Catégories:“幻想文学1500”

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今まで会った人物の中で一番風変わりだったのは、H町のクレスペル顧問官。学識があり経験豊かな法律家で、有能な外交官でもあり、ヴァイオリン製作にしても超一流。しかしその奇行ぶりは、常に町中の人々の噂の種になっていました... という「クレスペル顧問官」他、全6編の短編集。

「黄金の壷」がどうもすっきりしなかったホフマンですが、こちらは面白かったです。「黄金の壷」はモチーフ的にはとても好きなはずなのに今ひとつだったのが我ながら解せないんですが...。(その後他のバージョンで読んだら面白かったです! 訳が合わなかっただけみたい)
訳者池内紀さんによる解説「ホフマンと三冊の古い本」に、ホフマンの作品ではしばしば鏡や望遠鏡が重要な小道具として登場するとありました。そして「砂男」の「コッペリウス」と「コッポラ」という2つの名前は、どちらも「眼窩」を意味する「コッパ」からきているとも。確かに気がついてみれば、鏡や望遠鏡だけでなく、目玉や眼鏡、窓といったものが、ホフマンの作品では常に異界への扉のように存在してます。その異界に待っているのは「死」。でもその「死」は物質的な冷たい死というよりも、幻想的な詩の世界への生まれ変わるためという感じ... 現実的で常識的な人々にとっては、狂気と破滅にしか見えなくても、そちらの世界に足を踏み入れた人にとっては、それは理想郷なんですよねえ。そしてホフマンは、そのどちらの世界でも生きた人なんですね。だからホフマンの作品の結末には、ちょっと異様な雰囲気を感じさせられることが多いんだろうな。ホフマンの描き出す幻想的な情景はとても美しいんですが、それは薄気味悪い不気味さと紙一重。
どれも面白かったんだけど、私が特に気に入ったのは、山の鉱山の幻想的な情景の美しさが際立っている「ファールンの鉱山」。これはどこかバジョーフの「石の花」のようでもありました。...なんだかんだ言って、幻想的な情景に惹かれてしまう私です。そして「砂男」は、バレエ「コッペリア」の原作となった作品なんですね。でもストーリーはかなり変えられていて、「砂男」の狂気を秘めた悲劇は、すっかり明るく楽しい喜劇となっちゃってます。同じ作品とは思えないわー。(岩波文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壷」「スキュデリー嬢」 ホフマン
「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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昇天祭の日。大学生のアンゼルムスは、市で醜い老婆が商売に出している林檎や菓子の入った籠に突っ込んでしまいます。その辺りにいた子供たちが飛び散った商品に我先にと飛びつき、アンゼルムスは老婆に中身のあまり入っていない財布を渡して逃げ出すことに。せっかくの昇天祭なのに一文無しとなってしまったとアンゼルムスが嘆いていると、ふと頭上の紫丁香花の樹から水晶の鈴のような響きが。そこにいたのは3匹の緑金の小蛇。そしてアンゼルムスはそのうちの1匹に恋をしてしまうのです。それはセルペンチナでした... という「黄金の壷」。
真夜中、サント・オノレ通りにあるスキュデリー嬢の家の戸が激しく叩かれます。それは見知らぬ若い男。侍女が玄関を開けると、外にいる時は哀れっぽいことを言っていた男は家の中に入るなり荒々しくなり、匕首まで持っていたのです。思わず助けを求めて叫ぶ侍女。すると男は小箱を侍女に持たせると、スキュデリー女史に渡して欲しいと言い残して消え去ります。折りしもパリでは宝石強奪事件が相次いで起きていた頃。その箱に入っていたのは見事な宝飾品。当代随一の金細工師・ルネ・カルディラックの作った品だったのです... という「スキュデリー嬢」。

