Catégories:“文学(翻訳)”

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郷里に帰る時に、中学時代の友人兄弟を訪ねた「余」。会えたのは兄の方でした。大病をしていた弟は、今は全快して某地に行き、任官を待っているとのこと。そして「余」は弟が患っていた間に書いたという日記を2冊見せられることに... という「狂人日記」他、全13編。

清代末期から辛亥革命を経て中華人民共和国となった中国に生きた魯迅の短編集。高校時代に一度読んだことがあるので、随分久しぶりの再読です。でも高校の時に読んだとは言っても、あんまりちゃんと理解はしてなかったんですよね。面白味もあまり感じられなかったし... や、今回ちゃんと理解できてるかどうかはともかくとして。(笑) 前回読んだ時よりもずっと面白く読めました。
そして今回改めて読んでみてびっくりしたのは、「藤野先生」をかなり細かいところまで鮮明に覚えていたこと! これは魯迅が仙台の医学専門学校(現東北大学医学部)に留学していた時のことを書いた作品。以前読んだ時はそれほど気に留めてなかったと思うんですけどねえ。すごいですね。それって私の力じゃなくて、やっぱりこの作品の力だと思うんです。その時には分からなくとも、実はそれだけの力を持った文章だったんだなあーと改めて感銘を受けてしまいました。いや、本当にすごい。そして国境を越えて、藤野先生から魯迅に人として大切なものが伝わったんだなあ、とか改めて感じてみたり。
いや、ほんと今回はかなり面白かったです。それでも基本的に短編集は苦手だし、途中で何度か集中力が途切れてしまったんですけどね。ここに収められたそれぞれの作品を通して見えてくる中国という国とか、文章を通して魯迅が訴えたかったこととか、なかなか感慨深くて。ここに収められている13編のうち「藤野先生」だけは「朝花夕拾」という自伝的回想録に収められている作品だそうなんですが、他は全て「吶喊」という題名の本に納められている作品。「吶喊」とは、大きな叫び声をあげるという意味なんだそうです。閉ざされた状況を打破するために必要なのは、まず大きな叫び声をあげて他の人間の注意を喚起しなければばならない、そんな魯迅の思いが込められている題名。作品からもそのことが強く伝わってきます。(講談社学芸文庫)

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ランプが1つ灯されただけの薄暗い部屋。隙間風が吹いているのか炎は揺らめき、影もまた揺らめきます。薄闇に目が少し慣れてくると、そこに見えるのは1つのランプ。視線はランプへと向かい、その炎に目が釘付けに。そしてやがて目が光に慣れると、そこに見えるのは天井に渡された3本の長い梁、錆びた黒い鉄板出来た八本脚のレンジ、化粧窓、木の長持ち、横腹の丸い鞄、そしてランプが置かれているテーブル。テーブルに置かれているのは方眼紙の束や二つ折りの新聞紙、2~3冊の薄汚れた雑誌、金文字が押された黒い本、半分吸いかけのタバコ。そして炎に近づいていく1本の手...。

先日読んだ「あまりにも騒がしい孤独」に続いて、東欧の想像力シリーズ2冊目です。読み始めた途端に「好き!」と夢中になった「あまりにも騒がしい孤独」とは全然違っててびっくり... いや、作品によって違うなんて当たり前のことなんですけど、こちらはどうしても読みにくくて... 何度読み返しても全然頭に入ってこなくて、もうどうしようかと思いましたー。プロローグなんて何度読み返したことか! 根性で読み進めましたよ。

ここに書かれているのは全て、E・Sという男のこと。E・S・にまつわる断片がいくつも集まって出来ている物語。それが分かれば少し楽になります。このE・Sというのは、ダニロ・キシュの父親の名前エドゥアルド・サムに由来するもの。ダニロ・キシュの父親はユダヤ人で、1944年にアウシュヴィッツの強制収用所に送られ、そのまま消息を絶ったのだそうです。
物語の中には、「プロローグ」「旅の絵」「ある狂人の覚書」「予審」「証人尋問」という大きな章が繰り返し現れます。その章はそれぞれに雰囲気が全然違うんです。「旅の絵」は詳細な情景描写。「ある狂人の覚書」は一人称の妄想混じりの手記。「予審」「証人尋問」は、まさにそのタイトル通りの言葉のやり取り。読みやすい章もあれば、過剰なほど詳細で難解な章も...。でも一見読みやすい章でも、なかなか簡単には実像を掴ませてもらえないのは難解な章と一緒。物語の進み方はまさしくプロローグに描かれた部屋のようです。暗闇の中に1つの炎が揺らめいてる部屋。最初は何も見えず、徐々に目が慣れてきさえすればその周囲が徐々に見えてくるんですが...。プロローグで触れられている「陰画」と「陽画」のような物語なんだろうなとは思いつつ、実際読んでいてもそこに書かれていることが何を意味しているのか、それ以前にそこには何が書かれているのかがなかなか掴めずに苦戦してしまいましたよ。でもこれこそが、文字によって物語を構築していくという行為なのでしょうね。
残されているたった1通の手紙を元に構築された物語の世界。父親がいなくなったのはダニロ・キシュがまだ9歳の頃、記憶も朧でエピソードもあまりなかったはず。でも想像力さえあれば、1人の人間を作り上げることだって可能なんですものね。必ずしも真実ではないのかもしれませんが、ダニロ・キシュにとってのE・Sが確かにここに存在しています。(松籟社)


