Catégories:“戯曲・詩”

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へレスポントス海峡を挟んで向かい合うセストスとアビュドスの町。アビュドスに住む青年・レアンドロスは、セストスにある古い塔に住む、愛と美の女神・アプロディテ祭祀の美しい巫女・ヘーローと許されざる恋に落ちてしまいます。そして毎晩ヘーローが掲げる炬火の明かりを頼りに海峡を泳いで渡り、忍び逢うのですが、ある冬の嵐の晩、炬火の火は風に吹き消され、方向を見失ったレアンドロスも力尽きて溺れてしまうのです。そして翌朝、浜辺に打ち上げられたレアンドロスの亡骸を見たヘーローは塔から身を躍らせて自殺... というギリシャ神話の物語を元にした作品。

感想はのちほど。(東京創元社)

+既読のミロラド・パヴィチ作品の感想+
「帝都最後の恋 占いのための手引き書」ミロラド・パヴィッチ
「風の裏側 ヘーローとレアンドロスの物語」ミロラド・パヴィチ

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ギリシャ軍によるトロイ城包囲が7年過ぎた頃。アガメムノンやユリシーズたちは、ギリシャ軍の華・アキリーズを戦場に駆り立てようとしていました。しかし自分の力や名声に酔いしれ、すっかり高慢になっていたアキリーズは、毎日パトロクラス相手にふざけたり、アガメムノンらを嘲るばかり。なかなか戦争に参加しようとしないのです。そんな時、トロイ軍の将軍・イーニーアスがギリシャの軍営を訪れます。それはプライアム王の息子であり、トロイ軍の大将であるヘクターからの一騎打ちの申し出。ユリシーズの提案でヘクターの相手に決まったのは、エージャックス。そしてその頃、パリスの弟のトロイラスは、クレシダに一途に恋をしており、クレシダの叔父であるパンダラスに仲を取り持ってくれるよう頼んでいました。

ギリシャ・ローマ時代の神話や出来事を題材に取ったような後世の作品で何が困るって、人名が違ってしまうこと。先日ラシーヌの戯曲を読んだ時も、「フェードル」がパイドラのことで、「アンドロマック」がアンドロマケーのことで、なんてところで苦労したんですが、こちらもそうでした。トロイラスやクレシダ、アガメムノンはまあいいとして、ユリシーズはオデュッセウス、アキリーズはアキレウス、エージャックスは大アイアース。プライアム王はプリアモス王、ヘクターはヘクトル、イーニーアスはアイネイアースのことなんです。確かにシェイクスピアは英語で書いてるから、私が馴染んでいるギリシャ語読みとは違っていても仕方ないんですが...。英語読みだと軽いですね。なんだか調子出ないなー。(笑)
でも、シェイクスピアの戯曲の中ではかなり評価が低い作品のようなんですけど、人名がきちんと飲みこめてしまえば、これが結構面白く読めました。まず可笑しかったのは、ヘクターと戦うことが決まったエージャックスを、ユリシーズやアガメムノン、ネスターやダイアミディーズがおだてつつ、実は虚仮にしているところ。そしてギリシャ陣営にやって来たクレシダをギリシャの将軍らが歓迎しているところ。これはどっちも日本語で読んでも笑えるような訳になってるんです。読みながら思わずくすくす笑いが漏れてしまったほど。訳者の小田島雄志さん、スゴイ!

この作品では「トロイの城壁が七年にわたる包囲にも屈せず」とあるんですが、アキリーズがアガメムノンに対して怒っているので、おそらくホメロスの「イーリアス」と同時期の話なんでしょうね。(「イーリアス」はトロイ戦争の10年目) この「トロイラスとクレシダ」はタイトル通り、トロイの王子・トロイラスと、トロイの神官でありながらギリシャに寝返った神官カルカスの娘・クレシダという2人の悲恋物語ではあるんですが、それと平行して進んでいくのはトロイ戦争の顛末。というか、むしろ戦争の方が比重としては重いかもしれません。戦う気をまるで失っているアキリーズを、それと悟らせないように遠回し遠回しに戦場に引っ張り出すユリシーズの知略の物語。戦争ばかりだと観てる人が飽きてしまうだろうからと、ちょっと恋物語を入れて潤わせてみましたーという感じ?
人物の造形は、ホメロスの「イーリアス」とは、結構違ってました。一番目についたのは、ユリシーズに対するアキリーズの態度。「イーリアス」では、アキリーズはアガメムノンに対しては敵意を燃やしながらも、ユリシーズに対して敬愛の情を示してたんですよね。アガメムノンが折れて出た時も、ユリシーズが仲介役となったほど。でもこっちの作品でのアキリーズは、親友のパトロクラス以外の人間は全て見下してるんです。ユリシーズのことも。しかもアキリーズがヘクターを討ち取る場面が! これはないだろうという卑怯なやり口なんです。それまでのギリシャ陣営とヘクターの正々堂々としたやり取りからすると考えられなーい!

でも、やっぱり評判があまり高くないだけあって、ちょっと不思議な作品でもありました。それは、唐突に終わってしまうこと。ここで終わる? これから後はどうするの? もう呆気にとられてしまうような幕切れ。これは一体何だったんだーー。この作品は、シェイクスピアの作品の中でも「問題劇」という扱いをされてるそうなんですが、それも納得。現代の小説でも、ここまで読者に丸投げの作品はあんまりないんじゃないかしら。それに一応悲劇に分類される作品のようなんですが、とてもじゃないけど悲劇とは思えません。確かに愛は破局を迎えるんですけど、それでもこれって喜劇なんじゃ...?

シェイクスピアの作品に先んじて、チョーサーも同じ題名の作品を書いてるんですよね。日本では「トロイルス」という題名で訳されているようです。こちらではクレシダの造形がかなり違うようなので、そちらもぜひ読んでみたいなあ。そして「イーリアス」と並んでトロイ戦争についての筋の主な材源となっているという、ジョン・リドゲイド「トロイの書」、ウィリアム・キャクストンの「トロイ史集成」、チャップマン「イリアッド」も読んでみたいです... が、この3つは、どうやら日本語には訳されてないみたい... 残念。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」シェイクスピア

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北海道登別市出身のアイヌ民族で、15歳の時に言語学者の金田一京助氏出会ったのがきっかけで、アイヌとしての自信と誇りに目覚めたという知里幸惠さん。その知里幸惠さんが、アイヌ民族の間で口伝えに謡い継がれてきたユーカラの中から神謡13篇を選び、元となるアイヌ語の謡をローマ字で表記、その日本語訳をつけて出したのが、この「アイヌ神謡集」。医者から絶対安静を言われていたにもかかわらず、病気をおして翻訳・編集・推敲作業を続けた知里幸惠さんは、完成したその日に、持病の心臓病のためにわずか19歳で亡くなったのだそうです。金田一京助氏、そして幸惠さん自身の弟で言語学者の知里真志保さんによる解説付き。

アイヌ文学には韻文の物語と散文の物語があり、そのうちの韻文の物語がユーカラ(詞曲)と呼ばれる叙事詩のこと。そしてそのユーカラはさらに、「神のユーカラ」(神謡)と「人間のユーカラ」(英雄詞曲)に分けられ、狭義の「神のユーカラ」は動物神や植物神、自然神が登場して自らの体験を語る「カムイユカル」、広義の「神のユーカラ」は、そこに文化神・オイナカムイが主人公として現れて自らの体験を語る「オイナ」が加わったもの。この本に収められているのは、狭義の「神のユーカラ」13篇。文字をもたないアイヌ民族の間では、口承で伝えられてきたものです。

もう、もう、最初の「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりに」という言葉から引き込まれました。なんて美しい...! こういった言葉が謡の中で何度も繰り返されて、そのリズムの良さもとても印象的です。アイヌ語で謡われても、きっととても美しいものなんでしょうね。この本は対訳となっているので、ローマ字表記のアイヌ語を自分で読み、その音を確かめることができるはずなのですが... これがなかなか難しく... やっぱり一度きちんとした朗読を聴いてみないとダメかも。ああ、聴いてみたいなあ。
そして内容的にもとても面白いのです。アイヌの神(カムイですね)というのは、神々の世界にいる時は人間と同じ姿をしてるのに、人間の世界に来る時は、それぞれに違う姿をまとうんですね。この本に収められた作品群では、ほとんど動物の姿になっています。神が宿っていても、だからとても強いというのはないようで、普通の動物と同じように時には捕らえられ、食料として調理されてしまうこと。そしてそんな時、神はその動物の耳と耳の間に存在して、自分の宿る動物の体が切り刻まれたり調理されていくのを見てるんです! 世界の民話でも、こういうのは珍しいんじゃないかしら。そして人々は、神々が宿っているという前提のもとに、その動物が自分たちのところに来てくれたと考えて、その体を丁寧に扱って、利用できるものは利用し、感謝して、神々の国に戻ってもらうことになります。(この辺りは、神話的社会によくありますね) もちろん、良い神々ばかりとは限りません。悪い心を起こしたためにその報いを受けて死後反省することになる神々もいます。(これはとっても民話っぽい)
でもどの謡も、読んでいると広い大自然を感じさせるのが共通点。アイヌたちが自分たちのあるがまま生きていた時代。自分たちの文化に誇りを持っていた時代。かつてアイヌたちが自由の天地で「天真爛漫な稚児の様に」楽しく幸せに生きていた時代を懐かしむ、知里幸惠さん自身による序もとても印象に残ります。

で、この「アイヌ神謡集」がとても良かったので、勢いにのって、以前購入していた「ユーカラ アイヌ叙事詩」も読んだんですが... こちらは動物神だけじゃなくて色んな神々の謡が18編収められているし、英雄のユーカラも。こちらにも金田一 京助氏が絡んでるので、「アイヌ神謡集」とは全然重なってなくて、それも良かったんですが... こちらの旧字旧仮名遣いが... よ、読めない...(涙)
一応全部読んだんですけど、理解できたとは言いがたく。平凡社ライブラリーから出てる「カムイ・ユーカラ アイヌ・ラッ・クル伝」でリベンジするべきなのかしらー。はああ。(岩波文庫)

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皇帝ネロンが寝ている部屋の戸口で番をするかのように待っていたのは、ネロンの母・アグリピーヌ。自室に戻るように言われたアグリピーヌは、自分が日一日と邪魔者にされつつあること、ネロンがとうとうブリタニキュスに向かって牙をむいたこと、そしてブリタニキュスの恋人・ジュニーをかどわかしたことを、腹心の侍女に向かって訴えます... という「ブリタニキュス」。
ベレニスに密かい会いにきたのは、コマジェーヌの王・アンティオキュス。彼は以前からベレニスを愛しており、しかしベレニスと皇帝ティチュスが相思相愛のため、口を閉ざしたまま、この5年間ローマに滞在していました。しかしティチュスが皇帝に即位し、とうとうベレニスを妃にするつもりだということを聞き、ベレニスに別れを告げに来たのです... という「ベレニス」。

ラシーヌの、古代ローマを舞台にした悲劇2つ。「ブリタニキュス」では、皇帝「ネロン」なんて名前になってますけど、これはネロのことです。それまでは一応善政を敷いていたネロが暴虐と狂気の道へと突き進むターニングポイントとなった物語、でいいのかな? 既に実の母・アグリピーヌの存在を疎ましく思ってるし、妻・オクタヴィーとは上手くいってないし、義弟のブリタニキュスとジェニーと仲を妬んでるんですね。で、ジュニーをかどわかすんですけど、このジュニーにすっかり心を奪われてしまって...。ネロンがジュニーに惹かれたのは、ただ単にブリタニキュスとジュニーの関係への羨ましさからなんですよね、きっと。もしジュニーの心が手に入ったら、その途端、どうでも良くなっちゃったんじゃないかなあー。ここに描かれてるネロって、なんだかただ単に愛情不足で育ってしまった子供みたい。やっぱりあのお母さんが普通のお母さんじゃなかったというのが不幸の始まりかも。帝王教育はしてくれても、何かあった時にぎゅっと抱きしめてくれるようなお母さんじゃないですものね。(と勝手にイメージしてますが)

そして「ベレニス」は、ローマ市民が異国の女王であるベレニスの存在を認めないという理由から、相思相愛であるベレニスとティチュスが別れなければならなくなるという悲劇。物語の中心となるのはこの2人なんですが、キーパーソンとなるのは、ベレニスに密かに思いを寄せ続けていて、しかもティチュスからの信頼は厚いアンティオキュス。
ベレニスが愛しているのは、ティチュスという1人の男性。相手が栄えあるローマ帝国の皇帝であるということは、彼女にとっては二次的な問題でしかないんですが、ティチュスは彼女を愛しながらも、ローマ帝国のことを頭から振り払うことができないんですね。そういう誠実な男性だったからこそ、彼女も惹かれたというのはあるんでしょうけど...。ただ愛し愛されることだけを望んできたベレニスにとって、自分がローマ帝国と天秤にかけられることはその誇りが許さなくて。そして相思相愛の2人の前に今まで沈黙を守ってきたアンティオキュスは、動揺する2人を前にとうとう心情を吐露してしまうことに。
3人が3人ともそれぞれに相手のことを誠実に真っ直ぐに愛しているのに、一旦その愛情が捩れて絡まり合ってしまうと、結局は苦悩しか生み出さないんですねえ。3人の思いがそれぞれ切々と迫ってきます。そしてティチュスの「ああ、父上がただ、生きていて下さったなら!」という言葉。ラシーヌの悲劇は4つ読みましたが、これがダントツで好き。緊迫感たっぷりで、素晴らしいー。おそらく実際に演じられる舞台でも観客を呑み込まずにはいられなかったのでは。そして、この作品を読んで、とても読みたくなったのが「ローマ人の物語」のティトゥス部分。思わず「危機と克服」の巻を読み返してしまいましたよ。テイトゥスとベレニケのことについてはほとんど何も書かれてなくて残念なんだけど、そのお父さんのヴェスパシアヌスは、やっぱりかなり好き♪(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ノールウェイ王の不意打ちに、スコットランドのダンカン王のもとで獅子奮迅の働きを見せるマクベス。戦いが終わり、マクベスとバンクォーが通りがかった荒地に現れたのは、3人の魔女でした。魔女たちは口々に「グラミスの領主様」「コーダの領主様」「いずれは王ともなられるお方」と呼びかけます。確かにマクベスは現在グラミスの領主。しかしコーダの領主はまだまだ元気で勢いが盛んであり、王も同様。不思議に思うと同時に困惑する2人。しかし2人を王宮で出迎えたロスとアンガスは、マクベスにコーダの領主と呼びかけます。ノールウェイ王を密かに援けていた裏切り者のコーダの領主は処刑が決定し、その地位は今やマクベスのものだというのです。

シェイクスピアの四大悲劇の1つ。四大悲劇の中では一番好きな作品。一番短いんですけど、シンプルながらもエッセンスのように凝縮している作品だと思います。戯曲という形式上、小説のような説明とか描写がないというのは当然なんですが、1つ1つの台詞が実はすごく色んなことを含んでるんですよね。それでも、説明不足としか思えない部分があるのですが...。と、感じていたら、当初書かれた作品から多くの場面が割愛されているとも考えられているのだそうです。なるほど、そうだったのかー。
野心はあるにしても、心は正しかったはずのマクベスが、魔女の予言をきっかけに大それた罪を犯し、幻影に悩まされ、自滅していくという悲劇。小心者と言われるマクベスも強気のマクベス夫人も、結局のところ、魔女の手の平で遊ばされていたようなものなんですねえ。悪人にはなりきれない、ごく平凡な人間にしか過ぎなかったというわけで。魔女の予言は、きっとマクベスの性格も見越してのことだと思うんですが、もしマクベスが自分の良心に負けなければ、結末を急がなければ、一体どうなっていたんでしょうね? コーダの領主の地位だって何もせずに手に入ったんだから、王位もそうなるはずだとは思わなかったのかな? そういうことを考えること自体、最早無意味なのかな? マクベスの人生は、魔女によって破滅させられたようなもの。元々そういった資質があったとはいえ、やっぱり魔女の言葉さえなければ、と思ってしまうのですが... 第1幕第1場の「きれいは穢ない。穢ないはきれい」という魔女の台詞が暗示的。そしてこれらの魔女は、先日読んだハインリヒ・ハイネの「精霊物語」によると、元々の伝説の中では3人のワルキューレだったんだそうです。戦死者を選ぶ役割を持つワルキューレにとって、マクベスへのこの予言はなんと相応しい役回り!
子供の頃に読んだ時は、「マクベスを倒す者はいないのだ、女の生み落とした者のなかには。」という部分には正直あまり感心しなかったんですが... なんかこじつけっぽくて。でも「マクベスは滅びはしない、あのバーナムの大森林がダンシネインの丘に攻めのぼって来ぬかぎりは。」の方は、実際に森が攻め上ってくるという絵画的な場面描写と相まって、とてもインパクトが強かった覚えがあります。ちなみに実在したスコットランド王としてのマクベスは、従兄のダンカン1世を殺害して王位を奪い、自分の王位を脅かす者を次々と抹殺したのは事実としても、善王だったようですね。...それだけ殺しておいて善王と言えるのかどうかは分かりませんが。(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

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デンマークのエルシノア。ハムレット王が亡くなって2ヶ月足らずだというのに、ガートルード王妃は、王位を継いだ亡き王の弟・クローディアスと再婚。そんな時、エルシノア城の銃眼胸壁の上の狭い歩廊に、今は亡きハムレット王の亡霊が現れます。甲冑に身を固め元帥杖を手に見張りの目の前を何も言わずに通り過ぎる亡霊。その話を聞いたホレイショーは自分も亡霊の姿を目にすると、早速ハムレット王子に告げることに。そして亡霊と対峙したハムレット王子は、父の死の顛末を聞かされることになるのです... という本家本元の「ハムレット」。
そしてシェイクスピアの「ハムレット」から登場人物の名前と大体の環境を借りて書き上げた、2つの不幸な家庭の3日間の物語だという、太宰治の「新ハムレット」。

いわずと知れた、シェイクスピアの四大悲劇の1つ「ハムレット」。私はシェイクスピアはあまり好きじゃないし、色んな版で何度か読んでる割にその偉大さも今ひとつ理解できないんですが、四大悲劇は結構好き。特に「マクベス」。
ええと、今ひとつ感心しない理由の1つは、シェイクスピアのどの作品にも元となる話があって、あまりオリジナリティがないということなんですけど... まあ、それはあんまり説得力がないというのは、自分でも分かってます。(笑) でもこの「ハムレット」が書き上げられる数年前に、よく似た戯曲がロンドンで上演されていたのだそうで、そんなことを知ってしまうと、益々...。(笑) まあ、それ以前に明らかな元ネタ本があるので、その同時代の劇作家もそちらから取ったんでしょうけどね。でも今回訳者による解題を読んで、「エッダ」や「ベオウルフ」にもハムレットの原型が存在するとされていると知ってびっくりです。そう言われてみると、似てるなあ、なんて思いながら読んでた話もあったような...。(←ダメダメな記憶力)
「ハムレット」自体には改めてあまり感想はないんですが、この福田恆存氏による解題が良かったです! 福田恆存氏は訳も素晴らしいけど、この解題が本当に素晴らしいー。特に「ハムレットの最大の魅力は、彼が自分の人生を激しく演戯していることにある」という言葉。「ハムレットの演戯法はハムレットに教わることだ。シェイクスピア劇の演戯法はシェイクスピアに教わることだ。そのハムレットは演戯をし、演戯しながらそれを楽しんでいる。そういうハムレットを役者は演戯すればいい。演戯ということが既に二重の生であるがゆえに、そこには二重の演戯がある」ですって。なるほどね。そういうところを楽しむべき作品なんですね。やっぱり本で読んでどうこう言うのではなくて、演じられている「ハムレット」を観るべきなんでしょうね。シェイクスピアだって座付き脚本家として、演じられるための作品を書いてたんですものね。

そしてその「ハムレット」を読んだので読んでみたくなったのが、太宰治「新ハムレット」。太宰治自身、「人物の名前と、だいたいの環境だけを、沙翁の「ハムレットから拝借して、ひとつの不幸な家庭を書いた。それ以上の、学問的、または政治的な意味はみじんもない。狭い、心理の実験である」としている通りの作品。
大きな流れは同じなんですが、細かい部分は結構違います。「新ハムレット」のハムレットは、叔父とそれほど不仲ではないですし、以前は懐いていたのに、母親をとられた寂しさや戸惑いから反抗しているみたい。先王の幽霊騒ぎは、ここでは単なる噂話。そしてハムレットは結婚する気満々です! ここでのオフィーリアの造形が、まるで今時の女の子みたいでびっくりですよ。それに作品そのものもとても現代的。書かれた当時は、きっととても斬新だったんでしょうね。太宰治といえば一昔前の人、というイメージだったんですけど、そうではなかったようで...(笑)
行間から登場人物たちの気持ちを推し量らなければならない原作とは違って、こちらでは登場人物が滔々と雄弁に自分の気持ちを語ってるのが面白いし、ハムレットを初めて日本に紹介した坪内逍遥の訳をからかってるようなところも楽しいし...(「アリマス、アリマセン、アレワナンデスカ」というのは、確か「はいからさんが通る」に出てきてたから知ってたけど、「すまいとばし思うて?」は知らなかったよ)、ポローニヤスから息子・レアティーズへの細かすぎるほど細かい遊学の心得も可笑しいし~。太宰治自身も同じことを言われたのかな? それとも自分自身の経験を踏まえた言葉? 人は死ぬんですけど、むしろ喜劇に変わってしまったような印象さえありました。とは言っても、このハムレットは、やっぱり太宰治自身なんでしょうね。ハムレットの台詞の端々に、太宰治自身が見え隠れしているようです。

「みんな、みんな可哀想だ。僕には昔から、軽蔑感も憎悪も、怒りも嫉妬も何も無かった。人の真似をして、憎むの軽蔑するのと騒ぎ立てていただけなんだ。実感としては、何も分からない。人を憎むとは、どういう気持ちのものか、人を軽蔑する、嫉妬するとは、どんな感じか、何もわからない。ただ一つ、僕が実感として、此の胸が浪打つほどによく分る情緒は、おう可哀想という思いだけだ。僕は、この感情一つだけで、二十三年間を生きて来たんだ。」(P.294)

「新ハムレット」には5編が収められているんですけど、表題作以外もそれぞれに良かったです。私が一番気に入ったのは「古典風」。取り立てて大きな出来事が起きるわけでもないのに、読ませてくれるんですよねえ。間に挿入されている手帳のメモ書きや、主人公が書くネロの伝記なんかも面白かったし。この作品、副題が「ーーこんな小説も、私は読みたい。(作者)」なんです。私だって読みたいよ!(笑)(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

+既読の太宰治作品の感想+
「惜別」太宰治
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治

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トロイア戦争でヘクトールはギリシャのアキレウスに倒され、トロイア落城後、ヘクトールの妻のアンドロマックはアキレウスの息子・ピリュスの奴隷となることに。ピリュスの婚約者のエルミオーヌは、ヘクトールの忘れ形見・アスチアナクスの殺害を要求し、アンドロマックに心を奪われたピリュスは、そんなエルミオーヌを疎ましく思います。そこにエルミオーヌを愛するオレストが登場して... という「アンドロマック」。
アテネの王・テゼーとアマゾーンの女王・アンチオープとの子・イポリットは、この6ヶ月というものテゼーが行方不明であることに居ても立ってもいられない不安を覚え、父を探す旅に出ると言い出して... という「フェードル」。

フランスの劇作家・ラシーヌによる悲劇2作。どちらも古代ギリシャの3大悲劇詩人の1人・エウリピデスの悲劇作品が元になってます。こんなところでギリシャ神話絡みの作品が読めるとは迂闊にも知らなかったんですけど! 名前の訳が違いすぎて、話に入り込みにくくて困りました...。だってアンドロマックというのは、ギリシャ読みだとアンドロマケーのこと。ピリュスはネオプトレモスだし、フェードルはパイドラのことで、テゼーはテーセウス。イポリットはヒュッポリュトスのことで、アンチオープはアンティオペー。アルファベットで見たらそれほど変わらないでしょうけど(ギリシャ文字はアルファベットとはまた少し違うけど)、カタカナ表記では違いすぎですよぅ。従来のギリシャ読みを採用してくれたら、もっとずっと読みやすくなったはずなのに。

「アンドロマック」は、エウリピデスの「アンドロマケー」がモチーフとなっている作品なんですけど、元話とは結構違っていてモチーフを借りてきただけ。それだけにラシーヌらしさというのもあるのかな? オレストはエルミオーヌに、エルミオーヌはピリュスに、ピリュスはアンドロマックに、しかしアンドロマックはヘクトールを思い続けて... という片思いの連鎖が繰り広げる物語は、これはこれで結構面白いです。こんなにみんな前言を翻してばかりでいいのかしら?なんて思ったりもするのだけど。(笑)
「フェードル」は、やっぱりエウリピデスの「ヒュッポリトス」に題材を取っている作品ですが、こちらの方は元の作品にかなり忠実。これは元々それほど好きな話ではないし、比べてしまうと元話には見劣りするかな... 元話ではヒュッポリトスがアプロディテをないがしろにするところで悲劇が起きるんですけど、こちらはそんな神懸りではなくて、もっと人間ドラマになってるんですね。それがちょっと物足りなかったりして。
結局「アンドロマック」の方が面白かったんですが... でも結論から言えば、私はやっぱりエウリピデスの作品の方が好きだなあ。というのは、やっぱり名前の訳の問題も大きいのかなあ。でもラシーヌにはローマ時代を舞台にした「ブリタニキュス/ベレニス」というのもあるそうなので、そちらも読んでみようと思います。「ブリタニキュス」は皇帝ネロ、「ベレニス」は皇帝ティトゥスとベレニケの話ですって。どんな感じなのかしら~。(岩波文庫)


+既読のラシーヌ作品の感想+
「フェードル/アンドロマック」ラシーヌ
「ブリタニキュス/ベレニス」ラシーヌ

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ウィンダミア卿邸を訪れたのは、ダーリントン卿。ちょうど花瓶にバラの花を入れていたウィンダミア卿夫人は早速通すように言いつけます。居間に入った途端に、テーブルの上に置かれた扇に目をつけるダーリントン卿。それはウィンダミア卿からの誕生祝い。その日はウィンダミア卿夫人の誕生日で、パーティが開かれることになっているのです。しかしそこにベリック夫人が現れて、ウィンダミア卿に関するいかがわしい噂を吹き込みます。

オスカー・ワイルド自身が生きていた19世紀末、ヴィクトリア朝末期のイギリス上流社会を描いた戯曲。中心となるのは、仲睦まじい夫婦に投げかけられた波紋の真相。夫婦の前に突如として現れたアーリン夫人は、美しくて才気溢れる女性なんですが、これを機会に金持ちの男性を捕まえようとしているのが見え見えなんですね。ウィンダミア卿夫人はもう冷静に話を聞けるような状態じゃないし、ウィンダミア卿にも何か理由があるんだろうとは思うんだけど、なかなかその事情は見えてこないし、まあ、今となってはあまり珍しくない展開ではあるんですけど、それでも面白かったです。アーリン夫人に関してウィンダミア卿が知っている真実とウィンダミア卿夫人が見た現実が平行線をたどりつつ幕、というのが面白いですねえ。からりとしていて、なかなか楽しめる戯曲でした。

「私たちはみんな同じ世界に住んでいますのよ。善も悪も、罪悪も純潔も、みな同じように手に手をつないでその世界を通っていますのよ。安全に暮らそうと思って、わざと目をつぶって人生の半面を見ないようにするのは、ちょうど、落とし穴や断崖のあるところを、もっと安全に歩いてゆこうと思って、わざと目隠しするようなものですわ」(P.113 )

ウィンダミア卿夫人、世間知らずで可愛いだけじゃなかったのね。(笑)
そして当時の貴族たちのやり取りも、いかにも~な感じで楽しめます。...調子いいよなあ。(笑) (岩波文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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1954年から59年にかけて散文や詩の小品を書き、雑誌に発表していたボルヘス。ある日エメセー書店の編集者が訪れて全集の9巻として加えるべき原稿を求められ、その時は用意がないと断るものの、執拗に粘られて、已む無く書斎の棚や机の引き出しをかきまわして原稿を寄せ集めることになったのだとか。そして出版されたのがこの「創造者」。ボルヘス自身が最も気に入っていたという作品集です。

読み始めてまず驚いたのは、何よりも読みやすいということ。「伝奇集」が途中で止まったままだというのに、こちらは一旦読み始めたら、もう止まりませんでした。うわーん、面白かったーー。確かに、ここ数年でダンテの「神曲」も、アリオストの「狂えるオルランド」も読んだし、北欧神話関連も本が入手できる限り読んでいるし、ギリシャ神話関連もそう。ギリシャ悲劇だって、今の時代に読める作品は全部読んだし。ホメロス「イーリアス」「オデュッセイア」も再読したし、ミルトン「失楽園」も... って関係あるかな? 以前よりも理解できる素地が少しは整ってきているのかとも思うのですが。訳者解説を読むと、「伝奇集」や「不死の人」「審問」などの作品には、ボルヘスの個人的な感情の発露がほとんど見られないのに、こちらでは肉声めいたものを聞くことすらできる、とのこと。やっぱりそういうのも関係もあるんでしょうね。
ボルヘス自身、とても気に入っている本なのだそう。「驚くべきことに、書いたというよりは蓄積したというべきこの本が、わたしには最も個性的に思われ、わたしの好みからいえば、おそらく最上の作品なのである。その理由は至極簡単、『創造者』のどのページにも埋草がないということである。短い詩文の一篇、一篇がそれ自体のために、内的必然にかられて書かれている」...ボルヘス自身、全ての作品をできれば5、6ページ程度に縮めたいと語っていたそうです。確かにここに収録されている作品は、それぞれにエッセンス的な濃密さを感じさせますね。カルヴィーノの文学論とはまた違うものだとは分かっていても、どこか通じるような気がしてきたり。
読んでいて一番好きだったのは

文学の始まりには神話があり、同様に、終わりにもそれがあるのだ。(P.67)

この言葉。
ああ、この夏のうちに「伝奇集」を読んでしまおうっと!(岩波文庫)


+既読のホルヘ・ルイス・ボルヘス作品の感想+
「創造者」J.L.ボルヘス
「エル・アレフ」「伝奇集」ホルヘ・ルイス・ボルヘス
「幻獣辞典」ホルヘ・ルイス・ボルヘス、マルガリータ・ゲレロ

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険しい丘と広く深いトゥイードの川、さびしげなチェヴィオットの山並みにかかるように建てられているノーラムの城の高い見張り塔に立つ戦士たちは、遠くの馬のひずめの音を耳にし、ホーンクリフ・ヒルを越えて槍を持った一群の騎馬武者たちが近づいてくるのを目にします。それはイングランド中の騎士の華・マーミオン卿の率いる騎士たち。一行は早速城に迎え入れられます。マーミオンはヘンリー8世の命令でスコットランド王・ジェイムズ4世のもとへと赴く途中なのです。マーミオンはここで道案内を得ると、翌朝早速出発することに。

ヘンリー8世の寵臣・マーミオンが主人公の叙事詩。ちゃんと叙事詩の形で訳されてるのはすごく嬉しいのですがーーー。ウォルター・スコットにしては今ひとつ楽しめなかったかも...。訳者の佐藤猛郎さんも、長い間この作品を好きになれなかったそうなので、私だけではないというのが心強いんですけどね...。でも「そこで私はこの難解な『マーミオン』にじっくり取り組んでみたら、少しはこの作品が好きになれるのではないかと思い、『マーミオン』関係の資料を集めることにした」というのが私とは違うところ! なんて素晴らしい。

主人公のマーミオン卿は、尼僧のコンスタンスを誘惑して修道院から脱走させて愛人にしてるけれど、今度は広大な土地を所有する貴族の跡取り娘・クレアに目をつけ結婚しようとする... という面もあれば、戦いにおいては勇敢で誇り高い騎士という面もある人物。スコットランド対イギリスという大きな背景の中で、マーミオンのスコットランド行きやコンスタンスの裁判、今は尼僧見習いとなっているクレアのことなどが語られていきます。
この作品で難点なのは、やっぱりこの構成でしょうね。全6曲で、その曲は純粋にマーミオンの物語詩となってるんですが、それぞれに序詩がつけられていて、その序詩は舞台となる土地のことやウォルター・スコットのことを語る、本筋とは関係ないものなんです。これを読むたびに、本編の物語詩が分断されてしまうという弊害が...。結局、本編と序詩を別々に読むことになってしまいましたよ。実際の吟遊詩人の語りならば、そんなことにはならないでしょうし、そうやって緩急をつけることによって聞き手を飽きさせない効果があるんだろうと思うんですが... この作品に限っては逆効果じゃないかしら。やっぱり文字で読む詩と、語りで聞く詩の違いかなあ。ウォルター・スコットの傑作とされている長編詩3作品のうち、「湖の麗人」や「最後の吟遊詩人の歌」は大好きなのに。その3作品にこの「マーミオン」も入ってるということは、一般的には高く評価されてるということなのに。その良さがあまり分からなくて残念です。(成美堂)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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森のそばで1人貧しく暮らしていたマローンおばさん。誰もおばさんの様子を尋ねる人も心にかける人もなく、1人放っておかれていました。しかし雪が深く降り積もったある冬の月曜日、窓の外にいたのは1羽のスズメ。みすぼらしく弱り果て、まぶたは半分ふさがってくちばしも凍り付いていたスズメを、マローンおばさんはすぐに中に入れてやります。

