Catégories:“戯曲・詩”

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へレスポントス海峡を挟んで向かい合うセストスとアビュドスの町。アビュドスに住む青年・レアンドロスは、セストスにある古い塔に住む、愛と美の女神・アプロディテ祭祀の美しい巫女・ヘーローと許されざる恋に落ちてしまいます。そして毎晩ヘーローが掲げる炬火の明かりを頼りに海峡を泳いで渡り、忍び逢うのですが、ある冬の嵐の晩、炬火の火は風に吹き消され、方向を見失ったレアンドロスも力尽きて溺れてしまうのです。そして翌朝、浜辺に打ち上げられたレアンドロスの亡骸を見たヘーローは塔から身を躍らせて自殺... というギリシャ神話の物語を元にした作品。

感想はのちほど。(東京創元社)

+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

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ギリシャ軍によるトロイ城包囲が7年過ぎた頃。アガメムノンやユリシーズたちは、ギリシャ軍の華・アキリーズを戦場に駆り立てようとしていました。しかし自分の力や名声に酔いしれ、すっかり高慢になっていたアキリーズは、毎日パトロクラス相手にふざけたり、アガメムノンらを嘲るばかり。なかなか戦争に参加しようとしないのです。そんな時、トロイ軍の将軍・イーニーアスがギリシャの軍営を訪れます。それはプライアム王の息子であり、トロイ軍の大将であるヘクターからの一騎打ちの申し出。ユリシーズの提案でヘクターの相手に決まったのは、エージャックス。そしてその頃、パリスの弟のトロイラスは、クレシダに一途に恋をしており、クレシダの叔父であるパンダラスに仲を取り持ってくれるよう頼んでいました。

ギリシャ・ローマ時代の神話や出来事を題材に取ったような後世の作品で何が困るって、人名が違ってしまうこと。先日ラシーヌの戯曲を読んだ時も、「フェードル」がパイドラのことで、「アンドロマック」がアンドロマケーのことで、なんてところで苦労したんですが、こちらもそうでした。トロイラスやクレシダ、アガメムノンはまあいいとして、ユリシーズはオデュッセウス、アキリーズはアキレウス、エージャックスは大アイアース。プライアム王はプリアモス王、ヘクターはヘクトル、イーニーアスはアイネイアースのことなんです。確かにシェイクスピアは英語で書いてるから、私が馴染んでいるギリシャ語読みとは違っていても仕方ないんですが...。英語読みだと軽いですね。なんだか調子出ないなー。(笑)
でも、シェイクスピアの戯曲の中ではかなり評価が低い作品のようなんですけど、人名がきちんと飲みこめてしまえば、これが結構面白く読めました。まず可笑しかったのは、ヘクターと戦うことが決まったエージャックスを、ユリシーズやアガメムノン、ネスターやダイアミディーズがおだてつつ、実は虚仮にしているところ。そしてギリシャ陣営にやって来たクレシダをギリシャの将軍らが歓迎しているところ。これはどっちも日本語で読んでも笑えるような訳になってるんです。読みながら思わずくすくす笑いが漏れてしまったほど。訳者の小田島雄志さん、スゴイ!

この作品では「トロイの城壁が七年にわたる包囲にも屈せず」とあるんですが、アキリーズがアガメムノンに対して怒っているので、おそらくホメロスの「イーリアス」と同時期の話なんでしょうね。(「イーリアス」はトロイ戦争の10年目) この「トロイラスとクレシダ」はタイトル通り、トロイの王子・トロイラスと、トロイの神官でありながらギリシャに寝返った神官カルカスの娘・クレシダという2人の悲恋物語ではあるんですが、それと平行して進んでいくのはトロイ戦争の顛末。というか、むしろ戦争の方が比重としては重いかもしれません。戦う気をまるで失っているアキリーズを、それと悟らせないように遠回し遠回しに戦場に引っ張り出すユリシーズの知略の物語。戦争ばかりだと観てる人が飽きてしまうだろうからと、ちょっと恋物語を入れて潤わせてみましたーという感じ?
人物の造形は、ホメロスの「イーリアス」とは、結構違ってました。一番目についたのは、ユリシーズに対するアキリーズの態度。「イーリアス」では、アキリーズはアガメムノンに対しては敵意を燃やしながらも、ユリシーズに対して敬愛の情を示してたんですよね。アガメムノンが折れて出た時も、ユリシーズが仲介役となったほど。でもこっちの作品でのアキリーズは、親友のパトロクラス以外の人間は全て見下してるんです。ユリシーズのことも。しかもアキリーズがヘクターを討ち取る場面が! これはないだろうという卑怯なやり口なんです。それまでのギリシャ陣営とヘクターの正々堂々としたやり取りからすると考えられなーい!

