Catégories:“幻想文学1500”

Catégories: / / / / /

  [amazon] [amazon]
トムは腹を立てていました。夏休みは弟のピーターと庭のリンゴの木の枝と枝の間に家を作ろうと前々から計画していたのに、ピーターははしかにかかり、トムはうつらないようにするために、アランおじさんとグウェンおばさんの家に行かなければならなくなったのです。アランおじさんたちが住んでるのは、庭のないアパート。万が一はしかにうつっていた時のために外に出ることもできず、友達もおらず、トムは日々退屈しきっていました。運動不足で夜も寝られなくなってしまったトムは、毎晩のように時計の打つ音を数えるのが習慣となります。古い置時計は、打つ音の数を間違えてばかり。しかしそんなある晩、夜中の1時に時計が13回打ったのです。夜の静けさに何かを感じたトムは、こっそりベッドから抜け出します... という「トムは真夜中の庭で」。
隣の家に住んでいたのは、"よごれディック"。数年前に奥さんに逃げられて以来、ディックは一人暮らしで、母さんに言わせると、ブタ小屋のブタのような暮らしぶり。運転はできないのに2台の車を持ち、1台ではウサギを、もう1台ではメンドリを飼い、卵を売って暮らしていました... という「汚れディック」他、全8編の短編集

古時計が13回打った時にだけ現れる庭園とハティという名の少女。昼間はがらくたばかりが置かれている狭苦しい汚い裏庭があるだけの場所に、広い芝生と花壇、木々や温室のある庭園が広がっていて...! 退屈だったはずの夏休みが、わくわくする真夜中の冒険に一変してしまいます。子供の頃に何度も読み返した作品なんですが、中学以降は読んでなかったかも... ものすごく久しぶりの再読なんですが、これがやっぱり良くて! 大人になって読んでも全然色褪せていないし、それどころかさらに一層楽しめるというのが素晴らしい。
でも楽しい冒険も徐々に終わりに近づいて...。小さかったハティがいつしかすっかり大きくなっていたと気づくところは切ないです。しかもそれに気付かされるのが、他人の目を通してなんですから! でも最後に彼女の名前を叫んだ時、きちんとその声が届いたというのがなんとも嬉しいところ。年齢差を越えた2人の邂逅には胸が温まります。
この作品、子供の頃読んでた時はやっぱりトム視点で読んでたと思うんですけど、大人になった今読むと、もちろんトム視点が基本なんですけど、ハティもかなり入ってたかも。読む年齢に応じて、その経験値に応じて、新たな感動をくれる本なんですね。あー、こういう子供の頃に大好きだった本を読み返すたびに、本棚に入れておいてくれた父に改めて感謝してしまうなあ。

そして「真夜中のパーティー」の方は、今回初めてです。どれもごく普通の日常から始まる物語。特に不思議なことが起きるわけでもないし、日常のちょっとした出来事と一緒に子供たちの思いが描かれているだけ。でもそれがとても鮮やかなんですね。真夜中のパーティーが親にばれないように工夫する姉弟たち、ついついニレの木を倒してしまった少年たち、貴重なイシガイを川に隠す少年たち、せっかく摘んだキイチゴを無駄にしてしまい、怒る父親から逃げ出す少女、池の底からレンガの代わりにブリキの箱を拾った少年...。特に印象に残ったのは、川の底に潜りこもうとするイシガイを見ながら密かに逡巡するダンの姿かな。これは本当にドキドキしました。兄のようなパットが大人たちに糾弾されるのに憤慨した小さなルーシーの反撃も良かったなあ。溜飲が下がります。あと、間違えてブリキの箱を拾ってきた少年のあの達成感・充実感ときたら! 読んでいるその時には、それほど大した物語には思えないのですが、後から考えると印象的な場面がとても多かったことに気づかされるような、深みのある短編集でした。(岩波少年文庫)

| | commentaire(6) | trackback(1)
Catégories: / / / /

 [amazon]
王さまとお妃さまに待望の赤ちゃんが生まれ、小さなお姫さまのために洗礼式が盛大に執り行われることになります。名付け親として招かれたのは、国中で見つかった7人の妖精たち。妖精たち1人1人から贈り物をしてもらい、想像できる限り最高のお姫さまになるようにするのが、当時の習慣だったのです。しかし宴の席に8人目の妖精が現れます。その妖精は50年以上も前から塔の外に出ておらず、生きているのかどうかすら分からなかったため、招かれていなかったのです。妖精用のどっしりした黄金のケースに入った純金のスプーンとフォークとナイフは7つしか作っておらず、その妖精の前に出されたのは普通の食卓道具。ばかにされたと思い込んだ年取った妖精は、口の中でぶつぶつと脅しの文句を呟きます... という「眠りの森の美女」他、全10編の童話集。

