Catégories:“神話・伝承”

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昔、ヨーロッパはほとんど全部森で覆われており、人間も動物も森で暮らしていました。人々が生きていく上で、森は畑や牧草地以上に大切な存在。スウェーデンの人々も大きな森に囲まれた小さな村に住み、森の木で様々な道具を作り、食べ物を探し、家畜に緑の草を食べさせてたのです。しかし昔の森は、いつも緊張して身構えていなければならない場所。山賊が潜んでいたり、トロルやクーグスローンやヴィットロールなど姿の見えない魔物がいる所。森の中では思いもかけない不思議なことがよく起こり、人々はそんな話を暗い冬の夜長に語り合い、そして昔話や伝説ができていきます。この本に収められているのは、そんなスウェーデンに古くから伝わる、12の森のお話です。

スウェーデンの民話の本を改めて読むというのは初めてだと思うんですけど、さすが北欧繋がり、アスビョルンセン編のノルウェーの民話集「太陽の東 月の西」で読んだような話が多かったです。「バターぼうや」は「ちびのふとっちょ」だし、「トロルの心臓」は「心臓が、からだのなかにない巨人」。「仕事を取りかえたおやじさん」は「家事をすることになっただんなさん」。でもそれだけじゃなくて、それ以外の民話に似ているものもありました。「ティッテリチェーレ」は「トム・ティット・トット」や「ルンペルシュティルツキン」みたいだし、「親指小僧」は「ヘンゼルとグレーテル」のバリエーション。「トロルと雄山羊」「小便小僧のピンケル」も、出所が思い出せませんが、よく似た物語を読みましたよ。何だっけ? でももちろん、読んだことのないタイプのお話もありましたよ!
きっとお母さんが小さな子供と一緒に楽しむ本なんでしょうね。挿絵も可愛いし、お話の中に出てくる昔の道具や当時の生活習慣の簡単な説明が巻末にあるのが分かりやすいし、面白いです。ただ、ちょっと気になった部分も。この本に収めるために元のお話を簡略化しるんだろうと思うんですけど、それで話がおかしくなってる部分があるんですよね。「トロルの心臓」では、地主の娘を助けに来た小作人の息子が、娘に3つのことをトロルに聞くように指示するんですけど、その3つの質問のうちの2つ意図が分かりません。きっと元の話には関係するエピソードがきちんとあったのに、省略されてしまったんだろうと思うんですが...。いくら昔話では「3」が基本だからといって、そんなところだけ律儀に残しても。それに「王女と大きな馬」なんかは、ここからさらに冒険が始まる、というところで終わってしまっているような...。せっかくロシア民話のイワンのお話みたいになりそうだったのに。

まあ、それはともかくとして。

この中で凄かったのは「ふくろうの赤ちゃん」という話。

むかし、子どもがほしいと思いながら、なかなか授からない夫婦がいました。

ここまでは普通ですね。でも。

ある朝、おやじさんは仕事にでかけるとき、おかみさんにいいました。
「いいか、夕方帰ってきたとき、子どもが生まれていなかったら、命がないと思え」

そ、そんな無茶なーーー!!(笑)
この話、3ページぐらいしかない短い話なんですけど、もう最後まで可笑しいです。おかみさんもなかなかやるし、その後のおやじさんの台詞がまた最高。ああ、オチまで書いてしまいたいぐらい~。(ラトルズ)

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七日の間誰も出て来ず、しかも何の応答もなくなった館。大后はたまりかねて白い糸の標を破って踏み込みます。そこにいたのは大王と衣通姫(そとおりひめ)。しかし大王は既に亡くなっていました。大后は衣通姫が大王の命を奪ったのだろうを弾劾するのですが、衣通姫は何とも答えようとせず... という「ささがにの泉」他、全7編。

