Catégories:“戯曲・詩”

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英雄となったシーザーの凱旋出迎えるローマの人々。アントニーが3度シーザーに捧げようとした王冠をシーザーは3度とも退けます。しかしキャシアスやブルータスは、シーザーの野望を危惧していたのです... という「ジュリアス・シーザー」。そしてシーザー亡き後のローマ。シーザー暗殺者たちを追討する軍を起こし、さらにギリシャや小アジアに進軍していたアントニーが出会ったのは、エジプトの女王・クレオパトラでした。アントニーはクレオパトラと恋に落ち、その冬をアレクサンドリアで過ごすことに。そんな時、アントニーの妻・フルヴィアと弟がオクテイヴィアスを相手に反乱を起こします... という「アントニーとクレオパトラ」。

「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」(感想)の関連で読んだ本。
「ジュリアス・シーザー」は、もっとシーザー中心かと思っていたので、実は主役でも何でもないことを初めて知ってびっくり。いえ、もちろんシーザーも登場するんですけど、むしろシーザー暗殺という事件をめぐるブルータスの物語だったんですね。もしくはブルータスとアントニー。暗殺後、市民を前にブルータスとアントニーは演説をするんだけど、ここがすごい。「私はシーザーを愛していた。しかし、それ以上にローマを愛していたのだ」と言って民衆を味方につけたブルータスなんですが、自分の演説が終わってもアントニーの演説を聞くようにと市民を説得するんです。でもそれに対してアントニーは。アントニーは決してブルータスを誹謗中傷しないし、それどころかブルータスの人格を褒めちぎるんですけど... さすが弁論術の盛んだった古代ローマ。
そしてこのアントニーは「アントニーとクレオパトラ」にも登場するんですが、こちらは「ジュリアス・シーザー」とは全然違う大人の恋愛物語。「ロミオとジュリエット」のあの若い恋心とは対極にあるかのような成熟した恋愛。2人とも大人ですしね、役者ですよ。私の知り合いの男性(年上・独身)が、「なんかこう、気持ちよく騙されたいわけだ」という意味のことを口癖のように言ってたんですが、こういうことだたったんだな。(ほんと?) 若さで突っ走るわけにもいかない大人にとっては、恋愛における演技力の重要性というのは、実はとても高いのかも。ま、歴史的真実としては、おそらく、純情な男を手玉に取ったしたたかな女という構図なんでしょうけど、この描き方はとてもシェイクスピアらしい気がします。

シェイクスピアは、子供の頃読んだチャールズ・ラムのを皮切りに結構読んでるはずなんですけど、むしろ嫌いだったんですよね。その後ちゃんとしたのを読んでも、何がいいのかよく分からなくて。どこかで読んだような話ばっかだし! でもやっぱりオコサマには理解できないものだったのかも。ここ数年で読み返したり新たに読んだものの方が断然楽しいです。(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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分邦ユダヤの王・エロド・アンティパスの宮殿では宴会が開かれていました。王の執拗な視線や、その客たちに耐えかねて宴会を抜けてきたサロメは、月の光に照らされる露台へ。そして砂漠から来た預言者・ヨカナーンに出会います。

「ポポイ」を読んで、無性に読みたくなってしまいました。再読です。
ここに登場するヨカナーンとは、聖書における洗礼者ヨハネのこと。ヨルダン川で人々に洗礼を授けていて、救世主イエスの到来を告げる使者でもあります。そしてこの「サロメ」は、マタイによる福音書(第14章第3-12節)やマルコによる福音書(第6章14-29節)に書かれているヘロデ王と、ヘロデ王妃ヘロディアの娘、そして洗礼者ヨハネの記述をふくらませたもの。ヘロデ王が自分の兄の妃だったヘロディアと結婚したことを、洗礼者ヨハネが「律法では許されないことだ」と言ったため、ヘロディアは洗礼者ヨハネを憎んでるんですね。聖書の中のごく短くそっけない記述が作品としておおきくふくらんだという作品は他にもあるし、例えばアニータ・ディアマント「赤い天幕」(感想)も見事だなあと思ったんですが、これもやっぱり素晴らしいー。