スズメ、ネコ、キツネ、ロバ、クマ... 来る動物たちを全て快く迎え入れ、乏しい食べ物も持ち物も何もかも分け与えたマローンおばさん。そのマローンおばさんが主人公となった短い詩の物語です。本当に短い物語で、あっという間に読めてしまうほどなんですけど、最後の「あなたの居場所が ここにはありますよ、マローンおばさん」という言葉が本当に素敵で~。読んでいて嬉しくなってしまいます。
挿絵は、ファージョンときたらやっぱりこの人!のエドワード・アーディゾーニで、物語も絵もとても美しい1冊。巻末に英詩も掲載されているのが嬉しいんですよね。日本語訳と照らし合わせながら読んで、1冊で2度美味しい読書♪ これは手元に置いておきたくなる1冊です。(岩波書店)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

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ムーミントロールがまだ小さかった頃のお話。夏の一番暑いさかりに風邪をひいてしまったムーミンパパは、ふと、広間のたんすの上に飾っている海泡石の電車に、皆があまりあまり関心を持っていないことに不満を持ちます。それはムーミンパパの青春時代に大きな役割を演じたものなのです。それを聞いたムーミンママは、ムーミンパパに自分のこれまでの一生について書くことを薦めます。風邪を引いて外に出られない今は、思い出の記を書き始めるのにぴったり。しかも物置から大きなノートが1冊出てきたところだったのです。

ムーミンシリーズの3作目。ムーミンパパが、若い頃の物語をムーミントロールやスニフ、スナフキンに語り聞かせるという形で物語は進みます。がんじがらめの規則に縛られ、色々と疑問を持ちながらも何も答えてもらえなかった孤独なムーミンホーム時代。そしてそこからの脱出。発明家のフレドリクソンや彼の甥のロッドユール、立ち入り禁止の操舵室に入り込んでいたヨクサルとの出会いと、「海のオーケストラ号」での冒険の旅。
ムーミンパパの思い出の記は、冒険物語なんですけど、なんだかとても哲学的ですね。みんな結構色んなことを言ってて、その中でも一番印象に残ったのは、ヨクサルの「有名になるなんて、つまらないことさ。はじめはきっとおもしろいだろう。でも、だんだんなれっこになって、しまいにはいやになるだけだろうね。メリーゴーラウンドにのるようなものじゃないか」という言葉。このヨクサルというのは、スナフキンのお父さんなんです。道理で!ですよね。ついでにいえば、ロッドユールはスニフの父親。ミイもここで初登場です。若き日のムーミンママとの出会いの場面も。今は良き妻・良き母というイメージのムーミンママも、この頃はまだまだスノークのお嬢さんみたい~。スナフキンは「ムーミン谷の彗星」で初対面だったはずなのに、なんで小さい頃のムーミントロールと一緒にムーミンパパの話を聞いてるのかなー。なんてことは言いっこなし?(笑) スナフキンとミイの関係についてだけは余計だったような気がしますが(なんでそんなことをわざわざ!)、楽しいながらもなかなか奥の深い物語でした。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

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ここには書かなかったんですが、先日パロル舎の「夢十夜」「猫町」「冥途」を再読したんです。金井田英津子さんの挿画は、もちろんとても素晴らしいんですけど... ! でもこれはあくまでも、金井田英津子さんがこれらの作品に持たれたイメージ。あまりにぴったりすぎて、そのことをすぐ忘れてしまうんですが。で、なんだか無性に文字だけの本が読みたくなって、こちらを手に取ることに。

「猫町」の方は、3部構成。第1部は「猫町」「ウォーソン夫人の黒猫」「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」という小説が3編、第2部は散文詩が13編。そして第3部は随筆が2編。
どれも読み応えのある作品ばかりなんですが、やっぱり「猫町」が突出してますね。ごくごく平凡な日常の風景が、ある時点でくるりと反転してしまう、そこの妙。これが素晴らしい。それまで長々と書かれてきたことは、全てこの一瞬のためだったのか、と、改めて感じ入ってしまいます。何度読んでも素晴らしい~。そしてこの作品は、解説によるとアルジャノン・ブラックウッドの「古き魔術」という作品も似た趣向の作品なんだそうです。朔太郎がその影響を受けているのかどうか、そもそもその作品を読んでいたのかどうかは不明なんですが、そちらもぜひ読んでみたいな。
そのほかの作品も良かったです。散文詩というのも意外と好きな自分を発見したり。(笑) 特に印象深かったのは、親交のあった芥川龍之介の死にも触れている「老年と人生」かしら。「老いて生きるというのは醜いことだ」と考え、30歳までには死のう、いや、40歳までには、と考えつつ老年に達してしまった萩原朔太郎。でも老いて初めてその楽しさを発見したり、案外肯定的に人生を捉えるようになるんですよね。それがちょっぴり意外ながらも興味深くて。

そして「萩原朔太郎詩集」は、「純情小曲集」「月に吠える」「松葉に光る」「青猫」「蝶を夢む」「桃季の道」「氷島」「散文詩」といった詩集から、三好達治が選んだ代表作を収めたもの。
基本的に詩心があまりない私なので、自由詩はよく分からなくて、どちらかというと定型詩を好むんですが、萩原朔太郎の詩はとても好き。特に初期の作品集である「月に吠える」は、朔太郎ならではの明るく鮮烈な若々しさ、そして生きる力をとても強く感じる作品群だと思います。何かといえば物が腐るし、どちらかといえば精神的に不安定なものを感じる方が当然なのに、そんなところに生きる力を感じるのもどうかと思うんですが(笑)、そこは詩心のない人間の戯言と思って流していただければ。いや、でもこんな詩を書く人が自ら命を絶つことなく寿命を全うしたというのが逆に信じられないほどですけどね。本当に。
印象深いのは、朔太郎特有の表現。「おわあ、こんばんは」と挨拶する猫、「ぎよ、ぎよ、ぎよ、ぎよ」と鳴く蛙。 「ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ ぶむ」という蝿の、「てふ てふ てふ てふ てふ てふ てふ」と飛ぶ蝶。「のをあある とをあある やわあ」と遠吠えする犬。「じぼ・あん・じゃん!じぼ・あん・じゃん!」という柱時計の音... やっぱりこの人の感性は面白いな。(岩波文庫)

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英雄となったシーザーの凱旋出迎えるローマの人々。アントニーが3度シーザーに捧げようとした王冠をシーザーは3度とも退けます。しかしキャシアスやブルータスは、シーザーの野望を危惧していたのです... という「ジュリアス・シーザー」。そしてシーザー亡き後のローマ。シーザー暗殺者たちを追討する軍を起こし、さらにギリシャや小アジアに進軍していたアントニーが出会ったのは、エジプトの女王・クレオパトラでした。アントニーはクレオパトラと恋に落ち、その冬をアレクサンドリアで過ごすことに。そんな時、アントニーの妻・フルヴィアと弟がオクテイヴィアスを相手に反乱を起こします... という「アントニーとクレオパトラ」。

「ローマ人の物語 ユリウス・カエサル ルビコン以降」(感想)の関連で読んだ本。
「ジュリアス・シーザー」は、もっとシーザー中心かと思っていたので、実は主役でも何でもないことを初めて知ってびっくり。いえ、もちろんシーザーも登場するんですけど、むしろシーザー暗殺という事件をめぐるブルータスの物語だったんですね。もしくはブルータスとアントニー。暗殺後、市民を前にブルータスとアントニーは演説をするんだけど、ここがすごい。「私はシーザーを愛していた。しかし、それ以上にローマを愛していたのだ」と言って民衆を味方につけたブルータスなんですが、自分の演説が終わってもアントニーの演説を聞くようにと市民を説得するんです。でもそれに対してアントニーは。アントニーは決してブルータスを誹謗中傷しないし、それどころかブルータスの人格を褒めちぎるんですけど... さすが弁論術の盛んだった古代ローマ。
そしてこのアントニーは「アントニーとクレオパトラ」にも登場するんですが、こちらは「ジュリアス・シーザー」とは全然違う大人の恋愛物語。「ロミオとジュリエット」のあの若い恋心とは対極にあるかのような成熟した恋愛。2人とも大人ですしね、役者ですよ。私の知り合いの男性(年上・独身)が、「なんかこう、気持ちよく騙されたいわけだ」という意味のことを口癖のように言ってたんですが、こういうことだたったんだな。(ほんと?) 若さで突っ走るわけにもいかない大人にとっては、恋愛における演技力の重要性というのは、実はとても高いのかも。ま、歴史的真実としては、おそらく、純情な男を手玉に取ったしたたかな女という構図なんでしょうけど、この描き方はとてもシェイクスピアらしい気がします。

シェイクスピアは、子供の頃読んだチャールズ・ラムのを皮切りに結構読んでるはずなんですけど、むしろ嫌いだったんですよね。その後ちゃんとしたのを読んでも、何がいいのかよく分からなくて。どこかで読んだような話ばっかだし! でもやっぱりオコサマには理解できないものだったのかも。ここ数年で読み返したり新たに読んだものの方が断然楽しいです。(新潮文庫)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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分邦ユダヤの王・エロド・アンティパスの宮殿では宴会が開かれていました。王の執拗な視線や、その客たちに耐えかねて宴会を抜けてきたサロメは、月の光に照らされる露台へ。そして砂漠から来た預言者・ヨカナーンに出会います。

「ポポイ」を読んで、無性に読みたくなってしまいました。再読です。
ここに登場するヨカナーンとは、聖書における洗礼者ヨハネのこと。ヨルダン川で人々に洗礼を授けていて、救世主イエスの到来を告げる使者でもあります。そしてこの「サロメ」は、マタイによる福音書(第14章第3-12節)やマルコによる福音書(第6章14-29節)に書かれているヘロデ王と、ヘロデ王妃ヘロディアの娘、そして洗礼者ヨハネの記述をふくらませたもの。ヘロデ王が自分の兄の妃だったヘロディアと結婚したことを、洗礼者ヨハネが「律法では許されないことだ」と言ったため、ヘロディアは洗礼者ヨハネを憎んでるんですね。聖書の中のごく短くそっけない記述が作品としておおきくふくらんだという作品は他にもあるし、例えばアニータ・ディアマント「赤い天幕」(感想)も見事だなあと思ったんですが、これもやっぱり素晴らしいー。

聖書ではヘロディアが娘をそそのかすんですが、こちらの作品でのサロメは自らの意思でヨカナーンの首を欲しがってます。サロメのヨカナーンに対する狂気じみた愛。それは作中で何度も登場する月の描写にも現れてます。
これはヨカナーンに出会う前に、サロメが月を見て言う言葉。

「小さな銀貨そっくり。どう見ても、小さな銀の花。冷たくて純潔なのだね、月は... そうだよ、月は生娘なのだよ。生娘の美しさが匂ってゐるもの... そうとも、月は生娘なのだよ。一度もけがされたことがない。男に身を任せたことがないのだよ、ほかの女神たちみたいに」(P.22)

この時点でのサロメは、その月のような乙女なんですよね、多分。変化の予兆はあるのだけど。でもサロメがヨカナーンに出会い、その白い肌や赤い唇を求めるようになり、やがてエロド王の求め通りに踊ることを了承すると... 月は血のように赤くなるのです。それはまたヨカナーンに「ソドムの娘」と言われてしまうサロメ自身の変化でもあるのでしょう。

聖書の記述によれば、らくだの皮衣を着て腰に革の帯をしめ、いなごと野蜜を食べているという野性的な洗礼者ヨハネなんですが、このヨカナーンの雰囲気はまたまるで違います。むしろとても女性的な美しさを持った人物のように描写されてますね。レオナルド・ダ・ヴィンチの「洗礼者ヨハネ」の絵にどうも私は違和感があるんですが、どちらかといえばあのヨハネに近いです。野の百合のように、山に積もった雪のように、そしてアラビアの女王の庭に咲く薔薇のように白い肌。エドムの園の黒葡萄の房、レバノンの大きな杉林、月も星も見えない夜のよりも黒い髪。そして柘榴の実や、ツロの庭に咲く薔薇の花、珊瑚の枝よりも赤い唇。白い肌に黒い髪、赤い唇とくれば白雪姫なんですが(笑)、聖者のその白い肌に、黒い髪に、赤い唇に、サロメは魅了されるのです。

旧仮名遣いの訳もすごく美しいし、岩波文庫版にはビアズレーの挿絵18点も収められていて、既に挿絵というよりも「サロメ」に触発された独特の絵画世界を見せてくれて、そちらも素晴らしいです。ワイルドはビアズレーが嫌いだったって聞いたことがあるんですけど、読者にとっては既に切っても切れない関係かも。(笑)(岩波文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

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雨の夜、細長い山間の奥にある農家にやって来たのは旅の男。一夜の宿を求めて来た男は、部屋に死体があるのを見て驚きます。自分がいきなり死んでも、妹以外は誰も決して体に触ってはいけない、触ると呪いがかかる、と言っていた亭主の言葉を守って、おかみさんが1人で守っていたのです... という「谷の影」他、全6編。

「新編 燈火節」(感想)を読んだ時から読みたいと思っていた「シング戯曲集」。片山廣子さんは松村みね子名義でいくつか翻訳を手がけていて、これもその1つ。以前読んだ「かなしき女王 ケルト幻想作品集」(感想)や、先日読んだ「ロード・ダンセイニ戯曲集」(感想)も、松村みね子訳です。
同じシングによる「アラン島」も先日読了済なんですが... この戯曲を読むと、アラン島での体験やそこで聞いた物語が本当に劇作に生かされてるんだなあというのがよく分かりますね。最後の「悲しみのデアドラ」だけは、ケルト神話に残る逸話がモチーフとなってるんですけど、それ以外の5編はどれもアイルランドの貧しい人々を主人公にしたもの。実際に舞台設定が島になってるのは1編だけですが、「悲しみのデアドラ」以外はどれもアラン島におきかえても構わないような作品ばかり。実際、上にあらすじを書いた「谷の影」は、シングがアラン島で聞いた話の中に入ってましたしね。シングにとって、アラン島の存在って本当に大きかったんですね。ドイツやフランスに遊学し、アラン島に長期に渡って滞在していたシングという人は、きっと経済的にとても恵まれた家の出身だったんだろうと思うんですが、貧しい人々の暮らしを身近に知ったのも、アラン島に行ったからこそだったのかもしれません。
そしてシングの作風は、異教の香りの感じられる「ダンセイニ戯曲集」とはまるで違いました。だから訳文の雰囲気が全く違うんです。ダンセイニの訳では格調の高さが感じられたんですが、こちらはとても庶民的。貧しくも逞しく生きる民衆の姿が目の前に迫ってきます。そして意外なほどユーモアたっぷり。私としてはダンセイニの方が好みなんですが、「新編 燈火節」を読んだ限りでは、松村みね子さんの中ではシングの存在の方が大きかったのかな? 松村みね子さんといえば良家のお嬢様として育ったはずなので、それが少し意外ですが... でもこちらも楽しかったです。(沖積舎)


+既読のシング作品の感想+
「アラン島」シング
「シング戯曲全集」ジョン・M・シング

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イアソンが自分の破滅の原因となると知った王ぺリアスは、イアソンが大海や外国で命を落として戻って来ないことを願い、危険に満ちた航海の冒険を彼に課すことに。それは黒海の東の果てにあるコルキスへ金の羊毛を求めに行くというもの。イアソンはギリシャじゅうの英雄を集めてアルゴ船に乗り込むことに。集まったのはオルペウス、双子のカストルとポリュデウケス、ヘラクレスら50人ほどでした。

文庫なのにアマゾンの中古に8000円なんて高値がついててびっくりしたこの本、市内の図書館に蔵書がないので、他のところから借りてもらっちゃいました。でも文庫なのに8000円ってどういうことよ? 1997年発行でそれほど古い本でもないのに。さっき見たら7500円ぐらいまで下がってたけど、まだまだ買える値段じゃありません。講談社の方、こういう本はぜひ復刊してくださーい。「メタモルフォーシス ギリシア変身物語集」の方は、今でも新品が手に入るのに! しかもきちんとした「アルゴナウティカ」の邦訳ってこの本だけなのに!
と思いつつ。
読みましたよー。ギリシャ神話関連の本で話は何度も読んでるんですが、きちんとした訳はこれが初めてです。ちゃんと叙事詩の形式で訳されているのがすごく嬉しいー。話そのものはそれほど好きではないんですが、古代ローマ時代の詩人、ウェルギリウスやオウィディウスにも大きな影響を与えてる作品ですしね。もう少し後のガイウス・ウァレリウス・フラックスもこの作品に触発されて、新たな「アルゴナウティカ」という作品を書いてます。

エウリピデスのギリシャ悲劇「メデイア」(感想)では既に鬼女のようになってしまっているメデイアですが、イアソンと出会った頃はまだまだ初々しい乙女。後々の激しさの片鱗は見え隠れしていますが、まだまだ純真です。愛するイアソンと父との間で板ばさみになって苦しんでます。...この物語でイアソンの恋の相手となるのはこのメデイアと、その前にレムノス島で出会うヒュプシピュレの2人なんですが、2人の造形がすごく対照的なんですよね。つつましく優しく、男に無理なことを求めない(都合のいい女とも言える)ヒュプシピュレと、激しい恋に燃えるメデイアと。イアソンが結局そのどちらとも添い遂げずに終わったというのが面白いなー。そして対照的といえば、この冒険に参加するヘラクレスも主人公のイアソンと対照的。いかにも英雄といった風情のヘラクレスと、気弱というほどではないんだけど、何かあるたびに思い悩んだり嘆いたりするイアソン。まあ、ヘラクレスは頭の中も筋肉でできてるような人だし、そんな人と比べれば誰でも人間的に見える気もするんですけど。
そのヘラクレスなんですが、結構早いうちにミュシアという土地に誤って置き去りにされてしまうんです。そしてその後合流することもなく「こんな時にヘラクレスがいたらなあ」ってすっかり回想の中の人になってしまうことに。で、びっくりしたのは、その間にヘラに課せられた12の冒険をしていること。しかもその冒険の中で行ったことが、後にイアソンたちの助けになってるんです。こういうの、すごく面白い! しかも解説によると、この物語はもともとは古い民話で、主人公に協力するのは動物だったんだそうです。なんだか桃太郎みたいだわー。なんて、我ながら枝葉の部分ばかり楽しんでるような気がしないでもないですが~。(講談社学芸文庫)

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ロシア民衆の間に口承で伝わってきた英雄叙事詩・ブィリーナ。18世紀以前は放浪楽師(スコモローフ)のような職業的芸能者によってロシア各地で語られ、18~19世紀半ばにその最良の部分が採録されるようになったのだそう。数々のスコモローフたちに語られた数々の物語から、太古の騎士たち、キーエフの勇士たち、ノヴゴロドの英雄たち、勇士群像という4つの章に分けて、21編を紹介していく本。

ブィリーナとは「実際にあったこと」という意味で、19世紀の30年代にサーハロフという学者が命名したものなんだそうです。普通の昔話とは違って史実に基づくもの、特に先日読んだ「イーゴリ遠征物語」(感想)に由来すると言われていたことからの命名。まあ、実際に史実に基づいていたというより「そう考えられていた」というのがポイントなんですけどね。でも、ここに登場する「太陽の君」と呼ばれるウラジーミル公は、プーシキンの「ルスランとリュドミーラ」にも出てくるんですが、このウラジーミル公が誰だったのか、まだ特定されてないんですって。びっくり。歴史上に名を残したキエフ大公国のウラジーミル公は2人いて、1人は「聖公」と呼ばれるウラジーミル1世、もう1人は「ウラジーミルモノマフ」と呼ばれたウラジーミル2世なんだそうです。

「太古の勇士たち」の章に収められているのは、神話的な物語。スヴャトゴールはヘラクレスのような力持ちで世界を持ち上げようとするし、マルファ姫が踏んだ毒蛇が姫の足に巻きついて尾で太ももを打って宿ったというヴォルフは、まるでヘルメスのように成長が早いです。生まれて1時間半もすると話し始めて、おしめの代わりに鎧と兜を要求するんですから。勇ましいヴォリガーと百姓のミクーラの勝負も、今はパッと思い浮かばないけど、いかにも何か似たエピソードがありそう。
「キーエフの勇士たち」の章で中心となるのは、「太陽の君」ウラジーミルと、彼をめぐる勇士たち。その中でもイリヤーとドブルィニャとアリョーシャの3人が代表格。生まれながらに手足が萎えていたイリヤーは3人の老人の力で健康体になり、ロシア一の勇士となるんです。他の勇士たちの物語は大抵1つ、多くても2つなのに、イリヤーにまつわる物語は5つ。それだけ知名度が高くて人気もあったんですね。
そして「ノヴゴロドの英雄たち」で登場するのは、知らないうちに水の王にグースリ弾いていて、お礼に大金持ちにしてもらった商人サドコと、無法者のワシーリイ。「勇士群像」で登場するのは、ウラジーミル公とアプラクシア妃の結婚に一役買ったドゥナイ、富裕な伊達男のチュリーラ、天竺からウラジーミル公の宮廷にやって来た公子デューク、見事賭けに応じるスターヴェルの妻、たった1人でタタール人の軍勢を退けながら法螺吹きと思われたスフマン、ウラジーミル公の姪。ザバーヴシカ姫と結婚したソロヴェイ。

私が一番気に入ったのは、昔話風の「イリヤーの三つの旅」。旅をしていたイリヤーが、道が三つに分かれる辻に不思議な道標を見つける物語です。石の上には「第一の道を行けば、死を得るべし。第二の道を行けば、妻を得るべし。第三の道を行けば、富を得るべし」なんて書かれていて、それだけならよくあるパターンとなりそうなところなんですけど... でもその後の展開は独特なんです。面白いなあ。あと「イリヤーとカーリン帝」では、タタールの軍勢によって窮地に陥ったウラジーミル公を助けるためにイリヤーは12人の勇士たちに助成を頼むんですけど、その時に、助ける助けないと3度のやりとりをするんですね。これが昔ながらの定型って感じでいい感じなんです。やっぱり定型って美しいなって思いますね。(平凡社)

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寒空の下、道をゆくのは1人の吟遊詩人。かつてこの地方には多くの詩人たちがいましたが、彼はその最後の1人。今やすっかり年老いて、放浪の竪琴弾きとしての貧しい暮らしに苦しんでいました。時代は移り代わり、古い慣習は消え、最早大広間の上席について、華やかに着飾った領主やその奥方に即興の調べを聞かせることもなくなっていたのです。飢えて疲れきっていた彼は、ヤロウ河畔のニューアーク城のアーチをくぐります。しかしこの城の公爵夫人に思いがけない暖かいもてなしを受けると、彼の中の吟遊詩人としての誇りが甦ります。そして名君と言われたフランシス伯爵のこと、これほどの勇者はないと言われたウォルター伯爵のこと、バックルー一族の古の戦士たちにまつわる古い武勲物語を歌うことに。

ウォルター・スコットの「最後の吟遊詩人の歌」の原文と日本語訳、そして佐藤猛郎氏による作品研究が収められている本。
「最後の吟遊詩人の歌」は、序詩と吟遊詩人が歌う6曲の古い歌からなる作品。英国における吟遊詩人の活躍は、英語が一応成立した13世紀頃から、エリザベス一世に弾圧されるようになった16世紀末ぐらいまでなんだそうで、この作品の吟遊詩人が生きてるのは、まさにその末期の時代。そしてその吟遊詩人が歌う物語は、時代がもっと遡ります。もてなしてくれた公爵夫人の祖先の物語。他の一族の戦い、ロミオとジュリエット的な恋愛、そして魔術。登場するのは実在の人物ばかりで、ここで歌われる出来事にも史実が多いのだそう。ウォルター・スコット自身の祖先で、実際に歌人だった「Walter Scot of Satchells」が書き残した「スコット一門正史」が元になってるんだそうです。
私が一番好きなのは中世に作られた叙事詩なんですけど、でもウォルター・スコットが19世紀に作ったこの作品も、ものすごく素敵でした。吟遊詩人がいた当時の情景が目の前によみがえってくるみたい。今は年老いた吟遊詩人が語るという枠物語の形式を取っているので、尚更そういった印象になったのかもしれません。読みながらもう、静かに熱くなりました!(なんて書くと意味不明ですが...) ああ、こういう作品、もっともっと読みたいなあ。

「作品研究」では、老吟遊詩人に焦点を当ててウォルター・スコットが表現しようとしたものを探っていて、その辺りがとても参考になりました。年老いて疲れ果てた吟遊詩人の姿が、今はもうすっかり衰えてしまったスコットランドを表してるようだ、とかね。それに「Bard(歌人)」と「Minstrel(吟遊詩人)」の違いやその社会的身分について触れられているのも、すごく興味深かったです。「Bard」は、ケルト系の氏族の領主に直属する存在。世襲制で、領主一族の系図や武勲を暗誦する人。饗宴の席で竪琴に合わせて歌うだけでなく、領主の子弟の教育を受け持ち、戦いにおいては使節の役目も果たすとか。身分としては、領主、乳兄弟に次ぐ高いもので、その次に鼓笛手、布告役、一般家臣と続きます。それに対して「Minstrel」は、「中世期において、詩と音楽で生計を立て、竪琴に合わせて、自作の、あるいは他人が書いた詩を歌ってきかせることを職業とする人々」のこと。
北欧系の「Scald(歌人)」のようにゲルマン系諸民族の間でも「Glee」「Jongler」「Minstrel」と呼ばれる歌人と芸人の中間のような人々が存在して、ドイツでは「Minnesinger」、南フランスでは「Troubadour」といった宮廷歌人になっていったんだそうです。でも一時は王侯に仕える身分にまでなった「Minsutrel」も時の移り変わりと共にすっかり落ちぶれることに...。「言い伝える」じゃなくて「書き残す」時代になってしまうんですね。(評論社)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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3年前に敵であるダルニアック王に敗れ、今は奴隷の身となっているアルギメネス王。奴隷たちと一緒に土を掘っている時に古い刀を見つけます... という「アルギメネス王」他、全9編の戯曲集。

劇作家としても有名だったというロード・ダンセイニの戯曲全9編。というか、日本に作品が入って来た最初のころは戯曲家として知られていたようです。私にとってはファンタジー作家なのだけど。いや、「ファンタジー」という言葉が軽すぎるように思えるほど、別格の存在なのだけど。

かつて王であったことを思い出すと怖くて仕方がないと言うアルギメネス王と、そういう思い出があることが幸せだと言う奴隷のザアブ。自分が反乱を起こしたら従うかと訪ねるアルギメネス王に向かって、たとえ本物の王ではあっても奴隷の外見をしている者にではなく、王らしい外見に従うと言うザアブ。短い戯曲の中にも人間の本質に触れるような様々なやり取りがあって、はっとさせられます。
ここに収められた9編の舞台はアラビアだったりエジプトだったりバビロニアだったりと、アイルランド出身のロード・ダンセイニにとってはエキゾティックな異国だったに違いない場所。そんな異国の美しさが際立ってます。特に印象に残ったのは、「何千の悪魔の親の、ひからびた欲深じじい奴!」なんて言われながらも、その美しさが目の前に広がるように感じられる沙漠。王の沙漠への渇望が我がことのように感じられるほど。そしてダンセイニは、カトリックが有力なアイルランドの人とは思えないほど異教的な神々を描く人なんですが、その異教の神々の姿もとても印象的。小説よりも、無駄をそぎ落とした戯曲という形式だからこそ、一層際立っているのかもしれないですねえ。「光の門」という作品では、天国の門が登場するんですけど、結局見えた「無」や聞こえてくる笑い声が何とも言えない...。それに他の作品でも、人間の小賢しい知恵にちょっぴり付き合って、いいように人間をもてあそび、それを何とも思わないような残酷な神々の姿が印象に残ります。何とも思わない、というのは、多少酷いことをしても心が痛まないとかそういうのじゃなくて、文字通りの意味で「何とも思わない」です。
それぞれの作品がちょっとびっくりするほど面白かったし、これらの劇が実際に演じられているところを観てみたくなりました。どこかギリシャ悲劇に通じるような気もします。ええとその場合はエウリピデスじゃなくて... アイスキュロスというよりもソフォクレスかな?(すみません、てきとーなこと書いてます) そしてこの戯曲は松村みね子さん訳で、それは先日読んだ「新編 燈火節」(感想)の片山廣子さんなんです。最初の時のままの旧字・旧かな遣いの訳が読みたかったなと思ってしまうのだけど、現代の仮名遣いに直しても、やっぱりいいですね。同じく松村みね子さん訳の「シング戯曲全集」もぜひ読みたいです。(沖積舎)


+既読のロード・ダンセイニ作品の感想+
「ぺガーナの神々」ロード・ダンセイニ
「魔法使いの弟子」ロード・ダンセイニ
「魔法の国の旅人」ロード・ダンセイニ
「世界の涯の物語」「夢見る人の物語」ロード・ダンセイニ
「妖精族のむすめ」ロード・ダンセイニ
「エルフランドの王女」ロード・ダンセイニ
「影の谷物語」ロード・ダンセイニ
「時と神々の物語」「最後の夢の物語」ロード・ダンセイニ
「ダンセイニ戯曲集」ロード・ダンセイニ
「牧神の祝福」ロード・ダンセイニ

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人間に火をもたらしたことによってジュピターの怒りを買ったプロメテウスは、インド・コーカサスの氷の岩の峡谷に縛り付けられたまま、昼間はハゲワシに肝臓を啄ばまれ、夜になるとその肝臓が自然に再生されるという状態で3000年を過ごすことに。

アイスキュロスのギリシャ悲劇「縛られたプロメテウス」を読み、影響を受け、プロメテウス礼賛者となったという詩人・シェリーの書いた詩劇。上演されることではなく、読まれることを目的に書かれている脚本形式の作品をクローゼットドラマ(レーゼドラマ・書斎劇)と言うのだそうで、これもその1つです。
アイスキュロスの「縛られたプロメテウス」は私も読みましたが(感想)、これは3部作の1作目だし、しかし続く2作が既に失われてしまってるので、プロメテウスとゼウスがどんな風に和解することになったのかは不明なんですよね。ゼウスに謝るよう説得するために神々が次々にプロメテウスのもとを訪れるものの、ゼウスは予言知りたさで自分を許すはずだとプロメテウスが強気に考えているところまでで終わっています。
そしてシェリー自身の「序」を読むと、シェリーがこの失われた悲劇を修復しようと思ってこの作品に取り掛かったのではないことが良く分かります。プロメテウスとジュピターの和解という結末を好まなかったシェリー自身が作り上げたのは、またまるで違う物語。こちらのプロメテウスは、ゼウス相手に取引なんてしません。1章が始まった時、日々の苦しみに苛まれつつも、既にジュピターを恨んでいないどころか、かつて自分が口にした呪いの言葉も後悔しています。逆に、近い将来おとずれる自分の破滅を知らないジュピターを哀れんでいるほど。
シェリーは権力や支配、暴力を否定し、暴虐的な支配はいつか自らの暴虐によって自滅するという信念を持っていたようです。憎悪や敵意から解き放たれた時、人は初めて真の平和を得ることができる... ゼウスは使者を通してはキリストの磔刑やフランス革命の場面をプロメテウスに見せ付け、その過ちに気づかせようとするんですが、まるで効果なし。プロメテウスはゼウスの暴力的な支配に屈しないどころか、ゼウスを愛することによって、解き放たれることになるんです。とてもキリスト教的な物語ですねー。まるでプロメテウス自身がキリストみたいな描かれ方です。自らの暴虐に自滅するゼウスの姿は、万能の神ではなくて、まるで人間の世界の支配者。

まあ、面白いかといえば、正直あまり面白いとは思えなかったんですが... 私にとっては、アイスキュロスの悲劇の方がずっと力強くて面白かったし。でもギリシャ・ローマ神話関連ですしね。これはいつか読まなくちゃと思ってたので、今回読めて満足。それにロマン派詩人としてのシェリーの表現の夢のような美しさなど、部分的にはとても惹かれるもののある作品でありました。(岩波文庫)

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フィンランドの国民的叙事詩・カレワラ。これは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」と並ぶ世界三大叙事詩の1つでもあります。でも紀元前8世紀半ば頃にホメロスが作ったとされる「イーリアス」や、紀元3世紀頃にヴァールミーキが書いた(編纂した?)「ラーマーヤナ」とは違って、今読める「カレワラ」は、19世紀にリョンロットという人が様々な伝承歌謡を採取して、1つの物語となるように並べたもの。だからストーリー的には、「イーリアス」や「ラーマーヤナ」にやや劣るという欠点もあるんですね。私は好きなんですけど、なんでこれが世界三大叙事詩とされてるのかは、ちょっと疑問...。同じヨーロッパ圏から選ぶなら、例えば「古エッダ」「ニーベルンゲンの歌」辺りの方が妥当な気もするんだけど。
フィンランド人にとって「カレワラ」とは、カンテレという楽器の伴奏に合わせて吟唱するものなので、散文では書かれることはなかったそうなんですが、20世紀になって元ヘルシンキ大学教授のマルッティ・ハーヴィオ博士が「カレワラ物語」としてのカレワラを出版することになります。その訳がこの本。「タリナ」とは物語という意味なんだそうです。私は以前にきちんと叙事詩として訳されてる岩波文庫版の「カレワラ」を読んでるので、本当は散文訳は読まなくても良かったんですけど、でも北欧文化通信社の活動を応援する意味でも読んでみることに~。
ということで、カレワラを読むのはこれが3度目。(絵本を入れれば4度目・笑)
岩波文庫版に比べると、どうしてもかなり簡易版になっちゃってるし、私が大好きな「事物の起源」を唱えることによって魔法をかけるという部分もすごくあっさりしちゃってて残念なんですけど、それだけに頭の整理や復習にはぴったり。まとまりが良くて、とても読みやすかったです。これはカレワラ入門に最適かも。そしてカレワラ入門といえば、岩波少年文庫でも最近「カレワラ物語」というのが出てるんですよね。もしや「カレワラ」人気の兆候が?! そちらは岩波文庫と同じ小泉保さんの訳。これを読むまでは、「カレワラ物語」の方はいいやって思ってたんですけど、そちらもやっぱり読んでみたくなってきちゃいました。どう違うんだろう。同じような感じなのかしら。
あと、カレワラを題材にシベリウスが多数作曲していて、そちらもなかなか素敵です。(北欧文化通信社)

