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メアリアン・カーステアズが初めて女性から「性の興奮と知の興奮の手ほどき」を受けたのは、17歳の時のこと。その手ほどきをしたのは、オスカー・ワイルドの姪で、当時パリ社交界の中心にいたドリー・ワイルド。大金持ちではあるものの野暮ったい田舎娘だったメアリアンは、たちまちのうちにドリーに魅了され、様々なことをドリーに教わることになります。その後、メアリアンはジョー・カーステアズと名乗るようになり、数々の女優と浮名を流し、その中にはマレーネ・デートリッヒのような大女優も含まれることに。

ボートレースにも果敢に挑戦してるし、ホエール島を買い取ってからも精力的に活動してるし、表向きには豪快で華やかな生き方のように見えるんです。でもこの作品を読んでいると、その裏に潜む寂しがりやの素顔が透けて見えてきました。お金は有り余るほどあっても、次々に浮き名を流しても、本当に求める愛情はなかなか得られないんですよね。唯一の真実の恋人が失われてしまったのも、言わば自業自得だし、トッド・ウォドリー卿と名付けられた人形への偏愛が怖い... きっと子供の頃に結局得られなかった親の愛情への裏返しなんでしょう。何事においても自分が拒絶されたということを認められなくて、自分から捨てたんだと粋がってみせるところも痛々しすぎ。1920年代というのは、戦争のせいで男性が不足してたこともあって、性的に寛容な時代だったようなんですよね。なのでジョー・カーステアズみたいな人物ももてはやされることになったんでしょうけど、この人もまた戦争の被害者なのかなあ、なんて思ってしまいました。戦争がなかったら、これほどまでに華やかな生活はできなかったでしょうけど、逆にもっと身近なところに小さな幸せをみつけて一生を送ったんじゃないかしら。それにお金がありすぎるっていうのも、絶対マイナス要因ですね。お金に頼りすぎです、彼女。
ジョー・カーステアズ自身にはあまり惹かれなかったんですけど、周囲の人物とのエピソードは面白かったです。カニグズバーグの「エリコの丘から」に出てきたタリューラ・バンクヘッドにニヤリ。「魔性の犬」のクエンティン・クリスプの名前も出てきてびっくり! でもやっぱり一番の話題は、マレーネ・ディートリッヒかな。やっぱりディートリッヒは素敵だったんですね~。(新潮クレストブックス)

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ニューヨークで出会って結婚したものの、貧しさのあまり暮らしていくことができず、フランクの両親は子供たちを連れてアイルランドのリムリックへと戻ることに。父のマラキは、口ばかり達者で甲斐性なしの飲んだくれ。暖炉のわきでうめくだけの信心深い母親・アンジェラ。一家がアイルランドに渡ったのはフランクが4歳、すぐ下の弟のマラキが3歳、双子の弟のオリバーとユージーンが1歳の時のことでした。

1997年のピュリッツァー賞伝記部門を受賞したという、フランク・マコート自身の子供の頃を描いた作品です。

子供のころを振り返ると、よく生き延びたものだと思う。もちろん、惨めな子供時代だった。だが、幸せな子供時代なんて語る価値もない。アイルランド人の惨めな子供時代は、普通の人の惨めな子供時代より悪い。アイルランド人カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりもっと悪い。

