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姪に借りた車で息子のグレアムに会いに行くフランクリン。息子が傍にいるといいアイディアが浮かぶことを懐かしく思い出すのですが、出迎えたのは見栄えのいい筋肉質の20代後半のユダヤ人青年。自分の息子がゲイで、この青年が恋人だというのは一目瞭然。29歳の息子が一度も打ち明けてくれなかったことに一瞬ショックを受けるフランクリンですが、すぐに立ち直り...という「私の伝記作家へ」他、全9編の短篇集。

不安定な精神、そして死。さらにゲイ。それらが全編通して濃く漂っています。登場人物たちがそれぞれに深い孤独を感じていて、背負っているものも重いです。1人でいても、誰か愛する人間と一緒にいても、感じる孤独は同じ。ややもすると、愛する人と一緒にいるのに感じている孤独の方が1人でいる時の孤独よりも深いものかも。ひりひりとした心の痛みと深い悲しみ、絶望。時には愛している人を傷つけていたりもするのですが、それが分かっていながらどうすることもできないやるせなさ。...それでも彼らは、作者の柔らかい視線に包み込まれている分、幸せかもしれない、なんて思ったりもします。作者の視線というフィルターを通して、彼ら1人1人が柔らかく輝いているように見えました。訳者あとがきによると、精神を病む人間やゲイが多いのは、決してそういう人々をテーマにしているのではなく、アダム・ヘイズリット自身がゲイで、父親が精神を病んでいたので、そういう人々やその家族の気持ちを理解できるからなのだそう。ヘイズリットが語っていたという、「短篇小説は、登場人物の人生のなかでいちばん大事な瞬間をとらえることができる」という言葉が印象的です。
この9編の中で私が特に好きなのは「予兆」。「私の伝記作家へ」「戦いの終わり」も良かったな。「あなたはひとりぼっちじゃない」という題名から想像した内容とはちょっと違っていたんですけど、いい方に違ってました。だからといって、題名が似合わないというわけではなく... 「あなたはひとりぼっちじゃない」と、登場人物にそう言ってあげたくなるような作品ばかりでした。(新潮クレストブックス)

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1949年10月。19歳のフランク・マコートは船で単身ニューヨークへと向かいます。船の食堂で隣席に座った司祭は、アイルランド出身ながらもロサンゼルスの教区に長いため、アイルランド訛りがほとんど消えているような人物。その司祭に、同じ船に乗り合わせているケンタッキーのプロテスタントの老夫婦はとてもお金持ちなので、愛想良くしておいた方がいいと言われるフランク。しかし顔はにきびだらけで目は爛れており、歯は虫歯でぼろぼろのフランクには、司祭とも満足に話せない状態なのに、老夫婦の前でどうやって振舞ったらいいのかまるで分からないのです。

「アンジェラの灰」の続編。アイルランドから憧れの地・アメリカに脱出しても、なかなか簡単には上手くいかないのは予想通り。しかしアイルランドのリムリックにいる家族は、フランクがアメリカでそこまで苦労しているなんて夢にも思わず、その送金をすっかり当てにしているというのも予想通り。アンジェラ自身、アメリカで上手くいかずに結局アイルランドに戻る羽目になったはずなのに、覚えてないのかな... きちんきちんと送金してるのにそれ以上要求されるとことか、ちょっといやーん。
でもこの「アンジェラの祈り」は、「アンジェラの灰」のように不幸が雪だるま式に膨らんでいく話というわけじゃないんですね。フランクはちゃんと仕送りしてるし、空腹でも何があっても、行き倒れになるわけじゃないんですよね。すっかり不幸な話を読んでるつもりになってたら、リムリックでは新しい服や靴を買うことができてるどころか、新しい家に移ることになってびっくり。そ、そうだったのか。フランクの暮らしも、ほんの少しずつではあっても上向きになっていきます。金持ちにはほど遠くても、きちんきちんと食べていくことのできる暮らし。もちろん、実際には並大抵の苦労ではなかったんでしょうけど... しかも別に私は不幸な話を読みたいわけではないんだけど(むしろそういう話は苦手だし)、なんだか釈然としないものを感じてしまいました...。自分のアイルランド訛りや爛れた目、ぼろぼろの歯にコンプレックスがあって、この世の中で一番不幸そうに振舞っているフランクでも、大学に行くこともできれば、美しい女の子と恋愛することもできるようになるんですもん。いずれにせよ、「アンジェラの灰」の時のようなどうしようもない、出口のないやるせなさはありません。まあ、この人生が最終的にハッピーエンドで終わるのかどうかは、まだまだこれからのフランク次第なんですけどね。
「アンジェラの灰」の灰の意味も、この作品で分かります。でも、そういう意味でも書かれるべき作品だったんでしょうけど、前作の方が力強くて惹きこまれたかも...。前作はそれだけで光ってたけど、こちらは前作あってこその作品なんですよね。(新潮クレストブックス)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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8歳の時にケニアの北の海辺に移り住んだ盲目の老貝類学者は、小さな海洋公園でひたすら研究を続ける日々。しかし2年前、その生活に予期せぬねじれが出来たのです。老貝類学者の生活に迷いこんできたのはアメリカ人のナンシー。日射病にやられて錯乱していた彼女が貝の毒によって全快してしまうと、それを知った人々が老貝類学者のもとに押し寄せて... という「貝を集める人」他全8編の短編集。

まるでアリステア・マクラウドとかベルンハルト・シュリンクとか、そういうある程度以上の年齢を重ねた人の書いた作品のような雰囲気なんですが、これがまだ20代の新人作家の作品だと知ってびっくり。アメリカの大学院の創作科出身という、いまどきの作家さんのようです。
ここに描き出されているのは、アメリカはもちろんのこと、ケニアやタンザニア、リベリアといったアフリカの自然の情景だったり、北欧の原野だったり... 様々な自然の情景が描きあげられていました。大きく静かな自然の圧倒的な美しさと厳しさ、そしてもっと身近にある小さな自然のさりげないけれど確かな美しさ。自然に畏怖を感じたり、愛情を感じながら、寄り添って生きる人々の姿。これらの人々に共通するのは、深い喪失感。どれほど大事にしていても、大切な物が指の間からすり抜けて落ちていってしまう哀しみ。でも確かな希望もそこにはあるんですよね。
特に印象に残ったのは、上にあらすじを書いた「貝を集める人」と、あと「ハンターの妻」。「貝を集める人」での、盲目の老貝類学者が少年の頃に初めて貝の美しさに開眼した場面や、現在の「貝を見つけ、触れ、なぜこれほど美しいのか言葉にならないレベルでのみ理解する」のがいいんですよねえー。目は見えなくても、貝類の美しさを全身で感じ取っている、むしろ目が見えていた時よりもはっきりと見て取っている老貝類学者。色んな貝の美しさや怖さが伝わってきました。そして「ハンターの妻」は、山の中で狩猟のガイドとして暮らす男と、死んでいく生き物の魂を感じることができる妻の物語。2人が暮らしていた冬の山の情景がとても印象に残ります。冬眠する動物たちの美しさ、そして簡単に凍死・餓死させられてしまう冬の厳しさ。そしてそんな現実の情景とは対照的な、彼女の感じ取る幻想的な魂の情景。命が身体の中から外に流れ出る時に見えるのは、とても美しくて豊かで、暖かい情景なんです。この「ハンターの妻」や「ムコンド」はどちらも、まるで違う存在だからこそ惹かれ合い、でもまるで違う存在だからこそ同じ場所では幸せにはなれない夫婦を描いた物語なんですね。哀しい話なんだけど、素敵でした。(新潮クレストブックス)

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妻のメアリーが引き起こした嬰児誘拐事件がきっかけで、32年間教壇に立ってきた学校をやめさせられることになった歴史教師のトム・クリック。彼は授業のカリキュラムを無視して生徒たちに、自分の生まれ育った沼沢地帯(フェンズ)のことや、自分のこと、家族のこと、先祖のことについて語り始めます。

沼沢地帯(フェンズ)と共に語られていくのは、主人公・トム・クリックの家族とその歴史。両親のこと、「じゃがいも頭」の4歳年上の兄・ディックのこと、10代当時の恋人で今の妻でもあるメアリーのこと、そして祖先のこと。そこで語られているのは10代の赤裸々な真実。特にインパクトが強かったのは、好奇心旺盛なメアリーが主導だった10代の性のこと...! これにはかなりびっくりでしたが、嬰児誘拐事件に始まる話は、殺人もあれば自殺もあり、近親相姦もあり、堕胎もありという、人間に起こりえる様々なドラマを含んだものでした。大河ドラマであり、ミステリでもあり、サスペンスでもあり、かな。1人称で語られていくこともあって、まるで自叙伝を読んでいるような錯覚をしてしまうし、実際にはフィクション作品なのに「事実は小説よりも奇なり」という言葉を思い起こさずにはいられなかったです。歴史の教科書に載っているような無味乾燥なものではなくて、トム・クリックの語る生きた歴史。それこそが「小説」なのかもしれないですね。そんな風に読み手の心にも迫ってくる、大きな力を持った物語でした。(新潮クレストブックス)

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カフェで見かけた男に運命を感じて、思わずその男の後をつける「わたし」。男はある建物のポーチをくぐって姿を消し、「わたし」が重々しいドアを押した時は、もうアパルトマンの1つに入った後でした。それは4階建ての瀟洒な建物。弁護士が1人いるほかは医療関係者ばかり。その後、男は4階に住む精神科医と判明し、男に言い寄るために「わたし」がしたのは、人生で出会ったありとあらゆる男性のことを語ることでした。

103の断章で語られるのは、「わたし」の夫のことや父親のこと、母の愛人、歌手、祖父や大叔父、そしてこれまで出会った恋人たちのこと。今まで出会った男性のことをひたすら語り、そして小説に書き綴っていくうちに、語り手である「わたし」の姿が浮き彫りになっていくという仕掛けのようです。この「わたし」はカミーユ・ロランスその人ではないと書かれてるんですけど、やっぱりカミーユという名前の作家なんですね。フランスではオートフィクション(自伝風創作)が文芸の一ジャンルとして注目を集めているようで、これもそんな作品の1つらしいです。同種の作品の中でも、この作品は別格の高い評価を得ているそうなのですが... でも男性のことだけでこれほどまでに語り続けられるのはすごいのかもしれないし(このバリエーションったら)、部分的に面白く感じられた部分はあったものの、103の断章がまるで金太郎飴みたい。「あーもーフランス人って一体」なんて思ってしまって。あまり面白く感じられなかったのが残念でした。(新潮クレストブックス)

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1975年1月1日の朝6時。アルフレッド・アーチボルド・ジョーンズは、クリックルウッド・ブロードウェイに停めた自分の車の中に掃除機のホースで排気ガスを呼び込み、自殺を図っていました。それは覚悟の自殺。30年連れ添ったイタリア人の妻・オフィーリアに離婚されたのが原因。しかしそれは妻を愛していたからではなく、むしろ愛情がないのにこれほどにも長く妻と暮らしてきたからでした。アーチーは合わないのが分かりつつも対面を気にして我慢して暮らしていたのに、ある日妻は出ていったのです。しかしアーチーの意識が朦朧としていた時にその自殺に邪魔が入ります。フセイン=イスマイルの店のオーナー・モウ・フセイン=イスマイルが自分の店の前の配達のトラックが停まる場所に違法駐車している車を見つけたのです。

