Catégories:“戯曲・詩”

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年老いたオーギュストとユージェニー夫婦の住む漁師小屋に一夜の宿を求めてを訪れたのは、1人の遍歴の騎士。ハンスという名のその騎士は話好きで、老夫婦に自分のことや婚約者のベルタのことを物語ります。しかし丁度夕食を食べようとしたところに帰ってきたのは、老夫婦が娘同然に育てている15歳のオンディーヌ。2人はあっという間に恋に落ち、結婚することを決めてしまうのです。

以前フーケーの「ウンディーネ」を読んだ時から、読みたいと思っていた「オンディーヌ」。昔読んだ翻訳に愛着があることも多いし、世の新訳ブームにはあまり興味がない私ですけど、この作品はずっと入手が難しかったので、そういう場合は素直に嬉しい♪
ということで、これは19世紀前半の作家・フーケーの「ウンディーネ」を下敷きに、フランス人のジロドゥが書き上げた戯曲。でもこの2作を読み比べてみると、あらすじこそそっくりなのに、細かい部分ではかなり違ってるんですね。まず、ウンディーネとオンディーヌの造形がまるで違います。ウンディーネは騎士・フルトブラントと結婚することによって魂を得て、水の精から貞淑な人間の妻へと変貌を遂げるんですが、オンディーヌは結婚しても依然として水の精のまま、魂がないまま。無邪気な発言を繰り返してはハンスを困らせています。あと目につくのは、「ウンディーネ」ではウンディーネの叔父のキューレボルンがすごく不気味な存在として描かれいて、人間となったウンディーネとは対照的なんですが、オンディーヌの叔父である水の精の王は、オンディーヌ自身にも責任があったことを指摘するような理性的な存在。筋書きだけを見るとそっくりなのに、描き出そうとしたことは正反対みたい。

さすが新訳、とても読みやすかったです。でも読みやすい訳もいいんだけど、私の好みよりもかなり口語寄り...。こういう作品はもっと格調高い訳で読みたかったなあ、というのが正直なところでした。(光文社古典新訳文庫)


+関連作品の感想+
「水妖記(ウンディーネ)」フーケー
「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ウンディーネ」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「ピーター・パン」アーサー・ラッカム
「オンディーヌ」ジロドゥ

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ヒンドゥー教の代表的な聖典と言われる「バガヴァット・ギーター」は、「マハーバーラタ」の中に収められている神の歌。「マハーバーラタ」の第6巻に収められていて、宗教上特に重視されている箇所なのだそう。先日読んだ「ナラ王物語」は、確か「マハーバーラタ」の3巻辺りだったはず... 全18巻の「マハーバーラタ」をちょっとずつ切り崩す計画は着々と進行中です。(笑)
...とは言ってもこの「バガヴァッド・ギーター」、私はつい最近まで知らなかったのです。知ったのは、前回のたら本41回「私家版・ポケットの名言」で、AZ::Blog はんなりとあずき色のoverQさんが挙げてらしたから。(記事) 挙げてらした文章がかっこ良かったから。(そういう理由か!)

万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。

ねね、かっこいいでしょう?
で、岩波文庫からその名もずばりの訳本が出てるんですけど、難しそうなので、上村勝彦さんの解説本を一緒に読むことにしたんですが... やっぱり難しかった。ちょっと気が緩むと文字を目が追ってるだけの状態になってしまうので、何度も繰り返して読んでしまいましたよ。

