Catégories:“神話・伝承の研究”

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先日「アイスランドサガ」に入っている「ヴォルスンガサガ」を読んだところなので、この2冊が目についたのは、私の中ではとってもタイムリー。ジークフリート伝説に関しては「エッダ」(感想)「ヴォルスンガサガ」(感想)「ニーベルンゲンの歌」(感想)「ニーベルングの指環」(感想)と読んできたわけなんですが、その4つの作品、大きな流れは同じでも、細かい部分ではかなりの相違点があるんです。ジークフリートの設定からして、孤児だったり王子だったりと様々。この4作の中ではワーグナーの「ニーベルングの指環」だけ成立年代がかなり離れているし、これに関してはワーグナーの創作ということで構わないんですが... 他のものに関しては、どれが原型がどんな風に変化していったのかとか全然知らなかったんですよね。でもこの2冊を読んですごーくよく分かりましたよ。「ニーベルングの歌」の前半と後半ではクリエムヒルトとハゲネの造形があまりに違うのも以前から気になってたんですが、そのわけも分かりました。そもそも「ブリュンヒルト伝説」と「ブルグンド伝説」という2つの伝説があって、それが合わさって前編と後編となってたんですね。2つの違う伝説が合体させられてしまったのなら、雰囲気が変わってしまったわけもよく分かります。しかも「ティードレクス・サガ」だなんて、まだ私が読んでないシグルズ伝説のサガがあったようで!
この本を読むと、元となったジークフリート絡みの伝説やその内容、その伝説が広がって変化していき、「ニーベルンゲンの歌」ができ、他の作品ができていく様子がよく分かります。そしてそれらを土台にして書かれることになった沢山の戯曲のことも。
2冊続けて読んでしまって、しかもすぐに感想を書かなかったので、どちらがどうだったか分からなくなってしまったんですけど... 重複してる箇所も結構ありますしね。でも全体的には「『ニーベルンゲンの歌』を読む」の方が良かったかな。「ジークフリート伝説」には北欧のエッダやサガが取り上げられているところが、私にとってはポイントが高かったんですが、「『ニーベルンゲンの歌』を読む」の方が、「ニーベルンゲンの歌」や「ニーベルングの指環」について詳細なんです。作品の構造や解釈について色々と新しい発見があったし、より理解が深まったような気がします。(講談社学術文庫)

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ヒンドゥー教の代表的な聖典と言われる「バガヴァット・ギーター」は、「マハーバーラタ」の中に収められている神の歌。「マハーバーラタ」の第6巻に収められていて、宗教上特に重視されている箇所なのだそう。先日読んだ「ナラ王物語」は、確か「マハーバーラタ」の3巻辺りだったはず... 全18巻の「マハーバーラタ」をちょっとずつ切り崩す計画は着々と進行中です。(笑)
...とは言ってもこの「バガヴァッド・ギーター」、私はつい最近まで知らなかったのです。知ったのは、前回のたら本41回「私家版・ポケットの名言」で、AZ::Blog はんなりとあずき色のoverQさんが挙げてらしたから。(記事) 挙げてらした文章がかっこ良かったから。(そういう理由か!)

万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。

ねね、かっこいいでしょう?
で、岩波文庫からその名もずばりの訳本が出てるんですけど、難しそうなので、上村勝彦さんの解説本を一緒に読むことにしたんですが... やっぱり難しかった。ちょっと気が緩むと文字を目が追ってるだけの状態になってしまうので、何度も繰り返して読んでしまいましたよ。

