Catégories:“文学(翻訳)”

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ノーベル文学賞作家・アナトール・フランスによる、まるで童話のような19の短編集。
あとがきで訳者の三好達治氏が、「小学生にでもわかるような、やさしい文章では書かれていますが、そうしてその話の筋も、ごらんの通りきわめて単純なわかりやすいものばかりですが、しかしその内容は、必ずしも年少の読者のためには、充分のみこみやすいものばかりとは限りません」と書いてたんですが、たしかにその通りでした。どれも幼い子供たちが中心となる物語だし、三好達治氏の美しい日本語で読みやすいんですけど(少し時代がかってますが)、純粋に子供向けの本とは言えなさそう。教訓的な内容も多いです。もちろん、子供が読んで楽しめないということではないですけどね。子供の頃ってメッセージ性の強い作品でも、気にせず純粋に楽しめたりするし。最初は子供の頃に読んで、大人になってまた読み返した時に、それまで気づかなかった部分に気づくというのが、理想的な読み方かもしれないなあ。
どこかジョルジュ・サンドと似通った雰囲気を感じる気がするんですけど、どうなのかな? 2人ともフランスの作家で、ジョルジュ・サンドの方が少し早いんですけど、時代もかなり重なっているので、影響を受けてるなんてこともあるかもしれませんね。(岩波文庫)

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1948年10月。かつては名のある画家として尊敬を集め、多くの弟子に囲まれて一世を風靡しながらも、今は引退して、隠居生活を送っている小野益次。終戦を迎えて日本の状況は大きく変わり、戦時中の小野の行動が元で、周囲の目は手を返したように冷たくなったのです。自宅で一見穏やかな日々を送りながら、小野は自らの過去を回想します。

「日の名残り」(感想)のような「信頼できない語り手」による物語なんですが、こちらの方があからさまですね! 主人公がかつてのことを回想しながら物語は進んでいくのは同じですし、その言葉をそのまま額面通りに受けとめられないのも一緒。それでも「日の名残り」は、そのまま受けとめてしまうこともできる作品なんです。でもこちらの作品では、どうしても小野が物事を自分に都合の良いように解釈し、記憶を改竄し、さりげなく自分の行動を正当化していこうとする部分がイヤでも目につきます。周囲の人々との記憶の齟齬も読みどころ。それに、何度も繰り返し「自分の社会的地位を十分に自覚したことなどない、自分は家柄など重視しない」というように語られているんですが、それが逆に自負心を浮き彫りにしているようだし、1年前に娘の紀子が破談された事件が、予想以上に小野を傷つけていることがよく分かります。確かに戦時中の小野は、自分の行動に信念を持っていたのでしょうけれど... 今はそれを屈折した感情で正当化することでしか生きながらえることができないんですね。そんな1人の男の悲哀がよく表されているように思います。
彼の身近な人間、彼の行動をつぶさにみてきた人間の視点から語られたら、この作品とはどれほど違う作品が出来上がるんでしょう。ほんと全く違う物語になってしまいそう。読んでみたいなあ。そんな作品が書かれることは、絶対ないでしょうけど...。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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オルセンナ共和国でも最も古い家系のアルドーは、都での退廃的な暮らしを楽しむ青年。しかし1人の女性が自分から去って行ったのをきっかけに、それまでの自分の行き方がどうしようもなく空疎に見えてきて、都を離れる決意を固めます。そしてシルト海に配置されている遊撃艦隊に、監察将校として赴任することに。オルセンナは300年も前から、海を隔てたファルゲスタンと戦争状態にあるのです。しかし今やオルセンナもファルゲスタンも衰微し、実際の戦闘活動が行われることもなく、シルトの前線も名目上の残骸と化していました。