聖書ではヘロディアが娘をそそのかすんですが、こちらの作品でのサロメは自らの意思でヨカナーンの首を欲しがってます。サロメのヨカナーンに対する狂気じみた愛。それは作中で何度も登場する月の描写にも現れてます。
これはヨカナーンに出会う前に、サロメが月を見て言う言葉。

「小さな銀貨そっくり。どう見ても、小さな銀の花。冷たくて純潔なのだね、月は... そうだよ、月は生娘なのだよ。生娘の美しさが匂ってゐるもの... そうとも、月は生娘なのだよ。一度もけがされたことがない。男に身を任せたことがないのだよ、ほかの女神たちみたいに」(P.22)

この時点でのサロメは、その月のような乙女なんですよね、多分。変化の予兆はあるのだけど。でもサロメがヨカナーンに出会い、その白い肌や赤い唇を求めるようになり、やがてエロド王の求め通りに踊ることを了承すると... 月は血のように赤くなるのです。それはまたヨカナーンに「ソドムの娘」と言われてしまうサロメ自身の変化でもあるのでしょう。

聖書の記述によれば、らくだの皮衣を着て腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べているという野性的な洗礼者ヨハネなんですが、このヨカナーンの雰囲気はまたまるで違います。むしろとても女性的な美しさを持った人物のように描写されてますね。レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」の絵にどうも私は違和感があるんですが、どちらかといえばあのヨハネに近いです。野の百合のように、山に積もった雪のように、そしてアラビアの女王の庭に咲く薔薇のように白い肌。エドムの園の黒葡萄の房、レバノンの大きな杉林、月も星も見えない夜のよりも黒い髪。そして柘榴の実や、ツロの庭に咲く薔薇の花、珊瑚の枝よりも赤い唇。白い肌に黒い髪、赤い唇とくれば白雪姫なんですが(笑)、聖者のその白い肌に、黒い髪に、赤い唇に、サロメは魅了されるのです。

旧仮名遣いの訳もすごく美しいし、岩波文庫版にはビアズレーの挿絵18点も収められていて、既に挿絵というよりも「サロメ」に触発された独特の絵画世界を見せてくれて、そちらも素晴らしいです。ワイルドはビアズレーが嫌いだったって聞いたことがあるんですけど、読者にとっては既に切っても切れない関係かも。(笑)(岩波文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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雨の夜、細長い山間の奥にある農家にやって来たのは旅の男。一夜の宿を求めて来た男は、部屋に死体があるのを見て驚きます。自分がいきなり死んでも、妹以外は誰も決して体に触ってはいけない、触ると呪いがかかる、と言っていた亭主の言葉を守って、おかみさんが1人で守っていたのです... という「谷の影」他、全6編。

「新編 燈火節」(感想)を読んだ時から読みたいと思っていた「シング戯曲集」。片山廣子さんは松村みね子名義でいくつか翻訳を手がけていて、これもその1つ。以前読んだ「かなしき女王 ケルト幻想作品集」(感想)や、先日読んだ「ロード・ダンセイニ戯曲集」(感想)も、松村みね子訳です。
同じシングによる「アラン島」も先日読了済なんですが... この戯曲を読むと、アラン島での体験やそこで聞いた物語が本当に劇作に生かされてるんだなあというのがよく分かりますね。最後の「悲しみのデアドラ」だけは、ケルト神話に残る逸話がモチーフとなってるんですけど、それ以外の5編はどれもアイルランドの貧しい人々を主人公にしたもの。実際に舞台設定が島になってるのは1編だけですが、「悲しみのデアドラ」以外はどれもアラン島におきかえても構わないような作品ばかり。実際、上にあらすじを書いた「谷の影」は、シングがアラン島で聞いた話の中に入ってましたしね。シングにとって、アラン島の存在って本当に大きかったんですね。ドイツやフランスに遊学し、アラン島に長期に渡って滞在していたシングという人は、きっと経済的にとても恵まれた家の出身だったんだろうと思うんですが、貧しい人々の暮らしを身近に知ったのも、アラン島に行ったからこそだったのかもしれません。
そしてシングの作風は、異教の香りの感じられる「ダンセイニ戯曲集」とはまるで違いました。だから訳文の雰囲気が全く違うんです。ダンセイニの訳では格調の高さが感じられたんですが、こちらはとても庶民的。貧しくも逞しく生きる民衆の姿が目の前に迫ってきます。そして意外なほどユーモアたっぷり。私としてはダンセイニの方が好みなんですが、「新編 燈火節」を読んだ限りでは、松村みね子さんの中ではシングの存在の方が大きかったのかな? 松村みね子さんといえば良家のお嬢様として育ったはずなので、それが少し意外ですが... でもこちらも楽しかったです。(沖積舎)


