Catégories:“文学(翻訳)”

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今回の第27回たらいまわし企画「ウォーターワールドを描く本」で、主催者のねるさんが挙げてらした本。(記事) 本当は呉茂一訳が読みたかったんですが、結局「イリアス」(感想)の時と同じ、松平千秋訳で読みました。...いえ、この方の訳に不満があるわけじゃないですし、むしろとてもいい訳だと思うんですけど、詩の形ではないんですよね。呉茂一訳は、確か叙事詩形式で訳してるはずなので...。(以前読んだのは、この方の訳のはず) でもなかなか見つからないまま、結局手軽に入手できるこちらを買ってしまいました。

トロイア戦争で10年、その後10年漂流と、20年もの間故郷のイタケを留守にすることになってしまった、アカイアの英雄・オデュッセウスの物語。もうすぐ故郷に帰れそうなところから話が始まるのが、トロイア戦争末期を描いた「イリアス」と共通点。アカイア人たちはそれぞれに苦労して帰国することになるんですけど、ポセイドンの怒りを買ってしまったオデュッセウスの苦労は並大抵のものじゃありません。一方、故郷の屋敷では、オデュッセウスは既に死んだものと思われていて、奥さんのペネロペイアには沢山の求婚者が言い寄ってます。

「イリアス」も良かったんですが、やっぱり戦争物の「イリアス」よりも、こちらの方が楽しく読めますね~。登場人物も「イリアス」ほど多くなくて、把握しやすいですし。それに「イリアス」では人間だけでなく神々も大騒ぎで、それがまた面白いところなんですが、こちらで全編通して登場するのはアテネぐらい。そのせいか、物語としてすっきりしてます。
序盤では、オデュッセウスがポセイドンの激しい怒りを買ったということしか分からず、その原因が何だったのかは中盤まで明らかにされないので、徐々に徐々に... って感じなんですが、イリオスを出帆してからのことが一気に語られる中盤以降、俄然面白くなります。そして後半のクライマックスへ。構成的にもこちらの方が洗練されてるのかも。それにしても、30世紀も昔の話を今読んで面白いと感じられるのがすごいですよね。細かいところでは、今ではあり得ない部分なんかもあるんですが、やっぱり大きく普遍的なんでしょうね。そしてこの作品こそが、その後の冒険譚(特に航海物)の基本なんですねー。
「風の谷のナウシカ」のナウシカという名前が、この作品に登場する王女の名前から取られてるのは有名ですが、魔女キルケの食べ物によって豚にされてしまう部下のエピソードなんかも、「千と千尋の神隠し」のアレですね。ジブリの作品って、ほんと色んなところからモチーフをがきてますね。「千と千尋の神隠し」にしても、これ以外にも「霧のむこうの不思議な町」「クラバート」の影響が見られるわけで。

この「オデュッセイア」の中に、遙かなる世界の果て「エリュシオンの野」というのが出てきます。「雪はなく激しい嵐も吹かず雨も降らぬ。外洋(オケアノス)は人間に爽やかな涼気を恵むべく、高らかに鳴りつつ吹きわたる西風(ゼビュロス)の息吹を送ってくる」場所。神々に愛された者が死後住むとされた楽園。至福者の島(マカロン・ネソス)。明らかに、海の彼方の楽園伝説の元の1つと言える概念。でも私の持っているアポロドーロスの「ギリシャ神話」には、「オデュッセイア」紹介ページにしか、エリュシオンの野の記述がないんです。これってホメロスの想像した場所なのでしょうか。それともやはり以前からあった概念なんでしょうか? これより後の時代に書かれたウェルギリウスの「アエネーイス」では、このエリュシオンの野は確か地の底にあるんですよね。まだまだ謎だらけです。(岩波文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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強大な力で多くの神々を奴隷にしてしまった魔王・ラーバナに立ち向かうために、至上の神・ビシヌ(ヴィシュヌ)は、奴隷とされてしまった神々を人間や猿に転生させることに。南インドのジャングルには、神々の生まれ変わりの猿や猩々が沢山生まれ、ビシヌ神自身は北インドのダサラタ王の長男・ラーマとして転生。しかしラーマが立派に成長して、ダサラタ王がラーマに王位を譲る決意を固めた時、それに嫉妬した第二王妃(継母)と召使女の陰謀で、ラーマは14年もの間王国を追放されることになってしまうのです。国を離れるラーマに従うのは、妻のシータと弟のラクシマナ。しかしそんなある日、シータが魔王・ラーバナに攫われてしまい...。