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ノルウェーに帰港間近に嵐によって流された貿易船。船長・ダーラントはたどり着いた岸辺に錨を下ろさせ、乗組員たちは休息を取ることに。そこに現れたのは赤い帆と黒いマストの船。その船は見る間に岸に近づくと、ダーラントの船とは反対側に接岸。全身をスペイン貴族のように真っ黒い衣裳に包んだオランダ人の船長が岸に下りたち、幽霊船の水夫たちが陰鬱に歌い始めます。オランダ人の船長を見て自分も岸に降り立ったダーラントは、オランダ人の見せた宝物に魅せられて、娘のゼンタをオランダ人船長に与える約束をすることに... という「さまよえるオランダ人」。
先代のブラバント公爵が娘のエルザと息子のゴットフリートを遺して亡くなって間もなく、ゴットフリートが森で行方不明になるという出来事が起こります。これは公爵領を狙うテルラムント伯爵の妻、実は魔法使いでもあるオルトルートが、ゴットフリートを白鳥に変えてしまったため。テルラムント伯爵は弟殺しの罪でエルザを訴え、丁度ブラバントを訪れていたハインリヒ1世が訴えを聞いて神明裁判を宣言。エルザは夢に現れた白銀に輝く甲冑姿の騎士に、自分の苦境を救ってくれるよう祈ります... という「ローエングリン」。

先日読んだ「タンホイザー」と今回読んだ「さまよえるオランダ人」「ローエングリーン」の3作は、いわゆる「ロマン派歌劇三部作」とされているのだそうです。世の中に出たのは、「さまよえるオランダ人」→「タンホイザー」→「ローエングリン」の順番。「さまよえるオランダ人」でワーグナーらしさが確立されて、「ローエングリン」が一番完成度が高いそうなんですけど... 私としては「タンホイザー」が一番好きだなあ。

まず「さまよえるオランダ人」。私はてっきりオランダ人が七つの海を彷徨う羽目に陥った伝説そのものを描いてるのかと思ってたんですけど、そうじゃなかったんですね! 物語が始まった時、呪いがかけられてから既に相当の年月が経ってました。でも父親が勝手に娘の結婚を決めてしまって、恋人同士が引き裂かれる話かと思ったんですが、どうもそういう話でもないらしく...。
娘がすっかり神懸ってしまって(それともこれは悪魔憑き?)、これじゃあ意味不明だよ... 分からないといえば、オランダ人もワケ分かんないんですけどね。何も1人で全て決め付けなくてもー。そんなことじゃあこれからの結婚生活が上手くいくわけないっしょ? なんて言いたくなってしまうー。(いや、きっとそういう陰鬱なキャラクターということなんですね、きっと) でも天野喜孝氏の挿絵が凄いです。これですっかりオランダ人のイメージは定着。

そして「ローエングリン」は、聖杯伝説に絡んだ話。エルザと白銀の甲冑の騎士の話が中心で、エルザが騎士の名前も素性も聞かないという誓いを立てなくちゃいけなくなるところがポイントなんですけど、まあ見てはいけないと言われれば見たくなるし、聞いてはいけないと言われれば聞きたくなるのが、この世の常。それでも魔女がいなければ、そんなに性急に事は運ばなかったでしょうね。あっさり引っかかったエルザは、まるでパンドラみたいな美しいおばかさん。この話は、実は魔女の1人勝ちのような気がします。この魔女はゲルマン神話の神々を信仰してるのかな? 「恩恵に浴しながら、おまえたちが背いた神々の 恐ろしい復讐をいまこそ思い知るがいい」なんて台詞が出てきます。ゲルマン神話の神々を信仰してるとなると、そんな悪い人に思えなくなってしまう私もダメダメ。(笑)
ということで、こちらは東逸子さんの挿絵です。エルザ、可愛いなー。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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愛の女神・ヴェーヌスの美しい洞窟。ヴェーヌスは薔薇色の光が漏れる洞窟の豪華な臥所に身を横たえ、タンホイザーはそのかたわらに寝入っています。周囲では妖精たちや人々による歓楽の情景。しかしその歓楽の宴が終わって目覚めた時、タンホイザーはヴェーヌスのもとを去る決意を固めていたのです。それは夢の中で耳にした教会の鐘の音がきっかけ。タンホイザーは、ヴェーヌスの寵愛を受ける今でも自分が死すべき人間であることに変わりはないこと、森や草原、空、鳥、教会といった地上のもの、そして自由を求めていることを語ります。

ワーグナーによるオペラ「タンホイザー」。タンホイザーは13世紀のドイツに実在した詩人。ヴェーヌス(ローマ神話の愛の女神・ヴィーナスね)の洞窟で永年過ごし、ある時に悔い改めるつもりでローマ法王のもとに行くのですが赦しを得られず、再びヴェーヌスの洞窟に戻ったという伝説があるんだそうです。なぜヴェーヌスが洞窟にいたのかといえば、キリスト教がヨーロッパに広まるにつれて、神話の神々は厳しい弾劾を受けるようになり、それを避けるために地下に宮殿をかまえたから。そして、それとはまた別に、テューリンゲンのヴァルトブルクの城で行われた、詩人たちによる歌合戦の伝説もあるんだそうです。ノヴァーリスの「青い花」(感想)の主人公・ハインリヒ・フォン・オフテルディンゲンもこの歌合戦に参加してたんだとか。そしてワーグナーがこの2つの伝説を結びつけて、「青い花」のハインリヒをタンホイザーに置き換えて書いたのがこの作品。

話の雰囲気とか、エリザーベトの清らかな愛情、タンホイザーの迷いなんかはいいんですけど... これじゃあ、ヴェーヌスが可哀想。ヴェーヌスの愛情が本物だったという線も十分あり得ると思うのに、ここではあくまでもキリスト教に対する異端の魔女的に描かれてるんですよね。まるで魔法でタンホイザーを誑かしたみたい。でもそれは違うでしょ...? と言いたくなるのは、私が神話好きだからでしょうかー。いや、実際にはこうしか書けないんでしょうけど。最後の姿が哀しいです。
「ニーベルンゲンの指環」の4冊はアーサー・ラッカムの挿絵でしたが、こちらは東逸子さんの挿絵。新書館のこのシリーズはどれも美しいですね。他のワーグナー作品も今度読もうっと。そしてこの本を読んでる時にたまたまリストのCDをかけてたんですが、最後にタンホイザー序曲が! そうだった、忘れてたー。...というのもすごい話ですが(笑)、私としてはこのシンクロにびっくりです。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

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「抒情詩」「童謡」「宗教詩」「譚詩」という見出しのもとに88編を収めた詩集。

先日読んだ「ヴィクトリア朝妖精物語」(感想)に収められていた「妖魔の市」がものすごく良かったので、こちらも読んでみることに~。でもあちらの本の刊行が1990年なら、こちらの本の初版が出たのは1940年。なんと50年もの差があるんです。こちらは当然のように旧仮名遣いだし、全然違っていてびっくり。でも「ヴィクトリア朝妖精物語」の矢川澄子さん訳ももちろんすごく良かったんですが、この旧仮名遣いもクリスチナ・ロセッティの雰囲気にはとてもよく合ってるような気がしますね。訳者による「序」には「譯文の硬軟新古一様ならざるは、その時その折の感懐に従ったまでである。深く咎めざらんことを」とありますし、実際、文語体の訳と口語体の訳が混ざってるんですが、でも口語と言っても当時の口語ですしね。とてもいい雰囲気なんです。こういうの、好き好き♪

クリスチナの姉のフランチェスカはダンテ研究家、長兄ダンテ・ガブリエルは前ラファエル派の画家であり詩人。次兄ウィリアム・マイケルも美術評論家。恵まれた芸術的環境にいたクリスチナは13歳から詩を作り始めたのだそうです。清楚で優しくて透明感があって、夢見るような雰囲気がとても素敵。でも同時に死を思わせるようなものがとても多くて驚きました。幼い頃から病弱だったというクリスチナは、それだけ日常的に死を感じていたのですね。(結果的には、60年以上生きることになるのですが)
あまり現代的な詩は分からない私なので、逆にこういう旧仮名遣いで書かれている方がすんなりと入ってきたりします... 抒情詩なのに(「なのに」というところが問題なんですが)すごく素敵! もちろん物語詩の「譚詩」が一番好みではありましたが~。

そして私は今まで知らなかったんですけど、「童謡」に収められているような詩は、実際に曲がつけられているものも多いみたいですね。西条八十の訳詩で「風」とか。「風」と聞いても歌詞を見ても全然ぴんとこないんだけど、聞いたらどんな曲か分かるのかな...。以下、西条八十の詩です。

誰が風を見たでしょう
僕もあなたも見やしない
けれど木 (こ) の葉をふるわせて
風は通りぬけてゆく

誰が風を見たでしょう
あなたも僕も見やしない
けれど樹立 (こだち) が頭をさげて
風は通りすぎてゆく

私が読んだこの本に載ってるのはまた違う訳なんですけどね... 実はかなり有名な歌ですか??(岩波文庫)

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アイルランド系の詩人・ウィリアム・アリンガムによる詩に、これまたアイルランド系の画家一族に生まれた「妖精国の宮廷絵師」と呼ばれるリチャード・ドイルの絵が添えられた絵本。原書は、イギリスの有名な木版印刷師・エドマンド・エヴァンスが手がけた数々の絵本のうちでも最高傑作とされる豪華本なのだそうです。それが文庫本になってしまうというのが驚きなんですが、このちくま文庫版は絵もカラーだし、小さいながらも美しい本となっています。

詩の方は「夜明け」「昼まえ」「昼のおふれ」「暮れ方近く」「日は暮れて」という5幕の芝居仕立て。妖精の姫君が妖精国の掟によって次の満月には結婚しなければならないというのに、お姫さまは3人の求婚者たちが全然気に入らなくて... という物語詩です。矢川澄子さん訳。でもね、詩そのものはとても可愛らしいんですけど、その合間合間に直接その場面と関係のないイラストと説明文が挟まれてるので、ちょっと分かりづらいんですよね...。原書でもこんな構成だったのかしら。日本語に訳す時にどうにかならなかったのかしら。
ちなみにイラストを描いているリチャード・ドイルの甥があのシャーロック・ホームズシリーズのコナン・ドイルなんですって。コナン・ドイルが画家一族に生まれてたなんて、知らなかったです。(ちくま文庫)

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ラトモス山麓の羊飼いたちの部族の若き王者・エンディミオンは、狩を好む美しい青年。しかし喜ばしいはずの祝祭の日、エンディミオンは突然気を失うのです。優しく介抱する妹のピオナの腕の中で息を吹き返したエンディミオンが語ったのは、夢の中で出会った月姫と恋に落ちたということ。そしてエンディミオンは、地下と海底、そして天上へと月姫を探す旅に出ることに。

月の女神・セレネがラトモス山中で眠っていた美しい少年・エンディミオンに恋をしたというギリシャ神話のエピソードを元にイギリスの詩人・ジョン・キーツが書いた長編の物語詩です。
さてこのエンディミオンとセレネのエピソードなんですが、アポロドーロスの「ギリシア神話」を繰って探してみたんですが、ごくごくあっさりとしか載ってませんでした。

カリュケーとアエトリオスから一子エンデュミオーンが生れた。彼はテッサリアーからアイオリス人を率いてエーリスを創建した。一説によれば彼はゼウスの子であるという。彼は人にすぐれて美貌であったが、月神が彼に恋した。しかしゼウスが彼にその欲するところを授け、彼は不老不死となって永久に眠ることを選んだのである。

これだけ!
いつもながら、アポロドーロスの「ギリシア神話」はほんとあっさりしてます... 単なる事実(?)の羅列といった感じ。呉茂一「ギリシア神話」には、もう少し書かれてましたけどね。永遠に美しさを保って死の眠りを眠るのと、生きて年老いていくのと、どちらがいいかという選択で、永遠の美を選ぶことになったらしいです。その選択をしたのがエンディミオンなのか、セレネなのか、それともゼウスの意思だったのかというのは明らかではないようでしたが。...ということは、やっぱりエンディミオンはゼウスの子ではないんじゃないかしら。もしゼウスの子だったら、きっともう少し恋人たちに優しい措置になったのではないかと思うし。
でもいずれにせよ、ギリシャ神話の中ではとても短いエピソードなんですよね。これがこんなに長くて美しい物語になってしまうとは...。でもギリシャ神話がイメージの源泉となるのは、ものすごく分かる気がします。「エンディミオン」には、エンディミオンの妹など、ギリシャ神話には出てこない人物も登場するんですが、基本的に神話の中の人物やエピソードがいっぱいで、ものすごく私好みな雰囲気です。

そしてこの本、訳が古い文体だったのでした。訳者あとがきをみたら、日付が昭和18年になっていてびっくり。冒頭はこんな感じです。

美しきものはとこしへによろこびなり、
そのうるはしさはいや增し、そはつねに
失せ果つることあらじ。そは常に吾らのために
靜けき憩ひの木陰を保ち、又うましき夢と
健康と靜かなる息吹とに滿つる眠りを保たむ。

さすがに意味がさっと頭の中に入ってこなくて、同じところを何度も読み返してしまいましたが...! こういう訳で読めて良かったです。何といっても美しい...。キーツの詩の雰囲気にぴったりだし、目の前に美しい情景が広がります。こういうのは新訳では読みたくないです。読むのには苦労するけど、こういう訳の方が好き!
あ、でもこの本も青柳いづみこさんの「水の音楽」から読みたくなった本なんですが... 肝心の「水の女」についてどういう風に書かれていたのか、すっかり忘れちゃってます、私。(汗) この作品にも確かに「水の女」は出てくるんですけどね。河の神・アルフェイオスと泉のニンフ・アレトゥーサのエピソードとか。そういうニンフの話だったかしら。それともセレネに恋されたエンディミオンだけど、実は水のニンフとの間に子供がいたった話だったかしら? ついこの間読んだばかりなのに、ダメダメだわー、私ってば。でも水の女よりも海底に差し込む月の光の方が印象的だったなあ。(岩波文庫)

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森で狩をしていたアルモンドの王子・ゴローは、獲物を深追いして森で迷ってしまいます。獲物を見失い、猟犬ともはぐれたゴローが出会ったのは、泉のほとりで泣いていた美しい少女。メリザンドだと名乗る少女の服装は王女のようで、かぶっていたという金の冠は泉の中に落ちていました。メリザンドに惹かれたゴローは彼女を連れて城に戻り、結婚するのですが...。

青柳いづみこさんの「水の音楽」を読んだ時に気になっていた本です。(記事) 本当は普通の本が読みたかったのに対訳しか見つからず... しかも対訳といえば英語かと思いこんでたんですが、なんとフランス語でびっくり。いえ、メーテルランクはベルギー人なので、当然といえば当然なんですが。...この「メーテルランク」、知らないなあって思う方も多いと思いますが、実は「青い鳥」のメーテルリンクなんです。こういう本でフランス語の勉強ができたらいいですよねえ。今回は所々原文を見る程度で、結局日本語の文章を追ってしまったので勿体なかったんですが。
右の画像は、ドビュッシー、シベリウス、シェーンベルク、フォーレの4人のそれぞれの「ペレアスとメリザンド」が入っているというCD。聴いてみたいなあと思って。音楽だけでなく、絵画の題材にもなってるのかもしれないですね。この本にもすごく素敵な挿絵が挿入されていました。カルロス・シュワップ画で、元々はパリで発行された限定版のための挿絵なのだそう。文庫だと小さくなってしまうし、色彩も分からなくなってしまうのが残念。でもこれもとても素敵で、元の美しさが想像できます。

青柳いづみこさんの本にも書かれていたのですが、この作品には確かにメリザンドが「水の女」だという記述はないんですね。それでもメリザンドが最初に登場するのは森の泉のほとりだし、城の外苑の泉の場面や海辺の洞窟の場面、城の地下にある水の溜まった穴などなど水の場面が、それぞれとても印象的なんです。それにとても意味深長。ゴローとの出会いの場面の会話からして、謎めいています。メリザンドはどうやらいじめられて、どこかから逃げ出してきたらしんですが、詳しくは語ろうとしません。生まれたのはこの国ではなく、ずっと遠いところ。王女のような服装をして、泣いているうちに「あの方に頂いた」金の冠を水に落としてしまった、しかしその冠はもう欲しくない。そしてその後の「どうしてそんなに、じっと、ごらんになるの」「目を見ているのです。ーー少しも目を閉じないのですか」という会話もなんだかイミシン。やっぱり人間じゃないみたい。水の精みたいですよね。まるで水の王と結婚していたような感じ。そしてこのメリザンドの性格ときたら。何かといえばすぐ泣くし! 気分のムラは激しいし! すぐ「どこかへ行ってしまいとうございます」なんて言うし! それにしては主体性のない流されやすい人なんですよね。これはやっぱり水そのものー。

この本の途中、鉛筆で「ちょい苦しい訳!」なんて書き込みされてました。(図書館の本に書き込みなんてしちゃいけません!) でも確かにそこも「ちょい苦しい」けど、私にはもっと気になるところが! 序盤でゴローの母親が自分の息子のことを話題に出してるんですけど、「あれはいつも本当に慎重で、くそ真面目で、意志も強い男でしたのに...」なんて言ってるんですよ。「くそ真面目」って! 仮にも一国のプリンセスの言葉とは思えません!!(岩波文庫)

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ある日ディジョンの火縄銃(アルクビューズ)公園のベンチに座っていた「私(ベルトラン)」は、貧困と苦悩を全身に纏ったような哀れな男に出会います。同じベンチに座って読書をしていたその男の本からひとひらの押し花が地面に落ち、「私」がそれを拾い上げて男に返したことがきっかけで、話し始めた2人。芸術を探し求め、そして見つけたという彼は、「私」にそのことを語り聞かせ、持っていた本を読むように渡して去っていきます。それは「夜のガスパール。レンブラント、カロー風の幻想曲」という本でした。

夭折した詩人・ベルトランの散文詩集。没後忘れられていたこの作品集はボードレールによって見出され、マラルメをはじめ多くの詩人に影響を与えることになったのだそう。ラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」も、ここからなんですよね。ラベルのこの「夜のガスパール」は「オンディーヌ」「絞首台(ジベ)」「スカルボ」の3曲。それぞれ同名の詩があるんです。このラヴェルの曲、弾くのがものすごーーく難しそう... 美しいけどちょっと薄気味悪いところもある曲です。

この本は、「神と愛とが芸術の第一の条件、芸術の中にある《感情》であるならば、--悪魔こそその第二の条件、芸術の中にある《思想》ではないでしょうか」と言う男が持っていた本「夜のガスパール」を、ベルトランが出版したという体裁。ガスパールとは、この本の中では悪魔の名とされていますが、元々はベツレヘムへ向かった東方の三博士の1人の名前から。(ちなみに3人の博士の名前はメルヒオール、ガスパール、バルタザール)
「フランドル派」「古きパリ」「夜とその魅惑」「年代記」「スペインとイタリア」「雑詠」という「夜のガスパールの幻想曲第一の書」から「第六の書」までと、「作者の草稿より抜粋したる断章」があって、1つの章につき収められている詩は10編前後。散文詩という物自体、私にはよく分からないままだったし、一読しただけではその魅力が十分分かったとも言えないんですけど、でも1つ1つじっくり読んでると、なかなかいいんです、これが。特に「夜とその魅惑」には、稲垣足穂の「一千一秒物語」を思い起こさせる雰囲気がありましたしね。ちょっと薄気味悪くて、でもちょっと楽しい感じ。

月が黒檀の櫛で髪を梳いていた。丘を、野原を、木々を、蛍の雨で銀色にしていた。(狂人)

しかし小人は、いななき逃げる私の魂にぶらさがり、白いたてがみから糸を紡ぐ、紡錘のように廻っていた。(小人)
そして私、--熱に錯乱し!--顔に皺寄せた月が、私に向かって舌をつき出している首吊り人のように見えた!(月の光)

これだけ抜き出してもワケ分かりませんが...。こういうの、結構好きだな。(岩波文庫)

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トランペット吹きのティム・トゥーニーが汽船ヴァージニアン号に乗り込んだのは、1927年1月のこと。一等の金持ち連中のために、二等船客のために、そして時々貧しい移民連中のためにと1日に3~4回ずつ演奏する日々が始まります。その船のジャズ・バンドの中にいたのが、ピアニストのダニー・ブードマン・T・D・レモン・ノヴェチェント。ノヴェチェントは、このヴァージニアン号で生まれた人間。ニューヨークに到着した時に、一等船客用のダンス室のグランドピアノの上に、段ボール箱に入れられて置き去りにされていたのです。1900年生まれのその赤ん坊はノヴェチェント(900)と呼ばれるようになり、やがて世界一のピアニストになることに...。

私は観てないんですが、映画「海の上のピアニスト」の原作ですね。中心となるのはトランペッターのモノローグ。彼が船の上で出会って親しくなったピアニストのノヴェチェントについて語っていきます。かっちりしたシナリオではないんだけど、モノローグの合間にト書きが書かれているので、本当に芝居の脚本を読んでいるような雰囲気。
船で生まれた赤ん坊はそのまま船に置き去りにされ、船の上で成長し、船で出会う人々の目を通して世界中を知ることになります。生まれてこの方一度も陸の土を踏んだことのないノヴェチェントは船を下りようなんて考えもしないんですけど、ある日突然言うんです。「ニューヨークで、あと三日したら、この船から降りるよ」
その時ノヴェチェントは32歳。でも、陸地から海が見たいと言ったノヴェチェントの足が3段目で止まってしまうんですね。この時のノヴェチェントの思いが終盤に明らかにされるのですが、これがすごく分かる...。この場面を読んだ時、ノヴェチェントの出すピアノの音がどんな音だったのか、なんだかとても分かるような気がしました。
本を読んだ限りのイメージでは、フルカラーの綺麗な映像の映画よりも、もっとシンプルな舞台で観たいなーという感じ。美しい映像で美しいピアノの音色を聴くのももちろんいいんですけど、もっとシンプルな方がノヴェチェントの生涯が際立ちそうな気がする... 実際にはどうだったのかしら?(白水uブックス)


+既読のアレッサンドロ・バリッコ作品の感想+
「海の上のピアニスト」アレッサンドロ・バリッコ
「絹」アレッサンドロ・バリッコ

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30代後半、ほぼ同年代に見える喪服を着た男女が5人。彼らは高校の同級生で映研の仲間。かつては気の置けない仲間として付き合っていた彼らも、実際に会うのはとても久しぶり。映画監督デビューを果たしたタカハシユウコの呼びかけで、エキストラとして出演するために集まったのです。その日は、奇しくもかつての同級生・オギワラの葬式があった日。それぞれの近況やかつての同級生の噂から、殺されたオギワラの捜査のために葬式には警察も来ていたという話になり、高校の学園祭の直前に消えたフィルムの話や食中毒事件の話も飛び出して、徐々に不穏な空気が漂いはじめます。

演劇集団キャラメルボックスのために書き下ろしたという初の戯曲作品。少人数の密室劇で心理サスペンス物がやりたいという劇団側の最初の希望通り、登場人物は5人だけで、場面もそのままの1幕物。
話が進むにつれてそれぞれの抱えている事情は徐々に明らかになっていくんですけど、相手が今どんな状況にあってどんなことを思ってるのか、最初は分からないんですよね。まずは腹の探りあい。なんでこの人はこんなに疑い深いんだろう... なんて人もいたりして。それも彼の今いる状況のせいなんですが、その疑い深い言葉に背中を押されるようにして他の4人も徐々に疑心暗鬼になっていきます。そして場がどんどん緊迫していく様子にどきどき。
とは言っても、最終的には肝心な部分が分からないまま終わってしまうのが恩田さんらしいですが...(笑)
劇団側からの「直してほしい・解決してほしい点のリスト」を全て解決したせいで恩田色が薄くなってしまったという意見もあったようなんですが、そうなのかな? それでも私にはすごく面白かった! 初の戯曲作品ということで色々戸惑った部分もあったようですが、そんな裏事情が分かる「『猫と針』日記」その他もすごく面白かったです。「違う。違うわ。台詞の重みが、存在感が、全然違うっ。」

最後に「猫と針」という題名について。

かつてボリス・ヴィアンという人がいて、『北京の秋』という本を書いた。人に「なぜ『北京の秋』というタイトルなのか」と聞かれ、「北京にも秋にも関係があい。だから『北京の秋』だ」と答えたそうである。『猫と針』は、猫は若干関係があると思うけれど、針が関係あるのかどうかはまだ分からない。

要するにあんまり関係ないということですね。(笑)
ボリス・ヴィアンの全集の中で次に読む予定なのが「北京の秋」。ああ、読まなくちゃな。もうちょっと涼しくなったら、ちゃんと「秋」になったら読もうっと。(だから「秋」には全然関係ないって言ってるのに!)(新潮社)


+既読の恩田陸作品の感想+
「夏の名残りの薔薇」恩田陸
「小説以外」恩田陸
「ユージニア」恩田陸
「蒲公英草紙」「光の帝国」恩田陸
「酩酊混乱紀行『恐怖の報酬』日記」恩田陸
「ネクロポリス」上下 恩田陸
「エンド・ゲーム」恩田陸
「チョコレートコスモス」恩田陸
「中庭の出来事」恩田陸
「朝日のようにさわやかに」恩田陸
「木洩れ日に泳ぐ魚」恩田陸
「いのちのパレード」恩田陸
「猫と針」恩田陸
Livreに、これ以前の全作品の感想があります)

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先日「勇士ルスランとリュドミーラ姫」を読んだ時に、きちんとした叙事詩の形に訳されたものが読みたーいと書いていたら、信兵衛さんに、プーシキン全集の1巻に入ってますよと教えて頂いちゃいました! 早速図書館で借りてきましたよー。分厚い1冊の中に抒情詩と物語詩が収められていて、割合としては半々ぐらい。抒情詩が想像してたよりも沢山あってびっくりです。そして物語詩の方には「ルスラーンとリュドミーラ」「コーカサスの捕虜」「天使ガブリエルの歌」が収められていました。

「ルスラーンとリュドミーラ」は借りてすぐに真っ先に読んでたんですけど、読めるのが嬉しくて、返したくなくて、じっくり読み返してしまいました。やっぱりきちんとした詩の形式に訳されてるのはいいですねえ。省略されていた部分もこちらではちゃんと訳されてるし、ほんと読めて良かったです。でも訳そのものは、岩波少年文庫版の「勇士ルスラーンとリュドミーラ姫」の方が好きかも。たとえば岩波少年文庫版で「幸なき姫は、さびしさを胸にいだいて」となってるところは、全集の方では「哀れな公女は退屈して」だし、「そして、ふしぎなねむりが幸うすいリュドミーラをつつみました」というところは「すると不思議な眠りが不幸な女をその翼で包んだ」なんですよね。きっと全集の方が原文に忠実なんでしょうけど、岩波少年文庫版はいかにも物語といった雰囲気があって好き。ちなみに昔から一番好きな場面は、岩波少年文庫版では「フィンのおきなが、勇士のそばに、立ち止まり、死の水をふりかけると、みるみる傷はかがやきはじめ、しかばねはうつくしいふしぎな色につつまれました。」で、全集では「そして老人は騎士の上に立ち 死の水を注ぎかけるのだった。すると傷はまたたく間に輝き始め 屍は驚くべき花のような美しさになった」でした。花のように美しい屍って... 一体?(笑)
この物語のプロローグに、入り江のそばの樫の木に金の鎖で繋がれた物知りの猫が登場するんですが(岩波少年文庫版にもあります)、これはスーザン・プライスが「ゴースト・ドラム」(感想)に使っていたモチーフ。きっと元々はロシアの民話から来てるんだと思うんですけど、先日読んだ「ロシア民話集」(感想)にも「ロシアの神話」(感想)にもトルストイの民話集(感想)にも確かなかったんですよね。でも元になる話がきっとどこかにあるはず。読みたいなあ。

他の作品でびっくりしたのは、「天使ガブリエルの歌」。後に聖母となる16歳のマリアの美しさに、神様と天使ガブリエルと悪魔が同時に目をつけてしまうというトンでもない詩なんです。でもトンでもなさすぎて逆に笑っちゃう。神様をこんな風に描いてしまって大丈夫だったのかしら?と思ったら、解説に「その反宗教的な内容からしても当時は出版を許されるはずもなく」とありました。そりゃそうだー。「手から手へと筆写されて拡められて行ったがプーシキンは後難を恐れて自筆原稿を廃棄した」のだそうです。そして今でもこの本の訳者さんが知る限りでは何語にも翻訳されていないんだとか。邦訳も、この本が出た時点ではこの全集だけだったようだし。もしそれ以降全然出てなくても驚かないなー。(河出書房新社)


+既読のプーシキン作品の感想+
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」プーシキン
「プーシキン全集1 抒情詩・物語詩」プーシキン

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ロシアの詩人・プーシキンが、子供の頃に聞いたロシアの昔話を元に詩として書き上げた作品。ここに収められているのは「サルタン王のものがたり」「漁師と魚」「死んだ王女と七人の勇士」「勇士ルスランとリュドミーラ姫」の4編で、それぞれ散文の形に訳されています。
昨日の「ハンガリー民話集」を読んでいたら、無性に読みたくなっちゃいました。子供の頃、気がついたら本棚に入ってた本です。昭和33年発行の本なので、きっと父の本だったんでしょうね。古すぎて、アマゾンには本のデータもありませんでしたよー。すっかり古びてページの色も茶色味を帯びてるんですけど、ずっと大好きで大切にしてる本です。

「サルタン王のものがたり」は、2人の姉の悪だくみのために、樽に入れられて海に流されたお妃さまと王子の話。2人は何もない島に流れ着くんですけど、トビと争っていた白鳥を助けたことから、王子は白鳥に助けられてその島の領主・グビドン公となります。で、時々こっそりお父さんの顔を見に行くんです。このグビドン公が聞いてきた不思議な話を白鳥が実現してくれるところが好き。
「漁師と魚」は、願い事を叶えてくれる金の魚の話。でも昔話にありがちな「3回」ではないのが特徴ですね。
「死んだ王女と七人の勇士」は、ロシア版白雪姫。本家の白雪姫と違うのは、姫が入り込んだ家に住んでいたのは7人の小人ではなく勇士ということ、そして姫を助けるのが許婚の王子さまだということ。
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」は、結婚式の夜に攫われてしまったリュドミーラ姫を、ルスランと他の3人の騎士たちが探しに行く物語。とても好きなのは、「フィンのおきな」が死んだ勇士ルスランに死の水と命の水をそそぐ場面。「死の水をふりかけると、みるみる傷はかがやきはじめ、しかばねはうつくしいふしぎな色につつまれました。」というところ。いきなり命の水をかけるのではなくて、まず死の水をかけるというのが、子供心にすごく印象的だったんですよね。そして「サルタン王のものがたり」にも出てきた魔法使いの「チェルノモールじいさん」が、あちらと同一人物のはずなのに全然雰囲気が違うのが面白いです。きっとこっちの方が本来の姿なんだろうな。

他の地方の童話に似ていても、4つの物語はそれぞれにロシアらしさを持っていて、それが他の地方の民話には全然見ない部分で、そういうところがとても好き。「勇士ルスランとリュドミーラ姫」はオペラにもなってるんですけど、元々はプーシキンの叙事詩なんですよね。子供用の本ではなくてきちんとした叙事詩の形に訳されたものがあればぜひ読みたいところなんですが... やっぱりないのかなあ。時々思い出しては探してみてるんですけどね。(岩波少年文庫)


+既読のプーシキン作品の感想+
「勇士ルスランとリュドミーラ姫」プーシキン
「プーシキン全集1 抒情詩・物語詩」プーシキン

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酒を飲み、月を愛で、鳥と遊び、放浪の旅を続けた李白。杜甫と並ぶ唐代の詩人であり、「詩聖」と呼ばれる杜甫に対して「詩仙」と呼ばれる李白の詩69編を、李白の生きざまや人となりを交えて分かりやすく解説した本。

以前、同じ角川ソフィア文庫のビギナーズで「論語」と「陶淵明」を読んで、李白の本も買っていたんですが、ずっと積んだままでようやく読みました。原文と読み下し文、訳、そして訳の解説が載ってるんですが、かなり初心者向けで読みやすいシリーズなんですよね。今回の李白に関しては、時々「コンパ」だの「デート」だの妙に砕けた訳があって、そんな時は「雰囲気が壊れるからやめてくれー」と思ってしまったんですが... いくら初心者向けでも、ここまで砕いてもらわなくても。(汗)
唐の玄宗皇帝の時代に生き、仙人になりたいという夢を持ちつつ、自らの詩文の才能で世の中に出たいと思い続けていた李白。その夢はなかなか叶うことがなくて、しかもようやく叶ったかと思えば、わずか1年で失脚。そういう意味では不遇の人生を送っていたようです。実際に作品を読んでいると、飄々として大らかながらも、その奥には哀愁を感じてしまうような詩が多かったです。そういうところに、李白の人生が出ているのかな。
「月下独酌」を始めとして好きな詩はいくつかあるんですが、今回特にいいなと思ったのはコレ。

静夜思  (静かなる夜の思い)

牀前看月光  (牀前 月光を看る)
疑是地上霜  (疑うらくは 是れ 地上の霜かと)
挙頭望山月  (頭を上げて 山月を望み)
低頭思故郷  (頭を低れて 故郷を思う)

秋の静かな夜に月を眺めながら望郷の念に駆られる詩です。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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年老いたオーギュストとユージェニー夫婦の住む漁師小屋に一夜の宿を求めてを訪れたのは、1人の遍歴の騎士。ハンスという名のその騎士は話好きで、老夫婦に自分のことや婚約者のベルタのことを物語ります。しかし丁度夕食を食べようとしたところに帰ってきたのは、老夫婦が娘同然に育てている15歳のオンディーヌ。2人はあっという間に恋に落ち、結婚することを決めてしまうのです。

以前フーケーの「ウンディーネ」を読んだ時から、読みたいと思っていた「オンディーヌ」。昔読んだ翻訳に愛着があることも多いし、世の新訳ブームにはあまり興味がない私ですけど、この作品はずっと入手が難しかったので、そういう場合は素直に嬉しい♪
ということで、これは19世紀前半の作家・フーケーの「ウンディーネ」を下敷きに、フランス人のジロドゥが書き上げた戯曲。でもこの2作を読み比べてみると、あらすじこそそっくりなのに、細かい部分ではかなり違ってるんですね。まず、ウンディーネとオンディーヌの造形がまるで違います。ウンディーネは騎士・フルトブラントと結婚することによって魂を得て、水の精から貞淑な人間の妻へと変貌を遂げるんですが、オンディーヌは結婚しても依然として水の精のまま、魂がないまま。無邪気な発言を繰り返してはハンスを困らせています。あと目につくのは、「ウンディーネ」ではウンディーネの叔父のキューレボルンがすごく不気味な存在として描かれいて、人間となったウンディーネとは対照的なんですが、オンディーヌの叔父である水の精の王は、オンディーヌ自身にも責任があったことを指摘するような理性的な存在。筋書きだけを見るとそっくりなのに、描き出そうとしたことは正反対みたい。

さすが新訳、とても読みやすかったです。でも読みやすい訳もいいんだけど、私の好みよりもかなり口語寄り...。こういう作品はもっと格調高い訳で読みたかったなあ、というのが正直なところでした。(光文社古典新訳文庫)


+関連作品の感想+
「水妖記(ウンディーネ)」フーケー
「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ウンディーネ」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「ピーター・パン」アーサー・ラッカム
「オンディーヌ」ジロドゥ

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ヒンドゥー教の代表的な聖典と言われる「バガヴァット・ギーター」は、「マハーバーラタ」の中に収められている神の歌。「マハーバーラタ」の第6巻に収められていて、宗教上特に重視されている箇所なのだそう。先日読んだ「ナラ王物語」は、確か「マハーバーラタ」の3巻辺りだったはず... 全18巻の「マハーバーラタ」をちょっとずつ切り崩す計画は着々と進行中です。(笑)
...とは言ってもこの「バガヴァッド・ギーター」、私はつい最近まで知らなかったのです。知ったのは、前回のたら本41回「私家版・ポケットの名言」で、AZ::Blog はんなりとあずき色のoverQさんが挙げてらしたから。(記事) 挙げてらした文章がかっこ良かったから。(そういう理由か!)

