Catégories:“文学(翻訳)”

Catégories: / /

  [amazon] [amazon]
ポール・ギャリコ2冊。まずは河合隼雄さんの「ファンタジーを読む」(感想)にも挙げられていた「七つの人形の恋物語」。(この表紙がやけに怖いんですが、私が読んだのはこれじゃなくて金子國義さんの挿画による角川文庫版) いやあ、すごく良かったです。ポール・ギャリコの作品はこれで14冊目で、これまでもそれぞれに良かったんですが、最初に読んだ「ジェニィ」と「トマシーナ」がダントツだったんですよね。この「七つの人形の恋物語」はそれ以来のヒットかと。どこがどう良かったのか、言葉にするのがとても難しいんですが...

その物語は、芝居で身を立てようとパリに出てきたものの上手くいかず、今にもセーヌ河に身投げをしようとしていた少女・ムーシュに声をかけたのは、人形芝居一座の赤毛の人形。ムーシュは次々に登場する7つの人形たちと意気投合、その会話は通りすがりの客たちにも受けて、ムーシュはそのまま一座に加わることに。でもその人形たちの操り手であるミシェルは冷酷そのものの男で... というもの。

皮肉や意地悪も言うけど、本質的にはとても優しい人形たち。この人形たちとムーシュとのやり取りが生き生きとしてて楽しいんです。自殺しようとするほど思いつめていたムーシュが、気づけばすっかり癒されてしまっていたほど。最初は、この人形たちが実は生きていたというファンタジーかと思ったんですけど、そうじゃないんですよね。となると、その操り手であるミシェルにも本質的にそういう部分があるんだろうと思うのですが、これが全然。優しさや憐れみなどまるで知らずに育ったミシェルは、ムーシュの純粋さが許せず、何かといえばムーシュに辛く当たります。それどころか、部屋が1つで済めば安上がりだなんて理由でムーシュを陵辱してしまうほど。そこには愛情などまるでなくて、自分が持ってないものを持ってるムーシュを壊してしまいたいという思いだけ。でも、夜、ミシェルがムーシュに冷酷になればなるほど、昼の人形たちはムーシュに優しくなって...
ミシェルの冷酷さが人形たちの優しさを際立たせてるし、逆に人形たちの優しさはミシェルの冷酷さを際立たせていて、でもムーシュには絶えずその両極端の現実に苛まれることになるんです。そして最後の収束。いや、もう、上手く説明できないんですが、「でも、僕らって誰なんだ」という言葉が何とも言えません。

「スノーグース」の方もとても良かったです。ここに収められているのは、「スノーグース」「小さな奇蹟」「ルドミーラ」の3編。どれも決して派手とは言えないんですが、凛とした美しさと静かな強さがありました。大きな愛情を感じる物語。
「七つの人形の恋物語」も「スノーグース」もごくごく薄い文庫本なのに、読むのにものすごく時間がかかっちゃいました。というのは決して悪い意味ではなくて、じっくりと読んだという意味で。矢川澄子さんの訳も良かったんでしょうね。さて、「ファンタジーを読む」の「七つの人形の恋物語」の部分を読み返そうっと。(角川文庫・新潮文庫)


+既読のポール・ギャリコ作品の感想+
「トマシーナ」ポール・ギャリコ
「セシルの魔法の友だち」ポール・ギャリコ
「マチルダ ボクシング・カンガルーの冒険」ポール・ギャリコ
「われらが英雄スクラッフィ」ポール・ギャリコ
「幽霊が多すぎる」ポール・ギャリコ
「猫語の教科書」ポール・ギャリコ
「ハリスおばさんパリへ行く」「ハリスおばさんニューヨークへ行く」他2冊 ポール・ギャリコ
「七つの人形の恋物語」「スノーグース」ポール・ギャリコ
「トンデモネズミ大活躍」「ほんものの魔法使」ポール・ギャリコ
「ポセイドン」上下 ポール・ギャリコ
「ザ・ロンリー」ポール・ギャリコ
「「きよしこの夜」が生まれた日」ポール・ギャリコ
Livreに「ジェニィ」の感想があります)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
以前13回目のたらいまわし「夜の文学」で、AZ BLOG::はんなり、あずき色のウェブログのoverQさんが出してらした本。(エントリーはコチラ) 「屍鬼」といえば、まず小野不由美さんが出てくる方が多いと思いますが、これはインドの物語。インド版「千夜一夜物語」です。

