Catégories:“石堂藍Fブックガイド”

Catégories: / / / /

   [amazon] [amazon] [amazon]
スウェーデンの小さな町のはずれの草ぼうぼうの古い庭に「ごたごた荘」という名前の古い家が建っていました。その家に住んでいるのは、ピッピ・ナガクツシタという名前の女の子。9歳なのにお父さんもお母さんもなく、船乗りだったお父さんにもらったサルの「ニルソン氏」と、この家に来てすぐ金貨で買った馬一頭と一緒に住んでいるのです。ごたごた荘の隣の家にはトミーとアンニカという男の子と女の子が住んでおり、3人はすぐに仲良くなります。

子供の頃に何度も読んだ長くつ下のピッピのシリーズ。先日ふとテレビをつけたら、一人芝居みたいなのをやってて懐かしくなっちゃって! 思わず手に取ってしまいました。久々の再読です。あ、子供の頃に何度も読んでいたとは言っても、自分で持っていたのは最初の「長くつ下のピッピ」1冊だけ。なので何度も読んだのもこれ1冊で、あとのは1、2回しか読んでないのですが。

子供の頃でも、ピッピみたいな破天荒な女の子が実際にいたら楽しいけど大変だろうなと思いながら読んでいた覚えがあるので、大人になった今読み返したら、ピッピに苦笑させられてしまうかも、なんて思ってたんです。もしかしたら、ピッピが痛々しく感じられてしまうかも? とも。で、ちょっと手に取る前に躊躇ってたんですが、杞憂でした。相変わらず楽しい! ピッピ、可愛い!
でも、改めて3冊まとめて読んでみると、1冊ごとにピッピの姿がだんだん変っていくなあ、なんて思ったりもしますね。1冊目のピッピはほんと破天荒。何者にも束縛されず自由気儘に日々すごしていて、仲良しのトミーとアンニカを喜ばせるのは大好きだけど、そのほかの人たちには、それほどサービス精神旺盛というわけでもないみたい。大人をからかうのも、自分が楽しいからってだけだし... まあ、その真っ直ぐさがいいんですけどね。火事の家に取り残された子供たちを救いだして英雄になってますが、この時も火事の恐ろしさや、取り残された子供たちの感じている恐怖を理解してるわけではなくて、周囲の人たちの話から助けた方がいいと分かったから、助けてます。
でも2冊目になると、力強いのは相変わらずなんだけど、いじめっ子や乱暴者をやっつける「弱きを助け強きをくじく」ピッピ像が強調されているようです。トミーとアンニカ以外の子供たちにも目を向けるようになるし、この2人以外の気持ちを考えることもし始めます。2人を連れ出して遊びに行った時にも、後で2人の両親が心配しないように置手紙を残してたりしますしね。これは1冊目では考えられなかったこと。そして3冊目になると、ピッピのほら話で逆に励まされる人も出てきますし。いつの間にかトミーとアンニカのお母さんの信頼も勝ち得てます。
最初は、破天荒なピッピ像から、もっと多くの人に受け入れられやすいヒロイン像へと微妙に変化したのかなーなんて思っていたのですが、3冊目を最後まで読んでみると、やっぱりこれはピッピの成長といった方が相応しいような気がしてきました。というのは、3冊目の「ピッピ南の島へ」のラストから。これは、ちょっとびっくりするような雰囲気なんですよね。そういえば、子供の頃もこのラストには違和感を感じていたのですが... でもこれが、既に大人であるリンドグレーンなりの終わらせ方だったんでしょうか。楽しい子供時代の終わりの予感。