ええと、ものすごく簡単に言うと、「マハーバーラタ」とはバラタ王族の歴史を描いた叙事詩。そしてその中の「バガヴァッド・ギーター」は、内部分裂によって王族同士の戦争となってしまった時に、親族や師や友人を殺してまで勝っても虚しい... とやる気を失ってしまったアルジュナ王子に、クリシュナ神の生まれ変わりの人物が「それは違う」と諭す物語なんです。
面白いところがいくつか。たとえばヒンドゥー教では苦行を全然オススメしてないところとか。「バガヴァッド・ギーター」では、食事の面でも睡眠の面でも調和の取れた生活をして、心身共に健康を保つことがとても大切なんだそうです。どうも心身をいじめて極限状態にしてそれに耐えるというイメージがあったので、ちょっと意外でした。インドの行者といえば、大抵ガリガリに痩せているからでしょうか。(という絵が多いのかも) 滅多に人のしない苦行なんかをすると周囲にもてはやされるし、どうしてもそれを自慢に思う気持ちが出てきてしまいがちなので、逆効果なのだそう。釈尊自身、激しい苦行をした後でそれが無益だと気づいて、苦行を捨てたそうですしね。瞑想に入って悟りを開いたのはその後。それと、ヒンドゥー教ではあんまり早く修行を始めるのも推奨されていないということ。まずは勉学に励み、結婚して家長としての義務を果たし、孫ができる頃に森林に隠遁して、最後に聖地巡礼をして死ぬ、というのが理想なんだそうです。

そして上に引用した文は、第2章の文章。文字通りでいけば、「万物が眠っているとき聖者は目覚め、万物が目覚めているとき聖者は眠る」という意味だそうですが... 愚者は目や耳といった感覚器官によって対象を認識するし、その感覚に執着するけれど、聖者はそういった感覚を制御して、非常に静寂な瞑想状態の中で真理を知ろうとする、すなわち愚者と聖者の行動は正反対である、ということを暗示しているのだそうです。やっぱり難しーい。でも、面白かったです。(岩波文庫・ちくま学芸文庫)

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プリハドアシュヴァ仙が語り始めたのは、ナラ王とダマヤンティー姫の物語。ニシァダ国のナラ王子は眉目秀麗で逞しく、望ましい美質を全て具えている王子。ヴィダルバ国の珠玉のように麗しく光り輝くダマヤンティー姫のことを耳にするうちに、ダマヤンティー姫に恋をするようになり、金色のハンサ鳥の助けを得て、大インドラ神、アグニ神、ヴァルナ神、ヤマ神らを差し置いて、ダマヤンティー姫と結婚することに。しかしそれを快く思わなかったカリ魔王は、いまや王となったナラ王に取り憑き、賽子賭博によって王権も財産も全て失わせてしまうのです。ナラ王に残ったのは、何も言わずに付き従うダマヤンティー妃のみ。しかし未だカリ魔王に取り憑かれていたナラ王は、森の中でダマヤンティー妃を置き去りにして1人去って行ってしまい...。

古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の中の一節。ナラ王と同じよう王国喪失を嘆く王子たちに向かって、ブリハドアシュヴァ仙が語ったという物語です。でも基本的に英雄詩である「マハーバーラタ」とは少し趣きが違うところ、ダマヤンティー姫の婿選びの式の場面の描写、シヴァ神、ヴィシュヌ神が登場していないところなどから、「マハーバーラタ」成立以前、紀元前6世紀頃から存在して、後に叙事詩に組み込まれた作品と考えられているようです。...「マハーバーラタ」も通して読みたいんですが、長いので本を揃えるのも大変でなかなか。こうやってちょっとずつ切り崩していこうとは思ってるんですが。(笑)
表向きの主人公はナラ王かもしれませんが、実質はダマヤンティー姫なんでしょうね。カリ魔王のせいで正気を失っているナラ王に捨てられて、身の危険をすんでのところでかわしながら、夫への愛を貫き通して、最後には夫を取り戻す物語。生き生きとしているダマヤンティー姫に比べると、ナラ王は正直あんまり生彩がないようです。いくらハンサムだとか何だとか言っても、ちゃんと行動で示してくれないと伝わってこないですよぅ。そうでなくても、美人だと噂に聞くだけで、まだ顔も見たことのないダマヤンティー姫に恋しちゃうような人なんですから。しかも、求婚するにも鳥に助けてもらってるし! ...でも、相手が美人だとかハンサムだとかいうだけで恋をしてしまうのは、この辺りでは当たり前のことみたいですね。中身はどうでもいいのか、中身は!(岩波文庫)