あらすじとしては...
トリヴィクラマセーナという名の勇気のある王様が、1人の修行僧に頼まれて夜中に宮殿を抜け出し、樹に懸かっている男の死体を取りに行くことになります。しかしその死体には、屍鬼が取り憑いてるんですね。王が死体を担いで歩き出すと、背中の屍鬼が王に1つの物語を聞かせる。その物語の最後には謎掛けが待っていて、王がそれに答えると死体は元いた樹に戻ってしまい、王様は再び取りに行くことに... というもの。
この王様、お話ごとに行ったり来たりを繰り返すんですよ! どの話もそれほど長くないんですが、全く出来た王様です...(^^;。

そしてこの屍鬼が語る話が、どれも結構凄いんです。例えば第2話の「娘一人に婿三人」。
非常に美しい娘に3人のバラモンの青年たちが求婚するのですが、その中から1人選ぶ前に、肝心の娘が熱病で死んでしまうんですね。3人の青年は嘆き悲しみます。彼女を荼毘に付した後、1人の青年は乞食となって彼女の灰を寝床にして寝るようになり、1人の青年は骨をガンジス川に投げに行き、1人の青年は修行僧となって、諸国を放浪することに。で、3人目の青年が死人を蘇らせる呪文を覚えて戻ってきて、娘を生き返らせることになるのですが... 屍鬼の問いは、この3人のうち誰がその娘の夫として認められるかというもの。で、その王様、平然とその問いに答えてしまうんです。しかも理論整然と。(笑)
すごい、すごいよ、王様!

なんて思ってると、屍鬼は元いた樹のところに戻ってしまって、また最初からやり直し、なんですが...(^^;。
絶世の美男美女がいっぱい登場して、みんなすぐ恋に落ちちゃうし、時には王様のために簡単に自分や自分の家族を犠牲にしたりもするんですけど、でも日頃の行いが良いと神様に生き返らせてもらえたり。そんな荒唐無稽な楽しい話がいっぱい。しかもオチも素晴らしい。いやあ、インドっていいですねえ。でもって、どうやらこの屍鬼、あんまり悪い存在じゃないみたいですね。「屍鬼」なんて聞くとどうも単なる悪霊のように感じてしまうんですが、実は古代インドでは信仰の対象で、その土着信仰が仏教やシヴァ教に取り入れられたとか。
永遠にでも続きそうなこの話が、25話でどうやって打ち止めになるのかというのもお楽しみです。(平凡社東洋文庫)

| | commentaire(6) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
大旱魃の後のモンスーンの到来と共に生まれ、「幸運」という意味のサンパトという名がつけられたサンパト・チャウラーは、しかし20年後、すっかり無気力な人間となっていました。父親が探してくれた郵便局の仕事にもうんざり。局長の娘の結婚式でお尻を出して踊り、とうとう首になってしまいます。しかしサンパトは突然啓示を受け、家を抜け出してグアヴァの木に登ってしまうのです。家族が懇願しても、一向に降りて来ようとしないサンパト。しかし父親のミスター・チャウラは、息子を聖人として売り出すことを思いつきます。

インドを舞台にしたユーモア小説。インドの映画を小説に置き換えたらこんな感じになるのかな~ってそんな作品でした。(インドの映画、実際には観たことないんですが...) インドの庶民の生活ぶりや街中の喧騒がフルカラーで迫ってくるみたい。訳者あとがきによると、インドではそれほど荒唐無稽な話とはされてないらしいんですけど、それでもやっぱり不思議~な雰囲気があります。
この中では、聖者とされてしまったサンパトが語る教訓的な言葉が面白かったです。一見意味がないくだらない言葉のように見えながら、考えようによっては深~い意味がありそうに感じられてくる言葉。そしてグアヴァの樹の下で日々繰り広げられる人間の欲望絵図とは対照的な、サンパト自身の静かで平和な樹上世界も。それだけに物語中盤が一番面白かったですね。猿の群れが登場した後のドタバタ部分は、うーん、あまり...。(新潮クレストブックス)


+既読のキラン・デサイ作品の感想+
「グアヴァ園は大騒ぎ」キラン・デサイ
「喪失の響き」キラン・デサイ

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: /

[amazon]
本が好き!お気軽読書日記のもろりんさんに教えて頂いた本。本当はもっと早く読むつもりだったのですが、最初に読もうとした時はあまり話に乗れなかったので、一旦やめてそのまま熟成させてたんですよね。で、15回目のたらいまわし「私の夏の1冊!!」で、sein の nyu さんが同じくシュティフターの「晩夏」を挙げてらして(記事はコチラ)、そろそろまた読んでみようと思ったのでした... ってそれから既に1ヶ月は経ってるんですが(^^;。
なんとなく、身辺を綺麗に片付けてから、手を洗って正座をして取り掛かりたくなるようなイメージ... と思っていたら、nyuさんも「気分的精神的に落ち着いたときでないと入り込めません」と仰ってて、ああやっぱりそういう本なんだと納得。今回はちゃんと1人静かに読める環境を整えて臨んでみました。(笑) まあ、元々本を読むなら静かなところがいいんですけどね。以前は音楽をかけながら本読むこともあったはずなんですが、今はそういうのは全然ダメ。音がしても、例えば電車の中なら全部いっしょくたの「ざわめき」になっちゃうので大丈夫なんですが、今度は集中しすぎて乗り過ごしてしまったり... というのはともかく。