架空の国オルセンナを舞台にした作品。著者のジュリアン・グラックがゴンクール賞受賞を辞退したことで有名ななのだそうです。うるしのうつわ うたかたの日々の泡のkota さんが、たらいまわし企画・第30回「フシギとあやし」の時に挙げてらした本です。(記事) 確かに「薫り高い文体」という言葉が相応しいと思ったし、小説内の空気が弛緩したり緊張したりするのが本当に感じられる作品。私にはちょっと難しかったのだけど...。
アルドーがシルトに行ったためにファルゲスタンとの危うい均衡が破れ、止まっていた歴史は再び動き出してしまうのですが、もしアルドーがシルトに行かなければ、そのまま何十年という月日が過ぎ去ったのでしょうね。でも、紛れもなくアルドーの行動のせいなんだけど、アルドー自身の意志とも思えない。アルドーもヴァネッサも、シルトにいるマリノ大佐や副官たちもみんな単なる歯車というか、チェスの駒のような印象なんです。もしやアルドーをシルトへと行かせて、時間を再び動かしたのは「歴史」そのもの? なんて思っていたら。実際に動かしてたのは「歴史」ではなかったんだけど、最後のところでゾクっとさせられました。全然違うSF作品が頭をよぎってしまって。
ぎらぎらと照りつける太陽と凄まじい風、乾燥した植物に乏しい土地、点在する農家の白い壁といったシルトの広がりが退廃的な都とは対照的で、そこに漂うのは喪失感。最初はなかなかこの世界に入れなかったし、もうほんと一瞬たりとも気が抜けない文章だったので、読むのが大変でした。結局通して2回読んでしまいましたよ。はふーっ。(ちくま文庫)

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先日ベディエ「トリスタン・イズー物語」を読んだ時(感想)に予告した本がコレ。
キリスト教的教訓詩(?)「聖アレクシス伝」や、フランス最古の武勲詩「ロランの歌」、中世の抒情詩、フランソワ・ヴィヨンの作品の抄訳なんかも入ってるんですが(一応全部読みましたが)、今回のお目当てはトリスタン物語群。この本の中にも、「トリスタン物語」(べルール)、「トリスタン物語」(トマ)、 「トリスタン佯狂」(オクスフォード本)、「トリスタン佯狂」(ベルン本)、「すいかずら」(マリ・ド・フランス)という5つのトリスタンの物語が入ってました。最後の「すいかずら」は、ごく短い詩なんですけど、ベルールとトマのは約3000行と結構長いです。でも断片ばかりなんです。ベルールのなんて、もうすっかり不倫がバレて、トリスタンが王宮への出入りを禁じられた後の場面からいきなり始まるし、トマのも似たような感じ。「トリスタン佯狂」2つと「すいずから」は、もっと後の方のエピソードだけを取り上げたもの。断片というのがすごく残念だったんですが、5つの作品はそれぞれに雰囲気が全然違っていて、読み比べるのが結構面白かった。特にトマの「トリスタン物語」に登場するトリスタンの悩みっぷりったら... アンタはハムレットか!(笑)
こういった断片や、ドイツのアイルハルト・フォン・オベルク、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの写本を元に、1つの物語として書き上げられたのが、先日読んだベディエの「トリスタン・イズー物語」なんですね。でも当然の話なんですが、このは「フランス中世文学集」なので、ドイツのは入ってないんです。残念。これも合わせて読みたかったなあ。

媚薬を飲んでしまったトリスタンとイズーが恋に落ちるというのは共通の設定なんですけど、驚いたのはその媚薬に期限付きのものがあったこと! ベディエ版は「死が2人を分かとうとも」って感じだったし、私が今まで読んだのは他のも全部そうだったんじゃないかと思うんですけど、ベルールのはなんと3年の期限付きでした。3年間で効果の切れるものしか作れなかったのか、それとも3年も効けば十分だと思ったのか...。手に手を取って森に逃げ込んで、あんなにラブラブな生活を送っていた2人が、3年たった丁度その日に我に返っちゃうんです。で、お互い「あんなに綺麗だったイズーがこんなにヨレヨレになっちゃってー」「私さえいなければ、華やかな騎士でいられたものを...!」とか思って、相手のことを気遣ってるようなことを言って、イズーはすんなり王宮に戻ることになるんですよ。可笑しーい。これじゃあ、メロドラマからいきなりお笑いになってしまうじゃないですか。それでいいのか、トリスタンとイズー!