+既読のシング作品の感想+
「アラン島」シング
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング

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イアソンが自分の破滅の原因となると知った王ぺリアスは、イアソンが大海や外国で命を落として戻って来ないことを願い、危険に満ちた航海の冒険を彼に課すことに。それは黒海の東の果てにあるコルキスへ金の羊毛を求めに行くというもの。イアソンはギリシャじゅうの英雄を集めてアルゴ船に乗り込むことに。集まったのはオルペウス、双子のカストルとポリュデウケス、ヘラクレスら50人ほどでした。

文庫なのにアマゾンの中古に8000円なんて高値がついててびっくりしたこの本、市内の図書館に蔵書がないので、他のところから借りてもらっちゃいました。でも文庫なのに8000円ってどういうことよ? 1997年発行でそれほど古い本でもないのに。さっき見たら7500円ぐらいまで下がってたけど、まだまだ買える値段じゃありません。講談社の方、こういう本はぜひ復刊してくださーい。「メタモルフォーシス ギリシア変身物語集」の方は、今でも新品が手に入るのに! しかもきちんとした「アルゴナウティカ」の邦訳ってこの本だけなのに!
と思いつつ。
読みましたよー。ギリシャ神話関連の本で話は何度も読んでるんですが、きちんとした訳はこれが初めてです。ちゃんと叙事詩の形式で訳されているのがすごく嬉しいー。話そのものはそれほど好きではないんですが、古代ローマ時代の詩人、ウェルギリウスやオウィディウスにも大きな影響を与えてる作品ですしね。もう少し後のガイウス・ウァレリウス・フラックスもこの作品に触発されて、新たな「アルゴナウティカ」という作品を書いてます。

エウリピデスのギリシャ悲劇「メデイア」(感想)では既に鬼女のようになってしまっているメデイアですが、イアソンと出会った頃はまだまだ初々しい乙女。後々の激しさの片鱗は見え隠れしていますが、まだまだ純真です。愛するイアソンと父との間で板ばさみになって苦しんでます。...この物語でイアソンの恋の相手となるのはこのメデイアと、その前にレムノス島で出会うヒュプシピュレの2人なんですが、2人の造形がすごく対照的なんですよね。つつましく優しく、男に無理なことを求めない(都合のいい女とも言える)ヒュプシピュレと、激しい恋に燃えるメデイアと。イアソンが結局そのどちらとも添い遂げずに終わったというのが面白いなー。そして対照的といえば、この冒険に参加するヘラクレスも主人公のイアソンと対照的。いかにも英雄といった風情のヘラクレスと、気弱というほどではないんだけど、何かあるたびに思い悩んだり嘆いたりするイアソン。まあ、ヘラクレスは頭の中も筋肉でできてるような人だし、そんな人と比べれば誰でも人間的に見える気もするんですけど。
そのヘラクレスなんですが、結構早いうちにミュシアという土地に誤って置き去りにされてしまうんです。そしてその後合流することもなく「こんな時にヘラクレスがいたらなあ」ってすっかり回想の中の人になってしまうことに。で、びっくりしたのは、その間にヘラに課せられた12の冒険をしていること。しかもその冒険の中で行ったことが、後にイアソンたちの助けになってるんです。こういうの、すごく面白い! しかも解説によると、この物語はもともとは古い民話で、主人公に協力するのは動物だったんだそうです。なんだか桃太郎みたいだわー。なんて、我ながら枝葉の部分ばかり楽しんでるような気がしないでもないですが~。(講談社学芸文庫)

