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南北戦争末期。ピーターズバーグで首に銃弾を受け、瀕死の重症を負った南軍兵士のインマンは、仲間の兵士たちや医師が手の施しようがないと判断したにも関わらず野戦病院まで生き延び、さらに出身州の正規の病院に移される間も生き延びて、ようやく傷が治り始めます。何週間もかけて少しずつ良くなってきたインマンは、今ではベッドで本を読んだり、外を眺めたりする日々。そんなある日、自分が病院から町まで歩けることを確認したインマンは、夜中に目を覚まし、恋人だったエイダの待つコールドマウンテンの町を目指して病院から脱走することに。

南軍から脱走し、追っ手から逃れながらひたすらコールド・マウンテンに向かうインマンと、牧師だった父を失って経済的に破綻し、ルビーという少女と共に暮らしを立て直そうとするエイダの2つの物語。恋愛小説ではあるんでしょうし、南北戦争をめぐる人々のドラマでもあるんでしょうけれど、そういった人間ドラマよりも、いろんな土地や自然の美しさや厳しさが印象に残った作品でした。特に、すっかり荒れてしまった自分の農場を、自給自足できるまでに作り変えようと決意したエイダの目に映る自然の情景が魅力的。チャールストンの上流階級に生まれて、女性には十分すぎるほどの教養を持っていて、でも「生きる」ということは今まで銀行でお金を下ろしてくること程度の認識しかなかったエイダなんですけど、ルビーという少女に助けられて徐々に強く逞しく生まれ変わってくるんですよね。となると、当然このルビーも魅力的なわけで...。教養としての学問こそ全くなくても、生きるための知識をたっぷりと持っていて、バイタリティに溢れているルビーは、主役の2人よりも存在感があるし素敵なんです。生きるというのは、本来こういうことなのね。ええと、逃亡中のインマンも、生き延びようとしているという意味ではエイダたちと同じだし、そこには様々な人間との出会いや別れ、そしてドラマがあるんですけど、日々の生活の中で着実に何かを作り上げつつあるエイダとルビーの方が前向きだし、読んでいて楽しかった。もちろん、インマンのパートがあるからこそ、エイダとルビーのパートが引き立っていたというのもあるのだけど。でもやっぱり光っていたのはルビーだな。(新潮文庫)

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この3年ほど三日月湖の120cm四方の水面を見続けていた91歳のルイスは、その日も高価な海釣り用の竿を持って立っていました。そこに現れたのは、自称飛行貴族の老アルリッチ、昔からこの入り江に住んでいるシドニー・ファート、稀代の嘘つき野郎・ピーター・レンといういつものメンバー。4人は今までにできずに後悔したことの話を始めます。そしてミセス・ウーテンが現れて... という「老いの桟橋」他、全16編の収められた短編集。

アメリカ南部を代表する作家だというバリー・ハナ。処女長編ではウィリアム・フォークナー賞を受賞して、作家としての地位を早くも確立、現在はミシシッピー大学で創作を教えているのだそうです。でも、一応最後まで読んだんですが... うーん、最初から最後まであまり楽しめなかったです。老いや死をテーマに扱った作品が多くて、毒が強いんですよね。訳者あとがきには「きっとハナは、人間の生を逆転した地点から眺めてみたかったのではないだろうか」とあるし、確かにその通りかもしれないなあとは思うんですが...。こういう作品が好きな人にとっては堪らないのかも。強いて言えば、「老いの桟橋」「ふたつのものが、ぼんやりと、互いに襲いかかろうとしていた」「よう、煙草と時間とニュースと俺のメンツはあるかい?」「ニコディマスの断崖」辺りは、比較的受け入れやすかったように思うんですが。(新潮クレストブックス)

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ヨークシャーの田舎で開業医をしていた父は、チャンスさえあれば、ちょっとしたズルやイカサマをするのが大好きで、お金と時間を節約しようとするような人間。時には鬱陶しい思いをしたり、怒りを感じたりもしたものの、その父が末期癌であることが分かり、「僕」は思いがけないショックを受けます。死に行く父を見つめながら、父との思い出を語るエッセイ。

読む前は、癌の闘病記のようなものを予想していたんですが、実態は全然違っていて、父と子の回顧録でした。父親のケチでズルいところ、息子に負けたがらないようなところ、いつまでも息子の人生に口出ししたがるところなど、苦々しく思っていた数々のこと、そんな父親から逃れるために、父親がまるで興味を持っていないサッカーをやり、聖歌隊に入り、医者にはならずに文科系に進んだ自分のこと。そこから浮かび上がってくるのは、どうしようもない俗物のように見えても、根は憎めない人間である父の姿。お互いの女性関係のことまで洗いざらい、乾いた文章で苦笑い交じりに書かれている感じなので、とても読みやすいです。でも訳者あとがきによると、これは最初から本にするために書かれた文章ではなくて、予想以上に衝撃を受けている自分自身のセラピーのために書かれた日記やメモだったのだそう。そうだったのか、ああ、なんだか分かる気がする... いろんな文章から、受けている衝撃の大きさが迫ってきます。(新潮クレストブックス)