+既読のダニロ・キシュ作品の感想+
「砂時計」ダニロ・キシュ
「死者の百科事典」ダニロ・キシュ

+シリーズ既刊の感想+
「あまりにも騒がしい孤独」ボフミル・フラバル
「砂時計」ダニロ・キシュ
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ

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水圧式のプレスで故紙や本を潰してキューブにしては、再生工場に送る仕事をし続けているハニチャ。35年間で潰した本はおそらく3トン以上。しかしそんなハニチャにも楽しみはありました。それは送られてくる紙の山の中から美しい本を救い出すこと。そしてそんな本を読みふけること。そして文字にまみれ、心ならずも教養が身についてしまったハニチャにとって、どの思想が自分のもので、どの思想が本で読んで覚えたものなのか既に分からない状態...。

ナチズムとスターリニズムに踏みにじられている時代のチェコが背景なので、当然チェコの人々の暮らしは大変な状態だし、本来なら本好きの読者にとって、本が次々と処理されていくという現実は直視するのがツラいはずなんですけど、どこかあっけらかんとした明るさと、飄々としたユーモア感覚があるので、悲惨さを全然感じずに読めてしまう作品。焚書に対する怒りとか哀しみみたいなのはまるでなくて... ここで潰されるのは主に本や紙で、時には複製画もあったりするんですけど、きちんとしたものばかりじゃなくて、時には肉屋から送られてきた血まみれの紙がどさっと投げ込まれて、血にたかっている蝿ごとプレスしてしまったりもするんです。でも主人公が自分なりの儀式として、読み終わった美しい本を心臓部に入れて、時にはその側面を複製画で飾った紙塊に、グロテスクな美しさを感じてしまうー。
主人公は年金生活まであと5年のオジサン。日々浴びるようにビールを飲んでるようなので、まさに「オッサン」のはずなんですけど、その中身は孤独で繊細な少年。仕事をしながら思い出すのは、美しいマンチンカと恋をしていた時のことや、ナチスに連れ去られたジプシーの恋人のこと。ジプシーの恋人は結局強制収容所から戻ってくることはなかったし、こんな風にふとした拍子に当時のチェコの現実が見えてくるんですが...。そして彼は自分の仕事を誇りを持ってます。この仕事につくには普通の学校での勉強だけでなく、神学校で教育を受けた方がいい、なんて言ってるぐらい。(笑) 
東欧の作家さんって、やっぱりそれぞれに独特な雰囲気がありますね。少なくとも今まで読んだ東欧の作家さんは、他の欧米圏の作家さんよりも持ってる色合いが濃いような気がします。

先日のキアラン・カーソン「琥珀取り」「シャムロック・ティー」は本を見た瞬間ピピピッときましたが、これは読み始めた瞬間「うわ、これ好き!」でした。いやあ、今年は本の当たり年かも。
これ、松籟社の「東欧の想像力」というシリーズなんです。今まで3冊出てるんですけど、これが2冊目。1冊目は「砂時計」(ダニロ・キシュ)、3冊目は「ハーン=ハーン伯爵夫人のまなざし」(エステルハージ・ペーテル)。そして5月に4冊目の「帝都最後の恋」(ミロラド・パヴィッチ)が出るのだそう。

1作ごとに物語の語り方に工夫を凝らすパヴィッチ。『帝都最後の恋』は、各章がタロット・カード(大アルカナ)の寓意画一枚一枚に対応。タロットを広げながら、出たカードに対応する章を読む、そんな多様な読みに読者をいざないます。

カルヴィーノの「宿命の城」ですか?(笑)
でもこれがまた面白そうなんだわー。これは追いかけてしまいそうです。(松籟社)

 


+シリーズ既刊の感想+
「あまりにも騒がしい孤独」ボフミル・フラバル
「砂時計」ダニロ・キシュ
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ

