Catégories:“戯曲・詩”

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森で狩をしていたアルモンドの王子・ゴローは、獲物を深追いして森で迷ってしまいます。獲物を見失い、猟犬ともはぐれたゴローが出会ったのは、泉のほとりで泣いていた美しい少女。メリザンドだと名乗る少女の服装は王女のようで、かぶっていたという金の冠は泉の中に落ちていました。メリザンドに惹かれたゴローは彼女を連れて城に戻り、結婚するのですが...。

青柳いづみこさんの「水の音楽」を読んだ時に気になっていた本です。(記事) 本当は普通の本が読みたかったのに対訳しか見つからず... しかも対訳といえば英語かと思いこんでたんですが、なんとフランス語でびっくり。いえ、メーテルランクはベルギー人なので、当然といえば当然なんですが。...この「メーテルランク」、知らないなあって思う方も多いと思いますが、実は「青い鳥」のメーテルリンクなんです。こういう本でフランス語の勉強ができたらいいですよねえ。今回は所々原文を見る程度で、結局日本語の文章を追ってしまったので勿体なかったんですが。
右の画像は、ドビュッシー、シベリウス、シェーンベルク、フォーレの4人のそれぞれの「ペレアスとメリザンド」が入っているというCD。聴いてみたいなあと思って。音楽だけでなく、絵画の題材にもなってるのかもしれないですね。この本にもすごく素敵な挿絵が挿入されていました。カルロス・シュワップ画で、元々はパリで発行された限定版のための挿絵なのだそう。文庫だと小さくなってしまうし、色彩も分からなくなってしまうのが残念。でもこれもとても素敵で、元の美しさが想像できます。

青柳いづみこさんの本にも書かれていたのですが、この作品には確かにメリザンドが「水の女」だという記述はないんですね。それでもメリザンドが最初に登場するのは森の泉のほとりだし、城の外苑の泉の場面や海辺の洞窟の場面、城の地下にある水の溜まった穴などなど水の場面が、それぞれとても印象的なんです。それにとても意味深長。ゴローとの出会いの場面の会話からして、謎めいています。メリザンドはどうやらいじめられて、どこかから逃げ出してきたらしんですが、詳しくは語ろうとしません。生まれたのはこの国ではなく、ずっと遠いところ。王女のような服装をして、泣いているうちに「あの方に頂いた」金の冠を水に落としてしまった、しかしその冠はもう欲しくない。そしてその後の「どうしてそんなに、じっと、ごらんになるの」「目を見ているのです。ーー少しも目を閉じないのですか」という会話もなんだかイミシン。やっぱり人間じゃないみたい。水の精みたいですよね。まるで水の王と結婚していたような感じ。そしてこのメリザンドの性格ときたら。何かといえばすぐ泣くし! 気分のムラは激しいし! すぐ「どこかへ行ってしまいとうございます」なんて言うし! それにしては主体性のない流されやすい人なんですよね。これはやっぱり水そのものー。

この本の途中、鉛筆で「ちょい苦しい訳!」なんて書き込みされてました。(図書館の本に書き込みなんてしちゃいけません!) でも確かにそこも「ちょい苦しい」けど、私にはもっと気になるところが! 序盤でゴローの母親が自分の息子のことを話題に出してるんですけど、「あれはいつも本当に慎重で、くそ真面目で、意志も強い男でしたのに...」なんて言ってるんですよ。「くそ真面目」って! 仮にも一国のプリンセスの言葉とは思えません!!(岩波文庫)

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ある日ディジョンの火縄銃(アルクビューズ)公園のベンチに座っていた「私(ベルトラン)」は、貧困と苦悩を全身に纏ったような哀れな男に出会います。同じベンチに座って読書をしていたその男の本からひとひらの押し花が地面に落ち、「私」がそれを拾い上げて男に返したことがきっかけで、話し始めた2人。芸術を探し求め、そして見つけたという彼は、「私」にそのことを語り聞かせ、持っていた本を読むように渡して去っていきます。それは「夜のガスパール。レンブラント、カロー風の幻想曲」という本でした。

