Catégories:“神話・伝承”

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東方遠征中のアレクサンドロス大王が師匠であるアリストテレスにインドの様子を書き送った「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」と、広大なキリスト教王国を治めているという司祭ヨハネから西欧の君主に宛てた2種類の「司祭ヨハネの手紙」という、中世ヨーロッパに広く伝わっていた「東方の驚異」のうち代表的な3編を収めたという本。

「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」は、7世紀頃に成立したと言われるもの。アレクサンドロス大王の東方遠征にまつわる話は、ギリシャ語やラテン語や各国の言葉で語られ書き継がれ、12世紀末以降には「アレクサンドロスもの」としてその奇譚ぶりを大いに発揮することになったのだそうです。実際のアレキサンダー大王は、紀元前4世紀の人ですけど、色々と想像が膨らんだんでしょうね~。逸話が逸話を呼んで、真実の東方遠征とはかなりかけ離れたものになっちゃってるんでしょうけど、それがまた面白いです。インドの王宮の豪華さなんかは予想範囲内なんですが、ここで注目したいのが様々な怪物たち。象よりも巨大な河馬が現れたなんていうのはまだ序の口で、三つの頭にとさかをつけた巨大なインド蛇とか、鰐の皮に覆われた蟹の大群、雄牛のように巨大な白ライオン、人間のような歯で噛み付いてくる蝙蝠の大群、額に三本の角を持った象より大きな獣に次々に襲われてもう大変。さらに奥地に行くともっと奇妙な生き物がどんどん登場して、まるで西欧版「山海経」って雰囲気です。しかも一番奥では、ギリシャ語とインド語で予言を語る2本の聖樹がアレクサンドロス大王の運命を予言します。

そして「司祭ヨハネの手紙」は、伝説的な東方キリスト教国家の君主・プレスター・ジョン(ジョン=ヨハネ)からの手紙。この司祭ヨハネは、東方の三博士の子孫で「インド」の王という設定。まあ、この当時「インド」と一言で言っても範囲がとても広くて、現在のインドやその辺りのアジア一帯はもちろんのこと、中近東やエチオピア辺りまで含んでいたそうですが。「アレクサンドロス大王からアリストテレス宛の手紙」の影響を多々受けて成立したというのが定説なんだそうです。
これは12世紀のヨーロッパの人々に夢と希望を与えて熱狂させた文献なんですって。こういうのを読んで、マルコ・ポーロみたいな旅行家たちが、幻のキリスト教王国を求めて東方に旅立ったんですね~。でもすごいです、この豪華っぷり。半端じゃありません。黄金の国ジパングの伝説なんて、もうすっかり薄れてしまうほどの絢爛ぶり。とてもじゃないけど、キリストの教えに適うものとは思えません~。(笑)(講談社学術文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「西洋中世奇譚集成 皇帝の閑暇」ティルベリのゲルウァシウス
「西洋中世奇譚集成 東方の驚異」逸名作家

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昔々、バーナビーという名の少年が、1人っきりで旅から旅へと曲芸をして歩いていました。母親は生まれた時に亡くなり、バーナビーはやはり曲芸師だった父親と一緒に各地を歩いて回っていたものの、その父親も10歳の時に亡くなっていたのです。芸の上手なバーナビーはみんなに気に入られ、どこに行ってもうまくいっていました。しかし寒い冬になってくると、広場でバーナビーの芸を見てくれるお客さんはどんどん減っていきます。雪が降ってきた日、ある修道士がバーナビーを見て、家がないのを知ると修道院へと連れて帰ることに。

この本は、フランスで何百年もの間語り継がれてきた「聖母マリアの曲芸師」というお話をバーバラ・クーニーが新たな視点から解釈して、絵を添えたもの。初めてこの話をラジオで聞いた時にとても気に入って、息子が生まれたらバーナビーという名をつけようと思ったほどだっていうんですから、その感銘ぶりが分かりますね。
そしてアナトール・フランスも、この話を元に短編を書いてるそうです。何だろう? と調べていたら、岩波文庫で「聖母と軽業師」という短篇集が出てたみたい。これかな? あとアマゾンにはデータがありませんが、世界文化社・ワンダーおはなし館の「かるわざし」(谷市郎訳)とか、書肆山田の「聖母の曲芸師」(堀口大學訳)とかもあったようですね。岩波文庫版も含め、どれも絶版のようですが...。あ、白水社からアナトール・フランス小説集が出てるんですけど、その7巻にも入ってるようです。そのアナトール・フランスが書いた作品を、作曲家のマスネーがオペラにしたのだとか。

