Catégories:“幻想文学1500”

Catégories: / / / /

   [amazon] [amazon] [amazon]
スウェーデンの小さな町のはずれの草ぼうぼうの古い庭に「ごたごた荘」という名前の古い家が建っていました。その家に住んでいるのは、ピッピ・ナガクツシタという名前の女の子。9歳なのにお父さんもお母さんもなく、船乗りだったお父さんにもらったサルの「ニルソン氏」と、この家に来てすぐ金貨で買った馬一頭と一緒に住んでいるのです。ごたごた荘の隣の家にはトミーとアンニカという男の子と女の子が住んでおり、3人はすぐに仲良くなります。

子供の頃に何度も読んだ長くつ下のピッピのシリーズ。先日ふとテレビをつけたら、一人芝居みたいなのをやってて懐かしくなっちゃって! 思わず手に取ってしまいました。久々の再読です。あ、子供の頃に何度も読んでいたとは言っても、自分で持っていたのは最初の「長くつ下のピッピ」1冊だけ。なので何度も読んだのもこれ1冊で、あとのは1、2回しか読んでないのですが。

子供の頃でも、ピッピみたいな破天荒な女の子が実際にいたら楽しいけど大変だろうなと思いながら読んでいた覚えがあるので、大人になった今読み返したら、ピッピに苦笑させられてしまうかも、なんて思ってたんです。もしかしたら、ピッピが痛々しく感じられてしまうかも? とも。で、ちょっと手に取る前に躊躇ってたんですが、杞憂でした。相変わらず楽しい! ピッピ、可愛い!
でも、改めて3冊まとめて読んでみると、1冊ごとにピッピの姿がだんだん変っていくなあ、なんて思ったりもしますね。1冊目のピッピはほんと破天荒。何者にも束縛されず自由気儘に日々すごしていて、仲良しのトミーとアンニカを喜ばせるのは大好きだけど、そのほかの人たちには、それほどサービス精神旺盛というわけでもないみたい。大人をからかうのも、自分が楽しいからってだけだし... まあ、その真っ直ぐさがいいんですけどね。火事の家に取り残された子供たちを救いだして英雄になってますが、この時も火事の恐ろしさや、取り残された子供たちの感じている恐怖を理解してるわけではなくて、周囲の人たちの話から助けた方がいいと分かったから、助けてます。
でも2冊目になると、力強いのは相変わらずなんだけど、いじめっ子や乱暴者をやっつける「弱きを助け強きをくじく」ピッピ像が強調されているようです。トミーとアンニカ以外の子供たちにも目を向けるようになるし、この2人以外の気持ちを考えることもし始めます。2人を連れ出して遊びに行った時にも、後で2人の両親が心配しないように置手紙を残してたりしますしね。これは1冊目では考えられなかったこと。そして3冊目になると、ピッピのほら話で逆に励まされる人も出てきますし。いつの間にかトミーとアンニカのお母さんの信頼も勝ち得てます。
最初は、破天荒なピッピ像から、もっと多くの人に受け入れられやすいヒロイン像へと微妙に変化したのかなーなんて思っていたのですが、3冊目を最後まで読んでみると、やっぱりこれはピッピの成長といった方が相応しいような気がしてきました。というのは、3冊目の「ピッピ南の島へ」のラストから。これは、ちょっとびっくりするような雰囲気なんですよね。そういえば、子供の頃もこのラストには違和感を感じていたのですが... でもこれが、既に大人であるリンドグレーンなりの終わらせ方だったんでしょうか。楽しい子供時代の終わりの予感。