ええと、ものすごく簡単に言うと、「マハーバーラタ」とはバラタ王族の歴史を描いた叙事詩。そしてその中の「バガヴァッド・ギーター」は、内部分裂によって王族同士の戦争となってしまった時に、親族や師や友人を殺してまで勝っても虚しい... とやる気を失ってしまったアルジュナ王子に、クリシュナ神の生まれ変わりの人物が「それは違う」と諭す物語なんです。
面白いところがいくつか。たとえばヒンドゥー教では苦行を全然オススメしてないところとか。「バガヴァッド・ギーター」では、食事の面でも睡眠の面でも調和の取れた生活をして、心身共に健康を保つことがとても大切なんだそうです。どうも心身をいじめて極限状態にしてそれに耐えるというイメージがあったので、ちょっと意外でした。インドの行者といえば、大抵ガリガリに痩せているからでしょうか。(という絵が多いのかも) 滅多に人のしない苦行なんかをすると周囲にもてはやされるし、どうしてもそれを自慢に思う気持ちが出てきてしまいがちなので、逆効果なのだそう。釈尊自身、激しい苦行をした後でそれが無益だと気づいて、苦行を捨てたそうですしね。瞑想に入って悟りを開いたのはその後。それと、ヒンドゥー教ではあんまり早く修行を始めるのも推奨されていないということ。まずは勉学に励み、結婚して家長としての義務を果たし、孫ができる頃に森林に隠遁して、最後に聖地巡礼をして死ぬ、というのが理想なんだそうです。

そして上に引用した文は、第2章の文章。文字通りでいけば、「万物が眠っているとき聖者は目覚め、万物が目覚めているとき聖者は眠る」という意味だそうですが... 愚者は目や耳といった感覚器官によって対象を認識するし、その感覚に執着するけれど、聖者はそういった感覚を制御して、非常に静寂な瞑想状態の中で真理を知ろうとする、すなわち愚者と聖者の行動は正反対である、ということを暗示しているのだそうです。やっぱり難しーい。でも、面白かったです。(岩波文庫・ちくま学芸文庫)

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「フェヴァルの息子ブランの航海」、「百戦の王コンの息子、美貌のコンラの冒険」、「メルドゥーンの航海」など、「イムラヴァ」と総称される航海譚に見るケルトの「他界」。それらの物語に描かれる「他界」は、なぜ海の彼方にあるのか、そしてなぜ、いずれも女人国なのか。「常若の国(ティル・ナ・ノグ)「歓びの野(マグ・メル)」といったケルトの「他界」を現存する古伝承を通して探り、それらがキリスト教の中にどのように取り入れられていったのか、そしてどのようにアーサー王伝説に残っているのかを考察する本です。

まず、なぜ「他界」がいずれも女人国であるのかというのは、大地母神信仰から来ているもののようです。古代宗教には大地母神信仰が多いし、ケルトも例外ではなかったということですね。その大地母神は、ゴイデル族に破れて地下に去ったトゥアハ・デ・ダナン族(この人たちが妖精になったと言われる)の女神・ダナ。なので女人国にいるのは、ダナとその分身、もしくは臣下である女神たち。大地の母神には「豊穣と多産」「土地の主権者」「戦いと殺戮」「死者をあの世へ運ぶ」という顔があり、どうやらそれが何人もの女性に分かれているということのようです。生命を生み出す大地はまた、死者たちの帰っていくところ。それは「他界」そのもの。
そしてアイルランドの「他界」が海の彼方にあるのかというのは、ケルトでも独特の概念のようです。ウェールズやブルターニュの「他界」はこの世と地続きで、ドルメンや墳丘の下にあったり、泉や湖の底。大地母神が「他界」を支配しているのなら、地下世界にあるのが自然ですよね。でも田中氏は、「海の彼方」とは言っても一概にこの地上の海とは限らないと指摘していました。地下世界にあるあの世の海だなんて、考えたこともなかったなあ。

