Catégories:“神話・伝承”

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先日ベディエ「トリスタン・イズー物語」を読んだ時(感想)に予告した本がコレ。
キリスト教的教訓詩(?)「聖アレクシス伝」や、フランス最古の武勲詩「ロランの歌」、中世の抒情詩、フランソワ・ヴィヨンの作品の抄訳なんかも入ってるんですが(一応全部読みましたが)、今回のお目当てはトリスタン物語群。この本の中にも、「トリスタン物語」(べルール)、「トリスタン物語」(トマ)、 「トリスタン佯狂」(オクスフォード本)、「トリスタン佯狂」(ベルン本)、「すいかずら」(マリ・ド・フランス)という5つのトリスタンの物語が入ってました。最後の「すいかずら」は、ごく短い詩なんですけど、ベルールとトマのは約3000行と結構長いです。でも断片ばかりなんです。ベルールのなんて、もうすっかり不倫がバレて、トリスタンが王宮への出入りを禁じられた後の場面からいきなり始まるし、トマのも似たような感じ。「トリスタン佯狂」2つと「すいずから」は、もっと後の方のエピソードだけを取り上げたもの。断片というのがすごく残念だったんですが、5つの作品はそれぞれに雰囲気が全然違っていて、読み比べるのが結構面白かった。特にトマの「トリスタン物語」に登場するトリスタンの悩みっぷりったら... アンタはハムレットか!(笑)
こういった断片や、ドイツのアイルハルト・フォン・オベルク、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの写本を元に、1つの物語として書き上げられたのが、先日読んだベディエの「トリスタン・イズー物語」なんですね。でも当然の話なんですが、このは「フランス中世文学集」なので、ドイツのは入ってないんです。残念。これも合わせて読みたかったなあ。

媚薬を飲んでしまったトリスタンとイズーが恋に落ちるというのは共通の設定なんですけど、驚いたのはその媚薬に期限付きのものがあったこと! ベディエ版は「死が2人を分かとうとも」って感じだったし、私が今まで読んだのは他のも全部そうだったんじゃないかと思うんですけど、ベルールのはなんと3年の期限付きでした。3年間で効果の切れるものしか作れなかったのか、それとも3年も効けば十分だと思ったのか...。手に手を取って森に逃げ込んで、あんなにラブラブな生活を送っていた2人が、3年たった丁度その日に我に返っちゃうんです。で、お互い「あんなに綺麗だったイズーがこんなにヨレヨレになっちゃってー」「私さえいなければ、華やかな騎士でいられたものを...!」とか思って、相手のことを気遣ってるようなことを言って、イズーはすんなり王宮に戻ることになるんですよ。可笑しーい。これじゃあ、メロドラマからいきなりお笑いになってしまうじゃないですか。それでいいのか、トリスタンとイズー!


解説によると、トリスタン物語群には流布本系と騎士道物語系があって、流布本系の方が粗野で荒削り、年代的にも古いもの。騎士道物語本系の方は、洗練された技巧と当時の宮廷風恋愛から解釈し直されている作品なのだそうです。

流布本系...ベルール、ベルン、アイルハルト・フォン・オベルク
騎士道物語本系...トマ、オックスフォード本、修道士ロベール、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルク

なるほど、それで雰囲気がこんなに違うわけですね。...でも、いきなり登場の「修道士ロベール」って誰よ...? 名前からしたらフランス人ですかね?
ええと、調べてみたところ、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」は、ゴットフリート・フォン・シュトラスブルクの「トリスタン」が元になってるみたいです。大筋は大体一緒だけど、細かい部分が結構違ってるみたい。そっちも今度読んでみよう。(白水社)

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伯父・マルク王のためにアイルランドの王女、黄金の髪のイズーを勝ち取った騎士・トリスタンは、イズーを伴ってマルク王の待つコルヌアイユへ。しかしその船旅の最中、酷くのどが渇いていた2人は、イズーの侍女・ブランジャンの荷物の中にあったワインを飲んでしまったのです。それは、新婚の2人に飲ませるようにとイズーの母親が作り上げた媚薬入り。トリスタンとイズーはたちまち恋に落ちてしまい...。

