Catégories:“神話・伝承”

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ラング世界童話集が復刊し始めました!
これはヴィクトリア女王時代に、アンドルー・ラングが世界各地の伝承文学からよりすぐりの作品を子供たちに提供しようと編纂した古典童話集。子供の頃に好きだったんです~。最初に日本語訳を出したのは東京創元社で、これがなんと1958年のこと。その後いくつかの出版社から出されたようで、私が持ってるのは偕成社版。全12巻のうち6~7冊持ってて、未だに祖母の家に置いてるんですが、大人になってから「川端康成訳」に気づいてびっくりだったし、そもそもこういう童話集は大好きなのに、なんで子供の頃に全部買ってもらっておかなかったんだろう!と、後から随分後悔したものです。今からでも欲しいな、なんて思ったりもしたんですけど、気がついたらアマゾンの中古で1冊1万円以上の高値がついてたりして、すっかり諦めてたんですよね。そしたら今年東京創元社から復刊されることになって! これから隔月1巻ずつ刊行されるんですって。嬉しい~。
私が持ってるのはソフトカバーで、しかもその上にぺらっとしたカバーも何もない簡易バージョンで、値段も相当安かったみたいなんですけど(笑)、今回復刊された本を見てびっくり。全然違ーう。表紙の色はタイトルに合わせてあるし、本国のオリジナル版についていたというヘンリー・J・フォードによる絵が使われていて、とても素敵です。

そして久々に読んでみて。いやあ、懐かしい。北欧の伝承童話集「太陽の東 月の西」でお馴染みの話が予想以上にいっぱい入っていてびっくりです。あと多かったのは、オーノワ夫人。このオーノワ夫人についてはあまりよく知らないんですけど、17世紀末のフランスの女流作家。オリジナルの童話を創作していたのか、それとも採取していたのかは不明ですが... どちらかといえば、オリジナルっぽい雰囲気かな。
子供の頃は原典なんて気にせず読んでたし、既に知ってる話も当然のように普通に読んでたんですけど、今改めてそういうのを意識しながら読み返してみると、面白いものですね。この童話集の最初の日本版が刊行された時、日本で手にしやすい作品や日本の昔話を除外して、改めて12冊に編み直されたのだそう。この2冊の巻末を見てみるとグリム童話が全部省かれてて、それもまた私には良かったのかも。いや、グリムもいいんですけどね。でもグリムよりも北欧系の方が好きだったし。
隔月1巻ずつの復刊で、来月には「みどりいろ」が刊行されます。楽しみ~。これを機会に全部読もうっと♪(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+(東京創元社版)
「あおいろの童話集」「あかいろの童話集」アンドルー・ラング編
「みどりいろの童話集」アンドルー・ラング編
「きいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ももいろの童話集」アンドルー・ラング編
「はいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「むらさきいろの童話集」アンドルー・ラング編
「べにいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ちゃいろの童話集」アンドルー・ラング編
「だいだいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「くさいろの童話集」アンドルー・ラング編

+シリーズ既刊の感想+(偕成社文庫版)
「みどりいろの童話集」「ばらいろの童話集」アンドルー・ラング

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アラブのとある豊かな首長の家に生まれたのは、待望の男の子・カイス。美しく賢く成長したカイスは、名門の子弟が集まる学舎に送り出され、そこでも優秀な成績を収めます。そんなある日出会ったのは、新しくこの仲間に加わった優しく美しい乙女・ライラでした。ライラとカイスはすぐにお互いのことを愛するようになります。なるべく目立たないように心がける2人。しかし2人のことは次第に噂となり、そんなある日、恋の重荷に耐え切れなくなったカイスの心は崩れ去ってしまうのです。それ以来、カイスは「マジュヌーン(狂気)」と呼ばれることに。

これも昨日の「ホスローとシーリーン」同様、先日読んだ「ペルシアの四つの物語」(感想)に収められていた話。
アラビアを舞台にした悲恋物語。カイスというのは8世紀に実在していた人物なんだそうで、この物語はアラブ各地はもちろんのこと、トルコ、イラン、アフガニスタンなどに伝説や民謡、物語詩などの形で広まったんだそうです。読んでいてあれっと思ったのは、同じニザーミーの作品でも、「ホスローとシーリーン」に比べて美辞麗句が少ないこと。もちろんライラのことは月のように美しいとか書いてるんですけど、勢いが全然違ーう。と思ったら、解説に書かれていました。アーリア系のイラン人が幻想的で繊細な情緒を好むのに対して、セム系のアラブ人は現実的で簡明直裁の理を尊ぶからなのだそう。