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ヨーが幼稚園の頃に、両親は離婚。母は通りを2、3本へだてた所に引越して、「わたし」は売れない作家の父と家に残ります。父はやがてエリアーネという女と再婚するのですが、いつもキッチンにいてオレンジをむき、煙草を吸い、ナッツを盛大に食べ、癇癪を起こしていたエリアーネは、いつの間にか家を出ていました。やがて母も、アロイスという男と再婚して遠い町へいくことに。そして12年後、ヨーは母に再会します。

ゾエ・イェニーの両親も3歳の時に離婚していて、父親はバーゼルで出版社を経営、かなり自伝的な要素の強い作品のようです。でもイェニー自身は、作中のヨーと同一視されることを当惑しているのだとか。訳者あとがきに、吉本ばななを愛読していると書いてあって、そう言われてみると、確かに吉本ばななさんと共通するところがあるみたいです... 「家族」とかね。でも、その表現方法はまるで違いますね。一番違うのは、感情の扱い方でしょうかー。この作品、主人公のヨーの感情がまるで描かれていないんです。訳者あとがきによると、それは、ヨーがつねに「ある感情のなかで」「感情のまっただなかに身を置いて」語るからだ、とのこと。確かに文章は簡潔すぎるほど簡潔だし、淡々と静かに事実を書き連ねていくだけで、ヨーの感情なんて全然書かれてないんですが、そこにずっと漂い続けているのは圧倒的な孤独感。孤独感が強すぎて、他の感情がすっかり色褪せてしまったのかも...。父親と、あるいは母親と一緒にいながら、彼らの人生に自分が存在する場所がないことを常に感じさせられ続けるというのは、本当に1人ぼっちの寂しさよりもたちが悪いような気がします...。
独特な雰囲気のある作品でした。ヨーがあまりに淡々と事実を描き出していくだけなので、吉本ばなな作品の女性たちのようには感情移入できなかったんですけどね...(新潮クレストブックス)

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スコットランド出身の青年、ニコラス・ギャリガンが医師としてウガンダに到着したのは、丁度イディ・アミン・ダダがオボテ大統領を打倒し、政権を奪い取った頃。不安定な首都・カンパラを後に、ギャリガンはすぐに赴任先のムバララへと向かうことに。しかし数年後、地方にやって来たイディ・アミンの手当をしたのがきっかけで、ギャリガンはイディ・アミンの主治医として首都・カンパラに戻ることになったのです。

実在のウガンダの独裁者・イディ・アミン元大統領、そして1970年代におけるウガンダの独裁恐怖政治を、その主治医(架空の人物)の視点から描くという物語。軍人出身でアドルフ・ヒットラーを尊敬し、反体制派の国民を30~40万人も虐殺したというイディ・アミンは、アフリカで最も血にまみれた独裁者と言われた人物なんだそうです。
このイディ・アミンがものすごく魅力的に描かれていました。読んでいるこちらまでイディ・アミンに魅せられて、コントロールされてしまいそうになるほど。実際のイディ・アミンがどんな人物だったのかは知らないんですけど、やっぱり血にまみれた独裁者ですしね...。でもこの作品のイディ・アミンのカリスマぶりはすごいです。もちろん、傍にいたギャリガンがその魅力に抗えるわけがなく。慎重に距離を置こうとしても、気づけばすっかりイディ・アミンの手の内に取り込まれてしまってます。医師としての職業倫理と、英国大使館からの圧力の板挟みになって、逃げ出したいと思いながらもなかなか行動に移せないまま、イディ・アミンに翻弄され続けるギャリガン。そもそも、アフリカに赴任したことからして考えが甘すぎるギャリガンなんですけど、イディ・アミンに出会いさえしなければ、それなりの人生を送れたはずなんですよね。だからこそ、イディ・アミンに手もなくやられてしまったのが、とてもリアル。
リサーチに6年、執筆には2年が費やされたそうで、上記のイディ・アミンのことだけでなく、アフリカの地理、歴史、産業、文化、そして複雑な政治情勢、さらには医療の現場の実態についてもすごく詳しくて、予想外に面白かったです。これは映画にもなっているのだそう。「ラストキング・オブ・スコットランド」、アカデミー最優秀主演男優賞を取ってるんですね。どんなイディ・アミンだったのか、ちょっと見てみたいかも。(新潮クレストブックス)