それにしてもなんて美しいお話なんでしょう! 映画の「汚れなき悪戯」を思い出しちゃいました。
今まで見たバーバラ・クーニーの絵本とは絵のタッチが全然違っていて驚いたのだけど... 白と黒が基調で、色がついているのも朱色と青と緑色だけですしね。でもそれがまた中世の雰囲気をよく表していて素敵。なんだかまるでステンドグラスの絵物語を見ているみたい。おごそかで美しくて、そして暖かくて優しくて。絵もとても細かく描きこんであって、広場にいる代書屋(?)とか修道院での写本の風景とか、その辺りが特に気になってしまってじーっと眺めてしまったわ! 何も知らないで今の時期に読んでしまったんだけど、これはクリスマスの前に読むのが良かったかもしれないですね。バーバラ・クーニー自身もクリスマスの贈り物のために描いた本のようですし~。クリスマスプレゼントにも最適の本かと♪(すえもりブックス)


+既読のバーバラ・クーニー作品の感想+
「北の魔女ロウヒ」トニ・デ・ゲレツ文 バーバラ・クーニー絵
「ちいさな曲芸師バーナビー」バーバラ・クーニー

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優しくて賢くて逞しいハヌシ王子は、7つの山と7つの川を越えた向こうに世界で一番美しい姫がいると聞き、早速求婚に向かいます。しかしハンナ姫は気位の高い姫。世界中の王子が求婚に訪れても顔をちらりと見るだけで、誰も気に入らずに追い返してばかりだったのです... という「美しいハンナ姫」他、全6編。

ポーランドに古くから伝わる民話をモチーフにしたという物語。民話を元にしてるだけあって、どこかで読んだようなお話が多いんですが、どれも神を信じて地道に正直に日々働く人間が最後に幸せになるというところで共通しています。そして生まれ持った性質や育ちがどうであれ、そういった人間に生まれ変わることは可能ということも。美しいけどわがままなハンナ姫もそうだし(この話はグリムの「つぐみのひげの王さま」に似た展開)、いくらみんなに言われても全然働こうとせず、自分の馬に餌をやることも知らなかった男もそう。若い頃に遊ぶことしか知らなかった女は、すっかり年を取ってしまった後に若い頃の怠け者の自分を目の当たりにさせられることになります。「ヘイ、若かったわたしは ヘイ、どこへ行った? ヘイ、川の向こうか、ヘイ、森にかくれてしまったか?」という歌が、楽しそうでもあり、物悲しくもあり...。
面白かったのは、正直に日々働きたい男が極貧のために子供たちに食べさせることができなくて、でもぎりぎりまで盗人になることに抵抗するにもかかわらず、結局盗人になることによって王さまや国を助けることになるという「盗人のクーバ」。そして怖かったのは、生まれた時に、怪しげな男から宝石の詰まった手箱をもらい、日々それで遊びながら成長する王女さまの話「王女さまの手箱」。美しい宝石に夢中になるのはよくあることなんですけど、宝石を所有するのはあくまでも人間のはず。完全に宝石に所有され、支配されている姫の姿が恐ろしいです。この話もなんだけど、全体的にどこかトルストイっぽかったな。(岩波少年文庫)

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だいだいいろの童話集

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書評/SF&ファンタジー
東京創元社で刊行中のラング童話集の10冊目。今回は献本で頂きました。感謝。

