Catégories:“文学(翻訳)”

Catégories: / / /

 [amazon]
分邦ユダヤの王・エロド・アンティパスの宮殿では宴会が開かれていました。王の執拗な視線や、その客たちに耐えかねて宴会を抜けてきたサロメは、月の光に照らされる露台へ。そして砂漠から来た預言者・ヨカナーンに出会います。

「ポポイ」を読んで、無性に読みたくなってしまいました。再読です。
ここに登場するヨカナーンとは、聖書における洗礼者ヨハネのこと。ヨルダン川で人々に洗礼を授けていて、救世主イエスの到来を告げる使者でもあります。そしてこの「サロメ」は、マタイによる福音書(第14章第3-12節)やマルコによる福音書(第6章14-29節)に書かれているヘロデ王と、ヘロデ王妃ヘロディアの娘、そして洗礼者ヨハネの記述をふくらませたもの。ヘロデ王が自分の兄の妃だったヘロディアと結婚したことを、洗礼者ヨハネが「律法では許されないことだ」と言ったため、ヘロディアは洗礼者ヨハネを憎んでるんですね。聖書の中のごく短くそっけない記述が作品としておおきくふくらんだという作品は他にもあるし、例えばアニータ・ディアマント「赤い天幕」(感想)も見事だなあと思ったんですが、これもやっぱり素晴らしいー。

聖書ではヘロディアが娘をそそのかすんですが、こちらの作品でのサロメは自らの意思でヨカナーンの首を欲しがってます。サロメのヨカナーンに対する狂気じみた愛。それは作中で何度も登場する月の描写にも現れてます。
これはヨカナーンに出会う前に、サロメが月を見て言う言葉。

「小さな銀貨そっくり。どう見ても、小さな銀の花。冷たくて純潔なのだね、月は... そうだよ、月は生娘なのだよ。生娘の美しさが匂ってゐるもの... そうとも、月は生娘なのだよ。一度もけがされたことがない。男に身を任せたことがないのだよ、ほかの女神たちみたいに」(P.22)

この時点でのサロメは、その月のような乙女なんですよね、多分。変化の予兆はあるのだけど。でもサロメがヨカナーンに出会い、その白い肌や赤い唇を求めるようになり、やがてエロド王の求め通りに踊ることを了承すると... 月は血のように赤くなるのです。それはまたヨカナーンに「ソドムの娘」と言われてしまうサロメ自身の変化でもあるのでしょう。

聖書の記述によれば、らくだの皮衣を着て腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べているという野性的な洗礼者ヨハネなんですが、このヨカナーンの雰囲気はまたまるで違います。むしろとても女性的な美しさを持った人物のように描写されてますね。レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」の絵にどうも私は違和感があるんですが、どちらかといえばあのヨハネに近いです。野の百合のように、山に積もった雪のように、そしてアラビアの女王の庭に咲く薔薇のように白い肌。エドムの園の黒葡萄の房、レバノンの大きな杉林、月も星も見えない夜のよりも黒い髪。そして柘榴の実や、ツロの庭に咲く薔薇の花、珊瑚の枝よりも赤い唇。白い肌に黒い髪、赤い唇とくれば白雪姫なんですが(笑)、聖者のその白い肌に、黒い髪に、赤い唇に、サロメは魅了されるのです。

旧仮名遣いの訳もすごく美しいし、岩波文庫版にはビアズレーの挿絵18点も収められていて、既に挿絵というよりも「サロメ」に触発された独特の絵画世界を見せてくれて、そちらも素晴らしいです。ワイルドはビアズレーが嫌いだったって聞いたことがあるんですけど、読者にとっては既に切っても切れない関係かも。(笑)(岩波文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
33歳の未亡人のリリアが、23歳のキャロライン・アボットと1年のイタリア旅行に出ることになります。チャールズ・ヘリトンが10年前に周囲の反対を押し切ってリリアと結婚して以来、ヘリトン夫人を始めヘリトン家の人々は、リリアをヘリトン家の嫁として恥ずかしくない人間になるように教育し続け、それはチャールズの死後も続いていました。しかしリリアは主婦としても奥様としても落第。ヘリトン家の面々は、リリアが真面目なキャロライン・アボットの感化を受けることを期待して送り出します。そんな期待を知ってか知らずか、イタリアから楽しそうな手紙を頻繁によこすリリア。しかしそんな時、突然リリアが婚約したという知らせが舞い込み、ヘリトン家は大騒ぎに。