アンジェラ・カーターの「血染めの部屋」(感想)を読んだ時も、「青髭」を改めて読んでみたいなあと思ってたんですけど、先日ファージョンの「ガラスのくつ」(感想)を読んで、今度読みたくなったのは「シンデレラ」! いい機会なので、ペロー童話集を読むことに。これも岩波文庫版や白水社uブックス、河出文庫版(澁澤龍彦訳)、ちくま文庫版(巖谷國士)など、色んなバージョンがあって、読み比べてみたくなっちゃうんですが~。今回手に取ったのは天沢退二郎訳の岩波少年文庫版。本の挿絵はマリ林(Marie Lyn)さんという方で、これがまたとても素敵。この方、天沢退二郎氏の奥様なんですね!

「そして2人は幸せに暮らしました...」の後の話まできちんとついている「眠りの森の美女」や、狼に食べられたきりで終わってしまう「赤頭巾ちゃん」。そうか、この結末はペローだったのか。「眠りの森の美女」の後日譚がついてる絵本を子供の頃に読んで、それがものすごく強烈だったのに(特にたまねぎのソースが...)、それっきり見かけなくて一体どこで読んだんだろうと思ってたんです。そうか、ペローだったのか...。その他も、大体は知ってる通りのお話だったんですけど、10編のうち「巻き毛のリケ」というお話だけは全然知らなくて、ちょっとびっくり。訳者あとがきによると、この作品だけはグリムにもバジーレにもヨーロッパ各地の民話・説話には明らかな類話が見当たらないお話なんだそうです。道理で!
でも伝承に忠実なグリムに対して、同じく伝承を採取しながらルイ14世の宮廷で語るために洗練させたペロー、というイメージがすごく強いのに、訳者あとがきによると「赤頭巾ちゃん」なんかは、ペローの方が古い伝承に忠実なんですって。グリムの「いばら姫」では「眠りの森の美女」の後日譚はカットされ、「赤頭巾ちゃん」には新たな結末が付け加えられたというわけですね。でも洗練される過程で、少し変わってしまったのが、ペロー版のシンデレラ「サンドリヨン」。伝承特有の「3度の繰り返し」がなくて、舞踏会に行くのが2回なんですよ!(驚) でも変わってしまっているとしても、やっぱり物語として洗練されてて面白いです。それにそのそれぞれのお話の終わりに「教訓」や、時には「もう一つの教訓」が付けられてるのが楽しいのです。(ケストナーの「教訓」は、もしやここから?)

そして勢いづいて、以前読んだ「人類最古の哲学」(中沢新一)を再読。これ、2年ほど前にも読んでいて(感想)、その時も沢山メモを取りつつ読んだんですけど、既にかなり忘れてしまってるので... いやあ、やっぱり面白いです。5冊シリーズの1冊目は、世界中に散らばるシンデレラ伝説を通して神話について考えていく本。伝承・神話系の物語って、実はきちんとそれぞれの形式があって、それぞれの場面や行動にきちんと意味があってそういう決まりごとにのっとって作られてるんですよね。シンデレラといえば、日本ではまずペローやグリムが有名ですけど、もっと神話の作法に則ったシンデレラ物語が世界中に残っているわけです。そしてその物語を聞いた北米のミクマクインディアンが作り出したシンデレラの興味深いことといったら...! ええと、近々ドナ・ジョー・ナポリの「バウンド」を読むつもりにしてるので、そちらの予習も兼ねてます。(岩波少年文庫)

