Catégories:“ハヤカワepi文庫”

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世界がオセアニア、ユーラシア、イースタシアの3つの超大国に分裂した近未来の社会。真理省の記録局に勤める党員・ウィンストン・スミスの仕事は、<ビッグ・ブラザー>率いる党の方針転換や様々な出来事によって、次々に変更を余儀なくされる歴史を改竄し続けること。歴史は次から次へと改竄され、しかし改竄された証拠は何ひとつとして残らず、全ての嘘は歴史へと移行したとたんに永遠の昔からの真実とされてしまうのです。そんな体制に、ウィンストン自身、強い不満を抱いていました。そんなある日、ウィンストンに接触してきたのは黒髪の若い美女・ジュリア。ウィンストンはジュリアと恋に落ち、テレスクリーンによる監視や思想警察の目をかいくぐってジュリアと逢い引きを重ね、やがては伝説的な裏切り者が組織したという<ブラザー同盟>に加わることになるのですが...。

ええと、普通は村上春樹さんの「1Q84」からこちらにくる方が多いと思うし、そもそもこの本がハヤカワから新訳で出たのもその流れなんでしょうけど、私はこっちだけ。以前ブラッドベリの「華氏451度」(感想)を読んだ時に、この作品もシャレにならないぐらい怖いという話を聞いて興味を持っていたのでした。しかも現在読破中のハヤカワepi文庫だし!(嬉) その「華氏451度」は1953年に書かれた作品ですが、こちらは1949年に書かれた作品。こちらの方がほんの少し早いですね。典型的なディストピア小説です。
こういう作品を読むといつも思うんですけど... 発表された当時も世論を騒がせたんでしょうけど、実際に書かれた時よりも現代の管理社会の中で読んでこそ、この怖さが実感できるかもしれませんね。近未来として書かれていたことが、実は全然未来の話じゃないってことに気がつかされることが多いんですもん。恐ろしいほどの合致。本を読んだ人が、そこに書かれているものを作り出そうとしたわけでもないでしょうに。たとえば星新一さんの「声の網」(感想)を読んだ時も思ったんですけど、素晴らしいSF作家が書く作品って、未来を恐ろしいほど見通してますね。

この作品は、その「声の網」や「華氏451度」ほど、まさに「今」という感じではなかったのだけど... 実はそうでもないのかな。もう既に「ニュースピーク」とか「二重思考」が生活の中に入り込んでいるのかな。こういう思考的なものって、気がついたらすっかり支配されてるんだろうなと思うと怖いです。ちなみに「ニュースピーク」は、言葉をどんどん単純化・簡素化する新語法。それによって思考をどんどん単純化して、思想犯罪に走れないようにするもの。反政府的な思想を持っても、それを十分に書き表すことができなくなってしまうというわけです。そして「二重思考」は、「戦争は平和なり、自由は隷属なり、無知は力なり」という言葉に代表されるように、矛盾する2つの事柄を同時に等しく信じて受け入れることができるようになること。そもそも歴史を改竄し続ける「真理省」、戦争を生み出し続ける「平和省」、思想犯を拷問にかけて人間性を矯正する「愛情省」という各省の名称自体が二重思考の産物。そして考えてみると、確かにピンチョンが解説に書いているように、現代アメリカの「国防省」もまた、新たな戦争を作り出す省なんですよねえ。ああ、ウィンストンとジュリアの物語自体もまた、そうなのかも。まずこういった高度に思想的な物語の中にロマンスが存在すること自体、二重思考なのかもなんて思ったりもします...。そして「愛すること」の反対は、「無関心なこと」でしょうか。うーん。
来るべき社会の姿を含め、様々なことを考えさせられる作品です。(ハヤカワepi文庫)

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近未来のイギリス。15歳の少年・アレックスは、3人の仲間ジョージー、ピート、ディムとともに「何か新しいものを」入れたミルクでハイになっては、夜の街でしたい放題の毎日。図書館から借りた学術書を大事そうに持って歩いている教授タイプの男性を襲って殴る蹴るの暴行を加え、本を破壊。続けて商店に強盗に入り、木の下にいたカップルを殴り、さらに「ホーム」と書かれた家に押し入って、夫の目の前で妻を強姦。押し入った時、その夫は「時計じかけのオレンジ」という題名の原稿を執筆しているところでした。しかしその後入ったバーで、女性客がオペラの一節を歌い始めたことが原因で、アレックスとディムの仲は険悪になるのです。次に盗みに入った家でアレックスは仲間たちに裏切られて警察につかまり、アレックスは14年の実刑判決を受けることに。