でも、やっぱり評判があまり高くないだけあって、ちょっと不思議な作品でもありました。それは、唐突に終わってしまうこと。ここで終わる? これから後はどうするの? もう呆気にとられてしまうような幕切れ。これは一体何だったんだーー。この作品は、シェイクスピアの作品の中でも「問題劇」という扱いをされてるそうなんですが、それも納得。現代の小説でも、ここまで読者に丸投げの作品はあんまりないんじゃないかしら。それに一応悲劇に分類される作品のようなんですが、とてもじゃないけど悲劇とは思えません。確かに愛は破局を迎えるんですけど、それでもこれって喜劇なんじゃ...?

シェイクスピアの作品に先んじて、チョーサーも同じ題名の作品を書いてるんですよね。日本では「トロイルス」という題名で訳されているようです。こちらではクレシダの造形がかなり違うようなので、そちらもぜひ読んでみたいなあ。そして「イーリアス」と並んでトロイ戦争についての筋の主な材源となっているという、ジョン・リドゲイド「トロイの書」、ウィリアム・キャクストンの「トロイ史集成」、チャップマン「イリアッド」も読んでみたいです... が、この3つは、どうやら日本語には訳されてないみたい... 残念。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」シェイクスピア

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北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。

アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。

もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。

で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)

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皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを、腹心の侍女に向かって訴えます... という「ブリタニキュス」。
ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしたまま、この5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、とうとうベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです... という「ベレニス」。

ラシーヌの、古代ローマを舞台にした悲劇2つ。「ブリタニキュス」では、皇帝「ネロン」なんて名前になってますけど、これはネロのことです。それまでは一応善政を敷いていたネロが暴虐と狂気の道へと突き進むターニングポイントとなった物語、でいいのかな? 既に実の母・アグリピーヌの存在を疎ましく思ってるし、妻・オクタヴィーとは上手くいってないし、義弟のブリタニキュスとジェニーと仲を妬んでるんですね。で、ジュニーをかどわかすんですけど、このジュニーにすっかり心を奪われてしまって...。ネロンがジュニーに惹かれたのは、ただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさからなんですよね、きっと。もしジュニーの心が手に入ったら、その途端、どうでも良くなっちゃったんじゃないかなあー。ここに描かれてるネロって、なんだかただ単に愛情不足で育ってしまった子供みたい。やっぱりあのお母さんが普通のお母さんじゃなかったというのが不幸の始まりかも。帝王教育はしてくれても、何かあった時にぎゅっと抱きしめてくれるようなお母さんじゃないですものね。(と勝手にイメージしてますが)