これらの「他界」を描く物語は徐々にキリスト教色を強めて、最終的にはすっかりキリスト教に染められてしまった「聖ブランダンの航海」「聖パトリックの煉獄」なんて物語が登場することになります。「聖ブランダンの航海」の「他界」は「天国」と「地上の楽園」と「地獄」に分化してるし、「聖パトリックの煉獄」ではさらに「煉獄」も。(そしてダンテの「神曲」となるんですね) でもここに描かれているのは、やっぱりケルトの「他界」だし、そこに行こうとする人たちも、イムラヴァの英雄たちの後継者。外側がどれだけ変化しても、中身はやっぱりケルト的世界なのだという指摘がとても興味深かったです。換骨奪胎して上手くキリスト教に取り入れたように見えて、実はキリスト教の方がケルトに取り入れられてたのか。(笑)

純粋な資料としてはなかなか読むことのできない伝承群が、ほとんどあらすじだけとはいえ、紹介されているのが嬉しいところ。航海譚に関しては、先日読んだ「ケルトの古歌『ブランの航海』序説」(松村賢一)にもあったし、そちらの方が詳しかったんですけど(感想)、こちらの方が読んでて面白かったし、こちらではアイルランド神話の創世記と言える「マー・トゥーラの合戦」や海に沈んでしまった「イスの都」の伝説についても触れられています。(中公新書)

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先日古い「ユリイカ」を読んだ時に高宮利行さんの記事や対談が面白かったので(感想は書いてません)、図書館で借りてきました。
「西洋書物学事始め」の方は、中世写字生の仕事ぶりや写本という作業、様々な蔵書票、活版印刷と当時の印刷所の様子、図書館に寄贈した蔵書を永遠に維持させるための方策、古書の価値に大きく差が出るハーフ・タイトル、文人・パトロン・出版社の力関係など、本にまつわるエピソードを集めた本。
「アーサー王伝説万華鏡」は、文学のみならず、絵画やオペラ、演劇、バレエ、映画、音楽、ゲームなど様々な媒体のモチーフになっているアーサー王伝説を、伝説そのものからではなく、その多様な受容と発展ぶりから紹介していく本。
本当は「アーサー王物語の魅力 - ケルトから漱石へ」が読みたかったんですけど、これは市内の図書館に蔵書がないようで残念。今回借りたこの2冊は、どちらも文学というより書誌学寄りの内容でした。でも中世の写本の話も大好きなんですよね~。

「西洋書物学事始め」の方で特に面白かったのは蔵書票のこと。蔵書票には、図案の中に所有者の氏名や紋章、標語などを配したブックプレート(ex libris)と、飾り枠の中に名前だけが書いてあるブックラベルと、2種類あるのだそうです。様々な蔵書票のデザインが各時代の趣味を反映していていて興味深いし(こういうのにはほんとソソられます)、そこに書かれた文章から、貴重な写本を手に入れた人々の執着振りが伝わってくるそうで、ほんと面白いです。穏やかに持ち主を名乗るものや、本を手にした人間に持ち主まで返却してもらうよう頼んでいるものもあれば、本を盗んだ人間への呪いの言葉まで様々。せっかく本を借りても呪いの言葉なんて書かれていたら、怖くて早く返却してしまいそう。実は蔵書票には子供の頃から憧れていて、先日も小学校低学年頃の自作の蔵書票もどきを発見してびっくりしたほどなんです。最近は素敵なデザインをほおっと眺めるだけになってたので、蔵書票に関するもっと詳しい本も読んでみたくなっちゃいました。そして、15世紀に活版印刷に成功したのはグーテンベルクなんですが、グーテンベルク聖書が印刷されたのには、活版印刷は黒魔術や悪魔の仕業だという非難に対する対抗策という意味合いがあったとは知りませんでした。へええ。
さらに、ウィリアム・モリスやダンテ・ゲイブリエル・ロセッティら、ラファエル前派たちの話も結構出てきたんですが、その中で可笑しかったのは、「ウィリアム・モリスの『地上楽園』は、英米の専門家が読破できなかった英文学の傑作としてあげる作品十指に入る」という文章。専門家が読破できないような作品が傑作って一体...?(笑)