「マハーバーラタ」と並ぶ、インドの古典叙事詩。とうとうインドまで来てしまいましたー。この「ラーマーヤナ」はヴァールミーキの作と言われていますが、実際にはインドに伝わる民間伝承をヴァールミーキが紀元3世紀ごろにまとめたってことのようですね。ヒンドゥー教の神話の物語ですが、古くから東南アジアや中国、日本に伝わっていて、この物語に登場する猩々のハヌマーンは、「西遊記」の孫悟空のモデルとも言われているようです。確かに彼の活躍場面は、孫悟空の三面六臂の活躍ぶりを彷彿とさせるもの。

本来この物語には魔王・ラーバナを倒すという大きな目的があったはずだし、そのためにビシヌ神も転生したはずなんですが、人間や猿に転生した時に神々だった時の記憶を失ってしまったせいか、ラーバナ征伐がまるで偶然の出来事のようになってるのがおかしいです。ラーバナがシータを攫わなければ、ラーバナとの争いは起こらず、魔王の都に攻め込むこともなかったのでしょうか! 「ラーマーヤナ」の「ヤナ」は鏡で、要するに「ラーマの物語」ということだそうなので(おお、インドでも鏡は物語なのね)、ラーマの英雄譚ということで構わないんですが... まあ、ラーマに箔をつけるために、ビシヌ転生のエピソードが付け加えられたんでしょうしね。
このラーマに関してはそれほど魅力を感じないのですが、至上の神であったビシヌでも、人間に転生してしまうと、ただの我侭な男の子になってしまうのかーという辺りは可笑しかったです。

でも私が読んだこの本は、一見大人向けの新書版なんですが、中身は子供向けの易しい物語調なんです。どうやらかなり省略されているようで、読んでいて物足りない! でも東洋文庫版「ラーマーヤナ」は、訳者の方が亡くなって途中で中断しているようだし、他にはほとんどない様子。結局、現在はこの版しか入手できないみたいなんですよね。「ラーマーヤナ」がどういった物語なのかを知るにはいいんですが、やっぱり完訳が読みたかった。ああ、東洋文庫で続きが出てくれればいいのになあ。(レグルス文庫)


+関連作品の感想+
「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ
「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ

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den_en relaxのuotaさんが読んでらして、読みたくなった本。(記事) 5人の女性と1人の男性が「ジェイン・オースティンの読書会」を結成して、月に一度読書会を開き、「エマ」「分別と多感」「マンスフィールド・パーク」「ノーサンガー・アビー」「自負と偏見」「説得」という6作品を読んでいくという物語。図書館でも人気らしくて結構待たされちゃいましたが、確かに面白かったです! 読書会とは言っても、それほど作品そのものには触れてなくて、あんまり突っ込んだ議論もしてないんですが、その読書会でのやり取りやその合間に見えてくる6人の人間模様が、ものすごくオースティン的で面白いんですよね。ああ、この人たちがオースティンを愛読してるのもよく分かるなあ、という感じ。みんなそれぞれに、オースティンの作品の中の人物たちと同じように、恋をしたり傷ついたり、幸せになったり落ち込んだりしていて... アメリカが舞台だけあって、こちらはとてもアメリカ的なんですが。ラストもオースティン的なハッピーエンドと言えそうです。

プロローグの1行目、「私たちはそれぞれ、自分だけのオースティンをもっている」という書き出しが素敵です。

・ジョスリンのオースティンは、結婚と求婚についてすばらしい小説を書いたのに、生涯結婚しなかった
・バーナデットのオースティンは喜劇の天才だ
・シルヴィアのオースティンは人の出入りの多い居間で小説を書いては家族に読んできかせ、いっぽうで辛辣で偏りのない人間観察を続けた人だ
・アレグラのオースティンは、経済的窮状が女性の性生活にどのような影響が与えるかをテーマに小説を書いた
・プルーディのオースティンが書いた本は、読むたびに変化する
・私たちの誰も、グリッグのオースティンがどんな人か知らない

これだけでも、どんな人物なのか想像が膨らむし、唯一の男性メンバーのグリッグは一体どんな人なんだろうと興味津々になっちゃう。語り手として「私たち」という言葉がたびたび登場するのも面白くて、読んでいると自分もまるで読書会に女性会員の1人として参加しているような気分になってしまいます。(てっきり最後に「私たち」の「私」が誰なのか分かるのかと思ったんですが、そういうミステリ的趣向はありませんでした・笑)