で、子供の頃もピッピよりもアンニカになりたいと思った私ですが、大人になってから読み返しても、やっぱりなり替わるならアンニカの方が~ でした。自分自身がアンニカに近いというのも大きいんですけど(笑)、何といっても、アンニカならピッピの近くの一番いい位置でトミーと一緒に楽しんでいられますしね。「もの発見家」になるのも、木の上でお茶をして、その木の大きなうろの中に入ってみたりするのも、本当に楽しそう。ちょっと怖くなっちゃうような冒険も、2人がいれば大丈夫。遠足やパーティーで出てくるピッピの手作りのご馳走も美味しそう。読んでいるだけでワクワクしてきます。例えば床の上にショウガ入りクッキーの生地を伸ばしたり、誕生日のパーティのテーブルのご馳走をテーブルクロスごと片付けてしまうのは、冷静に考えればかなり困った状態になるはずなんですけどね。(笑)
それに子供の頃に一番羨ましかったのは、ピッピの家の居間にある大きなタンス。ピッピがお父さんと一緒に世界中をまわった時に買った宝物が、沢山詰まっているタンスなんです。2人がタンスの引き出しをあけては楽しんでるのが羨ましくて仕方なかったし、何かのたびにピッピがトミーとアンニカにプレゼントしてる物もすごく素敵だし! これは今でも羨ましくなっちゃいます。やっぱりアンニカになって、トミーとピッピと一緒に引き出しを覗きこみたいわ~。(ピッピになれば、その全ては自分の物になるのにねえ・笑)(岩波少年文庫)


+既読のリンドグレーン作品の感想+
「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」リンドグレーン
「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」「やかまし村はいつもにぎやか」リンドグレーン

| | commentaire(5) | trackback(1)
Catégories: / / / /

[amazon]
山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / / / / /

  [amazon] [amazon]
トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

| | commentaire(6) | trackback(1)
Catégories: / / / /

  [amazon] [amazon]
町の高い円柱のうえに立っていたのは幸福な王子の像。全身うすい純金の箔がきせられ、目には2つのサファイア、刀の柄には大きな赤いルビーがはめられ、非常な賞賛の的。そんなある夜、一羽のツバメがエジプトに向かう途中、幸福の王子のいる町を通りかかります... という「幸福な王子」他、全9編を収めた短編集。と、
画家のバジル・ホールウォードのモデルとなっていたのは、美貌の青年・ドリアン・グレイ。彼は、ちょうどアトリエを訪ねて来たヘンリー卿に自分の美しさを改めて教えられ、同時に美しさを失うことへの恐怖をも植えつけられ、そして快楽主義者であるヘンリー卿の感化で、背徳の生活へと踏み出すことに。しかしその生活による外面的な変化は全て肖像画に表れ、ドリアン・グレイ自身はいつまで経っても若い美青年のままだったのです... という「ドリアン・グレイの肖像」。

先日再読した「サロメ」が思いのほか素晴らしかったので、そちらを訳している福田恆存さんの訳で読みたかったんですけど、「幸福の王子」はどうやら訳してらっしゃらないようですね... 残念。「ドリアン・グレイの肖像」は福田恆存さんの訳なのですが。

「幸福の王子」は、実は子供の頃に大嫌いだった作品なんです。ワースト3に入ってました。何が嫌いって、幸福の王子の偽善的なところ。自分は貧しい人々を助けて満足かもしれないけど、そのために死んでしまったツバメはどうするの...?ですね。王子の思いやりが素晴らしい、なんて思わなかったし~。で、大人になった今読み返してみても、やっぱり凄い話でした。確かにツバメも納得してやってることではあるんだけど... しかも大人になってから読むと、さらに気になることがいっぱい。宝石や金箔を届けられた人は、その場は有難かったでしょうけど、金箔はともかく、立派なサファイアやルビーはどこから取ってきたのか一目瞭然のはず。疑われることにならなかったのかしら? もしそんなことにならなかったとしても、貧しくても正しく生きてきた生活がそれで一気に崩れてしまったりしなかったのかしら? 幸福の王子は、自分の目に見える範囲のほんの数人を助けたけど、その他の可哀想な人々はどうなるの? 全てに責任が取れないのなら、中途半端に手を出さない方がいいのでは?(千と千尋だね!) やっぱり幸福の王子の行動は自己中心的なものとしか映らないなあー。
そして今、他の作品を読んでみてもそういう物語ばかりでびっくりです。美しい言葉で飾られてはいるけれど、自己中心的な人々が純情な正直者を傷つける物語ばかり。赤いばらを欲しがった学生のために無意味に死んでいったナイチンゲールや、粉屋に利用されるだけ利用された正直者のハンス。死んでしまってなお、酷い言葉を投げかけられる侏儒。そんな物語も、オスカー・ワイルドの手にかかるとあまりに美しいのだけど...。オスカー・ワイルドはどんな気持ちでこういった作品を書いたのかしら。多分これが「童話集」でなければ、私も別にそこまで引っかからなかったんじゃないかと思うんですが...。(笑)