で、子供の頃もピッピよりもアンニカになりたいと思った私ですが、大人になってから読み返しても、やっぱりなり替わるならアンニカの方が~ でした。自分自身がアンニカに近いというのも大きいんですけど(笑)、何といっても、アンニカならピッピの近くの一番いい位置でトミーと一緒に楽しんでいられますしね。「もの発見家」になるのも、木の上でお茶をして、その木の大きなうろの中に入ってみたりするのも、本当に楽しそう。ちょっと怖くなっちゃうような冒険も、2人がいれば大丈夫。遠足やパーティーで出てくるピッピの手作りのご馳走も美味しそう。読んでいるだけでワクワクしてきます。例えば床の上にショウガ入りクッキーの生地を伸ばしたり、誕生日のパーティのテーブルのご馳走をテーブルクロスごと片付けてしまうのは、冷静に考えればかなり困った状態になるはずなんですけどね。(笑)
それに子供の頃に一番羨ましかったのは、ピッピの家の居間にある大きなタンス。ピッピがお父さんと一緒に世界中をまわった時に買った宝物が、沢山詰まっているタンスなんです。2人がタンスの引き出しをあけては楽しんでるのが羨ましくて仕方なかったし、何かのたびにピッピがトミーとアンニカにプレゼントしてる物もすごく素敵だし! これは今でも羨ましくなっちゃいます。やっぱりアンニカになって、トミーとピッピと一緒に引き出しを覗きこみたいわ~。(ピッピになれば、その全ては自分の物になるのにねえ・笑)(岩波少年文庫)


+既読のリンドグレーン作品の感想+
「長くつ下のピッピ」「ピッピ船にのる」「ピッピ南の島へ」リンドグレーン
「やかまし村の子どもたち」「やかまし村の春・夏・秋・冬」「やかまし村はいつもにぎやか」リンドグレーン

| | commentaire(5) | trackback(1)
Catégories: / / /

 [amazon]
世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
農民たちが啓けていくにつれて失われていく、その土地土地に伝わる数々の素朴な物語。しかし人類は長い間そういった物語を糧にして生きてきたのです。ここに収められているのは、19世紀半ばにジョルジュ・サンド自身がフランス中部ベリー地方の農村に伝わる民間伝承を採集したもの。息子のモーリス・サンドもフランス各地の言い伝えや民謡、伝説を集め、それらのために自ら挿絵を描いており、それらの絵もこの本に収められています。

フランスの代表的な伝説といえば、巨人のガルガンチュワに、下半身が蛇の姿の美しいメリジューヌ、そしてアーサー王伝説... でもここに収められているのは、そういった広く流布した物語でも英雄譚的な立派な物語でもなくて、もっと田園の農民たちが炉辺で語るような、ほんの小さな物語。巨石にまつわる物語や霧女、夜の洗濯女、化け犬、子鬼、森の妖火、狼使い、聖人による悪霊退散... こういうのは、ちょっとした目の錯覚や、聞き間違い、そんなところからも生まれてきたんでしょうね。フランスにおける「遠野物語」という言葉が書かれていましたが、まさにそうかもしれません。どれもごくごく短いあっさりした物語なんですが、それだけに生きた形で伝わってきたというのを強く感じさせます。そういった物語を通して、それらの物語が生まれた土地までもが見えてくるような気がします。素朴で単純だけれど、飽きさせない、噛み締めるほどに奥深い味わいがある、そんな魅力を持っていると思います。それに、特に強く感じさせられるのは田舎の夜の暗闇。やっぱり暗闇というのは、人間の想像力を色々な意味で刺激するものなのですね。そして、ジョルジュ・サンドの「愛の妖精」や「ばらいろの雲」といった作品の背景にもこのような物語が隠されていたんだなあと思うと、それもまた感慨深いものがありますねえ。(岩波文庫)


