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兄に冴えない容姿をからかわれて育ったソーネチカは、幼い頃から本の虫。7歳の時から27歳になるまでの丸 20年間というもの、のべつまくなしに本を読み続け、やがて図書館専門学校を卒業すると、古い図書館の地下にある書庫で働き始めることに。そんなソーネチカがロベルトに出会ったのは、第二次世界大戦勃発後に疎開したウラル地方のスヴェルドロフスクの図書館でのことでした。それまでは一生結婚する気などなかった47歳のロベルトは、ソーネチカに運命を感じて結婚を申し込むことに。

主人公は、幼い頃から本が大好きで読んでばかりいたというソーネチカ。彼女がここまで自分のことを客観的に受け止められるようになったのは、本を沢山読んで育ったことに関係あったんでしょうか。13歳の頃の失恋も関係していたんでしょうか。もちろん元々の性格というのも大きいんでしょうね。でもここまで幸せな人生を送れたのはソーネチカだからこそ、というのだけは間違いないです。ロベルトとの結婚後に何度も「なんてこと、なんてこと、こんなに幸せでいいのかしら...」とつぶやくことになるソーネチカ。経済的には貧しくとも、どれほどの困難が先行きに待ち受けていようとも、今の状態に感謝して、周囲の人々にも愛を惜しまない女性。これほど精神的に豊かな女性って、なかなかいないでしょうね。修道院のシスターにだって、ここまでの女性はなかなかいないんじゃ...。そしてそれこそが、彼女の幸せの源。
そんなソーネチカに晩年降りかかった出来事は、他の人間には災難としか言いようのないものなんですが、ソーネチカにとってはそれもまた神に感謝すべきもの。こんな風に物事を受け止めることができれば、どれほど幸せか...。実際、ソーネチカの幸せな一生はソーネチカ自身が獲得したもの、と言い切ることができます。彼女には本当の強さがあるし、大きな愛情の持ち主には、おのずと大きな愛情が返ってくるものなのでしょう。幸せとは人にしてもらうものでも、人に頼ってなるものではなくて、自分自身でなるものだ、ということを改めて認識させられます。静かな余韻が残る幸せな作品です。(新潮クレストブックス)

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妹のマラーが亡くなった知らせに、サラの母・マリアムは嘆き悲しみます。ロンドンに住むマリアムは、テヘランに住むマラーに1年以上会っていなかったのです。マラーの夫が既に再婚していたこともあり、マラーの一番下の息子のサイードがロンドンへとやって来て、15年前にサラが家を出るまで使っていた部屋に落ち着くことに。しかしサイードは学校に通い始めるたとたん、いじめられ始めていました。授業時間中にショッピングモールで途方にくれていたサイードは警察に保護され、サラとマリアムは迎えに行くのですが、その後入ったパブでマリアムはサイードにいきなり平手打ちを食らわせます。店を出ると橋から飛び降りようとするサイード。そしてサイードの身体を引き戻そうとしたサラは腹部を蹴られ流産。ショックを受けたマリアムはしばらくイランへと帰ることに。

「ずいぶん長いあいだ二つの場所のあいだにいたような気がする」というマリアム。彼女の中にあるのはロンドンでの現在とイランでの娘時代。そしてイランを知らない娘のサラ。2人の物語が交互に進んでいきます。
青いタイルを並べたような表紙が印象的な本ですが、サフランといえば赤。サフランを使った料理は黄色くなりますけど、サフランのめしべ自体は赤。キッチンの壁を塗ろうとした時に、サラとサイードが2人でサフランの色を表現し始める場面が素敵。「夕焼けみたいに真っ赤」「切り傷つくっちゃったときの血の色」「お母さんの指先についたヘナ」「トルバートゥの土か、ゴセマールバートの土」「溶岩の色」「水ギセル(フーカ)の燃えさし」「ケシにザクロ」... どの表現からも想像できるのは深い赤。サフランの赤は、きっとイランの赤なんでしょうね。