そして「ドリアン・グレイの肖像」は、肖像画がその罪を一手に引き受けてくれるという、今読んでも斬新な設定が楽しい作品。画家のバジルは画家ならではの鋭い目で「ひとりの哀れな人間に罪があるとすれば、その罪は、かれの口の線、瞼のたれさがり、あるいは手の形にさえ現れるのだ」と言うんですけど、ドリアン・グレイがいくら悪行を繰り返しても、外見は18年前に肖像画が描かれた時と同じ。顔つきは純真無垢で明るく、穢れをつけない若さのまま。
美貌の青年にとって、その美貌をなくすことは何よりも耐え難いことなんですけど、そのきっかけを作ったのはヘンリー卿。「美には天与の主権があるのだ。そして美を所有する人間は王者になれる」と言いながら、続けて「あなたが真の人生、完全にして充実した人生を送りうるのも、もうあと数年のことですよ。若さが消えされば、美しさもともに去ってしまう、そのとき、あなたは自分にはもはや勝利がなにひとつ残ってないということに突然気づくーー」なんて言うんですね。このヘンリー卿の言葉がどれも面白いし、その印象も強烈。やっぱりヘンリー卿には、オスカー・ワイルド自身が投影されてるのかしら。彼がドリアン・グレイの悪行にまるで気づいていないのが不思議ではあるんですが... 影響を与えた彼自身は快楽主義者としてではあっても、一般的な社会生活からは逸脱してませんしね。うーん、彼こそが本物だったということなのかもしれないな。あと、彼がドリアン・グレイに貸した本が背徳のきっかけになるんですけど、あれは何の本だったんだろう! 例えばマルキ・ド・サドとか?(笑)
そしてこの作品で特筆すべきなのは美へのこだわり。ドリアン・グレイ自身も美しい物が大好きで色々と収集してるんですけど、彼の存在自体がもう美しく感じられますしね。そして作品そのものもあまりに美しい...。とは言っても、その美しさは天上の美しさではなくて、堕天使の魅力なのですが。オスカー・ワイルドの美意識が全開の作品だと思います。(新潮文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

| | commentaire(7) | trackback(0)
Catégories: / / / /

   [amazon] [amazon] [amazon]
「おやゆび姫」「皇帝の新しい着物(はだかの王さま)」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「赤いくつ」「雪の女王」など、数々の美しい童話を書き残したアンデルセン。この3冊には全33編が収められています。

ムーミンを読んでたら、北欧繋がりでなんだか妙に読みたくなりました。アンデルセンって実は子供の頃はあんまり好きじゃなかったんですよね。有名な作品は一通り読んでたと思うし、去年もエロール・ル・カインの「雪の女王」の絵本を読んだし、荒俣宏編訳「新編魔法のお店」に「マッチ売りの少女」が載ってたり、「ももいろの童話集」にもアンデルセンの「小さな妖精と食料品屋」が収録されていたりと、それほど離れてたわけでもないんですが、今まで改めて手に取る気にはならなかったのに... と我ながらちょっとびっくり。でもいい機会! 本当はハリー・クラークの挿絵が楽しめる新書館版がいいかなと思ったんですが(右のヤツね)、これは結構分厚くて重いので... 結局手に取ったのは、かねてから読破計画を進めたいと思っていた岩波少年文庫版です。

改めて読んでみて真っ先に感じたのは、暖かな南の国への憧れ。「おやゆび姫」でも「コウノトリ」でも、ツバメやコウノトリが、寒い冬の訪れの前に、太陽が明るく照り綺麗な花が年中咲いているという「あたたかな国」(エジプト)へと旅立つし、「年の話」でもみんなが春の訪れを待ち焦がれてるんです。珍しくイタリアが舞台となっている「青銅のイノシシ」ではこんな感じ。

イタリアの月の光は、北欧の冬の曇り日ぐらいのあかるさがあります。いえ、もっとあかるいでしょう。なぜなら、ここでは空気までが光り、かるく上にのぼっていくからです。それにひきかえ、北欧ではつめたい灰色のナマリぶきの屋根がわたしたちを地面におさえつけます。いつかはわたしたちの棺をおさえつける、このつめたいしめっぽい土へおしつけるのです。

