Catégories:“戯曲・詩”

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人間に火をもたらしたことによってジュピターの怒りを買ったプロメテウスは、インド・コーカサスの氷の岩の峡谷に縛り付けられたまま、昼間はハゲワシに肝臓を啄ばまれ、夜になるとその肝臓が自然に再生されるという状態で3000年を過ごすことに。

アイスキュロスのギリシャ悲劇「縛られたプロメテウス」を読み、影響を受け、プロメテウス礼賛者となったという詩人・シェリーの書いた詩劇。上演されることではなく、読まれることを目的に書かれている脚本形式の作品をクローゼットドラマ(レーゼドラマ・書斎劇)と言うのだそうで、これもその1つです。
アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」は私も読みましたが(感想)、これは3部作の1作目だし、しかし続く2作が既に失われてしまってるので、プロメテウスとゼウスがどんな風に和解することになったのかは不明なんですよね。ゼウスに謝るよう説得するために神々が次々にプロメテウスのもとを訪れるものの、ゼウスは予言知りたさで自分を許すはずだとプロメテウスが強気に考えているところまでで終わっています。
そしてシェリー自身の「序」を読むと、シェリーがこの失われた悲劇を修復しようと思ってこの作品に取り掛かったのではないことが良く分かります。プロメテウスとジュピターの和解という結末を好まなかったシェリー自身が作り上げたのは、またまるで違う物語。こちらのプロメテウスは、ゼウス相手に取引なんてしません。1章が始まった時、日々の苦しみに苛まれつつも、既にジュピターを恨んでいないどころか、かつて自分が口にした呪いの言葉も後悔しています。逆に、近い将来おとずれる自分の破滅を知らないジュピターを哀れんでいるほど。
シェリーは権力や支配、暴力を否定し、暴虐的な支配はいつか自らの暴虐によって自滅するという信念を持っていたようです。憎悪や敵意から解き放たれた時、人は初めて真の平和を得ることができる... ゼウスは使者を通してはキリストの磔刑やフランス革命の場面をプロメテウスに見せ付け、その過ちに気づかせようとするんですが、まるで効果なし。プロメテウスはゼウスの暴力的な支配に屈しないどころか、ゼウスを愛することによって、解き放たれることになるんです。とてもキリスト教的な物語ですねー。まるでプロメテウス自身がキリストみたいな描かれ方です。自らの暴虐に自滅するゼウスの姿は、万能の神ではなくて、まるで人間の世界の支配者。

まあ、面白いかといえば、正直あまり面白いとは思えなかったんですが... 私にとっては、アイスキュロスの悲劇の方がずっと力強くて面白かったし。でもギリシャ・ローマ神話関連ですしね。これはいつか読まなくちゃと思ってたので、今回読めて満足。それにロマン派詩人としてのシェリーの表現の夢のような美しさなど、部分的にはとても惹かれるもののある作品でありました。(岩波文庫)

