Catégories:“文学(翻訳)”

Catégories: / /

[amazon]
聖霊降臨節の前日、カアマロ(キャメロット)に集まっていた円卓の騎士たちが宴の席についた時、そこに現れたのは美しい乙女。乙女は理由も言わずにランスロ(ランスロット)に一緒に来て欲しいと頼み、2人はすぐに馬で出立します。ランスロが連れて行かれたのは、とある女子修道院。そこでランスロは、ガラアドという若者を騎士に叙することに。そして翌日、ランスロがカアマロに帰り着いた時、円卓の「危険の座」には、その日その席に座る主が現れると書かれていました。それこそが、ガアラルの席だったのです。

1180年代初めにクレティアン・ド・トロワが書いた長編韻文物語「聖杯の物語」がきっかけとなり、それから膨大な聖杯物語が作られることになったのだそうですが、この本に収められている「聖杯探索」は1220年にフランスで書かれたという作品。作者不詳とあるんですが、キリスト教のシトー修道会の修道士やその教えを勉強した者によるものと考えられているようです。
聖杯というのは、元々はケルトの大釜。でも、キリストが最後の晩餐で使い、十字架上のイエスから血を受けた器とされるに従って、聖杯伝説もまた、とてもキリスト教色の濃いものへと変化しています。ものすごく教訓的だし、ものすごい禁欲思想なんですよね...。純潔がそんなに偉いのか!と思ってしまうほど。(それとも、そう言いたくなるほど、当時の風紀は乱れていたとか?) この聖杯探索を成し遂げる資格があると神によって認められたのは3人だけ。それ以外の騎士たちは、もう見事なまでに切って捨てられてます。特に気の毒なのは、当代随一の騎士だったはずのランスロ。もう会う人会う人に罪を指摘されて、普通の神経ならこれはうんざりするだろうなあ。信仰心の篤い(単純な)ランスロは、まさかうんざりなんてしないで、悔い改めようとするのですが。(笑)
この作品がシトー派関係者の作だと考えられたのは、この強烈な禁欲思想のためだそうなんですけど、ここまで排他的というか、選ばれたほんの一握りの人しか救われない思想だと、疲れるでしょうね! 大乗仏教みたいなおおらかさが欲しいなー。でもアーサー王伝説の聖杯関係は、多かれ少なかれこんな感じ。この本はとても面白かったんですけど、聖杯の話はちょっと苦手です、私。(人文書院)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

  [amazon] [amazon]
12世紀末、獅子心王・リチャード一世がオーストリアに幽閉されていた頃。イギリスではアシュビーで当代一流の戦士たちが技を競う武術試合が開催されます。2日間通して優勝者として選ばれたのは、名前を名乗ろうとせず、素顔も見せないまま参加していた「勘当の騎士」。そしてその勘当の騎士から無理矢理兜が取られた時、そこに現れたのは、父親から勘当されて十字軍の兵士として出征していたはずのアイヴァンホーだったのです。

イギリスロマン主義の作家・ウォルター・スコットの代表作。
ブルフィンチ「中世騎士物語」(感想)でロビン・フッドが登場すると知って以来、読みたかった本。いやー、面白かったです。ロビン・フッドもかなり沢山登場するし~。タック坊主も。2人とも、終盤までずっと名前が明かされないままなんですけどね。でも名前は出てこなくても、鮮緑色(リンカーン・グリーン)の上衣を着て、といういう時点で、イギリスの読者なら誰でもその正体に気づくそうです。
ただ、題名こそ「アイヴァンホー」なんですが、アイヴァンホーはあんまり主人公という感じがしませんでした。アイヴァンホーとロウイーナ姫とのロマンスというのもあるんですけど、この2人がお互いのことを好き合ってるというのが既成の事実としてあるだけ。アイヴァンホー自身はともかく、ロウイーナ姫は単に絶世の美女っていうだけの描かれ方だし...。むしろ当時のノルマン人とサクソン人の反目を背景に、黒衣の騎士(獅子心王リチャード)とロクスリー(ロビン・フッド)一味の活躍を描いた冒険活劇と言った方が相応しいかも。でも主人公は誰かと考えると、どうもこの2人でもないんです。私がこれこそ主人公じゃないかと思ったのは、ユダヤ人のレベッカ。
レベッカの父親は金貸しで、その造形は文学上で描かれるような典型的なユダヤ人。丁度シェイクスピアの「ヴェニスの商人」のシャイロックのような... もしくはディケンズの「クリスマス・キャロル」のスクルージでしょうか。差別のされ方も、そういった作品と同じような感じ。まあ、この造形だと、それもまたいたしかたないかなって感じなんですが... それよりも差別の根深さを思い知らされたのは、純粋可憐なレベッカの場面でのことでした。アイヴァンホー自身、命の恩人のレベッカがユダヤ人だと分かった途端、顔色を変えちゃうんですもん。それまではレベッカのことを天使かと思っていたほどだったのに。これでレベッカが若くもなく、美女でもなかったら、どうなっちゃってたのかしら? なんて思ったりもしたんですが、そんなこともあるせいか、いくつもの場面で聡明なレベッカの凛とした気高さが一層際立っていました。