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ロシア民衆の間に口承で伝わってきた英雄叙事詩・ブィリーナ。18世紀以前は放浪楽師(スコモローフ)のような職業的芸能者によってロシア各地で語られ、18~19世紀半ばにその最良の部分が採録されるようになったのだそう。数々のスコモローフたちに語られた数々の物語から、太古の騎士たち、キーエフの勇士たち、ノヴゴロドの英雄たち、勇士群像という4つの章に分けて、21編を紹介していく本。

ブィリーナとは「実際にあったこと」という意味で、19世紀の30年代にサーハロフという学者が命名したものなんだそうです。普通の昔話とは違って史実に基づくもの、特に先日読んだ「イーゴリ遠征物語」(感想)に由来すると言われていたことからの命名。まあ、実際に史実に基づいていたというより「そう考えられていた」というのがポイントなんですけどね。でも、ここに登場する「太陽の君」と呼ばれるウラジーミル公は、プーシキンの「ルスランとリュドミーラ」にも出てくるんですが、このウラジーミル公が誰だったのか、まだ特定されてないんですって。びっくり。歴史上に名を残したキエフ大公国のウラジーミル公は2人いて、1人は「聖公」と呼ばれるウラジーミル1世、もう1人は「ウラジーミルモノマフ」と呼ばれたウラジーミル2世なんだそうです。

「太古の勇士たち」の章に収められているのは、神話的な物語。スヴャトゴールはヘラクレスのような力持ちで世界を持ち上げようとするし、マルファ姫が踏んだ毒蛇が姫の足に巻きついて尾で太ももを打って宿ったというヴォルフは、まるでヘルメスのように成長が早いです。生まれて1時間半もすると話し始めて、おしめの代わりに鎧と兜を要求するんですから。勇ましいヴォリガーと百姓のミクーラの勝負も、今はパッと思い浮かばないけど、いかにも何か似たエピソードがありそう。
「キーエフの勇士たち」の章で中心となるのは、「太陽の君」ウラジーミルと、彼をめぐる勇士たち。その中でもイリヤーとドブルィニャとアリョーシャの3人が代表格。生まれながらに手足が萎えていたイリヤーは3人の老人の力で健康体になり、ロシア一の勇士となるんです。他の勇士たちの物語は大抵1つ、多くても2つなのに、イリヤーにまつわる物語は5つ。それだけ知名度が高くて人気もあったんですね。
そして「ノヴゴロドの英雄たち」で登場するのは、知らないうちに水の王にグースリ弾いていて、お礼に大金持ちにしてもらった商人サドコと、無法者のワシーリイ。「勇士群像」で登場するのは、ウラジーミル公とアプラクシア妃の結婚に一役買ったドゥナイ、富裕な伊達男のチュリーラ、天竺からウラジーミル公の宮廷にやって来た公子デューク、見事賭けに応じるスターヴェルの妻、たった1人でタタール人の軍勢を退けながら法螺吹きと思われたスフマン、ウラジーミル公の姪。ザバーヴシカ姫と結婚したソロヴェイ。