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フィンランドの国民的叙事詩・カレワラ。これは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」と並ぶ世界三大叙事詩の1つでもあります。でも紀元前8世紀半ば頃にホメロスが作ったとされる「イーリアス」や、紀元3世紀頃にヴァールミーキが書いた(編纂した?)「ラーマーヤナ」とは違って、今読める「カレワラ」は、19世紀にリョンロットという人が様々な伝承歌謡を採取して、1つの物語となるように並べたもの。だからストーリー的には、「イーリアス」や「ラーマーヤナ」にやや劣るという欠点もあるんですね。私は好きなんですけど、なんでこれが世界三大叙事詩とされてるのかは、ちょっと疑問...。同じヨーロッパ圏から選ぶなら、例えば「古エッダ」「ニーベルンゲンの歌」辺りの方が妥当な気もするんだけど。
フィンランド人にとって「カレワラ」とは、カンテレという楽器の伴奏に合わせて吟唱するものなので、散文では書かれることはなかったそうなんですが、20世紀になって元ヘルシンキ大学教授のマルッティ・ハーヴィオ博士が「カレワラ物語」としてのカレワラを出版することになります。その訳がこの本。「タリナ」とは物語という意味なんだそうです。私は以前にきちんと叙事詩として訳されてる岩波文庫版の「カレワラ」を読んでるので、本当は散文訳は読まなくても良かったんですけど、でも北欧文化通信社の活動を応援する意味でも読んでみることに~。
ということで、カレワラを読むのはこれが3度目。(絵本を入れれば4度目・笑)
岩波文庫版に比べると、どうしてもかなり簡易版になっちゃってるし、私が大好きな「事物の起源」を唱えることによって魔法をかけるという部分もすごくあっさりしちゃってて残念なんですけど、それだけに頭の整理や復習にはぴったり。まとまりが良くて、とても読みやすかったです。これはカレワラ入門に最適かも。そしてカレワラ入門といえば、岩波少年文庫でも最近「カレワラ物語」というのが出てるんですよね。もしや「カレワラ」人気の兆候が?! そちらは岩波文庫と同じ小泉保さんの訳。これを読むまでは、「カレワラ物語」の方はいいやって思ってたんですけど、そちらもやっぱり読んでみたくなってきちゃいました。どう違うんだろう。同じような感じなのかしら。
あと、カレワラを題材にシベリウスが多数作曲していて、そちらもなかなか素敵です。(北欧文化通信社)

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ノルウェーに帰港間近に嵐によって流された貿易船。船長・ダーラントはたどり着いた岸辺に錨を下ろさせ、乗組員たちは休息を取ることに。そこに現れたのは赤い帆と黒いマストの船。その船は見る間に岸に近づくと、ダーラントの船とは反対側に接岸。全身をスペイン貴族のように真っ黒い衣裳に包んだオランダ人の船長が岸に下りたち、幽霊船の水夫たちが陰鬱に歌い始めます。オランダ人の船長を見て自分も岸に降り立ったダーラントは、オランダ人の見せた宝物に魅せられて、娘のゼンタをオランダ人船長に与える約束をすることに... という「さまよえるオランダ人」。
先代のブラバント公爵が娘のエルザと息子のゴットフリートを遺して亡くなって間もなく、ゴットフリートが森で行方不明になるという出来事が起こります。これは公爵領を狙うテルラムント伯爵の妻、実は魔法使いでもあるオルトルートが、ゴットフリートを白鳥に変えてしまったため。テルラムント伯爵は弟殺しの罪でエルザを訴え、丁度ブラバントを訪れていたハインリヒ1世が訴えを聞いて神明裁判を宣言。エルザは夢に現れた白銀に輝く甲冑姿の騎士に、自分の苦境を救ってくれるよう祈ります... という「ローエングリン」。

先日読んだ「タンホイザー」と今回読んだ「さまよえるオランダ人」「ローエングリーン」の3作は、いわゆる「ロマン派歌劇三部作」とされているのだそうです。世の中に出たのは、「さまよえるオランダ人」→「タンホイザー」→「ローエングリン」の順番。「さまよえるオランダ人」でワーグナーらしさが確立されて、「ローエングリン」が一番完成度が高いそうなんですけど... 私としては「タンホイザー」が一番好きだなあ。

まず「さまよえるオランダ人」。私はてっきりオランダ人が七つの海を彷徨う羽目に陥った伝説そのものを描いてるのかと思ってたんですけど、そうじゃなかったんですね! 物語が始まった時、呪いがかけられてから既に相当の年月が経ってました。でも父親が勝手に娘の結婚を決めてしまって、恋人同士が引き裂かれる話かと思ったんですが、どうもそういう話でもないらしく...。
娘がすっかり神懸ってしまって(それともこれは悪魔憑き?)、これじゃあ意味不明だよ... 分からないといえば、オランダ人もワケ分かんないんですけどね。何も1人で全て決め付けなくてもー。そんなことじゃあこれからの結婚生活が上手くいくわけないっしょ? なんて言いたくなってしまうー。(いや、きっとそういう陰鬱なキャラクターということなんですね、きっと) でも天野喜孝氏の挿絵が凄いです。これですっかりオランダ人のイメージは定着。