夭折した詩人・ベルトランの散文詩集。没後忘れられていたこの作品集はボードレールによって見出され、マラルメをはじめ多くの詩人に影響を与えることになったのだそう。ラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」も、ここからなんですよね。ラベルのこの「夜のガスパール」は「オンディーヌ」「絞首台(ジベ)」「スカルボ」の3曲。それぞれ同名の詩があるんです。このラヴェルの曲、弾くのがものすごーーく難しそう... 美しいけどちょっと薄気味悪いところもある曲です。

この本は、「神と愛とが芸術の第一の条件、芸術の中にある《感情》であるならば、--悪魔こそその第二の条件、芸術の中にある《思想》ではないでしょうか」と言う男が持っていた本「夜のガスパール」を、ベルトランが出版したという体裁。ガスパールとは、この本の中では悪魔の名とされていますが、元々はベツレヘムへ向かった東方の三博士の1人の名前から。(ちなみに3人の博士の名前はメルヒオール、ガスパール、バルタザール)
「フランドル派」「古きパリ」「夜とその魅惑」「年代記」「スペインとイタリア」「雑詠」という「夜のガスパールの幻想曲第一の書」から「第六の書」までと、「作者の草稿より抜粋したる断章」があって、1つの章につき収められている詩は10編前後。散文詩という物自体、私にはよく分からないままだったし、一読しただけではその魅力が十分分かったとも言えないんですけど、でも1つ1つじっくり読んでると、なかなかいいんです、これが。特に「夜とその魅惑」には、稲垣足穂の「一千一秒物語」を思い起こさせる雰囲気がありましたしね。ちょっと薄気味悪くて、でもちょっと楽しい感じ。

月が黒檀の櫛で髪を梳いていた。丘を、野原を、木々を、蛍の雨で銀色にしていた。(狂人)

しかし小人は、いななき逃げる私の魂にぶらさがり、白いたてがみから糸を紡ぐ、紡錘のように廻っていた。(小人)
そして私、--熱に錯乱し!--顔に皺寄せた月が、私に向かって舌をつき出している首吊り人のように見えた!(月の光)

これだけ抜き出してもワケ分かりませんが...。こういうの、結構好きだな。(岩波文庫)

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トランペット吹きのティム・トゥーニーが汽船ヴァージニアン号に乗り込んだのは、1927年1月のこと。一等の金持ち連中のために、二等船客のために、そして時々貧しい移民連中のためにと1日に3~4回ずつ演奏する日々が始まります。その船のジャズ・バンドの中にいたのが、ピアニストのダニー・ブードマン・T・D・レモン・ノヴェチェント。ノヴェチェントは、このヴァージニアン号で生まれた人間。ニューヨークに到着した時に、一等船客用のダンス室のグランドピアノの上に、段ボール箱に入れられて置き去りにされていたのです。1900年生まれのその赤ん坊はノヴェチェント(900)と呼ばれるようになり、やがて世界一のピアニストになることに...。

私は観てないんですが、映画「海の上のピアニスト」の原作ですね。中心となるのはトランペッターのモノローグ。彼が船の上で出会って親しくなったピアニストのノヴェチェントについて語っていきます。かっちりしたシナリオではないんだけど、モノローグの合間にト書きが書かれているので、本当に芝居の脚本を読んでいるような雰囲気。
船で生まれた赤ん坊はそのまま船に置き去りにされ、船の上で成長し、船で出会う人々の目を通して世界中を知ることになります。生まれてこの方一度も陸の土を踏んだことのないノヴェチェントは船を下りようなんて考えもしないんですけど、ある日突然言うんです。「ニューヨークで、あと三日したら、この船から降りるよ」
その時ノヴェチェントは32歳。でも、陸地から海が見たいと言ったノヴェチェントの足が3段目で止まってしまうんですね。この時のノヴェチェントの思いが終盤に明らかにされるのですが、これがすごく分かる...。この場面を読んだ時、ノヴェチェントの出すピアノの音がどんな音だったのか、なんだかとても分かるような気がしました。
本を読んだ限りのイメージでは、フルカラーの綺麗な映像の映画よりも、もっとシンプルな舞台で観たいなーという感じ。美しい映像で美しいピアノの音色を聴くのももちろんいいんですけど、もっとシンプルな方がノヴェチェントの生涯が際立ちそうな気がする... 実際にはどうだったのかしら?(白水uブックス)