万物の夜において、自己を制する聖者は目覚める。万物が目覚める時、それは見つつある聖者の夜である。

ねね、かっこいいでしょう?
で、岩波文庫からその名もずばりの訳本が出てるんですけど、難しそうなので、上村勝彦さんの解説本を一緒に読むことにしたんですが... やっぱり難しかった。ちょっと気が緩むと文字を目が追ってるだけの状態になってしまうので、何度も繰り返して読んでしまいましたよ。

ええと、ものすごく簡単に言うと、「マハーバーラタ」とはバラタ王族の歴史を描いた叙事詩。そしてその中の「バガヴァッド・ギーター」は、内部分裂によって王族同士の戦争となってしまった時に、親族や師や友人を殺してまで勝っても虚しい... とやる気を失ってしまったアルジュナ王子に、クリシュナ神の生まれ変わりの人物が「それは違う」と諭す物語なんです。
面白いところがいくつか。たとえばヒンドゥー教では苦行を全然オススメしてないところとか。「バガヴァッド・ギーター」では、食事の面でも睡眠の面でも調和の取れた生活をして、心身共に健康を保つことがとても大切なんだそうです。どうも心身をいじめて極限状態にしてそれに耐えるというイメージがあったので、ちょっと意外でした。インドの行者といえば、大抵ガリガリに痩せているからでしょうか。(という絵が多いのかも) 滅多に人のしない苦行なんかをすると周囲にもてはやされるし、どうしてもそれを自慢に思う気持ちが出てきてしまいがちなので、逆効果なのだそう。釈尊自身、激しい苦行をした後でそれが無益だと気づいて、苦行を捨てたそうですしね。瞑想に入って悟りを開いたのはその後。それと、ヒンドゥー教ではあんまり早く修行を始めるのも推奨されていないということ。まずは勉学に励み、結婚して家長としての義務を果たし、孫ができる頃に森林に隠遁して、最後に聖地巡礼をして死ぬ、というのが理想なんだそうです。

そして上に引用した文は、第2章の文章。文字通りでいけば、「万物が眠っているとき聖者は目覚め、万物が目覚めているとき聖者は眠る」という意味だそうですが... 愚者は目や耳といった感覚器官によって対象を認識するし、その感覚に執着するけれど、聖者はそういった感覚を制御して、非常に静寂な瞑想状態の中で真理を知ろうとする、すなわち愚者と聖者の行動は正反対である、ということを暗示しているのだそうです。やっぱり難しーい。でも、面白かったです。(岩波文庫・ちくま学芸文庫)

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プリハドアシュヴァ仙が語り始めたのは、ナラ王とダマヤンティー姫の物語。ニシァダ国のナラ王子は眉目秀麗で逞しく、望ましい美質を全て具えている王子。ヴィダルバ国の珠玉のように麗しく光り輝くダマヤンティー姫のことを耳にするうちに、ダマヤンティー姫に恋をするようになり、金色のハンサ鳥の助けを得て、大インドラ神、アグニ神、ヴァルナ神、ヤマ神らを差し置いて、ダマヤンティー姫と結婚することに。しかしそれを快く思わなかったカリ魔王は、いまや王となったナラ王に取り憑き、賽子賭博によって王権も財産も全て失わせてしまうのです。ナラ王に残ったのは、何も言わずに付き従うダマヤンティー妃のみ。しかし未だカリ魔王に取り憑かれていたナラ王は、森の中でダマヤンティー妃を置き去りにして1人去って行ってしまい...。

古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の中の一節。ナラ王と同じよう王国喪失を嘆く王子たちに向かって、ブリハドアシュヴァ仙が語ったという物語です。でも基本的に英雄詩である「マハーバーラタ」とは少し趣きが違うところ、ダマヤンティー姫の婿選びの式の場面の描写、シヴァ神、ヴィシュヌ神が登場していないところなどから、「マハーバーラタ」成立以前、紀元前6世紀頃から存在して、後に叙事詩に組み込まれた作品と考えられているようです。...「マハーバーラタ」も通して読みたいんですが、長いので本を揃えるのも大変でなかなか。こうやってちょっとずつ切り崩していこうとは思ってるんですが。(笑)
表向きの主人公はナラ王かもしれませんが、実質はダマヤンティー姫なんでしょうね。カリ魔王のせいで正気を失っているナラ王に捨てられて、身の危険をすんでのところでかわしながら、夫への愛を貫き通して、最後には夫を取り戻す物語。生き生きとしているダマヤンティー姫に比べると、ナラ王は正直あんまり生彩がないようです。いくらハンサムだとか何だとか言っても、ちゃんと行動で示してくれないと伝わってこないですよぅ。そうでなくても、美人だと噂に聞くだけで、まだ顔も見たことのないダマヤンティー姫に恋しちゃうような人なんですから。しかも、求婚するにも鳥に助けてもらってるし! ...でも、相手が美人だとかハンサムだとかいうだけで恋をしてしまうのは、この辺りでは当たり前のことみたいですね。中身はどうでもいいのか、中身は!(岩波文庫)


+インド神話関連作品の感想+
「屍鬼二十五話 インド伝奇集」ソーマデーヴァ
「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ
「インド神話 マハーバーラタの神々」上村勝彦
「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ
「マハーバーラタ ナラ王物語 ダマヤンティー姫の数奇な生涯」
「バガヴァッド・ギーター」「バガヴァッド・ギーターの世界」上村勝彦

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アラブのとある豊かな首長の家に生まれたのは、待望の男の子・カイス。美しく賢く成長したカイスは、名門の子弟が集まる学舎に送り出され、そこでも優秀な成績を収めます。そんなある日出会ったのは、新しくこの仲間に加わった優しく美しい乙女・ライラでした。ライラとカイスはすぐにお互いのことを愛するようになります。なるべく目立たないように心がける2人。しかし2人のことは次第に噂となり、そんなある日、恋の重荷に耐え切れなくなったカイスの心は崩れ去ってしまうのです。それ以来、カイスは「マジュヌーン(狂気)」と呼ばれることに。

これも昨日の「ホスローとシーリーン」同様、先日読んだ「ペルシアの四つの物語」(感想)に収められていた話。
アラビアを舞台にした悲恋物語。カイスというのは8世紀に実在していた人物なんだそうで、この物語はアラブ各地はもちろんのこと、トルコ、イラン、アフガニスタンなどに伝説や民謡、物語詩などの形で広まったんだそうです。読んでいてあれっと思ったのは、同じニザーミーの作品でも、「ホスローとシーリーン」に比べて美辞麗句が少ないこと。もちろんライラのことは月のように美しいとか書いてるんですけど、勢いが全然違ーう。と思ったら、解説に書かれていました。アーリア系のイラン人が幻想的で繊細な情緒を好むのに対して、セム系のアラブ人は現実的で簡明直裁の理を尊ぶからなのだそう。

それにしても、失恋して気が狂うんならともかく、カイスとライラは両想い。まだ若いから大っぴらにするわけにはいかないにしても、そんな誰に邪魔されたわけでもないんです。カイスは両親の晩年の子で、しかも一人っ子。かなり大切に育てられたみたいだけど、別に甘やかされて弱くなったってわけでもないのに...。この狂気って、ライラと結婚できたら、果たして直っていたのかしら? それとももし結婚して念願のライラを手に入れたら、さらに壊れてしまっていたのかしら? カイスもライラも一生お互いのことを想い続けて、ライラは結婚しても自分の夫に一度も手を触れさせないほど。それほど愛し合っているんだから、既に悲恋とは言えないような気もするのだけど。
...結局のところ、これは12世紀頃からペルシャで文学に影響を及ぼし始めた「神秘主義思想(スーフィズム)」がポイントみたいです。これは粗衣粗食に甘んじて、俗世への念を絶って忘我の境地に到ろうとするもの。気が狂って砂漠に暮らすカイスの姿って、そのまんま神秘主義思想を実践してるようなものなんですもん。でも。ということは。ペルシャではなく、アラブやトルコではどんな話になってるんだろう? ちょっと読み比べてみたくなっちゃいます。(東洋文庫)


+既読のニザーミー作品の感想+
「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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年ごとに美しく賢く、そして強く育っていく、ホルムズド王の1人息子・ホスロー。ある晩、ホスローは不思議な夢を見ます。その夢で彼は、甘美なことこの上なき美女とシャブディーズ(闇夜)という俊足の黒馬、順正なる王座、そしてバールバドなる楽士を与えられることを約束されていました。お気に入りの側近・シャープールから、アルメニア女王の姪で月をも凌ぐ美しさをもつ乙女・シーリーンのことを聞いたホスローは、いても立ってもいられなくなり、シャープールにその美女を手に入れてくるよう命じることに。

先日「ペルシアの四つの物語」(感想)でも読んだ「ホスローとシーリーン」。あちらは抜粋版だったので、完全版も読んでみました。ペルシャのロマンス叙事詩人・ニザーミーの2作目に当たる作品。この物語のホスローは、6世紀末から7世紀初にかけて実在していたササン朝ペルシャのホスロー2世のことで、物語の前半はかなり史実に基づいているのだそう。この作品でアルメニアの王女とされているシーリーンに関しては、ギリシャの女奴隷であったとか侍女であったとか色んな説があるようですが。
大筋としては、この2人の恋物語。会う前からお互いに気になる存在で、初めて会った時から恋に落ちる2人なので、特に問題はないはずなんですが、シーリーンがホスローに王位についてくれなくちゃイヤと言ったり(その頃ペルシャでは反乱があって、ホスローはしばらく王位を追われていた)、結婚してくれなくちゃ深い関係にはならないわとか色々あって、すったもんだの紆余曲折となってます。ホスローは自国の反乱を収めるためにビザンチン帝国の皇帝の力を借りたものだから、その娘を正妃にしなくちゃいけなくなったり。

で、この作品、とにかく描写が凄いんです。美辞麗句のテンコモリ。たとえば、側近のシャープールが初めてシーリーンの話をした時。彼女が「月をも凌ぐ美しさ」というのはいいんですけど、それに続いて

ヴェールの下に冠をいただき、新月のように夜に映え、黒い瞳は闇の底にある生命の水さながら。なよやかな姿は白銀の棗の木、その木の頂で二人の黒人(下げ髪)が棗を摘んでおります。
この甘き唇の女人ーー棗の実さながらの彼女を思い出すだけで口には甘いつゆが満ちるほど。まばゆく輝く彼女の歯は真珠とも紛うばかり。その鮮かさは真珠貝を遥かに凌駕しますが、この歯をくるみこむ唇は艶やかな紅玉髄の色をしております。
両の捲髪はさながら円を描く輪縄で、それが、人という人の心を惹きつけます。緑なす黒髪は、バラの頬にうちかかり、捲髪から立ち上る芳香に、その水仙の瞳は夢見るように悩ましげ。彼女の眼は魔術師をも邪視をも呪文で封じてしまいましょう。
蜜のように甘い百の言葉を秘めているのか、彼女の唇は、魔術で人々の胸の火をさらに燃え立たせますが、爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的で、塩は甘くないのに彼女の塩(魅力)は甘美なのです。

実際に抜き出してしまうと、ここはそれほどでもなかったような気もしてきますが...(汗)
この後も鼻が「銀の小刀」だとか(?)、「林檎を二つに割ったようなまろやかな頬」とか、「林檎の頤」、「レモンのような二重顎」(相当ふくよかなのか?)、「ルビーの唇」だとか、彼女の美しいうなじを見て「羚羊も恥らって首を垂れ、鹿は嘆きの涙で裳裾をぬらすほど」だとか、手を変え品を変え褒めまくり。作者のニザーミーがシーリーンを描く時のモデルとなったのは、彼自身の最初の妻だったそうで... きっと熱愛しすぎていて、いくら褒めても褒めたりなかったんですね。(笑)
しかもこの作品の訳は散文訳なんですけど、さすが元は叙事詩と思わせる言葉遊びも盛ん。引用した最後の部分も「爽やかに微笑むときの唇もまた魅力的(ナマック)で、塩(ナマック)は甘く(シーリーン)ないのに彼女の塩(ナマック)は甘美(シーリーン)なのです」といった具合。

話としては紆余曲折の末のハッピーエンドということで、特になんてことはないんですけど、そういった細部が面白いし、紆余曲折の過程で盛大な口喧嘩があったり(シーリーンの舌鋒は相当鋭いです)、ホスローの若い頃の行いが因果応報的に返ってきちゃったり、楽しめるポイントは色々ありました。一度結婚してしまえば、それまでの喧嘩は嘘みたいに、シーリーンはホスローの良き妻・良き理解者となっちゃうんですけどね。(東洋文庫)


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「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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イラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているという、11世紀の詩人・フェルドウスィーによるペルシャ英雄叙事詩「王書」から英雄サームの子・ザールの物語、そして12世紀の詩人・ニザーミーによる「ホスローとシーリーン」「ライラとマジュヌーン」「七王妃物語」といった作品が、美しいミニアチュールと共に紹介されている本です。

去年、日常&読んだ本log のつなさんに教えて頂いた本です。(記事) 去年はギリシャ物やケルト物を中心に読もうと思っていて、まだペルシャ物に関しては暴走しないように自粛気味だったんですが、今年はこの辺りの本も積極的に読む予定~♪ 「王書」だけは、既に岩波文庫で読んでるんですけどね。(感想

「王書」は、10世紀中頃にイラン北東部の地主の家に生まれたフェルドウスィーが、それまでに残されていたイラン王朝の歴史や伝説、神話を集めてイラン民族の書を著わそうとしたもの。ニザーミーによる3作品は、12世紀にイラン北東部の寒村で生まれたニザーミーが、「王書」よりももっと艶麗なロマンスを求める人々に応じて「ガンジャの錦」とも呼ばれる作品群を作り上げたもの。彼らの物語の本には挿絵がつけられて、有名な箇所は絵看板や壁画にまで描かれて、人々に愛されたのだそうです。とは言っても、本来なら偶像崇拝を禁じるイスラムの世界。植物主体の装飾文様しか認められてないし、発展する余地もなかったはずなんですよね。先日読んだ新藤悦子さんの「青いチューリップ」には、トルコよりもペルシャの方がその辺りに寛容だったように書かれていたんですが、それでもやっぱりあんまり大っぴらにってわけにはいかなかったはず。公の場以外のところでは結構盛んに描かれたようですが、全能の神を冒涜することのないよう、あらゆるものに遠近法を廃して、陰影をつけないように描かれたんだそうです。ええと、陰影がなければいいという理論は、私にはイマイチ分からないんですが...(笑) どこか中国の絵を思わせるような平板な絵ながらも(実際、こういったミニアチュールは中国からトルコに伝えられた画法から発展したようです)、緻密に描きこまれた絵はとても装飾的で美しい!
物語はどれも重要な部分だけが取り上げられて、かなり簡単なものとなっているので、ちょっと物足りない面もあるんですが、これからペルシャの雰囲気を味わってみたいという人にぴったりかと♪
さて、今度はそれぞれの作品の東洋文庫から出てる版を借りてこようっと。(平凡社)


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「ペルシアの四つの物語」岡田恵美子編訳
「ホスローとシーリーン」ニザーミー
「ライラとマジュヌーン」ニザーミー

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ロッスムのユニバーサル・ロボット工場(R.U.R.)は、ロボットと呼ばれる人造人間を開発・製造し、人間の労働を肩代わりさせるために世界中に販売している工場。その工場に、ある日社長のドミンを訪ねて来たのは、ヘレナ・グローリーという女性でした。ヘレナは人道連盟を代表して、ロボットたちに過酷な労働を課することをやめ、人を扱うように扱うようにするべきだと言いに来たのです。それに対し、ドミンはロボットは自分の意思を持たないため喜びや幸せを感じることは不可能だと諭します。しかし10年後、自分たちが人間よりも優秀だと知ったロボットたちが人間に反旗を翻して...。

カレル・チャペックの名を一躍有名にしたという戯曲。「ロボット」という言葉が生まれたのは、この戯曲からなんですよね。チェコ語で「労働」を意味する「robota」から作り出された言葉。(実際思いついたのは、お兄さんのヨゼフだったらしいですが) でもここに登場するロボットは、普段ロボットと言われて想像するような機械を組み立てたようなものではなくて、人間の組織的構造を単純化させて作り出された、文字通り人造人間といえるようなもの。見かけは人間とまるで同じ。でも魂や心を持っていないのです。
楽園にいるために子孫を作ることのできなくなってしまった人間たち、感情を与えられてしまったために人間に対して反乱を起こすロボットたち、そして存在意義を失う人間たち。ロボットを作り出したそもそもの理由は、人間を労働から解放したいという思いだし、ロボットに感情を与えてしまったのは、軽率だったかもしれないけれど、紛れもない善意からなんですよねえ。でも、ロボットもまた人間と同じことを繰り返すことに...。登場人物も少なくて、作品自体もごく短いんですけど、その中にものすごく色んな要素が入っていて、色んな角度から読めそうな作品。最後の結末が何とも皮肉で面白いです。
チャペックの本を読むたびにびっくりするのは、どの作品も古さがまるで感じられないこと。これには本当に毎回驚かされてます。エッセイや紀行文といったものはともかく、こういう作品も全然古びないというのは、やっぱりすごいことだなあー。(岩波文庫)


+既読のカレル・チャペック作品の感想+
「ダーシェンカ」「チャペックの犬と猫のお話」「園芸家12ヶ月」カレル・チャペック
「イギリスだより」「スペイン旅行記」カレル・チャペック
「ロボット」チャペック
「チェコスロヴァキアめぐり」カレル・チャペック
「北欧の旅」カレル・チャペック

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古代ローマの国民的詩人、ウェルギリウスによる英雄叙事詩。トロイアを脱出したアエネーアースがイタリアに辿り着いてローマを建国するまでの物語です。タイトルの「アエネーイス」は、「アエネーアスの歌」という意味。実はちょっと前に岩波文庫版を読もうとしたんですけど、七五調の訳に何とも眠くなって上巻だけで挫折... こちらのを借り直してリベンジです。とは言っても、こっちもあんまり読みやすくなかったんですが...。

本来、ローマという名前の起原になったのは、もう少し後の時代のロームルスという人物。軍神マルスが王女レアに産ませた息子です。怒った王によって、双子の兄弟レムスと共に川に流されちゃうんですが、そのロームルスが後に築いた都市がローマ。だからこちらの方が建国の祖としては正統派。でもその時起きたいさかいでロームルスがレムスを殺したという汚点があって... どうやら元々あまり到底品行方正とは言えなかったようだし、父が軍神マルスであることも粗野な印象を与えたのだそうです。
それに対して、アエネーアスは女神ウェヌス(ヴィーナス)の息子で、トロイア戦争ではへクトルに次ぐ勇士。落ち武者ではあるけれど、居ながらにしてギリシャの文化の香りを伝える洗練されたところが人気だったようです。(笑) しかも盲目の父・アンキーセスを背負い幼い息子イウールスの手を引いたアエネーアスには、ロームルスにはない美徳がたっぷり。ウェルギリウスの時の皇帝アウグストゥスがウェヌスの血統とされていたこともまた、ローマ建国の祖として相応しかったよう。...そこで解説を読んでて面白いと思ったのが、祖国を喪失したアエネーアスが新しいトロイアを再興したことは、いつかローマに存亡の危機がきても、偉大な指導者が現れて国を窮地から救うだろうという希望も入っていたらしいというところ。そりゃあ永遠に続く王国なんてなかなかないですけど、国力が充実してる時は、いつか滅亡する時のことなんて普通考えないでしょ...! その時のローマ人は「盛者必衰の理を表す」「驕れる者は久しからず」なんて本当に思っていたのでしょうか...?!(笑)

「アエネーイス」の前半は「オデュッセイア」、後半は「イリアス」を踏まえているのだそうで、そう言われてみると実際に前半は航海譚、後半は戦争物語でした。「オデュッセイア」ではポセイドンが怒ってたんですけど、こちらではユーノが怒っていて、難破したアエネーアスはオデュッセウスがナウシカアに助けられるように、カルターゴの女王・ディードに助けられるんですね。で、そしてオデュッセウスがカリュプソやキルケに誘惑されたようにディードと恋仲になって、同じように無理矢理逃げ出して...。他にも色々な共通点があって、比べてみるのは面白かったです。
とはいっても、作品自体は正直、あまり面白いとは思えなかったんですけどね... アエネーアスはトロイア戦争の中ではお気に入りの人物なのに、おかしいなあ。「イリアス」「オデュッセイア」の方が断然面白かったです。私自身、古代ギリシャは好きなんだけど、古代ローマとは今ひとつ相性が悪い、というのもあるかも。後のラテン文学に計り知れない影響を及ぼしてる作品なので、日本語にしてしまうと伝わらなくなってしまうという部分もあったりして... いや、それ以前にやっぱり私の読解力の問題か。(京都大学学術出版会西洋古典叢書)

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日の暖かなある初夏のこと、世の不可思議なことどもを聞こうと世間を歩き回っていた「私」は、丘の斜面でぐっすり寝込んで、驚くべき夢を見ます。夢の中で「私」はある荒野の中にいて、東を見ると丘のうえに見事な造りの塔が、その下には底深い谷間が、谷間には恐ろしい掘割をめぐらせた城塞があり、塔と城塞の中間の平らな野原には、あらゆる階層の人々が世のならわしのままに働いたり彷徨っていたのです。

14世紀後半の詩人・ウィリアム・ラングランドによる寓話的な夢物語。「報酬」や「良心」といった抽象概念が擬人化されて、その言葉の意味を持ったまま普通の人間と同じように活動し、特性や機能を表すという擬人化のアレゴリーで、これは17世紀前半ぐらいまでよく使われた形式。夢を見て、というのも、中世でよく使われた形式。この「農夫ピアズ」の場合、語り手は夢から何度か醒めて、読者は語り手と一緒にその夢について考えることになります。
要は当時の社会・宗教問題をラングランドなりに解明しようとしたものなんですが... うーん、ちょっと分かりにくかったかも。夢から何度か醒めちゃうのがいけないのかな? そのたびに繋がりが切れて場面が変わってしまうせいか、あんまり物語として面白くなかったです...。まあ、元々教訓的な話なんで、面白く感じられなくても仕方ないかもしれないんですけど、同じ形式でももっと美しく感じられる作品はあるし、例えば同じく擬人化アレゴリーの作品、ジョン・バニヤンの「天路歴程」なんかは結構面白かった覚えがあるんですよね。なんだか首尾一貫してないような感じで、あまり楽しめませんでしたー。残念。(中公文庫)

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左は岩波文庫、右はマール社というところから出ている本。
岩波文庫版は原典から直接訳したもの。こちらは小川亮作さんによる口語訳なんですが、初版が1949年(昭和24年)の口語なので、読みやすいながらも今の口語よりもずっと端整な感じ。そしてマール社版は19世紀の詩人・エドワード・フィッツジェラルドが英訳したものを、竹友藻風さんが日本語に翻訳。格調高い七語調です。フィッツジェラルドによる英訳も同じページに載っていて、これって実は日本語よりも分かりやすいんじゃ...(笑)
その右の本は、風待屋 のsa-ki さんに教えていただいたものです。表紙も紺地に金銀が使ってあってとても美しいんですけど、中身も素敵!全てのページが挿絵入り。エキゾティックでほんのりエロティックな、ビアズレーのようなペン画で、ところどころ印象的な赤が使ってあって、それがまた素敵。この美しさだけで、この本を買う価値は十分あります。^^

そして中身はそのものズバリ、酒への賛歌。いくつか引用してみると...

恋する者と酒のみは地獄へ行くと言う、
根も葉もない囈言(たわごと)にしかすぎぬ。
恋する者や酒のみが地獄に落ちたら、
天国は人影もなくさびれよう!(岩波文庫版87)

天女のいるコーサル河のほとりには、
蜜、香乳、酒があふれているそうな。
だが、おれは今ある酒の一杯を手に選ぶ、
現物はよろずの約にまさるから(岩波文庫版89)

一壷の紅の酒、一巻の歌さえあれば、
それにただ命をつなぐ糧さえあれば、
君とともにたとえ荒屋(あばらや)に住まおうとも、
心は王侯(スルタン)の栄華にまさるたのしさ!(岩波文庫版98)

たった4行の簡潔な詩の繰り返しなんですけど、驚くほど豊かなイメージが伝わってきませんか~? イスラム教の社会では、コーランによって酒は禁じられているはずなんですが... 死後のことを気にして戒律を守るよりも、今現在を大切にして奔放に酒を愛するという前向きな姿は逆に清々しいほどです。(笑)
そしてちなみに最後の「一壷の紅の酒~」の4行は、マール社版だとこんな感じ。

ここにして木の下に、いささかの糧
壷の酒、歌のひと巻ーーまたいまし、
あれ野にて側(かたわら)にうたひてあらば、
あなあはれ、荒野こそ樂土ならまし(マール社版12)

かなり違いますよね。もちろん日本語への訳し方にもよると思うんですが、フィッツジェラルドが英訳する時に結構変えてるんじゃ... なんて思った箇所も結構多かったです。マール社版には、たまにキリスト教的な匂いがあって、それはきっとフィッツジェラルドによるものだと思うし、例えば「薔薇(そうび)」という言葉もやけに多用されてるんですけど、岩波文庫版に薔薇はそれほど登場しなかったですもん。花ならむしろチューリップ。(笑)
載っている詩の数も岩波文庫は114編、マール社は110編と違うし、掲載されている順番も全然違うんです。どうやら「ルバイヤート」には贋作も多いらしくて、それぞれの本で選んでる詩も結構違うみたいなんですよね。これと思う詩をもう一方の本から探し出して比べてみるのは結構大変でした。でもそれぞれに素敵な本なので、楽しかったです。(岩波文庫・マール社)

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アテーナイとスパルタの間の戦争が続いていた頃。アテーナイの若く美しい夫人・リューシストラテーは、何とか戦争をやめさせようと全ギリシアの女性たちに会合を通告。リューシストラテーは男たちに戦争をやめさせるには、自分たち女性が男性に対して性的ボイコットを行うことが必要だと説きはじめます。そして敵方であるスパルタのラムピトーらの協力を得て、計画を実行に移すことに。

ギリシャ悲劇を一通り読んだので、今度はギリシャ喜劇。ギリシャ喜劇を読むのはこれが初めてです。でも、こちらはあまり読まないかも。基本的にハッピーエンドが大好きな私なんですが、悲劇の方が好きそうな気配が濃厚なんですもん。シェイクスピアも喜劇よりも断然悲劇の方が好きですしね。(シェイクスピアの喜劇で好きなのは「夏の夜の夢」ぐらい)

アリストパネースがこの作品を書いたB.C.412年は、ペロポネーソス戦争(B.C.431-B.C.404)の真っ最中。27年間も続くことになったこの戦争は、アリストパネースの考えるようには終結しませんでしたが、この喜劇の中には当時の情勢に対する諷刺も沢山含まれていました。
リューシストラテーの提案は、要するに夫の夜のお相手をやめて、しかも無理強いされないために、女性たちだけで立て篭もろうということなんですけど(笑)、それを聞いた女性たちの反応がスゴイ。顔をそむけたり、立ち去ろうとしたり、口がへの字になったり、顔色が変わったり、泣いてしまったり... 日本じゃちょっとあり得ない反応かも。(笑) それに対してリューシストラテーが、「あきれた、わたしたち女性ったら、みんな助兵衛ばかりだわ。お芝居がわたしたちを題材にするのも道理だわ」と言うのが可笑しい。実際、後で我慢しきれなかった女性が脱走を企てるという展開もあります。中には、兜を服のおなかに入れて、妊娠中を装って逃げようとするツワモノも。ギリシア人の女性はそれほどまでにお好きなんでしょうか...!(笑) あえて美しい化粧と透けた衣装で男性をその気にさせながら、拒絶するのがポイントなんですよー。
でもパワフルな女性たちの奔放さを描いているようで、あくまでもこの作品は反戦作品。実はとても真面目な作品なんですね。(岩波文庫)

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ヘゲリンゲン王国のヘテル王と王妃ヒルデの間に生まれたクードルーンは、母をも凌ぐ美しい王女に成長し、様々な国からクードルーンへの求婚の使者が送られることに。7つの王国を従えるモールラントの王・ジークフリートや、ノルマンディー王国の王子・ハルトムートもその1人。しかし誇り高いヘテル王はジークフリートに娘を嫁がせることを拒み、王妃ヒルデは、家格が合わないこととを理由にハルトムートの求婚を断るのです。結局クードルーンの心を射止めたのは、隣国ゼーラントのヘルヴィヒ王でした。しかしヘルヴィヒ王とクードルーンの結婚が1年後に決まった時、ジークフリートはヘルヴィヒ王のゼーラントに攻め込み、ヘテル王が援軍をゼーラントに進めている間に、ハルトムートはヘゲリンゲンの城にいた王女クードルーンと62人の侍女を連れ去ったのです。

1230年代に書かれたという長編英雄叙事詩。ドイツの「イリアス」と呼ばれる「ニーベルンゲンの歌」に対して、こちらの作品はドイツの「オデュッセイア」とも評されているのだそう。アイルランド、デンマーク、ノルマンディー、異教徒の国モールラントなどを舞台に3代に渡る壮大な物語。
テンポもいいし、面白いという意味では十分面白いんですけど、叙事詩として比べてしまうと、「ニーベルンゲンの歌」の方が断然格上のような...。人物の魅力的にも、物語の盛り上がりや迫力から見ても、深みから言っても、「ニーベルンゲンの歌」の方が上だと思うんですよねえ。これは、中心となるクードルーンがイマイチのせいもあるかも。...そりゃ美人かもしれないですけど、世の王子さま方はそれだけでいいわけ?!ってほんと思いました。途中でもその高慢ぶりが鼻についたし、最後のハッピーエンドだって、クードルーンの自己満足のように思えてしまうー。 ...と書きつつ、突っ込みどころが満載で、そういう意味ではすごーく楽しめたんですけどねー。(そ、それでいいのか...? と何度思ったことか・笑 ←間違った楽しみ方です)
解説によると、30を超える写本が現存する「ニーベルンゲンの歌」に比べて、こちらには16世紀の写本が1つ残されてるだけなのだそう。だから、中世当時はあまり人気がなかったのではないかとのこと。確かにそれは十分考えられそうです。高い評価を受けるようになったのは、19世紀になってからみたいですね。グリム兄弟の弟・ヴィルヘルム・グリムもこの作品を絶賛してるそうなんだけど... そんな絶賛するほどなのかなあ? いえ、楽しいのは楽しいんですけどね。(講談社学術文庫)