でも半分はイギリス人でイランには行ったことのないサラでも、そんな風にサイードと色の感覚を共有できるのに、マリアムはイギリス人の夫・エドワードとは言葉も記憶も分かち合えない夫婦だと感じてるんです。長年の夫婦生活の中でエドワードの穏やかさにきっと何度も救われてるでしょうに...。妻であり母である前に1人の人間、というのは誰にでもあると思いますが、マリアムはその傾向が人一倍強いです。普通だったら、年齢を重ねるにしたがって、石の角が少しずつとれていくような感じになりそうなものなんですが、マリアムの場合は革命で肉親を失ってるし、祖国から遠く隔てられてしまうことによって、そういう感情が人一倍強く残ってしまったのかも。でも、イランで一般的に女性が求められる役割を拒否することによって、マリアム自身が彼女の横暴な父親そっくりの人間になってしまったように感じられるのが皮肉です。...で、そういった昔ながらのイランの家族のあり方などもとても興味深く読みました。これを読むと、先日読んだ「テヘランでロリータを読む」は、やっぱり浅かったように思えてならないなあ。
でもね、終盤近くまでは良かったと思うんですけど、サラとマリアムが再会した辺りからは、なんだか妙に浅くなってしまったような... いきなり都合のいい話になってしまったようで、それがちょっと残念です。(新潮クレストブックス)

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ニューヨークから北へ50分ほど離れた美しい町・ベドリー・ランに住んでいるフランクリン・ハタ。彼はアメリカに留まることを決意した日本人。新聞の短い三面記事で新しくできた町のことを知り、どこか惹かれるものを感じて、30年以上前にここに医療用品や医療器具を扱う店を開いたのです。引越し当時は誰も知っている人間がいなかった彼も、誰にでも知られている存在。現在は70歳も過ぎており、既に店は売却しているものの、親しみやすさから敬意を込めて「ドク」「ドク・ハタ」と呼ばれており、そんな町の空気を有難いものとして受け止めてきていました。

ドク・ハタが日々出会う人々との話から過去のこと、養女のサニーとのこと、一時期親しかった未亡人・メアリー・バーンズのこと、第二次大戦中に医療助手として軍医について任務についていた時のことなどを回想していきます。
この作品のタイトルは「A Gesture Life」。作品の途中で「体裁」という言葉に「ジェスチャー」というルビが振られていました。「生活のぜんぶを体裁と礼儀でつくりあげてる」... というのは養女のサニーの言葉。序盤から自分のことを人望のある「親切なドク・ハタ」で、町一番の大きさではないものの、立派な美しい家に住んでいることをさりげなく強調するドク・ハタなんですが、やっぱりこれも一人称ですからね... 反抗期に入ったサニーがドク・ハタに向ける言葉がとても辛辣。確かにドク・ハタは自分の評判や立場を作り上げ、常にそれを守るために行動してるし、それは彼を一見人格者のように見せてるんだけど... でもこれも在日朝鮮人の子供として生まれて日本人の養子となり、アメリカでは日系アメリカ人として暮らすことになったドク・ハタにとっては、一種の防衛本能だったんじゃないかと思うんですよね。誰も傷つけたくないという優しさは優柔不断と紙一重だし、結局彼は大切な人間を傷つけて失ってしまうことになるのですが。選択をしないというのも、1つの立派な選択ですものね。そして彼の一番の不幸は、それでもドク・ハタが傍目には不幸な人間には決して見えないことだったのかもしれません。失ったものに対して罪の意識を持ち続け、そして常に自分が外部者であることを意識し続け、その最後の場所を失うことを心の奥底で怯えているドク・ハタの姿が切ないです。

チャンネ・リーは韓国人従軍慰安婦のことを全く知らずに育ち、ある時知って、大きな衝撃を受けたのだそう。そして韓国人従軍慰安婦だった女性に長いインタビューをして、最初はその女性を中心とした作品を書こうとして、でもそれでは真実も深みも全く足りないのに気づいて、このドク・ハタの物語としたのだそうです。確かにドク・ハタの目を通して従軍慰安婦を見ることによって、その問題を生き生きと蘇らせているような気がしますし、同時にそれによってドク・ハタの認識の甘さも露呈されることになってるんですね。(新潮クレストブックス)