私が一番気に入ったのは、昔話風の「イリヤーの三つの旅」。旅をしていたイリヤーが、道が三つに分かれる辻に不思議な道標を見つける物語です。石の上には「第一の道を行けば、死を得るべし。第二の道を行けば、妻を得るべし。第三の道を行けば、富を得るべし」なんて書かれていて、それだけならよくあるパターンとなりそうなところなんですけど... でもその後の展開は独特なんです。面白いなあ。あと「イリヤーとカーリン帝」では、タタールの軍勢によって窮地に陥ったウラジーミル公を助けるためにイリヤーは12人の勇士たちに助成を頼むんですけど、その時に、助ける助けないと3度のやりとりをするんですね。これが昔ながらの定型って感じでいい感じなんです。やっぱり定型って美しいなって思いますね。(平凡社)

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寒空の下、道をゆくのは1人の吟遊詩人。かつてこの地方には多くの詩人たちがいましたが、彼はその最後の1人。今やすっかり年老いて、放浪の竪琴弾きとしての貧しい暮らしに苦しんでいました。時代は移り代わり、古い慣習は消え、最早大広間の上席について、華やかに着飾った領主やその奥方に即興の調べを聞かせることもなくなっていたのです。飢えて疲れきっていた彼は、ヤロウ河畔のニューアーク城のアーチをくぐります。しかしこの城の公爵夫人に思いがけない暖かいもてなしを受けると、彼の中の吟遊詩人としての誇りが甦ります。そして名君と言われたフランシス伯爵のこと、これほどの勇者はないと言われたウォルター伯爵のこと、バックルー一族の古の戦士たちにまつわる古い武勲物語を歌うことに。

ウォルター・スコットの「最後の吟遊詩人の歌」の原文と日本語訳、そして佐藤猛郎氏による作品研究が収められている本。
「最後の吟遊詩人の歌」は、序詩と吟遊詩人が歌う6曲の古い歌からなる作品。英国における吟遊詩人の活躍は、英語が一応成立した13世紀頃から、エリザベス一世に弾圧されるようになった16世紀末ぐらいまでなんだそうで、この作品の吟遊詩人が生きてるのは、まさにその末期の時代。そしてその吟遊詩人が歌う物語は、時代がもっと遡ります。もてなしてくれた公爵夫人の祖先の物語。他の一族の戦い、ロミオとジュリエット的な恋愛、そして魔術。登場するのは実在の人物ばかりで、ここで歌われる出来事にも史実が多いのだそう。ウォルター・スコット自身の祖先で、実際に歌人だった「Walter Scot of Satchells」が書き残した「スコット一門正史」が元になってるんだそうです。
私が一番好きなのは中世に作られた叙事詩なんですけど、でもウォルター・スコットが19世紀に作ったこの作品も、ものすごく素敵でした。吟遊詩人がいた当時の情景が目の前によみがえってくるみたい。今は年老いた吟遊詩人が語るという枠物語の形式を取っているので、尚更そういった印象になったのかもしれません。読みながらもう、静かに熱くなりました!(なんて書くと意味不明ですが...) ああ、こういう作品、もっともっと読みたいなあ。

「作品研究」では、老吟遊詩人に焦点を当ててウォルター・スコットが表現しようとしたものを探っていて、その辺りがとても参考になりました。年老いて疲れ果てた吟遊詩人の姿が、今はもうすっかり衰えてしまったスコットランドを表してるようだ、とかね。それに「Bard(歌人)」と「Minstrel(吟遊詩人)」の違いやその社会的身分について触れられているのも、すごく興味深かったです。「Bard」は、ケルト系の氏族の領主に直属する存在。世襲制で、領主一族の系図や武勲を暗誦する人。饗宴の席で竪琴に合わせて歌うだけでなく、領主の子弟の教育を受け持ち、戦いにおいては使節の役目も果たすとか。身分としては、領主、乳兄弟に次ぐ高いもので、その次に鼓笛手、布告役、一般家臣と続きます。それに対して「Minstrel」は、「中世期において、詩と音楽で生計を立て、竪琴に合わせて、自作の、あるいは他人が書いた詩を歌ってきかせることを職業とする人々」のこと。
北欧系の「Scald(歌人)」のようにゲルマン系諸民族の間でも「Glee」「Jongler」「Minstrel」と呼ばれる歌人と芸人の中間のような人々が存在して、ドイツでは「Minnesinger」、南フランスでは「Troubadour」といった宮廷歌人になっていったんだそうです。でも一時は王侯に仕える身分にまでなった「Minsutrel」も時の移り変わりと共にすっかり落ちぶれることに...。「言い伝える」じゃなくて「書き残す」時代になってしまうんですね。(評論社)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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3年前に敵であるダルニアック王に敗れ、今は奴隷の身となっているアルギメネス王。奴隷たちと一緒に土を掘っている時に古い刀を見つけます... という「アルギメネス王」他、全9編の戯曲集。