もちろん、ジェイン・オースティンの愛読者の方が楽しめるのではないかと思いますけど、巻末には「読者のためのガイド」として、ジェイン・オースティンの6作品の紹介もあるから大丈夫。私はこの作品を読んだら、オースティンの未読作品を全部読みたくなっちゃいましたが! なんと「読書会の討論のための質問」まで用意されてるという親切な作りです。面白いなあ。アメリカではこういう読書会が盛んで、初対面の人物が面白そうだったりすると、「読書会をやってみない?」と誘うこともあるんですって。そうやって開いた読書会を通して、また積極的に友達を増やすんでしょうね。あんまり突っ込んだ議論をするとなると、緊張して発言できなくなっちゃいそうなんですが、こういう気軽な読書会ってとっても楽しそうです。(白水社)


+既読のジェイン・オースティン作品の感想+
「自負と偏見」オースチン
「エマ」上下 ジェイン・オースティン
「分別と多感」ジェイン・オースティン
「マンスフィールド・パーク」ジェイン・オースティン
「ジェイン・オースティンの手紙」ジェイン・オースティン
「説きふせられて」ジェーン・オースティン
「ノーサンガー・アベイ」ジェーン・オースティン

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現在進行中の絶賛叙事詩祭りで最大の目玉になりそうな作品、念願の「狂えるオルランド」をとうとう読みました!
これは8世紀末のシャルル・マーニュ率いるキリスト教徒軍とイスラム教徒軍との戦いや、騎士たちの恋や冒険を描いた物語。イタリアルネッサンス最高傑作とされているのだそうです。イタロ・カルヴィーノが偏愛しているという作品。でも、同じくシャルル・マーニュが登場するフランスの叙事詩「ロランの歌」と何らかの関係があるんだろうとは思ってたんですけど、「ロラン」が、イタリア語では「オルランド」なんて知りませんでしたよー。(情けない)

というのはともかく。これが思いの他、難物でした。

まず、訳者まえがきを読んで初めて、これが15世紀にボイアルドが書いた「恋するオルランド」(未完)の続きとして書かれていると知ってびっくり。それならそちらを先にいっておきたいところですが、その「恋するオルランド」は、日本語には翻訳されてないらしいんです。しかも、この本には「恋する~」のあらすじがほとんど書かれてない! いくら「狂える~」が、それだけで独立して読める作品とされていても、続編である以上、人間関係がすっかり出来上がっている以上、そちらのあらすじをきちんと書いておいてくれてもいいのでは... それもなしに、「『恋するオルランド』第○巻第○歌○○節参照」なんて訳注が頻出するときた日には...!
私はシリーズ物を途中から読むのが大嫌いだし、繋がりがある作品は順番に読みたいタイプ。(積み重ねていく部分って、大切ですよね) なのに、いきなり話が始まっちゃう。全然話に入れなくて困っちゃいました。特に最初の1~2章では大苦戦。何度読み返しても、全然頭に入ってこなくて、目は文字の上を素通りするだけ。訳者まえがきに、「まずなによりも、読んで面白い」「少しも読者を退屈させない」なんて書かれてるのに、全然面白くないよー...。

せっかく市外の図書館からお取り寄せしてもらったんだけど、やっぱりやめちゃおうかしら、でも、そんな気軽に再チャレンジなんてわけにもいかないし... なんて思いながら我慢して読むこと約30ページ。(この30ページに5日ぐらいかかりました) ある日突然、面白くなりました! 訳者さんの言葉にも、ようやく納得。ヨーロッパはもちろん、インド、エチオピア、はたまた... と様々な場所でエピソードが同時進行していくんですけど、全然混乱しないどころか、すごく読みやすい! (登場人物は物凄く多いので大変ですが) 最初の苦労は一体何だったんだ? 全部読み終えてから最初に戻ってみると、今度は全然読みにくくなかったです。(笑)

myrtus05.jpg題名の割に、オルランドは主役じゃないんですね。オルランドが失恋して正気を失い、他の人物がその正気を取り戻させるという流れはあるんですけど(この正気を取り戻す部分が凄いです。ぶっ飛んでます) むしろイスラム教徒の騎士・ルッジェーロとキリスト教徒の乙女・ブラダマンテが中心。というのも、この2人こそがアリオストが仕えていたエステ家の始祖となる2人なので...。(途中何度か語られるエステ家の隆盛については、ちょっと退屈) そしてもう1つ中心となっているのが、キリスト教徒とイスラム教徒の戦い。これは迫力です。名だたる騎士たちの強さってば、凄まじすぎ。一騎当千とはこのことか。
(右の写真は、作中に何度も登場するミルトの花。日本名は銀梅花)