+インド神話関連作品の感想+
「屍鬼二十五話 インド伝奇集」ソーマデーヴァ
「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ
「インド神話 マハーバーラタの神々」上村勝彦
「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ
「マハーバーラタ ナラ王物語 ダマヤンティー姫の数奇な生涯」
「バガヴァッド・ギーター」「バガヴァッド・ギーターの世界」上村勝彦

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アラブのとある豊かな首長の家に生まれたのは、待望の男の子・カイス。美しく賢く成長したカイスは、名門の子弟が集まる学舎に送り出され、そこでも優秀な成績を収めます。そんなある日出会ったのは、新しくこの仲間に加わった優しく美しい乙女・ライラでした。ライラとカイスはすぐにお互いのことを愛するようになります。なるべく目立たないように心がける2人。しかし2人のことは次第に噂となり、そんなある日、恋の重荷に耐え切れなくなったカイスの心は崩れ去ってしまうのです。それ以来、カイスは「マジュヌーン(狂気)」と呼ばれることに。

これも昨日の「ホスローとシーリーン」同様、先日読んだ「ペルシアの四つの物語」(感想)に収められていた話。
アラビアを舞台にした悲恋物語。カイスというのは8世紀に実在していた人物なんだそうで、この物語はアラブ各地はもちろんのこと、トルコ、イラン、アフガニスタンなどに伝説や民謡、物語詩などの形で広まったんだそうです。読んでいてあれっと思ったのは、同じニザーミーの作品でも、「ホスローとシーリーン」に比べて美辞麗句が少ないこと。もちろんライラのことは月のように美しいとか書いてるんですけど、勢いが全然違ーう。と思ったら、解説に書かれていました。アーリア系のイラン人が幻想的で繊細な情緒を好むのに対して、セム系のアラブ人は現実的で簡明直裁の理を尊ぶからなのだそう。

それにしても、失恋して気が狂うんならともかく、カイスとライラは両想い。まだ若いから大っぴらにするわけにはいかないにしても、そんな誰に邪魔されたわけでもないんです。カイスは両親の晩年の子で、しかも一人っ子。かなり大切に育てられたみたいだけど、別に甘やかされて弱くなったってわけでもないのに...。この狂気って、ライラと結婚できたら、果たして直っていたのかしら? それとももし結婚して念願のライラを手に入れたら、さらに壊れてしまっていたのかしら? カイスもライラも一生お互いのことを想い続けて、ライラは結婚しても自分の夫に一度も手を触れさせないほど。それほど愛し合っているんだから、既に悲恋とは言えないような気もするのだけど。
...結局のところ、これは12世紀頃からペルシャで文学に影響を及ぼし始めた「神秘主義思想(スーフィズム)」がポイントみたいです。これは粗衣粗食に甘んじて、俗世への念を絶って忘我の境地に到ろうとするもの。気が狂って砂漠に暮らすカイスの姿って、そのまんま神秘主義思想を実践してるようなものなんですもん。でも。ということは。ペルシャではなく、アラブやトルコではどんな話になってるんだろう? ちょっと読み比べてみたくなっちゃいます。(東洋文庫)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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年ごとに美しく賢く、そして強く育っていく、ホルムズド王の1人息子・ホスロー。ある晩、ホスローは不思議な夢を見ます。その夢で彼は、甘美なことこの上なき美女とシャブディーズ(闇夜)という俊足の黒馬、順正なる王座、そしてバールバドなる楽士を与えられることを約束されていました。お気に入りの側近・シャープールから、アルメニア女王の姪で月をも凌ぐ美しさをもつ乙女・シーリーンのことを聞いたホスローは、いても立ってもいられなくなり、シャープールにその美女を手に入れてくるよう命じることに。