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ペギーは町営図書館の司書。ペギーの勤める図書館にジェイムズが初めてやって来たのは、ペギーが25歳、ジェイムズが11歳の時。小学校のクラスメートたちと共に教師に引率されて図書館に入ってきた中にいたジェームズは、当時ですら185cmという長身で目立っていました。それからというもの、人間があまり好きではなく、恋愛にも縁遠かったペギーにとって、ジェイムズは特別な存在となります。

図書館司書をしている冴えない女性・ペギーと、巨人症の少年・ジェイムズの恋物語... でいいのかな。なんだかね、読み方によってはすごくスレた読み方ができる話なんです。ペギーのジェイムズに対する恋心は、ともすれば所有欲に近いものにも見えるんですよね。節度を守った行動ではあるけれど、気持ち的にはストーカー寄り... いわゆる世間一般の「女性らしい女性」の規範からはみ出してしまったペギーが、常に背の高さばかり注目されてしまう、「少年らしい少年」の規範からはみ出してしまったジェイムズに、同病相憐れむ感情を抱いたようにも見えます。家族愛を知らないペギーにとっては、ジェイムズの家の雰囲気も憧れだったのかも。...とは言っても。始まりがどんな感情であったにせよ、それだけを追い求めれば、いつかは本物になる...!? ペギーの最後の行動には、びっくり。そんなのばれないはずがないでしょう、と思いつつ...。
なーんて書いてますけど、素直な気持ちで読むと、とってもピュアな恋愛小説にもなるんです。恋愛に慣れていない2人が不器用ながらも着実に思いを育んでいった、というような。そうなると、最後は「ペギーもようやく自分の居場所を見つけられてよかったね」って、そうなるかな...? ふふふ、面白かったです♪

この作品の中で、図書館司書に対して手厳しい言葉がありました。「司書は(スチュワーデス、公認会計士、中古車のセールスマンとおなじく)、ある種ひねくれた人間を惹きよせる職業と思われている。さらには、手厳しい行き遅れの女ということになっている。寂しい頑固者。まずもって、刺々しい。罰金を愛し、静寂を愛する」ですって。ひいい。(笑)(新潮クレストブックス)

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年老いて、自分の身体が頑固な痛みの詰まった袋に過ぎないと痛感するようになった公爵は、ある時思い立って、広大な敷地内に巨大なトンネルを8本も掘らせることに。そのトンネルは、馬車も通れるという大きいもの。施工には5年もかかります。しかしそのトンネルが何のために作られたのか、公爵が人に明かすことはなかったのです。

作者のミック・ジャクソンの本名はマイケル・ジャクソン。それだとあんまりだっていうんでミック・ジャクソンに変えたら、今度はミック・ジャガーみたいになってしまったんだとか。(笑) 有名人と同姓同名って困りますよね。字が違ってても、例えば呼び出しの時とかに困る、特に空港みたいなところで呼び出されたくないって、以前「シバタキョウヘイ」さんが言ってました。同姓同名の人は時々見かけますが、私が知ってる人はほとんどその有名人と同世代。親がファンで名前を貰っちゃった!ってことではないんですよね。最近は「ヤマグチトモコ」さんがいたなあ... しかもこの山口さんは、全く同じ字でした。まあ、この場合はそれほど珍しい名前じゃないですけどね。親御さんは「智子」って名前をつけただけだし。って、関係ないこと書いてますけど、このミック・ジャクソン、ロックバンドをやってたこともあるようですが、本業は映画監督とか脚本の方なのだそうです。なるほど、この小説も確かにどこか映画っぽい匂いがする構成かもしれません。
最初は人生に疲れた普通の老人に見える公爵が、いかにもイギリス的なユーモアを交えながら描かれていきます。周囲の人々にも奇矯な人物と認識されているようですが、愛すべき老人。時折昔のエピソードが折挟まれるんですけど、それがあまりに断片的で、微笑ましいというよりも危うい印象。老公爵は徐々に狂気に蝕まれ始めていて、気がつけば取り返しのつかないところまでいってしまってました。...ええと、やりたかったことは分かるんだけど、終始淡々と描かれてるので、どうも単調で... 最後は結構強烈なはずなのに、ここもそれまでの淡々とした筆運びに負けてしまったような気がします。そしてこの穴掘り公爵、第5代ポートランド公ウィリアム・ジョン・キャヴェンディッシュ=ベンティック=スコットというモデルがいるらしいんですね。実際にトンネルを掘ったこともあったのだとか。実際にはミック・ジャクソンが作り上げた部分も多いんでしょうけど... この穴掘り公爵、結局そのモデルの影から逃げ切れなかったのかもしれませんね。(新潮クレストブックス)

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