さて、最初はドイツやフランス、北欧といった一般的な童話から始まったラング色の童話集のシリーズなんですけど、刊行が進むに連れて世界中にその範囲を広げてきています。前回の「ちゃいろの童話集」では、ネイティヴ・アメリカンやアフリカ、ラップランドのお話が面白かったですしね。今回は、センナの口承伝承やパターン族に伝わる話、ショナ族の昔話、ベルベル人の昔話というクレジットが並んでました。センナはアフリカ南部のザンベジ川沿い。パターン族はどうやらアフガニスタンやパキスタンのパシュトゥーン族のことみたい。ショナ族は、アフリカ南部のジンバブエの辺り。ベルベル人は北アフリカ。
とっても興味深かったのは、全ての望みを叶えてくれるシパオという魔法の鏡が白人の手に渡ってしまったから、この世のあらゆる力を白人が握ることになった、とか、魔女をやっつけた姉妹は「宣教師に会ったことがなかったので、残酷な行いができたのだ」とか、黒人の話に白人が入り込んできてる部分。こういうのはこれまでのラング童話集にはなかった部分じゃないかしら...。ラングは自分の童話集に採取した童話を入れる際に、結構手を入れてるようなんですが、そういうのは残ってるんですね。いえ、宣教師云々の部分は何も問題ないんですが、不思議なのは「魔法の鏡」。白人の行いはどう考えてもずるいし残虐すぎるんですけど! ラングのことはあまりよく知りませんが、「ありのままを伝えなければ」なんて考えの持ち主だったとも思えないし... 19世紀の人だし、逆にそういう行為を当然として受け止めていたのでしょうか。でももし黒人を同じ人間として考えていなかったとしたら、そんな風に昔話を採用するのも妙な気がする...。

あ、でもそういったアフリカ系の話だけでなく、ヨーロッパ系のお話も入ってます。フランスのオーノワ夫人の話も久しぶりにいくつか入ってましたしね。今回私が一番嬉しかったのは、西ハイランドの話が入っていたこと。アイルランドやスコットランドのお話だって2つかそこらしかなかったのに、ハイランドとはー。アンドリュー・ラングはスコットランド生まれのはずなのに、ほんと全然と言っていいほどなかったんですよね。

全12冊のはずなので、これで10冊読了。残り2冊になっちゃったんですねー。最初は先が長くて気が遠くなりそうって思ったけど、案外すんなり読破できそう。この東京創元社版の刊行が始まってから復刊され始めた偕成社文庫版も、既に全12巻揃ってるみたいです。本当は、私自身も子供の頃に読んでいた川端康成・野上彰訳の偕成社文庫版を読みたかったはずなんですけど、いつの間にかすっかり東京創元社版ばかりになっちゃいました。でも大人になってから読むなら、こちらの方が読みやすいかも。字の大きさも程よいですし、挿絵も美麗ですしね。(東京創元社)


+シリーズ既刊の感想+(東京創元社版)
「あおいろの童話集」「あかいろの童話集」アンドルー・ラング編
「みどりいろの童話集」アンドルー・ラング編
「きいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ももいろの童話集」アンドルー・ラング編
「はいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「むらさきいろの童話集」アンドルー・ラング編
「べにいろの童話集」アンドルー・ラング編
「ちゃいろの童話集」アンドルー・ラング編
「だいだいいろの童話集」アンドルー・ラング編
「くさいろの童話集」アンドルー・ラング編

+シリーズ既刊の感想+(偕成社文庫版)
「みどりいろの童話集」「ばらいろの童話集」アンドルー・ラング

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働き者の父さんと花を育てるのが好きな母さん、そして父さんと畑で働くのが大好きな9歳のジャック。隣の家には大好きなフローラとその両親、もうじき生まれてくる赤ちゃん。しかしそんな幸せな日々も終わりを告げることになります。雨が全く降らず、せっかく蒔いた小麦はいくら川から水を運んでも芽を出してすぐに萎れてしまい、父さんは2度目の種蒔きをするための種を買うために賭けに出るものの、あえなく惨敗。結局畑は他人の物となり、フローラのお母さんは生まれてきた赤ちゃんと共に亡くなり、父さんは虹のふもとにあるという金のつぼを手に入れるために岩壁の向こうへ。父さんを失ったのは自分のせいだと思い込んだジャックの精神は徐々に狂い始めます。