オムニバス形式の七夕の姫の物語7編。神話の時代の衣通姫は「使い神」に守られた姫。姫の身体には地霊の力が満ち、国つ神の霊力を備えています。そしてその姫による機織は、まさに神事と言えるもの。「秋去衣」の軽大郎女(かるのおおいらつめ)にとっての機織も同様ですね。でも徐々に時代が下がるに従って、社会は変わり、霊力も失われ、機織は日常の仕事となってしまうのです。都ほどではないにせよ、変化に晒されることになるのは泉の地に住む一族も同様。それでもここに登場する姫たちは、みなそれぞれに様々な状況的な制約の中にありつつも、精一杯生きている女性たちなんですが... 「糸織草子」の姫なんて、読んでいて痛々しくなってしまうほどだったなあ...。
この7編の中で私が特に好きなのは、「ささがにの泉」と「朝顔斎王」。「ささがにの泉」は神話時代を感じられる独特の雰囲気が大好き。そして「朝顔斎王」は「源氏物語」の朝顔の斎院と重ね合わせられている、とても可愛らしい作品。

7つの題名は、それぞれに織姫の別名によるもの。(ささがに姫・秋去姫・薫物姫・朝顔姫・梶の葉姫・百子姫・糸織姫) 千街晶之さんの解説によると、折口信夫の論文「水の女」が発想源の1つであることは、ほぼ間違いないだろうとのこと。藤原氏は元々聖なる水を扱う家柄だったという説もあるのだそうです。そちらも読んでみたい! 確かに常に泉の地に住む一族が見え隠れしていますし、例えば「美都波」「瑞葉」「椎葉」「水都刃」...と「みづは」という名前が繰り返し登場するところなんかも暗示的。おそらく他にも様々な暗示的な意味合いが籠められているのでしょうね。そして、そこここに散らばるヒントを元に歴史上の人物のことを推理するのも楽しいところ。私も色々調べまくってしまいました。(その甲斐あって主要人物についてはほぼ全て分かったかな) 日本史に詳しい人ほど、一層楽しめそうです。でもそんなことは考えずに、ただストーリーを追って読んでも、十分ここに流れる空気は堪能できそうです。物語そのものも幻想的な美しさだし、物語の最後にゆかりの和歌が添えられているのも雅な美しさ。とっても味わい深い作品でした。(双葉文庫)


+既読の森谷明子作品の感想+
「れんげ野原のまんなかで」森谷明子
「千年の黙(しじま) 異本源氏物語」森谷明子
「七姫幻想」森谷明子

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バーバ・ヤーガは、スラヴ系の民話に登場する魔女。元々はスラヴ神話における「冬」の象徴だったのに、キリスト教が入ってきて、すっかり悪い魔女になってしまったみたいです。元々は悪い存在じゃなかったので、時には良い人間を助けてくれる親切な老婆として登場したりもするんですけどね。そして、そのバーバ・ヤーガの住む家というのがとてもユニーク。鶏の足が生えた家なんです。その足でとことこ歩いて家が移動したり、ぐるぐる回ってる時も。

ムソルグスキーの「展覧会の絵」にも「鶏の足の上に立つバーバ・ヤーガの小屋」があるし、あちらの方にはかなり馴染み深い存在のようなんですけど、なかなかバーバ・ヤーガの登場する物語にめぐり合えないんです。アファナーシェフの「ロシア民話集」(感想)でもいくつか読めたし、スーザン・プライスの「ゴースト・ドラム」(感想)は素晴らしかったのだけど...! でも、ふと気がついたら。バーバ・ヤーガのお話の絵本が図書館にいくつかあるじゃないですか。早速ありったけを借りてきました。