解説によると、トリスタン物語群には流布本系と騎士道物語系があって、流布本系の方が粗野で荒削り、年代的にも古いもの。騎士道物語本系の方は、洗練された技巧と当時の宮廷風恋愛から解釈し直されている作品なのだそうです。

流布本系...ベルール、ベルン、アイルハルト・フォン・オベルク
騎士道物語本系...トマ、オックスフォード本、修道士ロベール、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク

なるほど、それで雰囲気がこんなに違うわけですね。...でも、いきなり登場の「修道士ロベール」って誰よ...? 名前からしたらフランス人ですかね?
ええと、調べてみたところ、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの「トリスタン」が元になってるみたいです。大筋は大体一緒だけど、細かい部分が結構違ってるみたい。そっちも今度読んでみよう。(白水社)

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伯父・マルク王のためにアイルランドの王女、黄金の髪のイズーを勝ち取った騎士・トリスタンは、イズーを伴ってマルク王の待つコルヌアイユへ。しかしその船旅の最中、酷くのどが渇いていた2人は、イズーの侍女・ブランジャンの荷物の中にあったワインを飲んでしまったのです。それは、新婚の2人に飲ませるようにとイズーの母親が作り上げた媚薬入り。トリスタンとイズーはたちまち恋に落ちてしまい...。

本当はトリスタンの生まれる前のことから話は始まるので、上に書いたのは丁度真ん中辺りの出来事。でもこれが話の一番の中心です。元々はケルトの物語で、アーサー王物語の中にも組み込まれてるんですが、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えて、12世紀のフランスでは人々の魂を奪ったほどの人気作品だったのだそう。ワーグナーもこの物語から、オペラ「トリスタンとイゾルデ」を作り上げてます。でも様々な写本があるにも関わらず、どれも断片のみ。クレティアン・ド・トロワやラ・セーヴルの写本に至っては、完全に失われているそうで...。これは、そんな様々な断片を元にベディエが書き上げた物語。
端的にいえば、トリスタンとイズーの不倫話。でも、そもそも2人の間には恋愛感情なんてなかったわけで、イズーの母親の媚薬なんてものがなければ、イズーもマルク王と幸せになれたでしょうし、トリスタンも普通に結婚できたんでしょうに... 気の毒。子供の頃に読んだ時は、なんでもっとしっかり隠しておかなかったんだろう? なんで誰もイズーに説明しておかなかったんだろう? なんて思って、それは未だに思ってたりもするんですが(笑)、今更とやかく言っても仕方ない? 言ってみれば、みんな被害者なんですよね。
今回読んでみて一番印象に残ったのはマルク王でした。息子のように愛していたトリスタンと、愛する妻のイズーに二重に裏切られてしまうマルク王が一番気の毒なんですが、でも懐の深さを見せてくれて良かったです。ほんと、媚薬なんてものがなければ...(そしたらこんな話も存在しないんだけどさっ)

久しぶりにこの作品を読み返したのは、図書館で「フランス中世文学集1」を借りてきたから。600ページ近くある分厚い本なんですけど、この半分ぐらいがトリスタン関係で、写本がいくつか入ってるんです。...実はそれほど期待してなかったんですけど、久々に読み返したこの本が予想以上に面白くて、むくむくと期待が大きくなってます。楽しみ♪(岩波文庫)

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大鹿を追いかけているうちに仲間ともはぐれ、乗っていた馬を失い、犬だけを連れた狩人は、カトリン湖のほとりでエレンという乙女に出会います。狩人が鳴らした角笛を、父の角笛の音かと思ったエレンが、船を漕いで迎えに来たのです。狩人は、ジェイムズ・フィッツ=ジェイムズと名乗る騎士。道を失って難渋していると話す騎士をエレンは自分の家に案内し、一夜の宿を提供することに。