本当はトリスタンの生まれる前のことから話は始まるので、上に書いたのは丁度真ん中辺りの出来事。でもこれが話の一番の中心です。元々はケルトの物語で、アーサー王物語の中にも組み込まれてるんですが、中世に宮廷詩人たちが広く語り伝えて、12世紀のフランスでは人々の魂を奪ったほどの人気作品だったのだそう。ワーグナーもこの物語から、オペラ「トリスタンとイゾルデ」を作り上げてます。でも様々な写本があるにも関わらず、どれも断片のみ。クレティアン・ド・トロワやラ・セーヴルの写本に至っては、完全に失われているそうで...。これは、そんな様々な断片を元にベディエが書き上げた物語。
端的にいえば、トリスタンとイズーの不倫話。でも、そもそも2人の間には恋愛感情なんてなかったわけで、イズーの母親の媚薬なんてものがなければ、イズーもマルク王と幸せになれたでしょうし、トリスタンも普通に結婚できたんでしょうに... 気の毒。子供の頃に読んだ時は、なんでもっとしっかり隠しておかなかったんだろう? なんで誰もイズーに説明しておかなかったんだろう? なんて思って、それは未だに思ってたりもするんですが(笑)、今更とやかく言っても仕方ない? 言ってみれば、みんな被害者なんですよね。
今回読んでみて一番印象に残ったのはマルク王でした。息子のように愛していたトリスタンと、愛する妻のイズーに二重に裏切られてしまうマルク王が一番気の毒なんですが、でも懐の深さを見せてくれて良かったです。ほんと、媚薬なんてものがなければ...(そしたらこんな話も存在しないんだけどさっ)

久しぶりにこの作品を読み返したのは、図書館で「フランス中世文学集1」を借りてきたから。600ページ近くある分厚い本なんですけど、この半分ぐらいがトリスタン関係で、写本がいくつか入ってるんです。...実はそれほど期待してなかったんですけど、久々に読み返したこの本が予想以上に面白くて、むくむくと期待が大きくなってます。楽しみ♪(岩波文庫)

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大鹿を追いかけているうちに仲間ともはぐれ、乗っていた馬を失い、犬だけを連れた狩人は、カトリン湖のほとりでエレンという乙女に出会います。狩人が鳴らした角笛を、父の角笛の音かと思ったエレンが、船を漕いで迎えに来たのです。狩人は、ジェイムズ・フィッツ=ジェイムズと名乗る騎士。道を失って難渋していると話す騎士をエレンは自分の家に案内し、一夜の宿を提供することに。

入江直祐氏の旧仮名遣いの訳が古めかしいながらも、非常に美しい作品。素敵でした~。本来なら全編叙事詩として書かれているそうなんですが、日本語訳では、歌として歌われている部分以外は散文。「湖の麗人」という題名で、アーサー王伝説のヴィヴィアン(ニムエ)を思い出したんですけど、やっぱりその伝説がヒントとなってできた物語のようです。中世が舞台の騎士物語。
スコットランド生まれのウォルター・スコットはハイランドで育ち、実際にこの作品で舞台になった土地もよく知っているようで、舞台となっている湖や山間などの描写がとても美しかったです~。そしてその湖に住むのは美しく幻想的な乙女。その乙女の周囲には、王に追放された騎士である父親、乙女に恋する勇士たち。竪琴を奏でながら歌い、預言をする老人など。でも美しい描写だけではないのです。徐々に感じられる不穏な空気や、怪しげな預言者の儀式、戦争の知らせのために走る伝令たち、そして来る戦争の場面... 特に印象に残ったのは、伝令が「火焔の十字架」を持って村から村へとひた走り、辿り着いた村の伝令にその十字架を託して、受け取った伝令が新たに走っていくシーン。これは絵になりますねえ。ちょっと違うんですけど、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の狼煙の場面みたい。それから面白かったのは、王の住むスターリング城下の祭りの場面。矢場の傍には、ロビン・フッドがいました! タックやリトル・ジョン、スカーレット、マリアン姫など錚々たるメンバーと一緒に並んでいました。名前だけの登場なんですけどね。そういう遊び心がまた楽しいところ。「アイヴァンホー」(感想)にも登場してたし、実はかなり好きなんですね~?
そしてこの物語の中でエレンが歌う聖母賛歌にシューベルトが曲をつけたのが、有名なあの「アヴェ・マリア」の曲なのだそうです。(エレンの歌第3番) いや、この曲、てっきり宗教音楽かと思ってました... 違ったんですね。でもあの曲なら、この作品によく似合います。本当に素敵な作品なんですもん。こういう作品を読めると、それだけで幸せ~♪(岩波文庫)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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「わたし」がその男に出会ったのは、ウォーリック城の中でのこと。まるで親友や敵や、ごく親しい近所の人の話をしているかのようにベディヴィア卿やボース卿、湖水の騎士ランスロット卿、ギャラハッド卿の話をするその男は、コネティカット州ハートフォード生まれの生粋のヤンキー。以前自分の工場の男に頭の横っぺらを殴られて気を失った時、気がついたら6世紀の英国にいたことがあるというのです。ケイ卿に囚われた彼は火刑にされそうになり、しかしその3日後に起きる皆既日蝕のことを思い出して危ういところで命拾い。魔法使いのボス卿として、マーリンを差し置いてアーサー王の大臣兼執務官となることになります。

