Catégories:“ハヤカワepi文庫”

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世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

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近未来のイギリス。15歳の少年・アレックスは、3人の仲間ジョージー、ピート、ディムとともに「何か新しいものを」入れたミルクでハイになっては、夜の街でしたい放題の毎日。図書館から借りた学術書を大事そうに持って歩いている教授タイプの男性を襲って殴る蹴るの暴行を加え、本を破壊。続けて商店に強盗に入り、木の下にいたカップルを殴り、さらに「ホーム」と書かれた家に押し入って、夫の目の前で妻を強姦。押し入った時、その夫は「時計じかけのオレンジ」という題名の原稿を執筆しているところでした。しかしその後入ったバーで、女性客がオペラの一節を歌い始めたことが原因で、アレックスとディムの仲は険悪になるのです。次に盗みに入った家でアレックスは仲間たちに裏切られて警察につかまり、アレックスは14年の実刑判決を受けることに。

スタンリー・キューブリック監督が映画化したことでも有名な作品。中学の時に本を読んだつもりになってたんですけど... 今回読んでも内容を全然覚えてなかったので、読んでなかったのかも。(汗)
とにかくパワーのある作品。極悪非道なことを繰り返すアレックスもすごいんですが、文章に造語が沢山入っていて、それがまた一種独特な雰囲気なんですよね。仲間は「ドルーグ」、男の子は「マルチック」、男性は「チェロベック」、女の子は「シャープ」、若い女性は「デボーチカ」、おばあさんは「バブーチカ」。他にも「デング」「ハラショー」「スコリー」「モロコ」「ベスチ」... こういった言葉はロシア語にヒントを得ているのだそうです。そういった言葉が饒舌なアレックスの一人語りにふんだんに散りばめられているので、読み始めた時は鬱陶しくて! でも一旦慣れてしまったら、この一種独特な雰囲気にするりと入り込めちゃう。
まあ、色々とあるんですが、やっぱりポイントは、アレックスが実はクラシック好きだったというところですね。外でどれだけ暴力を振るっても、自室に戻ると自慢のステレオでモーツァルトのジュピター交響曲やバッハのブランデンブルク協奏曲を聴いてるんです。(そういう場面に、架空の音楽家や演奏者の名前がそ知らぬ顔で混ざってるのが可笑しい) その音楽好きが、アレックスと仲間の反目の原因になるわけで、後のルドビコ療法でも利いてくるわけで。そしてそのまた後には音楽の好みの変化もあったりして。

アメリカ版では出版社の意向で最終章が削られていて、キューブリックはそのアメリカ版を元に映画化したので、この本と映画とでは結末が違うのだそうです。本国イギリス及びヨーロッパでは、最終章もきちんと付いているそうですが。
そして日本語版では、「デボーチカ」や「デング」といった言葉には「おんな」とか「かね」とかルビが振られてますが、原書にはそういう配慮はないようですね。新井潤美さんの「不機嫌なメアリー・ポピンズ」に原文が紹介されてましたが、文章にいきなり見知らぬ単語が登場してました。だから読者は文脈から意味を汲み取るしかなくて、その解読で気を取られてしまい、暴力描写をあまり生々しく感じなくなるんだとか。まあ、日本語版でもいちいちルビを見るわけだから、読みやすくなってるとはいえ、その効果は多少あるのかも。でも映画ではそのものの場面が映されるわけで...。映画は観てませんが、序盤は相当衝撃的な場面になってるようですね。「不機嫌なメアリー・ポピンズ」を読むと、本と映画の違いが色々面白そうなんだけど... でもやっぱりちょっと観るのを躊躇っちゃうなあ。(ハヤカワepi文庫)

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爆弾テロで夫と一人息子を亡くした女性が書く、オサマ・ビン=ラディンへの手紙。夫は警察の、夜昼構わず出動要請がかかる爆発物処理班の配属。いつ爆死してもおかしくない状況に夫婦どちらもひどいストレスが溜まっており、その夫がようやく警察を辞めると言い出してくれた矢先の出来事。夫は息子を連れてサッカーを観戦に行っており、爆弾テロはまさにそのサッカー場で起きたのです。

