Catégories:“文学(翻訳)”

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ある日、何か変わったことをやってみたい、新奇なものに接したい、大洋の果てにどんな人種がいるか調べてみたいという考えをおこした「私」は、50人の若者や最上等の舵取りを集め、食料や水、武器を揃え、「ヘラクレス」の柱を出発します... という「本当の話」他、全10編の短編集。

80編以上あるというルキアノスの短編のうち10編を収めた短編集。
この中でまず面白いのは、やっぱりまず表題作の「本当の話」! これはルキアノス本領発揮の対話式ではなくて、一人称の叙述で書かれている旅行記なんですが、もうほんとスバラシイー。元々は、この頃よく書かれてた突拍子もない旅行譚の上をいくパロディを書こうという意図のもとに書かれた作品なのだそうで... いやあ、ここからしてルキアノスらしいわ! この題名「本当の話」というのは、「この中には本当のことは何一つない」という文章を受けての「本当の話」ということなんです。ふふふ。
まるで「アルゴナウティカ」(感想)みたいに若者50人を連れて出立したルキアノス。「ヘラクレス及びデュオニュッソス神到来の地点」では、ぶどう酒の川や岩の上の巨大な足跡を見つけたり(ぶどう酒の川にいる魚の内臓には酒粕が詰まっていて、そのままでは酒気が強すぎて食べると酔っ払ってしまうらしい)、ダフネーのように半分木で半分人間の女性を見つけたり(そういう木に仲間が誘惑されて、その仲間も木になってしまう)、つむじ風に巻き込まれて船ごと月に行くことになって、月に味方をして太陽と戦争をしたり、ようやく地球に戻るものの、船ごと鯨に飲み込まれたり、鯨のおなかを脱出した後は、水平線の彼方の「神仙の島」に辿り着いたり。
まあ、ルキアノスよりも前にホメロスの「オデュッセイア」(感想)があるので、先駆者ってわけでもないんですけど、そういうのが好きな人には絶対オススメ。後世のシラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」(感想)とか、スウィフトの「ガリバー旅行記」とか、「ほらふき男爵の冒険」とか... アリオストの「狂えるオルランド」(感想)とか、ダンテの「神曲」(感想)とか! そんな作品に多大な影響を与えているはず。実際、似たような場面もちらほらと~。きっとみんな愛読してたのね。(笑)
ホメロスといえば、ルキアノスが神仙の島でホメロスと出会って、本当の生国がどこなのか聞いたり、作品の真偽を疑われている部分を確かめたり、なんでイーリアスをアキレウスの憤怒から書き始めたのか質問したり(聞いてみたい気持ち、私にもよく分かるよ!)、そんな部分がまた面白いんです。作品の真偽に関しては、近代に言われ始めたことなのかと思ってたんですが、ルキアノスの時代にも既にそういう疑問はあったのか!

他にも「空を飛ぶメニッポス」では天界、「メニッポス」では地獄への旅が再度登場するし... ソフォクレスの「オイディプス王」は世界初のミステリだと思ったけど、これはきっと世界初のSF作品ですね。その他の作品もそれぞれ面白いです。「哲学諸派の売立て」と「漁師」も2作セットで面白かったし。ただ、ギリシャの哲学者たちについての私の知識が浅くて、堪能しきれずに終わってしまった部分も... その辺りを勉強し直して、いずれ再読したいなー。(ちくま文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話」ルキアノス

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遊女たちによる15の会話「遊女の対話」他、全4編の短篇集。