結局のところ、ものすごーく面白かったです。分売不可の2冊組で12,600円という凄い値段なんですけど、それでも欲しくなっちゃったぐらい。この金額を出しても欲しいって思えること自体凄いんですけど、そう思えるような本が読めて幸せ~。物語そのものが面白いのはもちろん、訳文もすごく良かったし、ギリシャ神話やホメーロスの「イーリアス」「オデュッセイア」、ウェルギリウス「アエネーイス」、オウィディウス「変身物語」、プリニウス「博物誌」、ダンテ「神曲」、マルコポーロ「東方見聞録」、アーサー王伝説などなど、様々な古典文学を下敷きにしてるから、そういう意味でもすごく楽しいし、色んなエピソードの展開の仕方を他の古典作品と比べて、1人でにやにや。特に絶世の美女の見せる意外な計算高さや、命をかけて結ばれた王子さまとお姫さまが「そして2人はいつまでも幸せに暮らしました」になるとは限らないところとか、面白い~。そしてこの作品は、後の文学作品にも色々と影響を与えているんですよね。これでようやく、そういう作品を読んだ時に、悔しい思いをしなくて済むから嬉しいな。多少は理解も深まるでしょう。(期待)

あとは返却期限までぼちぼちと読み返して... ポチッとしてしまう衝動と戦うだけですね。わはは。(名古屋大学出版会)

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今でもイラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているペルシャ英雄叙事詩。11世紀初めにフェルドウスィーによって作られたものです。本来は「神話」「伝説」「歴史」の3部構成だそうなんですが、この本では「神話の王たちの時代」「伝説英雄の時代」の2部に分かれています。

3部構成の最後の「歴史」の部分(全体の5分の2程度)が丸々省略されてるし、「神話」「伝説」部分も部分部分で省略されているので、本来の形からみると4分の1ほどの量になっているのだとか。訳も散文形式だし、岩波文庫に珍しく注釈もものすごーく少なくて(全体で23だけ!)、読みやすさにこだわった簡易版といった感じですね。今のところ完訳版は出てないようなので仕方ないのですが。
基本はペルシャ初代の王・カユーマルスからの歴代の王の紹介で、随時英雄伝説が挟まっています。解説に「ある意味では、私たちの『古事記』に当たる」と書かれていたんですけど、なるほどそんなものかもしれないですね。ちょうど古事記の、山幸彦の孫(だっけ)が神武天皇になって、歴代の天皇のエピソードが神話交じりに書かれていくような感じ。さだめし、初代の王・カユーマルス王が神武天皇で、英雄ロスタムがヤマトタケルってところでしょうかー。こちらの「王書」には、天地開闢だの天地創造だの神々の誕生だのといった部分はありませんが。
結構面白かったし、注釈が少ないのは読みやすかったんですけど、読んでいると、つい気になってしまう部分いくつか...。ここの説明が読みたい!ってところには注釈がなかったりして、痒いところに手が届かないー。注釈もありすぎると、本文の流れを遮ってしまうから読みにくいんだけど、やっぱりある程度は必要なものですねえ。あと、古代ペルシャで信仰されていたのはゾロアスター教だし、この詩の中でもそうなってるんですが、実際にこの詩が作られたのは、既にイスラム教になっていた頃。その辺りについても、もう少し説明して欲しかったところです。もしかして後から宗教的にいじられたのかな?って部分もあったんですよね。気になりますー。(岩波文庫)

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娘のペルセポネーを突然ハーデースに奪われて嘆くデーメーテールを描いた「デーメーテールへの讃歌」、ヘーラーの嫉妬のために、ゼウスとの間に出来た子供を産む場所を探すのに苦労する女神レートーの「アポローンへの讃歌」、生まれたその日にアポローンの牛を盗み、アポローンに捕まえられてもゼウスの前に出されてもしらばっくれるヘルメースを描いた「ヘルメースへの讃歌」、英雄アンキーセースと出会って愛し合い、後にローマを建国するアイネイアースを産むことになるアプロディーテーの「アプロディーテーへの讃歌」の4編。

「ホメーロス讃歌」とは言っても「イーリアス」「オデュッセイア」の作者であるホメーロスが書いたのではなく、様々な人物がホメーロス的に作り上げた詩を集めたもののようですね。という以前に、本当にホメーロスという人物はいたのか、1人の人間が本当に「イーリアス」「オデュッセイア」を作り出したのか、それとも複数の人物のユニットが「ホメーロス」だったのか... なんて「ホメロス問題」があるようですが。