スタンリー・キューブリック監督が映画化したことでも有名な作品。中学の時に本を読んだつもりになってたんですけど... 今回読んでも内容を全然覚えてなかったので、読んでなかったのかも。(汗)
とにかくパワーのある作品。極悪非道なことを繰り返すアレックスもすごいんですが、文章に造語が沢山入っていて、それがまた一種独特な雰囲気なんですよね。仲間は「ドルーグ」、男の子は「マルチック」、男性は「チェロベック」、女の子は「シャープ」、若い女性は「デボーチカ」、おばあさんは「バブーチカ」。他にも「デング」「ハラショー」「スコリー」「モロコ」「ベスチ」... こういった言葉はロシア語にヒントを得ているのだそうです。そういった言葉が饒舌なアレックスの一人語りにふんだんに散りばめられているので、読み始めた時は鬱陶しくて! でも一旦慣れてしまったら、この一種独特な雰囲気にするりと入り込めちゃう。
まあ、色々とあるんですが、やっぱりポイントは、アレックスが実はクラシック好きだったというところですね。外でどれだけ暴力を振るっても、自室に戻ると自慢のステレオでモーツァルトのジュピター交響曲やバッハのブランデンブルク協奏曲を聴いてるんです。(そういう場面に、架空の音楽家や演奏者の名前がそ知らぬ顔で混ざってるのが可笑しい) その音楽好きが、アレックスと仲間の反目の原因になるわけで、後のルドビコ療法でも利いてくるわけで。そしてそのまた後には音楽の好みの変化もあったりして。

アメリカ版では出版社の意向で最終章が削られていて、キューブリックはそのアメリカ版を元に映画化したので、この本と映画とでは結末が違うのだそうです。本国イギリス及びヨーロッパでは、最終章もきちんと付いているそうですが。
そして日本語版では、「デボーチカ」や「デング」といった言葉には「おんな」とか「かね」とかルビが振られてますが、原書にはそういう配慮はないようですね。新井潤美さんの「不機嫌なメアリー・ポピンズ」に原文が紹介されてましたが、文章にいきなり見知らぬ単語が登場してました。だから読者は文脈から意味を汲み取るしかなくて、その解読で気を取られてしまい、暴力描写をあまり生々しく感じなくなるんだとか。まあ、日本語版でもいちいちルビを見るわけだから、読みやすくなってるとはいえ、その効果は多少あるのかも。でも映画ではそのものの場面が映されるわけで...。映画は観てませんが、序盤は相当衝撃的な場面になってるようですね。「不機嫌なメアリー・ポピンズ」を読むと、本と映画の違いが色々面白そうなんだけど... でもやっぱりちょっと観るのを躊躇っちゃうなあ。(ハヤカワepi文庫)

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爆弾テロで夫と一人息子を亡くした女性が書く、オサマ・ビン=ラディンへの手紙。夫は警察の、夜昼構わず出動要請がかかる爆発物処理班の配属。いつ爆死してもおかしくない状況に夫婦どちらもひどいストレスが溜まっており、その夫がようやく警察を辞めると言い出してくれた矢先の出来事。夫は息子を連れてサッカーを観戦に行っており、爆弾テロはまさにそのサッカー場で起きたのです。

ニューヨーク・タイムズやニューズウィークで絶賛され、アメリカでは優れたフィクション第一作に贈られるファースト・フィクション賞を受賞、本国イギリスでも35歳以下の有望なイギリス人作家に贈られるサマセット・モーム賞を受賞、フランスではフランス読者賞特別審査員賞を受賞... と、なんだか賞をいっぱい取ってる作品。確かにそれに相応しく、良かったんだけど... 読む前に薄々予想していた通り、ものすごく読むのがツラかったです。夫と息子を失った女性が時間とともに癒されるという話ではありません。もうやるせなくて堪らない...(ハヤカワepi文庫)

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著名なピアニストのライダーは、長旅を終えてとある町に降り立ちます。ライダーの名前を聞くだけで、態度が丁重になる町の人々。どうやら町は何らかの危機に面しており、ライダーがその救世主と見なされ、大きな期待をかけられているようなのですが...。

ハヤカワepi文庫はほとんど全部読んでるんですけど、これは読み始めるまで随分長いことかかっちゃいました。なんせ1000ページ近くある煉瓦本。もちろん京極さんの方がもっと分厚いですけど、あっちは私はノベルスで読んでるし、ノベルスは本そのものが大きい分、形状的にはもう少し読みやすい! もう、読んでる途中で何度本を落としそうになったことか。なんでこういう本を上下巻にしないのかしら? 単行本の時は上下巻だったみたいなのに。
というのはともかく。