大学時代に書いた短編が話題となって、この作品の版権を巡ってロンドンの出版社が争奪戦を繰り広げたというゼイディー・スミスのデビュー作。ものすごく沢山の賞を受賞してるようですね... これは確かにちょっと新人離れした作品かも。
イギリス人アーチーの妻はジャマイカ人のクララ。2人の娘はアイリー。アーチーの第二次世界大戦来の友人・サマード・ミアー・イクバルとその妻・アルサナはベンガル人のムスリムで、マジドとミラトという双子の息子がいます。移民した2組の夫婦(アーチーは純粋なイギリス人だけど)とその子供たち、2世代のアイデンティティの物語という意味ではジュンパ・ラヒリの作品群を思い出すんですが... 雰囲気は全然違いますね。キラン・デサイの作品を読んでも、ジュンパ・ラヒリの描くインド系の人たちはごくごく少数の成功者だったんだなあとしみじみ思ったんですが、この作品を読んでも、あれはほんと綺麗すぎるほど綺麗な世界だったなと思ってしまいます。読んでいる時はむしろスタインベックの「エデンの東」を思い出してました。実際にはもっともっと饒舌でパワフル、そしてコミカルなんですけどね。20世紀末に生きる彼らの物語は、第二次世界大戦中の思い出から1907年のジャマイカ大地震、一時は1857年のセポイの乱で活躍したというサマードの曽祖父・マンガル・パンデーのエピソードにまで遡ります。150年ほどの長い期間を描き上げた大河ドラマ。舞台もロンドンの下町からロシア、インド、ジャマイカまで。人種や宗教、家族、歴史、恋愛、性など様々な事柄を1つの鍋に突っ込んでごった煮にしたという印象の作品。下巻に入ってユダヤ系のインテリ家庭・チャルフェン一家が登場すると、さらにパワーアップ。
途中やや中だるみしたんですけど、パワフルな登場人物たちが常に楽しげに忙しなく動き回っていて、全体的には楽しかったです。とてもじゃないけど若い作家のデビュー作品とは思えないスケールの大きさですね。このゼイディー・スミスの父はイギリス人、母はジャマイカ人。実際にこの物語の舞台となったロンドン北西部のウィルズデンに住んでいたのだそう。ということは、ゼイディー・スミスはアイリーなのかな? だからアイリーの心理描写が特に詳しいのかな。でも著者近影を見るとスリムな美人のゼイディー・スミスは、胸もお尻も腿も大きいジャマイカ系のアイリーとはちょっとイメージが違いますね。むしろその美しさでアーチーを圧倒したクララかも。(新潮クレストブックス)

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駅に行って駅員に家具の発送について尋ねたジョアンナ。次のの金曜日に寝室1つ分の家具をサスカチェワンに送りたいのです。切符を買うと、今度は高級婦人服店へと向かいます...という「恋占い」他、全9編の短編集。

カナダの田舎町を舞台にした短編集。同じカナダで、同じスコットランド系、同じ世代のアリステア・マクラウドの作品とはまた全然違うカナダの姿が見えてきます。でもアリステア・マクラウドの作品みたいな自然の厳しさみたいなのはなくて、作品の雰囲気としてはかなり違うと思うんですけど、骨太なところ、人間の営みとしての生と死が描かれているところは共通していると言えるかも。
一読しただけでは意味が取れなくて読みにくい文章が結構あったんですが、これは原文のせいなのでしょうかー。でも読み終わってみれば、どれも読後に余韻が残る物語ばかり。70年生きてきた人間の重みなのかな。まず登場人物の造形がいいんですよね。ふと通りがかっていく人物にも思わぬリアリティがあって、はっとさせられることもしばしば。そして、ふとした出来事がその後の展開をまるで変えてしまうというのもいいんですよね。あざとさみたいなのはなくて、ものすごく自然なんです。ああ、そういうことも本当にあるのかも、なんて思えることばかり。たとえば上にあらすじを紹介した「恋占い」なんて、本当はものすごく残酷な話のはずだったのに...! 何がどうなるのかは、それなりの時間が経たないと見えてこないんですけどね。そこには単純に「幸せ」「不幸せ」と判断されることを拒むような深みがあります。
印象に残った作品は、最初の「恋占い」と表題作「イラクサ」、そして最後の「クマが山を越えてきた」。特にこの「クマが山を越えてきた」が良かったな。何度も読めば、それだけ味わいも増していきそうな短編集です。(新潮クレストブックス)

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兄に冴えない容姿をからかわれて育ったソーネチカは、幼い頃から本の虫。7歳の時から27歳になるまでの丸 20年間というもの、のべつまくなしに本を読み続け、やがて図書館専門学校を卒業すると、古い図書館の地下にある書庫で働き始めることに。そんなソーネチカがロベルトに出会ったのは、第二次世界大戦勃発後に疎開したウラル地方のスヴェルドロフスクの図書館でのことでした。それまでは一生結婚する気などなかった47歳のロベルトは、ソーネチカに運命を感じて結婚を申し込むことに。

主人公は、幼い頃から本が大好きで読んでばかりいたというソーネチカ。彼女がここまで自分のことを客観的に受け止められるようになったのは、本を沢山読んで育ったことに関係あったんでしょうか。13歳の頃の失恋も関係していたんでしょうか。もちろん元々の性格というのも大きいんでしょうね。でもここまで幸せな人生を送れたのはソーネチカだからこそ、というのだけは間違いないです。ロベルトとの結婚後に何度も「なんてこと、なんてこと、こんなに幸せでいいのかしら...」とつぶやくことになるソーネチカ。経済的には貧しくとも、どれほどの困難が先行きに待ち受けていようとも、今の状態に感謝して、周囲の人々にも愛を惜しまない女性。これほど精神的に豊かな女性って、なかなかいないでしょうね。修道院のシスターにだって、ここまでの女性はなかなかいないんじゃ...。そしてそれこそが、彼女の幸せの源。
そんなソーネチカに晩年降りかかった出来事は、他の人間には災難としか言いようのないものなんですが、ソーネチカにとってはそれもまた神に感謝すべきもの。こんな風に物事を受け止めることができれば、どれほど幸せか...。実際、ソーネチカの幸せな一生はソーネチカ自身が獲得したもの、と言い切ることができます。彼女には本当の強さがあるし、大きな愛情の持ち主には、おのずと大きな愛情が返ってくるものなのでしょう。幸せとは人にしてもらうものでも、人に頼ってなるものではなくて、自分自身でなるものだ、ということを改めて認識させられます。静かな余韻が残る幸せな作品です。(新潮クレストブックス)

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妹のマラーが亡くなった知らせに、サラの母・マリアムは嘆き悲しみます。ロンドンに住むマリアムは、テヘランに住むマラーに1年以上会っていなかったのです。マラーの夫が既に再婚していたこともあり、マラーの一番下の息子のサイードがロンドンへとやって来て、15年前にサラが家を出るまで使っていた部屋に落ち着くことに。しかしサイードは学校に通い始めるたとたん、いじめられ始めていました。授業時間中にショッピングモールで途方にくれていたサイードは警察に保護され、サラとマリアムは迎えに行くのですが、その後入ったパブでマリアムはサイードにいきなり平手打ちを食らわせます。店を出ると橋から飛び降りようとするサイード。そしてサイードの身体を引き戻そうとしたサラは腹部を蹴られ流産。ショックを受けたマリアムはしばらくイランへと帰ることに。

「ずいぶん長いあいだ二つの場所のあいだにいたような気がする」というマリアム。彼女の中にあるのはロンドンでの現在とイランでの娘時代。そしてイランを知らない娘のサラ。2人の物語が交互に進んでいきます。
青いタイルを並べたような表紙が印象的な本ですが、サフランといえば赤。サフランを使った料理は黄色くなりますけど、サフランのめしべ自体は赤。キッチンの壁を塗ろうとした時に、サラとサイードが2人でサフランの色を表現し始める場面が素敵。「夕焼けみたいに真っ赤」「切り傷つくっちゃったときの血の色」「お母さんの指先についたヘナ」「トルバートゥの土か、ゴセマールバートの土」「溶岩の色」「水ギセル(フーカ)の燃えさし」「ケシにザクロ」... どの表現からも想像できるのは深い赤。サフランの赤は、きっとイランの赤なんでしょうね。

でも半分はイギリス人でイランには行ったことのないサラでも、そんな風にサイードと色の感覚を共有できるのに、マリアムはイギリス人の夫・エドワードとは言葉も記憶も分かち合えない夫婦だと感じてるんです。長年の夫婦生活の中でエドワードの穏やかさにきっと何度も救われてるでしょうに...。妻であり母である前に1人の人間、というのは誰にでもあると思いますが、マリアムはその傾向が人一倍強いです。普通だったら、年齢を重ねるにしたがって、石の角が少しずつとれていくような感じになりそうなものなんですが、マリアムの場合は革命で肉親を失ってるし、祖国から遠く隔てられてしまうことによって、そういう感情が人一倍強く残ってしまったのかも。でも、イランで一般的に女性が求められる役割を拒否することによって、マリアム自身が彼女の横暴な父親そっくりの人間になってしまったように感じられるのが皮肉です。...で、そういった昔ながらのイランの家族のあり方などもとても興味深く読みました。これを読むと、先日読んだ「テヘランでロリータを読む」は、やっぱり浅かったように思えてならないなあ。
でもね、終盤近くまでは良かったと思うんですけど、サラとマリアムが再会した辺りからは、なんだか妙に浅くなってしまったような... いきなり都合のいい話になってしまったようで、それがちょっと残念です。(新潮クレストブックス)

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ニューヨークから北へ50分ほど離れた美しい町・ベドリー・ランに住んでいるフランクリン・ハタ。彼はアメリカに留まることを決意した日本人。新聞の短い三面記事で新しくできた町のことを知り、どこか惹かれるものを感じて、30年以上前にここに医療用品や医療器具を扱う店を開いたのです。引越し当時は誰も知っている人間がいなかった彼も、誰にでも知られている存在。現在は70歳も過ぎており、既に店は売却しているものの、親しみやすさから敬意を込めて「ドク」「ドク・ハタ」と呼ばれており、そんな町の空気を有難いものとして受け止めてきていました。

ドク・ハタが日々出会う人々との話から過去のこと、養女のサニーとのこと、一時期親しかった未亡人・メアリー・バーンズのこと、第二次大戦中に医療助手として軍医について任務についていた時のことなどを回想していきます。
この作品のタイトルは「A Gesture Life」。作品の途中で「体裁」という言葉に「ジェスチャー」というルビが振られていました。「生活のぜんぶを体裁と礼儀でつくりあげてる」... というのは養女のサニーの言葉。序盤から自分のことを人望のある「親切なドク・ハタ」で、町一番の大きさではないものの、立派な美しい家に住んでいることをさりげなく強調するドク・ハタなんですが、やっぱりこれも一人称ですからね... 反抗期に入ったサニーがドク・ハタに向ける言葉がとても辛辣。確かにドク・ハタは自分の評判や立場を作り上げ、常にそれを守るために行動してるし、それは彼を一見人格者のように見せてるんだけど... でもこれも在日朝鮮人の子供として生まれて日本人の養子となり、アメリカでは日系アメリカ人として暮らすことになったドク・ハタにとっては、一種の防衛本能だったんじゃないかと思うんですよね。誰も傷つけたくないという優しさは優柔不断と紙一重だし、結局彼は大切な人間を傷つけて失ってしまうことになるのですが。選択をしないというのも、1つの立派な選択ですものね。そして彼の一番の不幸は、それでもドク・ハタが傍目には不幸な人間には決して見えないことだったのかもしれません。失ったものに対して罪の意識を持ち続け、そして常に自分が外部者であることを意識し続け、その最後の場所を失うことを心の奥底で怯えているドク・ハタの姿が切ないです。

チャンネ・リーは韓国人従軍慰安婦のことを全く知らずに育ち、ある時知って、大きな衝撃を受けたのだそう。そして韓国人従軍慰安婦だった女性に長いインタビューをして、最初はその女性を中心とした作品を書こうとして、でもそれでは真実も深みも全く足りないのに気づいて、このドク・ハタの物語としたのだそうです。確かにドク・ハタの目を通して従軍慰安婦を見ることによって、その問題を生き生きと蘇らせているような気がしますし、同時にそれによってドク・ハタの認識の甘さも露呈されることになってるんですね。(新潮クレストブックス)