「アーサー王伝説万華鏡」では、ダンテ「神曲」のパオロとフランチェスカの絵とか(ランスロット繋がりですね)、フランス人作曲家ショーソンのオペラ「アーサー王」、グラストンベリの修道院にあるアーサー王の墓やウィンチェスター城にある円卓のこと、映画「エクスカリバー」についても書かれてるんですが、やっぱり興味を引かれるのは、本にまつわるエピソード。ラファエル前派のエピソードなど「西洋書物学事始め」と重なってる部分も結構あったんですが、一応こちらはアーサー王に特化してるんですよね。サンゴルスキーによるテニスン「アーサー王の死」の写本は目を奪われるような美しさ。チヴァース工房でヴェルーセント製本されたグローブ版「テニスン詩集」もものすごく素敵。マロリーの「アーサー王の死」の挿絵を描くようになったビアズリーのエピソードも面白かったです。本家のアーサー王伝説に関しては、もっと基本的な文献を当たった方がいいと思いますが、既にある程度知識がある人には応用編的楽しみがある本かと。(青土社・中央公論社)


+既読の高宮利行作品の感想+
「西洋書物学事始め」「アーサー王伝説万華鏡」高宮利行
「アーサー王物語の魅力」高宮利行

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フィンランドの国民的叙事詩カレワラを主軸に、古事記や日本書紀、さらにはギリシャ神話や北欧神話など世界各地に伝わる神話や民間伝承を比較し、共通するモチーフを抽出していく本。 現在一般に「カレワラ」と呼ばれて知られているものは、エリアス・リョンロートによって編集されたもので、その中にはリョンロートの創作も入っているので、この本では主にカレワラ原詩を題材に、天地創生(卵生神話)、課題婚、呪的逃走、カレワラの骨格、再生、天体解放、児童神、禁室型説話、宇宙樹、 母子神、兄妹相姦、三機能という12章から考察していきます。

先日読んだ「カレワラ」(感想)の訳者である小泉保さんの著書。訳がとても良かったので、こちらも読むのを楽しみにしてたんです。世界各地に伝わる物語に、これほど沢山共通する部分があるとはちょっとびっくり。ってぐらい、類似部分を持つ神話や伝承が取り上げられていきます。これはちょっと興味深いです。でもね、何かが足りないんですよね。ほら、ここにこんな話があるよ、ほらあそこにも、って感じで共通する話を列挙するだけで、今ひとつ整理されていないような...。似たようなキーワードの話があるから、ここに突っ込んどけって感じのも目につくし。同じ章に入れるのはいいとしても、せめてもう少し話が繋がるように脈絡をつけて欲しかった。それに、いくら沢山類似点を出してきても、出しっぱなしで終わりじゃあねえ。そこから導き出される考察とか結論とかも決定的に物足りなかったです。例えばこういうモチーフには根底にこのような意味がある、とかね。そういうのが読みたいわけですよ。あともう一歩、踏み込んで欲しかったです。
それにこの題名もちょっと違いますね。これじゃあ「カレワラ神話」と「日本神話」が比較対照されているように思ってしまいそうですけど、日本神話の比重はそれほどでもないです。あくまでも主軸は「カレワラ」。「カレワラ」と、世界各地から拾ってきたエピソードの比較です。しかも、ここに登場するのは叙事詩である「カレワラ」であって、「カレワラ神話」というのはちょっと違うような気がします。ワイナミョイネンやイルマリネン、レンミンカイネンはあくまでも英雄だし、この本でも「カレワラの三英雄」って書かれてます。言葉の定義としては、「神話」だからといって必ずしも神が登場する必要はないようなんですが、フィンランドにもユマラ、ウッコ、ペッレルボイネンという神がいて、自然界の神もいるようなんですよー。ヒーシっていう悪魔も。なのにほとんど触れられていなかったのがとっても残念。私としては、その辺りが知りたかったんだけどなあ。(NHK出版)

