Catégories:“文学(翻訳)”

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1930年代のメキシコ。共産主義革命が起こり、カトリックの教会は全て破壊され、司祭たちが踏み絵を強要されていた時代。ほとんどの司祭たちは国外に逃亡し、潜伏していた者たちは見つかりしだい銃殺に処せられていたこの時、国内に残っていたのは2人の司祭だけでした。1人は結婚することでカトリックの戒律を破ったことを周囲に示したホセ神父。そしてもう1人はカトリックへの信仰を捨てきれず、しかし殉教者となる勇気もないまま逃亡を続ける不良神父。彼は年老いた騾馬に乗りながら、警察の捜索を網を縫って北を目指します。

グレアム・グリーンの代表作の1つで、遠藤周作の「沈黙」に大きな影響を与えたという作品。今までの4冊では一番面白かった気がするんだけど... まだあんまり消化してません。
神父は、逃亡する前から既に祭日や断食日、精進日といったものを無視するようになっていたし、妻帯を許されないカトリックの神父でありながら、6歳になるブリジッタという娘がいるんですよね。破戒神父です。逃亡し始めてからは聖務日課書を失くし、携帯祭壇を捨て、通りすがりの百姓と自分の司祭服を交換。神父としての彼に残っているのは、司祭叙任十周年のときの原稿だけ。そこまで堕ちながらも、彼が依然として神父でしかないというのはどういうことなんだろう? この極限状況の中で神父であり続けることに、一体どれだけの意味があるんだろう? なんて思いながら読んでました。彼には、守り通さなくちゃという信念を持つほどの信仰はないし、そもそも主体性がないんです。告解したくとも、自分の娘(罪の結晶)を愛してるから、祈りはどうしても娘へと向けられてしまうし。
「権力と栄光」という題名なので、「権力」というのは当然国家権力で、国家とカトリックの対比なのかと思ってたんですが、訳者あとがきによると「神の力と光」というのが正しい意味なのだそう。(原題は、「THE POWER AND THE GLORY」)...そうだったんだ! この題名が定着してしまってるから、変えるに変えられなかったみたいですね。それと訳者あとがきで、この作品とキリストの生涯との共通点が挙げられてるのが面白くて、なるほどなあーなんて思いながら見てたんですけど、「そうした読み方はあまりほめたものではないし、慎むのが当然だと思われる」とあるんです。なんでなんだろう? 私がグレアム・グリーンをまだ良く分かってないからかな?(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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まもなくメイダー・ヒルの聖リューク教会で結婚式を挙げ、ボーンマスへ新婚旅行に行く予定のバートラムとケアリー。しかしバートラムが会社の株主の1人で「御老体」と呼ばれている大金持ちの老人に会ったことから、予定が狂い始めます。御老体はモンテ・カルロで結婚するべきだと言い張り、秘書に段取りを組むように言いつけます。結婚式には御老体も来る予定。しかし当日、御老体は現れませんでした。バートラムとケアリーは、せっかくだからとカジノを覗いてみることに...。

お金はそれほどないけれど幸せな2人が、カジノを体験してしまったことから雲行きが怪しくなるという物語。でも雲行きが怪しくなるのは、負けがこんでしまったからではなくて、勝ってしまったから。多少お金があっても邪魔にはならないと思うんですけど、ケアリーは「ねえ、お願いだからお金持にはならないで」と頑固に言い続け、お金があるからという理由だけでバートラムと別れそうになるんですよね。お金よりも人間性が大切とは言っても、ここまでデフォルメしちゃうと、ちょっとスゴイ。
でも、気軽に読める小編なんですが... グレアム・グリーンだからきちんとした作品なのかといえば、謎です。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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ある名もない村で生まれたトビアスの母は、盗人であり乞食であり、娼婦。母の客でただ1人農夫ではなかった男は村の学校の教師で、トビアスに必要な服や教材を揃えてくれます。彼の娘・リーヌは、トビアスのただ1人の友達。しかし、トビアスは12歳の時、彼が自分の父親であることを知ってしまうのです。トビアスは大きな肉切り庖丁を持って寝室に入ると、眠っている2人を貫くように刺し、その足で国境を越えてゆきます。

「悪童日記」の三部作とはまた違う作品なんですが、内容的にはかなり重なってますね。ここに登場するトビアスの故郷の国も、多分ハンガリーでしょうし、主人公が越境してること、自分の過去を作り上げてること、かなり空想的で、その空想を言葉として書き留めている面も一緒。そしてこのトビアスの姿は、「悪童日記」の時以上に、作者のアゴタ・クリストフ自身に重なります。自分の母国から追い出され、生活のために敵国の言葉を覚える必要に迫られ、その言葉で文章を書いているという点も同じ。おそらく彼女は、これからも同じような主人公、同じような世界を書き続けるんでしょうね。
作中にはいくつもの死が登場するんですが、アゴタ・クリストフはあくまでも淡々と描いていきます。まるで、その1つ1つに感傷的になることを読者に許さないみたい。トビアスが待ち焦がれてる空想の世界のリーヌも実際に現れるんですけど、その場面もトビアスの空想のよう。予想通りのアンハッピー・エンドなんですけど、失恋の悲しみよりも遥かに大きな悲しみが作品全体にあるので、それはむしろ瑣末なことに見えてきます。事実をあるがままに受け止めて生きていく2人の姿が印象に残りました。(ハヤカワepi文庫)