+既読のアレッサンドロ・バリッコ作品の感想+
「海の上のピアニスト」アレッサンドロ・バリッコ
「絹」アレッサンドロ・バリッコ

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30代後半、ほぼ同年代に見える喪服を着た男女が5人。彼らは高校の同級生で映研の仲間。かつては気の置けない仲間として付き合っていた彼らも、実際に会うのはとても久しぶり。映画監督デビューを果たしたタカハシユウコの呼びかけで、エキストラとして出演するために集まったのです。その日は、奇しくもかつての同級生・オギワラの葬式があった日。それぞれの近況やかつての同級生の噂から、殺されたオギワラの捜査のために葬式には警察も来ていたという話になり、高校の学園祭の直前に消えたフィルムの話や食中毒事件の話も飛び出して、徐々に不穏な空気が漂いはじめます。

演劇集団キャラメルボックスのために書き下ろしたという初の戯曲作品。少人数の密室劇で心理サスペンス物がやりたいという劇団側の最初の希望通り、登場人物は5人だけで、場面もそのままの1幕物。
話が進むにつれてそれぞれの抱えている事情は徐々に明らかになっていくんですけど、相手が今どんな状況にあってどんなことを思ってるのか、最初は分からないんですよね。まずは腹の探りあい。なんでこの人はこんなに疑い深いんだろう... なんて人もいたりして。それも彼の今いる状況のせいなんですが、その疑い深い言葉に背中を押されるようにして他の4人も徐々に疑心暗鬼になっていきます。そして場がどんどん緊迫していく様子にどきどき。
とは言っても、最終的には肝心な部分が分からないまま終わってしまうのが恩田さんらしいですが...(笑)
劇団側からの「直してほしい・解決してほしい点のリスト」を全て解決したせいで恩田色が薄くなってしまったという意見もあったようなんですが、そうなのかな? それでも私にはすごく面白かった! 初の戯曲作品ということで色々戸惑った部分もあったようですが、そんな裏事情が分かる「『猫と針』日記」その他もすごく面白かったです。「違う。違うわ。台詞の重みが、存在感が、全然違うっ。」

最後に「猫と針」という題名について。

かつてボリス・ヴィアンという人がいて、『北京の秋』という本を書いた。人に「なぜ『北京の秋』というタイトルなのか」と聞かれ、「北京にも秋にも関係があい。だから『北京の秋』だ」と答えたそうである。『猫と針』は、猫は若干関係があると思うけれど、針が関係あるのかどうかはまだ分からない。

要するにあんまり関係ないということですね。(笑)
ボリス・ヴィアンの全集の中で次に読む予定なのが「北京の秋」。ああ、読まなくちゃな。もうちょっと涼しくなったら、ちゃんと「秋」になったら読もうっと。(だから「秋」には全然関係ないって言ってるのに!)(新潮社)


+既読の恩田陸作品の感想+
「夏の名残りの薔薇」恩田陸
「小説以外」恩田陸
「ユージニア」恩田陸
「蒲公英草紙」「光の帝国」恩田陸
「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記」恩田陸
「ネクロポリス」上下 恩田陸
「エンド・ゲーム」恩田陸
「チョコレートコスモス」恩田陸
「中庭の出来事」恩田陸
「朝日のようにさわやかに」恩田陸
「木洩れ日に泳ぐ魚」恩田陸
「いのちのパレード」恩田陸
「猫と針」恩田陸
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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先日「勇士ルスランとリュドミーラ姫」を読んだ時に、きちんとした叙事詩の形に訳されたものが読みたーいと書いていたら、信兵衛さんに、プーシキン全集の1巻に入ってますよと教えて頂いちゃいました! 早速図書館で借りてきましたよー。分厚い1冊の中に抒情詩と物語詩が収められていて、割合としては半々ぐらい。抒情詩が想像してたよりも沢山あってびっくりです。そして物語詩の方には「ルスラーンとリュドミーラ」「コーカサスの捕虜」「天使ガブリエルの歌」が収められていました。