4つとも、ギリシャ神話が好きな人にはお馴染みの有名なエピソード。もっとも読む本によって、細かい部分が違ってたりしますけどね。そしてこの中で私が一番面白く読めたのは、「ヘルメースへの讃歌」でした。ヘルメースは生まれたその日も揺り籠の中にじっとしていることなく、早速飛び出してしまうのですが、亀を見つければその甲羅で竪琴を作って奏でてみたり、アポローンの牛を50頭も盗んでみるという行動力。しかも、ヘルメースが犯人だと見抜いたアポローンに責められても、ゼウスの前に引き出されても、のら~りくらりと言い逃れるんです。ヘルメースといえば知的でスマートなイメージがあるのですが、むしろ悪知恵が働く赤ん坊だったわけですね。読んでいる間は、解説に書かれているような「喜劇仕立ての滑稽な作品」とはあまり思わなかったんですが、読後少し時間が経つと、やはりあれは喜劇仕立てだったんだなあ~なんて思ってみたり。
この本に収められているのは4編だけですけど、ちくま文庫から出ている「ホメーロスの諸神讃歌」で全33編が読めるようです。この4編以外はどれも小粒で、神話伝説的要素があまりないそうなんですが、これだけだとちょっと物足りなかったので、今度はそちらを見てみるつもり~。(岩波文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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ルブリン・デュは、丘陵地帯に馬と共に暮らす、イケニ族の族長の息子。5歳の頃、ルブリンは中庭で飛び交うつばめが空に描く美しい模様に魅せられて自分もその動きを真似しようとし、そして妹が生まれた祝宴の席では、竪琴弾きの歌を聴きながら、音楽と詩が心の中で織りなす模様に魅せられて、夢中でその絵を床石に描き出します。その後親友ができ、一人前の男になるために様々なことを学ぶようになっても、ルブリンはつばめの飛行や竪琴の歌、麦畑を渡る風や疾駆する馬の群れなど、動くものを形に留めたいという、痛いほどの欲求を持ち続けることに。

紀元前1世紀頃に作られたと言われている、バークシャー丘陵地帯のアフィントンにある全長111メートルもあるという白馬の地上絵に、ローズマリー・サトクリフが作り上げたという物語。
5歳の時から片時も離れずにいたような親友も、ルブリンの絵に対する情熱を本当には理解してなくて、結局唯一の理解者となったのは、敵の族長・クラドックだけ。本文中で一番印象に残ったのも、この2人のやりとりでした。クラドックは、ルブリンが描いた馬の絵を見て、最初の数頭と最後尾の馬の間の「ゆれているような線」について質問するんですよね。「なぜ馬の形をしていないのか? まんなかにいるのも馬のはずだが」 それに対するルブリンの答えは、「なぜなら、まんなかは馬の形には見えないからです」「まんなかの馬は、特別の注意を払わない限りは、かたまりにしか見えません。疾走している馬の群れを思い出してください。最初の馬と次に続く数頭、それから最後尾以外の馬が目に留まったことがありますか? 変化し流れる、ただのかたまりとしか見えないはずです」。ルブリンの描いた線を、目の前に蘇らせてくれるようなやりとりでした。
それがきっかけで、ルブリンは丘陵地帯に巨大な白馬を描くことになるんですが...。
この本の表紙の絵こそが、その白馬の絵。(本を右に倒すと、右に向かって走る馬の絵になります) これはルブランの孤独を乗せて走り続ける白馬。周囲を人が取り囲んでいて感じる孤独は、1人きりの孤独とは段違いに深いもの。でもその孤独が深いほど白馬への思いは純粋になって、白馬は命を得ることができたんでしょうね。(そして最後がまたいいのよ!)

この本は、暁の女神の紅松優利さんのオススメ。実はローズマリー・サトクリフの本を読むのは初めてです。数々の作品の題名を見るだけで、同じものが好きな人の匂いを強く感じていたんですけど、作品数が多いので、逆に手を出せないでいたんですよね。この本は児童書で字が大きいこともあって、最初はなかなか話に入れなくて困ってたんですが、気がついたらすっかりその世界に浸りきっていて、結局読み終わった途端に、また最初から読み返してしまいました。
内容は全然違うんですけど、上橋菜穂子さんの「狐笛のかなた」の雰囲気に、どこか通じるような... どちらかが好きな方は、もう片方もお好きなのではないかと思います。ぜひぜひ。(ほるぷ出版)


+既読のローズマリー・サトクリフ作品の感想+
「ケルトの白馬」ローズマリー・サトクリフ
「炎の戦士クーフリン」「黄金の騎士フィン・マックール」ローズマリー・サトクリフ

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