それにしても、失恋して気が狂うんならともかく、カイスとライラは両想い。まだ若いから大っぴらにするわけにはいかないにしても、そんな誰に邪魔されたわけでもないんです。カイスは両親の晩年の子で、しかも一人っ子。かなり大切に育てられたみたいだけど、別に甘やかされて弱くなったってわけでもないのに...。この狂気って、ライラと結婚できたら、果たして直っていたのかしら? それとももし結婚して念願のライラを手に入れたら、さらに壊れてしまっていたのかしら? カイスもライラも一生お互いのことを想い続けて、ライラは結婚しても自分の夫に一度も手を触れさせないほど。それほど愛し合っているんだから、既に悲恋とは言えないような気もするのだけど。
...結局のところ、これは12世紀頃からペルシャで文学に影響を及ぼし始めた「神秘主義思想(スーフィズム)」がポイントみたいです。これは粗衣粗食に甘んじて、俗世への念を絶って忘我の境地に到ろうとするもの。気が狂って砂漠に暮らすカイスの姿って、そのまんま神秘主義思想を実践してるようなものなんですもん。でも。ということは。ペルシャではなく、アラブやトルコではどんな話になってるんだろう? ちょっと読み比べてみたくなっちゃいます。(東洋文庫)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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年ごとに美しく賢く、そして強く育っていく、ホルムズド王の1人息子・ホスロー。ある晩、ホスローは不思議な夢を見ます。その夢で彼は、甘美なことこの上なき美女とシャブディーズ(闇夜)という俊足の黒馬、順正なる王座、そしてバールバドなる楽士を与えられることを約束されていました。お気に入りの側近・シャープールから、アルメニア女王の姪で月をも凌ぐ美しさをもつ乙女・シーリーンのことを聞いたホスローは、いても立ってもいられなくなり、シャープールにその美女を手に入れてくるよう命じることに。

先日「ペルシアの四つの物語」(感想)でも読んだ「ホスローとシーリーン」。あちらは抜粋版だったので、完全版も読んでみました。ペルシャのロマンス叙事詩人・ニザーミーの2作目に当たる作品。この物語のホスローは、6世紀末から7世紀初にかけて実在していたササン朝ペルシャのホスロー2世のことで、物語の前半はかなり史実に基づいているのだそう。この作品でアルメニアの王女とされているシーリーンに関しては、ギリシャの女奴隷であったとか侍女であったとか色んな説があるようですが。
大筋としては、この2人の恋物語。会う前からお互いに気になる存在で、初めて会った時から恋に落ちる2人なので、特に問題はないはずなんですが、シーリーンがホスローに王位についてくれなくちゃイヤと言ったり(その頃ペルシャでは反乱があって、ホスローはしばらく王位を追われていた)、結婚してくれなくちゃ深い関係にはならないわとか色々あって、すったもんだの紆余曲折となってます。ホスローは自国の反乱を収めるためにビザンチン帝国の皇帝の力を借りたものだから、その娘を正妃にしなくちゃいけなくなったり。

で、この作品、とにかく描写が凄いんです。美辞麗句のテンコモリ。たとえば、側近のシャープールが初めてシーリーンの話をした時。彼女が「月をも凌ぐ美しさ」というのはいいんですけど、それに続いて

ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。なよやかな姿は白銀の棗の木、その木の頂で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。
この甘き唇の女人ーー棗の実さながらの彼女を思い出すだけで口には甘いつゆが満ちるほど。まばゆく輝く彼女の歯は真珠とも紛うばかり。その鮮かさは真珠貝を遥かに凌駕しますが、この歯をくるみこむ唇は艶やかな紅玉髄の色をしております。
両の捲髪はさながら円を描く輪縄で、それが、人という人の心を惹きつけます。緑なす黒髪は、バラの頬にうちかかり、捲髪から立ち上る芳香に、その水仙の瞳は夢見るように悩ましげ。彼女の眼は魔術師をも邪視をも呪文で封じてしまいましょう。
蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的で、塩は甘くないのに彼女の塩(魅力)は甘美なのです。