19世紀のアメリカ人が突然アーサー王時代の英国にタイムスリップしてしまうという作品。そういうのをマーク・トウェインが書いちゃうというのがすごいなあと思ってたんですが、ようやく読めました! マーク・トウェインの時代だったらタイムスリップというだけで新鮮だったんじゃないかと思うんですが、行った先のその時代に合わせるのではなくて、現代技術(マーク・トウェインにとっての「現代」なので19世紀です) をどんどん持ち込んでしまうというのがユニーク。石鹸みたいな日常に便利なものはもちろん、電話や電気みたいな色んなものを作っちゃうんです。工場を建て、人材を育成し、最終的に目指すのは共和制の世の中。
皆既月食の日時を正確に覚えているところはあまりに都合が良すぎるし(確か○年... ぐらいならまだしも、○年○月○日○時○分に始まる、まで覚えてるんですもん)、19世紀の産業を6世紀の世の中ににこんなに簡単に移行できるはずはないとも思うんですが、それでも奇想天外な物語が面白かったです。自分の置かれた状況をくよくよと思い悩んだりせず、19世紀の知識を利用してどんどん前向きに対処していくところはいかにもアメリカ人のイメージ~。それに確かにこの時代には色々問題もあったんでしょうけど、現地の人の気持ちをあまり考えようともせずに物事をずんずん進めていっちゃうのも、アメリカ人っぽい~。(失礼) これがアメリカ人作家の作品じゃなかったら、アメリカ人に対する強烈な皮肉かと思うところです。でもどうやらこれは、南北戦争後の南部人を北部人から見た風刺的な視線といったところみたいですね。アーサー王と宮廷の騎士たちは、思いっきり頭の悪い野蛮人扱いされています。^^; (ハヤカワ文庫NV)

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濃い霧にまかれて道に迷ったガウェインが辿り着いたのは、ゴーム谷のグリムの屋敷。ガウェインはどこか不吉なものを感じながらも、ここで一夜の宿を取ることに。夕食後、用意されていた部屋に戻ったガウェインは、寝台にグリムの娘・グドルーンがいるのを見て驚きます。なんと父親に言われて来たのだというのです。その場は礼儀正しくグドルーンを退けるガウェイン。しかしガウェインは後日グリムに、娘を襲ったという濡れ衣を着せられて訴えられ、そのために「すべての女が最も望んでいることとはなにか?」という問いの答を探すことに。

「五月の鷹」とはガウェインのこと。その題名通り、アーサー王伝説のガウェインが主人公の物語です。これは児童書なのかな? 伝説のエピソードが色々組み合わせられていたり、元の話に囚われずに自由に発展していて、意外なほど面白かったです~。特に楽しかったのは、時折他のエピソードらしきものが顔を出すところ。閉じ込められてしまったマーリンも声だけで登場しますし、あとはガウェインが1年間の探求の旅に出ている時に、とある泉に辿り着く場面が好き♪ これは「マビノギオン」で、「ウリエンの息子オウァイスの物語、あるいは泉の貴婦人」にも登場する泉です。そこには「なにかを待ち望んでいるような雰囲気」があり、ガウェインも何かをしなければいけないと感じるのですが、「たとえここに探し求めるべき冒険があるとしても、それは私がおこなうものではないのだ」と分かって、ガウェインは水を飲むだけで立ち去ることになります。確かにこれはガウェインではなくて、従兄弟のイウェインの冒険。こんな感じで、「あそこに繋がっていくのかな?」みたいな部分が色々あるんです。あとがきで訳者の斎藤倫子さんが「作者自身も楽しんで--ほとんど遊び心といってもいい感覚で--書いたもののように思われてなりません」と書かれていましたが、本当にその通りなのではないかと思います。
ガウェインの弟たち、アグラウェインやガヘリス、ガレスも個性的に描き分けられていたし、グウィネヴィアもちょっと珍しいほど素敵な女性に描かれていました。ただ1つ不満なのは、老婆・ラグニルドが必要以上に下品に振舞っているようにしか見えないこと。下品に振舞って尚、認められることが必要だった? それとも下品な性格もまたラグニルドにかけられた魔法のうち? 確かに伝説の方でもその通りなんですけど、ここに一言添えられていたら、もっと説得力があったのになあ。(福武書店)