+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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強国がひしめくインドシナ戦争下のサイゴン。アメリカ経済使節団で働いている青年・パイルが訪ねて来るのを待っていたイギリス人記者のファウラーは、フランス警察によってパイルの水死体が見つかったことを知らされます。ファウラーとパイルはかつてベトナム娘のフォンを争い、結局ファウラーがパイルに負けたという間柄。しかし尊大で騒々しくて子供っぽいアメリカ人記者たちとは違う、謙虚で生真面目、理想に燃えたパイルに、ファウラーは好感を抱いていたのです。

「第三の男」(感想)以来のグレアム・グリーンの作品。「第三の男」も私にはちょっと読みづらかったんですが、これはそれ以上に読みづらかったです...。全然ダメというわけではなくて、面白い部分と詰まらない部分が混在してる感じなんですが、グレアム・グリーン、もしかしたら苦手なのかもしれない...。ハヤカワepi文庫の読破を目論んでる私ですが、あと6冊残っていて、そのうちグレアム・グリーンの本が4冊も控えてるんですよねえ。大丈夫かしら。(そんなことを言いながら、全部読んだ頃には大ファンになってたりして・笑)

ええと、どんな理由があっても、それがたとえ正義であっても、人を殺す免罪符には決してならないはずなんですが、それでもやっぱりアメリカは正義を掲げて他国同士の争いに介入し続けてますね。この作品は1955年に書かれているので、ベトナム戦争(1965-1970)すら起きていない頃だというのが驚きなんですが、古さなんて感じないどころか、むしろ今の時代に読んだ方が伝わってきそうな作品です。もちろんアメリカにも戦争反対の人は沢山いるでしょうし、実際に戦闘に参加する時は割り切らないとやってられないって人も多いんでしょうけど... 実は一番タチが悪いのは、パイルのような理想に燃える男なのかも、なんて思ったり。ある東亜問題専門家の本に傾倒しているパイルは、自らの意思で正義を行っていると信じてるんですけど、多分、実際のところは、上の人間にその本を渡されて、巧妙に操作されてるだけなんですよね。知らない間に自分の意思が刷りかえられてる。そしてそんなパイルを微調整するだけで、上の人間は自分たちの手を汚さずに済むわけで... パイルの無邪気さが哀しいぞ。
...なんて書いてますが、そっち方面には圧倒的に知識不足な私のことなので、全くの的外れかもしれません。(あらら) でも、それもまた1つのからくりなんだろうな、とそういう作品でした。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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1978年の夏。9歳のミケーレは、偶然入り込んだ廃屋の中に、1人の少年の姿を見つけます。少年が既に死んでいると思い込んだミケーレは、そのまま仲間たちにも何も言わずに帰宅。しかしその少年は、まだ生きていたのです。それを知ったミケーレは、その少年に水や食べ物を差し入れし始めるのですが...。

イタリア南部の小さな集落が舞台の物語。ぎらぎらと照りつける太陽に真っ青な空、乾いた熱い風、一面の金色の小麦畑。読んでいると、そんな情景が目の前に広がるような作品。大人たちは日々の貧しさに喘ぎ、豊かだという「北部」に憧れて、いつかはこんな場所から出ていってやると思っているし、確かに生活はとても貧しそうなんですが、子供たちの生活は、そんな情景がバックにあるせいか、すごく力強くて豊かに感じられました。小さい妹の世話を押し付けられて文句を言ってるミケーレだけど、実際にはとても面倒見の良いお兄ちゃん。このミケーレがとってもいい子なんです。
でも偶然少年を見つけてしまったミケーレは、じきに、この件に村の大人たち全員が関係していることも知ってしまい、そんな子供時代に別れを告げることになります。自分にとって絶対的な存在だった父が、実は弱く罪深い人間だったことを思い知らされるのは、9歳のミケーレにとっては大きな衝撃。大人たちのやっていることを薄々感づいても、無邪気に聞けるほどの子供でもないし、かといって黙って見過ごすことができるほどの大人でもなく、相談しようにも相手がいないミケーレ。信じていた相手からは裏切られるて散々。そんな風に、いきなり大人になることを求められるミケーレが可哀想ではあるんですが、自分なりの筋を通して、やるべきことをやろうとするミケーレの姿はとても爽やかでした。
epi文庫の作品は映画化されているものも多いんですが、その中でもこの映画の評判は良かったようですね。公式サイトはこちら。(ハヤカワepi文庫)