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イダが生まれた時、エレンは既に4人きょうだいでした。長女のビリー、長男のケスター、次女のエレン、そして赤ん坊のカルロス。母のマルヒェは、自分が1人っ子の家庭に育って嫌な思いをしていたので、笑いと喧騒にあふれた家を幸せな家庭としてイメージして、子供を6人欲しがっていたのです。両親がアメリカに関する文献を専門に切り抜き資料として保存するファン・ベメル事務所をしていたために家中が天井まで届く資料棚と黄ばんだ紙の臭いで溢れかえり、家の中は賑やかさに包まれていました。しかし生まれたイダに吐き癖があり、1日中むずかって泣き叫び、母もイダにミルクを飲ませられないほど衰弱していたため、徐々に「幸せな家庭」の歯車が狂い始めます。

絵に描いたような幸せな家庭を襲う悲劇。物語が始まった時から、何とも言いようのない緊張感をはらんでいて、その予感通りに暗い方向へと突き進んでいきます。でもその核心が何なのか正体はなかなか見せないままに、エレンが12歳だった頃の物語と約30年後の現在の物語が交互に進んでいきます。30年後のエレンは解剖医。妊娠中にもかかわらず離婚して、かつて自分が少女の頃に住んでいた家に戻ってきています。
家族の中で一番利発だったエレン。難しい言葉を使うのが大好きで、時には生意気としか思えない発言をするエレンなんですが、それでもまだ12歳。それでこんな衝撃を体験することになったというのが... 利発だからきちんと全てを見届けてるんですけどね...。現代の読者が読めば、その時何が起きていたのかほぼ予想がつくと思うんですが、この頃はそういう概念すらなかったんですね。しかも今なら12歳の子供が家のことを他人に相談できる専門の場所もありますけど、この頃は全然だったはず。こういった物語はそこかしこにあったのかも。
最後に彼女が自分のイデ=ソフィーの名前を託す場面が良かったです。ようやく救われた気がします。(新潮クレストブックス)

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1779年、55歳でスコットランドのモイダートから新世界へと渡っていった男がいました。それはキャラム・ムーア。ケープ・ブレトンに行けば土地が手に入るというゲール語の手紙を受け取っていたのです。航海中に妻は病死するものの、12人の子供たちと長女の夫、そして犬は無事に新大陸に辿りつきます。そして「赤毛のキャラムの子供たち」と呼ばれる子孫たちが徐々に広がっていくことに。そしてその曾孫のさらに孫の時代。矯正歯科医をしているアレグザンダーは、かつては誇り高い炭鉱夫だったのに今は酒に溺れる兄・キャラムを週に一度訪ねるのを習慣にしていました。

寡作なアリステア・マクラウドの唯一の長編。短編を2冊読んで、この長編を読んでいるわけなんですが、短編の名手と言われるだけあって長編よりも短編の方がいいのかしら、なんて思いながら読んでたんです。長編好きで短編が苦手の私にしてはちょっと珍しいんですが、短編の方が読みやすかったし。でも最後まで読んでみると、やっぱりいいですね。色んなエピソードがいつの間にかその情景と共に脳裏に刻み込まれていたのを感じました。これがアリステア・マクラウドの底力なのかも。

スコットランドからカナダへとやって来たキャラム・ムーアとその子供たち。そして幾世代を経てもそれと分かる「クロウン・キャラム・ムーア(赤毛のキャラムの子供たち)」の一大叙事詩。語り手となっているのは、現在矯正歯科医をしているアレグザンダー。彼も双子の妹も今は裕福な暮らしを送ってるし、「ギラ・ベク・ルーア(小さな赤毛の男の子)」なんて呼ばれた頃の面影はあまり残ってません。ゲール語も理解するけれど、祖父母の世代にとってのゲール語とはまた違うし、ハイランダーとしての彼らは失われつつあるんです。時が流れているのを実感。でも読んでいると、まさに「血は水より濃し」だと感じさせられられる場面がとても多くて。
一族のルーツとその広がりを描くことによって、キャラム家の持つ底力と言えそうな強さや、歓び、哀しみが滲み出してくるみたい。何度か登場する犬のエピソードのような、情が深く真っ直ぐながらも不器用なその生き様。そしてやっぱり読んでいて一番印象に残ったのは、犬のエピソードですね。特にスコットランドからカナダへと向かおうとする彼らを追いかけてきた犬の話。あとは一働きしてくれた馬に燕麦をやる話とか... あと好きだったのは、まるで正反対の気質を持つ父方の祖父と母方の祖父のエピソード。2人とも本当に素敵だったなあ。(新潮クレストブックス)


+既読のアリステア・マクラウド作品の感想+
「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
「冬の犬」アリステア・マクラウド
「彼方なる歌に耳を澄ませよ」アリステア・マクラウド

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本当はひとりっ子なのに、長い間兄さんがいるつもりになっていた「ぼく」。自分で作り出した悲しみや恐怖を分かち合う相手が必要で、長い間ハンサムで力強い「兄さん」に助けてもらっていたのです。しかしそんなある日、「ぼく」はついに1人きりではなくなります。屋根裏部屋に積み重ねられた古いトランクの中にベークライトの目をしたほこりっぽい小犬のぬいぐるみが出てきたのです。そして「ぼく」は15歳の時に、その小犬にまつわる話を聞くことに。

フィリップ・グランベールの自伝的作品。実際、彼が自分の家族にまつわる秘密を知ったのは、この本と同じく15歳の頃だったんだそうです。本職は精神科医という作家さん。
ここに描かれているものはとても重いものなんですけど、最初から最後まで終始淡々とした感情を抑えた文章で書かれていました。簡潔な文章の積み重ね。でも物凄く簡潔なのにその奥には色んな感情が詰まってて、ふとした拍子に零れ落ちてきそう。...なんて思いながら読んでいたら、フィリップ・グランベールはこの作品を2ヶ月ほどの間に夢中で書き上げたものの、最初書いたものは文章が感情に流されていて使い物にならなかったんだそうです。疲れ果て体調を崩しながらも書き直し続けた時、最後に「残ったのは骨の部分だけでした。結局それだけが必要だったのです」... その言葉には本当に納得。
特に印象に残ったのは、最初は自分で作り出した悲しみに浸っていた主人公が、ルイーズのおかげで両親の物語を再構成すると、今度は口をつぐみ、逆の立場になったこと。...でも他人の悩みを聞き、その悩みから解放する精神分析医という仕事をしながらも、自分の悩みから解放されるには、こうやって書くという行為が必要だったのかなあ。なんて感慨深く思ってみたり。(新潮クレストブックス)

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ノックの音がしてキャスリンが目覚めたのは午前3時24分。夫はロンドンに行ってて留守、娘のマティは自分の部屋で寝ているはず。キャサリンはゆっくり起き上がって階下に降り、裏口のライトをつけます。そこにいたのは見知らぬ男。「ミセス・ライアンズですね?」と言われた瞬間、彼女は何が起きたか悟ります。パイロットである夫の操縦する飛行機が墜落したのです。それはアイルランド沖での出来事でした。

結婚16年目。15歳年上の夫・ジャックと15歳の娘・マティとの幸せな生活に突然起きた出来事とは、旅客機の墜落事故。その事故で100人以上の乗客が亡くなり、様々な憶測が飛び、残されたキャスリンと娘のマティに様々なことが降りかかってくることになります。
少しずつ読み進めている新潮クレストブックスですが、去年は手に取るのがばったり止まっちゃってたんですよね。それはこの作品で躓いていたせいだったのでした。なんとなく古い順から読んでいて、この本は文庫落ちしてるので文庫を買ってたんですけど、飛行機事故の話がどうしてもダメな私。(ついでにいえば、地震物もダメ) しかも本からなんだか苦手そうだなという匂いがぷんぷんと...。いや、それならそれであっさり飛ばしてしまえばいいようなものなんですが...。(それなのになんで買うんだ、私ってば)

で、実際読んでみて。やっぱり思ってた通りの作品でした。この展開も、やっぱり好みじゃなかったです。それでも一気に読ませられる作品ではありましたけどね。
良く知っているはずの人間が知らない面を持っているなんてよくあることだし、いくら一緒にいる時間が長くても、血が繋がってたとしても、1人の人間を完全に理解できたと思うなんて、やっぱり驕りだと思うんですよねえ。(新潮文庫)

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子供たちがコリーみたいな犬と遊んでいるのを見て、12歳の時に父親が買った犬を思い出す「私」。家では家畜用の働き者の若い犬を必要としていたのです... という表題作「冬の犬」他、全8編の短編集。

「灰色の輝ける贈り物」と同じく、カナダのケープ・ブレトン島が舞台となっている短編集。どうやら「灰色の輝ける贈り物」が「Island」という短編集の前半の8編で、こちらの「冬の犬」が後半の8編のようですね。その前半の8編と同じく、とても静かなのがまず印象に残ります。静謐で、でも生きる力に満ちた物語。この「生きる力」は、時には激しくて驚くほど。そして死。その背景にあるのは、厳しすぎるほど厳しい自然の姿。「赤毛のアン」のプリンス・エドワード島とは隣り合わせのはずなのに、なんでこんなに違うんだろう... と思わずにはいられません。気候的にもそれほど違わないはずなのに、ここまで違うとは。生き生きとした躍動感あふれる「赤毛のアン」とは対照的な、こちらはずっしりと貧しさと孤独がのしかかってくるような生活。「赤毛のアン」が春から初夏にかけての明るいイメージだとすれば、こちらは厳寒の冬の暗いイメージ。
どれも違う家族のことを描いているんですが、どれも同じ家族のことを書いているようでもあり... もちろんアリステア・マクラウドもその中の1人なんでしょうね。故郷スコットランドのハイランドやゲール語の存在がその根底に流れていて、故郷を離れなければならなかった深い悲哀を漂わせながらも、同時に時の流れを感じさせます。(新潮クレストブックス)


+既読のアリステア・マクラウド作品の感想+
「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
「冬の犬」アリステア・マクラウド
「彼方なる歌に耳を澄ませよ」アリステア・マクラウド

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ある日ペーターが読んだのは、ロシアの捕虜収容所を脱走したドイツ兵士が故郷に戻ってくる物語。やっとの思いで家に戻ってきた兵士の目が見たのは、小さな子供2人と見知らぬ男と一緒にいる妻の姿だったのです... それは「喜びと娯楽のための小説」という冊子シリーズの編集をしていた祖父母にもらった見本刷り。ペーターには父がおらず、母の稼ぎは少なく、しかも紙は高価だったため、裏の文章は読まないという約束でその紙の束をもらっていたのです。しかし物語の断片しか残っておらず、肝心の結末部分を読むことができなかったペーターは、物語の結末を探し始めることに。

物語の中心となるのは、作者も題名も分からない小説の断片。その断片をつなぎ合わせて読むうちに、ペーターはそれがホメロスの「オデュッセイア」になぞらえられていることに気づきます。遍歴し、そして帰郷する物語。そしてペーターもまた、謎の小説の兵士・カールを追い求めて長い遍歴をすることになります。遍歴の後、イタケーに帰り着いたオデュッセウスが見出したのは貞節なペーネロペイア。しかしペーターが帰り着いた時、そこにいるのがペーネロペイアとは限りません。
シュリンクの作品を読むのは「朗読者」「逃げてゆく愛」に続いて3冊目なんですが、今回はあまり入り込めなかったかな... 中心となる小説の断片があまり魅力的じゃないというのもあったんですけど、ちょっと気になることが多すぎて気が散ってしまったような気がします。
まず「オデュッセイア」。ペーターの読んだ「オデュッセイア」は、イタケーに帰りついてハッピーエンドではなくて、その後も長い遍歴をしなければならなかったそうなんですけど... 私が読んだ「オデュッセイア」は、ほぼハッピーエンドだったはず! ペーターみたいに私も勘違いしてるのかなあ。いやいや、そんなことないと思うんだけど。まさかドイツ版はまた違うとか? うーん、気になります。私が読んだのは岩波文庫の松平千秋訳(感想)なので、ちゃんとしてるはずなんですが...。次に、事実の周りをぐるぐると回ってたペーターは、ある時いきなり核心に近づくんですが、そのことがなぜ分かったのかが良く分からないんです。天啓のようなものだったとか? いきなり自信を持って飛躍した話を始めるペーターにびっくりです。この辺りには、もう少し説明が欲しかったところ。さらに、ペーターは小さい頃から色んな人物に出会って様々な出来事があるんですけど、いかにも後に繋がりそうな人や出来事が、それっきりになってしまってるのが結構多かったような... それも気になりました。
ナチスのことや、東西ドイツを隔てていた壁の崩壊などのドイツの歴史的瞬間が描かれて、まだまだシュリンクにとって第二次世界大戦は過去のことではないのだということを感じさせられたのはこれまで通り。オデュッセウスがさらに遍歴を重ねなければならなかったように、シュリンクもまだ遍歴続けなければならないのでしょうか。でも今回、ペーターの遍歴の終わりには希望も感じられるんですよね。シュリンクの中の第二次世界大戦も、徐々に終わりに近づいているということなのかもしれませんね。(新潮クレストブックス)