そして「ローエングリン」は、聖杯伝説に絡んだ話。エルザと白銀の甲冑の騎士の話が中心で、エルザが騎士の名前も素性も聞かないという誓いを立てなくちゃいけなくなるところがポイントなんですけど、まあ見てはいけないと言われれば見たくなるし、聞いてはいけないと言われれば聞きたくなるのが、この世の常。それでも魔女がいなければ、そんなに性急に事は運ばなかったでしょうね。あっさり引っかかったエルザは、まるでパンドラみたいな美しいおばかさん。この話は、実は魔女の1人勝ちのような気がします。この魔女はゲルマン神話の神々を信仰してるのかな? 「恩恵に浴しながら、おまえたちが背いた神々の 恐ろしい復讐をいまこそ思い知るがいい」なんて台詞が出てきます。ゲルマン神話の神々を信仰してるとなると、そんな悪い人に思えなくなってしまう私もダメダメ。(笑)
ということで、こちらは東逸子さんの挿絵です。エルザ、可愛いなー。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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愛の女神・ヴェーヌスの美しい洞窟。ヴェーヌスは薔薇色の光が漏れる洞窟の豪華な臥所に身を横たえ、タンホイザーはそのかたわらに寝入っています。周囲では妖精たちや人々による歓楽の情景。しかしその歓楽の宴が終わって目覚めた時、タンホイザーはヴェーヌスのもとを去る決意を固めていたのです。それは夢の中で耳にした教会の鐘の音がきっかけ。タンホイザーは、ヴェーヌスの寵愛を受ける今でも自分が死すべき人間であることに変わりはないこと、森や草原、空、鳥、教会といった地上のもの、そして自由を求めていることを語ります。

ワーグナーによるオペラ「タンホイザー」。タンホイザーは13世紀のドイツに実在した詩人。ヴェーヌス(ローマ神話の愛の女神・ヴィーナスね)の洞窟で永年過ごし、ある時に悔い改めるつもりでローマ法王のもとに行くのですが赦しを得られず、再びヴェーヌスの洞窟に戻ったという伝説があるんだそうです。なぜヴェーヌスが洞窟にいたのかといえば、キリスト教がヨーロッパに広まるにつれて、神話の神々は厳しい弾劾を受けるようになり、それを避けるために地下に宮殿をかまえたから。そして、それとはまた別に、テューリンゲンのヴァルトブルクの城で行われた、詩人たちによる歌合戦の伝説もあるんだそうです。ノヴァーリスの「青い花」(感想)の主人公・ハインリヒ・フォン・オフテルディンゲンもこの歌合戦に参加してたんだとか。そしてワーグナーがこの2つの伝説を結びつけて、「青い花」のハインリヒをタンホイザーに置き換えて書いたのがこの作品。

話の雰囲気とか、エリザーベトの清らかな愛情、タンホイザーの迷いなんかはいいんですけど... これじゃあ、ヴェーヌスが可哀想。ヴェーヌスの愛情が本物だったという線も十分あり得ると思うのに、ここではあくまでもキリスト教に対する異端の魔女的に描かれてるんですよね。まるで魔法でタンホイザーを誑かしたみたい。でもそれは違うでしょ...? と言いたくなるのは、私が神話好きだからでしょうかー。いや、実際にはこうしか書けないんでしょうけど。最後の姿が哀しいです。
「ニーベルンゲンの指環」の4冊はアーサー・ラッカムの挿絵でしたが、こちらは東逸子さんの挿絵。新書館のこのシリーズはどれも美しいですね。他のワーグナー作品も今度読もうっと。そしてこの本を読んでる時にたまたまリストのCDをかけてたんですが、最後にタンホイザー序曲が! そうだった、忘れてたー。...というのもすごい話ですが(笑)、私としてはこのシンクロにびっくりです。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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「抒情詩」「童謡」「宗教詩」「譚詩」という見出しのもとに88編を収めた詩集。