今回読んだ5冊の中では、「まほうつかいバーバ・ヤガー」(松谷さやか再話・ナタリー・パラン絵)と「バーバ・ヤガーとままむすめ」(渡辺節子文・井上洋介絵)がほぼ同じ話で、「ロシア民話集」収録の「ヤガーばあさん」と同じ。そして「マーシャとババヤガーのおおきなとり」(宮川やすえ文・太田大八絵)が、同じく「ロシア民話集」収録の「鵞鳥白鳥」と、「おばけのババヤガー」(カロリコフ再話・カバリョーフ絵)が「りりしい鷹フィニストの羽」と同じ。オリジナルなのかな?というのは「バーバ・ヤガー」だけ。(私がオリジナルを知らないだけかも)
でも既に知ってる話でも、絵本で改めて読むと面白いー。以前読んだ時は挿絵も何もない状態でしたしね。「まほうつかいバーバ・ヤガー」は、バーバ・ヤーガの家が普通の木の小屋で足が生えてないのが難点なんだけど、ぐるっと周りを回っても入り口が見つからない家に「こやよ こやよ、森のほうには うしろむき、わたしのほうには まえむきに なあれ!」って言うところが面白かったし、部分的に切り紙細工のような絵が可愛かったし... 「バーバ・ヤガーとままむすめ」の絵はあまり好みではなかったんだけど、ちゃんとバーバ・ヤガーの小屋に鶏の足がついてくるりくるりと回っているのが良かったし。「マーシャとババヤガーのおおきなとり」に登場する小屋も、回ってはいないものの鶏の足付き。そして「おばけのババヤガー」の幻想的な絵の素晴らしいことったら...! 人物の絵はあまり好きではないんですけど、バーバ・ヤガーの小屋(鶏の足付き)や、魔法使いの女王の城の絵が特に素敵~。
唯一のオリジナル(?)の「バーバ・ヤガー」(アーネスト・スモール文、ブレア・レント絵)は、お母さんに言われてカブを買いに出たものの途中でお金を落としてしまったマルーシャが、森にカブが生えてないか探していると、やがて鶏の足の生えたバーバ・ヤガーの小屋が現れて... というお話。「白い騎士」と「黒い騎士」というのが素敵だったし、悪い子じゃないと食べないというバーバ・ヤガーがユニーク。恐ろしいながらもどこか抜けている魔女相手に、マルーシャは自分の力でで夕食になることを免れるんですよ! 面白いなあ。こういうのを読んでると、「いい子にしないとバーバ・ヤーガに食べられてしまうよ!」なーんて子供をたしなめるお母さんの声が聞こえてきそう。版画風の挿絵も素敵でした。あ、小屋にはちゃんと鶏の足がついてます。一番左に画像が出てる絵本の表紙の通りです。(童話館出版・福音館書店・ほるぷ出版・岩崎書店・ひさかたチャイルド)

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7歳の時に実の母を亡くし、13歳の時に父も亡くしたシンシンは、今は義母と半分だけ血の繋がった姉・ウェイピンとの3人暮らし。シンシンは腕のいい陶工だった父から絵と詩と書の三芸を習い、特に習字が上手でした。しかしこの1年間のシンシンの呼び名は「役立たず」。シンシンは、家の仕事を一手に引き受ける日々を送っていたのです。しかしシンシンは毎日泉にいる美しいコイに亡き母の魂を見て心を和ませていました。

ドナ・ジョー・ナポリ版「シンデレラ」。「シンデレラ」の物語は世界中に広がっていますが、その原形は中国にあったと言われていて、ドナ・ジョー・ナポリが今回の物語の舞台に選んだのも中国。ドナ・ジョー・ナポリ自身、1997年の夏に北京師範大学で創作を教えていて、その時に中国のシンデレラの物語を読むことにもなったようですね。でも舞台となっている時代はそれほど古くなくて、明代初代の皇帝・洪武帝の頃です。