+既読のベルンハルト・シュリンク作品の感想+
「朗読者」「逃げてゆく愛」ベルンハルト・シュリンク
「帰郷者」ベルンハルト・シュリンク

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母が突然亡くなり、父は永年勤めた製薬会社を辞めて、ヨーロッパを旅してまわることに。そしてその旅の合間に、娘のルーマが夫のアダム、息子のアカーシュと暮らす家にやってきます... という表題作他、全8編。

「停電の夜に」「その名にちなんで」に続くジュンパ・ラヒリの3作目。
これまでの2作同様、主要な登場人物たちはほとんどがインドにルーツを持つ人々。でも主人公となるのは、移民の第一世代ではなくて第二世代です。育ちも(そしてほとんどの場合は生まれも)アメリカという彼らは、もうアメリカ人と全く同じような生活を送っているし、本を読んでいる限りでは「アメリカ人」と呼んでもまるで違和感がありません。しかもこの本に描かれているのは、ごく普通の家庭にあり得る物語ばかりなんですよね。それでもインドの人々の浅黒い肌にくっきりとした目鼻立ちは、アメリカの白人の中にあって相当目立つはず。そうだ、インドの人々だったんだ、と読みながらふと気付いて、そのたびに驚くことになりました。最初の2作を読んだ時は「インド」という言葉が頭から離れたことはなかったのに。そして2作目の「その名にちなんで」を読んだ時には、第一世代と第二世代の意識の違いに驚かされたし、インドでもアメリカでも彼らが本質的に受け入れられることは既にないんだなあと強く感じさせられたのに、この本ではそうではありませんでした。肌の色が違っていても、彼らは既にアメリカという土地にしっかりと根付いているんですね。時の流れを感じるなあ。
やっぱりジュンパ・ラヒリはいいですね。本を開いたところに、インターナショナル・ヘラルド・トリビューンの「ラヒリが造形する人物には、作家の指紋が残らない。作家は人物の動きに立ち会っているだけのようだ。人物はまったく自然に成長する」という書評が載ってるんですが、本当にその通りですねー。それはもう本当にびっくりするほど。
そういえば去年は新潮クレストブックスを1冊も読まなかったんですよね、私。久しぶりに読みましたが、やっぱり良かったです。今年はまた色々と読んでいきたいな。(新潮クレストブックス)


+既読のジュンパ・ラヒリ作品の感想+
「停電の夜に」「その名にちなんで」ジュンパ・ラヒリ
「見知らぬ場所」ジュンパ・ラヒリ

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パリ左岸の静かな地区に住む著者は、自分の住むアパルトマンの近所に「デフォルジュ・ピアノー工具と部品」という小さな店があるのに気付きます。毎朝子供を幼稚園に送り迎えする度に店の前を通り、ピアノの修理に使う工具や部品を眺め、時には店の正面にあるカフェから店を眺める著者。そのうち、もう一度自分のピアノが欲しいという思いがふくれあがります。そしてとうとう店の扉を叩くことに。店の主人に、中古ピアノはなかなか手に入らないと言われながらも、店に通う著者。そんなある日偶然目にしたのは、店の奥の光溢れる空間。そこは、ありとあらゆるピアノとその部品で埋め尽くされているアトリエでした。

この作品は再読。以前読んだのは丁度5年前、ブログを始める直前です。その後また読みたいなと思いつつ、なかなか通して読むところまではいかなかったんですが、ようやくじっくり読み返せました。
何度読んでも本当に素敵な作品。楽器を弾かない人にももちろん楽しめると思うんですけど、特に子供の頃にピアノが大好きだった人、大人になってからも弾きたいと思ったことがある人は、そのまま楽器屋さんに直行したくなっちゃうかもしれませんー。そしてまた先生について習いたくなっちゃうかも。という私は大学生になって上京する時にピアノをやめてしまったんですが、あそこでやめてなければ... って思っちゃう。ああ、細々とでも続けていれば...! そしてそして、ベビーグランドピアノが欲しいですーっ。そうでなくても、今通ってるサックス教室にグランドピアノがあって、触りたくて仕方ないのを毎週我慢してるというのに、ほんと酷な作品だわ。(笑)
リュックのアトリエにものすごーく行ってみたくなるけど、これは絶対無理。著者もそんなこと望んでないでしょうし。でもせめて、今からでもアンナみたいな先生にめぐり合えたらいいのにな。そしたら家の真ん中に可愛いベビー・グランドピアノを置いて、いつでも熱心に練習するのに。ああ、やっぱり無理かしら。(新潮クレストブックス)

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6週間ぶりに再会した恋人のクラリッサとピクニックに出かけたジョーは、ワインの栓を開けようとしたその時、男の叫び声を耳にして立ち上がります。巨大な灰色の気球が不時着し、かごから半分出かかったパイロットはロープに片足が絡まってひきずられ、かごにはまだ10歳ぐらいの少年が乗っていたのです。思わず助けに走るジョー。同じように駆けつけた何人かの男たちと一緒にロープを掴みます。しかし強風のため、気球は男たちをぶら下げたまま浮かび上がり... やがて男たちは1人また1人とロープから落下。1人が手を放すごとに気球は数フィート浮かび上がり、最後まで残っていたジョン・ローガンが手を放した時、気球は300フィートの上空にいました。ジョン・ローガンは死亡。事故にショックを受けたジョーとクラリッサは家に帰ってからも事故のことを話し続けます。その晩遅くかかってきたのは、気球の事故の時に一緒にかけつけた男たちの中の1人、ジェッド・パリーからの電話。「知ってもらいたいんだ。あなたが何を感じているかぼくには分かる。ぼくも同じことを感じてるから。愛してる」という言葉に、思わずジョーは電話を切るのですが...。

前回読んだ「アムステルダム」は、大人っぽいクールな空気が漂いながらも、あまり起承転結のない作品だったなあという印象があるんですけど、これは全然違うんですね! ひー、怖い。実際には全然ホラーじゃないんですけど、私はこの手の話が苦手なので、そこらのホラーよりもよっぽど怖く感じられてしまいました...。
読み始めた時はてっきり、自分は死にたくないからロープから手を放してしまって、結局最後までロープに掴ってたジョン・ローガンを死なせてしまった罪悪感の話かと思ったんですが(最初にロープから手を放したのは自分じゃなかったって何度も言い訳してるんですもん)、全然そうじゃなくて(笑)、実際にはこの事件をきっかけに妙な男に見初められてしまったという話で、びっくり。相手に愛されていると勝手にかつ強烈に思い込んでしまう、「ド・クレランボー」症候群という妄想症があるんだそうです。そんな相手にストーカーされてしまうだけでも怖いんですけど、どこまでいっても会話は平行線を辿ってる辺りも強烈。ジョーはノイローゼ気味になっちゃうし、それが原因で恋人との仲が内側から崩壊し始めちゃう。いくらジョーにとっては脅威でも、その男はクラリッサには全然接触してないので、彼女にとってみれば多少危ないかもしれなくても特に危険のない相手に過ぎないですしね。本当にそれがジョーが言うように危険な人物なのか、それとも本当はジョーがおかしいのか。本当は科学者になりたかったという微妙なコンプレックスが、ジョーの精神崩壊に生かされてる辺りも巧いなあって思っちゃった。ま、それだけに私としては怖かったんですけどね。面白かったことは面白かったんですけど、読むのがツラかったですー。(新潮文庫)


+既読のイアン・マキューアン作品の感想+
「アムステルダム」イアン・マキューアン
「愛の続き」イアン・マキューアン

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1957年5月のパリ。フルート奏者のラファエル・ルパージュのアパートを訪れたのは、ドイツからパリにやって来たばかりの20歳のサフィー。ラファエルが新聞に出した家政婦募集の広告を見てやって来たのです。会った途端、ラファエルはサフィーの現実に対する無関心な態度に魅了され、翌6月には2人は結婚。しかし1人息子のエミールが生まれても、サフィーの無関心さには変化がなかったのです。そんなある日、ラファエロのバス・フルートを修理に持って行ったサフィーは、そこで出会った楽器職人のアンドラーシュと突然激しい恋に落ちてしまい...。

第二次世界大戦が終結して12年という、まだまだ戦争の傷の生々しい時代に出会うことになった、3人の男女の物語。
ラファエルは、父親をドイツ人のせいで亡くしているフランス人。ハンガリー系ユダヤ人のアンドラーシュも、多くの血縁をナチスのせいで失っています。そしてドイツ人のサフィーの父は、ナチスの協力者。それだけでも十分すぎるほどなのに、サフィーは母親と一緒にロシア人兵士に陵辱された経験があって、そのために母を失っていて、ロシアに代表される共産主義者は忌み嫌うべき存在だというのに、アンドラーシュはアルジェリア戦争を支持す共産主義者。そしてこの物語の背景となるシャルル・ドゴール時代は、かつてドイツにやられたことを別の相手にやり返そうとしているかのように、フランスはアルジェリア人を大量に虐殺してるんです。本来なら、問答無用で憎み合ってもおかしくない3人なのに、惹かれあってしまうんですね。でも相手に惹かれるということは、その背景をも一緒に受け入れるということに他ならないわけで。
そんな重い愛が描かれていながらも、同時にとても静かで透明感のある作品でした。それにとても映像的。特にサフィーがアンドラーシュに恋した後は、それまでのモノクロームな画面がいきなりフルカラーに変わってしまったような鮮やかさがありました。いそいそと乳母車を押して楽器工房へと向かうサフィーの姿、アンドラーシュと散歩をするサフィーの姿などがとても鮮やかに印象に残ります。そしてそんな場面を眺めていると、ラファエルの奏でるフルートの音色や、アンドラーシュの工房での音楽が遠くから聞こえてくるという感じ... 美しい。

ちなみに原題「L'EMPREINTE DE L'ANGE」は、「天使の刻印」という意味だそうです。ユダヤ人には、赤ん坊が生まれる時に天使が鼻と唇の間に指をおいて天国での記憶を消し去るから、赤ん坊は純粋で無垢なまま地上に生れ落ちるのだという伝承があるのだとか。そんな風に無垢に生まれついたはずの人間がいつの間に無垢でなくなってしまうのだろう... というサフィーの言葉もとても印象に残りました。(新潮クレストブックス)

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1950年代、アイオワのエイムズは、離婚した夫婦は1組だけ、殺人事件が起きたのは1回きり、アルバイトといえばベビーシッターかトウモロコシの雄穂摘みぐらいしかないような、静かな時代の静かな町。そんな小さな町での、「何も起こらなかった」けれど様々な思い出が濃密に詰まっている少女時代を描く、スーザン・アレン・トウスの回想録。