ドナ・ジョー・ナポリ版の「ジャックと豆の木」。「逃れの森の魔女」では魔女視点で描くことによって、本当は哀しい魔女の人生をあぶり出すって感じだったんですが、こちらは巨人視点ではないんですねー。物語は、ジャック視点のまま。巨人は相変わらずの悪役で、こちらはあまり変化ありません。むしろ、なぜジャックが豆の木を登らなければならなかったのか、というその行動に焦点が当てられていました。豆の木も巨人も、金の卵を産む鶏も、金の入った壷も、歌う竪琴も全て揃っているのに、「ジャックと豆の木」とはまたまるで違う物語になってるのにびっくり。子供向けの明るい勧善懲悪な童話が変わる変わる~。
ジャックには双方の両親も認める仲のフローラという少女がいるんですが、そのフローラのスペイン系の血筋を引いているということが、一般的にどのように捉えられているのかといった辺りがリアル。ジャックの幸せな日々が終わることになったのは、元はと言えば旱魃のせいなんですが、そこにジャックの父親の賭け事好きが絡むのがリアル。いろいろなことが丹念に描かれることによって、ジャックが精神に変調をきたしていく過程がリアル。で、そんなリアルな物語に、いきなり魔法の品物が絡んでも浮いてしまいそうですよね。でもその品物の扱いの部分が面白い~。なるほど!

でもこの本を読んでいて、やっぱり私、金原訳ってちょっとテンション下がるかも... なんて思ったり。金原さんといえば今や大人気の訳者さんだし、この方の訳した本を読めばハズレがないとまで言われてたりするんですけど...! 前々から、どうもあまり自分から手に取りたい気がしなくて、むしろ無意識のうちに避けてる気がしてたんですよね。作品を色々読みたいと思う作家さんがいても、どうも進みが悪いなと自分でも思ってたんですが... どうやら気のせいじゃなかったみたいです。はあー。(ジュリアン出版)


+既読のドナ・ジョー・ナポリ作品の感想+
「逃れの森の魔女」ドナ・ジョー・ナポリ
「クレイジー・ジャック」ドナ・ジョー・ナポリ
「バウンド 纏足」ドナ・ジョー・ナポリ

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紀元500年頃。ブリテン島南部で、アーサーことアルトリアス・マグナスの軍勢が、バン卿の領地に攻め込みます。アーサーはバン卿の保護と引き換えに多大な貢物を要求したのですが、バン卿はその申し出を拒否したのです。館には火がかけられ、男たちの怒号や馬蹄の音が響き渡っていました。命からがら館から飛び出した下働きの孤児の少女・グウィナは、剣を振りかざした若者から逃げるために川に飛び込み、下流に向かって泳ぎながら逃げ、冷え切った体で陸に上がり、失神。そこに現れたのは、アーサーに仕える吟遊詩人・ミルディンでした。ミルディンはグウィナを近くの小屋に運びこみます。

アーサー王伝説をテーマにした作品はものすごく沢山あって、その描き方は多種多様なんですが、その中でも「伝説はこうだったけど、真実のアーサー王の物語はこうだった」というスタンスの作品といえば、真っ先に思い出すのがバーナード・コーンウェルの「エクスカリバーの宝剣」(感想)に始まるシリーズ。あちらも相当泥臭い生臭いアーサー王物だったんですが、こちらも相当ですねえ。こちらは臭いが漂ってきそうな感じはなかったですけどね。そしてバーナード・コーンウェルの作品と、この「アーサー王ここに眠る」の違う点は、あちらはそういった真実の物語を淡々と綴っているというスタンスなのに対して(主人公が書き綴る物語が、きっとその依頼主によって好きなように脚色されるだろうという予想はあるのですが)、こちらはそういった様々な現実的なエピソードが、生きた物語に変わる瞬間を目の当たりにすることができること。