+既読のジョルジュ・サンド作品の感想+
「愛の妖精」「ばらいろの雲」ジョルジュ・サンド
「フランス田園伝説集」ジョルジュ・サンド

| | commentaire(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
弁護士のアタスン氏と遠縁のリチャード・エンフィールド氏が恒例の日曜日の散歩をしている時に出たのは、ロンドンの繁華街の裏通りにあるドアの話。それはエンフィールド氏が初めてハイド氏を見かけた場所。早足で歩いていたハイド氏は、懸命に走っていた少女と正面衝突し、倒れた少女の身体を平然と踏みつけたのです。悲鳴をあげている彼女をその場に置き去りして歩み去るハイド氏に、エンフィールド氏は思わずの小男の襟首をつかんで現場に引き立てることに。そして少女の家族とやがて現れた医者と共にハイド氏を非難するのですが...。このハイド氏は、相手に嫌悪感を抱かずにはいさせないタイプの小男でした。

作品を読んだことのない人でも、「ジキルとハイド」といえば知ってますよね。既に有名になりすぎていて、改めて読む気がしないという人も結構いそうです。結構スリリングなサスペンスですごく面白いので、ネタがあまりに有名になってしまってるのが勿体ないなーと思うのですが... ネタを全然知らずに読めば、どきどきワクワクしながら読めるはず。でも有名な作品になってしまうと、ネタばれなしに読むのってほんと難しいですね。という私は、ふと読みたくなって、久しぶりの再読です。中学か高校の時に読んで以来。まあ、その時もネタを知りつつ面白く読んだのですが、今回はさらに面白く読めました。
でも今回ちょっと意外だったのが、というか、すっかり忘れていたのが、ジキルとハイドの分かれ具合。なんとなくカルヴィーノの「まっぷたつの子爵」(感想)のような感じに思ってたんですけど、そうじゃなくて! ジキル博士は確かにいい人なんですけど、それでも若い頃には結構放埓な生活を送っていたという人。ハイド氏が登場した後も、その性格は基本的にまるで変わっていないようです。そもそも、最初に登場する時に「きれいに顔をそった五十歳の博士は、多少狡そうなところもあるが、知性と善意にあふれている」とあるんですね。ここの「多少狡そうなところもあるが」というのが気になるーーー。だってこの時点では既に、なんですもん。ハイド氏のおかげで、悪の部分が抜けきったわけじゃなかったんだ! となれば、そりゃハイド氏の方が純度が高い分(?)強いでしょう。ジキル博士は、世間一般が好人物だと考えている、普通の人間のままなんですもん。
そうか、そうだったのか。この辺り、色々と突っ込んで考えていくと面白そうです。スティーヴンスンは、その辺りのことはどう考えてたのかしら。あまり深く考えていなかったのか、それとも考えつくした結果がこの作品なのか。こういうのって卒論のテーマにもいいかもしれないですね?って卒論を書く予定なんて、実際には全然ないんですけど。(笑)(岩波文庫)


+既読のスティーヴンスン作品の感想+
「新アラビア夜話」スティーヴンスン
「ジーキル博士とハイド氏」スティーヴンスン

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / / / /

[amazon]
山の中に住む魔女に育てられた妖精のラウテンデラインの前に現れたのは、30歳の鋳鐘師・ハインリッヒ。湖の中に転がり落ちた鐘と一緒にハインリッヒも谷底に転げ落ちたのです。瀕死のハインリッヒは、自分を世話してくれるラウテンデラインを一目見て心を奪われます。しかしそこにハインリッヒを探しに来た牧師や教師、理髪師がやってきて、ハインリッヒを取り戻し、妻のマグダ夫人や子供たちのところに連れて帰ることに。

5幕物の戯曲で、オットリーノ・レスピーギが歌劇にも仕立てている作品。泉鏡花の「夜叉ヶ池」「海神別荘」「天守物語」、特に「夜叉ヶ池」にも大きく影響を与えているのだそうです。そして野溝七生子は、この作品のヒロイン・ラウテンデラインに因んで「ラウ」と呼ばれていたのだそう。

