Catégories:“神話・伝承”

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昨日の「山海経」と同じく平凡社ライブラリーの1冊。もとは「山海経」「列仙伝」「神仙伝」「抱朴子」が1冊になってたのを分けたんだそうですが... 「抱朴子」だけは、平凡社ライブラリーから出てないんですよね。なぜかしら。これは「神仙伝」の葛洪の書いた、仙人になるためのハウツー本だそうです。

「列仙伝」では、伝説の黄帝から、漢時代に生きていた仙人まで70人が紹介されていて、太公望や老子、介子推など、歴史的な有名人も入ってます。「神仙伝」で紹介されてるのは92人で、「列仙伝」と重なっているのは老子や彭祖の2人だけ。重ならないようにしたんでしょうけど、太上老君として信仰される老子を外すわけにはいかなかったんでしょうね。それに彭祖もきっと有名人なんですよね。子供の頃に彭祖が出てくる話を読んだことがあるので、私も名前は知ってます。確か、800年も生きたのに、黄河が澄むのを結局1度も見れなかった... と嘆いている話でした。(黄河は1000年に1度澄むらしいです)

大体どの仙人も、基本はまず食事から。木の実や薬草だけで、五穀を絶つというごくごく質素な食生活。もっと霊芝辺りが使われているのかと思っていたんですが、あんまりなかったです。それより石を服用している人が多くて、水晶やら雲母やらを粉末にしたり、他の薬物と混ぜて液状にして服用したり。方解石と良く似た五石脂の場合は、青・赤・黄・白・黒色の石の粉末を酢で練ると粘り気がでるんだそうで、こういう描写も面白かったです。でもどうやって仙人になるかっていうのはほんと人それぞれですね。食事療法をしたり、呼吸法を利用したり、仙丹を作ったり、中には房中術を利用する人も...。他の仙人に見出されて仙人になる人も多いんですが、「素書」は40年に1人にしか渡せないともったいぶる仙人もいれば、子孫に気軽に色々と伝授する仙人もいて、そちらも人様々。そして、一度は漢の武帝に見出されて仕えるようになる人も多いんですが、見切りをつける人も多いんです。武帝って、そんなに人徳がなかったのかしら。(笑)(平凡社ライブラリー)

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山海経とは、作者不詳の中国古代の地理書。最も古い部分は戦国時代(紀元前5~3世紀)に作られ、その後秦・漢時代にかけて内容が付加され、現在の形になったようです。「五蔵山経」「海外経」「海内経」など全18巻。表紙によると、「想像上の世界を縦横に走る山脈、そこに息づく奇怪な姿の怪力乱神たち。原始山岳信仰に端を発し、無名のひとびとによって語り継がれてきた、中国古代人の壮大な世界観が蘇る」とのこと。

副題が「中国古代の神話世界」ということで、もっと神話の話なのかと思ったんですが、神話よりも、むしろ神話の存在した「世界」が中心でした。洛陽周辺の山々とそこから四方に伸びる山脈、さらにその周囲に存在するとされた国々のことが書かれている、いわば博物誌とでも言えそうなもの。どの山にどのような植物や鉱物が多く、どのような動物がいて、それらにはどのような効用があるかということがひたすら詳細に書かれていきます。

南山経の首(はじめ)は昔+隹(じゃく)山という。その首を招揺(しょうよう)の山といい、西海のほとりに臨む。桂が多く金・玉が多い。草がある、その状(かたち)は韮の如く、青い花、その名は祝餘。これを食(くら)うと飢えることがない。木がある、その形は穀(こうぞ)の如くで黒い理(きはだ)、その花は四方を照らす、その名は迷穀(めいこく)。これを佩びると(道に)迷わない。獣がいる、その状は禺(さる)の如くで白い耳、伏してあるき人のように走る、その名は??(しょうじょう)。これを食うとよく走る...