やっぱり北欧の人にとって冬の存在というのは、ものすごく大きいんでしょうね。白夜だし...。日本人が考える冬とはまた全然別物なのかも。(しかも私が住んでる地方は冬が緩いですから) とはいえ、そういう南の国の明るさとは対照的な「雪の女王」の美しさも格別なんですけどね。雪というイメージがアンデルセンの中でこれほど美しく花開いている作品は、他にはないかもしれないなあ。「雪の女王」は、アンデルセンの中でも後期の作品なんじゃないかな、とふと思ってみたり。
そして同じように印象に残ったのは、天国の情景。それと共に、死を強く意識させられる作品がとても多いことに驚かされました。アンデルセンは人一倍「死」を身近に感じていたのでしょうか。「貧しさ」と「死」、「心の美しさ」や「悔い改め」といったものが、多分子供の頃の私には大上段すぎて、苦手意識を持つ原因になったんじゃないかと思うんですけが、今改めて読むと、それも含めて本当に暖かくて美しい作品群だなあと思いますね。

私がこの3冊の中で特に好きだったのは、小さい頃におばあさまにエデンの園のお話を聞いて憧れて育った王子が実際にそこを訪れることになる「パラダイスの園」という作品。とてもキリスト教色の強い物語ではあるんですけど、北風、南風、東風、西風が集まる「風穴」のように、どこかギリシャ神話的な雰囲気もあってとても好き。あとは1粒のエンドウ豆のせいで眠れなかった「エンドウ豆の上のお姫さま」や、中国の皇帝のために歌うナイチンゲールのお話「ナイチンゲール」、白鳥にされた11人の兄たちのためにイラクサのくさりかたびらを編むエリザの「野の白鳥」なんかは、子供の頃から好きだし、今もとても好き。でも逆に、子供の時に読んでも楽しめるでしょうけど、大人になって改めて読んだ方が理解が深まるだろうなという作品も多かったですね。思いの他、大人向けの物語が多かったように思います。

第2巻の訳者あとがきに、アンデルセンも最初は創作童話を書くつもりがなくて、例えば「大クラウスと小クラウス」「火打ち箱」といった作品は、アンデルセンが子供の頃に祖母から聞いた民話を元にしたものだという話が書かれていました。確かに第1巻を読んだ時に、他の作品とはちょっと雰囲気の違う「大クラウスと小クラウス」には違和感を感じてたんですが、そういうことだったんですねー。やっぱり明らかに創作といった物語とは、方向性が全然違いますもん。(岩波少年文庫)


+既読のアンデルセン作品の感想+
「アンデルセン童話集」1~3 アンデルセン
「絵のない絵本」アンデルセン

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
ムーミンパパが川に橋を渡し終え、スニフとムーミントロルが森の中に入り込む新しい道を探検して海岸と洞窟を発見した日の晩、ムーミン屋敷にやって来たのはじゃこうねずみでした。ムーミンパパが橋をかけた時に家の半分がつぶされて、あとの半分は雨に流されたというのです。そして翌日、雨が上がった庭では、全てのものがどす黒くなっていました。それを見たじゃこうねずみは、じきに彗星が地球にぶつかって、地球は滅びるのだと言い始めます。

ムーミンシリーズの1作目。ムーミンシリーズを読むのは、実はこれが初めてなんです。テレビアニメもほとんど見てなかったんですよねえ。確かにもともと無邪気に明るく楽しいイメージではなかったんですが、いきなり彗星が地球に衝突?地球滅亡?! 実はとても深い話だったんですね? びっくりしました。
とは言っても。確かに刻々と近づく地球滅亡の日を待つ物語ではあるんですが、ムーミン一家やスニフ、スナフキンやノンノンはあまりにマイペースだし~。終末物はこれまでいくつか読んだり観たりしたし、アメリカのラジオドラマでH.G.ウェルズの「宇宙戦争」が放送された時の騒ぎなんかもすごかったようですけど、ここはやっぱり別世界ですね。決して明るくないし、そこはかとなく寂寥感が漂ってるんですけど、暖かくて優しくて、何とも言えないほのぼのとした味わいがありました。
とても印象に残ったのは、新しいズボンを買おうとしたスナフキンの「もちものをふやすというのは、ほんとにおそろしいことですね」という言葉。終盤、ありったけの持ち物を持って逃げようとする登場人物たちを尻目に、「ぼくのリストは、いつでもできるよ。ハーモニカが、星三つだ」という言葉もスナフキンらしくて、すごくかっこいいです。まあ、スナフキンのレベルに到達できる人はなかなかいないでしょうけど(笑)、たとえ物を所有しても、所有した物に縛られるようになっちゃだめですよね。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