実際に抜き出してしまうと、ここはそれほどでもなかったような気もしてきますが...(汗)
この後も鼻が「銀の小刀」だとか(?)、「林檎を二つに割ったようなまろやかな頬」とか、「林檎の頤」、「レモンのような二重顎」(相当ふくよかなのか?)、「ルビーの唇」だとか、彼女の美しいうなじを見て「羚羊も恥らって首を垂れ、鹿は嘆きの涙で裳裾をぬらすほど」だとか、手を変え品を変え褒めまくり。作者のニザーミーがシーリーンを描く時のモデルとなったのは、彼自身の最初の妻だったそうで... きっと熱愛しすぎていて、いくら褒めても褒めたりなかったんですね。(笑)
しかもこの作品の訳は散文訳なんですけど、さすが元は叙事詩と思わせる言葉遊びも盛ん。引用した最後の部分も「爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的(ナマック)で、塩(ナマック)は甘く(シーリーン)ないのに彼女の塩(ナマック)は甘美(シーリーン)なのです」といった具合。

話としては紆余曲折の末のハッピーエンドということで、特になんてことはないんですけど、そういった細部が面白いし、紆余曲折の過程で盛大な口喧嘩があったり(シーリーンの舌鋒は相当鋭いです)、ホスローの若い頃の行いが因果応報的に返ってきちゃったり、楽しめるポイントは色々ありました。一度結婚してしまえば、それまでの喧嘩は嘘みたいに、シーリーンはホスローの良き妻・良き理解者となっちゃうんですけどね。(東洋文庫)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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イラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているという、11世紀の詩人・フェルドウスィーによるペルシャ英雄叙事詩「王書」から英雄サームの子・ザールの物語、そして12世紀の詩人・ニザーミーによる「ホスローとシーリーン」「ライラとマジュヌーン」「七王妃物語」といった作品が、美しいミニアチュールと共に紹介されている本です。

去年、日常&読んだ本log のつなさんに教えて頂いた本です。(記事) 去年はギリシャ物やケルト物を中心に読もうと思っていて、まだペルシャ物に関しては暴走しないように自粛気味だったんですが、今年はこの辺りの本も積極的に読む予定~♪ 「王書」だけは、既に岩波文庫で読んでるんですけどね。(感想

「王書」は、10世紀中頃にイラン北東部の地主の家に生まれたフェルドウスィーが、それまでに残されていたイラン王朝の歴史や伝説、神話を集めてイラン民族の書を著わそうとしたもの。ニザーミーによる3作品は、12世紀にイラン北東部の寒村で生まれたニザーミーが、「王書」よりももっと艶麗なロマンスを求める人々に応じて「ガンジャの錦」とも呼ばれる作品群を作り上げたもの。彼らの物語の本には挿絵がつけられて、有名な箇所は絵看板や壁画にまで描かれて、人々に愛されたのだそうです。とは言っても、本来なら偶像崇拝を禁じるイスラムの世界。植物主体の装飾文様しか認められてないし、発展する余地もなかったはずなんですよね。先日読んだ新藤悦子さんの「青いチューリップ」には、トルコよりもペルシャの方がその辺りに寛容だったように書かれていたんですが、それでもやっぱりあんまり大っぴらにってわけにはいかなかったはず。公の場以外のところでは結構盛んに描かれたようですが、全能の神を冒涜することのないよう、あらゆるものに遠近法を廃して、陰影をつけないように描かれたんだそうです。ええと、陰影がなければいいという理論は、私にはイマイチ分からないんですが...(笑) どこか中国の絵を思わせるような平板な絵ながらも(実際、こういったミニアチュールは中国からトルコに伝えられた画法から発展したようです)、緻密に描きこまれた絵はとても装飾的で美しい!
物語はどれも重要な部分だけが取り上げられて、かなり簡単なものとなっているので、ちょっと物足りない面もあるんですが、これからペルシャの雰囲気を味わってみたいという人にぴったりかと♪
さて、今度はそれぞれの作品の東洋文庫から出てる版を借りてこようっと。(平凡社)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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中沢新一氏のカイエ・ソバージュシリーズ、読み残していた2冊をようやく読みました。いやあ、大変でした。文章はとても読みやすいのに、内容がなかなか頭の中に入ってこなくて... いえ、全部入ってこないわけじゃなくて、ものすごく興味深く読んだところもあるんですけど、どうも頭がすんなり受け付けない部分もあって。結局2冊を2度ずつ読んだんですが、これをまとめようと思ったら大変だわーっ。そういや、3巻の「愛と経済のロゴス」でもちょっと苦労していて、この先もっと苦労しそうだなという予感があって、こんなに間が開いたんでした。すっかり忘れてた。(笑)
でも全体的には、ものすごく面白かったです。読みやすいですしね。時には小難しい文章の方が有難がられることもあるようですが、これは平易な文章でありながら内容は深いという良い例かと。

