰にでも理解できるように表現できる方がずっと大切だと思うんですが... って、私の理解力ではあんまり難しいものは理解しきれないというのもあるんですけどねー。(笑)(岩波文庫)

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主人が事故に遭ったと医者を呼んだ妻。しかし医者がその寝室に入った時、その家の主人の頭には斧がめり込んでいて、既に死亡していたのです... という「斧」他、全26編。短ければ2ページ、一番長くても19ページ、大抵は4~5ページの作品を集めたショートショート集。

アゴタ・クリストフらしい、余計な装飾を一切そぎ落としたような文章の作品ばかりの作品集。内容的には結構ブラックでびっくりです。最初の「斧」を読んでいたら、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」を思い出しちゃいました。でも全体的には、あそこまで突き抜けたブラックさではないかな。重苦しい空気の中で孤独や絶望感に苛まれつつも、そういった感情があまりに身近な日常になりすぎてしまって、それを孤独や絶望とは感じていないような感じ。
これらの作品は、1970年代から1990年代前半にかけてのアゴタ・クリストフのノートや書付けの中に埋もれていた習作のたぐいで、編集者が発掘して1冊に纏めたのだそう。習作だけあって、確かにそれぞれの作品の出来栄えにはちょっとばらつきがあるみたい。「悪童日記」のインパクトには、やっぱり及ばないですしね。それでも4~5ページという短さでこれほどの存在感があるというのが、やっぱり驚き。むしろ短い作品の方がインパクトが強くて面白かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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李白に引き続きの「ビギナーズ・クラシックス中国の古典」。老荘思想には以前からちょっと興味があったので読んでみたんですが、孔子の「論語」を読んだ時みたいには楽しめなかったなあ。老子はなんだか抽象的なことばかり言ってるし... 実際、彼の説く「道」というのは簡単に言葉にできるようなものではないとのことなので、それも致し方ないんでしょうけど、読んでいても大きすぎるというか、深遠すぎてなかなか響いて来なかったです。それに比べると荘子の方がもうちょっと地上の人間に近い感じかな。具体的な分、分かりやすいですね。
このシリーズは、あと「 韓非子」と「 杜甫」があるんですが、そちらは未購入。せっかくだし、やっぱりこの2冊も買っておいた方がいいかしら。「韓非子」は、また読むのにちょっと苦労しそうかな? やっぱり「 杜甫」だけにしておくかなあ。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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