| | commentaire(13) | trackback(0)
Catégories: / / /

  [amazon] [amazon]
92歳のマリアンは、この15年間は息子のガラハッドとその妻・ミューリエル、その末っ子のロバートと同居の生活。家は狭く窮屈で、日中のほとんどは部屋に面した裏庭で猫や鶏と過ごす日々。そして毎週月曜日になると、2ブロックほど歩いて友人のカルメラの家へ行きます。そんなある日、カルメラが耳の悪いマリアンにプレゼントしたのはバッファローの角でできた耳ラッパ。カルメラは、その耳ラッパを誰にも見せないで、家族がマリアンの話をしているのを盗み聞きすればいいと言うのですが...という「耳ラッパ 幻の聖杯物語」、そして短編集の「恐怖の館 世にも不思議な物語」。

先日「夢魔のレシピ」(感想)読んだレメディオス・バロと並ぶシュールレアリストの女流画家。裕福なイギリス人実業家を父に、アイルランド人を母に生まれ、父親の反対を押し切ってロンドンの美術学校に進んだ後マックス・エルンストと運命の出会いを果たし、エルンストが強制収容所に送られた後、キャリントン自身はスペインの精神病院へ。そしてその後メキシコに亡命... となかなか波乱万丈な人生を送っている人です。

「耳ラッパ」の方は、不思議な老人ホームで繰り広げられる不思議な物語。老人ホームに集まっているのは、それぞれに個性的な老人たち。家では厄介者扱いされて、それでこの老人ホームに来ることになったんでしょうけど、既に因習とか常識に囚われることなく生きることができる老人パワーがなかなかかっこいいです。この作品の主人公のマリアンはキャリントン自身がモデルで、親友のカルメラはレメディオス・バロがモデルなのだそう。そう言われてみると、先日「夢魔のレシピ」に架空の相手に書いた手紙というのもあったし、確かにバロみたいな感じ。そしてこの作品自体とても絵画的なんですけど、その中でも特にウィンクして見える尼僧の絵や、塔に閉じ込められるイメージなど、レメディオス・バロの絵画のイメージがものすごくしてました。でも私はレオノーラ・キャリントンの絵をあんまり知らないからなあ... もしかしたらキャリントン自身の絵なのかな? 実際のところはどうなんでしょう。
「恐怖の館」は、マックス・エルンストによる序文からして、これぞシュールレアリスムなのかという文章でかっこいいんですが、キャリントンの書く短編もなかなか素敵でした。アイルランド人の祖母や母、乳母からケルトの妖精物語や民間伝承を聞いて育ったとのことなんですが、そういう要素はあまり感じなかったですね。むしろ目を惹いたのは馬。この馬のイメージはスウィフトの「ガリバー旅行記」? それともこの不条理な作品群は「耳ラッパ」の帯に「92歳のアリスの大冒険」とあったように、ルイス・キャロル的? スウィフトもルイス・キャロルもアイルランド系だし、やっぱりそういうことなのかな。長めの作品もあるんですが、私が気に入ったのはむしろ掌編の「恐怖の館」「卵型の貴婦人」「デビュタント」「女王陛下の召喚状」辺り。特に「デビュタント」はレオノーラ・キャリントンの実体験に基づくと思われる作品。出たくないデビュタントの舞踏会に、自分の代わりにハイエナに出てもらったら、という物語なんですが、これが残酷童話の趣きで... 素敵♪
「恐怖の館」にはレオノーラ・キャリントンとその周囲の人々の写真が数10ページ挿入されていました。力強い顔立ちの美人さん。私としてはどちらかといえば、作品を見たかったんですけどねえ。どこで見られるんだろう?(工作舎)

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.