一読して驚いたのは、まるでフーケーの「ウンディーネ」(感想)みたいだということ。ラウテンデラインは、実際にはウンディーネのような水の精ではないはずなんですけど、でもその造形がすごくよく似ています。ただその日その日を楽しく暮らしていたラウテンデラインは、ハインリッヒを知ることによって初めて泣くことを知るんですね。ここで「泣く」というのは、ウンディーネが愛によって魂を得たのと同じようなこと。ラウテンデラインの場合は、ウンディーネほどの極端な変わりぶりではないのですが。それに作品全体の雰囲気もよく似てます。ハインリッヒに夢中になるラウテンデラインのことを周囲の精霊たちが面白く思わないのも同じだし、水が重要ポイントになるところも。ラウテンデラインは本当は水の精じゃないはずなのに、これじゃあまさに水の精。そして3杯の酒による結末も。魂を失って、愛を忘れてしまうところも。ああ、ここにも「水の女」がいたのか!と思いつつ。
2人の子供と妻の涙の壷、そして響き渡る鐘の音。ラウテンデラインの腕の中にはハインリッヒ。ああ、なんて美しい。水の魔物・ニッケルマンや牧神風の森の魔、そしてゲルマン神話の神々の名前もまた、異教的で幻想的な雰囲気を盛り上げていました。

ウンディーネは魂を持たない存在だけど、人間の男性に愛されて妻になると魂を得るという設定は、元々パラケルススによるものなんですね。水辺や水上で夫に罵られると、水の世界に戻らなくてはならないというのと、夫が他の女を娶れば命を奪うというのも。その辺りのパラケルスス関連の本も読んでみたいな。(岩波文庫)

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
かつてウェストファリア地方のトゥンダー=テン=トロンク男爵の城館にいたのは、生まれつき品行が穏やかで無邪気なカンディードという青年。しかしある日のこと、カンディードと美しい男爵令嬢のキュネゴンドが接吻しているところを男爵が発見し、カンディードは城館から追い出されてしまうことに... という表題作「カンディードまたは最善説(オプテイミズム)」他、全6編。

18世紀フランスの啓蒙思想家・ヴォルテールによる哲学コント6編。コントというのはフランス語で、短い物語のこと。要するに哲学的な主題を持つ短い物語のことですね。ヴォルテールは、悲劇や喜劇や叙事詩といった前世紀の古典主義を終生信奉しながらも、人間の不幸や挫折、幸福の探求とといった主題はもっと現実的で真実味のある形(つまり小説や哲学コント)で扱うのがふさわしいと考えていたようです。そして、あからさまに告白したり感傷に浸ることを嫌って、自身の抱える問題や懐疑、苦悩をコントの主人公の青年の姿を借りて表現し、重大で深刻な時ほど照れ隠しのように茶化してみせたのだそう。
SF的設定の「ミクロメガス 哲学的物語」、ペルシャになぞらえながらも実はフランスの実態を描いている「この世は成り行き任せ バブーク自ら記した幻覚」、バビロン時代の賢者の中の賢者をめぐる寓話「ザディーグもしくは運命 東洋の物語」、完全な賢人を目指しながらも、早くも美しい女にたぶらかされて、とんでもない結末を迎えることになる1日を描いた「メムノン または人間の知恵」、ライプニッツの最善説への懐疑が徐々に大きくなってきている「スカルマンタドの旅物語 彼自身による手稿」、そしてとうとう最善説を風刺するところまでたどり着いてしまう表題作。作品は書かれた年代順に並べられているので、ヴォルテール自身の人生を知ると、その実体験が全てその哲学コントに登場してるのが分かって、その変遷がすごく興味深いです。
どれも面白かったんだけど、私が一番楽しく読めたのは「ザディーグ」。でも、これは絶対以前読んだことがあるんだけど! どこで読んだんだろう? その時はヴォルテール名義ではなくて、童話集みたいなのに登場してたような気がするんですが... それも前半の半分か3分の1だけ。どこで読んだんだか、今パッとは思い出せません。ああ、気になるー。この「ザディーグ」、古代バビロンが舞台で「千一夜物語」のように楽しく読める物語なんですけど、その主題は人間の幸福や人生について考えるとても深いもの。本来なら「カンディード」が一番評価されてる作品なんでしょうけど... この2作品は分量もかなりあって同じぐらいの読み応えがあるんですけど、私としては風刺色の強い「カンディード」よりも、もっと正面から素直に書いてるような「ザディーグ」の方が好みでした。(岩波文庫)