ホフマンの作2つ。「黄金の壷」の方は古本屋で見つけた古い本で、なんと初版が昭和9年! なので当然のように旧字・旧かな使いです。検印もついてるし、題名も本当は「黄金寳壷 近世童話」。でもこれ、面白いことは面白かったんですけど... この作品は、ホフマンの作の中でも傑作とされている方らしいのに、それほどでもなかったんですよね。ホフマンらしい幻想味は素敵なんですけど、肝心のアンゼルムスとセルペンチナの場面が思ったほどなかったからかなあ。もっとこのセルペンチナの一族の話が読みたかったな。この作品では、むしろアンゼルムスに片思いする16歳のお嬢さんの方が存在感があるし、世俗的で面白かったかも。
「スキュデリー嬢」は、ルイ14世の時代を舞台にした作品。ルイ14世はもちろんその愛人・マントノン夫人も、スキュデリー嬢その人も実在の人物。でもこの主人公となるスキュデリー嬢、実は「嬢」という言葉から想像するような若い娘さんじゃなくて、73歳の老嬢なんですね。その年輪が若い娘さんには出せない味を出していて、それが良かったです。そしてこの作品、スキュデリー嬢を探偵役とするミステリでもあります。それほど積極的に事件の謎を解こうとするわけではないし、むしろ巻き込まれた被害者とも言えるんですが... 謎が解けたのも、彼女の推理力のおかげというより、人徳のおかげでしたしね。普通のミステリを期待して読むとちょっとがっかりするかもしれませんが、期待せずに読むと、ほのぼのとした時代ミステリ感が楽しめるかと。

でも「スキュデリー嬢」はともかく、自分が「黄金の壷」をちゃんと読み取れてるのか気になる... 丁度、古典新訳文庫でこの組み合わせが出てたし、そちらも読んでみようかなあ。(岩波文庫)


+既読のホフマン作品の感想+
「クルミわりとネズミの王さま」ホフマン
「悪魔の霊酒」上下 ホフマン
「黄金の壺」「スキュデリー嬢」 ホフマン

「ホフマン短篇集」ホフマン
「黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ」ホフマン

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スイスの小さな町・ヴェヴェーのホテル「トロワ・クロンヌ」に滞在している伯母の見舞いにジュネーヴから来ていたアメリカ人青年・ウィンターボーンは、このホテルに母親と弟、従僕と共に滞在していた若く美しいアメリカ人のデイジー・ミラーに出会います... という「デイジー・ミラー」。そして、夜になると暖炉のまわりに集まり怪談に聞き入る人々のためにダグラスが話すことになったのは、妹の家庭教師だった女性が体験した出来事。彼女は20年前に亡くなっているのですが、死ぬ前に、初めて家庭教師をした屋敷で起きた出来事を原稿に書き、ダグラスに送ってきていたのです...という「ねじの回転」の2編。

先日新潮文庫で読んだ「ねじの回転」の訳が今ひとつだったなあと思っていたら、kotaさんが岩波文庫の訳が一番しっくりきたと教えて下さったので、早速リベンジ。確かにこっちの方が全体的に訳が滑らかで読みやすかったです! やっぱり文章に気をとられないと、その分純粋に楽しめますねー。でも訳を細かく見比べる気なんていうのは毛頭なかったし、最初から最後まで通して読むだけのつもりだったんですけど、「あれ、ここって...?」と不思議になったところがいくつかあったので、結局その辺りだけちょっと見比べてみることに。そしたらこれが相当違っててびっくりです。
例えば、家庭教師となった彼女が学校の校長からの手紙を家政婦に渡そうとした場面。

字が読めないのです! しまったと思い、なんとかとりつくろい、書簡を開いて彼女に読んでやりました。それから、途中でつっかえたこともあって、結局、折りたたんでポケットにしまうことになりました。(岩波文庫)

わたしの相談相手は字が読めないのだ! わたしはへまをしてしまってたじたじだったが、でも出来るだけとり繕おうとして、また手紙をひらいた。そして彼女に読んで聞かせようとしたが、いざとなるとまたためらわれて、もう一度それをたたみ直し、ポケットに戻した。(新潮文庫)

違いますよね。結局、彼女は手紙を読んだのでしょうか。それとも読まなかったのでしょうか...?(笑)