| | commentaire(4) | trackback(0)
Catégories: / / / /

  [amazon] [amazon]
町の高い円柱のうえに立っていたのは幸福な王子の像。全身うすい純金の箔がきせられ、目には2つのサファイア、刀の柄には大きな赤いルビーがはめられ、非常な賞賛の的。そんなある夜、一羽のツバメがエジプトに向かう途中、幸福の王子のいる町を通りかかります... という「幸福な王子」他、全9編を収めた短編集。と、
画家のバジル・ホールウォードのモデルとなっていたのは、美貌の青年・ドリアン・グレイ。彼は、ちょうどアトリエを訪ねて来たヘンリー卿に自分の美しさを改めて教えられ、同時に美しさを失うことへの恐怖をも植えつけられ、そして快楽主義者であるヘンリー卿の感化で、背徳の生活へと踏み出すことに。しかしその生活による外面的な変化は全て肖像画に表れ、ドリアン・グレイ自身はいつまで経っても若い美青年のままだったのです... という「ドリアン・グレイの肖像」。

先日再読した「サロメ」が思いのほか素晴らしかったので、そちらを訳している福田恆存さんの訳で読みたかったんですけど、「幸福の王子」はどうやら訳してらっしゃらないようですね... 残念。「ドリアン・グレイの肖像」は福田恆存さんの訳なのですが。

「幸福の王子」は、実は子供の頃に大嫌いだった作品なんです。ワースト3に入ってました。何が嫌いって、幸福の王子の偽善的なところ。自分は貧しい人々を助けて満足かもしれないけど、そのために死んでしまったツバメはどうするの...?ですね。王子の思いやりが素晴らしい、なんて思わなかったし~。で、大人になった今読み返してみても、やっぱり凄い話でした。確かにツバメも納得してやってることではあるんだけど... しかも大人になってから読むと、さらに気になることがいっぱい。宝石や金箔を届けられた人は、その場は有難かったでしょうけど、金箔はともかく、立派なサファイアやルビーはどこから取ってきたのか一目瞭然のはず。疑われることにならなかったのかしら? もしそんなことにならなかったとしても、貧しくても正しく生きてきた生活がそれで一気に崩れてしまったりしなかったのかしら? 幸福の王子は、自分の目に見える範囲のほんの数人を助けたけど、その他の可哀想な人々はどうなるの? 全てに責任が取れないのなら、中途半端に手を出さない方がいいのでは?(千と千尋だね!) やっぱり幸福の王子の行動は自己中心的なものとしか映らないなあー。
そして今、他の作品を読んでみてもそういう物語ばかりでびっくりです。美しい言葉で飾られてはいるけれど、自己中心的な人々が純情な正直者を傷つける物語ばかり。赤いばらを欲しがった学生のために無意味に死んでいったナイチンゲールや、粉屋に利用されるだけ利用された正直者のハンス。死んでしまってなお、酷い言葉を投げかけられる侏儒。そんな物語も、オスカー・ワイルドの手にかかるとあまりに美しいのだけど...。オスカー・ワイルドはどんな気持ちでこういった作品を書いたのかしら。多分これが「童話集」でなければ、私も別にそこまで引っかからなかったんじゃないかと思うんですが...。(笑)

そして「ドリアン・グレイの肖像」は、肖像画がその罪を一手に引き受けてくれるという、今読んでも斬新な設定が楽しい作品。画家のバジルは画家ならではの鋭い目で「ひとりの哀れな人間に罪があるとすれば、その罪は、かれの口の線、瞼のたれさがり、あるいは手の形にさえ現れるのだ」と言うんですけど、ドリアン・グレイがいくら悪行を繰り返しても、外見は18年前に肖像画が描かれた時と同じ。顔つきは純真無垢で明るく、穢れをつけない若さのまま。
美貌の青年にとって、その美貌をなくすことは何よりも耐え難いことなんですけど、そのきっかけを作ったのはヘンリー卿。「美には天与の主権があるのだ。そして美を所有する人間は王者になれる」と言いながら、続けて「あなたが真の人生、完全にして充実した人生を送りうるのも、もうあと数年のことですよ。若さが消えされば、美しさもともに去ってしまう、そのとき、あなたは自分にはもはや勝利がなにひとつ残ってないということに突然気づくーー」なんて言うんですね。このヘンリー卿の言葉がどれも面白いし、その印象も強烈。やっぱりヘンリー卿には、オスカー・ワイルド自身が投影されてるのかしら。彼がドリアン・グレイの悪行にまるで気づいていないのが不思議ではあるんですが... 影響を与えた彼自身は快楽主義者としてではあっても、一般的な社会生活からは逸脱してませんしね。うーん、彼こそが本物だったということなのかもしれないな。あと、彼がドリアン・グレイに貸した本が背徳のきっかけになるんですけど、あれは何の本だったんだろう! 例えばマルキ・ド・サドとか?(笑)
そしてこの作品で特筆すべきなのは美へのこだわり。ドリアン・グレイ自身も美しい物が大好きで色々と収集してるんですけど、彼の存在自体がもう美しく感じられますしね。そして作品そのものもあまりに美しい...。とは言っても、その美しさは天上の美しさではなくて、堕天使の魅力なのですが。オスカー・ワイルドの美意識が全開の作品だと思います。(新潮文庫)