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イダが生まれた時、エレンは既に4人きょうだいでした。長女のビリー、長男のケスター、次女のエレン、そして赤ん坊のカルロス。母のマルヒェは、自分が1人っ子の家庭に育って嫌な思いをしていたので、笑いと喧騒にあふれた家を幸せな家庭としてイメージして、子供を6人欲しがっていたのです。両親がアメリカに関する文献を専門に切り抜き資料として保存するファン・ベメル事務所をしていたために家中が天井まで届く資料棚と黄ばんだ紙の臭いで溢れかえり、家の中は賑やかさに包まれていました。しかし生まれたイダに吐き癖があり、1日中むずかって泣き叫び、母もイダにミルクを飲ませられないほど衰弱していたため、徐々に「幸せな家庭」の歯車が狂い始めます。

絵に描いたような幸せな家庭を襲う悲劇。物語が始まった時から、何とも言いようのない緊張感をはらんでいて、その予感通りに暗い方向へと突き進んでいきます。でもその核心が何なのか正体はなかなか見せないままに、エレンが12歳だった頃の物語と約30年後の現在の物語が交互に進んでいきます。30年後のエレンは解剖医。妊娠中にもかかわらず離婚して、かつて自分が少女の頃に住んでいた家に戻ってきています。
家族の中で一番利発だったエレン。難しい言葉を使うのが大好きで、時には生意気としか思えない発言をするエレンなんですが、それでもまだ12歳。それでこんな衝撃を体験することになったというのが... 利発だからきちんと全てを見届けてるんですけどね...。現代の読者が読めば、その時何が起きていたのかほぼ予想がつくと思うんですが、この頃はそういう概念すらなかったんですね。しかも今なら12歳の子供が家のことを他人に相談できる専門の場所もありますけど、この頃は全然だったはず。こういった物語はそこかしこにあったのかも。
最後に彼女が自分のイデ=ソフィーの名前を託す場面が良かったです。ようやく救われた気がします。(新潮クレストブックス)

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1779年、55歳でスコットランドのモイダートから新世界へと渡っていった男がいました。それはキャラム・ムーア。ケープ・ブレトンに行けば土地が手に入るというゲール語の手紙を受け取っていたのです。航海中に妻は病死するものの、12人の子供たちと長女の夫、そして犬は無事に新大陸に辿りつきます。そして「赤毛のキャラムの子供たち」と呼ばれる子孫たちが徐々に広がっていくことに。そしてその曾孫のさらに孫の時代。矯正歯科医をしているアレグザンダーは、かつては誇り高い炭鉱夫だったのに今は酒に溺れる兄・キャラムを週に一度訪ねるのを習慣にしていました。

寡作なアリステア・マクラウドの唯一の長編。短編を2冊読んで、この長編を読んでいるわけなんですが、短編の名手と言われるだけあって長編よりも短編の方がいいのかしら、なんて思いながら読んでたんです。長編好きで短編が苦手の私にしてはちょっと珍しいんですが、短編の方が読みやすかったし。でも最後まで読んでみると、やっぱりいいですね。色んなエピソードがいつの間にかその情景と共に脳裏に刻み込まれていたのを感じました。これがアリステア・マクラウドの底力なのかも。

スコットランドからカナダへとやって来たキャラム・ムーアとその子供たち。そして幾世代を経てもそれと分かる「クロウン・キャラム・ムーア(赤毛のキャラムの子供たち)」の一大叙事詩。語り手となっているのは、現在矯正歯科医をしているアレグザンダー。彼も双子の妹も今は裕福な暮らしを送ってるし、「ギラ・ベク・ルーア(小さな赤毛の男の子)」なんて呼ばれた頃の面影はあまり残ってません。ゲール語も理解するけれど、祖父母の世代にとってのゲール語とはまた違うし、ハイランダーとしての彼らは失われつつあるんです。時が流れているのを実感。でも読んでいると、まさに「血は水より濃し」だと感じさせられられる場面がとても多くて。
一族のルーツとその広がりを描くことによって、キャラム家の持つ底力と言えそうな強さや、歓び、哀しみが滲み出してくるみたい。何度か登場する犬のエピソードのような、情が深く真っ直ぐながらも不器用なその生き様。そしてやっぱり読んでいて一番印象に残ったのは、犬のエピソードですね。特にスコットランドからカナダへと向かおうとする彼らを追いかけてきた犬の話。あとは一働きしてくれた馬に燕麦をやる話とか... あと好きだったのは、まるで正反対の気質を持つ父方の祖父と母方の祖父のエピソード。2人とも本当に素敵だったなあ。(新潮クレストブックス)