ニューヨーク・タイムズやニューズウィークで絶賛され、アメリカでは優れたフィクション第一作に贈られるファースト・フィクション賞を受賞、本国イギリスでも35歳以下の有望なイギリス人作家に贈られるサマセット・モーム賞を受賞、フランスではフランス読者賞特別審査員賞を受賞... と、なんだか賞をいっぱい取ってる作品。確かにそれに相応しく、良かったんだけど... 読む前に薄々予想していた通り、ものすごく読むのがツラかったです。夫と息子を失った女性が時間とともに癒されるという話ではありません。もうやるせなくて堪らない...(ハヤカワepi文庫)

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著名なピアニストのライダーは、長旅を終えてとある町に降り立ちます。ライダーの名前を聞くだけで、態度が丁重になる町の人々。どうやら町は何らかの危機に面しており、ライダーがその救世主と見なされ、大きな期待をかけられているようなのですが...。

ハヤカワepi文庫はほとんど全部読んでるんですけど、これは読み始めるまで随分長いことかかっちゃいました。なんせ1000ページ近くある煉瓦本。もちろん京極さんの方がもっと分厚いですけど、あっちは私はノベルスで読んでるし、ノベルスは本そのものが大きい分、形状的にはもう少し読みやすい! もう、読んでる途中で何度本を落としそうになったことか。なんでこういう本を上下巻にしないのかしら? 単行本の時は上下巻だったみたいなのに。
というのはともかく。

どうやらイギリス出身で、ドイツの小さな町に演奏旅行に来たらしいピアニストのライダー。初めて訪れた町のはずなのに、話している相手の顔に見覚えがあるような気がしてきたり、実際にその人間のことを知っていたりします。町にはライダーの妻や息子までいる...? そして時には昔の知り合いが現れることも。町の住民は皆一様に彼がライダーだと知ると大歓迎。みんながライダーと話したがるし、先を競って丁重にもてなそうとします。でも丁重に厄介ごとも持ち込むんですよね。そしてライダーがその場その場で相手に話を合わせているうちに、話はどんどんややこしくなっていきます。そもそもライダーはかなりのハードスケジュールらしいのに、自分のスケジュールを全然知らないどころか、演奏する曲も決まってません。きちんと世話役の女性が出迎えて、何か不満や疑問がないか確かめるのに、なぜかスケジュールをまるで把握してないとは言い出しにくい雰囲気。
とにかくこの世界は不条理でいっぱいで、まるで夢の中にいる時みたい。「不思議の国のアリス」状態です。でもライダーはその不条理をあんまり気にしてないんですよね。その場その場でライダーが選び取る行動が、この世界での事実となって積み重なっていくような...。
「充たされざる者」なのはライダーのことなのかと思いきや、町の住民は揃いも揃って「充たされざる者」でした。しかも彼らのやり取りを読んでいる読者もまた、読んでる間にすっかり「充たされざる者」になってしまうし。まるで他人の悪夢の中に紛れ込んでしまったような感覚の作品。読後感としてはまず「長かった~」なんですが、面白かったです。訳者あとがきを読んで、マトリョーシカには納得。確かに!(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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キャシー・Hは31歳。もう11年も務めているというベテランの介護人で、仕事は提供者と呼ばれる人々を世話すること。仕事がよく出来るのに2~3年でやめされられる人もいれば、まるで役立たずなのに14年間働き通した人もいる中で、キャシーの仕事ぶりが気に入られていたのは確か。キャシーが介護した提供者たちの回復ぶりは、みな期待以上だったのです。6年ほど働いた時に介護する相手が選べるようになったキャシーは、親友のルースとトミーをはじめとする自分が生まれ育った施設・ヘールシャムの仲間に再会することになります。そんなキャシーがヘールシャム時代のこと、そしてヘールシャムから卒業した後のことを回想していきます。