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カンタベリーへ巡礼の旅に出かけようと考えたチョーサーは、旅籠屋で同じくカンタベリーへと向かう巡礼29人と一緒になり、その仲間に入ることに。巡礼たちを見ていた旅籠屋の主人が行く道で2つ、帰る道で2つずつ話をして、一番愉快な話をした人に夕食をご馳走するという趣向を提案し、全員その提案に喜んで従うことになります。巡礼に参加したのは、騎士、近習をしている騎士の息子、盾持、尼僧院長、助手の尼僧、3人の僧、修道僧、托鉢僧、貿易商人、オックスフォードの学僧、高等弁護士、郷士、小間物商、大工、織物商、染物屋、家具装飾商、料理人、船長、医学博士、バースの女房、教区司祭、農夫、家扶、粉屋、召喚吏、免罪符売り、賄い方、チョーサー、そして審判として参加した旅籠屋の主人の計32人。

14世紀のイギリスの詩人・チョーサーによる長大な叙事詩。カンタベリーへ向かう巡礼たちの語る24の物語です。大学の時に授業で読んだんですけど、そういえば全部は読んでなかったんですよね。知らなかった話もあって、今回初の完読となりました。(毎日のように感想をアップしてますけど、まさか1日で3冊読んだわけじゃないです! 本を読むのに感想を書くのが追いつかなくて、溜まってるのです~っ)
「総序の歌」の時点では、1人4つずつの物語が聞けるという話だったんですが、それはさすがに無理だったようで(笑)、結果的には全員が話すところまでもいってません。チョーサーが影響を受けたというボッカッチョのデカメロンでは、10人が10話ずつの全100話を語ってるというのに。でも気高い騎士には気高い物語。下衆な酔いどれ粉屋には下卑た卑猥な話、と参加者それぞれのイメージに合った話が披露されて、参加者のバラエティそのままのバラエティ豊かな作品になってて楽しい~。自分が当てこすられたように感じて、対抗する話を披露する人もいますしね。そして色んな話を1つの大きな話にまとめるのが、旅籠屋の主人の役目。
純粋に物語として読んでも面白いんですけど、むしろ中世の庶民の暮らしを身近に感じられるのが魅力なんだと思います。高尚だったりキリスト教色が濃かったり、教訓的だったりという話もありますが、基本的には下世話な話が多いんです。その中でも多かったのは、強い奥さんの話。妻を管理しようとする夫を出し抜いて結局自分の好きなように行動して、それが露見してもしたたかに開き直る妻の多いこと。あんまりそういうのが続くと、消化不良を起こしそうですが...(笑)
私が一番好きだったのは騎士の物語。これは古代ギリシャを舞台にした三角関係の話です。下世話じゃないヤツ。(笑)(岩波文庫)

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「仕事と日」は、農夫であり詩人でもある兄・ヘーシオドスから、無頼な弟・ペルセースへの訓戒を歌う教訓叙事詩。ヘーシオドスはパンドラの箱の物語や、五時代の説話を引き合いに出しながら、労働の尊さについて語り、人間としてあるべき姿や望ましい行動について語り、農業をするために大切な農事暦まで教えて聞かせます。「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」も収録。

「仕事と日」は、叙事詩らしくムーサたちへの語りかけから始まるし、ギリシャ神話の神々のエピソードをふんだんに使ってるんですが、実は全編通して、できの良いお兄ちゃんからやんちゃな弟へのお説教。この兄弟は、実際に父親の遺産の土地を巡って争ったり、地元の領主に賄賂を渡して自分の分け前以上を得た弟が、あっという間にその遺産を蕩尽してしまってヘシオドスに泣きついたとか、そんなエピソードがあったようです。ギリシャ時代の叙事詩といえば、ホメロスの「イリアス」や「オデュッセイア」のような英雄譚がまず頭に浮かぶし、同じヘシオドスにだって、「神統記」のように壮大な神話世界の成立を歌う作品があるのに、こんな個人レベルの作品もあったんですねー。兄はともかく、ペルセースは2700年も後まで、情けない弟として名前が残っちゃったんだからスゴイ。しかも、まだまだ残るはず。(笑)
ちなみに五時代の説話とは、ゼウスの前のクロノスの時代に作り出された黄金の種族、銀の種族、ゼウスの時代になって作り出された青銅の種族、英雄たちの高貴な種族(半神で、オイディプス王やトロイア戦争の時代のギリシャ人はこれにあたるらしいです)、そして現在の鉄の種族、と人間の歴史の変遷を5つの時代に分けてみせるもの。オウィディウスの「変身物語」(感想)でも似たような話はあったんですが、金、銀、銅、鉄の4つで、英雄の時代はなかったです。オウィディウスは古代ローマ時代の人なので、古代ギリシャ人のヘシオドスよりも時代的にはかなり後。当然この「仕事と日」も読んでるでしょう。金、銀、青銅、鉄という金属に対して、「英雄」だけバランスが悪いと感じたのかな? ていうか、私ならバランスが悪いと思っちゃうんですけど。まあ、ギリシャ人のヘシオドスには仕方なかったのかもしれないですけど。(笑)

「ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ」は、作者不詳の作品。共に詩聖と称せられたホメロスとヘシオドスが、エウボイア島のカルキスで対決する様子を描いた叙事詩。本当にこの2人が歌競べしたとはあまり考えられないらしいんですけど、ギリシャ人の聴衆がホメロスを褒め称えるのに対して、王が「勝利者たるべきは戦争や殺戮を縷々として述べる者ではなく、農業と平和の勧めを説く者でなくてはならぬといって、ヘーシオドスに勝利の冠を与えた」とあるのが興味深いところです。実は政治的な意図がある作品なのかしら?(岩波文庫)


+既読のヘシオドス作品の感想+
「神統記」ヘシオドス
「仕事と日」ヘーシオドス

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ソポクレスは、アイスキュロス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人。生涯に作った123もの悲劇のうち、現存するのは本書に収められた7作、「アイアス」「トラキスの女たち」「アンティゴネ」「エレクトラ」「オイディプス王」「ピロクテテス」「コロノスのオイディプス」のみです。

いやあ、面白かった。やっぱりソフォクレス(この本の表記は「ソポクレス」ですが、どうも馴染めないので、こちらで失礼)はスゴイです。紀元前の作品でこんなに楽しめるとは思わなかった... ってエウリピデスを読んだ時も思ったんですけど(笑)、紅白の小林○子的に機械仕掛けの神で盛り上げるエウリピデスよりも、ソフォクレスの方がいかにもギリシャ悲劇という感じですね。ギリシャ悲劇と聞いて現代人が想像するような、まさにそういう作品を書いていると思います。
そんなソフォクレスの一番有名な作品といえばやっぱり「オイディプス王」。読んだことはなくても粗筋を知ってる方は多いでしょうね。フロイトのエディプス・コンプレックスという言葉の元になった作品でもあります。私がこの作品を読んだのは、確か中学の頃。筒井康隆さんの「エディプスの恋人」を読んで、その関連で読みました。でもその時はそれほど楽しめなかったんですよ。その時の私にはまだ早すぎたっていうのが一番大きいと思うんですが、必要以上に堅苦しく考えてたというのもあるのかも。
でもね、違うんです。「オイディプス王」は、実は紀元前に書かれたミステリ小説だったのです!

話としては、オイディプスが治めるテーバイの都に疫病が猛威をふるっているところから始まります。前王・ライオスを殺した犯人を挙げなくては、疫病がやむことはないというアポロンの神託が下り、オイディプスが探偵役として犯人探しを始めるんです。被害者はどんな人間だったのか、いつどこで殺されたのか、目撃者はいたのか。最初は断片的だった証言は、オイディプスを軸として徐々に繋がりを見せはじめます。迫り来る悪い予感。オイディプスを安心させようとした王妃・イオカステの証言は、逆にオイディプスを追い詰めることになります。そしてその証言に裏付けが取れた時に、見えた真実とは。
いや、実は安楽椅子探偵だったんですね、オイディプス王って。でも真相は、「探偵=犯人」。そして来る自己崩壊。

そうやって読むと、ギリシャ悲劇がちょっと身近な感じになりませんか? エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」が世界最古の推理小説とされていますけど、こっちの方が断然古いですよー。エディプス・コンプレックスなんていうのは後付けに過ぎないなので、この作品を読む時には邪魔になる程度のものだと思います。

まあ、ミステリと言えるのは「オイディプス王」ぐらいなんですけど(笑)、7編ともすごく面白かったです。「オイディプス王」の他で好きだったのは、トロイア戦争物かな。「アイアス」「エレクトラ」「ピロクテテス」ですね。どの作品も、クライマックスに向けて緊迫感が高まっていくのがさすがの迫力。いや、いいですねえ。面白かった。
ミステリ好きで「オイディプス王」が未読の方は、ぜひ試してみて! 訳者さんは違いますが、岩波文庫からも出ています♪(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

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アイスキュロスは、ソフォクレス、エウリピデスと並ぶ3大悲劇詩人の1人。作品は90編以上あったと言われていますが、今でも残っているのは、ここに収められている「縛られたプロメテウス」「ペルシア人」「アガメムノン」「供養する女たち」「慈みの女神たち」「テーバイ攻めの七将」「救いを求める女たち」7編のみです。

久しぶりのギリシャ悲劇です。以前「アガメムノン」(感想)を読んだ時に、その続編の「供養する女たち(コエーポロイ)」「慈みの女神たち(エウメニデス)」も読むつもりだったんですが、随分間が開いてしまいました... が、ようやく3部作が読めました。いやー、正統派ですね。トロイア戦争関係の悲劇だと、「こんなんアリ?!」という展開をするエウリピデスの「タウリケーのイーピゲネイア」を実はものすごく気に入ってるので(感想)、アイスキュロスはこんなに真っ当な展開なのかと逆にびっくり。うーん、これも悪くないんだけど、ちょっと物足りない気がします...。でもね、解説に「アイスキュロスは真の意味でのアッティカ悲劇の建設者であった」という言葉があるんです。元々は1人の俳優が合唱隊と問答するだけだったギリシャ悲劇で、俳優の数を2人に増やしたのはアイスキュロス。その後、ソフォクレスが3人に増やしたそうなんですが、最初に2人に増やしたというのが、なにしろ画期的だったのだそう。そしてアイスキュロスは自ら俳優として演じ、音楽や舞踏の作者として合唱隊を教えたのだとか。ソポクレスやエウリピデスに比べると、アイスキュロスの作品は正統派ながらもどこか面白みが足りないようにも感じられるのですが、やっぱり先駆者だったことも関係があるのかも。アイスキュロスが完成させたギリシャ悲劇を、ソフォクレスが洗練させて、エウリピデスが民衆に向けてドラマティックに盛り上げてみせた、という位置づけかもしれないですね。

アイスキュロスは3部作が多くて、「アガメムノン」「供養する女たち」「慈みの女神たち」もオレステイア3部作だし、「縛られたプロメテウス」も、プロメテウス劇3部作の最初の作品。(あと2作は「解放されるプロメテウス」と「火を運ぶプロメテウス」) 「テーバイ攻めの七将」も3部作。(「ライオス」と「オイディプス」) 「救いを求める女たち」も3部作。(「アイギュプトスの息子たち」「ダナオスの娘たち」) 3部作じゃないのは、「ペルシア人」だけなんですよね。でも3部作がきちんと残ってるのは、オレステイア3部作だけで、後はほとんどが失われてしまってるんです。それが本当に残念。特に「縛られたプロメテウス」ではゼウスと衝突して岩山に磔つけられたプロメテウスが、3部作の最後ではどうやらゼウスと和解するようなんですが、ここから一体どんな展開をしたら和解に繋がるのか、とっても気になるーーー。
でもアイスキュロスは今から2500年も昔に生まれた紀元前の人。当時はパピルスなんですものね。今でも作品を読めるだけでもありがたいです。本当に。(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

+既読のアイスキュロス作品の感想+
「アガメムノーン」アイスキュロス
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス

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amazonの紹介は、「7世紀頃に成立したアイルランドの伝承詩「ブランの航海」の解題と解読、又、その背景にあるケルト文学における冒険譚・航海譚の特徴や、異界への旅の意味を探った論文を収録」。一般には「ブランの航海」として知られる、「フェヴァルの息子ブランの航海と冒険」に関する論文です。この詩は7世紀頃に成立したそうで、ケルト異界を描く冒険譚と航海譚の2つの要素を兼ね備えており、古代アイルランド文学の中でも重要な作品と考えられているのだそう。

論文なので、「へええ、なるほど」とは思っても「面白かった」って感じではないんですが、「ブランの航海」と一緒に、「コンラの冒険」「マールドゥーンの航海」「青春の国のアシーンの物語詩」といった物語群も紹介されてるのがありがたかったです。こういうの、なかなか読めないですからねー。どれもケルトの異界にまつわる物語で、その異界の共通点は、「はるか彼方の海上の国」「不老不死の至福の世界」。そして「マールドゥーンの航海」だけは、旅の後普通に帰国できるんですけど、他の3つの物語では戻った途端に、現世での時間の経過を思い知らされることになります。丁度「浦島太郎」と一緒ですね。実際、「アシーンと浦島伝説をめぐって」という副題で、「異界と海界の彼方」という文章も収められていました。
ただ、この論文では、ケルトの物語が大きく冒険譚と航海譚に分けられているんですけど、肝心の冒険譚と航海譚の違いが今ひとつ分からないんですよね。航海譚だって冒険なんだから、冒険譚の一分野でいいじゃないの。ってどうしても思ってしまうんですけど、「冒険譚と対照的なのが航海譚であり」という文章があるので、海に出れば航海譚、それ以外は冒険譚というだけではないのでしょう...。何かもっと明らかな違いがあって、でも研究者には常識だから、ここには触れられていないのかも。うーん、私の知識不足かあ。(中央大学学術図書)

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大鹿を追いかけているうちに仲間ともはぐれ、乗っていた馬を失い、犬だけを連れた狩人は、カトリン湖のほとりでエレンという乙女に出会います。狩人が鳴らした角笛を、父の角笛の音かと思ったエレンが、船を漕いで迎えに来たのです。狩人は、ジェイムズ・フィッツ=ジェイムズと名乗る騎士。道を失って難渋していると話す騎士をエレンは自分の家に案内し、一夜の宿を提供することに。

入江直祐氏の旧仮名遣いの訳が古めかしいながらも、非常に美しい作品。素敵でした~。本来なら全編叙事詩として書かれているそうなんですが、日本語訳では、歌として歌われている部分以外は散文。「湖の麗人」という題名で、アーサー王伝説のヴィヴィアン(ニムエ)を思い出したんですけど、やっぱりその伝説がヒントとなってできた物語のようです。中世が舞台の騎士物語。
スコットランド生まれのウォルター・スコットはハイランドで育ち、実際にこの作品で舞台になった土地もよく知っているようで、舞台となっている湖や山間などの描写がとても美しかったです~。そしてその湖に住むのは美しく幻想的な乙女。その乙女の周囲には、王に追放された騎士である父親、乙女に恋する勇士たち。竪琴を奏でながら歌い、預言をする老人など。でも美しい描写だけではないのです。徐々に感じられる不穏な空気や、怪しげな預言者の儀式、戦争の知らせのために走る伝令たち、そして来る戦争の場面... 特に印象に残ったのは、伝令が「火焔の十字架」を持って村から村へとひた走り、辿り着いた村の伝令にその十字架を託して、受け取った伝令が新たに走っていくシーン。これは絵になりますねえ。ちょっと違うんですけど、映画「ロード・オブ・ザ・リング」の狼煙の場面みたい。それから面白かったのは、王の住むスターリング城下の祭りの場面。矢場の傍には、ロビン・フッドがいました! タックやリトル・ジョン、スカーレット、マリアン姫など錚々たるメンバーと一緒に並んでいました。名前だけの登場なんですけどね。そういう遊び心がまた楽しいところ。「アイヴァンホー」(感想)にも登場してたし、実はかなり好きなんですね~?
そしてこの物語の中でエレンが歌う聖母賛歌にシューベルトが曲をつけたのが、有名なあの「アヴェ・マリア」の曲なのだそうです。(エレンの歌第3番) いや、この曲、てっきり宗教音楽かと思ってました... 違ったんですね。でもあの曲なら、この作品によく似合います。本当に素敵な作品なんですもん。こういう作品を読めると、それだけで幸せ~♪(岩波文庫)


+既読のウォルター・スコット作品の感想+
「アイヴァンホー」上下 スコット
「湖の麗人」スコット
「最後の吟遊詩人の歌」ウォルター・スコット
「マーミオン」ウォルター・スコット

+既読のウォルター・スコット関連作品の感想+
「ウォルター・スコット邸訪問記」ワシントン・アーヴィング

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The Light of the Worldのnyuさんのところで記事を拝見して(コチラ)、「ジョン王という手もあったか!」と手に取った本。
先日の「アイヴァンホー」以来、いくつかロビン・フッド関連作品を読んだんですが、元々ロビン・フッド物ってあんまりないんですよね。...いや、まさかシェイクスピアにロビン・フッドが登場するはずもないというのはよく分かってるんですが。(笑)
ジョン王といえば、マグナカルタ(大憲章)を認めたヒト。フランスにあったイギリスの領土を失ったことから欠地王とも呼ばれ、イギリスでは最低最悪の君主とされてるヒト。ロビン・フッド物でも徹底して悪役にされてます。でも兄のリチャード一世が十字軍遠征のために税金を絞り取った後なので(その後囚われて、そっちの身代金も莫大だった)、タイミングが悪かったとも言えそう。そんなジョン王が主役になるとどんな話になるんだろう? と思ったのでありました。
...対照的に評判の良いリチャード1世は、獅子心王と呼ばれてる人ですけど、今まで読んだ限り、結構単純な戦争馬鹿に描かれてることも多いです... きっと脳みそが筋肉でできてるタイプだったんでしょう。でも面倒見の良い先輩タイプで、人々に愛されたのかも。(笑)

話が始まるのは、既にジョンが王になった後。リチャード1世の後を継ぐはずだった甥のアーサーを差し置いてジョンが王位についたため、フランスのフィリップ王から、アーサーの権利を認めろという使者が来るんです。(その時アーサーはフランスにいた) それをジョン王が追い返して、フランスに大軍を進めるところから話が始まります。

一読して、随分単純に分かりやすくまとめたなあという印象の作品でした。まあ、私は元々シェイクスピアのことを、それほどオリジナリティのあるヒトとは思ってないのですが(ほとんどの作品に元ネタがあるわけですし)、きっとどこかに光るものがあって名を残したんだろうと思うわけで... この作品では、私生児フィリップ(サー・リチャード)が面白かったです。話し方が野卑すぎて浮いてるんですけど(しかもこれで獅子心王と話しぶりがそっくりって)、この役を舞台で演じる役者さんは、他の役者さんを食ってしまえそうです。そういう意味で、ちょっと舞台を見てみたくなるような作品ですね。...シェイクスピアが書いたのはあくまでも戯曲なんだから、本を読んでるだけじゃダメなんですよね、きっと。舞台でこそ本領発揮するんでしょう。(だから舞台を観たことのない私には、その真価は分からないのかも)

結果的にはマグナ・カルタも登場しないし... いえ、登場しないというのは既に聞いて知ってたんですが、なんでシェイクスピアはこのことを書かなかったのかな? すぐに破棄されたようなものだから重要ではないと考えた? それとも単に忘れていた?(笑)
この作品で貴族たちがジョンに離反したのは、マグナ・カルタのせいではなくて、ジョンがアーサーを殺したという噂が流れたからでした。(白水uブックス)


+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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この2つの話は先日新潮文庫でも読んだばかりなんですが(記事)、今回読んだのはアーサー・ラッカムとエドマンド・デュラックの挿絵入り。ラッカムとデュラックは、こういった挿画本の黄金時代に人気を二分していた2人で、どちらの本も荒俣宏氏の解説。合わせて読むと、この2冊がラッカムとデュラックそれぞれの最高傑作という趣旨のことが書かれていました。
でもこの2冊を見比べる限り、私の好みはラッカムの方だなあ...。デュラックの絵は、肝心のミランダがあまり美しく感じられなかったし、絵に動きがないような。妖精のエアリエルは素敵なんですけどね。ラッカムの絵の方が、描かれている人物や妖精の表情が遥かに豊かな気がします。ハーミアやヘレナ、妖精の女王タイタニアは本当に美しいし、妖精パックは小悪魔っぽい表情が魅力たっぷり、豆の花や蜘蛛の巣、蛾、芥子の種といった小さい妖精たちや素人劇団の面々はユーモラスで、そのギャップも好き♪
デュラックの挿絵といえば、数年前に友人に「Edmund Dulac's Fairy Book」というとても素敵な洋書をもらったことがあって、そちらの絵のタッチの方が繊細で華やかで好きです。もうほんと、同じ人の絵とは思えないぐらい。
ちなみに右の画像は、昨日のニールセンのと同じシリーズのラッカム版とデュラック版。実際に手に取って見てみたいー。(新書館)


+既読のアーサー・ラッカム作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ウンディーネ」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「ピーター・パン」アーサー・ラッカム
「真夏の夜の夢」アーサー・ラッカム絵&「テンペスト」エドマンド・デュラック絵

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3世紀頃にスコットランド北部のモールヴェンにいたというフィンガル王(フィン王・フィン・マックール)の誉れと、その一族の者たちの物語。スコットランド高地に住むゲールと呼ばれるケルト民族の間で語り継がれてきた古歌を集めたものです。オシァンといえば、妖精の女王・ニアヴが常若の国ティル・ナ・ノグへ連れ去ってしまうという浦島太郎的物語もあるんですが、こちらは妖精とか魔法とか超常的要素は全然ありません。

もう本当にものすごく美しいです。1760年にマクファーソンによって英訳本が発表されるや、たちまち大人気となり、ナポレオンにも愛読されたというのも納得。でも美しいと同時に哀しくもあります。これらの歌が語られたのは一族の者たちが次々に倒されて、オシァンが1人最後に残された後のこと。高齢で、しかも失明しているらしいオシァンが、亡くなった息子・オスカルの許婚で立琴の名手だったマルヴィーナ相手に、もう一度歌心を呼び戻して欲しいと一族の戦士たちの物語を聞かせているという形。歌が進むごとに、最初は若者だったフィンガル王も年を重ねて壮年の勇者になり、最後は白髪の老人へと...。それでも立派に戦ってるんですけどね。読んでいると、気高く雄々しい勇士たちの戦う姿とそれを見守る美しい乙女たち、戦いを終えての饗宴とその席で竪琴を奏で歌う歌人たち、そんな情景が見えてくるようです。

ええと、歌人たちは何かといえばすぐに歌うんですが、それは倒れた勇士の霊は歌人に頌歌を歌ってもらわなければ「雲の宮居」へ行かれないから。で、この「雲の宮居」というのはオーディンがいるところ、と作中にあります。それってもしや、北欧神話のヴァルハラのことですか? この作品の中心となっているフィンガル王はスコットランドの一部族の王だし、確かにケルト。北欧神話がこんな風に入り込んできてるとは知らなかったので、ちょっとびっくり。フィンガル王の軍はスカンディナヴィアの人々と結構頻繁に戦ってるし、しかも途中でオーディンの幻影が現れたりするので、どうも敵というイメージが強いんですけど... つまり死神ってことなのかな? いずれにせよ不思議だなあ。(岩波文庫)

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ポントコートの祝日にアーサー王が催していた宴の席で、騎士・キャログルナンが語ったのは、7年ほど前に冒険を探す旅に出た時のこと。旅の途中、不思議な泉の話を聞いたキャログルナンは、早速そこに向かいます。その泉の水は、大理石よりも冷たいのに煮え立っており、そこにある純金の盥で泉のそばの大きな石に水をかけると、たちまちひどい嵐が起こるというのです。そして話に聞いた以上の凄まじい嵐が起きた後、そこに現れたのは1人の騎士。キャログルナンは泉を守るその騎士と戦い、そして敗れることに。その話を聞いたキャログルナンの従弟の騎士・イヴァンは、翌朝早速その泉を目指すのですが...。

12世紀後半にフランスの詩人・クレティアン・ド・トロワによって書かれたという「獅子の騎士」の初の訳出、そしてその分析と解説をしたという本。
内容的には、以前読んだ「マビノギオン」(感想)の中のエピソードの1つとそっくりで、びっくりしました。中野節子訳「マビノギオン」では「ウリエンの息子オウァイスの物語、あるいは泉の貴婦人」、井辻朱美訳「シャーロットゲスト版 マビノギオン」では「泉の貴婦人」ですね。登場人物の名前は違うんですけど、本筋はあまりに似てるので、クレティアン・ド・トロワがマビノギオンのエピソードを書き直したのかと思ったほど。でもマビノギオンは、14世紀半ばに書き残されたルゼルフの白本とそれより後のヘルゲストの赤本が元になってるし、そもそも作られたのは早くても13世紀らしいんですよね。なのにクレティアン・ド・トロワがこの作品を書き上げたのは、12世紀後半のこと。どうやら直接的な相関関係はなさそうです。もちろん口承文学だし、根っこの部分は同じなんでしょうけどね。でもケルト色のとても強い「マビノギオン」に比べて、クレティアン・ド・トロワの作品は、ケルト色は濃いながらも、それ以上に「宮廷愛」の色の濃いものになっていました。さすがフランス宮廷のために書かれただけあって洗練されてますね。そして読んでいて面白いのは、この「獅子の騎士」の物語と平行して「荷車の騎士ランスロ」の出来事が起きているのが作中で分かること。いくつかの物語の存在が重なって、その世界が重層化していくなんて手法が、この時代の詩人によって使われていたというのがびっくりです。「荷車の騎士ランスロ」も読みたいなあ。(平凡社)

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夏至の前日の夕方、ダンとユーナの兄妹は、両親の地所で自分たちが「野外劇場」と呼んでいる場所に行き、3頭の牝牛相手に「夏の夜の夢」を演じます。おとうさんにシェイクスピアの戯曲を短く書き直してもらい、おかあさん相手に何度も練習して台詞を暗記したのです。上手く演じられて嬉しくなった2人は、思わず最初から最後まで3回も演じてしまうことに。そして腰を下ろして持ってきたおやつを食べようとした時、妖精のパックが現れて...。

妖精パックが連れてくる歴史上の人物たちが、自分の体験談をダンとユーナという兄妹に語り聞かせてくれるという形式の連作短編集。これを読む前にシェイクスピアの「夏の夜の夢」も再読しちゃいました。シェイクスピアに限っては悲劇の方が好きなんですが、「夏の夜の夢」はとても好きな作品。でも随分前に読んだっきりなので、細部はすっかり忘却の彼方... 読み返して良かった。現在の可憐な妖精像を作り出したのはシェイクスピアだとこの間読んだところなので、以前読んだ時とは違った部分に注目して読めたし、福田恆存氏の訳もすごく良かったし。右の画像は私が読んだ新潮文庫版。この表紙も素敵ですよねー。

で、こちらの「プークが丘の妖精パック」ですが、これもすごく面白かったです!
まず、なんで登場する妖精がパックだけなのか、他の妖精は今はどうしてるのかという部分で、パックの説明にはすごく説得力があったし... これは上手い。そして中で語られる物語を読んでいて、どことなくローズマリー・サトクリフの本の題名を連想しちゃうなと思っていたら(中身は読んでないので、題名だけ)、サトクリフもこの作品に影響を受けてるんだそうです。ちょっとびっくり。でもやっぱりこれは、他の作家さんに影響を与えるタイプの本だろうな。1つ1つのお話も面白かったし、大きな歴史の流れを追うという意味でもすごく面白かった。パック自身が、「どうだった? ウィーランドが剣を与え、その剣が宝をもたらし、宝が法律を生んだ。オークが伸びるように自然なことだ」と言ってますが、まさにその通りですねー。しかも読者にとっても2人の子供たちにとっても単に歴史の教科書に載ってるってだけだった出来事が、語られることによって生き生きと再現されてました。
でもどんなに面白い話を聞いても、家に帰る時間になると、子供たちはオークとトネリコとサンザシの魔法で全てを忘れちゃうんです。なんだか気の毒。もちろん次にパックに会った時に、ちゃんと全部思い出すことにはなるんですが...。ちなみにパックという妖精は、ケルト神話のプークが原型と言われてるので、この題名は要するにパックの丘のパックってことですね。偶然アメリカ版を見つけたら、表紙がラッカムでした。ラッカムの絵は表紙だけなのかしら。中も見てみたーい。(光文社古典新訳文庫)


+既読のラドヤード・キプリング作品の感想+
「少年キム」ラドヤード・キプリング
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「キプリング短篇集」キプリング

+既読のシェイクスピア作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「ジョン王」ウィリアム・シェイクスピア
「ジュリアス・シーザー」「アントニーとクレオパトラ」シェイクスピア
「ハムレット」シェイクスピア・「新ハムレット」太宰治
「マクベス」シェイクスピア
「トロイラスとクレシダ」ウィリアム・シェイクスピア

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大気の乙女・イルマタルは、波の上へと降り立った時に、澄んだ海の面を吹き渡る風によって身ごもります。しかし赤ん坊は700年もの間生まれようとせず、乙女は水の母として東に西に、北西に南へと泳ぎ続けることに。そしてようやく生まれたワイナミョイネンは、生まれた時から老人の姿をしていました。

世界三大叙事詩の1つ、フィンランドの叙事詩「カレワラ」。(他の2つは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」) 以前にも読んだことはあるんですが(感想)、それは子供用の物語形式だったので、ちょっと欲求不満状態だったんですよね。ぜひ詩の形で訳されているものを読みたいと思っていたら、ようやく読めました! 嬉しい~。小泉保さん訳のこの本は、大満足。随分前に絶版になっているし、市内の図書館にも置いてなかったので、入手は大変だったんですけどねー。

「カレワラ」で一番面白いのは、魔法のかけ方。関係する事物の起源の呪文を唱えなければならないんです。例えば鉄による傷を治すなら、まず「鉄の起源の呪文」を唱え、続いて「鉄を罵倒する呪文」で鉄を支配。続いて「血止めの呪文」「軟膏の呪文」「守りの呪文」「包帯の呪文」という一連の呪文で治療することになります。しかもこの呪文というのは歌なんです。さっさと血止めをすればいいようなものなのに(笑)、みんな朗々と歌い上げちゃう。カッコいい。でもその事物の起源を知らなければ、傷を治せずに死んでしまうわけです。つまり必要な呪文を次々に唱えられる呪術師こそが、最も強いヒト。...この「カレワラ」の中で、ワイナミョイネンが必要な言葉を求めてアンテロ・ピプネンという巨人の口から身体の中に入ってしまう場面があるんですが、この時ピプネンは正体不明の異物を出してしまいたくて、「駆除の呪文」「不明な危害の根元の呪文」「自然の病気での保護の呪文」「厄病呪病の根元の呪文」「災禍抑制の呪文」「救援の呪文」「生地へ駆逐する呪文」「報復の呪文」「一般魔除けの呪文」「閉じ込めの呪文」「運び出しの呪文」「起動の呪文」「脅迫の呪文」「困惑の呪文」と次々に唱えて、その実力を見せ付けることになります。(結局排除できないんですけどねー・笑)
1~2章で軽く天地創造についても語られてるんですが、こういう呪文の中で新たな創造の一面が分かるのがまた面白いんですよね。

小泉保さんの訳はとても読みやすくて面白いし、解説も勉強になります。ただ、この世界の神々については、あんまり体系的に語られていない... というか、時々話のついでに登場する程度なんですよね。どうやら「カレワラ」こそが神話というわけでもないみたい。神話と重なる部分も多いはずだけど、これはあくまでもフィンランドの伝説に基づく叙事詩。純粋な神話も読みたいんだけど... そういう本はあるのかしら?(岩波文庫)

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イギリスのヴィクトリア朝の詩人・テニスンと明治時代の文豪・夏目漱石の共通項は、実はアーサー王伝説。テニスンはアーサー王伝説に題材をとって「シャロット姫」「国王牧歌」といった作品を書いていますし、夏目漱石も、マロリーの「アーサー王の死」やテニスンの詩を元に「薤露行(かいろこう)」という作品を書いてるんですね。漱石にこういう作品があったとは知らなかった。