この物語のシンデレラは、シンシン。でもシンシンは、欧米のシンデレラほどあからさまに義母や義姉に扱いを受けているのではないんです。もちろん日々の家の仕事は全部シンシンの仕事だし、それが不公平だというのは当然なんですが... 義姉のウェイピンは1年前から纏足をしていて、それが痛くて辛くて住んでる洞穴からも外に出られない状態。家の仕事なんてとんでもないし、足が痛いから、ついついきつい言葉を吐いてしまうんですね。それに義母の足だって纏足をした足だから、働くのに向いてないし。一家の大黒柱を亡くした家族に、奴婢を雇う余裕があるはずもなく。
もちろん義母がウェイピンに纏足をさせたのはいい結婚をさせるためで、シンシンにはさせないという時点で既に扱いの違いが出てるわけなんですが、シンシンの足は纏足をしなくても十分小さな足なんです。それもポイントですね。だって顔立ちが不細工で、足も大きいウェイピンに、シンシンは優越感を抱いてるんですもん。それにウェイピンが実の母親に可愛がられるようになったのは、父親が亡くなってから。母親は息子を産む気満々だったから、娘なんて全然眼中になくて、息子が産めないとなって初めて、母の目がウェイピンの方を向いたんです。やっと得た母の愛と価値観に囚われて、纏足をしさえすればいい結婚ができると信じてるウェイピン、なんだか可哀想です。
そんな状態だから、本家のシンデレラほど「シンデレラ vs 義母+義姉」の対比が鮮やかではないし、最終的に立場が逆転して胸がすくような展開というわけでもありません。何も知らなかったシンシンが徐々に成長して世界を知り、最後には1人の女性として自分の進むべき道を選び取るというのはいいんですけど... それでウェイピンはどうなるんでしょう? 結果的に義母と義姉を踏み台にしたようなシンシンよりも、どうしてもウェイピンの方が気になってしまいます。なんだかすっきりしないぞー。(あかね書房)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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王さまとお妃さまに待望の赤ちゃんが生まれ、小さなお姫さまのために洗礼式が盛大に執り行われることになります。名付け親として招かれたのは、国中で見つかった7人の妖精たち。妖精たち1人1人から贈り物をしてもらい、想像できる限り最高のお姫さまになるようにするのが、当時の習慣だったのです。しかし宴の席に8人目の妖精が現れます。その妖精は50年以上も前から塔の外に出ておらず、生きているのかどうかすら分からなかったため、招かれていなかったのです。妖精用のどっしりした黄金のケースに入った純金のスプーンとフォークとナイフは7つしか作っておらず、その妖精の前に出されたのは普通の食卓道具。ばかにされたと思い込んだ年取った妖精は、口の中でぶつぶつと脅しの文句を呟きます... という「眠りの森の美女」他、全10編の童話集。

アンジェラ・カーターの「血染めの部屋」(感想)を読んだ時も、「青髭」を改めて読んでみたいなあと思ってたんですけど、先日ファージョンの「ガラスのくつ」(感想)を読んで、今度読みたくなったのは「シンデレラ」! いい機会なので、ペロー童話集を読むことに。これも岩波文庫版や白水社uブックス、河出文庫版(澁澤龍彦訳)、ちくま文庫版(巖谷國士)など、色んなバージョンがあって、読み比べてみたくなっちゃうんですが~。今回手に取ったのは天沢退二郎訳の岩波少年文庫版。本の挿絵はマリ林(Marie Lyn)さんという方で、これがまたとても素敵。この方、天沢退二郎氏の奥様なんですね!

「そして2人は幸せに暮らしました...」の後の話まできちんとついている「眠りの森の美女」や、狼に食べられたきりで終わってしまう「赤頭巾ちゃん」。そうか、この結末はペローだったのか。「眠りの森の美女」の後日譚がついてる絵本を子供の頃に読んで、それがものすごく強烈だったのに(特にたまねぎのソースが...)、それっきり見かけなくて一体どこで読んだんだろうと思ってたんです。そうか、ペローだったのか...。その他も、大体は知ってる通りのお話だったんですけど、10編のうち「巻き毛のリケ」というお話だけは全然知らなくて、ちょっとびっくり。訳者あとがきによると、この作品だけはグリムにもバジーレにもヨーロッパ各地の民話・説話には明らかな類話が見当たらないお話なんだそうです。道理で!
でも伝承に忠実なグリムに対して、同じく伝承を採取しながらルイ14世の宮廷で語るために洗練させたペロー、というイメージがすごく強いのに、訳者あとがきによると「赤頭巾ちゃん」なんかは、ペローの方が古い伝承に忠実なんですって。グリムの「いばら姫」では「眠りの森の美女」の後日譚はカットされ、「赤頭巾ちゃん」には新たな結末が付け加えられたというわけですね。でも洗練される過程で、少し変わってしまったのが、ペロー版のシンデレラ「サンドリヨン」。伝承特有の「3度の繰り返し」がなくて、舞踏会に行くのが2回なんですよ!(驚) でも変わってしまっているとしても、やっぱり物語として洗練されてて面白いです。それにそのそれぞれのお話の終わりに「教訓」や、時には「もう一つの教訓」が付けられてるのが楽しいのです。(ケストナーの「教訓」は、もしやここから?)