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インドの神話について書くように依頼された上村氏が、いざインドの神話について調べ始めると、既存の参考文献は二次的資料を元に書かれたものがほとんどで、しかもあまり信頼できないものが多いと分かったのだそうです。そして結局、「マハーバーラタ」を原典で読むことに...。そんな上村氏が、「マハーバーラタ」やリグ・ヴェーダ諸文献をあたって選び出した諸々の神話を紹介していく本。

有名な、不死の飲料である甘露(アムリタ)を得るために、神々と阿修羅がマンダラ山で大海を攪拌する「乳海攪拌」の神話を始めとして、沢山のエピソードが「マハーバーラタ」やリグ・ヴェーダ諸文献などから抜き出されていて、純粋に読み物としても面白いです。それに、似たような神話があるものに関しては、並べて比較してくれるし... あと、たとえばインドラが帝釈天だとか、中国や日本に伝わった後の仏教名を書いてくれてるところも分かりやすい~。
ただ、「マハーバーラタ」を原典で読んで訳しちゃったという上村氏の著述だし、副題も「マハーバーラタの神々」。比重は断然「マハーバーラタ」に傾きがちなんですよね。これはやっぱり、「マハーバーラタ」を読む時の副読本として役立てるというのが正解なのかも。二大叙事詩として並び称される「ラーマーヤナ」については、必要に応じて引用されてはいるものの、それほど触れられていないのがちょっと残念。それに引用されてはいても、昨日読んだ「ラーマーヤナ」では省略されていた場面だったり、しかも固有名詞の訳が微妙に違っていたりで分かりにくい...。これはやっぱりきちんとした「ラーマーヤナ」を読まなくちゃいけません。そして「マハーバーラタ」も読まなきゃ! その後で、ぜひもう一度この本を読み返したいです。
「リグ・ヴェーダ」での神々は「デーヴァ」(deva)と呼ばれ、これは神を意味するラテン語のデウス(deus)、ギリシャ語のテオス(theos)と語源的に対応するのだそう。地域的に結構離れているというのに、語源的な繋がりがあるなんて、面白いなあ。(ちくま学芸文庫)


+既読の上村勝彦作品の感想+
「インド神話 マハーバーラタの神々」上村勝彦
「バガヴァッド・ギーター」「バガヴァッド・ギーターの世界」上村勝彦

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「神話なき国」とされる中国の、断片しか残されていない中国神話の体系的記述を試み、夏や殷といった国々に絡めて、神話の成立や消滅を論じた本なんですが... 白川氏の専門である漢字、それも殷の甲骨文などを解読しながらの内容はかなり専門的。いやあ、難しかったです。一読しただけでは、あまり内容が頭に入らなくて、自分の知識不足を実感してしまいました。私程度の知識ではもう全然ダメ。もうちょっと知識を蓄えてから、もう一度改めて読まなくちゃ。
あ、でも、深い理解はできないながらも、伝説の夏王朝や殷王朝をからめての話は、中国古代史好きにとっては面白かったです。まず洪水神話があったとして、洪水神として共工、禹、伏羲と女?(女+咼)が存在し、3つの洪水説話が並列して存在したという話とか。これらは元々異なる種族に存在した神話で、共工はおそらくチベット系とみられる西方の羌、禹はおそらく北方の夏系の神であり、伏羲と女?(女+咼)は南人と呼ばれた苗系の諸族の神。まず至上帝である共工が治水に失敗し、禹が洪水を治めた、もしくは共工が治水に失敗し、伏羲と女?(女+咼)が補修したという説話がそれぞれに伝わっていて、そしてそれが各種族の支配権争いを表しているとのこと。
あと、「若」という字は、「若い巫女が、両手を上にあげ、髪をふり乱して、神がかりの状態にあることを示す字」なんだそうで、そういうのも興味深かったです。(中公文庫BIBLIO)

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