+既読のオスカー・ワイルド作品の感想+
「サロメ」ワイルド
「幸福な王子」「ドリアン・グレイの肖像」ワイルド
「ウィンダミア卿夫人の扇」ワイルド

| | commentaire(7) | trackback(0)
Catégories: / /

 [amazon]
夜中の11時にRに到着した「私」は、そのままホテルへ。翌朝、「私」はカスパール氏に連れられて行った集会場所で、褐色と黒色の斑模様の毛の長い大きな猫に出会います。膝の上に飛び乗った猫は、しばらくすると離れ、10メートルほど行ったところで立ち止まってこちらを振り返り、地面に3度でんぐり返し。以前から不意をつかれる動作、特に動物の示す思いがけない動作には重要な意味があると考えていた「私」は、その日の7時の汽車に乗ることにしていたにも関わらず、ホテルに滞在し続けることに。

以前から気になっていた本です。読みたい読みたいと思いつつなかなかだったんですが、先日レメディオス・バロの「夢魔のレシピ」(感想)とレオノーラ・キャリントンの「耳ラッパ」「恐怖の館」(感想)を読んだ時に、今度こそ!と思って、ようやく読めましたー。レオノール・フィニも、レメディオス・バロやレオノーラ・キャリントンと同じくシュールレアリスムの画家。他の2人と同様、小説も書いてるし、映画や舞台の衣装も手がけ、デザインしたスキャパレッリの香水瓶は大人気だったとか。レオノール・フィニ自身、好んで猫の絵を描いていて、一時期は23匹の猫を飼っていたこともあるという相当の猫好きさん。
そしてこの物語も猫の物語。「私」の前に現れた黒と褐色の大きな猫は、「私は夢先案内人(オネイロポンプ)だ」と名乗り、ホテルの中庭にある玄武岩でできた顔像を盗むよう「私」に指示します。猫が現れる前から現実と幻想が入り混じり始めていた物語は、ここではっきりと幻想へと一歩踏み出すことに。これは夜見る夢のようでもあり、白昼夢のようでもあり... 幻想、幻想、そしてまた幻想。汽車の中で出会った不思議な年齢不詳の婦人、彼女に誘われて訪れたマルカデ街の「潜水夫」館、ヴェスペルティリアという名前との再会。猫と一緒に訪れた、パリでも老朽化した界隈にあるとある家、etcetc。...やっぱりあの美術館となっている家での場面が圧巻だったな。絵画の猫たちの場面。知らない画家が多かったので、それがちょっと残念だったのですが、思いっきり検索しまくりましたよ。こういう時、ネットってつくづく便利~。
不思議な幻想物語。全部理解したとは言いがたいんですけど、レオノーラ・フィニの描く猫の絵を眺めながら読んでいると、頭の中で1つの世界が見る見るうちに構築されていくのが感じられるようで、素敵でした。(工作舎)

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / / /

   [amazon] [amazon] [amazon]
「おやゆび姫」「皇帝の新しい着物(はだかの王さま)」「みにくいアヒルの子」「人魚姫」「赤いくつ」「雪の女王」など、数々の美しい童話を書き残したアンデルセン。この3冊には全33編が収められています。