貧しくてひもじくて、それでも父親はわずかに稼いだ金や失業手当を持ってパブに行ってしまい、子供たちは空腹のまま布団に入る毎日。妹のマーガレットや弟のオリバーとユージーンが死んだのも貧しさのせいだし、フランクの腸チフスや結膜炎ものすごく酷くなったのも、貧しさのせい。仕事が長続きしないのに、ほんのわずかのお金も飲んでしまう父親のせいで、母親は近所の人に食べ物を借りて、子供たちに食べさせる生活。後の方で、フランクが空腹のあまり、フィッシュアンドチップスが包まれていた新聞紙の油をなめるシーンが出てきます。強烈です。「油の染みが一つもなくなるまで、ぼくは新聞をちゅうちゅうと吸う」 ...確かにアイルランドのカトリック教徒の子供たちの悲惨さは、桁違いかもしれないですね。
それでも決してお涙頂戴ではなくて、ほんのりユーモアまじりに語られているのがいいのです。悲惨な状況ではあるけど、フランクたちは決して不幸ではないし...。父親が語ってくれるクーフリンの物語を、フランクが大事に自分だけのものにしていたり、早朝の父親を独り占めして密かに喜びを感じている部分なんて、読んでいるとほんのりと暖かくなります。告解のエピソードも微笑ましいです。幼い頃の告解は司祭が笑いをこらえるのに必死になるような無邪気な内容なんですが、徐々に大きくなって異性への関心が育つにつれて、素直に告解できるような内容ではなくなってくるんですね。そうなると、フランクは教会に行かなければと思いつつも、なかなか入ることができなくなっちゃう。そして、おできのように大きく腫れ上がった罪の意識が自分を殺すことのないようにと1人祈ることに... 一人前の大人になったように見えながら、まだまだ子供の部分を見せるフランクが可愛いです。

「アンジェラの灰」の「灰」とは何なのか、この作品にははっきりと書かれていません。アンジェラが時々眺めている暖炉の灰とか、煙草の灰というのも考えられるんですけど、私は最初この題を見た時に、「ashes to ashes, dust to dust」(灰は灰に、塵は塵に、という埋葬の時の言葉)なのかなと思いました... が、アンジェラはまだ生きてるので、違うみたい。(笑)
あとがきによると、続編の「アンジェラの祈り」を読むと分かるのだそうです。(新潮文庫)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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夏休みになると、毎年田舎(カンポ)のオジさんの家にやられる9歳のユニオールと12歳のラファ。兄のラファは毎年文句を言うけれど、首都サント・ドミンゴのスラムとはまるで違う生活を、ユニオールは案外気に入っていました... という「イスラエル」以下全10編。

ドミニカ共和国からアメリカに移民した作家・ジュノ・ディアズの自伝的短編集。それぞれの短編は時系列的に並んでいるわけではなくて、主人公のユニオールは9歳だったりティーンエイジャーだったり、物語の舞台となる場所もドミニカ共和国の首都・サント・ドミンゴだったり、田舎町だったり、ニューヨークのスラムだったりと、結構ランダム。でも、それがなぜかとても自然で、その都度、すんなりとその情景に引き込んでくれるんです。
冒頭に、「あなたにこうして / 英語で書いていること自体 / 本当に伝えたかったことを / 既に裏切っている / わたしの伝えたかったこと / それは / わたしが英語の世界に属さないこと / それどころか、どこにも属していないこと」という言葉が引用されています。この言葉はキューバの詩人の言葉なのだそう。でもきっと、ディアズ自身の叫びでもあるんでしょうね。アメリカの大学や大学院に進学している以上、既に英語の方が堪能かもしれませんが、どんな風に書いても英語で書いている以上、元々話したり考えるために使っていたスペイン語とは異質なものとなっているはず。そういうことを考えると、母国語でもないフランス語を日々使い、執筆しているアゴタ・クリストフのことを思い出さずにはいられません。ジュノ・ディアズもアゴタ・クリストフのように、自分の中から母国語が消えていくのを感じていたりするのでしょうか。ジュノ・ディアズの場合は、戦争のためにやむを得なかったアゴタ・クリストフとは状況が全然違うのだけど。でもいくら上手に英語を話しても、英語は彼の母国語ではないんですよね。そしてそれこそが、この短編集に独特の雰囲気を与えているものなのかも。それぞれに余韻の残る短編集です。
でもこの題名、どこから出てきた言葉なんだろう? 原題は「DROWN」... 溺れる、です。直訳して、そのままタイトルにするわけにいかないのは分かるんですけどね。(新潮クレストブックス)

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1949年6月、政府科学顧問のベン・ロックスペイサー卿と国防省科学顧問のヘンリー・ティザード卿に、コンピュータの可能性について科学者に打診するよう依頼された物理学者のC.P.スノウは、スノウの母校ケンブリッジ大学のクライスト・コレッジで非公式のディナーを開催します。招かれたのは、遺伝学者のJ.B.S.ホールデイン、量子力学でノーベル物理学賞を受賞したエルヴィン・シュレーディンガー、20世紀で最大の哲学者の1人・ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、数学者のアラン・チューリングの4人。その晩、ディナーの席で5人の白熱の議論が繰り広げられることに。