先日「ペルシアの四つの物語」(感想)でも読んだ「ホスローとシーリーン」。あちらは抜粋版だったので、完全版も読んでみました。ペルシャのロマンス叙事詩人・ニザーミーの2作目に当たる作品。この物語のホスローは、6世紀末から7世紀初にかけて実在していたササン朝ペルシャのホスロー2世のことで、物語の前半はかなり史実に基づいているのだそう。この作品でアルメニアの王女とされているシーリーンに関しては、ギリシャの女奴隷であったとか侍女であったとか色んな説があるようですが。
大筋としては、この2人の恋物語。会う前からお互いに気になる存在で、初めて会った時から恋に落ちる2人なので、特に問題はないはずなんですが、シーリーンがホスローに王位についてくれなくちゃイヤと言ったり(その頃ペルシャでは反乱があって、ホスローはしばらく王位を追われていた)、結婚してくれなくちゃ深い関係にはならないわとか色々あって、すったもんだの紆余曲折となってます。ホスローは自国の反乱を収めるためにビザンチン帝国の皇帝の力を借りたものだから、その娘を正妃にしなくちゃいけなくなったり。

で、この作品、とにかく描写が凄いんです。美辞麗句のテンコモリ。たとえば、側近のシャープールが初めてシーリーンの話をした時。彼女が「月をも凌ぐ美しさ」というのはいいんですけど、それに続いて

ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。なよやかな姿は白銀の棗の木、その木の頂で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。
この甘き唇の女人ーー棗の実さながらの彼女を思い出すだけで口には甘いつゆが満ちるほど。まばゆく輝く彼女の歯は真珠とも紛うばかり。その鮮かさは真珠貝を遥かに凌駕しますが、この歯をくるみこむ唇は艶やかな紅玉髄の色をしております。
両の捲髪はさながら円を描く輪縄で、それが、人という人の心を惹きつけます。緑なす黒髪は、バラの頬にうちかかり、捲髪から立ち上る芳香に、その水仙の瞳は夢見るように悩ましげ。彼女の眼は魔術師をも邪視をも呪文で封じてしまいましょう。
蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的で、塩は甘くないのに彼女の塩(魅力)は甘美なのです。

実際に抜き出してしまうと、ここはそれほどでもなかったような気もしてきますが...(汗)
この後も鼻が「銀の小刀」だとか(?)、「林檎を二つに割ったようなまろやかな頬」とか、「林檎の頤」、「レモンのような二重顎」(相当ふくよかなのか?)、「ルビーの唇」だとか、彼女の美しいうなじを見て「羚羊も恥らって首を垂れ、鹿は嘆きの涙で裳裾をぬらすほど」だとか、手を変え品を変え褒めまくり。作者のニザーミーがシーリーンを描く時のモデルとなったのは、彼自身の最初の妻だったそうで... きっと熱愛しすぎていて、いくら褒めても褒めたりなかったんですね。(笑)
しかもこの作品の訳は散文訳なんですけど、さすが元は叙事詩と思わせる言葉遊びも盛ん。引用した最後の部分も「爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的(ナマック)で、塩(ナマック)は甘く(シーリーン)ないのに彼女の塩(ナマック)は甘美(シーリーン)なのです」といった具合。

話としては紆余曲折の末のハッピーエンドということで、特になんてことはないんですけど、そういった細部が面白いし、紆余曲折の過程で盛大な口喧嘩があったり(シーリーンの舌鋒は相当鋭いです)、ホスローの若い頃の行いが因果応報的に返ってきちゃったり、楽しめるポイントは色々ありました。一度結婚してしまえば、それまでの喧嘩は嘘みたいに、シーリーンはホスローの良き妻・良き理解者となっちゃうんですけどね。(東洋文庫)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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イラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているという、11世紀の詩人・フェルドウスィーによるペルシャ英雄叙事詩「王書」から英雄サームの子・ザールの物語、そして12世紀の詩人・ニザーミーによる「ホスローとシーリーン」「ライラとマジュヌーン」「七王妃物語」といった作品が、美しいミニアチュールと共に紹介されている本です。

去年、日常&読んだ本log のつなさんに教えて頂いた本です。(記事) 去年はギリシャ物やケルト物を中心に読もうと思っていて、まだペルシャ物に関しては暴走しないように自粛気味だったんですが、今年はこの辺りの本も積極的に読む予定~♪ 「王書」だけは、既に岩波文庫で読んでるんですけどね。(感想