ただ、この作品の訳って、ものすごーく時代物調なんです。「武士(さむらい)」「上人さま」「拙者」「~し申す」などな、どうしても最後まで馴染めず仕舞い。せっかく面白い作品なのに、この訳のせいで、楽しさ2割減だったかも。これはぜひとも新訳を出して欲しいな。そうそう、こういう時こそ光文社の古典新訳文庫とか!(岩波文庫)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / / /

 [amazon]
3世紀頃にスコットランド北部のモールヴェンにいたというフィンガル王(フィン王・フィン・マックール)の誉れと、その一族の者たちの物語。スコットランド高地に住むゲールと呼ばれるケルト民族の間で語り継がれてきた古歌を集めたものです。オシァンといえば、妖精の女王・ニアヴが常若の国ティル・ナ・ノグへ連れ去ってしまうという浦島太郎的物語もあるんですが、こちらは妖精とか魔法とか超常的要素は全然ありません。

もう本当にものすごく美しいです。1760年にマクファーソンによって英訳本が発表されるや、たちまち大人気となり、ナポレオンにも愛読されたというのも納得。でも美しいと同時に哀しくもあります。これらの歌が語られたのは一族の者たちが次々に倒されて、オシァンが1人最後に残された後のこと。高齢で、しかも失明しているらしいオシァンが、亡くなった息子・オスカルの許婚で立琴の名手だったマルヴィーナ相手に、もう一度歌心を呼び戻して欲しいと一族の戦士たちの物語を聞かせているという形。歌が進むごとに、最初は若者だったフィンガル王も年を重ねて壮年の勇者になり、最後は白髪の老人へと...。それでも立派に戦ってるんですけどね。読んでいると、気高く雄々しい勇士たちの戦う姿とそれを見守る美しい乙女たち、戦いを終えての饗宴とその席で竪琴を奏で歌う歌人たち、そんな情景が見えてくるようです。

ええと、歌人たちは何かといえばすぐに歌うんですが、それは倒れた勇士の霊は歌人に頌歌を歌ってもらわなければ「雲の宮居」へ行かれないから。で、この「雲の宮居」というのはオーディンがいるところ、と作中にあります。それってもしや、北欧神話のヴァルハラのことですか? この作品の中心となっているフィンガル王はスコットランドの一部族の王だし、確かにケルト。北欧神話がこんな風に入り込んできてるとは知らなかったので、ちょっとびっくり。フィンガル王の軍はスカンディナヴィアの人々と結構頻繁に戦ってるし、しかも途中でオーディンの幻影が現れたりするので、どうも敵というイメージが強いんですけど... つまり死神ってことなのかな? いずれにせよ不思議だなあ。(岩波文庫)

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
ポントコートの祝日にアーサー王が催していた宴の席で、騎士・キャログルナンが語ったのは、7年ほど前に冒険を探す旅に出た時のこと。旅の途中、不思議な泉の話を聞いたキャログルナンは、早速そこに向かいます。その泉の水は、大理石よりも冷たいのに煮え立っており、そこにある純金の盥で泉のそばの大きな石に水をかけると、たちまちひどい嵐が起こるというのです。そして話に聞いた以上の凄まじい嵐が起きた後、そこに現れたのは1人の騎士。キャログルナンは泉を守るその騎士と戦い、そして敗れることに。その話を聞いたキャログルナンの従弟の騎士・イヴァンは、翌朝早速その泉を目指すのですが...。

12世紀後半にフランスの詩人・クレティアン・ド・トロワによって書かれたという「獅子の騎士」の初の訳出、そしてその分析と解説をしたという本。
内容的には、以前読んだ「マビノギオン」(感想)の中のエピソードの1つとそっくりで、びっくりしました。中野節子訳「マビノギオン」では「ウリエンの息子オウァイスの物語、あるいは泉の貴婦人」、井辻朱美訳「シャーロットゲスト版 マビノギオン」では「泉の貴婦人」ですね。登場人物の名前は違うんですけど、本筋はあまりに似てるので、クレティアン・ド・トロワがマビノギオンのエピソードを書き直したのかと思ったほど。でもマビノギオンは、14世紀半ばに書き残されたルゼルフの白本とそれより後のヘルゲストの赤本が元になってるし、そもそも作られたのは早くても13世紀らしいんですよね。なのにクレティアン・ド・トロワがこの作品を書き上げたのは、12世紀後半のこと。どうやら直接的な相関関係はなさそうです。もちろん口承文学だし、根っこの部分は同じなんでしょうけどね。でもケルト色のとても強い「マビノギオン」に比べて、クレティアン・ド・トロワの作品は、ケルト色は濃いながらも、それ以上に「宮廷愛」の色の濃いものになっていました。さすがフランス宮廷のために書かれただけあって洗練されてますね。そして読んでいて面白いのは、この「獅子の騎士」の物語と平行して「荷車の騎士ランスロ」の出来事が起きているのが作中で分かること。いくつかの物語の存在が重なって、その世界が重層化していくなんて手法が、この時代の詩人によって使われていたというのがびっくりです。「荷車の騎士ランスロ」も読みたいなあ。(平凡社)