先日読んだ「ヴィクトリア朝妖精物語」(感想)に収められていた「妖魔の市」がものすごく良かったので、こちらも読んでみることに~。でもあちらの本の刊行が1990年なら、こちらの本の初版が出たのは1940年。なんと50年もの差があるんです。こちらは当然のように旧仮名遣いだし、全然違っていてびっくり。でも「ヴィクトリア朝妖精物語」の矢川澄子さん訳ももちろんすごく良かったんですが、この旧仮名遣いもクリスチナ・ロセッティの雰囲気にはとてもよく合ってるような気がしますね。訳者による「序」には「譯文の硬軟新古一様ならざるは、その時その折の感懐に従ったまでである。深く咎めざらんことを」とありますし、実際、文語体の訳と口語体の訳が混ざってるんですが、でも口語と言っても当時の口語ですしね。とてもいい雰囲気なんです。こういうの、好き好き♪

クリスチナの姉のフランチェスカはダンテ研究家、長兄ダンテ・ガブリエルは前ラファエル派の画家であり詩人。次兄ウィリアム・マイケルも美術評論家。恵まれた芸術的環境にいたクリスチナは13歳から詩を作り始めたのだそうです。清楚で優しくて透明感があって、夢見るような雰囲気がとても素敵。でも同時に死を思わせるようなものがとても多くて驚きました。幼い頃から病弱だったというクリスチナは、それだけ日常的に死を感じていたのですね。(結果的には、60年以上生きることになるのですが)
あまり現代的な詩は分からない私なので、逆にこういう旧仮名遣いで書かれている方がすんなりと入ってきたりします... 抒情詩なのに(「なのに」というところが問題なんですが)すごく素敵! もちろん物語詩の「譚詩」が一番好みではありましたが~。

そして私は今まで知らなかったんですけど、「童謡」に収められているような詩は、実際に曲がつけられているものも多いみたいですね。西条八十の訳詩で「風」とか。「風」と聞いても歌詞を見ても全然ぴんとこないんだけど、聞いたらどんな曲か分かるのかな...。以下、西条八十の詩です。

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木 (こ) の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく

誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立 (こだち) が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

私が読んだこの本に載ってるのはまた違う訳なんですけどね... 実はかなり有名な歌ですか??(岩波文庫)

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アイルランド系の詩人・ウィリアム・アリンガムによる詩に、これまたアイルランド系の画家一族に生まれた「妖精国の宮廷絵師」と呼ばれるリチャード・ドイルの絵が添えられた絵本。原書は、イギリスの有名な木版印刷師・エドマンド・エヴァンスが手がけた数々の絵本のうちでも最高傑作とされる豪華本なのだそうです。それが文庫本になってしまうというのが驚きなんですが、このちくま文庫版は絵もカラーだし、小さいながらも美しい本となっています。

詩の方は「夜明け」「昼まえ」「昼のおふれ」「暮れ方近く」「日は暮れて」という5幕の芝居仕立て。妖精の姫君が妖精国の掟によって次の満月には結婚しなければならないというのに、お姫さまは3人の求婚者たちが全然気に入らなくて... という物語詩です。矢川澄子さん訳。でもね、詩そのものはとても可愛らしいんですけど、その合間合間に直接その場面と関係のないイラストと説明文が挟まれてるので、ちょっと分かりづらいんですよね...。原書でもこんな構成だったのかしら。日本語に訳す時にどうにかならなかったのかしら。
ちなみにイラストを描いているリチャード・ドイルの甥があのシャーロック・ホームズシリーズのコナン・ドイルなんですって。コナン・ドイルが画家一族に生まれてたなんて、知らなかったです。(ちくま文庫)