+既読のヴォルテール作品の感想+
「バビロンの王女・アマベッドの手紙」ヴォルテール
「カンディード」ヴォルテール

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
今までになく酷いうなされ方をしているダランベールを心配したレスピナッス嬢は、夜中看病しながら、その気違いじみた支離滅裂な話し振りのうわ言を書き留めます。そして朝になって呼んだ医者のボルドゥーに、その時に書き留めておいたことを話すことに。レスピナッス嬢が驚いたことに、ボルドゥーはそのうわ言のメモから意味を掴みレスピナッス嬢に解説、やがて2人はそれについて議論をし始めることに... という表題作「ダランベールの夢」他全5編。

ディドロは、18世紀フランスの啓蒙思想家であり作家である人物。18世紀を代表する書物「百科全書」の編纂・刊行に関わった百科全書派の中心的な人物です。(他にはダランベールやヴォルテール、ジャン=ジャック・ルソー、モンテスキューの名も) この「百科全書」は、当時の技術的・科学的な知識の最先端を集めて紹介しながら、同時に古い世界観を打ち破り、社会や宗教・哲学等への批判を行っているので、宗教界や特権階級から危険視されたんだそうで... そしてその購読者は、実際にフランス革命の推進派と重なっているのだそうで... やっぱり危険だったのか。(笑)

5編とも全て対話形式の作品となっています。訳者による「はしがき」に、ディドロの著作や18世紀の思想にまだあまり馴染みのない読者は、まず「肖像奇談」を読んで、次に「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」、そして最後に3部作を順を追って読むのが読み易いと書かれていたので、今回その通りに読んでみました。実際「肖像奇談」は一番分かりやすいです。話として普通に面白い。最後のオチもいいですねえ。と言いつつ、以前どこかで読んだような気もしたのだけど。どこかのアンソロジーに入ってたのかな? 次の「或哲学者とXXX元帥夫人との対談」は、それよりもちょっと難しい... 難物というほどではないのだけど。そして3部作。最初の「ダランベールとディドロの対談」は面白かったー! 圧力を通じて現れる死力と場所の移動を通じて現れる活力、静止的感性と能動的感性、そして静止的感性から能動的感性への移行。一見小難しいんだけど、よく読んでみると案外分かりやすいです。ええと、こういうのが唯物論なんですかね?(すみません、よく分かってません) でも次の表題作「ダランベールの夢」では、話が一気に多岐に渡ってしまって、ついていけないー。対話形式だし、文章的には比較的読みやすいんだけど、何なんだ、これは??? で、3部作最後の「対談の続き」は、また少し分かりやすくなって。
ディドロという人は、ごく普通のこととかちっちゃいことをわざと大げさに言い立てて、相手の反応を見て楽しむようなところがあるんですかね? なぜ真っ直ぐ等身大に表現できない? なんて思ってしまったんですが、その反応、合ってるのでしょうか。(笑) で、驚いたのはその内容の新しさ。なんだか今の時代に書かれてると言われてもおかしくないようなことが色々と書かれていて、これが18世紀に書かれたということにびっくりです。これはきっと内容がきちんと分かればどれもすごく面白いんでしょうね。まあ、最初から1度読んですんなり理解できるようなものとは思ってなかったので、面白かった部分もあったということが大収穫。ゆっくりじっくり付き合っていきます。(岩波文庫)

| | commentaire(0) | trackback(1)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.