今回特に面白かったのは、4巻「神の発明」の中の「スピリット」の話。
スピリットといえば、日本の八百万の神々の例を取ってみても分かるように、自然の中に数限りなくいるもの。そしてそういったスピリットと交信するのがシャーマンなわけですが、時には集団で共同体験を行うこともあるわけです。例えばアマゾン河流域のジャングルに住むあるインディアンは、今でも幻覚性植物を使って、集団で銀河のような光の幻覚を共有するのだそう。この集会に実際に参加した人類学者の話なんかも載ってます。でも実際には、そういう植物を利用しなくても幻覚症状を引き起こすことはできるんだそうです。例えば深い瞑想や電気的な刺激。完全な暗室に入ってしばらく静かにしているだけでも、じきに視覚野が発光しはじめるらしいです。(今度やってみよう) で、面白いのは、その時に見える光のパターンの形状は、どんなやり方でやったとしても、どれもとても似通っているということ。古代からこういった光のパターンがスピリットの存在に結び付けられてきたそうなんですが、そういった光のパターンは、実は人間の内部視覚だったんですね。そして「スピリット」は、そういった体験を説明する原理として生まれてきたもののようです。
そして数多くのスピリットの中には、威力と単独性を備えた「大いなる霊」も存在して、その「大いなる霊」がある条件のもとでその環を抜け出した時、一神教の「ゴッド」が生まれることになるようです。...とは言っても、全てのケースで抜け出すわけではなくて、アメリカ先住民の「グレートスピリット」のように、威力と単独性を供えていても、「ゴッド」にはならないケースもあるんですね。これは、そこに国家が存在するかどうかというところが分かれ目。王や国家を生み出す力が、「ゴッド」をも生み出すことになるようで、この辺りの話もすごく納得しやすくて、面白かったです。ただ、この辺りの説明があっさりとしすぎていて、少し物足りないんですが...。2巻の「熊から王へ」のこの話の関連部分を読み返してみようっと。(講談社選書メチエ)


+シリーズ既刊の感想+
「人類最古の哲学 カイエ・ソバージュI」中沢新一
「熊から王へ カイエ・ソバージュII」中沢新一
「愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュIII」中沢新一
「神の発明」「対称性人類学」中沢新一

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子供の頃よく読んでいたのは、トマス・ブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」。大人になってから参考にしていたのは、アポロドーロスの「ギリシア神話」。ブルフィンチのはオウィディウスの「変身物語」みたいなお話が沢山入っていて、読み物としてとても面白いのだけど、元々は今から英文学を読みたいというアメリカ人のために書かれた入門書ですしね。なんていうか、実際のギリシャ神話よりもかなりロマンティックにされてしまっている部分があるんです。そして逆にアポロドーロスのギリシャ神話にはそういうお話的な面白さは全然なくて、淡々と事実を書き連ねていったという感じ。(もちろん事実ではない部分も多いのだけど・笑) 古代ローマ人によるギリシャ神話なので、これが一番原型に近いという安心感があるし、資料としてもとても役に立つんですけど、相当!無機質なので、物語として読むには全然面白くないんです。(笑)

