Catégories:“アラブ・ペルシャ・トルコ”

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古代ギリシアの歴史家・ヘロドトスによる、ギリシア諸都市とペルシア帝国の争いの歴史。前5世紀、ついにペルシア帝国が大軍を擁してギリシアに攻め入ったペルシア戦争、そして当時存在した様々な国々の紹介。ヘロドトス自身が各地を歩き回って聞き集めた説話や風土習俗を元に書き上げたものであり、ヨーロッパにおける最も古い歴史書とも言われている作品。元々は全9巻として書かれており、それがこの文庫1冊に3巻ずつ収められています。

基本的には、ペルシア戦争と呼ばれるアケメネス朝ペルシア帝国のギリシア遠征の原因から結果までが描かれているし、ペルシア戦争に関する貴重な資料でもあるそうなんですが... 実際、サラミスの海戦のことなんかもすごく面白いんですが、それ以外のことも色々書かれてるんですよね。そちらの方が私にとっては楽しかったかも。たとえばアルゴー船の遠征でのイアソンと王女メディアのこととか、ペルセウスとアンドロメダのこと、トロイアのパリスがヘレネを奪って始まったトロイア戦争のことなどが、神話ではなく、歴史的な出来事として書かれているのが面白かったし~。ギリシアやペルシア周辺諸国のことが色々と詳しく説明されているんですが、その中でも特に2巻で触れられているエジプトの風物や宗教、その地理的な話もすごく面白かったです。ミイラの作り方とか、そのミイラの松竹梅的な値段による違いとか。(笑)
ヘロドトスが自分が聞いた話を紹介するというスタンスで、自分はこう考える、自分はこの意見を信じるけれど、読者がどの意見に納得するかは読者次第、というのも良かったです。ただ、ギリシアとペルシアはもちろんのこと、アフリカからインドまでものすごく沢山の国が登場するし、それに伴って人名もものすごく沢山! 到底覚え切れなくて、それだけは大変でした。(岩波文庫)

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先日再読したばかりの高橋由佳利さんによるトルコ・コミックエッセイ「トルコで私も考えた」。最新刊が出たので早速~。

今回一番びっくりしたのは、高橋さんのご主人が実は1巻の時から登場していたということ! 思わず1巻をめくって探してしまいましたよー。探してみたら、いましたいました。この頃の絵にはまだ髪の毛があったので、全然気がつかなかった。そうか、2巻を読んだ時には唐突に感じられた国際結婚にも、実は伏線があったのですねー。(違います) 今回初公開の家族写真にはご主人も写っていて、なかなかの男前ぶりを見せてくれます。そしてちょっと悲しかったのが、いつの間にか義理のお父さんが亡くなられていたこと。実はお気に入りの人物だったんだけどなあ。
事前に今回はトルコの楽器を習う話が良かったと聞いていた通り、その辺りもすごく面白かったし... 西洋音楽とはまるで違うらしいトルコ音楽、一度聞いてみたーい。7拍子だの9拍子だのをトルコの太鼓ダルブカで難なく刻んでしまうケナンくん、やめてしまうなんてもったいなーい。(子供の学習能力の高さというよりも、やっぱりトルコ人としてのDNAなのでは?) 最近はどんどん物価も高くなってトルコが変わりつつあるというのも、読んでるだけの身ながらも寂しい話ですね。そして何が一番寂しいって、「トル考」がこの21世紀編で一旦終わりだということ。えーっ、そうだったんですか。逆に引き際が鮮やかということでいいのかもしれないけど、楽しかったのになあ。
高橋さんの絵はこういったギャグ路線のものしか見てないんですが、たまに登場する真面目な絵はとっても綺麗。見てると佐々木倫子さんの絵を思い出すんですけど、本当に似てるのかな~? 真面目なストーリー漫画も一度見てみたくなっちゃいます。(集英社)


+シリーズ既刊の感想+
「トルコで私も考えた」1~4 高橋由佳利
「トルコで私も考えた 21世紀編」高橋由佳利

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高橋由佳利さんによるトルコ・コミックエッセイ。以前お友達から借りて1~3巻を読んだことがあるんですけど、その時はまだそれほどトルコにハマってなかった時期。今回4巻を読むに当たって、せっかくなので1~3巻も再読してみました。
いやあ、やっぱり面白い! 1巻の時は一介の旅行者だった高橋さんなんですが、2巻で気づいてみればトルコ人の男性と結婚していて、それからはトルコに住む人間としての視点に移り変わり、ダンナさまの家族とのエピソードもたっぷり。じきにトルコでの子育ての話も加わります。日本と似ているところも全然違うところもユーモアたっぷりに紹介されていて、それがとっても楽しいんです。似顔絵もそっくりだし♪