ここに書かれているのは、架空のディナーの情景。中心的な議題は、機械は思考することができるか否かというもの。この議論の中では、あくまでも「考える機械」止まりなんですけど、実質的には「人工知能(AI)の可能性について」ですね。(まだその言葉が生まれてなかったのね)
好戦的なヴィトゲンシュタインと、内向的だけど自信に満ちたチューリングの激しい議論が中心となって、穏やかなC.P.スノウが時折議論の筋道を元に戻しながら、シュレーディンガーとホールデインが自分の専門分野からの考察を挟んで議論をさらに煽るという形式。実際にはこんな話し合いはなかったはずなのに、本当に白熱の議論が行われてるような臨場感がありました。ここに出てくる5人に関しては名前ぐらいしか知らなかったんだけど、学者たちの個性もきちんと書き分けられていて掴みやすかったし、理数系の専門知識が全然なくても、予想したより分かりやすくて面白かった。訳者あとがきに、「精神と機械の本質を浮かび上がらせ、それらに関する知見を高校生にも分かるほど平易に解説」とあるように、入門的な本なんでしょうね。果たして専門的な知識を持つ人にはどうなのかな? あとね、この議論でのヴィトゲンシュタインってちょっと凄いんですよ。ヴィトゲンシュタインについて良く知ってる人には、これはどうなんだろう? ちょっと聞いてみたいところです。 (新潮クレストブックス)

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1912年4月10日。世界最大の客船・タイタニックが出航し、楽師として雇われた7人も乗船。バンドマスターはジェイソン・カワード。何度も楽師として船に乗り込んだ経験を持つ30台半ばの男。一緒に乗り込んだのは、ジェイソンと長年組んでいるロシア人バイオリニスト・アレックス、ビオラ奏者のジム、チェロ奏者のジョルジュ、中流階級の教師のような雰囲気を持つピアニストのスポット。急遽ベース担当として呼ばれた老イタリア人・ペトロニウス、そしてウィーンから出てきたばかりの17歳のダヴィットという面々でした。

タイタニック号では、沈没する時まで、楽団員が演奏をし続けていたんだそうですね。この作品は、その楽団員たちを描いた物語。とは言っても、ここに描かれているのは、実際にタイタニック号に乗っていた楽師たちではなくて、ハンセンの創作した人物たちなんだそうです。タイタニック号の細部や航海の様子、その船長などといった部分は忠実に描き、そこに全くのフィクションを作り上げたのだとのこと。
その7人の楽団員たちは、生まれた国も育ちもバラバラ。この作品では、ジェイソン、アレックス、スポット、ペトロニウス、ダヴィットという5人について、1人ずつ描き出していくんですが、その共通点は、幸せだったはずの人生からいつの間にか転落し、彼らを取り囲む全てが崩壊していったということ。きっかけは人それぞれでも、5人とも見事なほど深淵へと堕ちていくんですね。タイタニック号のような豪華客船ではあっても、船の楽師というのは決して高い地位ではなく、むしろ楽師としては、吹き溜まりと言っていい状態。彼らの破滅の総仕上げがタイタニック号の沈没となり、それがまるで古き良き時代の終焉でもあるような...。
タイタニック号が舞台ではありますが、船の場面はそれほど多くないですし、重要でもないです。船が氷山にぶつかってから沈没するまでがあまりにあっさりしていて、逆に驚いたほど。私は映画「タイタニック」は観てないんですけど、予告編は見てるから雰囲気はなんとなく分かるし、「ポセイドン・アドベンチャー」はテレビで観た覚えが... とは言っても、それもあまり覚えてなくて、背の高い神父が頑張ってた場面が浮かんでくる程度なんですけど(笑)、ポール・ギャリコの原作は読んでるんですよね。(感想) でも、そういった作品とはまるで違っていました。普通なら、氷山にぶつかってからが本番といった感じですが、こちらでは全然。