「天使も踏むを恐れるところ」とは、18世紀のイギリスの詩人・アレキサンダー・ポープの「批評論」の中の一節「天使も足を踏み入れるのをためらう場所に、愚か者は飛び込む」から取られたもの。無知と軽率さを笑い、賢明で慎重な行動の大切さを説く言葉です。この作品の場合、「愚か者」は明らかにリリア。でも「天使」はどうなんでしょう。訳者あとがきには違うことが書かれていたんですけど、私としてはむしろキャロライン・アボットのように思えるんですが... もちろんあとがきに書かれていた人物も確かにそうなんですけどね。しかもキャロライン・アボットは揺れ動いていて、それほど「賢明」で「慎重」な存在とは言えないんですが。
自由奔放で、裕福で上品なヘリトン家の家風に合わずに結婚して以来というもの窮屈な思いをしてきたリリア。彼女の同伴者となるキャロライン・アボットは、常識的な真面目な女性。そしてハンサムなイタリア男のジーノは、自由でおおらかな精神の持ち主。細かいことに一喜一憂し、自分たちが認められないことは直視しようとしないイギリス勢と、全てをそのまま受け入れて認めるイタリア勢のお国柄も対照的なら、奔放なリリアと真面目なキャロライン・アボットの造形も対照的。そしてそこで右往左往するのは、イギリス人でありながらイタリアを賛美するリリアの義弟・フィリップ。彼の橋渡しにもならない滑稽な姿も印象的です。「愚か者」のリリアなんですが、愚か者なりに自分に正直に求めるものを求め、それを得ることになるんですよね。キャロラインもまた求めてはいるんですが、賢明かつ慎重でありたい彼女には、リリアのように軽率な行動を取ることは許されず...。ただし、軽率な行動はそれなりの結果をももたらすもの。結果的に誰が一番幸せだったんでしょうね。とても滑稽でありながら、同時に深い喪失感も残る作品。全てにおいて両極端な悲喜劇だったように感じられました。(白水uブックス)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

[amazon]
ウォルター・スコット邸を訪れることによって、才能が開花したというアーヴィング。そのアーヴィングが書いた作品を集めたのが、この「スケッチ・ブック」。原書の「スケッチ・ブック」には、エッセイと短編小説を取り混ぜて全32編が収められているそうですが、日本の文庫にはその中から「わたくし自身について」「船旅」「妻」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「傷心」「寡婦とその子」「幽霊花婿」「ウェストミンスタ-寺院」「クリスマス」「駅馬車」「クリスマス・イーヴ」「ジョン・ブル」「スリーピー・ホローの伝説」という全9編が収められています。

読む前にエッセイと短編小説が混ざっていること知らなかったので、スタンスが取りづらくて困った部分もあったんですが、まさに「スケッチ・ブック」という名に相応しい作品集でした。この中で有名なのは、やっぱり「リップ・ヴァン・ウィンクル」と「スリーピー・ホローの伝説」でしょうね。「リップ・ヴァン・ウィンクル」は西洋版浦島太郎。おとぎ話の本にもよく収められてます。「スリーピー・ホローの伝説」はジョニー・デップ主演でティム・バートンが映画化してますよねー。
この2つの作品ももちろんいいんですが(「スリーピー・ホローの伝説」は映画と全然違っててちょっとびっくり)、私が気に入ったのは「幽霊花婿」という物語。...申し分なく美しく教養あふれる婦人に育ったフォン・ランドショート男爵令嬢の結婚相手となったのは、フォン・アルテンブルク伯爵。しかし彼は男爵の城に向かう途上で盗賊に殺されてしまい、道中で出会って同行していた友人のヘルマン・フォン・シュタルケンファウストがそのことを知らせに男爵の城に向かうのですが... という話です。それほど珍しい展開ではないし、ある程度予想がついてしまうんですが、とても可愛らしくて好き。
でもね、この男爵令嬢を育て上げたのは未婚の叔母2人なんですが、この2人、若い頃は「たいした浮気もので、蓮葉女」だったとあるんですよ。で「年とった蓮葉女ほど、がっちりして用心ぶかく、無情なほど礼儀正しい付きそい役はまたとないのである」ですって。欧米の作品には時々厳しすぎるほど厳しい老婦人が登場することがありますけど... というか、そういうの多いんですけど、彼女たちはもしやみんな若い頃は蓮っ葉な浮気者だった? あの人もこの人も? 想像すると可笑しくなっちゃいます。(新潮文庫)


+既読のワシントン・アーヴィング作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング
「スケッチ・ブック」ワシントン・アーヴィング