「王書」は、10世紀中頃にイラン北東部の地主の家に生まれたフェルドウスィーが、それまでに残されていたイラン王朝の歴史や伝説、神話を集めてイラン民族の書を著わそうとしたもの。ニザーミーによる3作品は、12世紀にイラン北東部の寒村で生まれたニザーミーが、「王書」よりももっと艶麗なロマンスを求める人々に応じて「ガンジャの錦」とも呼ばれる作品群を作り上げたもの。彼らの物語の本には挿絵がつけられて、有名な箇所は絵看板や壁画にまで描かれて、人々に愛されたのだそうです。とは言っても、本来なら偶像崇拝を禁じるイスラムの世界。植物主体の装飾文様しか認められてないし、発展する余地もなかったはずなんですよね。先日読んだ新藤悦子さんの「青いチューリップ」には、トルコよりもペルシャの方がその辺りに寛容だったように書かれていたんですが、それでもやっぱりあんまり大っぴらにってわけにはいかなかったはず。公の場以外のところでは結構盛んに描かれたようですが、全能の神を冒涜することのないよう、あらゆるものに遠近法を廃して、陰影をつけないように描かれたんだそうです。ええと、陰影がなければいいという理論は、私にはイマイチ分からないんですが...(笑) どこか中国の絵を思わせるような平板な絵ながらも(実際、こういったミニアチュールは中国からトルコに伝えられた画法から発展したようです)、緻密に描きこまれた絵はとても装飾的で美しい!
物語はどれも重要な部分だけが取り上げられて、かなり簡単なものとなっているので、ちょっと物足りない面もあるんですが、これからペルシャの雰囲気を味わってみたいという人にぴったりかと♪
さて、今度はそれぞれの作品の東洋文庫から出てる版を借りてこようっと。(平凡社)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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ロッスムのユニバーサル・ロボット工場(R.U.R.)は、ロボットと呼ばれる人造人間を開発・製造し、人間の労働を肩代わりさせるために世界中に販売している工場。その工場に、ある日社長のドミンを訪ねて来たのは、ヘレナ・グローリーという女性でした。ヘレナは人道連盟を代表して、ロボットたちに過酷な労働を課することをやめ、人を扱うように扱うようにするべきだと言いに来たのです。それに対し、ドミンはロボットは自分の意思を持たないため喜びや幸せを感じることは不可能だと諭します。しかし10年後、自分たちが人間よりも優秀だと知ったロボットたちが人間に反旗を翻して...。

カレル・チャペックの名を一躍有名にしたという戯曲。「ロボット」という言葉が生まれたのは、この戯曲からなんですよね。チェコ語で「労働」を意味する「robota」から作り出された言葉。(実際思いついたのは、お兄さんのヨゼフだったらしいですが) でもここに登場するロボットは、普段ロボットと言われて想像するような機械を組み立てたようなものではなくて、人間の組織的構造を単純化させて作り出された、文字通り人造人間といえるようなもの。見かけは人間とまるで同じ。でも魂や心を持っていないのです。
楽園にいるために子孫を作ることのできなくなってしまった人間たち、感情を与えられてしまったために人間に対して反乱を起こすロボットたち、そして存在意義を失う人間たち。ロボットを作り出したそもそもの理由は、人間を労働から解放したいという思いだし、ロボットに感情を与えてしまったのは、軽率だったかもしれないけれど、紛れもない善意からなんですよねえ。でも、ロボットもまた人間と同じことを繰り返すことに...。登場人物も少なくて、作品自体もごく短いんですけど、その中にものすごく色んな要素が入っていて、色んな角度から読めそうな作品。最後の結末が何とも皮肉で面白いです。
チャペックの本を読むたびにびっくりするのは、どの作品も古さがまるで感じられないこと。これには本当に毎回驚かされてます。エッセイや紀行文といったものはともかく、こういう作品も全然古びないというのは、やっぱりすごいことだなあー。(岩波文庫)


+既読のカレル・チャペック作品の感想+
「ダーシェンカ」「チャペックの犬と猫のお話」「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック
「イギリスだより」「スペイン旅行記」カレル・チャペック
「ロボット」チャペック
「チェコスロヴァキアめぐり」カレル・チャペック
「北欧の旅」カレル・チャペック

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