ここには「水晶」「みかげ石」「石灰石」「石乳」の4編が収められているんですが、どれも田舎の小さな村の人々のごく日常的な話を丁寧に掬い取って物語にしたという感じの物語。シュティフターは19世紀の作家なんですが、元々は画家なのだそうで、自然の描写が本当に美しくて驚きました。特に表題作の水晶。

しかしほら穴の内側は、一面に青かった。この世のどこにもないほどに。それは青空よりもはるかにふかく、はるかに美しい青さであった。いわば紺青の空色に染めたガラスを透してそとの光がさしこんでくるような青さであった。

これは幼い兄妹が雪山で道に迷って入り込んだ洞窟の描写。2人は結局、あまりの青さに恐ろしくなって逃げ出してしまうのですが、これこそが「水晶」なんですね。あと、岩屋の中から見上げる夜空も綺麗だったなあ。「石灰石」の、雨上がりの石灰の微妙な色合いもとても綺麗だったし... とは言え、もちろん綺麗なだけじゃなくて、芯の強さのようなものも感じられました。恐ろしい疫病も激しい嵐も厳しい雪山も自然の一部で、人間はそんな自然と共存しているんですね。シュティフター、他の作品もぜひ読んでみたくなりました。「晩夏」にも惹かれるんだけど、「これを読み通した者にはポーランドの王冠を与えよう」とも言われた作品だとか... (それだけ盛り上がりに欠けるという意味みたいです) nyuさんは、全く単調に感じなかったと仰ってますが。まずは「森の小道・二人の姉妹」にしてみようかな。(岩波文庫)


+既読のシュティフター作品の感想+
「水晶 他三篇 石さまざま」シュティフター
「森の小道・二人の姉妹」シュティフター
「晩夏」上下 シュティフター
「ナレンブルク 運命に弄ばれた人々の城」A.シュティフター
「石さまざま」上下 アーダルベルト・シュティフター
「森ゆく人」アーダルベルト・シュティフター
「書き込みのある樅の木」アーダルベルト・シュティフター

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
15歳だったアルネが亡くなって1ヶ月。ハンスは、アルネの遺品を手に取りながら、色々なことを思い出します。アルネは一家心中で1人だけ生き残った少年。ハンスの家に引き取られ、それ以来ハンスはアルネと部屋を共有していたのです。アルネはなぜ死んだのか...

先日読んだ「遺失物管理所」(感想)と同じジークフリート・レンツの作品。あちらも、読み終わってみるとなんだか物悲しく感じられたんですが、こちらは作風がまた少し違っていて、最初から最後まで透明な哀しさの中に沈みこんでいるようなイメージでした。もちろん、アルネという少年が死んでしまっていることが最初から分かっているせいもあるんですけど...
このアルネという少年がものすごく純粋で... でも純粋すぎて、脆く壊れてしまった硝子細工という感じなんですよね。ハンスやハンスの両親みたいな頼れる人間もいたし、誰にも心を開かなかった男にも心を開かせちゃったし、学校の教師はアルネの才能を認めてるんだけど... でも同年代の仲間にしか埋められない孤独というのがあって。切ないなあ。
でも、いい話だったんだけど... 私は「遺失物管理所」の方が好きかな。(新潮クレストブックス)


+既読のジークフリート・レンツ作品の感想+
「遺失物管理所」ジークフリート・レンツ
「アルネの遺品」ジークフリート・レンツ

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
列車の車掌の仕事から遺失物管理所へと異動になったヘンリー。遺失物管理所は出世も望めない、列車の待機線のような場所。しかしヘンリーに出世するつもりはまるでなく... ただ気持ちよく仕事ができれば十分なのです。