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: /

 [amazon]
ある日、女王は散歩していた犬たちに連れられるようにして、厨房のドアの外に停まっていたウェストミンスター区移動図書館の車を訪れることに。この辺りは宮殿の中でもあまり来たことのない場所。昔からあまり読書に興味がなかった女王は、毎週のように移動図書館が来ていることすら知らなかったので驚きます。6冊まで借りられると聞いた女王は儀礼的に1冊選ぶのですが、これが実に読みづらく退屈な本。一応最後まで読むものの、それ以上読む気にもならず、女官に返却させてそれでおしまいになるはずだったのですが... 翌週、公務にうんざりして自ら移動図書館を訪れた女王が選んだのはナンシー・ミットフォードの「愛の追跡」。今度はすぐに夢中になった女王は、移動図書館で出会った厨房の少年・ノーマンの助けを借りて、次々に本を読み始めます。

ああ、面白かったーー。せいこさんに教えていただいた本です。
70代後半の、既に老人と言ってもいい年の人間が、その年になって本を読む楽しみに目覚めたら。
最初は全く興味のなかった「本」。でもふとしたことから読書の楽しさを知り、それがどんどんと広がっていく様子が、エリザベス女王を主人公として描かれていくんですから、これは本当に楽しいです。女王が読書に夢中になっていく過程は、同じ本好きとして「分かる分かる、そうなのよ!」だし、例えば「一冊の本は別の本へとつながり、次々に扉が開かれてゆくのに、読みたいだけ本を読むには時間が足りない」という文章とかね。しかも本を読み始めた時に、ちゃんと指南役兼読書仲間がいてくれたのが大きい! こういう人がいるといないとじゃ全然違いますよね。フィクションなのに、ノーマンがいてくれてほんと良かったわー なんて思ってしまいます。でも本に夢中になるにつれて、公務も以前ほど楽しめなくなるわけで... 少しずつ手を抜くことになるんですね。そんな女王に周囲は困惑顔。元々女王というのは特定の趣味を持つべき存在ではないのです。
この本の中での女王は、見る見るうちに難しい本を読みこなすようになります。もちろんそれはいい指南役がいたことも大きいでしょうけど、実際には経験値としては十分だと思うんですよね、女王って。公務で様々な人に会って世界中を見て回って、普通の人にはできないような経験をいっぱいしてるんですもん。
読書を通して以前よりも様々なことを考え、以前よりも人間の気持ちを深く理解できるようになり、自分自身についても考えることになる女王。そして最終的には本を読むことと書くことに関する考察へ。読書によって、こんなに大きな人間的成長を遂げることができるとは。

エリザベス女王といえば、私はエリザベス女王のメイドが探偵となるC.C.ベニスンの「バッキンガム宮殿の殺人」「サンドリンガム館の死体」「ウィンザー城の秘密」のシリーズを思い出したんですが(可愛いミステリです)、英国王室とか女王を取り上げた作品って結構多いですよね。いいことばかり書かれてるわけじゃないのに、英国王室って懐が深いなあって思います。日本だったら大変ですよね。あ、でも英国王室やその周辺の人は本を読まないから知らないだけだったりしてーー。(笑)(白水社)

| | commentaire(6) | trackback(1)
Catégories: / / / /

 [amazon]
イアソンが自分の破滅の原因となると知った王ぺリアスは、イアソンが大海や外国で命を落として戻って来ないことを願い、危険に満ちた航海の冒険を彼に課すことに。それは黒海の東の果てにあるコルキスへ金の羊毛を求めに行くというもの。イアソンはギリシャじゅうの英雄を集めてアルゴ船に乗り込むことに。集まったのはオルペウス、双子のカストルとポリュデウケス、ヘラクレスら50人ほどでした。

文庫なのにアマゾンの中古に8000円なんて高値がついててびっくりしたこの本、市内の図書館に蔵書がないので、他のところから借りてもらっちゃいました。でも文庫なのに8000円ってどういうことよ? 1997年発行でそれほど古い本でもないのに。さっき見たら7500円ぐらいまで下がってたけど、まだまだ買える値段じゃありません。講談社の方、こういう本はぜひ復刊してくださーい。「メタモルフォーシス ギリシア変身物語集」の方は、今でも新品が手に入るのに! しかもきちんとした「アルゴナウティカ」の邦訳ってこの本だけなのに!
と思いつつ。
読みましたよー。ギリシャ神話関連の本で話は何度も読んでるんですが、きちんとした訳はこれが初めてです。ちゃんと叙事詩の形式で訳されているのがすごく嬉しいー。話そのものはそれほど好きではないんですが、古代ローマ時代の詩人、ウェルギリウスやオウィディウスにも大きな影響を与えてる作品ですしね。もう少し後のガイウス・ウァレリウス・フラックスもこの作品に触発されて、新たな「アルゴナウティカ」という作品を書いてます。