今回一番印象に残ったのは、トルコでの子供の扱いの話かな。トルコ人は子供が大好き。ベタベタに甘くって、すぐメロメロになっちゃって、いつでも「可愛い~~~♪」状態。悪いことをしても、「まだ子供だよ」「可哀相だよー」って全然叱れないんですね。子供ができる前の高橋さんにとって、それはとても腹立たしいことだったんです。顔に唾を吐いた子供ですら、怒られないままなんですもん。でもそんな風にされて育って、とんでもなく甘やかされてしまうかといえば、決してそうではなく。きちんと挨拶もできるし、ちょっとしたことで知らない人を助けたり、とっても礼儀正しくて社会性もある... そしてその「子供を叱らない」は、日本人である高橋さん自身にもそうだった、と高橋さんはある日ふと気づくわけです。本当は嫁として色々できなくちゃいけないところなのに、「日本人でトルコのことをまだよく知らないんだし」「親きょうだいも近くにいなくて可哀相なんだから」って大切にされて、それがとても暖かくて居心地が良かったんだなあ、と身にしみるんですね。

トルコ料理の作り方もいっぱい載ってて、実際に作ってみたくなるし、その他の情報もぎっしり。しかも楽しくて、とってもお値打ち。2巻と3巻は既に品切れ重版未定状態みたいなんですが、なんでこんな面白い本を品切れ状態にしちゃうんだろう?ってほんと思っちゃう。(私はギリギリのところで入手しました) 新藤悦子さんのトルコエッセイも面白くて大好きだけど、私にはやっぱりこの「トル考」が原点です♪(集英社)


+シリーズ既刊の感想+
「トルコで私も考えた」1~4 高橋由佳利
「トルコで私も考えた 21世紀編」高橋由佳利

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ギリシャ編とトルコ編に分かれている旅行記。ギリシャで訪れているのは、女人禁制のギリシャ正教の聖なる地・アトス。かつては異教徒に支配されていたというアトスですが、聖母マリアが海岸に足を下ろした瞬間に全ての偶像は砕け散り、それ以来聖母マリアはこの地を聖なる庭と定め、女性の立ち入りを永遠に禁じたのだそうです。最盛期には40の修道院に約2万人の修道僧たちがいたそうですが、今も20の修道院で約2千人の僧たちが質素な自給自足生活を送りながら厳しい修行を積んでいるのだそう。そしてトルコ編は、最初は普通にイスタンブールに始まるんですが、もっぱら三菱パジェロに乗って、トルコの国境付近を時計回りに一周したという旅行記。どちらの旅行も、同行者はカメラマンの松村映三さん。(文庫にはほとんど写真は載ってないのだけど)

旅行記もいくつか読みましたけど、これほど体感温度の低い旅行記って初めてかも... 温度も低ければ内容も薄いように思えちゃうんですけど、どうなんでしょう。特にトルコでの旅行に関しては、村上春樹さんは終始疲れているようで愚痴だらけ。不愉快になったというエピソードばかり。トルコ料理も全然合わなかったようだし、そもそも一体なんでトルコに、それも辺境地帯になんて行こうと思ったの?と不思議になってしまうほどでした。態度の悪い従業員のいたホテルの名前を全部出しているところなんかも、もし名前を出しておかなかったらきっと後で何度も聞かれることになって鬱陶しいんでしょうけど、情報を正しく伝えるというよりも、まるで仕返しをしているように感じられてしまうー。観光客があまり訪れない「辺境」に敢えて「行った」という行動自体に、満足して終わっているように思えます。意地悪な見方をすれば、単なる辺境コレクターみたい。
ギリシャのアトスに関しても、それぞれの修道院でもらったパンが美味しかったとか不味かったとか、そんなのばかり。そもそも宗教的な知識も関心もないんだったら、なんでアトスに行きたかったんでしょう? 一応説明らしき文章はあったんだけど、もっと納得させて欲しかったし、そうでなければ単なる覗き見趣味みたいに感じられちゃう。それに特別に許可を取ってそういう場所を訪れるからには、事前にもう少し勉強してから臨むのが礼儀なのではないかと...。まあ、こちらの方は私自身まるで知らない場所だったこともあって、まだ興味深く読めたんですけどね。(新潮文庫)