これは冒頭からの引用。こんな感じでずーっと続いていきます。ここでは、それほど妙な動物は出てきませんけど、この後登場するのは凄いです。まさにキメラ。ギリシャ神話のキメラは「ライオンの頭・ヤギの胴・ヘビの尾をもち火を吐」きますが、それが普通の動物に思えてしまいそうなほど奇妙奇天烈な動物たちが沢山。思いつく限りのありとあらゆる種類の動物を、解体して繋ぎ合わせたような感じ。九尾の狐も出てきますけど、この狐なんて可愛いものだったのね...。当然人面のものもあります。しかも挿絵付き。(これがまた味があるんです・笑)
読んでる時はあまり何も考えずにのほほんと読んじゃったんですが、こういう説明の裏側には、実は中国各地の伝承や神話などが存在してるんですね。中国の神話は既にそのほとんどが失われてると聞いていたんですが、こんなところにその片鱗が残っているとは、実は「山海経」ってものすごく貴重な資料なんじゃないですか! でも水木しげるさんの解説を読むまで、こういった動物が妖怪だったとは気づきませんでしたよ...。鳥山石燕の「画図百鬼夜行」にもこの中の動物が入ってるんだそうです。(鳥山石燕が見て気に入ったらしい) 妖怪ですか。うーん、私は一体何を読んでたのかしら...。(苦笑) (平凡社ライブラリー)

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「ケルトの薄明」だけ、画像が出ないですが...。

アイルランド生まれの詩人・イエイツが、既存のアイルランドの民間伝承物語や妖精譚の中から話を抜粋し、分類・体系化した本が「FAIRY AND FOLK TALES OF THE IRISH PEASANTRY」と「IRISH FAIRY TALES」。そこから妖精譚だけを抜粋してまとめたのが「ケルト妖精物語」で、妖精譚以外を収めたのが「ケルト幻想物語」。そして他人が集めた物語を編集するのに物足りなくなったのか、イエイツ自身が自分の足でアイルランドを歩き回って話を集めたのが「ケルトの薄明」。
イギリスの妖精について書かれていた「妖精 Who's Who」と同じように、気まぐれで我儘で意地悪な妖精の話が多いです。そして、「ケルト妖精物語」や「ケルト幻想物語」も素朴な物語が多いんですが、「ケルトの薄明」はそれ以上に素朴な印象。物語になり切れないスケッチ的なものも多くて、炉辺などで語る人々の言葉がそのまま伝わってくるようでした。イエイツが、口の堅いおじいさんからなんとか話を引き出そうと苦労してるらしいところも、なんか可笑しくて。でも話によって、読みやすいのと読みにくいのと、ちょっと差が激しかったかなあ。これを読むと、グリム童話やペロー童話って洗練されてるんだなあって実感しちゃいます。

アイルランドにキリスト教を伝えた聖パトリックは、土着のドルイド教を良く理解していたので、そういった信仰を無闇に排除するようなことはなく、むしろそういった宗教を吸収するようにして、キリスト教を広めていったんですよね。それまでの土着の神々は、妖精として残っていったのだそう。そのせいか妖精譚もキリスト教の影響を受けながらも、ちょっと異教的な雰囲気を残してて、そういうところが結構好きです。(ちくま文庫)

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以前13回目のたらいまわし「夜の文学」で、AZ BLOG::はんなり、あずき色のウェブログのoverQさんが出してらした本。(エントリーはコチラ) 「屍鬼」といえば、まず小野不由美さんが出てくる方が多いと思いますが、これはインドの物語。インド版「千夜一夜物語」です。

あらすじとしては...
トリヴィクラマセーナという名の勇気のある王様が、1人の修行僧に頼まれて夜中に宮殿を抜け出し、樹に懸かっている男の死体を取りに行くことになります。しかしその死体には、屍鬼が取り憑いてるんですね。王が死体を担いで歩き出すと、背中の屍鬼が王に1つの物語を聞かせる。その物語の最後には謎掛けが待っていて、王がそれに答えると死体は元いた樹に戻ってしまい、王様は再び取りに行くことに... というもの。
この王様、お話ごとに行ったり来たりを繰り返すんですよ! どの話もそれほど長くないんですが、全く出来た王様です...(^^;。

そしてこの屍鬼が語る話が、どれも結構凄いんです。例えば第2話の「娘一人に婿三人」。
非常に美しい娘に3人のバラモンの青年たちが求婚するのですが、その中から1人選ぶ前に、肝心の娘が熱病で死んでしまうんですね。3人の青年は嘆き悲しみます。彼女を荼毘に付した後、1人の青年は乞食となって彼女の灰を寝床にして寝るようになり、1人の青年は骨をガンジス川に投げに行き、1人の青年は修行僧となって、諸国を放浪することに。で、3人目の青年が死人を蘇らせる呪文を覚えて戻ってきて、娘を生き返らせることになるのですが... 屍鬼の問いは、この3人のうち誰がその娘の夫として認められるかというもの。で、その王様、平然とその問いに答えてしまうんです。しかも理論整然と。(笑)
すごい、すごいよ、王様!