ということで、まずテニスンの「シャロット姫」。
塔に1人で住んでいるシャロット姫は、外を直接見ると呪いがかかると言われているので、日々鏡の中を覗き込み、そこに見える情景を布の中に織り込んでいます。しかしそんなある日、鏡に騎士ランスロットが映り、シャロット姫は思わず窓の方へ... その途端、鏡は割れ、織物は飛び散ります。その後キャメロットに流れ着いたのは、息絶えたシャロット姫の遺体を載せた小船。
この詩には多くの画家も触発されたようで、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス(こんなのこんなの... こんなのもありますね)やウイリアム・ホルマン・ハント(こんなの)など、ラファエル前派の画家によって多く描かれています。こんなページも発見。アガサ・クリスティの「鏡は横にひび割れて」もここから取った題名ですね。「赤毛のアン」のアンも、友達とシャロット姫ごっこをしてますし~。
そしてテニスンの詩に触発されたのは、夏目漱石も同様。
テニスンの「シャロット姫」では、ランスロットに恋し、その恋によって死んで小船で流れ着くのはシャロット姫ただ1人なんですが、漱石の「薤露行」では、塔からランスロットを見て死ぬシャロット姫と、ランスロットに恋して死んで小船でキャメロットへとたどり着くエレーンという2人の女性がいます。この女性のどちらもが、テニスンのシャロット姫とはまたちょっと違うんですねえ。塔のシャロット姫は怖いです。ランスロットを一目見た時、「シャロットの女を殺すものはランスロット。ランスロットを殺すものはシャロットの女。わが末期の呪いを負うて北の方へ走れ」なんてランスロットに呪いをかけた途端、「?(どう)と仆(たお)れ」て死にますし(いきなり...)、ランスロットが北へ向かう途中出会うエレーンは逆に、全然振り向いてくれないランスロットに焦がれながら死ぬんですが、自分を憐れに思って欲しいなんて手紙を書いて、死んだら手に握らせておいてくれと父親に頼んでます。思いが深いというか情が強いという点では共通していますけどね。

どちらの作品もとても美しいです。でも私にとって一読して簡単に理解できるような作品でもないので(こんな浅い記事ですみませんー)、味わいつつ噛み締めつつ、折に触れて読み返すことになりそうです。そうやって読み続ければ、そのうちもっと色々のことが感じ取れてくるでしょう、きっと。
それに対して、テニスンの「国王牧歌」はそれほど難しくないです。これは全12巻1万余行の叙事詩。叙情的な詩に比べると、やっぱり叙事詩は読みやすいー。でも、この詩集に収められているのは、最終巻の「アーサーの死」だけなんです。致命傷を受けたアーサーに頼まれたベデヴィア卿が3度エクスキャリバーを捨てに行く場面と、アーサーを乗せた船が去っていく場面。(こっちも船だ!) この「国王牧歌」が全部読みたいんですけど、どうやら日本語には訳されてないみたいで残念。原書で読むしかないのかなあ...。

「テニスン詩集」にも「倫敦塔・幻影の盾」にも、他にも色んな作品が載ってますし、もちろんそちらも読んでるんですが、今回の注目はアーサー王伝説ということで♪ (岩波文庫・新潮文庫)


+既読の夏目漱石作品の感想+
「夢十夜」「冥途」「猫町」
「明暗」夏目漱石・「続明暗」水村美苗
「対訳 テニスン詩集」「倫敦塔・幻影の盾」夏目漱石

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「マビノギオン」は、イギリスのウェールズ地方で吟遊詩人たちによって伝えられてきた叙事詩。その後、「ヘルゲストの赤い本」「レゼルッフの白い本」といった本に書き残されることになり、それらに収められた11編の物語が、19世紀になって初めてシャーロット・ゲストによって英訳され、「マビノギオン」という題名で広く知られるようになったのだそうです。
左の「マビノギオン」は、中野節子さんがウェールズ語から日本語へと直接訳したという初の完訳本。右はシャーロット・ゲストが19世紀に英訳した本にアラン・リーが挿絵を描いたのを、井辻朱美さんが日本語に訳したというもの。こちらには、ウェールズに広く流布していたという「タリエシン」という短い物語も収められています。

11編のうちの最初の4編は、まさに超自然的なケルト神話の世界。そこから徐々に現実的な物語へと移り、後半になると、後にアーサー王伝説を作り上げることになる騎士道物語になっていきます。ただ、アーサー王自身も登場するし、アーサー王の宮廷の様子も垣間見えるんですけど、むしろ騎士たちのエピソードが中心なんですよね。ここには魔術師マーリンも登場しませんし(これが残念)、アーサー王自身のエピソードもほとんどありません。
この2冊、内容的にはほぼ一緒なんですが、ウェールズ語からの直接の翻訳と、英訳からの翻訳ということもあって、固有名詞の表記が結構違うんですよね。あとシャーロット・ゲスト版ではまるっきり書かれていなかったり、表現がぼかされてる部分が目につきました。例えば「ダヴェドの大公プイス」(シャーロット・ゲスト版では「ダヴェドの王子プウィル」)では、大公プイスとアラウン王がお互いの立場を密かに入れ替えて1年間過ごすというエピソードがあるんですけど、アラウン王が許可(?)してるのに、プイスは絶世の美女であるアラウン王の妃の体には触れようとしないんです。それが後に友情をさらに強くすることにもなるんですが、シャーロット・ゲスト版では、その辺りがまるっきり欠落してました。こういうのって、18~19世紀のモラルによるものなのかしら? 同じく18~19世紀の作家トマス・ブルフィンチの著作でも、性的な部分が色々と欠落してると聞いた覚えが...。
中野節子さんの日本語訳は、平易で読みやすいです。井辻朱美さんの訳は、わざと古めかしい日本語にしているので、慣れるまでがちょっと読みにくかったんですが、雰囲気はたっぷり。「蒼天なんじに報いたまわんことを」といった感じですね。どちらの本がオススメかといえば、ちょっと難しいですが... シャーロット・ゲスト版の方が美麗な挿画も入っているし、固有名詞の訳でも一般的な名称を使ってるので、純粋に物語として楽しむにはいいかも。(例えばアーサー王に関して、井辻訳では「アーサー」と表記してますが、中野訳では「アルスル」なんです) でも中野訳の方には詳細な解説や、人名や地名の一覧がついているので便利なんですよね。一長一短かな? 私にとっては、どちらも読んで正解でした。(JULA出版局・原書房)

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ローマ時代の詩人・オウィディウスによるギリシャ・ローマ神話。そのキーワードは、「変身」。神々の怒りによって、あるいは哀れみによって、あるいは気まぐれによって、植物や動物に変えられてしまうエピソードが250ほど、次々に語り手を変えながら語られていきます。下巻の後半になると、トロイア戦争とその後の物語へ。

子供の頃愛読していたブルフィンチの「ギリシア・ローマ神話」に「変身物語」のエピソードがかなり取り入れられていたし、ホメーロスの2つの叙事詩や様々なギリシャ悲劇作品も下敷きになってるので、既に知っている部分も多かったんですが、「変身物語」という作品として通して読むのは、今回が初めて。ものすごい量のエピソードが、語り手を代えながらも途切れずに続けられていくのがすごいです。元々は詩の形で書かれた作品が、すっかり散文調になってるのは残念だったんですが、訳注を最小限にとどめるようにしたという訳文はいいですね。ただ、ゼウスがユピテル、ヘラがユノー、アプロディテがウェヌスみたいに、神々の名前がローマ神話名になっているのがちょっと分かりにくい...。ローマ時代の詩人のオウィディウスがローマ神話名、というかラテン語名を使うのは当然としても、日本人にとっては、やはりギリシャ神話名の方が馴染みが深いですよね。なんで「ゼウス」や「ヘラ」じゃあダメだったんでしょう。

ここに描かれているのは、相変わらず人間以上に人間臭い神々の姿。懲りもせず浮気を繰り返すユピテル、自分の夫よりも相手の女に憎しみをぶつけるユノー、気侭な恋を繰り返す男神たち、自分よりも美しかったり技能がすぐれている女に嫉妬する女神たち。変身物語といえば、アントニーヌス・リーベラーリスの「メタモルフォーシス」もそうなんですが、こちらは未読。こちらには載っていないエピソードもあるそうで、興味をそそります。でもリーベラーリスの作品に比べると、こちらの方が遙かに人間や神々の心情を細やかに描いているみたい。まあ、確かに相当ロマンティックではありますね。(笑) それだけに、文学だけでなく、その後の芸術全般に大きな影響を与えたというのも納得なんですが。
この中では、ピュラモスとティスベのエピソードがシェイクスピアの「ロミオとジュリエット」にそっくりで、特に印象に残りました。そっかあ、シェイクスピアはここから題材を取ったのかあ。(岩波文庫)

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アーサー王伝説の中でも特に有名な、中世英語詩の傑作「サー・ガウェインと緑の騎士」、瑕疵ひとつない大切な真珠を失ってしまったという宗教的な詩「真珠(パール)」、王妃を連れ去られてしまい、竪琴だけ持って荒れ野に隠遁するオルフェオ王の物語「サー・オルフェオ」、そして緑の礼拝堂へと向かう前のガウェインの歌「ガウェインの別れの歌」の4編。14世紀に中英語で書かれた作品のJ.R.R.トールキンによる現代英語訳、の日本語訳です。(笑)

「サー・ガウェインと緑の騎士」に関しては、英語でなら大学時代に読んだんですけど、日本語できちんと読むのは初めてかも。子供の頃に、R.L.グリ-ンの「アーサー王物語」(岩波少年文庫)の中で読んで以来ですね。でも、英語版にも、この冒頭の部分はあったかなあ... トロイア戦争、ローマ建国、ブリテン建国に触れられている辺りにはまるで覚えがないです。トールキンの創作? 緑の騎士の外見の描写も、私が読んだのとはかなり違うから、やっぱり創作なのかも。私が思っていた緑の騎士は「緑色の鎧兜に身を固めた大柄な騎士」なんですが、ここに登場する緑の騎士はすごいんですもん。この表紙の絵もすごいですよね。左がその緑の騎士。これじゃあまるで原始人? 右の小さな人影がガウェインです。「この世(ミドルアース)に常ならぬものすごさ」「巨鬼(トロル)の半分ほどもあろうかというほどの巨躯」という文章が、まるで「指輪物語」みたいで、さすがトールキンの世界になってます。...とまあ、その辺りはいいんですが、散文の形に訳されているのが、やっぱりとても残念。頭韻を日本語に移し変えるのは不可能だと思うけど、やっぱり詩にして欲しかった。うーん。

「真珠」は一種の挽歌なのだそう。幼くして死んだ娘になぞらえた「真珠」に導かれて、エルサレムを垣間見る美しい詩。(これは詩に訳されていました) 「サー・オルフェオ」は、ギリシャ神話のオルフェウスの物語のブリテン版。王妃がなぜ突然連れ去られたのかは分からないんですが、王と王妃の愛情、そして王の人望の厚さが清々しい読後感。

アーサー王関連の物語も、色々読みたいんですよね。アーサー王の伝説に関しては、子供の頃からずっと好きだったんですが、例えば「アーサー王の死」や「トリスタンとイゾルデ」みたいな本家本元的作品や研究書ばかりで、アーサー王伝説に触発されて作った作品にはあまり目を向けてなかったのです。それが一昨年、マリオン・ジマー・ブラッドリーの「アヴァロンの霧」を読んで開眼してしまって! と言いつつ、なかなか本格的に手がまわらなかったんですが、ギリシャ神話関連もそろそろ一段落しそうだし(読みたいのはまだあるけど)、今度こそ色々読んでみようかと~。(原書房)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

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先日岩波文庫の「四つのギリシャ神話-『ホメーロス讃歌』より」というのを読んだんですが(感想)、これはその完訳版。デーメーテール、アポローン、ヘルメース、アフロディーテーはもちろんのこと、ディオニューソス、アレース、アルテミス、ヘーラー、ヘーラクレースなど22の神々への讃歌全33編です。...この本、ホメーロスの著作物のようにも見えるんですが、「イーリアス」「オデュッセイア」のホメーロスその人が書いたのではありません。「ホメーロス風」というだけ。作者も作られた年代もバラバラで、詳しいことは分かっていないようです。

でも、岩波文庫にも収められていた4編以外は、どれも短いんですね。一番短いもので、たったの3行、長くても数ページ程度。そのほとんどはただの描写だったり、祈願的なものだったりで、神話的なエピソードを描いたものではないんです。長大な4編との落差にはびっくり。これを読むと、岩波文庫がその4編しか出さなかったのも分かりますー。...とは言っても、面白くなかったわけではないです。色んな神々の詩を読むのはやっぱり楽しいし、しかもこの本の注釈はとても詳細。アポロドーロスの「ギリシア神話」やヘシオドスの「神統記」、オウィディウスの「変身物語」、ギリシャ悲劇はもちろんのこと、ギルガメシュ叙事詩などの東洋の神話系伝承にまで言及・引用されてるのがすごいのです。各讃歌ごとについている解題も勉強になります。

今回一番楽しく読めたのは、「パーン讃歌」。デュオニュッソスの従者とされながらも、ギリシャ神話ではほとんど名前を見かけることのないパーン神が、ヘルメースの子供だったとは迂闊にも知らなかったので、とても面白かったです。詩全体の雰囲気も陽気で楽しくて、目の前に情景が広がるようでした。(ちくま学芸文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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アヨーディヤーに住むダシャラタ王の第一王子・ラーマは、16歳になると賢者ヴィシュヴァーミトラの元で修行し、その後ミシラーのジャナカ王の娘・シータと結婚。しかしラーマが王位を継ぐことになった時、それに嫉妬した次男・バラタの母・カイケーイー妃とその召使女・マンタラーの陰謀で、14年もの間王国を追放されることになってしまいます。国を離れるラーマに従うのは、妻のシータと弟のラクシュマナ。しかしそんなある日、シータが羅刹ラーヴァナに攫われてしまい...。

1980年に出た本だというのに、アマゾンにもBK1にもデータがみつからない! 先日レグルス文庫版を読んだ時に、あまりの抄訳ぶりにがっくりきてたら、picoさんがこんな本もあるよと教えて下さった本。河出世界文学大系という全集の中の1冊です。図書館にあったので、早速読んでみました。
でも同じ「ラーマーヤナ」でも、レグルス文庫版とはちょっと違っていてびっくり。レグルス文庫はただの抄訳版かと思っていたんですけど、確かに全体的にはこちらの方が断然詳しいんですけど、そうではなかったのかしら? まず作者のヴァールミーキについても、こちらの本では最初から詩歌にすぐれた聖仙人とされてるんですけど、レグルス文庫版では、最初は盗賊だったヴァールミーキが心を入れ替えて修行し、霊感を得て詩を作るようになるまでのくだりがあるんですよね。物語の終盤も、結果的に起きたことは同じでも、なんだかニュアンスがどうも違うような... 不思議だ。あ、でも、やっぱりこっちの方が断然詳しいし、読み応えがありました。こちらの方が、枠物語という部分が前面に出ていたレグルス文庫版よりも、もっと純粋に王子ラーマの物語という感じがします。(河出書房新社)


+関連作品の感想+
「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ
「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ

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3巻(感想)に続く、エウリピデスの悲劇作品集。収録作品は、「エレクトラ」「タウリケのイピゲネイア」「ヘレネ」「フェニキアの女たち」「オレステス」「バッコスの信女」「アウリスのイピゲネイア」「レソス」「キュクロプス」の9作。

全体的に3巻の方が面白かった気がします。「タウリケのイピゲネイア」も、先日読んだ岩波文庫版(感想)の方が断然良かったし。とは言っても、この作品の場合は、多分訳の問題ではなくて脚注の問題なんですよね。岩波文庫版の脚注の入り方が、ほんと絶妙だったんですもん。うるさくなく、でも知っておくといい情報を確実に伝えてくれて。こちらのちくま文庫版は脚注がとても少なくて、これはこれでとても読みやすいんですが、それだけに「へええ、そうなんだ」的な部分が少ないのが寂しい。だからといって、岩波文庫全般に脚注が絶妙かといえば、そうとは言えないところが難しいのですが... 多すぎて、本文の邪魔になるものも多いので。(笑)

9作中、トロイア戦争関連が7作。特にアガメムノン一家を巡る作品が多くて、とても興味深かったです。まず前述の「アウリスのイピゲネイア」は、出帆を待つギリシア軍が風凪のために数ヶ月足止めを食らった時に、アガメムノンの娘・イピゲネイアが生贄として犠牲になった物語。これがアガメムノン家の悲劇の元凶となっています。(もっと遡れば、アガメムノンがクリュタイメストラを先夫から奪い、その子を殺したこと、さらに父や先祖の所業なんかもありますが) そしてアガメムノンが殺害されるアイスキュロスの「アガメムノーン」(感想)に続く形で、「エレクトラ」「オレステス」「タウリケのイピゲネイア」といった作品群があります。アイスキュロスの作品群にも、この「アガメムノーン」と3部作になる「供養する女たち」「慈愛の女神たち」といった作品があるので、ここはぜひ読み比べてみたいところ。
そして設定として面白いのは、「ヘレネ」。実はヘレネはトロイアへは連れ去られておらず、神々によってエジプトに匿われていたという話。トロイアに連れ去られたのは、空気から作った似姿。でも人間は誰もそんなことを知らず、ギリシャ軍もその空気のヘレネを取り返すために奮闘していた、というわけです。こういう風にヘレネを庇うような作品って時々ありますね。やっぱり美女は得なのかー!

最後の作品「キュクロプス」は、完全な形で現在までに残されている唯一のサテュロス劇。サテュロス劇とは、滑稽卑俗な所作と歌によって演じられる劇で、古代ギリシアの悲劇競演の際には、悲劇が3作上演され、最後にサテュロス劇が演じられて観客たちの緊張を解いたのだそうです。日本の能における狂言のような存在なんですかねえ? 本の形で読む限り、それほど滑稽卑俗といった感じはしないのですが、狂言だって今の時代に見たら、そんな感じはしないですものね。(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

+既読のエウリピデス作品の感想+
「タウリケーのイーピゲネイア」エウリーピデース
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

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エウリピデスのギリシャ悲劇集。エウリピデスは、アイスキュロス、ソポクレスと並ぶギリシャ三大悲劇詩人の1人です。ここには「アルケスティス」「メデイア」「ヘラクレスの子供たち」「ヒッポリュトス」「アンドロマケ」「ヘカベ」「救いを求める女たち」「ヘラクレス」「イオン」「トロイアの女」の10編が収録されています。

この中でエウリピデスの代表作といえば「メデイア」や「ヒッポリュトス」「アンドロマケ」辺り。特に「メデイア」は有名ですよね! 蜷川幸雄演出の「王女メディア」の元本でもあります。簡単な筋としては、伝説の黄金の羊の毛皮を取りに行ったイアソンは、コルキスの王女メデイアの助けを借りて目的を達成。その後メデイアとの間に2人の子供もできるんですけど、心変わりして他の王女と結婚しようとするんですね。で、怒ったメデイアはその王女と父親、自分が生んだ2人の子供まで犠牲にして、イアソンに復讐するというもの。怖いです。

でも、私がこの中で一番気に入ったのは「メデイア」ではなくて、悲劇と呼ぶには少々微笑ましすぎるような「アルケスティス」。これはペライの王アドメトスに死が迫った時、「代わりに死ぬ者さえあればアドメトスは救われる」という約束をアポロンが運命の女神たちから取り付けてくるんです。でも誰も身代わりに死のうなんてせず、ただ1人申し出たのは王妃のアルケスティスでした、という話。

最初は、老い先短いアドメトスの両親が、なぜ我が子のために死のうとはしないのか!という部分が強調されるんですね。王妃アルケスティスもそんなことを言いながら死んでいきますし。確かに親が子の身代わりになるという話はよくありますし、ほんの数年早くなるだけなのに、そんなに死ぬのが嫌なの? という気にさせられます。でもそれぞれの人物のやりとりを読んでいると、様々な人間の思惑が見えてきて面白いんです。やはり人間は死を恐れるもの。いくら年を取ったからといって、それが薄れるわけではなく。

アドメトス王の父親・ペレスが王妃の葬儀にやって来て、息子と激しい口論になるんですが、その時のペレスの「この世の生は短かろうと思うにつけ、その恋しさはひとしおなのだ。」「もしも御身に自分の命が愛(かな)しいなら、皆も同じく愛(かな)しかろう」という言葉に説得力があります。身代わりに死ぬのを拒否するペレスは、親らしいとは言えなくても、とても人間的ですよね。そして逆にこの2人のやり取りから浮かび上がってくるのは、アドメトスの身勝手さ。親が老い先短いからといって、親の死を望む息子っていうのは、如何なものでしょうか! 天の理を曲げてまで、自分が生き残ろうとしてる時点で、既におかしいんです。今は妻の死を盛大に嘆いてるんですけど、こういった人は、1年もすれば新しい妻を迎えるんだろうなあ...。(しかも妻相手に嘆く言葉は、「こんなことしなければ良かった」ではなくて、「捨てないでくれ」「置いていかないでくれ」「私はこれからどうすればいいのだ」ばかり・笑)
そして、妻自身も純粋な愛情から死んだとも思えないのがポイント。死に際の言葉を読み返してみると、生き続けようとアドメトスの両親への恨みを口にして、まるで当て付けに死んでいくみたいでもあるし、世間体を気にしての行動のようでもあるし(賢妻はかくあるべき?)、「父なし児となった和子たちと一緒に生きながらえて行きたいとは思いませず」という言葉は、もしかして夫が死んで貧しい惨めな暮らしをするぐらいなら死んだ方がマシ、と思ってるのでしょうか?! 自分の死後、子供がいつか継母にいじめられるんじゃないかと心配してるんですけど、子供たちの行く末が本当に心配だったら、生き続けたいという思いもあるものなのでは...? こちらも自分のことしか考えてないです。死に際だから仕方ないのかもしれないですけど、そういう時こそ本質が出るとも言えますね。

...と、そんな感じで人間の内部を抉り出されていくのが楽しい作品。でも最後の展開は打って変わって可笑しいんです。ヘラクレス、いい人ねっ。八方丸く収まってめでたしめでたし。馬鹿夫婦は勝手にやってくれ、と笑えます。(悲劇じゃないじゃん)

3大詩人の中では、一番とっつきやすいのがエウリピデスのような気がします。どこかに「昼メロみたい」という評がありましたが、そうでしょうか! まあ、今の時代に読めば、そう思う人もいるかもしれないですけど、こちらが本家本元でしょう。人間の本質をすごく見抜いいて楽しいです。既存の神話に結構大胆な解釈を加えてるところも面白いですし。このシリーズは全4巻で、1巻がアイスキュロス、2巻がソフォクレス、3巻4巻がエウリピデス。比べて読めば、もう少しはっきり掴めてくると思います。
と言いつつ、文庫で700ページ以上という分厚い本なので、続けざまに読むのはちょっとしんどい...。休み休み行きますね。(ちくま文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス
「ギリシア悲劇II」ソポクレス
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

+既読のエウリピデス作品の感想+
「タウリケーのイーピゲネイア」エウリーピデース
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

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今回の第27回たらいまわし企画「ウォーターワールドを描く本」で、主催者のねるさんが挙げてらした本。(記事) 本当は呉茂一訳が読みたかったんですが、結局「イリアス」(感想)の時と同じ、松平千秋訳で読みました。...いえ、この方の訳に不満があるわけじゃないですし、むしろとてもいい訳だと思うんですけど、詩の形ではないんですよね。呉茂一訳は、確か叙事詩形式で訳してるはずなので...。(以前読んだのは、この方の訳のはず) でもなかなか見つからないまま、結局手軽に入手できるこちらを買ってしまいました。

トロイア戦争で10年、その後10年漂流と、20年もの間故郷のイタケを留守にすることになってしまった、アカイアの英雄・オデュッセウスの物語。もうすぐ故郷に帰れそうなところから話が始まるのが、トロイア戦争末期を描いた「イリアス」と共通点。アカイア人たちはそれぞれに苦労して帰国することになるんですけど、ポセイドンの怒りを買ってしまったオデュッセウスの苦労は並大抵のものじゃありません。一方、故郷の屋敷では、オデュッセウスは既に死んだものと思われていて、奥さんのペネロペイアには沢山の求婚者が言い寄ってます。

「イリアス」も良かったんですが、やっぱり戦争物の「イリアス」よりも、こちらの方が楽しく読めますね~。登場人物も「イリアス」ほど多くなくて、把握しやすいですし。それに「イリアス」では人間だけでなく神々も大騒ぎで、それがまた面白いところなんですが、こちらで全編通して登場するのはアテネぐらい。そのせいか、物語としてすっきりしてます。
序盤では、オデュッセウスがポセイドンの激しい怒りを買ったということしか分からず、その原因が何だったのかは中盤まで明らかにされないので、徐々に徐々に... って感じなんですが、イリオスを出帆してからのことが一気に語られる中盤以降、俄然面白くなります。そして後半のクライマックスへ。構成的にもこちらの方が洗練されてるのかも。それにしても、30世紀も昔の話を今読んで面白いと感じられるのがすごいですよね。細かいところでは、今ではあり得ない部分なんかもあるんですが、やっぱり大きく普遍的なんでしょうね。そしてこの作品こそが、その後の冒険譚(特に航海物)の基本なんですねー。
「風の谷のナウシカ」のナウシカという名前が、この作品に登場する王女の名前から取られてるのは有名ですが、魔女キルケの食べ物によって豚にされてしまう部下のエピソードなんかも、「千と千尋の神隠し」のアレですね。ジブリの作品って、ほんと色んなところからモチーフをがきてますね。「千と千尋の神隠し」にしても、これ以外にも「霧のむこうの不思議な町」「クラバート」の影響が見られるわけで。

この「オデュッセイア」の中に、遙かなる世界の果て「エリュシオンの野」というのが出てきます。「雪はなく激しい嵐も吹かず雨も降らぬ。外洋(オケアノス)は人間に爽やかな涼気を恵むべく、高らかに鳴りつつ吹きわたる西風(ゼビュロス)の息吹を送ってくる」場所。神々に愛された者が死後住むとされた楽園。至福者の島(マカロン・ネソス)。明らかに、海の彼方の楽園伝説の元の1つと言える概念。でも私の持っているアポロドーロスの「ギリシャ神話」には、「オデュッセイア」紹介ページにしか、エリュシオンの野の記述がないんです。これってホメロスの想像した場所なのでしょうか。それともやはり以前からあった概念なんでしょうか? これより後の時代に書かれたウェルギリウスの「アエネーイス」では、このエリュシオンの野は確か地の底にあるんですよね。まだまだ謎だらけです。(岩波文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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強大な力で多くの神々を奴隷にしてしまった魔王・ラーバナに立ち向かうために、至上の神・ビシヌ(ヴィシュヌ)は、奴隷とされてしまった神々を人間や猿に転生させることに。南インドのジャングルには、神々の生まれ変わりの猿や猩々が沢山生まれ、ビシヌ神自身は北インドのダサラタ王の長男・ラーマとして転生。しかしラーマが立派に成長して、ダサラタ王がラーマに王位を譲る決意を固めた時、それに嫉妬した第二王妃(継母)と召使女の陰謀で、ラーマは14年もの間王国を追放されることになってしまうのです。国を離れるラーマに従うのは、妻のシータと弟のラクシマナ。しかしそんなある日、シータが魔王・ラーバナに攫われてしまい...。

「マハーバーラタ」と並ぶ、インドの古典叙事詩。とうとうインドまで来てしまいましたー。この「ラーマーヤナ」はヴァールミーキの作と言われていますが、実際にはインドに伝わる民間伝承をヴァールミーキが紀元3世紀ごろにまとめたってことのようですね。ヒンドゥー教の神話の物語ですが、古くから東南アジアや中国、日本に伝わっていて、この物語に登場する猩々のハヌマーンは、「西遊記」の孫悟空のモデルとも言われているようです。確かに彼の活躍場面は、孫悟空の三面六臂の活躍ぶりを彷彿とさせるもの。

本来この物語には魔王・ラーバナを倒すという大きな目的があったはずだし、そのためにビシヌ神も転生したはずなんですが、人間や猿に転生した時に神々だった時の記憶を失ってしまったせいか、ラーバナ征伐がまるで偶然の出来事のようになってるのがおかしいです。ラーバナがシータを攫わなければ、ラーバナとの争いは起こらず、魔王の都に攻め込むこともなかったのでしょうか! 「ラーマーヤナ」の「ヤナ」は鏡で、要するに「ラーマの物語」ということだそうなので(おお、インドでも鏡は物語なのね)、ラーマの英雄譚ということで構わないんですが... まあ、ラーマに箔をつけるために、ビシヌ転生のエピソードが付け加えられたんでしょうしね。
このラーマに関してはそれほど魅力を感じないのですが、至上の神であったビシヌでも、人間に転生してしまうと、ただの我侭な男の子になってしまうのかーという辺りは可笑しかったです。

でも私が読んだこの本は、一見大人向けの新書版なんですが、中身は子供向けの易しい物語調なんです。どうやらかなり省略されているようで、読んでいて物足りない! でも東洋文庫版「ラーマーヤナ」は、訳者の方が亡くなって途中で中断しているようだし、他にはほとんどない様子。結局、現在はこの版しか入手できないみたいなんですよね。「ラーマーヤナ」がどういった物語なのかを知るにはいいんですが、やっぱり完訳が読みたかった。ああ、東洋文庫で続きが出てくれればいいのになあ。(レグルス文庫)


+関連作品の感想+
「ラーマーヤナ」上下 ヴァールミーキ
「ラーマーヤナ」ヴァールミーキ

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現在進行中の絶賛叙事詩祭りで最大の目玉になりそうな作品、念願の「狂えるオルランド」をとうとう読みました!
これは8世紀末のシャルル・マーニュ率いるキリスト教徒軍とイスラム教徒軍との戦いや、騎士たちの恋や冒険を描いた物語。イタリアルネッサンス最高傑作とされているのだそうです。イタロ・カルヴィーノが偏愛しているという作品。でも、同じくシャルル・マーニュが登場するフランスの叙事詩「ロランの歌」と何らかの関係があるんだろうとは思ってたんですけど、「ロラン」が、イタリア語では「オルランド」なんて知りませんでしたよー。(情けない)

というのはともかく。これが思いの他、難物でした。

まず、訳者まえがきを読んで初めて、これが15世紀にボイアルドが書いた「恋するオルランド」(未完)の続きとして書かれていると知ってびっくり。それならそちらを先にいっておきたいところですが、その「恋するオルランド」は、日本語には翻訳されてないらしいんです。しかも、この本には「恋する~」のあらすじがほとんど書かれてない! いくら「狂える~」が、それだけで独立して読める作品とされていても、続編である以上、人間関係がすっかり出来上がっている以上、そちらのあらすじをきちんと書いておいてくれてもいいのでは... それもなしに、「『恋するオルランド』第○巻第○歌○○節参照」なんて訳注が頻出するときた日には...!
私はシリーズ物を途中から読むのが大嫌いだし、繋がりがある作品は順番に読みたいタイプ。(積み重ねていく部分って、大切ですよね) なのに、いきなり話が始まっちゃう。全然話に入れなくて困っちゃいました。特に最初の1~2章では大苦戦。何度読み返しても、全然頭に入ってこなくて、目は文字の上を素通りするだけ。訳者まえがきに、「まずなによりも、読んで面白い」「少しも読者を退屈させない」なんて書かれてるのに、全然面白くないよー...。

せっかく市外の図書館からお取り寄せしてもらったんだけど、やっぱりやめちゃおうかしら、でも、そんな気軽に再チャレンジなんてわけにもいかないし... なんて思いながら我慢して読むこと約30ページ。(この30ページに5日ぐらいかかりました) ある日突然、面白くなりました! 訳者さんの言葉にも、ようやく納得。ヨーロッパはもちろん、インド、エチオピア、はたまた... と様々な場所でエピソードが同時進行していくんですけど、全然混乱しないどころか、すごく読みやすい! (登場人物は物凄く多いので大変ですが) 最初の苦労は一体何だったんだ? 全部読み終えてから最初に戻ってみると、今度は全然読みにくくなかったです。(笑)

myrtus05.jpg題名の割に、オルランドは主役じゃないんですね。オルランドが失恋して正気を失い、他の人物がその正気を取り戻させるという流れはあるんですけど(この正気を取り戻す部分が凄いです。ぶっ飛んでます) むしろイスラム教徒の騎士・ルッジェーロとキリスト教徒の乙女・ブラダマンテが中心。というのも、この2人こそがアリオストが仕えていたエステ家の始祖となる2人なので...。(途中何度か語られるエステ家の隆盛については、ちょっと退屈) そしてもう1つ中心となっているのが、キリスト教徒とイスラム教徒の戦い。これは迫力です。名だたる騎士たちの強さってば、凄まじすぎ。一騎当千とはこのことか。
(右の写真は、作中に何度も登場するミルトの花。日本名は銀梅花)

結局のところ、ものすごーく面白かったです。分売不可の2冊組で12,600円という凄い値段なんですけど、それでも欲しくなっちゃったぐらい。この金額を出しても欲しいって思えること自体凄いんですけど、そう思えるような本が読めて幸せ~。物語そのものが面白いのはもちろん、訳文もすごく良かったし、ギリシャ神話やホメーロスの「イーリアス」「オデュッセイア」、ウェルギリウス「アエネーイス」、オウィディウス「変身物語」、プリニウス「博物誌」、ダンテ「神曲」、マルコポーロ「東方見聞録」、アーサー王伝説などなど、様々な古典文学を下敷きにしてるから、そういう意味でもすごく楽しいし、色んなエピソードの展開の仕方を他の古典作品と比べて、1人でにやにや。特に絶世の美女の見せる意外な計算高さや、命をかけて結ばれた王子さまとお姫さまが「そして2人はいつまでも幸せに暮らしました」になるとは限らないところとか、面白い~。そしてこの作品は、後の文学作品にも色々と影響を与えているんですよね。これでようやく、そういう作品を読んだ時に、悔しい思いをしなくて済むから嬉しいな。多少は理解も深まるでしょう。(期待)

あとは返却期限までぼちぼちと読み返して... ポチッとしてしまう衝動と戦うだけですね。わはは。(名古屋大学出版会)