+既読の村上春樹作品の感想+
「海辺のカフカ」上下 村上春樹
他の作品に関してはほとんど感想を書いていませんが、かろうじて「村上ラヂオ」だけはブログ開設以前に書いてるので、よろしければLivreへどうぞ

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330年に遷都されてビザンティン帝国の首都となった時からはコンスタンティノープルとして、その後オスマントルコのメフメット二世が陥落させてからはイスタンブールとして、そしてケマル・アタチュルクが共和制トルコを打ち立ててからも、相変わらず首都として栄えているイスタンブール。1600年もの間、首都として、そして東西の文化の融合地点として栄えてきたイスタンブールという街を、その歴史的・文化的な観点から解説していく本です。

ここに書かれているのは、ビザンティン帝国の「コンスタンティノープル」というより、題名通りの「イスタンブール」ですね。主にオスマン・トルコのメフメット2世が陥落させて以降のイスタンブールのことが解説されていて、1つの都市を通して見たオスマントルコと共和制トルコの歴史とも言えそう。時系列的に出来事を追っていくだけではなくて、時には現在のトルコから遡っていくし、陳氏自身の紀行文的な部分もあったりして、それだけにまとまりがないように感じられる部分も無きにしも非ずって感じだったんですが、全体的には分かりやすく概観してる本かと... というか、私の興味がメフメット2世やスレイマン大帝、そして聖ソフィアをはじめとするキリスト教の教会やトプカプ宮殿、ミマル・シナンの建てた数々のモスクなど建築物に集中してしまったせいで、ちょっとムラのある読み方になっちゃったかもしれないんですけど... その辺りはすごく面白かったです。紹介されるエピソードも豊富だし。
ただ残念だったのは、文庫のせいか、収められている写真が全て白黒だったことですね。トルコの写真集を横に置いて読みたくなっちゃいました。(文春文庫)


+既読の陳舜臣作品の感想+
「阿片戦争」「風よ雲よ」「旋風に告げよ」「小説十八史略」「太平天国」「中国五千年」......ブログには感想がないので、よろしければLivreへどうぞ

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1985年の春から秋にかけてトルコのカッパドキア地方に滞在していた新藤悦子さんは、目的の絨毯織りも完成し、滞在許可の期限も切れるため、一旦国を出ることに。再入国すればまた3ヶ月いられるのです。トルコの西隣のギリシャへはもう何度も行ったことがあるし、査証が必要なブルガリアやソ連、シリアは手続きをする時間がないこともあって却下。丁度絨毯に興味を覚えた時で、ペルシャ絨毯の産地も訪ねてみたいと、新藤さんは東側の国境を越えてイランに入国することに。

イランもトルコと同じように、国民の大多数がイスラム教徒。でも1979年のイスラム革命以来、イスラム法が国の法律となったイランで味わうことになる不自由さは、政教分離で自由な雰囲気のトルコとは大違い。イランでは旅行者でもお酒を飲むことは禁止されているし、女性はチャドル着用が義務。たとえばカメラのような高額品を売り払ったりしないようにパスポートにナンバーが控えられるし、音楽テープやファッション雑誌など反イスラム的なものは国境で没収されちゃう。新藤さんもバスの運転手の後ろの一番前の座席に座っていただけで、革命警備隊に言いがかりをつけられたり(女性が近くにいると、運転手の気が散るから!)、父親か夫の同伴なしではホテルにもなかなか泊まれないという現実に直面することになります。テヘランでは、チャドル代わりのイスラミックコートを着ていても、ボタンを外して羽織っているだけで革命警備隊が飛んでくる始末。いやー、イランって想像以上にすごい状態だったのね。と読んでる私まで圧倒されちゃう。
それでもそんな状態に徐々に慣れてくるにつれて、イランという国がだんだんとはっきりと見えてくることになります。イランでも色んな出会いがあって、それぞれがとても印象的だったんだけど、共通して考えさせられるのは祖国と自分との繋がりかな。イラン・イラク戦争の間に外国に出てしまった人は多いし、戦争が終わってからも出たがってる人は沢山いるんです。でも敢えて国から出ないで留まる人もいれば、戻ってくる人もいる。たとえば、芸術家たちのほとんどがイランを出ても、イランを出たら絵が描けなくなると留まり続けた画家のキャランタリー氏。彼の語る、イラン人の持つ「ヘリテージ」の話は色んなところに繋がってきます。あと、ドイツの大学の歯科医学部を卒業して、ドイツでも開業できるにも関わらず、イランに戻るつもりの青年。理由は、ドイツでは常に異邦人だけどイランではそうではないから。「ビコーズ、イッツ、マイン」という言葉がとても印象に残ります。(こんな風に書いてしまうと、本文の重みが伝わらないのだけど...)
チャドルさえ着ていれば、極端な話、下は裸でも構わないんですよね。ましてやこっそりカメラを持ち込んでもバレることなんてないんです。形さえ整えておけば、中身はどうでもいいの?なんて思ってしまうのだけど、新藤さんはそれをしっかり逆手に取ってます。ちゃっかりチャドルに隠れて人々の生活の中に入り込んで、見るべきものはしっかり見ているという感じ。いやあ、この本は良かったな。そういう風に人々の中に入り込んでるからこそ伝わってくるものが沢山あるし、相変わらずの新藤さんの行動力もすごいですしね。(笑)(新潮社)