「ルスラーンとリュドミーラ」は借りてすぐに真っ先に読んでたんですけど、読めるのが嬉しくて、返したくなくて、じっくり読み返してしまいました。やっぱりきちんとした詩の形式に訳されてるのはいいですねえ。省略されていた部分もこちらではちゃんと訳されてるし、ほんと読めて良かったです。でも訳そのものは、岩波少年文庫版の「勇士ルスラーンとリュドミーラ姫」の方が好きかも。たとえば岩波少年文庫版で「幸なき姫は、さびしさを胸にいだいて」となってるところは、全集の方では「哀れな公女は退屈して」だし、「そして、ふしぎなねむりが幸うすいリュドミーラをつつみました」というところは「すると不思議な眠りが不幸な女をその翼で包んだ」なんですよね。きっと全集の方が原文に忠実なんでしょうけど、岩波少年文庫版はいかにも物語といった雰囲気があって好き。ちなみに昔から一番好きな場面は、岩波少年文庫版では「フィンのおきなが、勇士のそばに、立ち止まり、死の水をふりかけると、みるみる傷はかがやきはじめ、しかばねはうつくしいふしぎな色につつまれました。」で、全集では「そして老人は騎士の上に立ち 死の水を注ぎかけるのだった。すると傷はまたたく間に輝き始め 屍は驚くべき花のような美しさになった」でした。花のように美しい屍って... 一体?(笑)
この物語のプロローグに、入り江のそばの樫の木に金の鎖で繋がれた物知りの猫が登場するんですが(岩波少年文庫版にもあります)、これはスーザン・プライスが「ゴースト・ドラム」(感想)に使っていたモチーフ。きっと元々はロシアの民話から来てるんだと思うんですけど、先日読んだ「ロシア民話集」(感想)にも「ロシアの神話」(感想)にもトルストイの民話集(感想)にも確かなかったんですよね。でも元になる話がきっとどこかにあるはず。読みたいなあ。

他の作品でびっくりしたのは、「天使ガブリエルの歌」。後に聖母となる16歳のマリアの美しさに、神様と天使ガブリエルと悪魔が同時に目をつけてしまうというトンでもない詩なんです。でもトンでもなさすぎて逆に笑っちゃう。神様をこんな風に描いてしまって大丈夫だったのかしら?と思ったら、解説に「その反宗教的な内容からしても当時は出版を許されるはずもなく」とありました。そりゃそうだー。「手から手へと筆写されて拡められて行ったがプーシキンは後難を恐れて自筆原稿を廃棄した」のだそうです。そして今でもこの本の訳者さんが知る限りでは何語にも翻訳されていないんだとか。邦訳も、この本が出た時点ではこの全集だけだったようだし。もしそれ以降全然出てなくても驚かないなー。(河出書房新社)


+既読のプーシキン作品の感想+
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」プーシキン
「プーシキン全集1 抒情詩・物語詩」プーシキン

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[bk1]
ロシアの詩人・プーシキンが、子供の頃に聞いたロシアの昔話を元に詩として書き上げた作品。ここに収められているのは「サルタン王のものがたり」「漁師と魚」「死んだ王女と七人の勇士」「勇士ルスランとリュドミーラ姫」の4編で、それぞれ散文の形に訳されています。
昨日の「ハンガリー民話集」を読んでいたら、無性に読みたくなっちゃいました。子供の頃、気がついたら本棚に入ってた本です。昭和33年発行の本なので、きっと父の本だったんでしょうね。古すぎて、アマゾンには本のデータもありませんでしたよー。すっかり古びてページの色も茶色味を帯びてるんですけど、ずっと大好きで大切にしてる本です。