エウリピデスのギリシャ悲劇「メデイア」(感想)では既に鬼女のようになってしまっているメデイアですが、イアソンと出会った頃はまだまだ初々しい乙女。後々の激しさの片鱗は見え隠れしていますが、まだまだ純真です。愛するイアソンと父との間で板ばさみになって苦しんでます。...この物語でイアソンの恋の相手となるのはこのメデイアと、その前にレムノス島で出会うヒュプシピュレの2人なんですが、2人の造形がすごく対照的なんですよね。つつましく優しく、男に無理なことを求めない(都合のいい女とも言える)ヒュプシピュレと、激しい恋に燃えるメデイアと。イアソンが結局そのどちらとも添い遂げずに終わったというのが面白いなー。そして対照的といえば、この冒険に参加するヘラクレスも主人公のイアソンと対照的。いかにも英雄といった風情のヘラクレスと、気弱というほどではないんだけど、何かあるたびに思い悩んだり嘆いたりするイアソン。まあ、ヘラクレスは頭の中も筋肉でできてるような人だし、そんな人と比べれば誰でも人間的に見える気もするんですけど。
そのヘラクレスなんですが、結構早いうちにミュシアという土地に誤って置き去りにされてしまうんです。そしてその後合流することもなく「こんな時にヘラクレスがいたらなあ」ってすっかり回想の中の人になってしまうことに。で、びっくりしたのは、その間にヘラに課せられた12の冒険をしていること。しかもその冒険の中で行ったことが、後にイアソンたちの助けになってるんです。こういうの、すごく面白い! しかも解説によると、この物語はもともとは古い民話で、主人公に協力するのは動物だったんだそうです。なんだか桃太郎みたいだわー。なんて、我ながら枝葉の部分ばかり楽しんでるような気がしないでもないですが~。(講談社学芸文庫)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

[amazon]
寒空の下、道をゆくのは1人の吟遊詩人。かつてこの地方には多くの詩人たちがいましたが、彼はその最後の1人。今やすっかり年老いて、放浪の竪琴弾きとしての貧しい暮らしに苦しんでいました。時代は移り代わり、古い慣習は消え、最早大広間の上席について、華やかに着飾った領主やその奥方に即興の調べを聞かせることもなくなっていたのです。飢えて疲れきっていた彼は、ヤロウ河畔のニューアーク城のアーチをくぐります。しかしこの城の公爵夫人に思いがけない暖かいもてなしを受けると、彼の中の吟遊詩人としての誇りが甦ります。そして名君と言われたフランシス伯爵のこと、これほどの勇者はないと言われたウォルター伯爵のこと、バックルー一族の古の戦士たちにまつわる古い武勲物語を歌うことに。

ウォルター・スコットの「最後の吟遊詩人の歌」の原文と日本語訳、そして佐藤猛郎氏による作品研究が収められている本。
「最後の吟遊詩人の歌」は、序詩と吟遊詩人が歌う6曲の古い歌からなる作品。英国における吟遊詩人の活躍は、英語が一応成立した13世紀頃から、エリザベス一世に弾圧されるようになった16世紀末ぐらいまでなんだそうで、この作品の吟遊詩人が生きてるのは、まさにその末期の時代。そしてその吟遊詩人が歌う物語は、時代がもっと遡ります。もてなしてくれた公爵夫人の祖先の物語。他の一族の戦い、ロミオとジュリエット的な恋愛、そして魔術。登場するのは実在の人物ばかりで、ここで歌われる出来事にも史実が多いのだそう。ウォルター・スコット自身の祖先で、実際に歌人だった「Walter Scot of Satchells」が書き残した「スコット一門正史」が元になってるんだそうです。
私が一番好きなのは中世に作られた叙事詩なんですけど、でもウォルター・スコットが19世紀に作ったこの作品も、ものすごく素敵でした。吟遊詩人がいた当時の情景が目の前によみがえってくるみたい。今は年老いた吟遊詩人が語るという枠物語の形式を取っているので、尚更そういった印象になったのかもしれません。読みながらもう、静かに熱くなりました!(なんて書くと意味不明ですが...) ああ、こういう作品、もっともっと読みたいなあ。