ムーミンを読んでたら、北欧繋がりでなんだか妙に読みたくなりました。アンデルセンって実は子供の頃はあんまり好きじゃなかったんですよね。有名な作品は一通り読んでたと思うし、去年もエロール・ル・カインの「雪の女王」の絵本を読んだし、荒俣宏編訳「新編魔法のお店」に「マッチ売りの少女」が載ってたり、「ももいろの童話集」にもアンデルセンの「小さな妖精と食料品屋」が収録されていたりと、それほど離れてたわけでもないんですが、今まで改めて手に取る気にはならなかったのに... と我ながらちょっとびっくり。でもいい機会! 本当はハリー・クラークの挿絵が楽しめる新書館版がいいかなと思ったんですが(右のヤツね)、これは結構分厚くて重いので... 結局手に取ったのは、かねてから読破計画を進めたいと思っていた岩波少年文庫版です。

改めて読んでみて真っ先に感じたのは、暖かな南の国への憧れ。「おやゆび姫」でも「コウノトリ」でも、ツバメやコウノトリが、寒い冬の訪れの前に、太陽が明るく照り綺麗な花が年中咲いているという「あたたかな国」(エジプト)へと旅立つし、「年の話」でもみんなが春の訪れを待ち焦がれてるんです。珍しくイタリアが舞台となっている「青銅のイノシシ」ではこんな感じ。

イタリアの月の光は、北欧の冬の曇り日ぐらいのあかるさがあります。いえ、もっとあかるいでしょう。なぜなら、ここでは空気までが光り、かるく上にのぼっていくからです。それにひきかえ、北欧ではつめたい灰色のナマリぶきの屋根がわたしたちを地面におさえつけます。いつかはわたしたちの棺をおさえつける、このつめたいしめっぽい土へおしつけるのです。

やっぱり北欧の人にとって冬の存在というのは、ものすごく大きいんでしょうね。白夜だし...。日本人が考える冬とはまた全然別物なのかも。(しかも私が住んでる地方は冬が緩いですから) とはいえ、そういう南の国の明るさとは対照的な「雪の女王」の美しさも格別なんですけどね。雪というイメージがアンデルセンの中でこれほど美しく花開いている作品は、他にはないかもしれないなあ。「雪の女王」は、アンデルセンの中でも後期の作品なんじゃないかな、とふと思ってみたり。
そして同じように印象に残ったのは、天国の情景。それと共に、死を強く意識させられる作品がとても多いことに驚かされました。アンデルセンは人一倍「死」を身近に感じていたのでしょうか。「貧しさ」と「死」、「心の美しさ」や「悔い改め」といったものが、多分子供の頃の私には大上段すぎて、苦手意識を持つ原因になったんじゃないかと思うんですけが、今改めて読むと、それも含めて本当に暖かくて美しい作品群だなあと思いますね。

私がこの3冊の中で特に好きだったのは、小さい頃におばあさまにエデンの園のお話を聞いて憧れて育った王子が実際にそこを訪れることになる「パラダイスの園」という作品。とてもキリスト教色の強い物語ではあるんですけど、北風、南風、東風、西風が集まる「風穴」のように、どこかギリシャ神話的な雰囲気もあってとても好き。あとは1粒のエンドウ豆のせいで眠れなかった「エンドウ豆の上のお姫さま」や、中国の皇帝のために歌うナイチンゲールのお話「ナイチンゲール」、白鳥にされた11人の兄たちのためにイラクサのくさりかたびらを編むエリザの「野の白鳥」なんかは、子供の頃から好きだし、今もとても好き。でも逆に、子供の時に読んでも楽しめるでしょうけど、大人になって改めて読んだ方が理解が深まるだろうなという作品も多かったですね。思いの他、大人向けの物語が多かったように思います。

第2巻の訳者あとがきに、アンデルセンも最初は創作童話を書くつもりがなくて、例えば「大クラウスと小クラウス」「火打ち箱」といった作品は、アンデルセンが子供の頃に祖母から聞いた民話を元にしたものだという話が書かれていました。確かに第1巻を読んだ時に、他の作品とはちょっと雰囲気の違う「大クラウスと小クラウス」には違和感を感じてたんですが、そういうことだったんですねー。やっぱり明らかに創作といった物語とは、方向性が全然違いますもん。(岩波少年文庫)