「サルタン王のものがたり」は、2人の姉の悪だくみのために、樽に入れられて海に流されたお妃さまと王子の話。2人は何もない島に流れ着くんですけど、トビと争っていた白鳥を助けたことから、王子は白鳥に助けられてその島の領主・グビドン公となります。で、時々こっそりお父さんの顔を見に行くんです。このグビドン公が聞いてきた不思議な話を白鳥が実現してくれるところが好き。
「漁師と魚」は、願い事を叶えてくれる金の魚の話。でも昔話にありがちな「3回」ではないのが特徴ですね。
「死んだ王女と七人の勇士」は、ロシア版白雪姫。本家の白雪姫と違うのは、姫が入り込んだ家に住んでいたのは7人の小人ではなく勇士ということ、そして姫を助けるのが許婚の王子さまだということ。
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」は、結婚式の夜に攫われてしまったリュドミーラ姫を、ルスランと他の3人の騎士たちが探しに行く物語。とても好きなのは、「フィンのおきな」が死んだ勇士ルスランに死の水と命の水をそそぐ場面。「死の水をふりかけると、みるみる傷はかがやきはじめ、しかばねはうつくしいふしぎな色につつまれました。」というところ。いきなり命の水をかけるのではなくて、まず死の水をかけるというのが、子供心にすごく印象的だったんですよね。そして「サルタン王のものがたり」にも出てきた魔法使いの「チェルノモールじいさん」が、あちらと同一人物のはずなのに全然雰囲気が違うのが面白いです。きっとこっちの方が本来の姿なんだろうな。

他の地方の童話に似ていても、4つの物語はそれぞれにロシアらしさを持っていて、それが他の地方の民話には全然見ない部分で、そういうところがとても好き。「勇士ルスランとリュドミーラ姫」はオペラにもなってるんですけど、元々はプーシキンの叙事詩なんですよね。子供用の本ではなくてきちんとした叙事詩の形に訳されたものがあればぜひ読みたいところなんですが... やっぱりないのかなあ。時々思い出しては探してみてるんですけどね。(岩波少年文庫)


+既読のプーシキン作品の感想+
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」プーシキン
「プーシキン全集1 抒情詩・物語詩」プーシキン

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酒を飲み、月を愛で、鳥と遊び、放浪の旅を続けた李白。杜甫と並ぶ唐代の詩人であり、「詩聖」と呼ばれる杜甫に対して「詩仙」と呼ばれる李白の詩69編を、李白の生きざまや人となりを交えて分かりやすく解説した本。

以前、同じ角川ソフィア文庫のビギナーズで「論語」と「陶淵明」を読んで、李白の本も買っていたんですが、ずっと積んだままでようやく読みました。原文と読み下し文、訳、そして訳の解説が載ってるんですが、かなり初心者向けで読みやすいシリーズなんですよね。今回の李白に関しては、時々「コンパ」だの「デート」だの妙に砕けた訳があって、そんな時は「雰囲気が壊れるからやめてくれー」と思ってしまったんですが... いくら初心者向けでも、ここまで砕いてもらわなくても。(汗)
唐の玄宗皇帝の時代に生き、仙人になりたいという夢を持ちつつ、自らの詩文の才能で世の中に出たいと思い続けていた李白。その夢はなかなか叶うことがなくて、しかもようやく叶ったかと思えば、わずか1年で失脚。そういう意味では不遇の人生を送っていたようです。実際に作品を読んでいると、飄々として大らかながらも、その奥には哀愁を感じてしまうような詩が多かったです。そういうところに、李白の人生が出ているのかな。
「月下独酌」を始めとして好きな詩はいくつかあるんですが、今回特にいいなと思ったのはコレ。

静夜思  (静かなる夜の思い)

牀前看月光  (牀前 月光を看る)
疑是地上霜  (疑うらくは 是れ 地上の霜かと)
挙頭望山月  (頭を上げて 山月を望み)
低頭思故郷  (頭を低れて 故郷を思う)

秋の静かな夜に月を眺めながら望郷の念に駆られる詩です。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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