そして勢いづいて、以前読んだ「人類最古の哲学」(中沢新一)を再読。これ、2年ほど前にも読んでいて(感想)、その時も沢山メモを取りつつ読んだんですけど、既にかなり忘れてしまってるので... いやあ、やっぱり面白いです。5冊シリーズの1冊目は、世界中に散らばるシンデレラ伝説を通して神話について考えていく本。伝承・神話系の物語って、実はきちんとそれぞれの形式があって、それぞれの場面や行動にきちんと意味があってそういう決まりごとにのっとって作られてるんですよね。シンデレラといえば、日本ではまずペローやグリムが有名ですけど、もっと神話の作法に則ったシンデレラ物語が世界中に残っているわけです。そしてその物語を聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したシンデレラの興味深いことといったら...! ええと、近々ドナ・ジョー・ナポリの「バウンド」を読むつもりにしてるので、そちらの予習も兼ねてます。(岩波少年文庫)

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外で雄鶏が「コケコッコー!」と鳴き、地価の大きな暗い石造りのお勝手のせまいベッドの中で目を覚ましたのはエラ。以前は2階の綺麗な部屋で暮らしていたのに、エラの本当のお母さんは既に亡くなり、娘を2人連れた婦人がお父さんと結婚してからというもの、エラは穴倉のようなこの部屋に追いやられ、家の仕事を一手に引き受けさせられていたのです。鳴き続ける雄鶏、そして早く起きることを催促する道具たちに、エラは渋々起き上がります。しかしその時、馬具につけた鈴の音と馬のひづめが鳴る音が聞こえてきます。1ヶ月もの間留守にしていたお父さんがとうとう帰ってきたのです。

先日読んだ「銀のシギ」と同様、元は舞台のための脚本として書かれたものを小説に書き直したという作品。こちらもやはりファージョンらしい味付けがされて、元となっている「シンデレラ」の物語が楽しく膨らまされています。こちらの方が「銀のシギ」よりも賑やかですね。雪の季節の物語だし、まるでクリスマスのための贈り物みたい... なのに、こんな暑い時期に読んでしまってるんですが。(汗)
ペロー版の「シンデレラ」と違うのは、まず主人公のシンデレラに「エラ」という名前がつけられていること。でも以前読んだアーサー・ラッカムの「シンデレラ」(これはペロー版を元にC.S.エヴァンスが再話したもの)でも、同じようにエラという名前がつけられてたんですよね。やっぱり「Cinderella」という名前が「Cinder(灰)+Ella」ということだからなんだろうな、と思いつつ... 日本語のシンデレラの童話を読んでる限りでは、名前が出てきたような覚えがなかったんだけど(全然出てこなかったとも言い切れないのが微妙なとこなんだけど)、「灰かぶりのエラ」は基本なんですかね? それともファージョンか誰かが創作したものなのかな?(C.S.エヴァンスが再話したのは、ファージョンよりも後のことなので) あ、でももし基本だとしても、これは英語圏の人にとって、ですよね。ペローはフランス人だし、フランス語のシンデレラは「サンドリヨン(Cendrillon)」だから、また違うでしょうし。(この場合「Cendre」が灰)うーん、よく分からない!