駅という場所は、これから旅立つ人や帰ってきた人、単に通り過ぎていくだけの人々が集まる、それだけでもドラマを感じさせる場所。帯にも「ここでは、今日もさまざまな人間ドラマが幕を開ける」とあるし、様々な遺失物から色んな人生が見えてくるんだろうなあ、なんて思ってたんですけど、そういう話ではなかったようで...(笑)
むしろこの遺失物管理所にいるヘンリーを中心とした人間ドラマでした。24歳になっても、まだまだ少年のようなヘンリーは、イイとこの坊ちゃんらしくて、第一印象はただの困ったくん。出世欲がないのはいいとしても、お金に無頓着でお姉さんに借りまくってるみたいだし、人妻には無邪気に言い寄ってるし。あと、落し物の受取人に、その遺失物が自分の物だと証明してもらわなければならないんですけど、ナイフ投げの芸人が落とした商売道具を取りに来た時は、そのナイフの特徴を言わせるだけじゃ足りなくて、自分を的にナイフを投げさせちゃおうとするんですよ! 上司に見つかって、当然叱られることになるんですけど(笑)、大体においてそんな感じ。台本を落とした女優と、お芝居の一場面を演じてみたり。でもそんなとこがとても面白いし、そんな風に楽しそうに仕事をしてるのってヘンリーぐらいなんですよね。
作品自体はあまり明るくないんですが、ヘンリーの明るさのおかげで、それがいい具合に緩和されてるような... この空気感が何とも好きです。読み終わった後は、妙に物悲しくなっちゃったんですけどね。ヘンリーの曇りのない純粋さこそが、人々が失ってしまい、遺失物管理所に探しに来るものなのではないかとそんな気さえしてきます。(新潮クレストブックス)


+既読のジークフリート・レンツ作品の感想+
「遺失物管理所」ジークフリート・レンツ
「アルネの遺品」ジークフリート・レンツ

| | commentaire(2) | trackback(2)
Catégories: / /

 [amazon]
フランス贔屓のイギリス人・ウィノットは短い休暇を取り、心の我が家である南仏へ。その道すがら、様々な料理の話が、家族や乳母の思い出、現在滞在しているホテルや行ってみたレストランの話を交えながら語られていきます。

1人称で書かれていることもあって、まるで料理エッセイみたいな作品。でもこれはタークィン・ウィノットという人物の自伝的作品という体裁なんですね。「序、謝辞、および本書の構成について」から既に物語は始まっていました。とにかく料理、料理、料理、料理... 物凄く沢山の料理が次々に登場して、そのレシピや薀蓄がイヤってほど語られていきます。で、その博覧強記ぶりに幻惑されていると、あらら... という仕掛け。かなりのブラック・ジョーク。
でもねー、とにかく読みづらいんです。何が読みづらいって、文章が。こんなに大変だったのも久しぶり... これは翻訳にも関係あるんでしょうけど、むしろ原文のせいなんでしょうね。1つ1つの文章の中に情報が目一杯詰め込まれてて、ちょっと気を抜くと目が文字の上を素通りしてしまいそう。しかも一体何が話の核となってるのか、全然見えてこないんです。自分勝手な語りだけが延々と。例えば、ヴォルガ産のキャビアについて。

ヴォルガ産キャビアがほどよい塩加減で処理される過程については、よく知られているといえるほど知られているわけではありません。ベテランの鑑定人--毛糸の帽子などをかぶり眼光鋭く長靴には短剣を差した見た眼はおそらく荒削りな男--が卵を一粒口に入れ舌の上で転がす。すると経験と勘が不思議かつ精妙な合体を遂げて眼前のチョウザメの卵にはどのていど塩をすべきか、瞬時にしてわかってしまう。量を誤れば美食学的にも経済的にも大損害、大打撃を引き起こしかねない(これが長靴に短剣の理由)。芸術家が--別に自分のことだけをいっているのではありませんよ--作品の価値をすばやく見抜くことができるのとこれは相通じるところがあって、眼にするのと判断するのがほぼ同時というか、いや、ごくわずかだが眼にする前にその価値がわかってしまうというか、量子物理学的パラドックスさながらというか、あるいは夢と同じで展開する物語は非常に複雑、大胆に時空を越え人や事物を断片的に次から次へと取り込んでいくうちに--死んだ親戚がテューバとなり飛行機でアルゼンチンへ飛ぶのが初めての性体験と重なってリボルバーが暴発すると実はそれが鬘で--いよいよ恐るべきクライマックスにさしかかる前にロンドン中に響きわたるけたたましいサイレン、じき核戦争が勃発するぞという場面が気がつくとなんのことはない、ありきたりながらどこまでも安心感漂う家のなかでの出来事で、これにて一件落着というかのように目覚まし時計が威勢よく鳴るか玄関でお気に入りの郵便配達人がポストに入りきらない大きな小包を抱えて立っている、そんな瞬間と似ていなくもないのであります。(P.23-24)

ひえー、疲れた...
...でもこういう文章はわざとだったんですね。必要以上に饒舌な文章が煙幕となって、主人公という人間をカモフラージュしていたのでしょう... 実は想像以上に奥が深い作品で、すっかり作者にしてやられてしまったのかもしれません。でも文章が読みにくいっていうのは、やっぱりつらいぞっ。(新潮クレストブックス)

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.