「提供者」「介護人」といった言葉。そして一見普通の生活に見えるけど、どこか普通と違う「ヘールシャム」の施設の話。もしや... という予感が正しかったことは、徐々に明らかになっていきます。ヘールシャムの生徒たちが「教わっているようで、教わっていない」のと同じような状態ですね。トミーの言う「何か新しいことを教えるときは、ほんとに理解できるようになる少し前に教えるんだよ。だから、当然、理解はできないんだけど、できないなりに少しは頭に残るだろ? その連続でさ、きっと、おれたちの頭には、自分でもよく考えてみたことがない情報がいっぱい詰まってたんだよ」... 違うことに注意をひきつけておいて、その間に他の内容を忍び込ませるというのは、当たり前のことなのかもしれないけど、なんかスゴイな。
何についての話なのかは、読み始めて比較的すぐに見当がついてしまうんですけど、終始淡々としているキャシーの語り口が逆に哀しくて、怖いです。やっぱりカズオ・イシグロはいいですね。それでも一番最初に読んだ「日の名残り」が一番好きだったなとは思うのだけど。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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主人が事故に遭ったと医者を呼んだ妻。しかし医者がその寝室に入った時、その家の主人の頭には斧がめり込んでいて、既に死亡していたのです... という「斧」他、全26編。短ければ2ページ、一番長くても19ページ、大抵は4~5ページの作品を集めたショートショート集。

アゴタ・クリストフらしい、余計な装飾を一切そぎ落としたような文章の作品ばかりの作品集。内容的には結構ブラックでびっくりです。最初の「斧」を読んでいたら、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」を思い出しちゃいました。でも全体的には、あそこまで突き抜けたブラックさではないかな。重苦しい空気の中で孤独や絶望感に苛まれつつも、そういった感情があまりに身近な日常になりすぎてしまって、それを孤独や絶望とは感じていないような感じ。
これらの作品は、1970年代から1990年代前半にかけてのアゴタ・クリストフのノートや書付けの中に埋もれていた習作のたぐいで、編集者が発掘して1冊に纏めたのだそう。習作だけあって、確かにそれぞれの作品の出来栄えにはちょっとばらつきがあるみたい。「悪童日記」のインパクトには、やっぱり及ばないですしね。それでも4~5ページという短さでこれほどの存在感があるというのが、やっぱり驚き。むしろ短い作品の方がインパクトが強くて面白かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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2001年夏。サンフランシスコに暮らすアミールは、パキスタンにいる古い友人のラヒム・ハーンからの電話を受けます。それは「もう一度やり直す道がある」から会いに来て欲しいという電話。その電話を受けながら、アミールの心は26年前の1975年、12歳の冬にとんでいました。アミールが今の自分となったのは、その12歳の冬の日のこと。事業家で、カブールでも屈指の金持ちだった父親のババ、ハザラ人の召使でありながら、ババの兄弟同然だったアリ、そしてアリの息子で当時アミールと兄弟同然に育っていたハッサンのこと...。

アフガニスタンが舞台という、なかなか珍しい作品。私自身はアフガニスタンについて何も知らなくて... そもそも国の場所自体ちょっと勘違いしてましたしね。もう少し東寄り、インドの隣辺りにあるのかと思い込んでたんですけど、イランとパキスタンの間だったんですね。で、読む前は、こんな状態で大丈夫かしらとちょっと心配だったんですが... そんな必要な知識すら持っていない私にとっても、すごく入りやすい作品でした。
物語自体は、まだまだ平和だった主人公の少年時代から始まっています。主人公が18歳ぐらいの時にクーデターが起きるまでは、アフガニスタンもとても長閑な場所。もちろん平和な中にも色々な問題はあるし、子供時代の主人公が直面しているのはハザラ人に対する民主差別。どの時代であっても、どこの国であっても、子供たちって本当に残酷...。ハザラ人のハッサンの、主人公アミールに対する真っ直ぐな思いが痛々しいです。そしてほんのちょっとの弱さが原因で、ハッサンに対して一生消えない負い目を感じることになってしまうアミールの純粋さも。本来ならハザラ人の召使をどのように扱おうが、誰にも何も言われないんですけどね。そこでこんな思いをしてしまうからこそのアミールとも言えるんですが。
クーデターが起きてからのアフガニスタンは、坂を転げ落ちるように酷い状態になっていきます。後半のタリバン政権下のアフガニスタンの状態には、色々考えさせられてしまうし、読んでいてとてもツライのだけど... やっぱりこれはアミールとハッサンの友情の物語なんですよね。良かったです。(ハヤカワepi文庫)

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