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1949年10月。19歳のフランク・マコートは船で単身ニューヨークへと向かいます。船の食堂で隣席に座った司祭は、アイルランド出身ながらもロサンゼルスの教区に長いため、アイルランド訛りがほとんど消えているような人物。その司祭に、同じ船に乗り合わせているケンタッキーのプロテスタントの老夫婦はとてもお金持ちなので、愛想良くしておいた方がいいと言われるフランク。しかし顔はにきびだらけで目は爛れており、歯は虫歯でぼろぼろのフランクには、司祭とも満足に話せない状態なのに、老夫婦の前でどうやって振舞ったらいいのかまるで分からないのです。

「アンジェラの灰」の続編。アイルランドから憧れの地・アメリカに脱出しても、なかなか簡単には上手くいかないのは予想通り。しかしアイルランドのリムリックにいる家族は、フランクがアメリカでそこまで苦労しているなんて夢にも思わず、その送金をすっかり当てにしているというのも予想通り。アンジェラ自身、アメリカで上手くいかずに結局アイルランドに戻る羽目になったはずなのに、覚えてないのかな... きちんきちんと送金してるのにそれ以上要求されるとことか、ちょっといやーん。
でもこの「アンジェラの祈り」は、「アンジェラの灰」のように不幸が雪だるま式に膨らんでいく話というわけじゃないんですね。フランクはちゃんと仕送りしてるし、空腹でも何があっても、行き倒れになるわけじゃないんですよね。すっかり不幸な話を読んでるつもりになってたら、リムリックでは新しい服や靴を買うことができてるどころか、新しい家に移ることになってびっくり。そ、そうだったのか。フランクの暮らしも、ほんの少しずつではあっても上向きになっていきます。金持ちにはほど遠くても、きちんきちんと食べていくことのできる暮らし。もちろん、実際には並大抵の苦労ではなかったんでしょうけど... しかも別に私は不幸な話を読みたいわけではないんだけど(むしろそういう話は苦手だし)、なんだか釈然としないものを感じてしまいました...。自分のアイルランド訛りや爛れた目、ぼろぼろの歯にコンプレックスがあって、この世の中で一番不幸そうに振舞っているフランクでも、大学に行くこともできれば、美しい女の子と恋愛することもできるようになるんですもん。いずれにせよ、「アンジェラの灰」の時のようなどうしようもない、出口のないやるせなさはありません。まあ、この人生が最終的にハッピーエンドで終わるのかどうかは、まだまだこれからのフランク次第なんですけどね。
「アンジェラの灰」の灰の意味も、この作品で分かります。でも、そういう意味でも書かれるべき作品だったんでしょうけど、前作の方が力強くて惹きこまれたかも...。前作はそれだけで光ってたけど、こちらは前作あってこその作品なんですよね。(新潮クレストブックス)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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昇天祭の日の午後、大学生のアンゼルムスがエルベ川のほとりの接骨木(にわとこ)の木陰で自分の不運を嘆いていると、そこにいたのは金緑色に輝く蛇が3匹。アンゼルムスはそのうちの1匹の美しい暗青色の瞳に恋してしまいます。それはゼルペンティーナでした... という「黄金の壺」。そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」「ドン・ファン」「クライスレリアーナ」からの抜粋。

先日読んだ昭和9年発行の「黄金寳壷」では面白味が今ひとつ感じられなくて、好きなモチーフのはずなのにおかしいなあーと思っていた「黄金の壺」なんですが、こちらはとても面白く読めました。やっぱり私自身のせいだったのね。きちんと読み取れてなかったのか...! 解説にもありましたが、昇天祭という普通の日、ドレスデンという普通の町に、するりと摩訶不思議なものを滑り込ませてしまうのがいいんですよね。現実と相互に侵食しあう夢幻の世界を描くホフマンの作風。もしかしたら「むかしむかしあるところに」が主流のこの時代、こういう作風って画期的なものだったのかも。

そして「マドモワゼル・ド・スキュデリ」は、「スキュデリー嬢」でいいのにと思いつつ... 基本的には最初に読む訳の方が印象が強いですね。こちらで新たに読んだのは「ドン・ファン」と「クライスレリアーナ」。「黄金の壺」のリベンジとはいえ、この本を読む決め手となったのは、この「クライスレリアーナ」なのです。だってシューマンのピアノ曲「クライスレリアーナ」大好きなんですもん~。いつかは弾いてみたい曲。「クライスレリアーナ」とは「クライスラーの言行録」といった意味なんだそうで、失踪した楽長・ヨハネス・クライスラーの書き残した断片集という体裁。このヨハネス・クライスラーという人物はまるでホフマンその人のようで、特にこの中の「音楽嫌い」という掌編は、実際にこういう出来事が少年時代にあったんだろうなと思わせるところが楽しいです。