+既読のアン・ローレンス作品の感想+
「幽霊の恋人たち サマーズ・エンド」アン・ローレンス
「五月の鷹」アン・ローレンス

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「森と大地の精」「海と草原の精」「空と風の精」「花と水の精」の4冊。以前、風待屋のsa-ki さんが、たらいまわし第8回「あなたが贈られたい(贈りたい)本はなんですか?」の時に挙げてらして、その時から気になってたんですよね。

北欧神話やケルト神話を中心に、主にヨーロッパの文化や生活に根付いている妖精たちを紹介していく本です。「森と大地の精」では洞窟・地中・森・荒野・丘・山に住む妖精、「海と草原の精」では草原・庭・家・川・海に住む妖精、「空と風の精」では天気・太陽・月・クリスマスにまつわる妖精、「花と水の精」では緑や水辺にまつわる妖精を紹介。どちらかといえば、前2冊は基本的な妖精の種類の紹介がほとんどで、物語などで有名な妖精は後2冊に登場するので(要するに分類しにくいんでしょう)、後2冊の方がとっつきやすいかもしれません。ワルキューレとかローレライとかね。アーサー王伝説に登場するモーガン・ル・フェイや、「夏の夜の夢」のオベロン王なんかも、後2冊で紹介されています。説明の文章には、その妖精にまつわるエピソードはもちろんのこと、外見や住みか、好きな食べ物、性質なども書かれていて、とても詳しくて読み応えがあります。そしてそれ以上に絵がものすご~く美しくて、眺めているだけでも楽しくなるような本なんです。

ヨーロッパが中心とは言っても、アジアの妖精も登場してきました。日本の妖精として紹介されていたのは、雷鳴の神とか風の神とか山の神、谷の神、あとカマドノカミとか鬼子母神、地蔵菩薩など。(笑) 中国のものには挿絵があったのに、日本のものにはなくて、ちょっと残念。どんな絵になるのか、見てみたかったな~。(文溪堂)

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聖霊降臨節の前日、カアマロ(キャメロット)に集まっていた円卓の騎士たちが宴の席についた時、そこに現れたのは美しい乙女。乙女は理由も言わずにランスロ(ランスロット)に一緒に来て欲しいと頼み、2人はすぐに馬で出立します。ランスロが連れて行かれたのは、とある女子修道院。そこでランスロは、ガラアドという若者を騎士に叙することに。そして翌日、ランスロがカアマロに帰り着いた時、円卓の「危険の座」には、その日その席に座る主が現れると書かれていました。それこそが、ガアラルの席だったのです。

1180年代初めにクレティアン・ド・トロワが書いた長編韻文物語「聖杯の物語」がきっかけとなり、それから膨大な聖杯物語が作られることになったのだそうですが、この本に収められている「聖杯探索」は1220年にフランスで書かれたという作品。作者不詳とあるんですが、キリスト教のシトー修道会の修道士やその教えを勉強した者によるものと考えられているようです。
聖杯というのは、元々はケルトの大釜。でも、キリストが最後の晩餐で使い、十字架上のイエスから血を受けた器とされるに従って、聖杯伝説もまた、とてもキリスト教色の濃いものへと変化しています。ものすごく教訓的だし、ものすごい禁欲思想なんですよね...。純潔がそんなに偉いのか!と思ってしまうほど。(それとも、そう言いたくなるほど、当時の風紀は乱れていたとか?) この聖杯探索を成し遂げる資格があると神によって認められたのは3人だけ。それ以外の騎士たちは、もう見事なまでに切って捨てられてます。特に気の毒なのは、当代随一の騎士だったはずのランスロ。もう会う人会う人に罪を指摘されて、普通の神経ならこれはうんざりするだろうなあ。信仰心の篤い(単純な)ランスロは、まさかうんざりなんてしないで、悔い改めようとするのですが。(笑)
この作品がシトー派関係者の作だと考えられたのは、この強烈な禁欲思想のためだそうなんですけど、ここまで排他的というか、選ばれたほんの一握りの人しか救われない思想だと、疲れるでしょうね! 大乗仏教みたいなおおらかさが欲しいなー。でもアーサー王伝説の聖杯関係は、多かれ少なかれこんな感じ。この本はとても面白かったんですけど、聖杯の話はちょっと苦手です、私。(人文書院)

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