+既読のアンデルセン作品の感想+
「アンデルセン童話集」1~3 アンデルセン
「絵のない絵本」アンデルセン

| | commentaire(0) | trackback(0)
Catégories: / / /

 [amazon]
春の朝、冬眠から醒めたムーミントロールは、同じ部屋で寝ていたはずのスナフキンが既に外に出ているのに気づいて、慌てて外へ。外はとてもいい天気で、お日さまが眩しく光っていました。ムーミントロールはスニフを起こすと3人で山を登り始めます。そしてスニフが山の頂上で見つけたのは、真っ黒いシルクハット。スナフキンは自分の緑色の帽子を気に入っていたため、3人はムーミンパパのために家に持って帰ることに。

ムーミンシリーズの2作目。冬の始めに冬眠に入ってから、4月に目が覚めてシルクハットを見つけて、それにまつわる色々があって、夏の終わりにそのシルクハットの持ち主だという噂だった飛行おにがやって来て... というほぼ1年を通してのお話となっています。ということで、今回の話の中心となるのは、不思議な真っ黒いシルクハット。ええと私、シルクハットはムーミンパパのトレードマークかと思い込んでたんですが、違ったんですねー。この作品では、たったの1度、それもほんの短い時間かぶるだけ。ムーミンママに、帽子をかぶらないない方が「おもみがある」なんて言われて脱いでます。スナフキンは自分の緑色の帽子がお気に入りだし、引き取り手のなくなった帽子は、あっさり紙くずかごになってしまうことに。(それもすごい話だよね)

あれだけ大騒ぎして帽子を捨てた割に、島への冒険から帰ってきた後で、なんでまた家に持ち帰って大切に扱うことにしたのかよく分からなかったし... 中に入れた水が木苺のジュースになるから?(笑) まあ、最終的には役に立ったから良かったんですけど、今回はいくつかの点でちょっぴりもやもや、と。読み終えてみれば、最後に飛行おにがやって来てきれいに輪が閉じたとも言えるんですが、途中で焦点がちょっとぼけてて、それが残念だったかな。いずれにせよ、1作目に比べるととても無邪気な作品になってて、そのことにびっくりです。そりゃあ、彗星が衝突するぞ!なんて話に比べたら、どんな話を無邪気に感じられてしまいそうですが~(笑)まあ、童話らしく可愛らしくなったとも言えそう。本当はこっちから入る方が正解なのかもしれないな。(講談社文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「ムーミン谷の彗星」トーベ・ヤンソン
「たのしいムーミン一家」トーベ・ヤンソン
「ムーミンパパの思い出」トーベ・ヤンソン
「ムーミン谷の夏まつり」「ムーミン谷の冬」トーベ・ヤンソン

| | commentaire(2) | trackback(0)
Catégories: / / / /

  [amazon] [amazon]
4月のある朝、アドバセン近くの牧草地を歩いていたマーティン・ピピンは、道端の畑でカラス麦の種をまいている若い男を見かけます。一握りの種をまくごとに、種と同じほどの涙の粒をこぼし、時折種まきを全くやめると、激しくむせび泣く男の名前はロビン・ルー。彼は美しいジリアンに恋焦がれていました。しかしジリアンは父親の井戸屋形に閉じ込められ、男嫌いで嫁にいかぬと誓った6人の娘たちが、屋形の6つの鍵を持ってジリアンを見張っているというのです。マーティン・ピピンはロビン・ルーの望み通り、ロビンの持つプリムラの花をジリアンに届け、代わりにジリアンが髪にさしている花を持ってくるという約束をします... という「リンゴ畑のマーティン・ピピン」。
空が緑に変わりかけ、月や星が出始めた頃。ヒナギク野にいたのは、ヒナギクでくさりを編んでいる6人の女の子と1人の赤ん坊。そこにやって来たのはマーティン・ピピン。自分の子供をベッドに連れに行くためにやって来たマーティンは、6人の女の子たちのために寝る前のお話と歌を1つずつ、そしてそれぞれの子供たちの親を当てることになります... という「ヒナギク野のマーティン・ピピン」

ファージョン再読祭り、ゆるゆると開催中です。今回読んだのは旅の歌い手・マーティン・ピピンの本2冊。2冊合わせて1000ページを超えるという児童書とは思えないボリュームなんですが、読み始めたらもう止まらない! いやあ、もう本当に懐かしくて懐かしくて... 夢中になって読んでいたのは、もっぱら小学校の頃ですしね。本当に久しぶりです。