+既読のアリステア・マクラウド作品の感想+
「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
「冬の犬」アリステア・マクラウド
「彼方なる歌に耳を澄ませよ」アリステア・マクラウド

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本当はひとりっ子なのに、長い間兄さんがいるつもりになっていた「ぼく」。自分で作り出した悲しみや恐怖を分かち合う相手が必要で、長い間ハンサムで力強い「兄さん」に助けてもらっていたのです。しかしそんなある日、「ぼく」はついに1人きりではなくなります。屋根裏部屋に積み重ねられた古いトランクの中にベークライトの目をしたほこりっぽい小犬のぬいぐるみが出てきたのです。そして「ぼく」は15歳の時に、その小犬にまつわる話を聞くことに。

フィリップ・グランベールの自伝的作品。実際、彼が自分の家族にまつわる秘密を知ったのは、この本と同じく15歳の頃だったんだそうです。本職は精神科医という作家さん。
ここに描かれているものはとても重いものなんですけど、最初から最後まで終始淡々とした感情を抑えた文章で書かれていました。簡潔な文章の積み重ね。でも物凄く簡潔なのにその奥には色んな感情が詰まってて、ふとした拍子に零れ落ちてきそう。...なんて思いながら読んでいたら、フィリップ・グランベールはこの作品を2ヶ月ほどの間に夢中で書き上げたものの、最初書いたものは文章が感情に流されていて使い物にならなかったんだそうです。疲れ果て体調を崩しながらも書き直し続けた時、最後に「残ったのは骨の部分だけでした。結局それだけが必要だったのです」... その言葉には本当に納得。
特に印象に残ったのは、最初は自分で作り出した悲しみに浸っていた主人公が、ルイーズのおかげで両親の物語を再構成すると、今度は口をつぐみ、逆の立場になったこと。...でも他人の悩みを聞き、その悩みから解放する精神分析医という仕事をしながらも、自分の悩みから解放されるには、こうやって書くという行為が必要だったのかなあ。なんて感慨深く思ってみたり。(新潮クレストブックス)

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ノックの音がしてキャスリンが目覚めたのは午前3時24分。夫はロンドンに行ってて留守、娘のマティは自分の部屋で寝ているはず。キャサリンはゆっくり起き上がって階下に降り、裏口のライトをつけます。そこにいたのは見知らぬ男。「ミセス・ライアンズですね?」と言われた瞬間、彼女は何が起きたか悟ります。パイロットである夫の操縦する飛行機が墜落したのです。それはアイルランド沖での出来事でした。

結婚16年目。15歳年上の夫・ジャックと15歳の娘・マティとの幸せな生活に突然起きた出来事とは、旅客機の墜落事故。その事故で100人以上の乗客が亡くなり、様々な憶測が飛び、残されたキャスリンと娘のマティに様々なことが降りかかってくることになります。
少しずつ読み進めている新潮クレストブックスですが、去年は手に取るのがばったり止まっちゃってたんですよね。それはこの作品で躓いていたせいだったのでした。なんとなく古い順から読んでいて、この本は文庫落ちしてるので文庫を買ってたんですけど、飛行機事故の話がどうしてもダメな私。(ついでにいえば、地震物もダメ) しかも本からなんだか苦手そうだなという匂いがぷんぷんと...。いや、それならそれであっさり飛ばしてしまえばいいようなものなんですが...。(それなのになんで買うんだ、私ってば)

で、実際読んでみて。やっぱり思ってた通りの作品でした。この展開も、やっぱり好みじゃなかったです。それでも一気に読ませられる作品ではありましたけどね。
良く知っているはずの人間が知らない面を持っているなんてよくあることだし、いくら一緒にいる時間が長くても、血が繋がってたとしても、1人の人間を完全に理解できたと思うなんて、やっぱり驕りだと思うんですよねえ。(新潮文庫)

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