前回読んだ時も、下男と前任の家庭教師のことは大体分かってたつもりなんですけど(新井潤美さんの「不機嫌なメアリー・ポピンズ」を読んだしね →感想)、岩波文庫では先に「デイジー・ミラー」が入っているので、ここで階級とか男女の付き合いのことに関するヴィクトリア朝風の道徳観が読者の頭にしっかりインプットされるんです。確かにこの構成は技アリだなあ。

そしてそのデイジー・ミラーも面白かったです。こちらは登場するのはアメリカ人ばかりなのに、舞台は歴史と伝統のあるヨーロッパ。主人公の若者は常識的な紳士だし、その伯母さんは社交界で地位のある人物。でもミラー家は裕福なんだけど、ニューヨークの社交界では低く見られる存在。デイジー自身も、とても美人なんだけど教養はないと見なされてます。男性と2人でも気軽に外出するデイジーに、アメリカ上流階級の婦人たちは眉をひそめるんです。
アメリカ人たちがニューヨークの社交界とそこの価値観をヨーロッパにそのまま持ち込んでいるというのが、なんか可笑しいんですよね。みんな自由気侭なデイジーのことをアメリカの面汚しだって考えてるんですけど、実際にヨーロッパの社交界の人々はどう思うのかしら? アメリカの社交界のことなんて、実は洟も引っ掛けてないんじゃないかしら。だからこそ、ここまで頑張っちゃうのかもしれないなー。(岩波文庫)


+既読のヘンリー・ジェイムズ作品の感想+
「ねじの回転」ヘンリー・ジェイムズ
「ねじの回転・デイジー・ミラー」ヘンリー・ジェイムズ

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貧しい牧師の家に育ったルシアン・テイラー。学校の休みの期間に牧師館の近隣の見晴らしのいい場所を見つけようと歩き回り、空の凄まじい赤光に目を奪われ、人の通らなくなった暗い小径を歩き回り、ローマ人が大昔に作った砦を眺めます。書物が好きで、様々な文学を読んで成長したルシアンは、やがて円い小山の秘密や秘境の谷の魔法、葉の落ちつくした林の中を赤い渦を巻いて流れる小川の音などを英語の散文に移し変えたいと、少しずつ書き始めることに。

「空にはあたかも大きな溶鉱炉の扉をあけたときのような、すさまじい赤光があった」という文章から始まる物語。その「赤い光」は作中に時々登場し、最後の最後までとても印象に残ります。
これはアーサー・マッケンの自伝的作品なんでしょうね。文学少年のルシアンが、自分の家の周辺の景色の美しさに気づき、その感動を文字に書き留めようとします。出版社に送った原稿は結局盗作されてしまうのですが、それでも書き続けるルシアン。ルシアンの持っている理想は現実から乖離してるし、ルシアン自身がルシアンの幻想の世界に生きているようで、ものすごく現実感がないんです。これは結局、現実と理想のあまりのギャップの大きさにルシアン自身が耐え切れなかった、ということなのかしら。ルシアンの書く言葉、そして作り出す文学はその橋渡しになるものというよりも、幻想を支える土台のようなものだし... 現実と向き合うための盾のようなものですね。そして読んでいる私も徐々に現実感を失ってしまうことに...。
場面場面の描写はとても印象に残ってるんですが、でもそれが頭の中で1つの流れとはならなくて、バラバラに存在してるみたいな感じなんです。今ひとつ掴みきれなかったのが残念なんですが、なんだか不思議な作品だったなあ。

作家の朝松健さんのこのお名前ってアーサー・マッケンからなんですかね?(創元推理文庫)

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市街の中心地に深く入り込んだところにあるアミール・ナトハ横丁。そこに住む若く美しい寡婦・ビセサは、ある日イギリス人のトレジャゴがまぐさに躓いて転ぶのを見て、窓の奥で笑い声をあげます。咄嗟に「千夜一夜」の「ハル・ダイアルの恋歌」を歌い出すトレジャゴ。小さな声ながらもその歌を見事に歌い継ぐビセサ。そして翌日、トレジャゴに謎めいた包みが届くのです。それはビセサからの謎かけ。トレジャゴはその夜ビセサのもとに赴き、2人は愛し合うようになるのですが... という「領分を越えて」他、全9編の短篇集。