ま、それはともかくとして。このエラがとても前向きな明るさを持つ女の子なのです。元話と同じく惨めな生活を送ってるはずなのに、その辛さを感じさせないほど。それも前向きになろうと頑張ってるんじゃなくて、ほんと自然体なんですよねえ。その自然体な部分は王子と会った時も変わることがありません。(その場面の会話のちぐはぐで可愛いことったら) そして子供の頃に「シンデレラ」を読んだ時、なんでお父さんは何もしてくれないんだろうと思ってたんですけど、その辺りもちゃんと織り込まれてました。お父さんは優しくて、でも優しすぎる人だったのですねー。しかも仕事で家をたびたび長いこと留守にしてるようだし。もちろん2番目の妻を離婚するなり、エラを信頼できる人間に預けるなり、何とかしようはあったとは思うんですが。(あ、でも離婚はできないのか、宗教的に)
エラのいる台所の道具が話し出すし、継母が実は○○だった、とか(笑)、頭が悪くて欲張りで太っているアレスーザと、怒りっぽくてずるくて痩せっぽちのアラミンタという2人の姉たちの対照的な姿も喜劇的だし、読んでるとやっぱり舞台向きに書かれた話だなあって思います。妖精のおばあさんは、あまり気のいい親切な妖精のゴッドマザーという雰囲気ではなくて、むしろちょっぴり怖そうな雰囲気なんですけどね。「チューイチュイ」という小鳥への呼びかけの声がとても印象的。そしておとぎ話で夢をみるのは普通はお姫さまと相場が決まっていますが、この作品では王子さま。ハート型の純金の額縁を眺めながら、運命の女性を夢見ている王子さまって一体?! でも一番良かったのは道化かな。王子の代わりに怒ったり喜んだり悲しんだりする道化。彼の意外な洞察力と、エラの父親との場面が素敵でした。賑やかでありながらほんのりと心が暖まる、この作品にぴったりの存在だと思います。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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ノーフォークの海辺の風車小屋に住んでいるコドリングかあちゃんの子供は、全部で6人。息子はエイブにシッドにデイブにハルの4人で、それぞれに頑丈で大食漢で働き者。娘は18歳のドルと12歳のポル。ドルは丸ぽちゃの可愛い娘で、気性も素直で優しいのですが、怠け者なところが玉に瑕。12歳のポルは、ドルとは全くタイプが違い、子猫のように知りたがり屋の利口者。ある日、1ダースのダンプリングが焼けるのを待って白昼夢にふけっていたドルは、コドリングかあちゃんの「ダンプリングは、かならず三十分でもどってくる」という言葉に、今そこにあるダンプリングを食べてしまっても大丈夫だろうと考えます。

グリムの「ルンペルシュティルツキン」と同系の「トム・ティット・トット」の伝説を元にしたファージョンの創作物語。元となった伝説も巻末に収められているのが嬉しいところです。読み比べてみると、ファージョンがいかに元の話を膨らましたのかがよく分かります。この話、子供の頃も楽しく読んでたんですけど、大人になった今また読んでみると、見事に換骨奪胎されていて、改めてすごい!
まず、元の物語には女の子は1人しか出てこないのですが、こちらに登場するのはドルとポルの姉妹。王様と結婚するのはドルです。彼女は色白で金髪碧眼。とても美しく気立てもいいんですが、とにかく怠け者。そしてそのドルとは対照的なのが妹のポル。ポルは、よく日に焼けてて活動的。色んなことに鼻をつっこむし、やらなければならないことは、きびきびとこなします。外見も中身も正反対。...昔ながらのおとぎ話のヒロインに相応しいのは、やっぱりドルですよね。王さまもドルを見た途端、その美しさに惹かれてるし、のんびりしたドルのおかげで王さまは癇癪を半分に抑えることができるようになるし、あんなに怠け者なのに母性愛はたっぷりだし、ドルにはドルの良さがあります。でも冒険に相応しいのは、やっぱり聡明で活動的で勇敢なポル。元話では偶然名前が分かって、まあそれもおとぎ話としてはいいんですけど、今の物語としては詰めが甘いですよね。ポルが活躍するこの展開には、とても説得力があります。石井桃子さんが訳者あとがきで、ドルがポルを待つ場面は青髭みたいだと書いてらっしゃるんですが、本当にそうだなあ~。
それに謎めいたチャーリー・ルーンや銀のシギといった存在もいいんですよね。幻想的な月の男と月の姫の伝説も絡んで、この辺りもとても好き。あとの登場人物たちも楽しい人たちばっかりで! 二重人格な子供っぽいノルケンス王とかその乳母のナン夫人とか、どんと大きく構えたコドリングかあちゃんや単純な魅力の4人の兄さんたち... 若い小間使いのジェンも、家令のジョンも、コックのクッキーも、乳しぼりむすめのメグスも、庭師のジャックも! この作品は元々は舞台のために書かれた作品なんだそうです。そう考えてみると、4人の兄たちが食べたいものを並べ上げながら登場する場面とか、案外いいコンビのノルケンス王とポルの口喧嘩とか、楽しい場面がいっぱいです。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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