ああー、古き良きアメリカ! 作者自身冒頭で、当時は通販カタログの表紙の写真のような、背が高くてハンサムな夫と頬の赤い2人の子供、アイリッシュセッターに囲まれてピクニックをしている美人でお洒落な女性が理想の姿だったと書いてるんですけど、でもほんと、読んでいたら一昔前のアメリカのコマーシャルに出て来そうな、そんな幸せそうな情景を思い浮かべてしまいました。作者のスーザン・アレン・トウス自身は、早くに父親を亡くして母子家庭だったんですけどね。本に収められていた家族写真が、まさにそのイメージだったし~。髪の毛がくるくるとカールして可愛らしい姉妹と、(それほどハンサムではないけれど)優しそうな笑顔のお父さん、そして美人でお洒落なお母さん。(いかにも働く女性という知的な雰囲気)
現在の1人娘とのやり取りの合間に、思い浮かぶままに思い出を連ねていったというような回想録で、あまり整理されているとは言えないかもしれないんですけど、そのさりげなさが読んでいてとても心地よかったし、1人の少女の等身大の姿が伝わってくるところが、とても素敵でした。少女たちの親友作りと水面下でのライバル関係、男の子たちの目を意識しながらのプールやパジャマ・パーティ。パーティのためのドレスを自分で作るのは当たり前で、自分を最大限に魅力的に演出するために知恵を絞り、男の子とは時間をかけて恋を育んだ時代。作者自身が「男女交際の速度が高速道路並みにスピードアップされ、わたし自身、すぐにベッドに誘おうと試みない男性がいると、ゲイかもしれないわと思う今の時代には、とても信じられないかもしれないけれど」と書いているように、今のアメリカには、こんな恋愛はもうないんでしょうね。でもこんな風にゆっくりと手探りで進んで、一線を越えるかどうかで悩んじゃうような恋愛の方が、精神的には遥かに豊かに感じられちゃうな。
なんだか少女たちのざわめきやくすくす笑いが聞こえてきそうな回想録で、良かったです!(新潮クレストブックス)

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南北戦争末期。ピーターズバーグで首に銃弾を受け、瀕死の重症を負った南軍兵士のインマンは、仲間の兵士たちや医師が手の施しようがないと判断したにも関わらず野戦病院まで生き延び、さらに出身州の正規の病院に移される間も生き延びて、ようやく傷が治り始めます。何週間もかけて少しずつ良くなってきたインマンは、今ではベッドで本を読んだり、外を眺めたりする日々。そんなある日、自分が病院から町まで歩けることを確認したインマンは、夜中に目を覚まし、恋人だったエイダの待つコールドマウンテンの町を目指して病院から脱走することに。

南軍から脱走し、追っ手から逃れながらひたすらコールド・マウンテンに向かうインマンと、牧師だった父を失って経済的に破綻し、ルビーという少女と共に暮らしを立て直そうとするエイダの2つの物語。恋愛小説ではあるんでしょうし、南北戦争をめぐる人々のドラマでもあるんでしょうけれど、そういった人間ドラマよりも、いろんな土地や自然の美しさや厳しさが印象に残った作品でした。特に、すっかり荒れてしまった自分の農場を、自給自足できるまでに作り変えようと決意したエイダの目に映る自然の情景が魅力的。チャールストンの上流階級に生まれて、女性には十分すぎるほどの教養を持っていて、でも「生きる」ということは今まで銀行でお金を下ろしてくること程度の認識しかなかったエイダなんですけど、ルビーという少女に助けられて徐々に強く逞しく生まれ変わってくるんですよね。となると、当然このルビーも魅力的なわけで...。教養としての学問こそ全くなくても、生きるための知識をたっぷりと持っていて、バイタリティに溢れているルビーは、主役の2人よりも存在感があるし素敵なんです。生きるというのは、本来こういうことなのね。ええと、逃亡中のインマンも、生き延びようとしているという意味ではエイダたちと同じだし、そこには様々な人間との出会いや別れ、そしてドラマがあるんですけど、日々の生活の中で着実に何かを作り上げつつあるエイダとルビーの方が前向きだし、読んでいて楽しかった。もちろん、インマンのパートがあるからこそ、エイダとルビーのパートが引き立っていたというのもあるのだけど。でもやっぱり光っていたのはルビーだな。(新潮文庫)

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この3年ほど三日月湖の120cm四方の水面を見続けていた91歳のルイスは、その日も高価な海釣り用の竿を持って立っていました。そこに現れたのは、自称飛行貴族の老アルリッチ、昔からこの入り江に住んでいるシドニー・ファート、稀代の嘘つき野郎・ピーター・レンといういつものメンバー。4人は今までにできずに後悔したことの話を始めます。そしてミセス・ウーテンが現れて... という「老いの桟橋」他、全16編の収められた短編集。

アメリカ南部を代表する作家だというバリー・ハナ。処女長編ではウィリアム・フォークナー賞を受賞して、作家としての地位を早くも確立、現在はミシシッピー大学で創作を教えているのだそうです。でも、一応最後まで読んだんですが... うーん、最初から最後まであまり楽しめなかったです。老いや死をテーマに扱った作品が多くて、毒が強いんですよね。訳者あとがきには「きっとハナは、人間の生を逆転した地点から眺めてみたかったのではないだろうか」とあるし、確かにその通りかもしれないなあとは思うんですが...。こういう作品が好きな人にとっては堪らないのかも。強いて言えば、「老いの桟橋」「ふたつのものが、ぼんやりと、互いに襲いかかろうとしていた」「よう、煙草と時間とニュースと俺のメンツはあるかい?」「ニコディマスの断崖」辺りは、比較的受け入れやすかったように思うんですが。(新潮クレストブックス)

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ヨークシャーの田舎で開業医をしていた父は、チャンスさえあれば、ちょっとしたズルやイカサマをするのが大好きで、お金と時間を節約しようとするような人間。時には鬱陶しい思いをしたり、怒りを感じたりもしたものの、その父が末期癌であることが分かり、「僕」は思いがけないショックを受けます。死に行く父を見つめながら、父との思い出を語るエッセイ。

読む前は、癌の闘病記のようなものを予想していたんですが、実態は全然違っていて、父と子の回顧録でした。父親のケチでズルいところ、息子に負けたがらないようなところ、いつまでも息子の人生に口出ししたがるところなど、苦々しく思っていた数々のこと、そんな父親から逃れるために、父親がまるで興味を持っていないサッカーをやり、聖歌隊に入り、医者にはならずに文科系に進んだ自分のこと。そこから浮かび上がってくるのは、どうしようもない俗物のように見えても、根は憎めない人間である父の姿。お互いの女性関係のことまで洗いざらい、乾いた文章で苦笑い交じりに書かれている感じなので、とても読みやすいです。でも訳者あとがきによると、これは最初から本にするために書かれた文章ではなくて、予想以上に衝撃を受けている自分自身のセラピーのために書かれた日記やメモだったのだそう。そうだったのか、ああ、なんだか分かる気がする... いろんな文章から、受けている衝撃の大きさが迫ってきます。(新潮クレストブックス)

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ヨーが幼稚園の頃に、両親は離婚。母は通りを2、3本へだてた所に引越して、「わたし」は売れない作家の父と家に残ります。父はやがてエリアーネという女と再婚するのですが、いつもキッチンにいてオレンジをむき、煙草を吸い、ナッツを盛大に食べ、癇癪を起こしていたエリアーネは、いつの間にか家を出ていました。やがて母も、アロイスという男と再婚して遠い町へいくことに。そして12年後、ヨーは母に再会します。

ゾエ・イェニーの両親も3歳の時に離婚していて、父親はバーゼルで出版社を経営、かなり自伝的な要素の強い作品のようです。でもイェニー自身は、作中のヨーと同一視されることを当惑しているのだとか。訳者あとがきに、吉本ばななを愛読していると書いてあって、そう言われてみると、確かに吉本ばななさんと共通するところがあるみたいです... 「家族」とかね。でも、その表現方法はまるで違いますね。一番違うのは、感情の扱い方でしょうかー。この作品、主人公のヨーの感情がまるで描かれていないんです。訳者あとがきによると、それは、ヨーがつねに「ある感情のなかで」「感情のまっただなかに身を置いて」語るからだ、とのこと。確かに文章は簡潔すぎるほど簡潔だし、淡々と静かに事実を書き連ねていくだけで、ヨーの感情なんて全然書かれてないんですが、そこにずっと漂い続けているのは圧倒的な孤独感。孤独感が強すぎて、他の感情がすっかり色褪せてしまったのかも...。父親と、あるいは母親と一緒にいながら、彼らの人生に自分が存在する場所がないことを常に感じさせられ続けるというのは、本当に1人ぼっちの寂しさよりもたちが悪いような気がします...。
独特な雰囲気のある作品でした。ヨーがあまりに淡々と事実を描き出していくだけなので、吉本ばなな作品の女性たちのようには感情移入できなかったんですけどね...(新潮クレストブックス)

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スコットランド出身の青年、ニコラス・ギャリガンが医師としてウガンダに到着したのは、丁度イディ・アミン・ダダがオボテ大統領を打倒し、政権を奪い取った頃。不安定な首都・カンパラを後に、ギャリガンはすぐに赴任先のムバララへと向かうことに。しかし数年後、地方にやって来たイディ・アミンの手当をしたのがきっかけで、ギャリガンはイディ・アミンの主治医として首都・カンパラに戻ることになったのです。

実在のウガンダの独裁者・イディ・アミン元大統領、そして1970年代におけるウガンダの独裁恐怖政治を、その主治医(架空の人物)の視点から描くという物語。軍人出身でアドルフ・ヒットラーを尊敬し、反体制派の国民を30~40万人も虐殺したというイディ・アミンは、アフリカで最も血にまみれた独裁者と言われた人物なんだそうです。
このイディ・アミンがものすごく魅力的に描かれていました。読んでいるこちらまでイディ・アミンに魅せられて、コントロールされてしまいそうになるほど。実際のイディ・アミンがどんな人物だったのかは知らないんですけど、やっぱり血にまみれた独裁者ですしね...。でもこの作品のイディ・アミンのカリスマぶりはすごいです。もちろん、傍にいたギャリガンがその魅力に抗えるわけがなく。慎重に距離を置こうとしても、気づけばすっかりイディ・アミンの手の内に取り込まれてしまってます。医師としての職業倫理と、英国大使館からの圧力の板挟みになって、逃げ出したいと思いながらもなかなか行動に移せないまま、イディ・アミンに翻弄され続けるギャリガン。そもそも、アフリカに赴任したことからして考えが甘すぎるギャリガンなんですけど、イディ・アミンに出会いさえしなければ、それなりの人生を送れたはずなんですよね。だからこそ、イディ・アミンに手もなくやられてしまったのが、とてもリアル。
リサーチに6年、執筆には2年が費やされたそうで、上記のイディ・アミンのことだけでなく、アフリカの地理、歴史、産業、文化、そして複雑な政治情勢、さらには医療の現場の実態についてもすごく詳しくて、予想外に面白かったです。これは映画にもなっているのだそう。「ラストキング・オブ・スコットランド」、アカデミー最優秀主演男優賞を取ってるんですね。どんなイディ・アミンだったのか、ちょっと見てみたいかも。(新潮クレストブックス)

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ペギーは町営図書館の司書。ペギーの勤める図書館にジェイムズが初めてやって来たのは、ペギーが25歳、ジェイムズが11歳の時。小学校のクラスメートたちと共に教師に引率されて図書館に入ってきた中にいたジェームズは、当時ですら185cmという長身で目立っていました。それからというもの、人間があまり好きではなく、恋愛にも縁遠かったペギーにとって、ジェイムズは特別な存在となります。

図書館司書をしている冴えない女性・ペギーと、巨人症の少年・ジェイムズの恋物語... でいいのかな。なんだかね、読み方によってはすごくスレた読み方ができる話なんです。ペギーのジェイムズに対する恋心は、ともすれば所有欲に近いものにも見えるんですよね。節度を守った行動ではあるけれど、気持ち的にはストーカー寄り... いわゆる世間一般の「女性らしい女性」の規範からはみ出してしまったペギーが、常に背の高さばかり注目されてしまう、「少年らしい少年」の規範からはみ出してしまったジェイムズに、同病相憐れむ感情を抱いたようにも見えます。家族愛を知らないペギーにとっては、ジェイムズの家の雰囲気も憧れだったのかも。...とは言っても。始まりがどんな感情であったにせよ、それだけを追い求めれば、いつかは本物になる...!? ペギーの最後の行動には、びっくり。そんなのばれないはずがないでしょう、と思いつつ...。
なーんて書いてますけど、素直な気持ちで読むと、とってもピュアな恋愛小説にもなるんです。恋愛に慣れていない2人が不器用ながらも着実に思いを育んでいった、というような。そうなると、最後は「ペギーもようやく自分の居場所を見つけられてよかったね」って、そうなるかな...? ふふふ、面白かったです♪