古典新訳文庫では、使われている日本語が軽すぎてがっかりさせられることも多いんですが、この本は良かったです。「モモ」を訳してらっしゃる大島かおりさんなので大丈夫だろうとは思ってましたけどね。訳者あとがきに「新しさ」に拘りすぎずに自分の言語感覚を頼りに訳したということ、そして「ホフマンの作品は十九世紀初葉に書かれたものですから、その文体や語彙が古くさいのは当然です。でもその古さをなるべく大事にして、その大時代な雰囲気を殺さないようにしたい」と書かれていました。まあ、「黄金の壺」は「です・ます」調なので、そういうところが読みにくく感じられてしまう方もいるかもしれませんが...。(この「ですます調」も大島さんなりの理由があってのこと) 他の作品もこういったスタンスで訳されていれば、新訳文庫にももっと好感が持てると思うんですけどねえ...。(光文社古典新訳文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壷」「スキュデリー嬢」 ホフマン
「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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8歳の時にケニアの北の海辺に移り住んだ盲目の老貝類学者は、小さな海洋公園でひたすら研究を続ける日々。しかし2年前、その生活に予期せぬねじれが出来たのです。老貝類学者の生活に迷いこんできたのはアメリカ人のナンシー。日射病にやられて錯乱していた彼女が貝の毒によって全快してしまうと、それを知った人々が老貝類学者のもとに押し寄せて... という「貝を集める人」他全8編の短編集。

まるでアリステア・マクラウドとかベルンハルト・シュリンクとか、そういうある程度以上の年齢を重ねた人の書いた作品のような雰囲気なんですが、これがまだ20代の新人作家の作品だと知ってびっくり。アメリカの大学院の創作科出身という、いまどきの作家さんのようです。
ここに描き出されているのは、アメリカはもちろんのこと、ケニアやタンザニア、リベリアといったアフリカの自然の情景だったり、北欧の原野だったり... 様々な自然の情景が描きあげられていました。大きく静かな自然の圧倒的な美しさと厳しさ、そしてもっと身近にある小さな自然のさりげないけれど確かな美しさ。自然に畏怖を感じたり、愛情を感じながら、寄り添って生きる人々の姿。これらの人々に共通するのは、深い喪失感。どれほど大事にしていても、大切な物が指の間からすり抜けて落ちていってしまう哀しみ。でも確かな希望もそこにはあるんですよね。
特に印象に残ったのは、上にあらすじを書いた「貝を集める人」と、あと「ハンターの妻」。「貝を集める人」での、盲目の老貝類学者が少年の頃に初めて貝の美しさに開眼した場面や、現在の「貝を見つけ、触れ、なぜこれほど美しいのか言葉にならないレベルでのみ理解する」のがいいんですよねえー。目は見えなくても、貝類の美しさを全身で感じ取っている、むしろ目が見えていた時よりもはっきりと見て取っている老貝類学者。色んな貝の美しさや怖さが伝わってきました。そして「ハンターの妻」は、山の中で狩猟のガイドとして暮らす男と、死んでいく生き物の魂を感じることができる妻の物語。2人が暮らしていた冬の山の情景がとても印象に残ります。冬眠する動物たちの美しさ、そして簡単に凍死・餓死させられてしまう冬の厳しさ。そしてそんな現実の情景とは対照的な、彼女の感じ取る幻想的な魂の情景。命が身体の中から外に流れ出る時に見えるのは、とても美しくて豊かで、暖かい情景なんです。この「ハンターの妻」や「ムコンド」はどちらも、まるで違う存在だからこそ惹かれ合い、でもまるで違う存在だからこそ同じ場所では幸せにはなれない夫婦を描いた物語なんですね。哀しい話なんだけど、素敵でした。(新潮クレストブックス)

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毎日どこかの広場で説教をする男と常に一緒にいるのは、巨大な恐ろしい犬。真っ黒の毛並みで目は硫黄のように黄色く、大きな口の中に見えるのは黄色い歯並み。男と犬の奇妙なつながりに興味を引かれた「ぼく」は、男のあとをつけるようになり... というフリードリヒ・デュレンマットの「犬」他、全18編の幻想小説アンソロジー。

18世紀から20世紀までのドイツの幻想小説。昔ながらの怪談から現代的なホラー小説、錬金術をモチーフにした作品、そしてSF風味の作品まで、かなり色々な作品が入っています。面白い作品もあったんですけど... でも、うーん、今ひとつぴんとこない作品も多かったかも... 今回ピンと来なかった作品については、いずれリベンジしようと思います。(白水uブックス)


+シリーズ既刊の感想+
「イギリス幻想小説傑作集」由良君美編
「スペイン幻想小説傑作集」東谷穎人編
「ドイツ幻想小説傑作集」種村季弘編

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