その2つに比べて、呉茂一さんのギリシア神話は、日本人が書いたものとしては一番読みやすく優れているという評判の本。久々に系統だったギリシャ神話の本が読みたいなと思って手に取ってみました。(アポロドーロスの「ギリシア神話」を訳した高津春繁さんの「ギリシア・ローマ神話辞典」と並ぶ好著なのだとか)
さすがにギリシア文学を多数訳してらっしゃる呉茂一さんだけあって、そういった部分に多く言及されてるのが良かったです。まあ、「イーリアス」「オデュッセイア」をはじめとする主なギリシャ文学を既に読んでる人にとっては復習的なものでしかないと思うんですけど、私がありがたかったのは、ギリシャ悲劇に関する部分! アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスと一通り読んではいるんですけど、歴史的・国家的な背景をよく知らずに読んでた部分もあるので、あの人物はここに繋がるのか~!的な部分でものすごく参考になりました。点と点が繋がって線になる、あるいは線と線が繋がって面になる面白さですね。あと、それぞれの神話のエピソードやそれにまつわる神々の生まれた歴史・社会的背景にも触れられてるので、そういった部分に興味がある人にもとても参考になるのではないでしょうかー。そしてその上で読み物として面白いです。ロングセラーだというのも納得。(新潮文庫)

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オリュアルとレディヴァルとイストラは、シュニット川の左岸に都を持つグローム国の王の3人の王女。オリュアルは醜く、それとは対照的に、イストラは生まれた時からまるで女神のような美しさ。オリュアルはイストラをこよなく愛し、彼女の世話に心血を注ぎます。しかしそのあまりの美しさが災いして、イストラは灰色の山の神に献げられることになるのです。オリュアルはその晩年、灰色の山の神を糾弾するために、巻物にその時の出来事を逐一書き記し始めます。

アプレイウスの「黄金のろば」(感想)の中のキューピッドとプシュケーのエピソードを使って、C.S.ルイスが描き出した物語。このエピソードは、エロール・ル・カインの絵本「キューピッドとプシケー」(記事)でも独立して取り上げられていたし、ギリシャ神話の本には大抵入ってるのではないかと思います。プシュケーのあまりの美しさに人々がアフロディーテのことをないがしろにするようになって、女神を怒らせてしまうという物語。この物語の舞台となるグロームの国の人々はアフロディーテに当たるウンギットという神を信仰していて、その息子に当たる灰色の山の神がキューピッド。そして王家の末娘イストラの名をギリシャ語にするとプシュケーです。

「黄金のろば」の中で語られていたのは、妹プシュケーの良い暮らしぶりに嫉妬した姉たちが、プシュケーにランプで夫の顔を見るようにそそのかしたというもの。この物語でも、実際に途中でそういう神話が語られます。でもそれは、プシュケーの姉・オリュアルの目から見た真実とはまるで違うものなんですね。オリュアルが探し当てたプシュケーは壮麗な宮殿や贅沢な調度品、美しい衣装の話をするけれど、オリュアルにはも何も見えず、そこには露天で自分の手に湧き水を汲んでオリュアルに飲ませる、ボロを着たプシュケーがいるだけ。...でもオリュアルにも本当は分かっていたんですね、きっと。オリュアル自身が信じたくなかっただけ。結局のところ、オリュアルは嫉妬していただけなんでしょう。でもそれはアプレイウスの物語の中にあるような俗物的な嫉妬ではなく、愛するプシュケーを神に取られたくないという思い。
この作品ですごいと思ったのは、神の姿。今まで神話やその類の物語を沢山読んできましたけど、これほど神々しい神は初めてでした。本来、神々とはこうあるべきと思える姿がこの作品の中にはあります。素晴らしい! オリュアルはプシュケーを心の底から愛していたけれど、それは所詮人間的な愛情だったんですねえ。もうレベルが違いすぎるというか何というか。
そして、女性が深く描きこまれている作品でもありました。晩年には結婚したけど、ルイスはずっと女嫌いとして独身生活を送っていたと聞いた覚えがあるのだけど... そうではなかったのかしら? 先日「サルカンドラ」を読んだ時も感じたけど、この人、本当は女性をとてもよく知ってたんですね。

私が読んだのは、みすず書房から出ている「愛はあまりにも若く」なんですが、平凡社ライブラリーで改題改訳版が出てました。「愛はあまりにも若く」という題名、好きなんだけどな... でも新しい題の方が原題に忠実です。(みすず書房)


+既読のC.S.ルイス作品の感想+
「マラカンドラ」「ペレランドラ」C.S.ルイス
「サルカンドラ」C.S.ルイス
「顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話」C.S.ルイス
「悪魔の手紙」C.S.ルイス
「喜びのおとずれ C.S.ルイス自叙伝」C.S.ルイス
「カスピアン王子のつのぶえ」他 C.S.ルイス

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