んんー、先日読んだ「神々の対話」の方が断然面白かったなと思いつつ...
まあ、こちらも対話形式の表題作「遊女の対話」が、結構面白かったんですけどね。ええと、遊女とはいっても、古代ギリシャにおける遊女は、結構きちんと認められた存在だったようです。古代ギリシャ時代は、食料品の買い物ですら男性の仕事。一般女性はひたすら家の中にいて、つつましく家庭を守り夫を助けるべき存在。特に年頃の娘の顔などは何かの祭礼の折に垣間見るしかない! そのため、宴会などで場を取り持つのは、もっぱら遊女の仕事。でも男性と対等に会話を交わすためには、相当の才能と知恵と教養が必要となり、次第に男性顔負けの教養を身につけた才気溢れる遊女が登場することに... というと、なんだかまるで江戸時代の花魁みたいですね。で、職業柄卑しめられるどころか、むしろその美貌と才能によって自由に華やかに生きている女性として、もてはやされる存在だったんだとか。(うーん、「遊女」という言葉じゃない方が良かったような気もする...)
でもこの「遊女たちの会話」に登場しているのは、そこまでの高級遊女ではなくて、もっと一般的な遊女たち。遣り手婆にいいようにされてたり、男どもの甘言に惑わされながらも、逞しく生きていく女性たち。時にはそんな彼女たちを一途に愛する男性もいるんですが、大抵の男たちは彼女たちの手練手管に鼻の下を伸ばし、都合のいいことばかりを言ってるんですね。まあ、女性たちだって、あの手この手で男性をしっかりつかまえておこうとするんだけど。国が違っても、時代が違っても、男女の間のやりとりは同じなんだなあ。心変わりや嫉妬、取った取られた結婚するしないなんて騒ぎとか、自分を魅力的に見せるテクニックや、恋を成就させるためのおまじない。その辺りが可笑しいです。やっぱりルキアノスって、ショートコントの才能があったと思うわー。
でもあとの3編は... 「嘘好き、または懐疑者」はまだしも、「偽予言者アレクサンドロス」「ペレグリーノスの昇天」は今ひとつ。どちらも実在の人物だそうなんですけどね。私にはその面白みがあんまりよく分からなくて、残念でした。(岩波文庫)


+既読のルキアノス作品の感想+
「神々の対話」ルーキアーノス
「遊女の対話」ルーキアーノス
「本当の話 ルキアノス短篇集」ルキアノス

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丁度春になろうとしているベネチア。カフェバンドも一週間前から戸外で演奏するようになっていたある朝、ヤネクは観光客に混じって座っているトニー・ガードナーを見かけます。トニー・ガードナーはヤネクの母が大好きだった歌手。共産圏の国でレコードの入手が難しかったにもかかわらず、ほぼ全てのLPを持っていたほどだったのです... という「老歌手」他、全5編の短編集

カズオ・イシグロ初の短編集。でも短編集とは言っても、その主題はどれも同じ。カズオ・イシグロは、本書全体を五楽章からなる一曲として味わってもらうために、これらの5作品を全て書き下ろしたのだそうです。「ぜひ五篇を一つのものとして味わってほしい」とのこと。
確かにこれは、主題が繰り返し変奏され続けていく一編の音楽のような作品ですね。男と女の間にあるもの、そして人生の黄昏。副題に「音楽と夕暮れをめぐる~」とありますけど、ここでの「夕暮れ」は、一日のうちの時間的なものももちろんあるんですが、むしろ人生そのものにおける「夕暮れ」を意味しているのでしょうし... そして登場人物たちは文字通り音楽を演奏したり聴くことを好んでるんですが、ここでの「音楽」とは、この作品そのものなんでしょう。ジャズでもクラシックでも、1つのテーマが形を変えながら何度も登場すること、ありますよね。まさにあれです。
5編のうち、一番印象に残ったのは最初の「老歌手」。始まりはどうだったであれ、今は深く愛し合っている彼らの姿に人生を感じます。甘やかなほろ苦さと、ふとよぎる切ない哀しさ。そしてこの「老歌手」に登場するリンディ・ガードナーは、表題作「夜想曲」に再登場。どれもそれぞれに良かったんだけど、この2編が一番好きだったな。(早川書房)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ
「夜想曲集 音楽と夕暮れをめぐる五つの物語」カズオ・イシグロ

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皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを、腹心の侍女に向かって訴えます... という「ブリタニキュス」。
ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしたまま、この5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、とうとうベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです... という「ベレニス」。