どうやらイギリス出身で、ドイツの小さな町に演奏旅行に来たらしいピアニストのライダー。初めて訪れた町のはずなのに、話している相手の顔に見覚えがあるような気がしてきたり、実際にその人間のことを知っていたりします。町にはライダーの妻や息子までいる...? そして時には昔の知り合いが現れることも。町の住民は皆一様に彼がライダーだと知ると大歓迎。みんながライダーと話したがるし、先を競って丁重にもてなそうとします。でも丁重に厄介ごとも持ち込むんですよね。そしてライダーがその場その場で相手に話を合わせているうちに、話はどんどんややこしくなっていきます。そもそもライダーはかなりのハードスケジュールらしいのに、自分のスケジュールを全然知らないどころか、演奏する曲も決まってません。きちんと世話役の女性が出迎えて、何か不満や疑問がないか確かめるのに、なぜかスケジュールをまるで把握してないとは言い出しにくい雰囲気。
とにかくこの世界は不条理でいっぱいで、まるで夢の中にいる時みたい。「不思議の国のアリス」状態です。でもライダーはその不条理をあんまり気にしてないんですよね。その場その場でライダーが選び取る行動が、この世界での事実となって積み重なっていくような...。
「充たされざる者」なのはライダーのことなのかと思いきや、町の住民は揃いも揃って「充たされざる者」でした。しかも彼らのやり取りを読んでいる読者もまた、読んでる間にすっかり「充たされざる者」になってしまうし。まるで他人の悪夢の中に紛れ込んでしまったような感覚の作品。読後感としてはまず「長かった~」なんですが、面白かったです。訳者あとがきを読んで、マトリョーシカには納得。確かに!(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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キャシー・Hは31歳。もう11年も務めているというベテランの介護人で、仕事は提供者と呼ばれる人々を世話すること。仕事がよく出来るのに2~3年でやめされられる人もいれば、まるで役立たずなのに14年間働き通した人もいる中で、キャシーの仕事ぶりが気に入られていたのは確か。キャシーが介護した提供者たちの回復ぶりは、みな期待以上だったのです。6年ほど働いた時に介護する相手が選べるようになったキャシーは、親友のルースとトミーをはじめとする自分が生まれ育った施設・ヘールシャムの仲間に再会することになります。そんなキャシーがヘールシャム時代のこと、そしてヘールシャムから卒業した後のことを回想していきます。

「提供者」「介護人」といった言葉。そして一見普通の生活に見えるけど、どこか普通と違う「ヘールシャム」の施設の話。もしや... という予感が正しかったことは、徐々に明らかになっていきます。ヘールシャムの生徒たちが「教わっているようで、教わっていない」のと同じような状態ですね。トミーの言う「何か新しいことを教えるときは、ほんとに理解できるようになる少し前に教えるんだよ。だから、当然、理解はできないんだけど、できないなりに少しは頭に残るだろ? その連続でさ、きっと、おれたちの頭には、自分でもよく考えてみたことがない情報がいっぱい詰まってたんだよ」... 違うことに注意をひきつけておいて、その間に他の内容を忍び込ませるというのは、当たり前のことなのかもしれないけど、なんかスゴイな。
何についての話なのかは、読み始めて比較的すぐに見当がついてしまうんですけど、終始淡々としているキャシーの語り口が逆に哀しくて、怖いです。やっぱりカズオ・イシグロはいいですね。それでも一番最初に読んだ「日の名残り」が一番好きだったなとは思うのだけど。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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主人が事故に遭ったと医者を呼んだ妻。しかし医者がその寝室に入った時、その家の主人の頭には斧がめり込んでいて、既に死亡していたのです... という「斧」他、全26編。短ければ2ページ、一番長くても19ページ、大抵は4~5ページの作品を集めたショートショート集。