「作品研究」では、老吟遊詩人に焦点を当ててウォルター・スコットが表現しようとしたものを探っていて、その辺りがとても参考になりました。年老いて疲れ果てた吟遊詩人の姿が、今はもうすっかり衰えてしまったスコットランドを表してるようだ、とかね。それに「Bard(歌人)」と「Minstrel(吟遊詩人)」の違いやその社会的身分について触れられているのも、すごく興味深かったです。「Bard」は、ケルト系の氏族の領主に直属する存在。世襲制で、領主一族の系図や武勲を暗誦する人。饗宴の席で竪琴に合わせて歌うだけでなく、領主の子弟の教育を受け持ち、戦いにおいては使節の役目も果たすとか。身分としては、領主、乳兄弟に次ぐ高いもので、その次に鼓笛手、布告役、一般家臣と続きます。それに対して「Minstrel」は、「中世期において、詩と音楽で生計を立て、竪琴に合わせて、自作の、あるいは他人が書いた詩を歌ってきかせることを職業とする人々」のこと。
北欧系の「Scald(歌人)」のようにゲルマン系諸民族の間でも「Glee」「Jongler」「Minstrel」と呼ばれる歌人と芸人の中間のような人々が存在して、ドイツでは「Minnesinger」、南フランスでは「Troubadour」といった宮廷歌人になっていったんだそうです。でも一時は王侯に仕える身分にまでなった「Minsutrel」も時の移り変わりと共にすっかり落ちぶれることに...。「言い伝える」じゃなくて「書き残す」時代になってしまうんですね。(評論社)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: /

 [amazon]
休暇になり、久しぶりに田舎の村・Pの叔父の家を訪れた大学生のジョヴァンカルロは、叔父一家のもてなしの場である台所で歓待されます。ひとしきり話をした頃、ふいに視線を感じるジョヴァンニカルロ。何者かが闇の奥から野生の黒い目でジョヴァンカルロをじっと見つめているのです。やがて家に入って来たのは、グルーと呼ばれる若い女性。その女性の美しさに目が離せなくなるジョヴァンカルロでしたが、ふと気づくと、その女性のスカートからのぞいていたのは女性の優雅な足ではなく、先の割れた山羊のひづめで...。

先日リサさんが読んでらして、表紙のレメディオス・ヴァロの「星粥」の絵に惹かれて、さらに「月と山羊と死者たちが、あなたの恋の邪魔をする。怪異と神秘が田園を包む妖しく美しい異色の名作」という紹介に惹かれて手に取った作品。作者はイタリアの奇才だというトンマーゾ・ランドルフィ。
前半のジョヴァンカルロとグルーの場面は、昼間の太陽の世界。そして満月の夜、ジョヴァンカルロがグルーに連れられて行くことになるソルヴェッロの地は夜の月の世界。その境界線が曖昧で、現実の世界にいたはずなのに、気がついたら異世界に引きずり込まれていたような感覚です。最初にジョヴァンニカルロがグルーを見初めた場面も、その境界線上にあったのかも。
ソルヴェッロの地でジョヴァンカルロが出会うのは、過去の山賊たち。「剥ぎ取りベルナルド」や「赤毛のシンフォロ」、「買い物カゴ野郎アントニオ」... 曾祖父を誘拐して途方もない身代金を要求した「引き裂きヴィチェンツォ」もいるんですよね。この地での山賊の宴の場面は妖しく美しく、そして狂気じみていて、どこか異教的な情景。この出来事は結局のところ一夜の夢だったのかしら... それとも現実だったんでしょうか。そしてグルーとは何者だったんでしょう。山羊の足から連想するのは悪魔か、そうでなければギリシャ神話に出てくるフォーン。グルーはかつてこの地で権力を持っていた一族の末裔で、その一族にはかなり血なまぐさいエピソードが残っているようなので黒魔術... とも思ったんですが、基本的にキリスト教色の強い物語ではないし、これはやはり異教的な神話の世界のように感じられました。人間と動物が入り乱れているところも、死者と生者が入り乱れているところも、3人の「母たち」も異教的。キリスト教に対抗する存在としての異教ではなく、むしろキリスト教が入ってくる前の純粋な異教の世界みたいな感じ...。ちょっぴり翻訳の文章が読みづらかった気もするんですけど、すっかり引き込まれちゃいました。でもなんだか物語を読んでるというよりも、一連の絵画の連なりを眺めているような感覚だったかも。(河出書房新社)

| | commentaire(2) | trackback(1)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.