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今でもイラン人なら誰でもその一節を暗誦することができる、と言われているほどイランの人々に愛されているペルシャ英雄叙事詩。11世紀初めにフェルドウスィーによって作られたものです。本来は「神話」「伝説」「歴史」の3部構成だそうなんですが、この本では「神話の王たちの時代」「伝説英雄の時代」の2部に分かれています。

3部構成の最後の「歴史」の部分(全体の5分の2程度)が丸々省略されてるし、「神話」「伝説」部分も部分部分で省略されているので、本来の形からみると4分の1ほどの量になっているのだとか。訳も散文形式だし、岩波文庫に珍しく注釈もものすごーく少なくて(全体で23だけ!)、読みやすさにこだわった簡易版といった感じですね。今のところ完訳版は出てないようなので仕方ないのですが。
基本はペルシャ初代の王・カユーマルスからの歴代の王の紹介で、随時英雄伝説が挟まっています。解説に「ある意味では、私たちの『古事記』に当たる」と書かれていたんですけど、なるほどそんなものかもしれないですね。ちょうど古事記の、山幸彦の孫(だっけ)が神武天皇になって、歴代の天皇のエピソードが神話交じりに書かれていくような感じ。さだめし、初代の王・カユーマルス王が神武天皇で、英雄ロスタムがヤマトタケルってところでしょうかー。こちらの「王書」には、天地開闢だの天地創造だの神々の誕生だのといった部分はありませんが。
結構面白かったし、注釈が少ないのは読みやすかったんですけど、読んでいると、つい気になってしまう部分いくつか...。ここの説明が読みたい!ってところには注釈がなかったりして、痒いところに手が届かないー。注釈もありすぎると、本文の流れを遮ってしまうから読みにくいんだけど、やっぱりある程度は必要なものですねえ。あと、古代ペルシャで信仰されていたのはゾロアスター教だし、この詩の中でもそうなってるんですが、実際にこの詩が作られたのは、既にイスラム教になっていた頃。その辺りについても、もう少し説明して欲しかったところです。もしかして後から宗教的にいじられたのかな?って部分もあったんですよね。気になりますー。(岩波文庫)

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娘のペルセポネーを突然ハーデースに奪われて嘆くデーメーテールを描いた「デーメーテールへの讃歌」、ヘーラーの嫉妬のために、ゼウスとの間に出来た子供を産む場所を探すのに苦労する女神レートーの「アポローンへの讃歌」、生まれたその日にアポローンの牛を盗み、アポローンに捕まえられてもゼウスの前に出されてもしらばっくれるヘルメースを描いた「ヘルメースへの讃歌」、英雄アンキーセースと出会って愛し合い、後にローマを建国するアイネイアースを産むことになるアプロディーテーの「アプロディーテーへの讃歌」の4編。

「ホメーロス讃歌」とは言っても「イーリアス」「オデュッセイア」の作者であるホメーロスが書いたのではなく、様々な人物がホメーロス的に作り上げた詩を集めたもののようですね。という以前に、本当にホメーロスという人物はいたのか、1人の人間が本当に「イーリアス」「オデュッセイア」を作り出したのか、それとも複数の人物のユニットが「ホメーロス」だったのか... なんて「ホメロス問題」があるようですが。

4つとも、ギリシャ神話が好きな人にはお馴染みの有名なエピソード。もっとも読む本によって、細かい部分が違ってたりしますけどね。そしてこの中で私が一番面白く読めたのは、「ヘルメースへの讃歌」でした。ヘルメースは生まれたその日も揺り籠の中にじっとしていることなく、早速飛び出してしまうのですが、亀を見つければその甲羅で竪琴を作って奏でてみたり、アポローンの牛を50頭も盗んでみるという行動力。しかも、ヘルメースが犯人だと見抜いたアポローンに責められても、ゼウスの前に引き出されても、のら~りくらりと言い逃れるんです。ヘルメースといえば知的でスマートなイメージがあるのですが、むしろ悪知恵が働く赤ん坊だったわけですね。読んでいる間は、解説に書かれているような「喜劇仕立ての滑稽な作品」とはあまり思わなかったんですが、読後少し時間が経つと、やはりあれは喜劇仕立てだったんだなあ~なんて思ってみたり。
この本に収められているのは4編だけですけど、ちくま文庫から出ている「ホメーロスの諸神讃歌」で全33編が読めるようです。この4編以外はどれも小粒で、神話伝説的要素があまりないそうなんですが、これだけだとちょっと物足りなかったので、今度はそちらを見てみるつもり~。(岩波文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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ワーグナーによるオペラ「ニーベルンゲン(ニーベルング)の指環」原作、全4巻。北欧神話(エッダ)のシグルド伝説と「ニーベルンゲンの歌」を元に、ワーグナーが作り上げた世界です。本の表紙の画像が出ないのが残念なんですが、これはアーサー・ラッカムの挿絵が沢山収録されてる本。これって、たらいまわし企画・第25回「『ドイツ』の文学」の時に、柊舎のむつぞーさんが挙げてらした本ですね♪(記事) ラッカムの絵はこの世界にぴったり。カラーの挿絵も多くて、うっとりしてしまいます。

話の流れは大体知ってはいたものの、原作を読むのは今回が初めて。「エッダ」(感想)や、「ニーベルンゲンの歌」(感想)を先日読んだところなので、その違いがきちんと把握できてとても面白かったです。古い伝承や叙事詩での矛盾点や語られていない部分を、ワーグナーが見事に掬い上げてるんですね! ブリュンヒルデのこともジークフリートのこともグートルーネのことも、もう本当に納得。物語としての完成度は、きっと一番高いんでしょうね。...とは言っても、そういった完成度だけが作品の魅力というわけじゃないと思うので、逆に、破綻がありながらも読ませてしまう「エッダ」と「ニーベルンゲンの歌」の底力は凄いなあと思うのですが。

今回この4冊を読んで感じたのは、まさにジークフリートが主人公だということ。他の作品でももちろんジークフリートが主人公なんですが、この「指環」では、ジークフリートは3冊目でようやく登場なんです。呪われた指環の存在を知らしめるために「ラインの黄金」があり、ジークフリートを生み出すために「ワルキューレ」でジークムンドとジークリンデが愛し合い、ジークフリートに目覚めさせられるためにブリュンヒルデは眠らされ、ジークフリートの手で鍛えなおされるために、名剣ノートゥングは破壊されたんですね。
でもこのジークフリート、私はあんまり好きじゃないです。侏儒のミーメに育ててもらった恩がありながらも、ミーメを憎んでいるジークフリート。確かにミーメがジークフリートを育てた背景に下心がなかったとは言えませんけど、ジークフリートがミーメを憎んでいるのは、ミーメが侏儒で、外見が醜いから? そんなんでいいんでしょうか...?(関係ないかもしれないけど、さすがヒットラーに愛された作品だなーとか思ってしまうー) これじゃあ肉体的には英雄の条件を満たしていても、本質的な英雄とは言えないのでは。その行動を見てても、単なる子供としか思えないです。これじゃあ、ジークフリートが殺されても、全然同情できなーい。自業自得なんじゃ...?

楽劇は、上演にほぼ14時間、4夜を要するという超大作。一度観てみたい... とは軽い気持ちでは言えませんが、やっぱり観てみたい。せめて読む時にCDを用意しておくべきでした。(新書館)


+既読のリヒャルト・ワーグナー作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「タンホイザー」リヒャルト・ワーグナー
「さまよえるオランダ人」「ローエングリン」リヒャルト・ワーグナー

+既読のアーサー・ラッカム作品の感想+
「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリート」「神々の黄昏」リヒャルト・ワーグナー
「シンデレラ」「不思議の国のアリス」「ウンディーネ」「リップ・ヴァン・ウィンクル」「ピーター・パン」アーサー・ラッカム
「真夏の夜の夢」アーサー・ラッカム絵&「テンペスト」エドマンド・デュラック絵

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ウルクの都城の王で・ギルガメシュは、力強い英雄ではあるものの、暴君として都の住民たちに恐れられる存在。ギルガメシュをどうにかしろと神々に命じられた大地の女神・アルルは、粘土からエンキドゥという名の猛者を作り上げます。始めは野獣のようだったエンキドゥは、やがて知恵を得て人間らしくなり、ギルガメシュと力比べの格闘をすることに。しかしその格闘は引き分けに終わり、ギルガメシュとエンキドゥの間に友情が芽生え、2人は一緒に遠方にある杉の森の恐ろしい森番フンババを倒す冒険の旅に出ることに。

古代メソポタミアに成立した、世界最古とも言われる叙事詩。原テキストは、粘土板に楔形文字で記されたものなんですが、テキストの約半分は既に失われてしまったのだそう。本の本文を読んでいても予想以上に欠損箇所が多くてびっくり。単語単位で抜けてるのはもちろん、何行もすっぽり抜けてたり、場所によっては残ってる部分の方が少なかったりするんです。ギルガメシュがたどり着いた楽園についてとか、もっと詳しく読みたかったなという部分も多くて、そういう意味では残念だったんですが... そんな断片をここまでの形に組み立てるのは、本当に大変な作業だったでしょうね。こうやって本で読めること自体、とても有難いです。

物語の後半には大洪水のエピソードも入っていて、これは後に旧約聖書のノアの箱舟の元になった話なのだそう。解説に、日常的に聖書を読んでいる西洋人がこの部分を発見した時は本当にセンセーショナルだったとあるんですが、なんだか想像できて可笑しいです。そして、この作品で語られているのは、永遠の生について。やっぱり基本なんですねえ。ギルガメシュがウトナピシュティムに会いに行く途中で出会った婦人の言葉も含めて、とても印象的でした。

ギルガメシュよ、あなたはどこまでさまよい行くのです
あなたの求める生命は見つかることがないでしょう
神々が人間を創られたとき
人間には死を割りふられたのです
生命は自分たちの手のうちに留めておいて
ギルガメシュよ、あなたはあなたの腹を満たしなさい
昼も夜もあなたは楽しむがよい
日ごとに饗宴を開きなさい
あなたの衣服をきれいになさい
あなたの頭を洗い、水を浴びなさい
あなたの手につかまる子供たちをかわいがり
あなたのむねに抱かれた妻を喜ばせなさい
それが〔人間の〕なすべきことだからです

でも、ここだけ取り出してもダメですね。やっぱり本文の中にあってこそ、だな(^^;。
ギルガメシュ叙事詩の本文は、ほんの100ページ強。あとはひたすらこの叙事詩の発見や成立に関する解説。付録として「イシュタルの冥界下り」も入っていて、こじんまりとまとまった話ですが、他の神話との共通点なども連想されて面白いです。(ちくま学芸文庫)

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トロイアー遠征のために集結していた船団が風のために出帆できなかった時に、予言者・カルカースの言葉によって、自身の娘・イーピゲネイアを生贄としてアルテミスに捧げたアケーナイ王アガメムノーン。しかしその時、アルテミスはイーピゲネイアを攫い、そこには身代わりの鹿を置いておいたのです。イーピゲネイアはアルテミスによってタウロイ人の国に連れて行かれ、そこでアルテミスに仕える巫女となります。そして10年後のある朝。イーピゲネイアは弟・オレステースの夢を見ることに。

先日アイスキュロスの「アガメムノーン」を読んだ時から(感想)、この続きの話も読むぞーと思っていたんですが、「アガメムノーン」と共に三部作とされている「コエーポロイ(供養する者たち)」と「エウメニデス(善意の女神たち)」が、どこに収録されているのか調べるのが億劫で(おぃ)、結局、手に入りやすいこちらを先に読むことになりました。
いや、でも、これが面白い! ギリシャ悲劇ってなんて面白いのかしら... と、ちょっと感動してしまいます。今の時代に同じような話があっても誰も見向きもしないかもしれない、それほどありきたりな話なんですが、でも面白い! むしろ、「ああ、これが原点なんだなあ」という感じです。(その点、シェイクスピアは全然原点なんかじゃないと思う!) ...とは言っても、以前ギリシャ悲劇をいくつか読んだ時は、それほどの面白さを感じなかったような気もするので、今の年齢も関係してるのかもしれません。(笑)
いかーん、ギリシャ悲劇をまとめ読みしたくなってきてしまったではないですか。と思ったら、ちくま文庫から全4巻でギリシャ悲劇物が出てるんですね。1巻はアイスキュロス。読みたかった2作も入ってる! 2巻はソポクレス。3巻と4巻がエウリピデス。これ、いいかも~♪
ちなみにゲーテの「タウリス島のイフィゲーニエ」は、この「タウリケのイーピゲネイア」を元に書かれているのだそうです。(岩波文庫)

   

+既読のエウリピデス作品の感想+
「タウリケーのイーピゲネイア」エウリーピデース
「ギリシア悲劇III」上 エウリピデス
「ギリシア悲劇IV」下 エウリピデス

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トロイア軍の総大将だったヘクトールがアキレウスに殺された後、トロイアの町にやって来たのは、アマゾーンの女王ペンテシレイアとその12人の女戦士たち。血みどろの戦いを望む彼女たちは、翌朝早速ギリシャ軍と相対して、凄まじい戦いぶりを繰り広げることに。

叙事詩祭りと言いつつ、かなりの寄り道をしてしまいましたが、また古代ギリシャに戻って来ました。とは言っても、これは3世紀に活躍していたという詩人・クイントゥスによる叙事詩。3世紀の人なので、古代ギリシャではなくてローマ帝国の頃の人です。「ヘレネー誘拐・トロイア落城」(感想)のコルートスやトリピオドーロスよりも少し早いぐらいでしょうか。
ヘクトールの死後からギリシャ軍が帰国するまでを描くという、まさにホメロスの「イーリアス」から「オデュッセイア」へと橋渡しをするような作品ということで、2つの作品では今まで読めなかったエピソードの数々をこの1冊で読めるというのが、何といっても嬉しいところ! トロイア方に駆けつけたアマゾーンの女王・ペンテシレイアのすさまじい戦いぶり、アキレウスの死、アイアースの自殺、アキレウスの子・ネオプトレモスと弓の名人・ピロクテーテスの参戦、パリスの死、有名なトロイアの木馬のことなどなど、次々に描かれていきます。やっぱりホメロスの書いてる部分って、ほんの一部ですものね。書かれていない部分も読みたくなります。もしかして、誰も書いてくれないから自分で書いちゃった、というクチでしょうか。(笑)
でも、この訳文がどうも... 全体的にはとても読みやすいし分かりやすいんですけど、どうもダメ、特に会話文がダメ、と思っていたら、同じく会話文で引っかかってしまった「ヘレネー誘拐・トロイア落城」の訳と同じ方でした。きっと読みやすさに拘ってらっしゃるんでしょうけど、妙に砕けすぎだし、こんな言葉遣い、現代でもしません... せっかくの作品が勿体ないです。美文とまではいかなくても、もう少し格調高く訳せないものでしょうか。せめて、ごく普通の日本語の文章で書いて頂きたいところ。もうこの方の訳文は読みたくないですねえ。(講談社学術文庫)

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古代北欧語で書かれたゲルマン神話および英雄伝説の集成「エッダ」(古エッダ)と、13世紀にアイスランドの詩人・スノリ・ストルルソンによって書かれた「エッダ」(散文エッダ)の中の第一部に当たる神話大観「ギュルヴィたぶらかし」。先日読んだちくま文庫の「エッダ・グレティルのサガ」(感想)には14編しか収められていなかった古エッダなんですが、こちらには37編! これがきっと完訳版なんでしょうね。訳者の谷口氏は、北欧研究の第一人者と言われる方なのだそうです。

相変わらずの注釈の多さで、ちょっと読みにくいんですけど、やっぱり全部載ってると満足感が違いますね。特に、スキーズブラズニルというフレイの船についての記述が(少しだけだけど)増えてて嬉しい! この船こそが、ヒルダ・ルイスの「とぶ船」の船なんですよー。(でも作中でピーターが読んでいた本ほどの記述はまだ見つからない...) それに、ちくま文庫の「エッダ」でも、収録されてる話同士で同じ人物の設定が違ってたり、矛盾するところが多いというのは感じていたんですが、全部載ってると、そういうのをさらに感じます。この「エッダ」でも、例えばブリュンヒルドが「ファーヴニルの歌」とか「シグルドリーヴァの歌」では、ヴァルキューレとしてオーディンに罰を受けてるんですが(オーディンの意図しない戦士を死なせたため)、「シグルズの短い歌」ではアトリ王の妹で、ごく普通の王女として暮らしてるんですよね。ちなみに「ニーベルンゲンの歌」でのブリュンヒルドの設定は、イースラント(アイスランド)の女王だし。そういうのが結構多いです。(そういうのがあまり気にならない時点で、私ってあんまりミステリ向きじゃなかったのかも、と思ったりもします(^^;)

それとスノリのエッダ「ギュルヴィたぶらかし」が、古エッダで難しく語られた世界の成り立ちその他を分かりやすく説明してるので、これがすごく面白いです。こういう風に色んな角度から読むと理解しやすくていいですね。これで一度解説本を読んでからまた戻ってきたら、もっと理解できるんだろうな。と考えると、この本は図書館で借りたんですけど、やっぱり欲しいかも...。文庫になってくれるといいんだけどなあ。それに「スノリのエッダ」の全訳も読みたいなあ。訳してくれる人はいないのかなあ。(新潮社)

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ニーデルラントの王子・ジーフリト(ジークフリート)は、ある日ブルゴントの国に世にも美しい姫がいるという噂を聞き、ぜひその姫を手に入れようと決意を固めます。その姫とは、ブルゴント国王グンテルの妹・クリエムヒルト。ジーフリトは12人の勇士たちを連れて、ブルゴントの国へ向かうことに。

13世紀初め頃に成立された、ドイツの「イーリアス」とも言われる作品。北欧神話の「エッダ」のシグルド伝説が元になってます。
絶賛叙事詩祭り(笑)ということで、叙事詩作品をいくつか読んできましたが、これはやっぱり面白い! クリエムヒルトとブリュンヒルトという2人の女性の口論が思わぬ事態を招いてジーフリトが死に、クリエムヒルトが復讐するという人間ドラマ。基本的に復讐譚は好みじゃないし、その2人の女性の口論の場面も好きじゃないので、今回読むかどうしようか迷ったんですが、読み始めたら面白くて一気に読んでしまいました。現代人にもすごく読みやすい作品だと思います。こういう作品を書いた詩人が無名のままというのが信じられない。

前半はジーフリトの栄華と美しく貞節なクリエムヒルトが中心。ジーフリトの死後、クリエムヒルトは貞節な生活を送りながら復讐を遂げる機会を待つことになるのですが、後半、彼女がフン族のエッツェルの嫁ぎ、実際に復讐への行動をとり始めると、クリエムヒルトがまるで鬼女のように、そしてそれまで卑怯者というイメージの強かったグンテル王の重臣・ハゲネに正義があるかのような描かれ方になって、その変化に驚かされます。前半の宮廷の優雅な華やかさも、後半は壮絶な血みどろの戦いに取って代わられ、これに関してはゲーテも「前編はより多く華麗、後編はより多く強烈」と評しているのだそう。

元となっている「エッダ」とはかなり違うんですよね。クリエムヒルト(「エッダ」ではグドルーン)が復讐を果たすのは一緒なんですが、「エッダ」では、クリエムヒルトよりもむしろブリュンヒルトの方がインパクトが強いんです。「ニーベルング」のブリュンヒルトは美しくても驕慢な女王ですが、「エッダ」では、ただジーフリト(シグルト)のことが好きだっただけというだけで、その純粋さがいいんですよね。
ワーグナーの「ニーベルンゲンの指環」は、話は知ってるものの、本としては未読。こちらも今度読んでみなくっちゃ。(岩波文庫)

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デネ(デンマーク)の王フロースガールは、類まれな館を作らせ、これをヘオロットと命名。しかし日々この館から流れてくる賑やかなざわめきに苛立っていたカインの末裔・グレンデルがある夜、宴の終わった館を襲い、警護の戦士らを虐殺。夜毎に襲来を重ねることに。そしてなす術もなく12年経った頃。イェーアト族の王ヒイェラークの甥・ベーオウルフがグレンデル退治にデネの国へとやって来ます。

8世紀頃に成立したとされている、古英語の英雄叙事詩。英文学史上で一番古い作品とされています。私も大学時代に英語で読みました... とは言っても、古英語は読めないので、現代英語訳だけですが。そういえば日本語で読むのは初めてかも。
各章の冒頭に梗概があるので内容は掴みやすいんですが、物語自体は、すんなりと時系列に沿って進むわけじゃなくて、突然回想シーンが始まったり、将来的な災厄の予感が挿入されていたりするんですよね。中に含まれているエピソードも、ストーリーの展開上必然性があるものばかりではなく... というよりもむしろ関係ない脱線もとても多くて、こういうを読むと、「エルガーノの歌」(感想)のあとがきで井辻さんが叙事詩について書いてらした、「そういう物語は、とほうもなく非合理で、小説のようなちゃんとした結構(多分「構造」の誤植)をもっていなくて、断片的で--うまく言えないのですが--詩のような夢のような、奇形であいまいで、それだから美しいようなところがあります」 という言葉を実感します。私自身は、詩の形式で読めるのが嬉しいんですが、やっぱり初めて読む場合は、物語形式の方がいいかもしれないですね。検索していたらローズマリー・サトクリフの本がかなり評判が良いようで、抄訳とはいえ、そちらも読んでみたくなっちゃいました。
怪物や竜を退治するとなると華やかな英雄譚になりそうなものなんですが、この作品は、宮廷の場面も登場する割にあまり華やかではないです。色彩に乏しいのかも。炎の色とか金色は目につくんですが、基本的に少し暗く沈んだ色調のイメージ。無事に怪物や竜を退治するにも関わらず、どこか哀愁が漂ってます。(岩波文庫)

「指輪物語」のトールキンが、「ベーオウルフ」についての画期的な論文を発表してるらしいんですよね。それが読んでみたいなあ。そしてこの作品、カナダ・アイスランド・イギリスの合作で映画にもなっているらしいですね。かなり評判が良いみたいなので、観てみたい!→Beowulf & Grendel公式サイト

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気がつけば、絶賛叙事詩祭りになってます。(笑)
ちくま文庫の中世文学集IIとIII。ちなみにIは「アーサー王の死」。それ以外に何があるんだろう... と思ったらこの3冊だけで、ちょっと残念。それぞれ2作ずつ入っていて、まさに題名の通りです。

まず「ローランの歌」は、フランク王シャルルマーニュのイスパンヤ(スペイン)侵攻中の物語。カルヴィーノの「不在の騎士」(感想)を読んだ時から、また読もうと思って用意してたんですが、ようやく読めました。11世紀頃に成立したと言われているフランス最古の叙事詩です。778年のロンスヴォーの戦いをという史実を元にしているようなんですが、架空の人物も多数登場、実際はバスク人と戦ってたのに、サラセン人に変えられてます。スペインがサラセン人...? ということはイスラム教徒?! とか細かい部分を気にしたらダメ~。(笑) この時代って十字軍の時代ですしね。敵がイスラム教徒の方が何かと都合が良かったんでしょう。...でも、敵側からの視点の場面でも、「馨しの国フランス」なんて言っちゃったり(本来はフランスが自国のことを讃える言葉です)、自分たちのことを「異教徒」と呼んでしまうのが、お茶目で可笑しい♪ そして、「ローランは剛(つよ)くオリヴィエは智(さと)し。」という言葉が、やっぱりイイ!

「狐物語」は、性悪の狐・ルナールが、鶏や狼、熊といった連中を次々に騙していく物語。私はイソップみたいな動物寓話が苦手なんですよね... しかもみんな思いっきり騙されてるし... これはちょっと騙されすぎだってば(^^;。でも昔の人にはこういう物語が娯楽だったんでしょうねえ。登場するのは動物でも、簡単に人間に置き換えて想像できるので、そういう意味では、当時の宮廷の様子や商人や農民たちといった庶民の暮らしぶりが良く分かる作品。

「エッダ」は、北欧神話です。神々と英雄の物語。17世紀半ばにアイスランドの修道院で「王の写本」が発見されて以来、各地に散在している写本が徐々に見つかり始め、現在は似たような性格の作品が40編ほど集められているのだそう。でもここに収められているのは14編だけ。やっぱり谷口幸男さんの「エッダ-古代北欧歌謡集」を読むべきかしら。あと、初心者向けらしいんですが、図版や解説が充実してるらしいK・クロスリイ・ホランドの「北欧神話物語」も気になります。
そしてこの14編の前半はオーディンやトール、ロキといった神々の物語なんですが、後半は「ニーベルンゲンの歌」の元となった、シグルド(ジークフリート)伝説。私としては、本当は神々の登場する前半の方が好みです。やっぱり英雄譚よりも神話が好きだな。でもこういうのを読むと、「ニーベルンゲンの歌」も再読したくなっちゃいますねー。

そして最後に「グレティルのサガ」は、12~13c頃に成立したという作品。これだけは元々散文で書かれたみたいです。幼い頃から大力の乱暴者で、父親からも疎まれてるグレティル。とうとう人を殺して追放されてしまいます。でも旅に出た先で、海賊や妖怪をやっつけて大活躍することに... とは言っても、かなり運勢が悪いらしくて、いいことをしても裏目に出たりするのが可哀想。正直、あんまり夢中になれるほどじゃなかったんですが、このグレティルが実在の人物だと知ってびっくりでした。そしてこちらを読んだら、「ベーオウルフ」が読みたくなりました。(笑)(ちくま文庫)

ということで、絶賛叙事詩祭りはまだ続きます... が、そういうのって画像が出ない本ばかりなので詰まらない~。次はちょっと違うのに行きます。(って、そんな理由で読む本を選ぶのかっ)

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原初に混沌(カオス)が生じ、続いて大地(ガイア)、奈落(タルタロス)、エロスが生じ、続いて幽冥(エレボス)と夜(ニュクス)、澄明(アイテル)と昼日(ヘメレ)が生じて... という、宇宙の始まりから、様々な神々の誕生、そしてゼウスがオリュンポスで神々を統べるようになり、絶対的な権力を得るまでの物語。
ホメロスと並ぶ最古の叙事詩人、ヘシオドスによるギリシア神話です。あくまでも詩の形態を取りながらも、どんどん生まれて来る神々を系統立てて説明し、宇宙観まで解き明かしてしまうというのがすごい!

でも、一読してまず思ったのは、やっぱりこういうのは詩の形で読んでこそだなあ、ということでした。「イリアス」を散文で読んだ直後というのもあるでしょうね。元の文章は六脚律(ヘクサメトロス)と呼ばれる形で書かれていて、それは日本語には表しようのないものなんですけど、やっぱり詩はあくまでも詩の形で読まなくては! その方がイメージもふくらみますしね。大学の時に授業で古代ギリシャ語の朗読を聞かせてもらったことがあるんですが、古代ギリシャ語って、ほんと歌ってるような、とても綺麗な言葉なんですよー。そういうので歌ってもらったら、さぞ素敵なんだろうなあ。なんてことを思ったりもするわけです。(古代ギリシャ語自体は、文法が難しすぎて、結局私には太刀打ちできませんでしたが...)
それに詩人がその詩を歌っているのは、あくまでも神々からの言葉だという、そういうギリシャの古い叙事詩ならではの部分もとても好き。この「神統記」だと、オリュンポスの9人の詩歌女神(ムウサ)によって神の言葉を吹き込まれたヘシオドスが歌っているという形。だから詩はまずその詩歌女神(ムウサ)たちへの賛歌から始まるわけです。(私は様式美に弱いタイプだったのか)
この辺りは、積読山脈造山中さんの記事が分かりやすいので(特に六脚律について)どうぞ。→コチラ

それに、例えば昨日読んだ「イリアス」では、「アイギスもつゼウス」と出てるだけで注釈もなく、「アイギスって何よ?」状態なんですが、こちらでは「神盾(アイギス)もつゼウス」のように書かれているのが分かりやすくて良かったです。あ、こういう枕詞も好きなんですよね。ゼウスの場合は「神盾(アイギス)もつ」や「雲を集める」、ポセイドンは「大地を震わす」、アテナは「輝く眼の」... 他にも色々とあります。でも、「ポイボス・アポロン」は、そのまま... これは例えば「輝ける」でも良かったんじゃないかと思うけど、ダメだったのかしら。

ただ、神々の名前が次から次へと、どんどん出てきてしまうんです。ちょっとちょっと子供産みすぎだってば!と言いたくなるぐらい。
海(ポントス)の長子・ネレウスなんて、大洋(オケアノス)の娘ドリスとの間に、娘ばっかり50人もいて、その名前がずらずら~っと並んでるんですよーっ。(ちゃんと50人の名前があるかどうか数えてしまったわ) それでも「足迅(はや)いスペイオ」「愛らしいタリア」「薔薇色の腕(かいな)もつエウニケ」みたいな言葉が付いてるならまだいいんですが(でも「薔薇色の腕」は1人だけじゃないんですよね...)、名前しか出てない場合は、もう右から左へと抜けていっちゃいます。...とは言っても、巻末には神々の系譜図もあるし、神々や人間の名前の索引もついているので、途中で混乱しても大丈夫なんですけどね。親切な作りです。(岩波文庫)


+既読のヘシオドス作品の感想+
「神統記」ヘシオドス
「仕事と日」ヘーシオドス

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トロイア戦争が始まって10年経った頃。アカイア軍の総帥・アガメムノンがお気に入り妾・クリュセイスの解放を拒んだため、怒ったアポロンがアカイア軍の陣中に疫病を発生させます。アキレウスらがアガメムノンを説得、ようやくクリュセイスは父親であるアポロン祭司の元に戻るものの、それでは収まらないアガメムノンは意趣返しとして、アキレウスの愛妾・ブリセイスを強奪。アキレウスを怒らせることに。

トロイア戦争をモチーフにした作品のうちでは、これが一番有名な作品でしょう。でもここに描かれているのは、10年にも及ぶトロイア戦争のうち、ごく末期の部分だけなんですよね。それも1ヶ月ほどの短い期間。不和の女神・エリスと黄金の林檎、3人の女神たちとパリスの審判、アプロディーテーにヘレネを約束されたパリスが彼女をトロイアに連れて帰ったこと、戦争の勃発、そしてトロイア陥落の直接の原因となった、オデュッセウス発案のトロイアの木馬などの有名なエピソードについては、全く何も書かれていないんです。中心人物であるヘレネーすら、ほとんど登場しないぐらいですから。(ほとんど話題にもなってないですね) もちろん、実際にこの「イリアス」が歌い語られた時代は、観客も当然トロイア戦争に関する知識を豊富に持っていたわけで、戦争の原因やそれに至る出来事に触れられていなくても全く差し障りはなかったんでしょうけど... それでも、いきなりアキレウスとアガメムノンの反目から物語を始めるなんて、大胆だなあと改めて感心してしまいます。
とは言っても、実際に読んでみると、ホメロスがこの部分を取り上げたのにも納得なんですよね。戦いとしては、やっぱりここが一番の盛り上がりかも。特にアキレウスの親友のパトロクロスが死んだ後が面白い~。極端な話、パトロクロスが出陣する辺りから始めても良かったんじゃないかと思うぐらい。アカイアー軍とトロイア軍の戦いは、そのままオリュンポスの神々同士の争いや駆け引きの場にもなってて、そういう部分も楽しいですしね。というか、まるでRPGに熱中してる子供のようだわ、この神々ってば。

雰囲気は十分出ているとはいえ、散文調に訳されてるのがちょっと残念なんですが、大半の読者は詩なんて読みたくないでしょうし、それもいたし方ないのかな...。以前読んだ時は、詩の形だったような覚えがあるのだけど。そして巻末には、ヘロドトスによる「ホメロス伝」も収録されています。「イリアス」や「オデュッセイア」に、さりげなくホメロスが日ごろ世話になった人の名前を組み込んでるなんて知らなかった。神々が、ある特定の人の姿を取って人間に話しかけたりしてる裏には、そういうこともあったんですね。面白いなあ。(岩波文庫)


+既読のホメロス名義作品の感想+
「イリアス」上下 ホメロス
「四つのギリシャ神話 『ホメーロス讃歌』より」
「オデュッセイア」上下 ホメロス
「ホメーロスの諸神讃歌」ホメーロス

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トロイア戦争関係の作品は色々ありますが、そもそものトロイア戦争の発端となった、パリスがヘレネーを連れ去った事件について書いているのは、このコルートスの「ヘレネー誘拐」だけなのだそうです。そして一緒に収められているのは、「ヘレネー誘拐」とは対照的に、トロイア最後の日を描いた、トリピオドーロスの「トロイア落城」。こちらには「トロイアの木馬」の製作過程、そしてアカイア軍がトロイアを攻め落とす様子が詳細に描かれています。

どちらも叙事詩としてはとても短い作品。「ヘレネー誘拐」には、もう少ししっかり書き込んで欲しい部分もありましたが... 不和の女神エリスの投げ込んだ黄金の林檎に「一番美しい女神へ」みたいな言葉がないので、なぜ3人がいきなり林檎を欲しくなったのか分からないし、しかもなぜいきなりパリスが審判を務めることになったのかも分からないんですよね。でもパリスとヘレネーの場面はやっぱり面白かったです。最後には、ヘレネーの娘のヘルミオネーも登場しますし。そして「トロイア落城」は、マリオン・ジマー・ブラッドリーのファイアーブランドにとても近くて、「これこれ、こういうのが読みたかったのよ」。
会話文、特に女性の言葉の訳し方にはひっかかってしまったんですが(女性の一人称が全ての「あたし」だなんて!)、全体的には面白かったです。注釈の入れ方もとても分かりやすいですね。例えば岩波文庫の注釈の入れ方って、オーソドックスだけど、読みづらいことも多いんですよね。最後にまとめて注釈のページがあるというのもそうなんですが、作品そのものに関する説明だけでなく、訳出上のことまで書かれていたりして、どれが本当に必要な注釈なんだか分からなくなってしまいます。何でもかんでも注釈がついてたら、そのたびに読むのを中断させられてしまって、流れを楽しむどころじゃなくなっちゃいますし。