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / / / / /

[amazon] [amazon]
大気の乙女・イルマタルは、波の上へと降り立った時に、澄んだ海の面を吹き渡る風によって身ごもります。しかし赤ん坊は700年もの間生まれようとせず、乙女は水の母として東に西に、北西に南へと泳ぎ続けることに。そしてようやく生まれたワイナミョイネンは、生まれた時から老人の姿をしていました。

世界三大叙事詩の1つ、フィンランドの叙事詩「カレワラ」。(他の2つは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」) 以前にも読んだことはあるんですが(感想)、それは子供用の物語形式だったので、ちょっと欲求不満状態だったんですよね。ぜひ詩の形で訳されているものを読みたいと思っていたら、ようやく読めました! 嬉しい~。小泉保さん訳のこの本は、大満足。随分前に絶版になっているし、市内の図書館にも置いてなかったので、入手は大変だったんですけどねー。

「カレワラ」で一番面白いのは、魔法のかけ方。関係する事物の起源の呪文を唱えなければならないんです。例えば鉄による傷を治すなら、まず「鉄の起源の呪文」を唱え、続いて「鉄を罵倒する呪文」で鉄を支配。続いて「血止めの呪文」「軟膏の呪文」「守りの呪文」「包帯の呪文」という一連の呪文で治療することになります。しかもこの呪文というのは歌なんです。さっさと血止めをすればいいようなものなのに(笑)、みんな朗々と歌い上げちゃう。カッコいい。でもその事物の起源を知らなければ、傷を治せずに死んでしまうわけです。つまり必要な呪文を次々に唱えられる呪術師こそが、最も強いヒト。...この「カレワラ」の中で、ワイナミョイネンが必要な言葉を求めてアンテロ・ピプネンという巨人の口から身体の中に入ってしまう場面があるんですが、この時ピプネンは正体不明の異物を出してしまいたくて、「駆除の呪文」「不明な危害の根元の呪文」「自然の病気での保護の呪文」「厄病呪病の根元の呪文」「災禍抑制の呪文」「救援の呪文」「生地へ駆逐する呪文」「報復の呪文」「一般魔除けの呪文」「閉じ込めの呪文」「運び出しの呪文」「起動の呪文」「脅迫の呪文」「困惑の呪文」と次々に唱えて、その実力を見せ付けることになります。(結局排除できないんですけどねー・笑)
1~2章で軽く天地創造についても語られてるんですが、こういう呪文の中で新たな創造の一面が分かるのがまた面白いんですよね。

小泉保さんの訳はとても読みやすくて面白いし、解説も勉強になります。ただ、この世界の神々については、あんまり体系的に語られていない... というか、時々話のついでに登場する程度なんですよね。どうやら「カレワラ」こそが神話というわけでもないみたい。神話と重なる部分も多いはずだけど、これはあくまでもフィンランドの伝説に基づく叙事詩。純粋な神話も読みたいんだけど... そういう本はあるのかしら?(岩波文庫)

| | commentaire(4) | trackback(1)
Catégories: / / / /

[amazon] [amazon]
何不自由なく育った若者・ルキウスが、所用でテッサリアに出かけた時のこと。ルキウスはミロオという男の家に滞在することになります。ミロオの妻のパンフィレエは一流の魔女だという女性。しかもハンサムな若い男に目をつけると、甘い言葉で言い寄り、飽きれば石や羊に変えてしまうという噂。日頃から魔術に興味を持っていたルキウスは、まず侍女のフォーティスに近づき、フォーティスの手引きで、パンフィレエが体中に膏油を塗ってみみずくに変化して飛び立つ様を覗き見することに。ルキウスは自分もやってみたくて膏油を取ってこさせるのですが、フォーティスが持って来たのは違う膏油。ルキウスは、なんとろばになってしまい...?!