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ある夏、自然科学の研究をしながら高い山脈から丘陵地へと向かって歩いていたハインリヒは、西の方に雷雲が拡がるのを見て、近くにある薔薇の花に覆われた家に雨宿りを求めます。その家に住む老人に雷雨は来ないと断言されながらも、自分のこれまで観察してきた自然科学を信じるハインリヒ。しかし結局、老人の言った通り雷雨は来なかったのです。その理由を解き明かす老人の言葉に深く感銘を受けたハインリヒは、その夏から足しげくその薔薇の家を訪れることに。

「水晶」(感想)を読んで以来大好きになってしまったシュティフターの作品。第15回のたらいまわし企画「私の夏の1冊!!」で、The Light of the Worldのnyuさんが出してらした作品でもあります。(記事) 「晩夏」という題名なので、本当はもっと時期を合わせて読もうと思っていたんですが、まだ初夏のこの時期に読んでしまいましたー。でも作品の中に終始漂う爽やかな空気は、今の時期の爽やかな空にもぴったり。というよりむしろ、日本で読むなら秋よりも今の気候の方が合ってるような気もします。

そしてこの作品は、劇作家フリードリヒ・ヘッベルには、この小説を終わりまで読み通した人には「ポーランドの王冠を進呈しよう」とまで酷評され、一方、ニーチェには「ドイツ文学の宝」と絶賛されたという作品。トーマス・マンにも高い評価を受けていたようです。きっと今も昔も、絶賛されるか酷評されるかどちらかなんでしょうね。そしてその酷評された理由は、まずこの作品の起伏に乏しさにあるのではないかと。文庫の上下巻で丁度1000ページほどあるんですけど、確かにこの長さには不釣合いなほど、ほんと何も起きないんです。ただ淡々と物語が流れていくだけ。話がようやく動き始めるのは、かれこれ3分の2も読み終えた頃。あと、人間が描けていない、なんてことも言われちゃうのかも。ここに登場する人たちは皆、嫉妬や傲慢といった悪感情には縁がない人ばかりなんです。特に主人公の家族は凄いです。この時代でも、本当にこんな家族は存在してたのかしら... なんて思ってしまうほど。(ちょっと羨ましい) そして恵まれた環境に生まれ、自らたゆまぬ努力を続け、挫折を知ることなく成長していく主人公は、この先、例えば逆境に陥った時とか、本当に大丈夫なのでしょうか?(挫折を知らない人って、どうも信用できなくて・笑)
でもそんな風に、酷評された理由を想像することもできるんですけど、それらは私にとっては、全然マイナスではなかったです。薔薇の家の主人の話はどれも興味深かったし、負の感情がないからこそ際立つ部分もあったし、高地と丘陵地、そして都会という対比も面白かったし... それにこの作品は、読んでいること自体がとても気持ちがいいんです。この世界に、そして薔薇の家にずっと居続けたくなっちゃう。一気に読んでしまうのが勿体なくて、2ヶ月ほどかけて少しずつ読んでました。シュティフターの作品をいくつか読んだ中では「水晶」が一番好きなんですが、この作品もなかなか良かったです。

ということで、ポーランドの王冠は私が頂いておきましょうかね?(要らないけど・笑)(ちくま文庫)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター
「書き込みのある樅の木」アーダルベルト・シュティフター

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プラハの裕福な家に生まれた母親と、貧乏な若い技師の間に生まれた詩人・ヤミロール。母親に溺愛されて育ったヤミロールは、自分の言葉が周囲に大きく影響を及ぼすことに気づき、常に自分は特別なのだという意識を持つようになります。

この方、「存在の耐えられない軽さ」を書いた方だったんですね。という私は、原作も読んでないし、映画も観てないのですが...。
短い章を畳み掛けるような構成で、「詩人」ヤミロールの一生を描いた作品。生まれたのは、第二次世界大戦後の混乱期、そして思春期には「プラハの春」が、という時代背景で、これはクンデラの自伝的作品でもあるのだそうです。小説というよりも、むしろ散文詩のような感じかな。でも、クンデラらしさが一番表れていると書かれていたんですけど... 文章自体は読みやすかったんですけど... 作品はちょっと分かりづらかったです。というよりむしろ、作品にあまり近づけなかったような気が。
自信たっぷりでいながら、常に他人の賛辞がないと不安な小心者。唯一自分を常に認めてくれる母親からは、結局精神的に巣立つことができなかったし、赤毛の恋人を愛しているとはいっても、決して美しくない(どころかブスらしい)恋人を愛している自分に酔っているように見えました。結局のところ、ヤミロールは彼女たちを通して自分しか見てなかったんでしょうね... そんなヤミロールの最期が哀れです。
チェコスロバキアでこの作品が発禁処分となって、フランスに亡命したというミラン・クンデラ。その後はフランス語による作品を発表しています。(ハヤカワepi文庫)

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