解説では、クイントゥスの「トロイア戦記」が何度となく引き合いに出されてました。こちらも読んでみなくっちゃいけないですね。でもまずは「イリアス」にいきます。ちょっとしんどそうだけど... これまでギリシャ神話は好きでも、トロイア戦争にはほとんど興味がなかったはずなんですが、気がついたらすっかりハマってますね。(笑)(講談社学術文庫)

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10年にも渡る攻防の末、トロイアの都イーリオンを攻め落とし、王妃クリュタイメーストラーに松明で報せを送ったアガメムノーン王は、イーリオンで捕えた王女・カッサンドラーを伴って凱旋し、妃の待つ王宮へと向かいます。しかし王宮に入る直前、予言者でもあるカッサンドラーが、王妃クリュタイメーストラーによってアガメムノーン王と自分が殺されることを予言するのです。

マリオン・ジマー・ブラッドリーの「ファイアーブランド」を読んで(感想)、ギリシャ物が読みたくなったところにこれを見つけたので、早速読んでみました。ギリシャ悲劇です。こんなの読んでたら、「また、反応できないような本を読んで~!」と言われてしまいそうですが... 最近、ネットのお友達に会うたびにそう言われてるような気が(^^;。
ここに登場するクリュタイメーストラーとは、トロイア戦争の発端となったヘレネーの姉妹。アルゴス王アガメムノーンの王妃です。そしてクリュタイメーストラーが自分の夫を殺そうと考えたのは、アガメムノーンが自分たちの娘・イピゲネイアを、アカイアー軍の戦勝のために生贄に捧げてしまったことへの恨み、そして10年間夫が留守だった間、自分自身が浮気をしていたこと。
題名は「アガメムノーン」になってますが、この作品の主人公はどう見てもその妻・クリュタイメーストラーです。

この作品を読んで一番面白かったのは、有名な伝説を悲劇に仕立てただけに、観客が事の結末を知ってるということ。だからクリュタイメーストラーの心にもない台詞を聞いて、逆にその欺瞞を感じ取るんですよね。(一種の倒叙... とは言えない? 笑) 中には結構面白い演出もありました。この悲劇はB.C.458年に実際に初上演されたそうなんですが、これって演じられてるのを観るのも結構面白そう。どんな風に演じられてたのか、観てみたくなっちゃいます。(もちろん古代ギリシャ語で演じられても、何が何やらさっぱり分からないですが) それにとても普遍的なんですね。結局、戦争というものも、それぞれ登場人物たちのドロドロした感情も、今も昔も変わらないわけだし... カッサンドラーの、予言の言葉から死を恐れずに宮殿に入るまでの一連の言動はとても哲学的で、そういったところもとても面白かったです。...ただ、古典作品の例に漏れず、この作品も訳注がとても多いんですよね。最初の1回目はその注釈を全部見ながら読むし、あまり面白くないんです。2度目3度目と読み返してるうちに、ぐんぐん面白くなるのですが。

そしてこの作品を読むと、やっぱりブラッドリーの描いたクリュタイメーストラーは魅力的だったなって、改めて思いました。「ポセイドーンの審判」の最後にちらっと登場しただけだったんですけど、存在感も抜群でしたしね。この「アガメムノーン」は、娘を殺されたクリュタイメーストラーに半ば同情しているようでいて、やっぱり男の論理って感じだし... こういった古典作品(聖書含)は男性の視点から書かれてることの方が圧倒的に多いので、同じ出来事を色んな視点、特に現代女性の視点から描きなおすと、まるで違った部分が見えてきて、新鮮だし面白いですね。(岩波文庫)


+既読のアイスキュロス作品の感想+
「アガメムノーン」アイスキュロス
「ギリシア悲劇I」アイスキュロス

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岩波文庫か集英社文庫ヘリテージシリーズかと考えていたダンテの「神曲」ですが、overQさんにアドバイス頂いて、河出書房新社の平川祐弘訳を選んでみました。口語訳だし、フォントも普通で読みやすかったです! これから読む人には、私からもオススメ。

ということで、13世紀~14世紀のイタリアの詩人・ダンテによる叙事詩。話は知ってるものの、実際に読むのは初めてです。「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の3部構成で、深い森の中に迷い込んだダンテを救い出すために、ウェルギリウスが地獄と煉獄を案内していきます。そして天国で案内するのは、ダンテの永遠の恋人・ベアトリーチェ。
通して読んでみると、地獄篇が一番面白かったです。次は煉獄篇。地獄に堕ちた人たちはもう救われる見込みはないけど、煉獄に堕ちた人は天国目指して頑張ってるんですよね。で、一番気が入らなかったのが天国篇。こういうの読んでても、あんまり天国自体には興味がないのに気がついちゃいました。構成とか構造は好きなんですけど、この辺りのキリスト教の教義を今更聞いてもっていうのもあるし、それ以上に、ウェルギリウスは終始丁寧だったのに、天国を案内するベアトリーチェったら終始偉そうで鼻につくんですよねえ(^^;。

それにしても、ホメロスを始めとする詩人たちや、、アリストテレス、ソクラテス、プラトンといった哲学者たち、そしてアエネアス、カエサルといった歴史上有名な人物たちが、洗礼を受けなかったからという理由だけで、地獄の「辺獄(リンボ)」に堕とされていて、しかもまず救われる見込みはないという部分にはびっくりです。そりゃ、洗礼を受けないと天国に行けないというのは知ってましたが、救われる見込みもないなんて。しかもアダムやアベル、ノアやモーセ、ダビデといった旧約聖書の重要な面々ですら、かつてはこの「辺獄」にいたんですって! イスラエルの人々に関しては、その後キリストが救い出して天国に連れていったみたいなんですけど(一旦救われると、随分と高い地位にいるようです)、古代ギリシャの偉人たちはどうするつもり?! なんだかキリスト教徒の驕りを感じてしまいます。(ダンテ自身もこれには納得できなかったらしく、天国篇でそのことについて尋ねることになるんですが) ...そういえば、洗礼を最初に始めたのは、「バプテスマのヨハネ」(サロメに殺される彼です)でいいのかしら? 考えてみたら、神自身が定めた儀式じゃないんですよね、洗礼って。

そして地獄で番人の役割を果たしているのは、主にミノス、ケルベロス、プルートン、メドゥーサ、ケンタウロスなどのギリシャ神話の存在。西洋の古典文学にはほんとギリシャ神話が良く登場しますけど、本来なら一神教のキリスト教にとって多神教は排他するべき敵なのでは...?と改めて不思議になりました。信仰の対象でなければ構わない? モチーフとして絵になるから見逃されるのでしょうか? そしてキリスト教の悪魔の頭領・ルチフェロ(ルシファー)は最下層で氷漬けになってました。キリスト教における「悪」は、とにかく悪魔の誘惑が第1の要因だろうと思っていたんですが... 他にも悪魔は色々といるとはいえ、人間を誘惑するべきルチフェロが氷漬けだったら、あんまり悪いことできないんじゃん。結局、罪は個人の責任ということでいいのかなあ。(笑)

ダンテはそこで出会った色んな人に話を聞くんですけど、聞かれた方もまだ生きてる人間に祈ってもらえると罪が軽減されるので、生者に伝言を頼みたがるし、色んなことを進んでダンテに話すんですよね。それが上手いなあと思ったところ。そして当時の人間がかなり沢山地獄に堕とされてますが、これはどうやら当時のダンテの政敵だったようで... 地獄に堕として意趣返ししてます。なんてこったぃ。(笑)

全部読み通すのに、ものすごく疲れたんですけど(毎日のように本の感想をアップしてますが、まさかこれを1日で読んだわけじゃないです)、叙事詩はやっぱり大好き。次は何にしようかしら。ウェルギリウス繋がりで、「アエネイス」かなあ。叙事詩は大作が多いので立て続けには読めないんですけど、ぼちぼちと読んで行くつもりです。(河出書房新社)

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17世紀の詩人・ジョン・ミルトンによる、イギリス文学史上最も偉大な作品の1つとされる叙事詩。スペンサーの「妖精の女王」を読んでいたら、妙に読み返したくなりました。旧約聖書の「創世記」に題材を取った、神に創られた最初の2人の人間アダムとイーヴ、そして彼らを巡る天使と悪魔の物語。

以前読んだ時は割と素直に読んでたと思うんですが、今回読み返してみて改めて感じたのは、堕天使たちの魅力。ものすごく個性的で、変な話ですが人間味があって(笑)、すごくいい味出してるんです。彼らを前にすると、完全な存在であるはずの神やその御子、天使たちがまるで無個性のつまらない存在に感じられてきちゃう。特にサタン(天上にいた時の名はルシファー)、いいですねえ。神の次の座に位置していたルシファーの反乱の理由は「驕り」であるとも「嫉妬」であるともされてますけど、でもいくつか天使と悪魔の話を読んでるうちに、どうもそれだけとは思えなくなってきました。この「失楽園」でも、サタンの姿にアダムとイーヴの姿が重なるんですが、ミルトンが書いてるほど、楽園追放は「悲劇的」な出来事とは思えないですね。アダムもイーヴも自分たちの罪深さにただ絶望していたわけじゃなくて、最後には喜びや希望も持っていたし... どうも親離れをして自立していく子供のようにも見えます。もちろん神の庇護下にいさえすれば安全で安心なんでしょうけど、案外自立への期待もあったんじゃないでしょうかね? そしてそれこそが、ルシファーの中にもあったもののような...。(なーんて読み方をしてたら怒られそうだな)
「失楽園」の中で最大のポイントと思えるのは、神の「わたしは彼を正しく直き業を用いて、堕ちることも自由だが、毅然として立つにたる力に恵まれた者、として造った。いや、かかる者として、すべての天使を、正しく立てるものをも過ちを犯した者をも共に造っておいた」という言葉。人間はもちろん、ルシファーもまた選択の自由を持った存在だったんですね。でもね、エデンの園に命の木やら知恵の木やら植えておいて、それで食べたらダメだなんて性格悪いですよぅ。いつ切れるか分からない蜘蛛の糸を戯れに垂らしてみるお釈迦さまみたい。...神様ってそんなもの?(笑) (岩波文庫)

次はダンテの「神曲」か...?と思ったんですが、こちらは本を持ってませんでしたー。本屋に探しに行ったんですけど、岩波文庫版しか置いてなくて、そのまま帰って来ちゃった。集英社文庫ヘリテージシリーズと比べてみたかったんですけど... 訳を読み比べた方、いらっしゃいます? オススメの訳があれば、ぜひ教えて下さい!

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題名からするとファンタジーっぽいですが、ファンタジーではないです。
16世紀の英国の詩人、エドマンド・スペンサーの代表作となった叙事詩で、当時の女王エリザベス1世に捧げられたという作品。大学時代に英文で読んだことはあるんですけど、翻訳を読むのは初めて。去年ちくま文庫で発刊されたのを知った時から欲しかったんですけど、ちくま文庫って文庫にしては高いですよね。でも以前から出ていたハードカバーが2万円近くしたことを思ったら...! えへへ。

本来なら全12巻になるはずだった作品で、12ある徳を1巻で1つずつ描こうとしていたらしいんですが、結局全6巻ということで、半分しか書かれてません。(この4冊にその全6巻+αが収められています) 1巻は神聖、2巻は節制、3巻は貞節、4巻は友情、5巻は正義、6巻は礼節。これらがアーサー王伝説に題材をとって描かれていきます。でも半分だけなんですが、近年ではこれで完結しているという見方が優勢になってきてるみたいです。「紳士、即ち身分ある人に立派な道徳的訓育を施す」のが一番の目的なだけあって、とってもアレゴリカルな作品。(ジョン・バニヤンの「天路歴程」ほどではないですが ←私が知ってるうちで一番アレゴリカルな物語) こういう部分は、原書で読んだ時の方が楽しめたかも。
アーサー王伝説が題材とはいっても、王になる前のアーサーしか登場しないし、そのままの設定で登場する騎士もいないので、アーサー王自体伝説は知らなくても大丈夫なんですが、聖書とギリシャ・ローマ神話を知らないとちょっとツライかも。ヨーロッパの文学を読むつもりなら聖書とギリシャ神話は必須だと大学に入る時に言われたんですが、こういう作品を読むとその言葉を思い出します。詳しい註釈がついてるので、大丈夫といえば大丈夫なんですが、いちいち註釈を読んでると物語の流れが分断されてしまうんですよね。(それでも註釈を飛ばせない私...) そして他にも色々な古典作品が引き合いに出されていました。ホメロスの「イーリアス」や「オデュッセイア」、ヴェルギリウス「アエネーイス」、マロリー「アーサー王の死」、チョーサー「カンタベリー物語」などなど。そして先日イタロ・カルヴィーノの「宿命の交わる城」読んだ時に読んでみたいと思った「狂えるオルランド」も、かなり大きく出てきました。やっぱり読んでみないといけないですねえ。ちくま文庫か岩波文庫で出してくれたりしませんかね?

あれ、あの人はその後どうなったの?って思う部分も多いし、登場人物の名前がなかなか判明しないことも多いし、一旦名前が出てきても「乙女」「騎士」と書かれてるばかりで、少し気を抜くと誰の話なのか分からなくなるし(笑)、あからさまな女王賛美が鼻につく場面も... あ、訳はいいと思うんですが、騎士レッドクロスが「騎士赤十字」って訳されてるというのもーっ。(いや、確かに「赤十字」なんですが) 現代の娯楽作品と比べると、どうしても読みにくいんですが、それでも、やっぱり後世の文学や芸術に影響を与えたというのも納得の大作。久しぶりに読み返せて良かったです。
ちなみにベルギー象徴派のフェルナン・クノップフの絵画にも、この作品に題材をとった作品があるのが有名です。(ちくま文庫)

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フィンランドの叙事詩「カレワラ」を物語の形にしたもの。これは世界三大叙事詩の1つなんだそうです。(他の2つは「イーリアス」と「ラーマーヤナ」) 読むならやっぱり叙事詩の形で読みたかったんですが、手軽に読めるのがこれだけだったので仕方ありません。
他の神話のように、世界の成り立ちも描かれているし、登場するのはフィンランド神話の神々のはずなんですが、神というより普通の人間みたい。最初の1人のヴァイナモイネンなんて、お母さんのおなかに宿ってから700年も経ってようやく生まれるので、生まれた時は既におじいさん。とても賢くて力も強くて、生まれながらの魔術師で、しかも歌も上手くて、神としての素質は十分備えてると思うんですけど、そんな感じはしないです。北欧神話やギリシャ神話なんかとは何かが決定的に違うんですよね... 何だろう? それになんせおじいさんなものだから、結婚したいと思っても相手に嫌がられちゃうんですよね。気の毒。(笑 ←笑っちゃいけません) それにしても、このヴァイナモイネン、お母さんは大気の乙女で、お父さんは大気の乙女が海面を漂っていた時にそこを吹き抜けた風。水も少しは関係してるとはいえ、四大元素の空気ばっかりですか。(笑)
登場する神々は当然お互いに戦ったりもするんですが、その時は腕力よりも魔法がメイン。呪文合戦がよく行われるのが特徴でしょうか。北欧といえばヴァイキングだし、ヴァイキングといえば海賊。武力的なイメージがあるんですけど、調べてみると、ヴァイキングというのは、ノルウェー、スウェーデン、デンマークで、フィンランドは入ってなかったみたいです。それにそういえば、ラップランドって魔女や魔法使いの本拠地と思われてたんでしたっけ。魔法をかけたり、相手の魔法を打ち消すには、物それぞれの「起源の言葉」が必要というのも、面白いところ。博学な人ほど魔法に強いということであって、魔法使いとか魔法とかが特別な存在ではないんですね。
読む前に想像していたほど北欧らしさを強く感じなかったのですが、男性が女性に求婚に行く時に、まずサウナに入るというしきたりは、さすがに北欧ならではでした! サウナに入ることによって目が生き生きと輝き、頬が赤くなり、手足が白くなり、男前に変身するのだそうです。(笑)(春風社)

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SukuSukuPu-sanのmort_a_creditさんが、たらいまわし企画「第18回心やすらぐ本」であげてらした本。(記事) 「詩はよくわからないから、と敬遠している人は、これを読んでみて、気に入った詩、三好と意見の合った詩があれば、その詩人の詩集を読んでみる、というところから始めてみるのもいいと思う。」と書いてらっしゃるのを読んで、これはまさに私のことだ!と本を買ってきてしまいました。
紹介されているのは、島崎藤村、薄田泣菫、蒲原有明、北原白秋、伊良子清白、三木露風、高村光太郎、山村暮鳥、千家元麿、村山塊太、中川一政、室生犀星、佐藤惣之助、中野重治、大木惇夫、佐藤一英、萩原朔太郎、堀口大學、丸山薫、竹内郁、田中冬二、津村信夫、立原道造、中原中也、伊東静雄など。もちろん作品を知ってる詩人も含まれていますが、まるで名前を知らなかった人もいれば、名前は知ってても詩を書くなんて知らなかった人もあり、普段ほとんど詩に触れてないだけに、とても新鮮。

この本は少しずつ読んでいったので、すごく時間がかかっちゃったんですけど、やっぱり詩を読むには声に出して読むのが一番いいですね。声を出して読んでみると、目だけで追っているのとはまた違う部分で、どこか気持ちよく感じられるものがあるものだなあと実感。私はどちらかといえば定型詩の方が好きみたいで、その方が読んでいてすっと入ってくるんですが、もちろん口語詩にもふっと気持ち良く感じられる詩があって、そんな詩人の作品はもっと読んでみたくなりました。三好達治さんの文章も、読んでいて心地良かったです。(岩波文庫)

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ちくま文庫20周年復刊フェアで再版された9冊のうちの1冊。(復刊されたのはコチラ) 西条八十や佐藤春夫、三好達治らが愛してやまなかったというデ・ラ・メアの詩集で、「妖精たち」「魔女と魔法」「夢の世界」の3章に分けられて、60編ほどの詩が収められています。出てくる妖精が、丁度イギリスやアイルランドの伝承に見られるような感じで、子供の頃読んだ童話を思い出すような懐かしい雰囲気。英国では「幼な心の詩人」と評されているというのも納得。でも正直なところ、私にはちょっと可愛らしすぎたかも...。それにこういうのは、やっぱり原書で読んでこそだなと思ってしまいました。荒俣宏氏の訳はとても読みやすいし、詩の1編1編にドロシー・P・ラスロップの挿絵がついていてとてもいい雰囲気なんですけど、でもやっぱり日本語に訳してしまうと、原文にあるはずの韻も失われてしまいますしね。
この中で気に入ったのは、「サムの三つの願い、あるいは生の小さな回転木馬」。妖精に3つの願いを叶えてもらうサムの物語。妖精や魔女に願い事を叶えてもらうという話は、大抵願う本人が自滅してしまうものですが、これは一味違います。そしてその願いがエンドレスで繰り返されていくというのも面白いんですよねえ。(ちくま文庫)


+既読のウォルター・デ・ラ・メア作品の感想+
「妖精詩集」W.デ・ラ・メア
「ムルガーのはるかな旅」ウォルター・デ・ラ・メア

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色んなところに何度も書いてるので「もういい」と言われそうですが(^^;、私が小学校の頃大好きだった作家のベスト3は、「ナルニア」シリーズのC.S.ルイスと「指輪物語」のJ.R.R.トールキン、そしてエーリッヒ・ケストナー。でもケストナーは全部の作品を読みたいと思ったし、実際に全集を愛読していたのに、C.S.ルイスとトールキンに関しては「ナルニア」と「指輪物語」だけで、他の作品に手を伸ばそうと思ったことがなかったんですよね。あんなに好きで何度も何度も繰り返し読んでたのになぜなのかしらー、なんて今頃になって思ったりします。指輪物語の前段階の物語「ホビットの冒険」を読んだのも高校になってからぐらいだったし、それもそれほど積極的ではなかったような。
ということで、この短編集も初読みです。「農夫ジャイルズの冒険」「星をのんだかじや」「ニグルの木の葉」「トム・ボンバディルの冒険」が収録されています。「農夫ジャイルズの冒険」は、まるでヨーロッパに伝わる民話の1つのような物語。ユーモラスで風刺もたっぷり。「星をのんだかじや」はとても幻想的で美しい物語。「ニグルの木の葉」はキリスト教的な寓話。そして「トム・ボンバディルの冒険」は詩集。

ええと、それぞれに楽しかったんですが... やっぱり「指輪物語」とはスケールが違いますね。ってあんな長編と比べちゃダメですね。でも小粒な感じは否めませんが、やっぱり読んで良かったです。トム・ボンバディルと川の娘・ゴールドベリの馴れ初めの話も読めたし! 映画ではすっぱりと切り落とされてたんですが、実はトム・ボンバディルはお気に入りなので~。(これで訳者が瀬田貞二さんだったら言うことなかったのに) あとは、「星をのんだかじや」も好み。読んでいるとエルフたちの住むロスロリエンが蘇ってくるようだったし、ちょっぴり切ないラストでは最後の船出を思い出しました。そしてこの本、ナルニアシリーズの挿絵でも有名なポーリン・ダイアナ・ベインズの挿絵も素敵なんです。この人の絵の場合、カラーよりも白黒の方が雰囲気があって好き♪

やっぱりトールキンとルイスの作品は、今からでも一通り読んでみようっと。...もしかしたら、「指輪物語」も「ナルニア」も、自分の中でそれぞれが完璧な形として確立されてしまっていたから、あえて他の作品を読もうとは思わなかったのかもしれないなあ。なんて自己分析してみても... 今更?(笑) (評論社)


+既読のJ.R.R.トールキン作品の感想+
「農夫ジャイルズの冒険 トールキン小品集」J.R.R.トールキン
「妖精物語の国へ」「妖精物語について」J.R.R.トールキン
「シルマリルの物語」上下 J.R.R.トールキン
「ビルボの別れの歌」「指輪物語『中つ国』のうた」J.R.R.トールキン
「ブリスさん」「サンタ・クロースからの手紙」J.R.R.トールキン
「仔犬のローヴァーの冒険」J.R.R.トールキン
「ホビットの冒険」上下 J.R.R.トールキン
「指輪物語」J.R.R.トールキン
「サー・ガウェインと緑の騎士」J.R.R.トールキン
「終わらざりし物語」上下 J.R.R.トールキン

+既読の指輪物語関連作品の感想+
「トールキン神話の世界」赤井敏夫
「トールキンによる『指輪物語』の図像世界」W.G.ハモンド/C.スカル
「トールキン指輪物語事典」デヴィッド・デイ
「図説 トールキンの指輪物語世界 神話からファンタジーへ」デイヴィッド・デイ

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「海神別荘」は、表題作のほかに「山吹」「多神教」が入っていて、どれも戯曲。泉鏡花の戯曲はやっぱり読みやすいですね。特に「海神別荘」が良かったです~。これは浦島太郎の女性バージョン(?)。海の中の公子(乙姫様の弟!)に幸せな暮らしを約束された美女が、どうしても今の幸せを父親に伝えたいと言うんですけど、そこには玉手箱こそないものの、ふかーいふかーい落とし穴が... 結構シビアな結末になってます。(笑) でもやっぱり描写が美しい...。これだけでも酔えそうです、ほんとに。
そして「春昼・春昼後刻」は、 眠気を誘うような、うららか~な春の昼下がりの情景にのほほんと読み進めていると... ぎょぎょぎょ。これは実はホラーだったんでしょうか。最後まで読んでからまた最初に戻ると、のどかな春の情景だと思っていたものがやけに濃密に感じられてきて、びっくりでした。
以前に「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」(感想)を読んだ時、overQさんに、「鏡花の文章は波長が合うと案外読みやすいです。でも。そのときに一気に読まないと、他の本を読んでから戻ってくると、読めなくなってたりします(;・∀・)」と言われたので、ちょっと戦々恐々としててたんですが、前回も入りやすかった戯曲から入ったせいか、今回は大丈夫でした。でももう手元には戯曲がない... しかも「草迷宮」と「外科室・海城発電 他5篇」を続けて読もうと思ったのに、そっちは自宅に忘れてきてることが判明。うわー、残念。また改めて読むことにします。で、でも大丈夫かしら...。「外科室」は以前読んだことがあるんですが...。(どきどき) (岩波文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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泉鏡花、学生時代に少し読んだ覚えがあるんですが、それきり全然。ここのところずっと読みたいなあと思っていたんですが、ようやく読めました。「夜叉ヶ池」「天守物語」「高野聖」「眉かくしの霊」の4編の中では、「高野聖」だけが既読。

きっと相当時間がかかるんだろうな... と覚悟してたんですけど、これが全然。もう夢中になって読んでしまいましたー。特に良かったのが「夜叉ヶ池」。そして「天守物語」も。この2編は戯曲です。実際、映画やお芝居にもなってますね。(玉三郎のが観てみたいー) 戯曲を読むなんて、本当に久しぶり。子供の頃は、マルシャークの「森は生きている」とか大好きだったんですが、大人になってからはどうも読みづらくなってしまって敬遠してたんです。それがこんなにさらさらと読めるとは、びっくり。もしかしたら、泉鏡花に関しては、戯曲の方が普通の小説よりも入りやすいのでしょうか? 頭の中で台詞を音読するように読んでいると、泉鏡花ならではの艶やかな世界がぱあっと広がってすごく素敵でした。
「夜叉ヶ池」も「天守物語」も、人間だった時は痛ましい亡くなり方をした女性たちが、物の怪になってから幸せを掴むというのがポイント。それに物の怪の方が、人間よりも約束を律儀に守っているんですよね。夜叉ヶ池の主も、本当は剣ヶ峰千蛇ヶ池にいる恋する若君のところに行きたいのに、そんなことしたら大水になってしまうし、人間との昔からの約束もあるから「ええ、怨めしい...」と我慢しているのに、人間の方が浅はかな考えから約束を簡単に破ろうとしてます。醜い俗世と物の怪の美しい世界の対比?(雨乞いをする人間たちが妙なものを池に投げ込んで困る... と、渋い顔をしてる物の怪の姿が可笑しいです♪)
「高野聖」は、山で何度も遭遇する大蛇や、森の中で上から降ってくる蛭の場面がものすごくリアルで気色悪っ。その後のなまめかしい美女の場面が、余計に妖しく感じられました。川で水浴びをしている時、「うとうとする様子で、疵の痛みがなくなって気が遠くなって、ひたと附ついている婦人の身体で、私は花びらの中へ包まれたような工合」だなんて、イメージとしては恋人よりも母親のようだったけど...(笑)

泉鏡花の本は岩波文庫版が何冊か手元にあるので、ぼちぼちと読んでいくつもりです。(岩波文庫)


+既読の泉鏡花作品の感想+
「夜叉ヶ池・天守物語」「高野聖・眉かくしの霊」泉鏡花
「泉鏡花短篇集」川村二郎編
「海神別荘」「春昼・春昼後刻」泉鏡花
「鏡花百物語集 文豪怪談傑作選・特別篇」東雅夫編

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昨日の「西行花伝」に引き続きの西行。でもこちらは物語ではなく評伝ということで、またちょっと違う西行の姿が見えてきました。「西行花伝」の西行は、少年時代から利発で、源重実の語る雅(みやび)な心について真面目に考え込むような少年。若いころから、人間的にかなり出来てるんですけど、白洲さんを通して見る西行はそれほど人間が出来てなくて、結構荒々しい面も持ってたみたい。若いころは好き嫌いがひどくて癇癪持ちで、世話になっている人でも、一旦見切ってしまうと簡単に縁を切ってしまったとか。出家の時に実の娘を縁から蹴落としてる、鎌倉中期に描かれた絵なんかも載ってて、かなりびっくりです。それもそのはず、西行の先祖には平将門を討った荒くれ者の俵藤太がいたから、なんだそうですが... そういうものなんですかね?(笑) あと、出家した後も待賢門院のところの女房たちとか、通りすがりの遊女相手に粋な歌のやりとりをしてみたりという艶やかさもあったり。もちろん「西行花伝」の西行が絶対とは思ってなかったんですけど、やっぱりかなり違うものなんですね。面白いなあ。
白洲正子さんご自身が、西行縁の地を辿って色々な旅をしてらっしゃるので、そういう紀行文的楽しみもあるし、能や歌舞伎、その他様々な資料に残る逸話を引き合いに出しての説明も興味深かったです。白洲正子さんの潔さのある文章もいいですね。(新潮文庫)

ということで、西行はこれで一旦オシマイ。次は坂口安吾氏の「桜の森の満開の下」を読もうかと思ったんですけど、あいにくとまだ満開じゃないんですよね。てか、まだほとんど蕾だし! なので、咲き揃うまでもうちょっと待つことにします。(^^ゞ


+既読の白洲正子作品の感想+
「日本のたくみ」白洲正子
「西行」白洲正子
「遊鬼」白洲正子

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「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」という歌からも、桜のイメージの強い西行。ここ数年、桜の季節に合わせて白洲正子さんの「西行」を読もうと思いつつ、果たせずに積みっ放しだったのですが、今年こそ!
ということで、まずは辻邦生さんの「西行花伝」を読んでみました。(えっ、白洲さんじゃないの?) 西行の死後、弟子の藤原秋実という人物が、生前の西行に関わりあいのあった人物を訪ね歩いて、西行に関する話を聞き出していくという形態。秋実自身はもちろん、乳母や従兄、友人知人、そして他ならぬ西行自身の言葉によって、徐々に西行という人間が浮かび上がってきます。西行に関する知識など皆無に等しい私にとっては、人間関係を掴むまでがちょっと大変だったのですが、でも文章がなんて美しい...! 柔らかな語り口なんですけど、芯の強さがあるんでしょうね。読んでいてすごく心地良かったです。森羅万象を愛しむ西行の懐の深さと相まって、なんだか大きな温かいものに包まれているような気分になりました。和歌の説明が特についていなくても、読んでいるうちに自然と分かってくるような気がしたし。そして西行といえば、もっと世を儚んで出家したのかと思っていたのですが、この作品によるとそうではないのですね。歌に生きるため、この世の全ての物を愛するがため、この世を美しく豊かに生きるための出家。現世(うつせみ)が好きだからこそ、現世を棄てる。現世から一歩離れてこそ、その良さが見えてくるし、より深く現世に関わるための出家。700ページという大作で、結構時間をかけて読んだのですが、でももっとゆっくり読みたかったな。序+21帖に分かれてるから、1日に1帖ずつ読むというのもいいかも。今度ぜひとも再読して、またじっくりと味わいたいものです。

これは実は5回目のたらいまわし企画で、おかぼれもん。のpicoさんが「感銘を受けた本」として挙げてらした本。たらいまわしって、漫然とした私の読書意識にいつもほんとガツーンとショック与えてくれて凄いです。私なんて参加するたびに全然読んでない本ばかりで、自分の底の浅さにショック受けちゃうんですけど、でもおかげで少しは幅が広がりそう。
ということで、次こそは白洲正子さんの「西行」。本当は瀬戸内寂聴さんの「白道」も読んでみたいんですけど、こちらは未入手。これは来年かもしれないなあ。(新潮文庫)


+既読の辻邦生作品の感想+
「西行花伝」辻邦生
「手紙、栞を添えて」辻邦生・水村美苗

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先日読んだ「論語」と同じ、角川文庫の「ビギナーズ・クラシックス」のシリーズの1冊。以前OverQさんがたらいまわし企画の棺桶本に挙げてらした陶淵明です。私も漢詩は読んでみたいなと思っていたんですが、どこから入っていいものやらさっぱり状態。OverQさんに、陶淵明は漢文に慣れてない人間にも入りやすいと伺って、いつかは~と思ってたんです。「桃源郷」の言葉の語源となってる「桃花源記」も、原文を読んでみたかったし。...そんなところに初心者向けのこのシリーズが! なんともいいタイミングじゃありませんか。
漢文と書き下し文と訳文を行ったり来たりするので、この1冊を読み終えるのに、ものすごーーーく時間がかかっちゃいましたが... しかも時間がかかった割に、自分がどれだけ理解できたのか、自分の中にどれだけ蓄積されたのか不明なんですが... っていうか、ほとんど残ってない気もするんですが...(ダメじゃん) でも田園詩人と呼ばれる陶淵明の雰囲気はなんとなく掴めたような気が。山海経を主題にした詩を読んでると山海経が読みたくなるし、あと詩の中に「昭昭」とか「皛皛」(「白」が3つ、丁度「晶」みたいな感じで並んでる字です)という言葉が出てきたんですけど、「昭昭」が「月の光が空全体に広がった明るさ」で、「皛皛」が「白い月の光が川の水面のさざ波に反射した明るさ」なんですって。こういうのも全然知らなかったので面白かったです。
こういうのは繰り返し読むほど味わいが深くなるそうなので、また折りに触れてじっくりと読み返してみたいと思ってます... が、次はとりあえずこのシリーズの「李白」を読む予定。さて今度はどのぐらい時間がかかるんでしょ。忘れた頃にでも感想をアップできれば、御の字です。(角川ソフィア文庫)


+関連シリーズ作品の感想+
「論語 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」加地伸行
「陶淵明 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」釜谷武志
「李白 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」筧久美子
「老子・荘子 ビギナーズ・クラシックス中国の古典」野村茂夫
「紫式部日記 ビギナーズ・クラシックス日本の古典」紫式部・山本淳子編

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