ということで、真実のアーサー王の言動をその目に見ながら、物語や伝説が生まれていくところも同時に見ることができるという楽しさのある作品です。アーサーが何をしようとも、どんな人物であろうとも、吟遊詩人であるミルディンが作り上げた単純ですっきりした、それでいて魅力的なエピソードの数々によって、人々はアーサーを好きになっていっちゃう。日頃生身のアーサー王を見ている人ですら、それらの物語が本当は真実からはずれた所にあるものだと分かってるはずなのに、それらの物語を真実の上にかぶせてしまいます。それは「人は自分が見えると思うものだけを見て、信じるように言われたことだけを信じる」というミルディンの言葉通り。(塩野七生さんの「ローマ人の物語」のカエサルの部分を思い出す!) そして「おれはあいつの名声をいい健康状態に保ってやってる語り部の医者ってとこだな」という言葉通り。アーサーの生い立ちのことも、エクスカリバーのことも、湖の貴婦人のことも、例えば緑の騎士のことも、大抵はミルディンがお膳立てをした出来事だったり、ミルディンが作りあげた物語。でもミルディンがほんの少し細工をするだけで、あとは人々が作り上げていってくれるんですねえ。実際のアーサーは粗野で乱暴な男だし、グウェニファーもそれほど若くも美しくもなかったのに、人々の記憶の中のアーサーは気高く聡明で勇敢な王者であり、グウェニファーは若く美しい貴婦人となってしまうのです。そういった物語のカラクリを私だって知らないわけでもないのに(笑)、ミルディンの「手品」がものすごく面白くて読みながらワクワクしてしまいました。物語ができていく裏側をこっそりと覗き見ているという感覚が、またいいんですよね。まるで自分もこの作品に参加して、一役買っているような気がしてきちゃう。

「アーサー王、ここに眠る」という題名は、アーサー王の墓碑銘「HIC IACET ARTHURUS, REX QUONDAM, REX FUTURUS(ここにアーサー王眠る。かつての王にして来るべき王)」から。「かつての王にして来るべき王」といえば、T.H.ホワイトの「永遠の王」(感想) を思い出す... 原題が「THE ONCE AND FUTURE KING」なんです。これは相当ぶっとんだアーサー王伝説で、面食らってるうちに終わってしまった感じなんですが、そうと分かって読み返したら、今度はもっとずっと面白く読めるかもしれないですねえ。また今度読み返してみようっと。(創元ブックランド)

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黄昏時。騎士・タンホイザーはウェヌスの丘にいたる暗い通い路の下にたたずんでいました。一分の隙もない身仕舞いをしておきながら、この1日の旅行でそれが乱れてしまったのではないかと丹念に直すタンホイザー。その時、かすかな歌声がこだまのように山の上から漂ってきます。タンホイザーは携えた小さな七弦琴(リュート)をごく軽くかきならし、その歌に伴奏をつけ始めます。

ヴィクトリア朝末期の夭折の天才画家・ビアズレーの唯一の散文作品。これ、何箇所かで紹介されていたので存在は知ってたんですけど、タンホイザー伝説を題材にした作品だったんですね! それを知らなかったので、読み始めてびっくりしちゃいました。(紹介記事の一体どこを読んでたんだ、私) ワーグナーもこの伝説を元にオペラ「タンホイザー」を作りあげてますが(感想)、そちらの作品はタンホイザーがウェヌスの城から立ち去ろうと決意を固める場面から始まるんです。こちらはそれとは対照的に、タンホイザーがウェヌスの城に迎え入れられ、享楽的な生活を送り始める場面から。でも未完。
作中にはビアズリー自身による挿画も多々織り込まれていて、この世界観がすごくよく分かるものとなっていました。タンホイザーという人物は、13世紀頃の騎士であり詩人でもあった人物のはずなんですけど、まるで19世紀末のダンディなイギリス紳士みたい。ここで私が思い浮かべたのは、まずオスカー・ワイルド。そんな感じのイギリス的な優雅さを持っていて、デカダンスという言葉がぴったりな人物像です。そして、まさにそんな雰囲気の作品。ウェヌスが中心のはずなのに、異教的な匂いも全然感じられませんでしたし。
よくよく考えてみれば、19世紀末といえばとーーーっても品行方正なイメージの強いヴィクトリア朝で、ここに描かれてる自由奔放な性は、とてもじゃないけどその時期の作品とは思えないんですが... その時代にも、当然のように隠れ家的なサロンはあったんでしょうね。あらゆる道徳観念から解放されて、空中浮遊しているような印象すらあります。ものすごーくエロティックなんだけど、あくまでも優美。でもビアズレーの夭折によって、タンホイザーがウェヌスの丘に入り込んで間もなく、話は唐突に終わってしまいます。このままワーグナーのタンホイザーに雪崩れ込んでしまっても、違和感ないかもしれないなあって思って、なんだか不思議な気もしたんですが... そういえばワーグナーとビアズレーって、ほぼ同時代の人なんですよね。特に不思議はないのかな?(中公文庫)

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