この作品の中で、図書館司書に対して手厳しい言葉がありました。「司書は(スチュワーデス、公認会計士、中古車のセールスマンとおなじく)、ある種ひねくれた人間を惹きよせる職業と思われている。さらには、手厳しい行き遅れの女ということになっている。寂しい頑固者。まずもって、刺々しい。罰金を愛し、静寂を愛する」ですって。ひいい。(笑)(新潮クレストブックス)

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年老いて、自分の身体が頑固な痛みの詰まった袋に過ぎないと痛感するようになった公爵は、ある時思い立って、広大な敷地内に巨大なトンネルを8本も掘らせることに。そのトンネルは、馬車も通れるという大きいもの。施工には5年もかかります。しかしそのトンネルが何のために作られたのか、公爵が人に明かすことはなかったのです。

作者のミック・ジャクソンの本名はマイケル・ジャクソン。それだとあんまりだっていうんでミック・ジャクソンに変えたら、今度はミック・ジャガーみたいになってしまったんだとか。(笑) 有名人と同姓同名って困りますよね。字が違ってても、例えば呼び出しの時とかに困る、特に空港みたいなところで呼び出されたくないって、以前「シバタキョウヘイ」さんが言ってました。同姓同名の人は時々見かけますが、私が知ってる人はほとんどその有名人と同世代。親がファンで名前を貰っちゃった!ってことではないんですよね。最近は「ヤマグチトモコ」さんがいたなあ... しかもこの山口さんは、全く同じ字でした。まあ、この場合はそれほど珍しい名前じゃないですけどね。親御さんは「智子」って名前をつけただけだし。って、関係ないこと書いてますけど、このミック・ジャクソン、ロックバンドをやってたこともあるようですが、本業は映画監督とか脚本の方なのだそうです。なるほど、この小説も確かにどこか映画っぽい匂いがする構成かもしれません。
最初は人生に疲れた普通の老人に見える公爵が、いかにもイギリス的なユーモアを交えながら描かれていきます。周囲の人々にも奇矯な人物と認識されているようですが、愛すべき老人。時折昔のエピソードが折挟まれるんですけど、それがあまりに断片的で、微笑ましいというよりも危うい印象。老公爵は徐々に狂気に蝕まれ始めていて、気がつけば取り返しのつかないところまでいってしまってました。...ええと、やりたかったことは分かるんだけど、終始淡々と描かれてるので、どうも単調で... 最後は結構強烈なはずなのに、ここもそれまでの淡々とした筆運びに負けてしまったような気がします。そしてこの穴掘り公爵、第5代ポートランド公ウィリアム・ジョン・キャヴェンディッシュ=ベンティック=スコットというモデルがいるらしいんですね。実際にトンネルを掘ったこともあったのだとか。実際にはミック・ジャクソンが作り上げた部分も多いんでしょうけど... この穴掘り公爵、結局そのモデルの影から逃げ切れなかったのかもしれませんね。(新潮クレストブックス)

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メアリアン・カーステアズが初めて女性から「性の興奮と知の興奮の手ほどき」を受けたのは、17歳の時のこと。その手ほどきをしたのは、オスカー・ワイルドの姪で、当時パリ社交界の中心にいたドリー・ワイルド。大金持ちではあるものの野暮ったい田舎娘だったメアリアンは、たちまちのうちにドリーに魅了され、様々なことをドリーに教わることになります。その後、メアリアンはジョー・カーステアズと名乗るようになり、数々の女優と浮名を流し、その中にはマレーネ・デートリッヒのような大女優も含まれることに。

ボートレースにも果敢に挑戦してるし、ホエール島を買い取ってからも精力的に活動してるし、表向きには豪快で華やかな生き方のように見えるんです。でもこの作品を読んでいると、その裏に潜む寂しがりやの素顔が透けて見えてきました。お金は有り余るほどあっても、次々に浮き名を流しても、本当に求める愛情はなかなか得られないんですよね。唯一の真実の恋人が失われてしまったのも、言わば自業自得だし、トッド・ウォドリー卿と名付けられた人形への偏愛が怖い... きっと子供の頃に結局得られなかった親の愛情への裏返しなんでしょう。何事においても自分が拒絶されたということを認められなくて、自分から捨てたんだと粋がってみせるところも痛々しすぎ。1920年代というのは、戦争のせいで男性が不足してたこともあって、性的に寛容な時代だったようなんですよね。なのでジョー・カーステアズみたいな人物ももてはやされることになったんでしょうけど、この人もまた戦争の被害者なのかなあ、なんて思ってしまいました。戦争がなかったら、これほどまでに華やかな生活はできなかったでしょうけど、逆にもっと身近なところに小さな幸せをみつけて一生を送ったんじゃないかしら。それにお金がありすぎるっていうのも、絶対マイナス要因ですね。お金に頼りすぎです、彼女。
ジョー・カーステアズ自身にはあまり惹かれなかったんですけど、周囲の人物とのエピソードは面白かったです。カニグズバーグの「エリコの丘から」に出てきたタリューラ・バンクヘッドにニヤリ。「魔性の犬」のクエンティン・クリスプの名前も出てきてびっくり! でもやっぱり一番の話題は、マレーネ・ディートリッヒかな。やっぱりディートリッヒは素敵だったんですね~。(新潮クレストブックス)

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ニューヨークで出会って結婚したものの、貧しさのあまり暮らしていくことができず、フランクの両親は子供たちを連れてアイルランドのリムリックへと戻ることに。父のマラキは、口ばかり達者で甲斐性なしの飲んだくれ。暖炉のわきでうめくだけの信心深い母親・アンジェラ。一家がアイルランドに渡ったのはフランクが4歳、すぐ下の弟のマラキが3歳、双子の弟のオリバーとユージーンが1歳の時のことでした。

1997年のピュリッツァー賞伝記部門を受賞したという、フランク・マコート自身の子供の頃を描いた作品です。

子供のころを振り返ると、よく生き延びたものだと思う。もちろん、惨めな子供時代だった。だが、幸せな子供時代なんて語る価値もない。アイルランド人の惨めな子供時代は、普通の人の惨めな子供時代より悪い。アイルランド人カトリック教徒の惨めな子供時代は、それよりもっと悪い。

貧しくてひもじくて、それでも父親はわずかに稼いだ金や失業手当を持ってパブに行ってしまい、子供たちは空腹のまま布団に入る毎日。妹のマーガレットや弟のオリバーとユージーンが死んだのも貧しさのせいだし、フランクの腸チフスや結膜炎ものすごく酷くなったのも、貧しさのせい。仕事が長続きしないのに、ほんのわずかのお金も飲んでしまう父親のせいで、母親は近所の人に食べ物を借りて、子供たちに食べさせる生活。後の方で、フランクが空腹のあまり、フィッシュアンドチップスが包まれていた新聞紙の油をなめるシーンが出てきます。強烈です。「油の染みが一つもなくなるまで、ぼくは新聞をちゅうちゅうと吸う」 ...確かにアイルランドのカトリック教徒の子供たちの悲惨さは、桁違いかもしれないですね。
それでも決してお涙頂戴ではなくて、ほんのりユーモアまじりに語られているのがいいのです。悲惨な状況ではあるけど、フランクたちは決して不幸ではないし...。父親が語ってくれるクーフリンの物語を、フランクが大事に自分だけのものにしていたり、早朝の父親を独り占めして密かに喜びを感じている部分なんて、読んでいるとほんのりと暖かくなります。告解のエピソードも微笑ましいです。幼い頃の告解は司祭が笑いをこらえるのに必死になるような無邪気な内容なんですが、徐々に大きくなって異性への関心が育つにつれて、素直に告解できるような内容ではなくなってくるんですね。そうなると、フランクは教会に行かなければと思いつつも、なかなか入ることができなくなっちゃう。そして、おできのように大きく腫れ上がった罪の意識が自分を殺すことのないようにと1人祈ることに... 一人前の大人になったように見えながら、まだまだ子供の部分を見せるフランクが可愛いです。

「アンジェラの灰」の「灰」とは何なのか、この作品にははっきりと書かれていません。アンジェラが時々眺めている暖炉の灰とか、煙草の灰というのも考えられるんですけど、私は最初この題を見た時に、「ashes to ashes, dust to dust」(灰は灰に、塵は塵に、という埋葬の時の言葉)なのかなと思いました... が、アンジェラはまだ生きてるので、違うみたい。(笑)
あとがきによると、続編の「アンジェラの祈り」を読むと分かるのだそうです。(新潮文庫)


+既読のフランク・マコート作品の感想+
「アンジェラの灰」上下 フランク・マコート
「アンジェラの祈り」フランク・マコート

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夏休みになると、毎年田舎(カンポ)のオジさんの家にやられる9歳のユニオールと12歳のラファ。兄のラファは毎年文句を言うけれど、首都サント・ドミンゴのスラムとはまるで違う生活を、ユニオールは案外気に入っていました... という「イスラエル」以下全10編。

ドミニカ共和国からアメリカに移民した作家・ジュノ・ディアズの自伝的短編集。それぞれの短編は時系列的に並んでいるわけではなくて、主人公のユニオールは9歳だったりティーンエイジャーだったり、物語の舞台となる場所もドミニカ共和国の首都・サント・ドミンゴだったり、田舎町だったり、ニューヨークのスラムだったりと、結構ランダム。でも、それがなぜかとても自然で、その都度、すんなりとその情景に引き込んでくれるんです。
冒頭に、「あなたにこうして / 英語で書いていること自体 / 本当に伝えたかったことを / 既に裏切っている / わたしの伝えたかったこと / それは / わたしが英語の世界に属さないこと / それどころか、どこにも属していないこと」という言葉が引用されています。この言葉はキューバの詩人の言葉なのだそう。でもきっと、ディアズ自身の叫びでもあるんでしょうね。アメリカの大学や大学院に進学している以上、既に英語の方が堪能かもしれませんが、どんな風に書いても英語で書いている以上、元々話したり考えるために使っていたスペイン語とは異質なものとなっているはず。そういうことを考えると、母国語でもないフランス語を日々使い、執筆しているアゴタ・クリストフのことを思い出さずにはいられません。ジュノ・ディアズもアゴタ・クリストフのように、自分の中から母国語が消えていくのを感じていたりするのでしょうか。ジュノ・ディアズの場合は、戦争のためにやむを得なかったアゴタ・クリストフとは状況が全然違うのだけど。でもいくら上手に英語を話しても、英語は彼の母国語ではないんですよね。そしてそれこそが、この短編集に独特の雰囲気を与えているものなのかも。それぞれに余韻の残る短編集です。
でもこの題名、どこから出てきた言葉なんだろう? 原題は「DROWN」... 溺れる、です。直訳して、そのままタイトルにするわけにいかないのは分かるんですけどね。(新潮クレストブックス)

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1949年6月、政府科学顧問のベン・ロックスペイサー卿と国防省科学顧問のヘンリー・ティザード卿に、コンピュータの可能性について科学者に打診するよう依頼された物理学者のC.P.スノウは、スノウの母校ケンブリッジ大学のクライスト・コレッジで非公式のディナーを開催します。招かれたのは、遺伝学者のJ.B.S.ホールデイン、量子力学でノーベル物理学賞を受賞したエルヴィン・シュレーディンガー、20世紀で最大の哲学者の1人・ルードヴィッヒ・ヴィトゲンシュタイン、数学者のアラン・チューリングの4人。その晩、ディナーの席で5人の白熱の議論が繰り広げられることに。