ローマ時代の弁論作家・アプレイウスによる小説。同じくローマ時代に書かれたペトロニウスの「サティリコン」と共に、世界で最も古い小説なんだそうです。でも今読んでも十分面白い! 私が読んだのは1956年刊行という古い本なんですけど、呉茂一さんの訳もとてもよくて、すごく楽しかったです。
ろばとなったルキウスは、ろばの目から人間世界の様々な裏表を目の当たりにすることになります。ろばから人間に戻るには薔薇の花を食べればいいと分かってはいるのですが(というのもすごい話だ)、そうそう都合よく薔薇の花は手に入らず、薔薇の花が咲く季節まで、今にも殺されそうになったり去勢されそうになったりと大変な日々を送ることに...。フォーティスと艶っぽい日々を送りながらも一転してろばに身を落とし、苦労を重ねて最後にはイシス女神の導きで人間に戻り、宗教心に目覚めるところは、やっぱり精神的な成長物語と言えるのでしょうかー。
枠物語として沢山の物語が入ってるんですが、その中でもキューピッドとプシュケーの物語は有名。私も色んなところで読んでます。でもこの訳でこの本で読んだのが一番良かったな。「美女と野獣」のような物語も、実はこれが元となっているのかもしれないですねー。(どうもこの話だけでなく、「黄金のろば」自体どこかで読んでいるような気もしますが... 妙に覚えがある場面が色々と)(岩波文庫)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / / / /

  [amazon] [amazon]
イギリスのヴィクトリア朝の詩人・テニスンと明治時代の文豪・夏目漱石の共通項は、実はアーサー王伝説。テニスンはアーサー王伝説に題材をとって「シャロット姫」「国王牧歌」といった作品を書いていますし、夏目漱石も、マロリーの「アーサー王の死」やテニスンの詩を元に「薤露行(かいろこう)」という作品を書いてるんですね。漱石にこういう作品があったとは知らなかった。

ということで、まずテニスンの「シャロット姫」。
塔に1人で住んでいるシャロット姫は、外を直接見ると呪いがかかると言われているので、日々鏡の中を覗き込み、そこに見える情景を布の中に織り込んでいます。しかしそんなある日、鏡に騎士ランスロットが映り、シャロット姫は思わず窓の方へ... その途端、鏡は割れ、織物は飛び散ります。その後キャメロットに流れ着いたのは、息絶えたシャロット姫の遺体を載せた小船。
この詩には多くの画家も触発されたようで、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(こんなのこんなの... こんなのもありますね)やウイリアム・ホルマン・ハント(こんなの)など、ラファエル前派の画家によって多く描かれています。こんなページも発見。アガサ・クリスティの「鏡は横にひび割れて」もここから取った題名ですね。「赤毛のアン」のアンも、友達とシャロット姫ごっこをしてますし~。
そしてテニスンの詩に触発されたのは、夏目漱石も同様。
テニスンの「シャロット姫」では、ランスロットに恋し、その恋によって死んで小船で流れ着くのはシャロット姫ただ1人なんですが、漱石の「薤露行」では、塔からランスロットを見て死ぬシャロット姫と、ランスロットに恋して死んで小船でキャメロットへとたどり着くエレーンという2人の女性がいます。この女性のどちらもが、テニスンのシャロット姫とはまたちょっと違うんですねえ。塔のシャロット姫は怖いです。ランスロットを一目見た時、「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪いを負うて北の方へ走れ」なんてランスロットに呪いをかけた途端、「?(どう)と仆(たお)れ」て死にますし(いきなり...)、ランスロットが北へ向かう途中出会うエレーンは逆に、全然振り向いてくれないランスロットに焦がれながら死ぬんですが、自分を憐れに思って欲しいなんて手紙を書いて、死んだら手に握らせておいてくれと父親に頼んでます。思いが深いというか情が強いという点では共通していますけどね。

どちらの作品もとても美しいです。でも私にとって一読して簡単に理解できるような作品でもないので(こんな浅い記事ですみませんー)、味わいつつ噛み締めつつ、折に触れて読み返すことになりそうです。そうやって読み続ければ、そのうちもっと色々のことが感じ取れてくるでしょう、きっと。
それに対して、テニスンの「国王牧歌」はそれほど難しくないです。これは全12巻1万余行の叙事詩。叙情的な詩に比べると、やっぱり叙事詩は読みやすいー。でも、この詩集に収められているのは、最終巻の「アーサーの死」だけなんです。致命傷を受けたアーサーに頼まれたベデヴィア卿が3度エクスキャリバーを捨てに行く場面と、アーサーを乗せた船が去っていく場面。(こっちも船だ!) この「国王牧歌」が全部読みたいんですけど、どうやら日本語には訳されてないみたいで残念。原書で読むしかないのかなあ...。

「テニスン詩集」にも「倫敦塔・幻影の盾」にも、他にも色んな作品が載ってますし、もちろんそちらも読んでるんですが、今回の注目はアーサー王伝説ということで♪ (岩波文庫・新潮文庫)


+既読の夏目漱石作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「対訳 テニスン詩集」「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.