そして「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人なんですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続けていて、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。
ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないんですが、ティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができないんですね。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたというのはあるんでしょうけど...。ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さなくて。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前にとうとう心情を吐露してしまうことに。
3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているのに、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないんですねえ。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。そしてティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。ラシーヌの悲劇は4つ読みましたが、これがダントツで好き。緊迫感たっぷりで、素晴らしいー。おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったのでは。そして、この作品を読んで、とても読みたくなったのが「ローマ人の物語」のティトゥス部分。思わず「危機と克服」の巻を読み返してしまいましたよ。テイトゥスとベレニケのことについてはほとんど何も書かれてなくて残念なんだけど、そのお父さんのヴェスパシアヌスは、やっぱりかなり好き♪(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ノールウェイ王の不意打ちに、スコットランドのダンカン王のもとで獅子奮迅の働きを見せるマクベス。戦いが終わり、マクベスとバンクォーが通りがかった荒地に現れたのは、3人の魔女でした。魔女たちは口々に「グラミスの領主様」「コーダの領主様」「いずれは王ともなられるお方」と呼びかけます。確かにマクベスは現在グラミスの領主。しかしコーダの領主はまだまだ元気で勢いが盛んであり、王も同様。不思議に思うと同時に困惑する2人。しかし2人を王宮で出迎えたロスとアンガスは、マクベスにコーダの領主と呼びかけます。ノールウェイ王を密かに援けていた裏切り者のコーダの領主は処刑が決定し、その地位は今やマクベスのものだというのです。

シェイクスピアの四大悲劇の1つ。四大悲劇の中では一番好きな作品。一番短いんですけど、シンプルながらもエッセンスのように凝縮している作品だと思います。戯曲という形式上、小説のような説明とか描写がないというのは当然なんですが、1つ1つの台詞が実はすごく色んなことを含んでるんですよね。それでも、説明不足としか思えない部分があるのですが...。と、感じていたら、当初書かれた作品から多くの場面が割愛されているとも考えられているのだそうです。なるほど、そうだったのかー。
野心はあるにしても、心は正しかったはずのマクベスが、魔女の予言をきっかけに大それた罪を犯し、幻影に悩まされ、自滅していくという悲劇。小心者と言われるマクベスも強気のマクベス夫人も、結局のところ、魔女の手の平で遊ばされていたようなものなんですねえ。悪人にはなりきれない、ごく平凡な人間にしか過ぎなかったというわけで。魔女の予言は、きっとマクベスの性格も見越してのことだと思うんですが、もしマクベスが自分の良心に負けなければ、結末を急がなければ、一体どうなっていたんでしょうね? コーダの領主の地位だって何もせずに手に入ったんだから、王位もそうなるはずだとは思わなかったのかな? そういうことを考えること自体、最早無意味なのかな? マクベスの人生は、魔女によって破滅させられたようなもの。元々そういった資質があったとはいえ、やっぱり魔女の言葉さえなければ、と思ってしまうのですが... 第1幕第1場の「きれいは穢ない。穢ないはきれい」という魔女の台詞が暗示的。そしてこれらの魔女は、先日読んだハインリヒ・ハイネの「精霊物語」によると、元々の伝説の中では3人のワルキューレだったんだそうです。戦死者を選ぶ役割を持つワルキューレにとって、マクベスへのこの予言はなんと相応しい役回り!
子供の頃に読んだ時は、「マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。」という部分には正直あまり感心しなかったんですが... なんかこじつけっぽくて。でも「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」の方は、実際に森が攻め上ってくるという絵画的な場面描写と相まって、とてもインパクトが強かった覚えがあります。ちなみに実在したスコットランド王としてのマクベスは、従兄のダンカン1世を殺害して王位を奪い、自分の王位を脅かす者を次々と抹殺したのは事実としても、善王だったようですね。...それだけ殺しておいて善王と言えるのかどうかは分かりませんが。(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

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デンマークのエルシノア。ハムレット王が亡くなって2ヶ月足らずだというのに、ガートルード王妃は、王位を継いだ亡き王の弟・クローディアスと再婚。そんな時、エルシノア城の銃眼胸壁の上の狭い歩廊に、今は亡きハムレット王の亡霊が現れます。甲冑に身を固め元帥杖を手に見張りの目の前を何も言わずに通り過ぎる亡霊。その話を聞いたホレイショーは自分も亡霊の姿を目にすると、早速ハムレット王子に告げることに。そして亡霊と対峙したハムレット王子は、父の死の顛末を聞かされることになるのです... という本家本元の「ハムレット」。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」から登場人物の名前と大体の環境を借りて書き上げた、2つの不幸な家庭の3日間の物語だという、太宰治の「新ハムレット」。