入江直祐氏の旧仮名遣いの訳が古めかしいながらも、非常に美しい作品。素敵でした~。本来なら全編叙事詩として書かれているそうなんですが、日本語訳では、歌として歌われている部分以外は散文。「湖の麗人」という題名で、アーサー王伝説のヴィヴィアン(ニムエ)を思い出したんですけど、やっぱりその伝説がヒントとなってできた物語のようです。中世が舞台の騎士物語。
スコットランド生まれのウォルター・スコットはハイランドで育ち、実際にこの作品で舞台になった土地もよく知っているようで、舞台となっている湖や山間などの描写がとても美しかったです~。そしてその湖に住むのは美しく幻想的な乙女。その乙女の周囲には、王に追放された騎士である父親、乙女に恋する勇士たち。竪琴を奏でながら歌い、預言をする老人など。でも美しい描写だけではないのです。徐々に感じられる不穏な空気や、怪しげな預言者の儀式、戦争の知らせのために走る伝令たち、そして来る戦争の場面... 特に印象に残ったのは、伝令が「火焔の十字架」を持って村から村へとひた走り、辿り着いた村の伝令にその十字架を託して、受け取った伝令が新たに走っていくシーン。これは絵になりますねえ。ちょっと違うんですけど、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の狼煙の場面みたい。それから面白かったのは、王の住むスターリング城下の祭りの場面。矢場の傍には、ロビン・フッドがいました! タックやリトル・ジョン、スカーレット、マリアン姫など錚々たるメンバーと一緒に並んでいました。名前だけの登場なんですけどね。そういう遊び心がまた楽しいところ。「アイヴァンホー」(感想)にも登場してたし、実はかなり好きなんですね~?
そしてこの物語の中でエレンが歌う聖母賛歌にシューベルトが曲をつけたのが、有名なあの「アヴェ・マリア」の曲なのだそうです。(エレンの歌第3番) いや、この曲、てっきり宗教音楽かと思ってました... 違ったんですね。でもあの曲なら、この作品によく似合います。本当に素敵な作品なんですもん。こういう作品を読めると、それだけで幸せ~♪(岩波文庫)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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「わたし」がその男に出会ったのは、ウォーリック城の中でのこと。まるで親友や敵や、ごく親しい近所の人の話をしているかのようにベディヴィア卿やボース卿、湖水の騎士ランスロット卿、ギャラハッド卿の話をするその男は、コネティカット州ハートフォード生まれの生粋のヤンキー。以前自分の工場の男に頭の横っぺらを殴られて気を失った時、気がついたら6世紀の英国にいたことがあるというのです。ケイ卿に囚われた彼は火刑にされそうになり、しかしその3日後に起きる皆既日蝕のことを思い出して危ういところで命拾い。魔法使いのボス卿として、マーリンを差し置いてアーサー王の大臣兼執務官となることになります。

19世紀のアメリカ人が突然アーサー王時代の英国にタイムスリップしてしまうという作品。そういうのをマーク・トウェインが書いちゃうというのがすごいなあと思ってたんですが、ようやく読めました! マーク・トウェインの時代だったらタイムスリップというだけで新鮮だったんじゃないかと思うんですが、行った先のその時代に合わせるのではなくて、現代技術(マーク・トウェインにとっての「現代」なので19世紀です) をどんどん持ち込んでしまうというのがユニーク。石鹸みたいな日常に便利なものはもちろん、電話や電気みたいな色んなものを作っちゃうんです。工場を建て、人材を育成し、最終的に目指すのは共和制の世の中。
皆既月食の日時を正確に覚えているところはあまりに都合が良すぎるし(確か○年... ぐらいならまだしも、○年○月○日○時○分に始まる、まで覚えてるんですもん)、19世紀の産業を6世紀の世の中ににこんなに簡単に移行できるはずはないとも思うんですが、それでも奇想天外な物語が面白かったです。自分の置かれた状況をくよくよと思い悩んだりせず、19世紀の知識を利用してどんどん前向きに対処していくところはいかにもアメリカ人のイメージ~。それに確かにこの時代には色々問題もあったんでしょうけど、現地の人の気持ちをあまり考えようともせずに物事をずんずん進めていっちゃうのも、アメリカ人っぽい~。(失礼) これがアメリカ人作家の作品じゃなかったら、アメリカ人に対する強烈な皮肉かと思うところです。でもどうやらこれは、南北戦争後の南部人を北部人から見た風刺的な視線といったところみたいですね。アーサー王と宮廷の騎士たちは、思いっきり頭の悪い野蛮人扱いされています。^^; (ハヤカワ文庫NV)

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