ラシーヌの、古代ローマを舞台にした悲劇2つ。「ブリタニキュス」では、皇帝「ネロン」なんて名前になってますけど、これはネロのことです。それまでは一応善政を敷いていたネロが暴虐と狂気の道へと突き進むターニングポイントとなった物語、でいいのかな? 既に実の母・アグリピーヌの存在を疎ましく思ってるし、妻・オクタヴィーとは上手くいってないし、義弟のブリタニキュスとジェニーと仲を妬んでるんですね。で、ジュニーをかどわかすんですけど、このジュニーにすっかり心を奪われてしまって...。ネロンがジュニーに惹かれたのは、ただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさからなんですよね、きっと。もしジュニーの心が手に入ったら、その途端、どうでも良くなっちゃったんじゃないかなあー。ここに描かれてるネロって、なんだかただ単に愛情不足で育ってしまった子供みたい。やっぱりあのお母さんが普通のお母さんじゃなかったというのが不幸の始まりかも。帝王教育はしてくれても、何かあった時にぎゅっと抱きしめてくれるようなお母さんじゃないですものね。(と勝手にイメージしてますが)

そして「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人なんですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続けていて、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。
ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないんですが、ティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができないんですね。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたというのはあるんでしょうけど...。ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さなくて。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前にとうとう心情を吐露してしまうことに。
3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているのに、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないんですねえ。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。そしてティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。ラシーヌの悲劇は4つ読みましたが、これがダントツで好き。緊迫感たっぷりで、素晴らしいー。おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったのでは。そして、この作品を読んで、とても読みたくなったのが「ローマ人の物語」のティトゥス部分。思わず「危機と克服」の巻を読み返してしまいましたよ。テイトゥスとベレニケのことについてはほとんど何も書かれてなくて残念なんだけど、そのお父さんのヴェスパシアヌスは、やっぱりかなり好き♪(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ノールウェイ王の不意打ちに、スコットランドのダンカン王のもとで獅子奮迅の働きを見せるマクベス。戦いが終わり、マクベスとバンクォーが通りがかった荒地に現れたのは、3人の魔女でした。魔女たちは口々に「グラミスの領主様」「コーダの領主様」「いずれは王ともなられるお方」と呼びかけます。確かにマクベスは現在グラミスの領主。しかしコーダの領主はまだまだ元気で勢いが盛んであり、王も同様。不思議に思うと同時に困惑する2人。しかし2人を王宮で出迎えたロスとアンガスは、マクベスにコーダの領主と呼びかけます。ノールウェイ王を密かに援けていた裏切り者のコーダの領主は処刑が決定し、その地位は今やマクベスのものだというのです。

シェイクスピアの四大悲劇の1つ。四大悲劇の中では一番好きな作品。一番短いんですけど、シンプルながらもエッセンスのように凝縮している作品だと思います。戯曲という形式上、小説のような説明とか描写がないというのは当然なんですが、1つ1つの台詞が実はすごく色んなことを含んでるんですよね。それでも、説明不足としか思えない部分があるのですが...。と、感じていたら、当初書かれた作品から多くの場面が割愛されているとも考えられているのだそうです。なるほど、そうだったのかー。
野心はあるにしても、心は正しかったはずのマクベスが、魔女の予言をきっかけに大それた罪を犯し、幻影に悩まされ、自滅していくという悲劇。小心者と言われるマクベスも強気のマクベス夫人も、結局のところ、魔女の手の平で遊ばされていたようなものなんですねえ。悪人にはなりきれない、ごく平凡な人間にしか過ぎなかったというわけで。魔女の予言は、きっとマクベスの性格も見越してのことだと思うんですが、もしマクベスが自分の良心に負けなければ、結末を急がなければ、一体どうなっていたんでしょうね? コーダの領主の地位だって何もせずに手に入ったんだから、王位もそうなるはずだとは思わなかったのかな? そういうことを考えること自体、最早無意味なのかな? マクベスの人生は、魔女によって破滅させられたようなもの。元々そういった資質があったとはいえ、やっぱり魔女の言葉さえなければ、と思ってしまうのですが... 第1幕第1場の「きれいは穢ない。穢ないはきれい」という魔女の台詞が暗示的。そしてこれらの魔女は、先日読んだハインリヒ・ハイネの「精霊物語」によると、元々の伝説の中では3人のワルキューレだったんだそうです。戦死者を選ぶ役割を持つワルキューレにとって、マクベスへのこの予言はなんと相応しい役回り!
子供の頃に読んだ時は、「マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。」という部分には正直あまり感心しなかったんですが... なんかこじつけっぽくて。でも「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」の方は、実際に森が攻め上ってくるという絵画的な場面描写と相まって、とてもインパクトが強かった覚えがあります。ちなみに実在したスコットランド王としてのマクベスは、従兄のダンカン1世を殺害して王位を奪い、自分の王位を脅かす者を次々と抹殺したのは事実としても、善王だったようですね。...それだけ殺しておいて善王と言えるのかどうかは分かりませんが。(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