いわずと知れた、シェイクスピアの四大悲劇の1つ「ハムレット」。私はシェイクスピアはあまり好きじゃないし、色んな版で何度か読んでる割にその偉大さも今ひとつ理解できないんですが、四大悲劇は結構好き。特に「マクベス」。
ええと、今ひとつ感心しない理由の1つは、シェイクスピアのどの作品にも元となる話があって、あまりオリジナリティがないということなんですけど... まあ、それはあんまり説得力がないというのは、自分でも分かってます。(笑) でもこの「ハムレット」が書き上げられる数年前に、よく似た戯曲がロンドンで上演されていたのだそうで、そんなことを知ってしまうと、益々...。(笑) まあ、それ以前に明らかな元ネタ本があるので、その同時代の劇作家もそちらから取ったんでしょうけどね。でも今回訳者による解題を読んで、「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりです。そう言われてみると、似てるなあ、なんて思いながら読んでた話もあったような...。(←ダメダメな記憶力)
「ハムレット」自体には改めてあまり感想はないんですが、この福田恆存氏による解題が良かったです! 福田恆存氏は訳も素晴らしいけど、この解題が本当に素晴らしいー。特に「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯していることにある」という言葉。「ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯をし、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」ですって。なるほどね。そういうところを楽しむべき作品なんですね。やっぱり本で読んでどうこう言うのではなくて、演じられている「ハムレット」を観るべきなんでしょうね。シェイクスピアだって座付き脚本家として、演じられるための作品を書いてたんですものね。

そしてその「ハムレット」を読んだので読んでみたくなったのが、太宰治「新ハムレット」。太宰治自身、「人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレットから拝借して、ひとつの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味はみじんもない。狭い、心理の実験である」としている通りの作品。
大きな流れは同じなんですが、細かい部分は結構違います。「新ハムレット」のハムレットは、叔父とそれほど不仲ではないですし、以前は懐いていたのに、母親をとられた寂しさや戸惑いから反抗しているみたい。先王の幽霊騒ぎは、ここでは単なる噂話。そしてハムレットは結婚する気満々です! ここでのオフィーリアの造形が、まるで今時の女の子みたいでびっくりですよ。それに作品そのものもとても現代的。書かれた当時は、きっととても斬新だったんでしょうね。太宰治といえば一昔前の人、というイメージだったんですけど、そうではなかったようで...(笑)
行間から登場人物たちの気持ちを推し量らなければならない原作とは違って、こちらでは登場人物が滔々と雄弁に自分の気持ちを語ってるのが面白いし、ハムレットを初めて日本に紹介した坪内逍遥の訳をからかってるようなところも楽しいし...(「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」というのは、確か「はいからさんが通る」に出てきてたから知ってたけど、「すまいとばし思うて?」は知らなかったよ)、ポローニヤスから息子・レアティーズへの細かすぎるほど細かい遊学の心得も可笑しいし~。太宰治自身も同じことを言われたのかな? それとも自分自身の経験を踏まえた言葉? 人は死ぬんですけど、むしろ喜劇に変わってしまったような印象さえありました。とは言っても、このハムレットは、やっぱり太宰治自身なんでしょうね。ハムレットの台詞の端々に、太宰治自身が見え隠れしているようです。

「みんな、みんな可哀想だ。僕には昔から、軽蔑感も憎悪も、怒りも嫉妬も何も無かった。人の真似をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何も分からない。人を憎むとは、どういう気持ちのものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打つほどによく分る情緒は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。」(P.294)

「新ハムレット」には5編が収められているんですけど、表題作以外もそれぞれに良かったです。私が一番気に入ったのは「古典風」。取り立てて大きな出来事が起きるわけでもないのに、読ませてくれるんですよねえ。間に挿入されている手帳のメモ書きや、主人公が書くネロの伝記なんかも面白かったし。この作品、副題が「ーーこんな小説も、私は読みたい。(作者)」なんです。私だって読みたいよ!(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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