なんて思ってると、屍鬼は元いた樹のところに戻ってしまって、また最初からやり直し、なんですが...(^^;。
絶世の美男美女がいっぱい登場して、みんなすぐ恋に落ちちゃうし、時には王様のために簡単に自分や自分の家族を犠牲にしたりもするんですけど、でも日頃の行いが良いと神様に生き返らせてもらえたり。そんな荒唐無稽な楽しい話がいっぱい。しかもオチも素晴らしい。いやあ、インドっていいですねえ。でもって、どうやらこの屍鬼、あんまり悪い存在じゃないみたいですね。「屍鬼」なんて聞くとどうも単なる悪霊のように感じてしまうんですが、実は古代インドでは信仰の対象で、その土着信仰が仏教やシヴァ教に取り入れられたとか。
永遠にでも続きそうなこの話が、25話でどうやって打ち止めになるのかというのもお楽しみです。(平凡社東洋文庫)

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岩波少年文庫再読計画第6弾。今回はアジアの物語。「けものたちのないしょ話」は中国民話選、「ネギをうえた人」は朝鮮民話選です。
それぞれに30編ぐらいの物語が収められているのですが、どちらを読んでも、どこかで読んだような話ばかり。世界中、ほんと似たような話が多いものだなーと感心してしまいます。特に「けものたちのないしょ話」の方は、イソップ物語やグリム童話、ペロー童話、アラビアン・ナイト、そして日本の「因幡の白兎」、羽衣伝説、「聞き耳頭巾」、「こぶとりじいさん」、「ねずみの嫁入り」などなど...。「ブルータス、ここでもか」状態。(←まるっきり間違ってます) 「ネギをうえた人」の方は、もう少し朝鮮独自の物語が多いかな。天地創造の神話に繋がるような物語もいくつかあって面白かったです。

ところで、「ネギをうえた人」の表題作は、昔々、人間と牛の見分けがつかなくて、自分の身内も牛だと思って食べてしまっていた頃の話。親兄弟も自分の子供も、みんな牛に見えちゃう。だから間違えて食べちゃう... これはかなり怖いですよね。この本は小さい頃に読んだっきりなので、忘れてる話も多かったんですが、この「ネギをうえた人」の話はしっかり記憶に残ってました。さすがに子供心にも強烈だったんでしょう。...でも今読んでみると、牛と間違えちゃうんだったら、牛を食べなきゃいいのに、なんて思っちゃう。そこまでして牛が食べたかったのか? それとも牛しか食べるものがなかったのか...?
でもなぜここで「牛」なんでしょうねー。牛といえば、ヒンズー教では神様のお使いだし、ギリシャ神話ではゼウスが牛になったりもするのに(ミノタウロスなんかもいるけど)、スペインでは闘牛で殺されちゃう。(闘牛の由来って何なのかしら?) でも牛が鬼と結びついてることも多いですよね。全ては身体が大きいところに通じてるのかな。でも、牛って一体... 何なんでしょう?(岩波少年文庫)

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実はちょっと前から読み始めてたんですけど、なかなか話に入れず、他の本に浮気ばかりしてました。(^^ゞ
というのも、一度ブラッドリーの「アヴァロンの霧」を読んでしまったら、もうそれが私の中でのアーサー王伝説の基本になってしまったみたいで、どうも他の作品は難しいんですよね。それにこの作品、なんていうか、すごいパロディ小説なんですよ! 最初のうちなんてまるっきりのドタバタ。一体これっていつの時代の話よ...?!って感じだし、一時はどうしようかと思いました...。蜂蜜酒を飲んでるなら、そう書いてくれた方が、私としてはありがたいのになあ。←今時の人にはこっちの方が分かりやすいだろうからって、ポートワインを飲んでることになってるんです。作者の注釈つきで。
でも、時間を逆に生きているというマーリンの設定は面白いし、その独特な教育ぶりもユニーク。この作品に現代的なユーモアが散りばめてあるのは、きっとアーサー王伝説に対する新しい解釈を打ち出すためなんですね。この作風に一旦慣れてしまいさえすれば、この意欲的な解釈はなかなか凄いです。ほんと斬新だし強烈。でも、いくらアーサーが現代的な思想で頑張ったとしても、最後の結末は変わらないわけで...。そこがとっても切ないところでした。(創元推理文庫)

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