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かつてウェストファリア地方のトゥンダー=テン=トロンク男爵の城館にいたのは、生まれつき品行が穏やかで無邪気なカンディードという青年。しかしある日のこと、カンディードと美しい男爵令嬢のキュネゴンドが接吻しているところを男爵が発見し、カンディードは城館から追い出されてしまうことに... という表題作「カンディードまたは最善説(オプテイミズム)」他、全6編。

18世紀フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールによる哲学コント6編。コントというのはフランス語で、短い物語のこと。要するに哲学的な主題を持つ短い物語のことですね。ヴォルテールは、悲劇や喜劇や叙事詩といった前世紀の古典主義を終生信奉しながらも、人間の不幸や挫折、幸福の探求とといった主題はもっと現実的で真実味のある形(つまり小説や哲学コント)で扱うのがふさわしいと考えていたようです。そして、あからさまに告白したり感傷に浸ることを嫌って、自身の抱える問題や懐疑、苦悩をコントの主人公の青年の姿を借りて表現し、重大で深刻な時ほど照れ隠しのように茶化してみせたのだそう。
SF的設定の「ミクロメガス 哲学的物語」、ペルシャになぞらえながらも実はフランスの実態を描いている「この世は成り行き任せ バブーク自ら記した幻覚」、バビロン時代の賢者の中の賢者をめぐる寓話「ザディーグもしくは運命 東洋の物語」、完全な賢人を目指しながらも、早くも美しい女にたぶらかされて、とんでもない結末を迎えることになる1日を描いた「メムノン または人間の知恵」、ライプニッツの最善説への懐疑が徐々に大きくなってきている「スカルマンタドの旅物語 彼自身による手稿」、そしてとうとう最善説を風刺するところまでたどり着いてしまう表題作。作品は書かれた年代順に並べられているので、ヴォルテール自身の人生を知ると、その実体験が全てその哲学コントに登場してるのが分かって、その変遷がすごく興味深いです。
どれも面白かったんだけど、私が一番楽しく読めたのは「ザディーグ」。でも、これは絶対以前読んだことがあるんだけど! どこで読んだんだろう? その時はヴォルテール名義ではなくて、童話集みたいなのに登場してたような気がするんですが... それも前半の半分か3分の1だけ。どこで読んだんだか、今パッとは思い出せません。ああ、気になるー。この「ザディーグ」、古代バビロンが舞台で「千一夜物語」のように楽しく読める物語なんですけど、その主題は人間の幸福や人生について考えるとても深いもの。本来なら「カンディード」が一番評価されてる作品なんでしょうけど... この2作品は分量もかなりあって同じぐらいの読み応えがあるんですけど、私としては風刺色の強い「カンディード」よりも、もっと正面から素直に書いてるような「ザディーグ」の方が好みでした。(岩波文庫)


+既読のヴォルテール作品の感想+
「バビロンの王女・アマベッドの手紙」ヴォルテール
「カンディード」ヴォルテール

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Note


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