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ラトモス山麓の羊飼いたちの部族の若き王者・エンディミオンは、狩を好む美しい青年。しかし喜ばしいはずの祝祭の日、エンディミオンは突然気を失うのです。優しく介抱する妹のピオナの腕の中で息を吹き返したエンディミオンが語ったのは、夢の中で出会った月姫と恋に落ちたということ。そしてエンディミオンは、地下と海底、そして天上へと月姫を探す旅に出ることに。

月の女神・セレネがラトモス山中で眠っていた美しい少年・エンディミオンに恋をしたというギリシャ神話のエピソードを元にイギリスの詩人・ジョン・キーツが書いた長編の物語詩です。
さてこのエンディミオンとセレネのエピソードなんですが、アポロドーロスの「ギリシア神話」を繰って探してみたんですが、ごくごくあっさりとしか載ってませんでした。

カリュケーとアエトリオスから一子エンデュミオーンが生れた。彼はテッサリアーからアイオリス人を率いてエーリスを創建した。一説によれば彼はゼウスの子であるという。彼は人にすぐれて美貌であったが、月神が彼に恋した。しかしゼウスが彼にその欲するところを授け、彼は不老不死となって永久に眠ることを選んだのである。

これだけ!
いつもながら、アポロドーロスの「ギリシア神話」はほんとあっさりしてます... 単なる事実(?)の羅列といった感じ。呉茂一「ギリシア神話」には、もう少し書かれてましたけどね。永遠に美しさを保って死の眠りを眠るのと、生きて年老いていくのと、どちらがいいかという選択で、永遠の美を選ぶことになったらしいです。その選択をしたのがエンディミオンなのか、セレネなのか、それともゼウスの意思だったのかというのは明らかではないようでしたが。...ということは、やっぱりエンディミオンはゼウスの子ではないんじゃないかしら。もしゼウスの子だったら、きっともう少し恋人たちに優しい措置になったのではないかと思うし。
でもいずれにせよ、ギリシャ神話の中ではとても短いエピソードなんですよね。これがこんなに長くて美しい物語になってしまうとは...。でもギリシャ神話がイメージの源泉となるのは、ものすごく分かる気がします。「エンディミオン」には、エンディミオンの妹など、ギリシャ神話には出てこない人物も登場するんですが、基本的に神話の中の人物やエピソードがいっぱいで、ものすごく私好みな雰囲気です。

そしてこの本、訳が古い文体だったのでした。訳者あとがきをみたら、日付が昭和18年になっていてびっくり。冒頭はこんな感じです。

美しきものはとこしへによろこびなり、
そのうるはしさはいや增し、そはつねに
失せ果つることあらじ。そは常に吾らのために
靜けき憩ひの木陰を保ち、又うましき夢と
健康と靜かなる息吹とに滿つる眠りを保たむ。

さすがに意味がさっと頭の中に入ってこなくて、同じところを何度も読み返してしまいましたが...! こういう訳で読めて良かったです。何といっても美しい...。キーツの詩の雰囲気にぴったりだし、目の前に美しい情景が広がります。こういうのは新訳では読みたくないです。読むのには苦労するけど、こういう訳の方が好き!
あ、でもこの本も青柳いづみこさんの「水の音楽」から読みたくなった本なんですが... 肝心の「水の女」についてどういう風に書かれていたのか、すっかり忘れちゃってます、私。(汗) この作品にも確かに「水の女」は出てくるんですけどね。河の神・アルフェイオスと泉のニンフ・アレトゥーサのエピソードとか。そういうニンフの話だったかしら。それともセレネに恋されたエンディミオンだけど、実は水のニンフとの間に子供がいたった話だったかしら? ついこの間読んだばかりなのに、ダメダメだわー、私ってば。でも水の女よりも海底に差し込む月の光の方が印象的だったなあ。(岩波文庫)

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