ここに書かれているのは、架空のディナーの情景。中心的な議題は、機械は思考することができるか否かというもの。この議論の中では、あくまでも「考える機械」止まりなんですけど、実質的には「人工知能(AI)の可能性について」ですね。(まだその言葉が生まれてなかったのね)
好戦的なヴィトゲンシュタインと、内向的だけど自信に満ちたチューリングの激しい議論が中心となって、穏やかなC.P.スノウが時折議論の筋道を元に戻しながら、シュレーディンガーとホールデインが自分の専門分野からの考察を挟んで議論をさらに煽るという形式。実際にはこんな話し合いはなかったはずなのに、本当に白熱の議論が行われてるような臨場感がありました。ここに出てくる5人に関しては名前ぐらいしか知らなかったんだけど、学者たちの個性もきちんと書き分けられていて掴みやすかったし、理数系の専門知識が全然なくても、予想したより分かりやすくて面白かった。訳者あとがきに、「精神と機械の本質を浮かび上がらせ、それらに関する知見を高校生にも分かるほど平易に解説」とあるように、入門的な本なんでしょうね。果たして専門的な知識を持つ人にはどうなのかな? あとね、この議論でのヴィトゲンシュタインってちょっと凄いんですよ。ヴィトゲンシュタインについて良く知ってる人には、これはどうなんだろう? ちょっと聞いてみたいところです。 (新潮クレストブックス)

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1912年4月10日。世界最大の客船・タイタニックが出航し、楽師として雇われた7人も乗船。バンドマスターはジェイソン・カワード。何度も楽師として船に乗り込んだ経験を持つ30台半ばの男。一緒に乗り込んだのは、ジェイソンと長年組んでいるロシア人バイオリニスト・アレックス、ビオラ奏者のジム、チェロ奏者のジョルジュ、中流階級の教師のような雰囲気を持つピアニストのスポット。急遽ベース担当として呼ばれた老イタリア人・ペトロニウス、そしてウィーンから出てきたばかりの17歳のダヴィットという面々でした。

タイタニック号では、沈没する時まで、楽団員が演奏をし続けていたんだそうですね。この作品は、その楽団員たちを描いた物語。とは言っても、ここに描かれているのは、実際にタイタニック号に乗っていた楽師たちではなくて、ハンセンの創作した人物たちなんだそうです。タイタニック号の細部や航海の様子、その船長などといった部分は忠実に描き、そこに全くのフィクションを作り上げたのだとのこと。
その7人の楽団員たちは、生まれた国も育ちもバラバラ。この作品では、ジェイソン、アレックス、スポット、ペトロニウス、ダヴィットという5人について、1人ずつ描き出していくんですが、その共通点は、幸せだったはずの人生からいつの間にか転落し、彼らを取り囲む全てが崩壊していったということ。きっかけは人それぞれでも、5人とも見事なほど深淵へと堕ちていくんですね。タイタニック号のような豪華客船ではあっても、船の楽師というのは決して高い地位ではなく、むしろ楽師としては、吹き溜まりと言っていい状態。彼らの破滅の総仕上げがタイタニック号の沈没となり、それがまるで古き良き時代の終焉でもあるような...。
タイタニック号が舞台ではありますが、船の場面はそれほど多くないですし、重要でもないです。船が氷山にぶつかってから沈没するまでがあまりにあっさりしていて、逆に驚いたほど。私は映画「タイタニック」は観てないんですけど、予告編は見てるから雰囲気はなんとなく分かるし、「ポセイドン・アドベンチャー」はテレビで観た覚えが... とは言っても、それもあまり覚えてなくて、背の高い神父が頑張ってた場面が浮かんでくる程度なんですけど(笑)、ポール・ギャリコの原作は読んでるんですよね。(感想) でも、そういった作品とはまるで違っていました。普通なら、氷山にぶつかってからが本番といった感じですが、こちらでは全然。

全編通して回想シーンがとても多いんですけど、その中でもジェイソンのお父さんが語る、宇宙に存在する壮大な音楽について、バイオリンの弦を使ったケプラーの法則の実験の場面がとても素敵でした。そして人物的に惹かれたのは、ピアニストのスポット。ただ、ここで語られているのは、7人の楽師のうち5人だけなんですよね。あとの2人、ジョルジュとジムについて語られなかったのはなぜなんだろう? 7人中7人が破滅へまっしぐらとなると、それはちょっと出来すぎだから? でもこの2人の人生も気になります。特に本好きのフランス人のジョルジュ。だって、彼がギリシャ神話をモンマルトルに例えて説明するの、結構面白かったですもん。(笑)(新潮文庫)

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親父が女を雇ったと聞いて驚く「俺」たち兄弟。それははるばるペンシルバニアからオンボロ車でやって来た、19歳のマーサ・ノックスで... という表題作「巡礼者」以下12編が収められた短編集。

新潮文庫で読んでますが、元々は新潮クレストブックスの作品。いやー、良かったです。私は基本的に短編集は苦手なんですけど、これは良かった。短編集といえば、同じく新潮クレストブックスから出ていたジュンパ・ラヒリの「停電の夜に」もすごく良かったし(感想)、やっぱり短編の書き手となる人っているものですね。素敵な短編を読んだ時って、それほどの長さではなくても、まるで長編を読んだ時のような満足感が残りませんか~?
どの物語も何か特別なことが起きるわけではないし、むしろ起伏は少なすぎるほど少なくて、しかもあっけないほどあっさりと終わってしまいます。ごくごく淡々と日常の場面を切り取っているだけ。それなのにとても心に残るんです。私が特に好きなのは、「デニー・ブラウン(15歳)の知らなかったこと」。そしてダントツで好きなのは「最高の妻」。でもどれも良かった。素敵です。やっぱりクレストブックスはいいなあ。でもクレストブックスで1つ難点なのは、あまり文庫にならないで、ソフトカバー版がそのまま絶版になっちゃうことですね。そりゃソフトカバーの装幀は素敵だし軽くて読みやすいし、揃えたくなっちゃうんですけど、お財布的にも置き場所的にもそれはちょっと無理なんですもん。せめて文庫にして欲しいー。(新潮文庫)

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17歳の時に出会って結婚した両親は、「わたし」が生まれて半年後に離婚。母が貧しい牧師風情と結婚していることが許せなかった祖父母が、父を家から追い出したのです。父のことを愛し続けていた母は、それを忘れようとするかのように他の男性たちとのデートを重ねる日々。「わたし」が父に会ったのは5歳、10歳、そして20歳になった時。20歳の時、10年ぶりに父に会った娘は父に強く惹かれ、父もまた美しく成長した娘に目を奪われます。

作者自身の体験、それも近親相姦が描かれていると話題になったらしいですね。でも、確かに近親相姦ではあるんですけど、かなりそっけない文章で書かれてるので、そういうエロティックさはほとんど感じなかったです。ここに描かれているのは、愛情に飢えた子供が自分の中に溜め込んできた哀しみ。でもそっけない文章のせいなのか、ただ言葉が足りないのか、こちらに受け止める力がないのか、彼女が父親に魅了される気持ちがあまり伝わってこなかったです。あの父親の一体どこがそんなに良かったのかしら。失われていた父親に対する思いというのは確かにあるでしょうけど...。父親にしたって、あれじゃあただの、自分が欲しいものを我慢することを知らない子供じゃないですか。娘の思いをあんな風に利用する父親なんて、とんでもない。
原題はただの「Kiss」ではなく、「The Kiss」。作品そのものは全然感傷的じゃないのに、「その」キスというところに、作者の感情が出てるような気がします。キャサリン・ハリソンを呪縛した、1つのキス。そしてこの作品では、過去のことを語りながら、その文章は現在形という時制を取ってるんですけど、これは過去の自分を追体験するという意味があったのでしょうか? 小説として読んでもらうことが目的というよりも、自分の辛い過去を敢えて文章にすることで、自分自身がその呪縛を断ち切るのが目的の作品のように思えました。(新潮文庫)

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アリステア・マクラウド自身が生まれ育ったというカナダのケープ・ブレトンが舞台となった短編集。このマクラウドは、初めての長編が発表されるまでの31年間、わずか16作の短編しか発表しなかったという寡作な作家なのだそうです。
ケープ・ブレトンは、「赤毛のアン」のプリンス・エドワード島の東隣にあるそうなので、自然環境という意味では「赤毛のアン」とそれほど変わらないんじゃないかと思うんですが、「赤毛のアン」からは想像がつかないほどの厳しい自然が描かれていてびっくり。人間を拒否しているとしか思えないほど厳しいです。これを読むと、「赤毛のアン」が夢物語のような気がしてきちゃうぐらい。そしてそんな土地に根ざして生きている祖父母や両親たちの逞しい生活力と、そんな彼らの姿を冷静に見つめる子供たちの目が対照的。親たちがどれだけ必死に生活していようとも、時代は確実に移り変わっていくんですねえ。今はまだ、かつて住んでいたスコットランドや、そこから追われるようにして出てきた記憶が色濃く残ってるけど、それもすぐに今の生々しさを失ってしまうんでしょうね。
炭坑夫の息子として育ち、子供の頃から勉強や読書が好きだったというマクラウドは、最初の作品「船」の「私」のような存在だったのかな? この8編の中で特に好きなのは、「ランキンズ岬への道」。表題作の「灰色の輝ける贈り物」も良かったです。(新潮クレストブックス)


+既読のアリステア・マクラウド作品の感想+
「灰色の輝ける贈り物」アリステア・マクラウド
「冬の犬」アリステア・マクラウド
「彼方なる歌に耳を澄ませよ」アリステア・マクラウド

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新潮クレストブックスから出ていた、ドイツ人作家・ベルンハルト・シュリンクの2冊。「朗読者」が長編で、「逃げてゆく愛」が短編。
いいですねえ。読み始めた途端に、なんだかしみじみと染み込んでくる感じでした。
予想もしてなかったのでびっくりだったんですが、「朗読者」にもナチの問題が登場するし、「逃げてゆく愛」でもドイツ人とユダヤ人、あるいはドイツが内包する政治的問題などを絡めて描いた作品が目につきます。戦争を体験した親世代、戦争を直接知らない子供世代。ごく個人的な存在でありながら、社会情勢の変化の影響を受けずにはいられない愛。ドイツ人とユダヤ人の恋愛の難しさなんかも考えさせられちゃいました。(直接的な戦争物は苦手な私なんですが、こういう作品なら読めるんですよね)
どちらが良かったかといえば、長編の「朗読者」なんですが、「逃げてゆく愛」に収められている「もう一人の男」も良かったです。これはナチは全然関係なくて、奥さんが亡くなった後に、奥さん宛てに知らない男から親しそうな手紙が来て... という話。残された2人が何を考えようと、奥さんの本当の気持ちはどうだったのか、もう誰にも分からないんですよねー。

今気がついたんですけど、この2冊、並べると表紙の雰囲気が似ててすごく綺麗ですね。やっぱりクレストブックスは装幀も素敵です♪ (「朗読者」は文庫の表紙を出してますが、若干フォントが違うだけで、バックの絵は一緒です)(新潮文庫・新潮クレストブックス)


+既読のベルンハルト・シュリンク作品の感想+
「朗読者」「逃げてゆく愛」ベルンハルト・シュリンク
「帰郷者」ベルンハルト・シュリンク

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退行性の病気で痴呆が進み、あっという間に死んでしまったモリーという女性と、かつてその恋人だった3人の男たちの物語。知的で洗練された雰囲気で、大人のための小説といった印象なんですが、男たちの自滅ぶりは実に皮肉な視線で描かれています。かつての恋人たちは、それぞれに高名な作曲家、新聞の編集長、そして外務大臣。そんな世間的に高い地位を築き上げた男性たちでも、一旦歯車が狂い始めてしまったら、崩壊するのは一瞬なんですよね。そこに、このシンプルな文章が効果的。
でも、音楽家が交響楽を作曲するシーンは面白かったし、端正な文章も良かったんですけど、男たちの自滅ぶりがあまりにありきたりに感じられてしまって、あまり楽しめなかったかも...。なんだかタチの悪い冗談みたいで。これが面白かったら、同じマキューアンの「愛の続き」も読もうと思ったんだけど、やっぱりしばらくやめておこう。(新潮文庫)