「リンゴ畑のマーティン・ピピン」は、サセックス州に伝わる「若葉おとめ」という遊戯の元となる物語を語ったという形式の作品。この遊戯は、囚われの姫を助けにきた旅の歌い手とおとめたちのストーリー。古風な歌の歌詞もとても典雅だし、三部構成で、第一部では若葉のもえぎ色、第二部では白と紅、第三部では黄色い服になるという視覚的にもとても美しい遊戯なんです。でもこれ、実はファージョンの創作。
恋わずらいのジリアンを正気に戻すためには、誰も聞いたことのない恋物語を聞かせるのが一番ということで、マーティン・ピピンが6つの物語を語ることになるんですが、この話が本当に大人っぽいんですよね。子供の頃もドキドキしながら読んでたんですが、大人になって再読しても、やっぱりドキドキしてしまうーっ。これはやっぱり子供向けの作品じゃないでしょ... と思いながら読んでいたら、やっぱり違いました。訳者あとがきによると、30歳の男性のために書かれた物語なんだそうです。女性向けではなく男性向けだったというのが意外ですが、確かにこれは30歳の男性でも十分楽しめる物語かと。6つのお話の中で特に好きなのは「王さまの納屋」と「若ジェラード」。そして「オープン・ウィンキンズ」。って、子供の時と変わらないんですけど! そんなに進歩してないのか、私!
お話とお話の間の「間奏曲」では、イギリスの娘たちが楽しむ素朴な遊びや占いの場面もありますし、それぞれのお話の後にはそれぞれの乳搾りの娘と彼氏(なんて言葉じゃ軽すぎる... やっぱり「若衆」でしょうか!)との諍いの原因も告白されたりして、枠の部分も十分楽しめます。

そして「ヒナギク野のマーティン・ピピン」は、その次世代の物語。なんとこちらの聞き手は、「リンゴ畑」の6人の乳搾りの娘たちの子供たちなんです。暗くなってきてもなかなか寝に行きたがらない女の子たちのためのお話と、それぞれの女の子たちの親当てゲーム。「リンゴ畑」では6人の外見の説明がほとんどないせいか、全員の性格の違いを掴むとこまではいかないんですが、こちらは6人が6人とも全然違ってるので、この子の親は誰?というのを通して「リンゴ畑」の6人を改めて知ることができます。
こっちのお話で特に好きなのは、これまた子供の頃と変わらず「エルシー・ピドック夢で縄跳びをする」と「トム・コブルとウーニー」。あーでも「タントニーのブタ」や「ウィルミントンの背高男」「ライの町の人魚」も捨てがたいー。なんて言ってたら全部になってしまうんだけど。エルシー・ピドックのお話は、これだけで独立した絵本にもなってますね。
そして「リンゴ畑」と同じく、間奏曲がまた楽しいんです。子供たちはみんな、マーティンに親を当てられてしまうのではないかとドキドキ。当てられないための駆け引きもそれぞれなら、当てられそうになった時や、大丈夫だと分かった時の反応もそれぞれ。マーティンは結局子供たちの涙に負け続けてしまうんですけどね。間違えたマーティンを容赦なくいじめる方が子供らしい反応かもしれませんが、私としては間違えたマーティンを慰めるような反応の方が子供の頃も好きだったし、今でもそう。って、やっぱり進歩してない私ってば。(笑)(岩波書店・岩波少年文庫)


+既読のファージョン作品の感想+
「ムギと王さま」「天国を出ていく」ファージョン
「年とったばあやのお話かご」「イタリアののぞきめがね」ファージョン
「町かどのジム」エリノア・ファージョン
「リンゴ畑のマーティン・ピピン」「ヒナギク野のマーティン・ピピン」ファージョン
「銀のシギ」エリナー・ファージョン
「マローンおばさん」エリナー・ファージョン
「ガラスのくつ」エリナー・ファージョン
「エルシー・ピドック、ゆめでなわとびをする」「ねんねんネコのねるとこは」エリナー・ファージョン

| | commentaire(0) | trackback(0)

Note


MAIL FORMBBS

購読する ATOM


Powerd by MovableType4.24-ja
Copyright 2004-2011 四季. All rights reserved.