全編通して回想シーンがとても多いんですけど、その中でもジェイソンのお父さんが語る、宇宙に存在する壮大な音楽について、バイオリンの弦を使ったケプラーの法則の実験の場面がとても素敵でした。そして人物的に惹かれたのは、ピアニストのスポット。ただ、ここで語られているのは、7人の楽師のうち5人だけなんですよね。あとの2人、ジョルジュとジムについて語られなかったのはなぜなんだろう? 7人中7人が破滅へまっしぐらとなると、それはちょっと出来すぎだから? でもこの2人の人生も気になります。特に本好きのフランス人のジョルジュ。だって、彼がギリシャ神話をモンマルトルに例えて説明するの、結構面白かったですもん。(笑)(新潮文庫)

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親父が女を雇ったと聞いて驚く「俺」たち兄弟。それははるばるペンシルバニアからオンボロ車でやって来た、19歳のマーサ・ノックスで... という表題作「巡礼者」以下12編が収められた短編集。

新潮文庫で読んでますが、元々は新潮クレストブックスの作品。いやー、良かったです。私は基本的に短編集は苦手なんですけど、これは良かった。短編集といえば、同じく新潮クレストブックスから出ていたジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」もすごく良かったし(感想)、やっぱり短編の書き手となる人っているものですね。素敵な短編を読んだ時って、それほどの長さではなくても、まるで長編を読んだ時のような満足感が残りませんか~?
どの物語も何か特別なことが起きるわけではないし、むしろ起伏は少なすぎるほど少なくて、しかもあっけないほどあっさりと終わってしまいます。ごくごく淡々と日常の場面を切り取っているだけ。それなのにとても心に残るんです。私が特に好きなのは、「デニー・ブラウン(15歳)の知らなかったこと」。そしてダントツで好きなのは「最高の妻」。でもどれも良かった。素敵です。やっぱりクレストブックスはいいなあ。でもクレストブックスで1つ難点なのは、あまり文庫にならないで、ソフトカバー版がそのまま絶版になっちゃうことですね。そりゃソフトカバーの装幀は素敵だし軽くて読みやすいし、揃えたくなっちゃうんですけど、お財布的にも置き場所的にもそれはちょっと無理なんですもん。せめて文庫にして欲しいー。(新潮文庫)

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17歳の時に出会って結婚した両親は、「わたし」が生まれて半年後に離婚。母が貧しい牧師風情と結婚していることが許せなかった祖父母が、父を家から追い出したのです。父のことを愛し続けていた母は、それを忘れようとするかのように他の男性たちとのデートを重ねる日々。「わたし」が父に会ったのは5歳、10歳、そして20歳になった時。20歳の時、10年ぶりに父に会った娘は父に強く惹かれ、父もまた美しく成長した娘に目を奪われます。

作者自身の体験、それも近親相姦が描かれていると話題になったらしいですね。でも、確かに近親相姦ではあるんですけど、かなりそっけない文章で書かれてるので、そういうエロティックさはほとんど感じなかったです。ここに描かれているのは、愛情に飢えた子供が自分の中に溜め込んできた哀しみ。でもそっけない文章のせいなのか、ただ言葉が足りないのか、こちらに受け止める力がないのか、彼女が父親に魅了される気持ちがあまり伝わってこなかったです。あの父親の一体どこがそんなに良かったのかしら。失われていた父親に対する思いというのは確かにあるでしょうけど...。父親にしたって、あれじゃあただの、自分が欲しいものを我慢することを知らない子供じゃないですか。娘の思いをあんな風に利用する父親なんて、とんでもない。
原題はただの「Kiss」ではなく、「The Kiss」。作品そのものは全然感傷的じゃないのに、「その」キスというところに、作者の感情が出てるような気がします。キャサリン・ハリソンを呪縛した、1つのキス。そしてこの作品では、過去のことを語りながら、その文章は現在形という時制を取ってるんですけど、これは過去の自分を追体験するという意味があったのでしょうか? 小説として読んでもらうことが目的というよりも、自分の辛い過去を敢えて文章にすることで、自分自身がその呪縛を断ち切るのが目的の作品のように思えました。(新潮文庫)

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