+既読のイアン・マキューアン作品の感想+
「アムステルダム」イアン・マキューアン
「愛の続き」イアン・マキューアン

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大旱魃の後のモンスーンの到来と共に生まれ、「幸運」という意味のサンパトという名がつけられたサンパト・チャウラーは、しかし20年後、すっかり無気力な人間となっていました。父親が探してくれた郵便局の仕事にもうんざり。局長の娘の結婚式でお尻を出して踊り、とうとう首になってしまいます。しかしサンパトは突然啓示を受け、家を抜け出してグアヴァの木に登ってしまうのです。家族が懇願しても、一向に降りて来ようとしないサンパト。しかし父親のミスター・チャウラは、息子を聖人として売り出すことを思いつきます。

インドを舞台にしたユーモア小説。インドの映画を小説に置き換えたらこんな感じになるのかな~ってそんな作品でした。(インドの映画、実際には観たことないんですが...) インドの庶民の生活ぶりや街中の喧騒がフルカラーで迫ってくるみたい。訳者あとがきによると、インドではそれほど荒唐無稽な話とはされてないらしいんですけど、それでもやっぱり不思議~な雰囲気があります。
この中では、聖者とされてしまったサンパトが語る教訓的な言葉が面白かったです。一見意味がないくだらない言葉のように見えながら、考えようによっては深~い意味がありそうに感じられてくる言葉。そしてグアヴァの樹の下で日々繰り広げられる人間の欲望絵図とは対照的な、サンパト自身の静かで平和な樹上世界も。それだけに物語中盤が一番面白かったですね。猿の群れが登場した後のドタバタ部分は、うーん、あまり...。(新潮クレストブックス)


+既読のキラン・デサイ作品の感想+
「グアヴァ園は大騒ぎ」キラン・デサイ
「喪失の響き」キラン・デサイ

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15歳だったアルネが亡くなって1ヶ月。ハンスは、アルネの遺品を手に取りながら、色々なことを思い出します。アルネは一家心中で1人だけ生き残った少年。ハンスの家に引き取られ、それ以来ハンスはアルネと部屋を共有していたのです。アルネはなぜ死んだのか...

先日読んだ「遺失物管理所」(感想)と同じジークフリート・レンツの作品。あちらも、読み終わってみるとなんだか物悲しく感じられたんですが、こちらは作風がまた少し違っていて、最初から最後まで透明な哀しさの中に沈みこんでいるようなイメージでした。もちろん、アルネという少年が死んでしまっていることが最初から分かっているせいもあるんですけど...
このアルネという少年がものすごく純粋で... でも純粋すぎて、脆く壊れてしまった硝子細工という感じなんですよね。ハンスやハンスの両親みたいな頼れる人間もいたし、誰にも心を開かなかった男にも心を開かせちゃったし、学校の教師はアルネの才能を認めてるんだけど... でも同年代の仲間にしか埋められない孤独というのがあって。切ないなあ。
でも、いい話だったんだけど... 私は「遺失物管理所」の方が好きかな。(新潮クレストブックス)


+既読のジークフリート・レンツ作品の感想+
「遺失物管理所」ジークフリート・レンツ
「アルネの遺品」ジークフリート・レンツ

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列車の車掌の仕事から遺失物管理所へと異動になったヘンリー。遺失物管理所は出世も望めない、列車の待機線のような場所。しかしヘンリーに出世するつもりはまるでなく... ただ気持ちよく仕事ができれば十分なのです。

駅という場所は、これから旅立つ人や帰ってきた人、単に通り過ぎていくだけの人々が集まる、それだけでもドラマを感じさせる場所。帯にも「ここでは、今日もさまざまな人間ドラマが幕を開ける」とあるし、様々な遺失物から色んな人生が見えてくるんだろうなあ、なんて思ってたんですけど、そういう話ではなかったようで...(笑)
むしろこの遺失物管理所にいるヘンリーを中心とした人間ドラマでした。24歳になっても、まだまだ少年のようなヘンリーは、イイとこの坊ちゃんらしくて、第一印象はただの困ったくん。出世欲がないのはいいとしても、お金に無頓着でお姉さんに借りまくってるみたいだし、人妻には無邪気に言い寄ってるし。あと、落し物の受取人に、その遺失物が自分の物だと証明してもらわなければならないんですけど、ナイフ投げの芸人が落とした商売道具を取りに来た時は、そのナイフの特徴を言わせるだけじゃ足りなくて、自分を的にナイフを投げさせちゃおうとするんですよ! 上司に見つかって、当然叱られることになるんですけど(笑)、大体においてそんな感じ。台本を落とした女優と、お芝居の一場面を演じてみたり。でもそんなとこがとても面白いし、そんな風に楽しそうに仕事をしてるのってヘンリーぐらいなんですよね。
作品自体はあまり明るくないんですが、ヘンリーの明るさのおかげで、それがいい具合に緩和されてるような... この空気感が何とも好きです。読み終わった後は、妙に物悲しくなっちゃったんですけどね。ヘンリーの曇りのない純粋さこそが、人々が失ってしまい、遺失物管理所に探しに来るものなのではないかとそんな気さえしてきます。(新潮クレストブックス)


+既読のジークフリート・レンツ作品の感想+
「遺失物管理所」ジークフリート・レンツ
「アルネの遺品」ジークフリート・レンツ

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フランス贔屓のイギリス人・ウィノットは短い休暇を取り、心の我が家である南仏へ。その道すがら、様々な料理の話が、家族や乳母の思い出、現在滞在しているホテルや行ってみたレストランの話を交えながら語られていきます。

1人称で書かれていることもあって、まるで料理エッセイみたいな作品。でもこれはタークィン・ウィノットという人物の自伝的作品という体裁なんですね。「序、謝辞、および本書の構成について」から既に物語は始まっていました。とにかく料理、料理、料理、料理... 物凄く沢山の料理が次々に登場して、そのレシピや薀蓄がイヤってほど語られていきます。で、その博覧強記ぶりに幻惑されていると、あらら... という仕掛け。かなりのブラック・ジョーク。
でもねー、とにかく読みづらいんです。何が読みづらいって、文章が。こんなに大変だったのも久しぶり... これは翻訳にも関係あるんでしょうけど、むしろ原文のせいなんでしょうね。1つ1つの文章の中に情報が目一杯詰め込まれてて、ちょっと気を抜くと目が文字の上を素通りしてしまいそう。しかも一体何が話の核となってるのか、全然見えてこないんです。自分勝手な語りだけが延々と。例えば、ヴォルガ産のキャビアについて。

ヴォルガ産キャビアがほどよい塩加減で処理される過程については、よく知られているといえるほど知られているわけではありません。ベテランの鑑定人--毛糸の帽子などをかぶり眼光鋭く長靴には短剣を差した見た眼はおそらく荒削りな男--が卵を一粒口に入れ舌の上で転がす。すると経験と勘が不思議かつ精妙な合体を遂げて眼前のチョウザメの卵にはどのていど塩をすべきか、瞬時にしてわかってしまう。量を誤れば美食学的にも経済的にも大損害、大打撃を引き起こしかねない(これが長靴に短剣の理由)。芸術家が--別に自分のことだけをいっているのではありませんよ--作品の価値をすばやく見抜くことができるのとこれは相通じるところがあって、眼にするのと判断するのがほぼ同時というか、いや、ごくわずかだが眼にする前にその価値がわかってしまうというか、量子物理学的パラドックスさながらというか、あるいは夢と同じで展開する物語は非常に複雑、大胆に時空を越え人や事物を断片的に次から次へと取り込んでいくうちに--死んだ親戚がテューバとなり飛行機でアルゼンチンへ飛ぶのが初めての性体験と重なってリボルバーが暴発すると実はそれが鬘で--いよいよ恐るべきクライマックスにさしかかる前にロンドン中に響きわたるけたたましいサイレン、じき核戦争が勃発するぞという場面が気がつくとなんのことはない、ありきたりながらどこまでも安心感漂う家のなかでの出来事で、これにて一件落着というかのように目覚まし時計が威勢よく鳴るか玄関でお気に入りの郵便配達人がポストに入りきらない大きな小包を抱えて立っている、そんな瞬間と似ていなくもないのであります。(P.23-24)

ひえー、疲れた...
...でもこういう文章はわざとだったんですね。必要以上に饒舌な文章が煙幕となって、主人公という人間をカモフラージュしていたのでしょう... 実は想像以上に奥が深い作品で、すっかり作者にしてやられてしまったのかもしれません。でも文章が読みにくいっていうのは、やっぱりつらいぞっ。(新潮クレストブックス)

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「停電の夜に」は下でも書いた通り読了済だったんですけど、続けて「その名にちなんで」も読んだので一緒に。
「停電の夜に」は、ピュリッツァー賞、O・ヘンリー賞、PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、The Best American Short Storiesなどなど、アメリカでものすごーく高い評価を受けている、ジュンパ・ラヒリのデビュー短編集。「その名にちなんで」は、それに続く2作目で長編。どちらにも共通してるモチーフはインド。ジュンパ・ラヒリ自身はロンドン生まれのニューヨーク在住ですが、両親はカルカッタ出身のベンガル人なのだそうです。すっごい美人!
文章はそっけないほど無駄がなくて、ほんと淡々としてるんですけど、でも実はすごく鮮やかだし、余韻が残るんですよね。それがとても不思議。面白くない人には全く面白くないでしょうし、そういう人も結構いるんじゃないかと思います。でも逆にクセになってしまう人も多そうな感じ。基本的に短編集は苦手な私なんですが、「停電の夜に」はとても良かったし、長編の「その名にちなんで」も言わずもがな。でも色々と思ったことはあるのに、言葉にするのが難しい...。とにかく他の作品もぜひ読みたい作家さんです。早く3作目も訳されないかな。(「停電の夜に」は文庫でも出てるんですけど、クレストブックスの表紙が好きなのでこちらで~) (新潮クレストブックス)


+既読のジュンパ・ラヒリ作品の感想+
「停電の夜に」「その名にちなんで」ジュンパ・ラヒリ
「見知らぬ場所」ジュンパ・ラヒリ

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鬱病のペンギン・ミーシャと一緒に暮らしている、売れない作家の物語。
ソ連の崩壊後に独立したウクライナの首都・キエフが舞台で、まだかなりきな臭い状態なんですけど、そんな状況の中に、このペンギンがすごく効いてるんですねー。もうほんと、とにかく可愛い。主人公が座っているとその膝に身体を押し付けてみたり、バスタブに冷たい水を入れてる音を聞きつけてペタペタとやって来て、水がたまるのを待ちきれずにバスタブに飛び込んだり。主人公をじーっと見つめてみたり、どことなく嬉しそうだったり。勿論何もしゃべらないんですが、なんだかとっても雄弁なんです。やっぱりペンギンと聞くと、あのペタペタ歩くユーモラスな姿が浮かんでくるのがポイントなんでしょうね。他の動物じゃあ、ちょっと出せない味だ~。
でもそのペンギンは憂鬱症。訳者あとがきにあるクルコフのインタビューによると、ペンギンは集団で行動する動物なので、1羽だけにされると途方に暮れてしまうんだそうです。そしてその姿は、ソ連時代を生きてきた人間にそっくりとのこと。ミーシャは動物園から解放され、人々はソ連から解放されても、最早「自由」に順応できなくなっているんですね。そしてそれは作中でペンギン学者の老人が言う、「一番いい時はもう経験してしまった」という言葉に繋がります。動物園での生活、ソ連にとらわれていた時が「一番いい時」というのが何ともいえない...。
主人公も孤独でペンギンも孤独、一緒にいるからって孤独じゃなくなるわけじゃなくて、孤独が寄り添っているという辺り、分かるなあ。

読みながら、どこか村上春樹作品の雰囲気があるなあと思ってたら、訳者あとがきにクルコフは「羊をめぐる冒険」が好きだと書かれててびっくり! 文章だけの問題じゃないのは分かってますが、それでも日本語をロシア語に変換して(「羊をめぐる冒険」)、ロシア語を日本語に変換しても(「ペンギンの憂鬱」)、やっぱり雰囲気が似てるってなんだかとっても不思議です。(笑)

これは新潮クレストブックスの1冊。やっぱりこのシリーズ、もっともっと読みたいな。(新潮社)

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