劇作家としても有名だったというロード・ダンセイニの戯曲全9編。というか、日本に作品が入って来た最初のころは戯曲家として知られていたようです。私にとってはファンタジー作家なのだけど。いや、「ファンタジー」という言葉が軽すぎるように思えるほど、別格の存在なのだけど。

かつて王であったことを思い出すと怖くて仕方がないと言うアルギメネス王と、そういう思い出があることが幸せだと言う奴隷のザアブ。自分が反乱を起こしたら従うかと訪ねるアルギメネス王に向かって、たとえ本物の王ではあっても奴隷の外見をしている者にではなく、王らしい外見に従うと言うザアブ。短い戯曲の中にも人間の本質に触れるような様々なやり取りがあって、はっとさせられます。
ここに収められた9編の舞台はアラビアだったりエジプトだったりバビロニアだったりと、アイルランド出身のロード・ダンセイニにとってはエキゾティックな異国だったに違いない場所。そんな異国の美しさが際立ってます。特に印象に残ったのは、「何千の悪魔の親の、ひからびた欲深じじい奴!」なんて言われながらも、その美しさが目の前に広がるように感じられる沙漠。王の沙漠への渇望が我がことのように感じられるほど。そしてダンセイニは、カトリックが有力なアイルランドの人とは思えないほど異教的な神々を描く人なんですが、その異教の神々の姿もとても印象的。小説よりも、無駄をそぎ落とした戯曲という形式だからこそ、一層際立っているのかもしれないですねえ。「光の門」という作品では、天国の門が登場するんですけど、結局見えた「無」や聞こえてくる笑い声が何とも言えない...。それに他の作品でも、人間の小賢しい知恵にちょっぴり付き合って、いいように人間をもてあそび、それを何とも思わないような残酷な神々の姿が印象に残ります。何とも思わない、というのは、多少酷いことをしても心が痛まないとかそういうのじゃなくて、文字通りの意味で「何とも思わない」です。
それぞれの作品がちょっとびっくりするほど面白かったし、これらの劇が実際に演じられているところを観てみたくなりました。どこかギリシャ悲劇に通じるような気もします。ええとその場合はエウリピデスじゃなくて... アイスキュロスというよりもソフォクレスかな?(すみません、てきとーなこと書いてます) そしてこの戯曲は松村みね子さん訳で、それは先日読んだ「新編 燈火節」(感想)の片山廣子さんなんです。最初の時のままの旧字・旧かな遣いの訳が読みたかったなと思ってしまうのだけど、現代の仮名遣いに直しても、やっぱりいいですね。同じく松村みね子さん訳の「シング戯曲全集」もぜひ読みたいです。(沖積舎)


+既読のロード・ダンセイニ作品の感想+
「ぺガーナの神々」ロード・ダンセイニ
「魔法使いの弟子」ロード・ダンセイニ
「魔法の国の旅人」ロード・ダンセイニ
「世界の涯の物語」「夢見る人の物語」ロード・ダンセイニ
「妖精族のむすめ」ロード・ダンセイニ
「エルフランドの王女」ロード・ダンセイニ
「影の谷物語」ロード・ダンセイニ
「時と神々の物語」「最後の夢の物語」ロード・ダンセイニ
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「牧神の祝福」ロード・ダンセイニ

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