常にインドが背景に存在するキプリングの作品。そしてそのインドの深みが結構怖いんですよね。以前読んだ「獣の印」(感想)も結構怖かったし、上にあらすじを書いた「領分を越えて」も強烈な作品です。義兄にそこまでする権利があるのか? いや、インドではあるのか...? なんて思いつつ。あと「モロウビー・ジュークスの不思議な旅」も、キプリングならではのインドですね。インドの奥の深い迷宮のような部分がとても印象に残ります。

私が気に入った作品は「めえー、めえー、黒い羊さん」。これは、キプリング自身の幼い頃を描いた自伝的な作品なのだそう。「黒い羊」というのは厄介者という意味ですね。There's a black sheep in every flock... どこにでも厄介者はいる、みたいな意味のことわざ。両親と一時的に別れて暮らすことになった幼いパンチとその妹・ジュディなんですが、引き取られた家でパンチは文字通り「黒い羊」となってしまいます。ジュディはみんなに気に入られるのに、パンチ1人ローザ叔母さんとその息子ハリーにいじめられる日々。パンチ視点の物語なので、ローザ叔母さんがどうしてそこまでパンチが嫌いになったのかは分からないんですが。
最終的には仲介してる人が相当まずい状態になってるのに気づいて、2人の母親が迎えに来ることになるんですけど、パンチはその愛情も信じられないんです。夜、部屋に入って来た母親を見て「暗い中をやって来て叩くなんて卑怯だ。ローザ叔母さんだってそんなことはしなかった」なんて思うほどですから。これはお母さんにしてみたらショックですよね...(どんな理由があるにせよ、5年も放置してる方にも責任はあると思いますが) そしてそちらもインパクトが強いんですが、妹のジュディの方も案外、ね。ローザ叔母さんがあれだけ手懐けてたのに皮肉だわ~。まあ皮肉といえば、そんな兄妹にパンチとジュディなんて名前がつけられてるのが一番の皮肉なのかもしれませんが。
あと、色んな物語を作り出すのが大好きな主人公が不思議な夢をみる「ブラッシュウッド・ボーイ」も好き。この作品もキプリング自身を投影しているのかしら。なんて思ったんですけど、どうなんでしょうね。(岩波文庫)


+既読のキプリング作品の感想+
「プークが丘の妖精パック」キプリング 「夏の夜の夢・あらし」シェイクスピア
「少年キム」ラドヤード・キプリング
「キプリング短篇集」キプリング

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高貴な英国貴族の広大な屋敷に生まれ育ったオーランドー。エリザベス一世と血縁であり、大層気に入られていたオーランドーは美しく成長して宮廷に出仕。領地や屋敷、ガーター勲章を賜り、女王行幸の際には必ずお供することに。しかしロンドンの宮廷で出会ったロシアの姫君との恋愛、そして破局の後、オーランドーは屋敷に戻って読書に耽り、数多くの劇や詩を書くことになります。

文庫本の裏表紙の説明に

オーランドーとは何者? 36歳の女性にして360歳の両性具有者、エリザベス1世のお気に入りの美少年、やり手の大使、ロンドン社交界のレディ、文学賞を受賞した詩人、そしてつまりは... 何者? 性を超え時代を超え、恋愛遍歴を重ね、変化する時代精神を乗りこなしながら彼/彼女が守ってきたもの。...

とあるので、SF作品なのかと思って読み始めたんですが、全然そうではありませんでした。(良かったー) むしろ歴史小説ですね。でもオーランドーはエリザベス1世(1533-1603)の時代に生まれて、20世紀になるまでずっと生き続けることになるんですけど、時代はオーランドーが執筆に没頭していたり、7日間ほど目覚めないといった状態の間にごく自然に移り変わっちゃうし、周囲のメンバーもそのままなので、その時代時代の風物や流行が入れ替わるだけ。ごく自然な流れの話として読めてしまうほど。オーランドーがそれらの時代の移り変わりの生き証人となっている物語とは言えそうですが。