+既読の新藤悦子作品の感想+
「空とぶじゅうたん」1・2 新藤悦子・こみねゆら
「青いチューリップ」「青いチューリップ、永遠に」新藤悦子
「エツコとハリメ」新藤悦子
「トルコ 風の旅」「イスタンブールの目」新藤悦子
「時をわたるキャラバン」新藤悦子
「羊飼いの口笛が聴こえる」新藤悦子
「チャドルの下から見たホメイニの国」新藤悦子

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12歳のアブリにとって初の旅となったのは、父が引き連れる小さなラクダの隊商に入って、同じ砂漠に住む別の遊牧の民を訪ねる旅。そしてその帰り道に一行が出会ったのは、1人で旅をしている見知らぬ男でした。スレイマンという名のその男は、昔話の語り部。彼は一行に加わることになり、帰り道の間、一行がお茶や食事で休むたびに物語を語ることになります。

日常&読んだ本log のつなさんのところで知った作品です。(記事
舞台となっているのは現代のサハラ砂漠なんですが、砂漠の民は昔ながらにラクダの隊商を引き連れて旅をして、語り部は昔話を語っています。アブリの希望で、スレイマンの語る物語には車や飛行機や電灯が登場するんですが、実際には魔法と冒険の物語。水の妖精ペリが登場して捨て子のサイードに贈り物をするところなんかを見ても、昔ながらの物語といった感じですしね。でも昔話の語り手と言えば、既に存在している話を自分なりにアレンジしながら語っていくものなのかと思っていたんですが、ここに登場するスレイマンの物語は違いました。隊商の面々の助けを得ながら、身の回りに現れる様々な物にインスピレーションを得ながら、物語を聞き手と一緒に作り上げていくんです。どんな話を聞きたいか聞き手に尋ねるのは当然としても、その後はかなり成り行き任せ。これが面白い~。スレイマンによると物語には3つの種類があって、1つはまず本当に起きた出来事が物語になったもの、次は夢が物語になったもの。そして最後は周囲にある物から紡がれた物語なのだそう。ここで語られてるのはこの最後のタイプの物語ですね。語っているスレイマン自身にも、話がどんな風に発展していくのか分かりません。ただ、周囲に現れる事象を見逃さないように気をつけながら、物語を絨毯のように織り上げていくだけ。
スレイマンの語る物語の主人公・サイードの旅は、宝物を探す旅。サハラ砂漠のニジェール河に始まり、モロッコや、エジプトのカイロ、北イエメンの首都サヌア、そして再びニジェール河へとサハラ砂漠の周囲を巡る旅。出会いと別れを繰り返しながらの物語は、最後の最後で意外な方向へ。いや、この最後がいいですね。まさかこんな風に繋がっていくとは!

そして物語を語るたびに、その締めくくりに登場する言葉も素敵。

誉むべきかな、アッラーの神。われらに言葉を授け、昔語りをする術を与えたまいしアッラーの神に感謝!

これこれ、こういうのが好きなんです♪ これは手紙の最後の署名のように、語り手それぞれに決まった言葉があるのだそう。
この物語の作者はドイツ人なんですが、本が読めるようになった頃からずっとアラビアの世界に魅せられて来たんですって。うんうん、分かる~。ものすごく伝わってきます。いや、もう雰囲気たっぷりの作品でした。(福武書店)

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