その300年以上に渡る時代の流れが何を表しているかといえば、オーランドーの家のモデルとされるサックヴィル家人々の歴史であり、ヴァージニア・ウルフと同時代のサックヴィル家の1人娘、そして女流作家となったヴィタ・サックヴィルの生涯なのだそうです。少年の頃のオーランドーや、まだ男性で大使をしていた頃のオーランドーの肖像画、そして女性となった後のオーランドーの写真が出てくるんですけど、その写真はヴィタの写真だし、肖像画はヴィタの祖先の肖像画とのこと。(どれも同一人物としか思えないほどそっくりですよー)
そしてこの300年は、エリザベス朝以降の英文学の流れも表しているのだそう。この英文学の流れがまたとても面白いんですよね。大学の英文学史の授業で名前を習ったり実際に作品を読んだ詩人や作家が次々と~。エリザベス朝の文学は、女性とは無縁で、シェイクスピアの劇のヒロインも演じたのは少年たち。そして男性に生まれたオーランドーが突然女性になってしまったのは、エリザベス朝が終わり、英文学に女性が登場するようになった17世紀末頃。確かにとても意図が感じられますね。
そしてオーランドーは男性の時も女性になってからも、名前は変わらずオーランドー。私としては「狂えるオルランド」(シャルルマーニュ伝説に出てくる騎士・ローランと同一人物)が真っ先に思い浮かぶんですが、やっぱりその線が濃厚のようで~。この作品でオーランドーの恋のお相手となるロシアのお姫様のポートレートは、ヴァージニア・ウルフの姪のアンジェリカのものだそうだし。アンジェリカといえば「狂えるオルランド」に出てくる異国のお姫さま! ほかにも色々な含みがあるみたい。作品そのものもすごく面白かったんだけど、そういう色々なことを教えてくれる訳者の杉山洋子さんによる解説「隠し絵のロマンス -伝記的に」もとても良かったです。(ちくま文庫)

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ちっぽけなぼろ小屋からトレーラーいっぱいになるほどの荷物が出てくるのに驚いたアート・スリックは、2時間ほどその光景を眺めた後で、ジム・ブーマーを連れてその奇妙な地区へと向かいます... というR.A.ラファティ「われらの街で」他、全15編の短篇集。

お金では買えないものをお金で売ってくれる「魔法の店」。ふとしたことから店に迷い込むことはできても、一旦商品を買って店を出てしまえば、二度と戻ることができないかもしれない店。そんな魔法の店の物語を集めたアンソロジー。ファンタジー作品に登場する魔法のお店は大好きなので、以前からとても読みたかった1冊。それぞれの短篇につけられた荒俣宏さんの文章がまた素敵なんですよねえ。15編中、稲垣足穂「星を売る店」、ハーヴィ・ジェイコブズ「おもちゃ」、H.G.ウェルズ「魔法の店」、クリスチーナ・ロゼッティ「小鬼の市」は既読。(「小鬼の市」を読むのは、今年3度目! でも3回とも違う訳者さん)
特に好みだったのは、上にもちらっとあらすじを書いたR.A.ラファティの「われらの街で」。ちっぽけな小屋からその何倍もの大きさの品物が出てきたり、公認代書屋はタイプライターもないのに口述筆記をしていたり、隣のビアホールでは冷蔵庫もないのに注文した通りのビールがよく冷えた状態で出てきたり... でもその銘柄のスペリングが間違えていたり。ここに登場する奇妙な人々はあくまでも自然なことのように魔法を使ってるし、アートとジムに質問されても堂々と話をはぐらかしてるのが可笑しいんです。
H.G.ウェルズ「魔法の店」のような純正の魔法のお店はちょっと怖いんですけど、不思議な品が埃をかぶって置かれてるようなヤン・ヴァイス「マルツェラン氏の店」みたいな店には行ってみたくなっちゃう。いつかそんなお店がある横丁に迷い込んでみたいなあ... でもそんなことになったら、もう帰って来られなくなっちゃうかもしれないなあ。(ちくま文庫)

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