アゴタ・クリストフらしい、余計な装飾を一切そぎ落としたような文章の作品ばかりの作品集。内容的には結構ブラックでびっくりです。最初の「斧」を読んでいたら、ロアルド・ダールの「あなたに似た人」を思い出しちゃいました。でも全体的には、あそこまで突き抜けたブラックさではないかな。重苦しい空気の中で孤独や絶望感に苛まれつつも、そういった感情があまりに身近な日常になりすぎてしまって、それを孤独や絶望とは感じていないような感じ。
これらの作品は、1970年代から1990年代前半にかけてのアゴタ・クリストフのノートや書付けの中に埋もれていた習作のたぐいで、編集者が発掘して1冊に纏めたのだそう。習作だけあって、確かにそれぞれの作品の出来栄えにはちょっとばらつきがあるみたい。「悪童日記」のインパクトには、やっぱり及ばないですしね。それでも4~5ページという短さでこれほどの存在感があるというのが、やっぱり驚き。むしろ短い作品の方がインパクトが強くて面白かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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2001年夏。サンフランシスコに暮らすアミールは、パキスタンにいる古い友人のラヒム・ハーンからの電話を受けます。それは「もう一度やり直す道がある」から会いに来て欲しいという電話。その電話を受けながら、アミールの心は26年前の1975年、12歳の冬にとんでいました。アミールが今の自分となったのは、その12歳の冬の日のこと。事業家で、カブールでも屈指の金持ちだった父親のババ、ハザラ人の召使でありながら、ババの兄弟同然だったアリ、そしてアリの息子で当時アミールと兄弟同然に育っていたハッサンのこと...。

アフガニスタンが舞台という、なかなか珍しい作品。私自身はアフガニスタンについて何も知らなくて... そもそも国の場所自体ちょっと勘違いしてましたしね。もう少し東寄り、インドの隣辺りにあるのかと思い込んでたんですけど、イランとパキスタンの間だったんですね。で、読む前は、こんな状態で大丈夫かしらとちょっと心配だったんですが... そんな必要な知識すら持っていない私にとっても、すごく入りやすい作品でした。
物語自体は、まだまだ平和だった主人公の少年時代から始まっています。主人公が18歳ぐらいの時にクーデターが起きるまでは、アフガニスタンもとても長閑な場所。もちろん平和な中にも色々な問題はあるし、子供時代の主人公が直面しているのはハザラ人に対する民主差別。どの時代であっても、どこの国であっても、子供たちって本当に残酷...。ハザラ人のハッサンの、主人公アミールに対する真っ直ぐな思いが痛々しいです。そしてほんのちょっとの弱さが原因で、ハッサンに対して一生消えない負い目を感じることになってしまうアミールの純粋さも。本来ならハザラ人の召使をどのように扱おうが、誰にも何も言われないんですけどね。そこでこんな思いをしてしまうからこそのアミールとも言えるんですが。
クーデターが起きてからのアフガニスタンは、坂を転げ落ちるように酷い状態になっていきます。後半のタリバン政権下のアフガニスタンの状態には、色々考えさせられてしまうし、読んでいてとてもツライのだけど... やっぱりこれはアミールとハッサンの友情の物語なんですよね。良かったです。(ハヤカワepi文庫)

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デヴィッド・ラウリーは、2度の離婚歴のある52歳の大学教授。性的欲望は人一倍強いものの、これまではかなり上手く処理してきたつもり。しかし週に1度会っていた娼婦と会えなくなったのがきっかけで、大学の20歳の教え子に強烈に惹かれ、半ば強引に肉体関係を持つことに。ところが彼女にはたちの悪いボーイフレンドがいたのです。デヴィッドはセクハラで告発されて、追われるように大学を去ることになります。そして、しばらく娘のルーシーが経営する農園に身を寄せるのですが...。

J.M.クッツェーという人は全然知らなかったんですが、ノーベル文学賞を受賞した作家だったんですね。そのクッツェーが2度目のブッカー賞を受賞したという作品。
大学での描写があんまり自然なので読み始めた時はうっかりしてたんですが、これはアパルトヘイト撤廃後の南アフリカが舞台の作品なんですよね。それがものすごく肝心要というか、それがなければ成り立たない作品。大学という、いわば白人社会の中でぬくぬくと過ごしてきた大学教授も、一歩外に出ればそこはアフリカ。大学では、ちょっとカッコをつけて、セクハラの査問会でも下手な言い訳なんて全然しないで自分の行動に自信を持ってるデヴィッドなんですが、その大学という砦から一歩外に出れば、そこは黒人社会なんです。娘のルーシーの農場に滞在している時に起きた事件や何かで、彼はそのことをイヤと言うほど思い知らされることになります。大学でのセクハラと農場での事件は一見違うものに見えるけれど、実は同じなんですね。強者と弱者の立場が入れ替わっただけ。結局、デヴィッドは徐々に黒人社会に隷属させられている自分に気づくことになるし、その結果、彼好みの「若くて美しい女との関係」とはまるで違う価値感の幸福を手に入れることになるし...
淡々と書いているようでいて、読後感は意外と濃厚な作品でした。そういえば、私が小学校の時の友達に、お父さんの仕事の関係で何年か南アにいたという子がいたんです。その頃のことだから、日本人は名誉白人という立場だったはずだし、彼女の家に遊びに行くと実際、欧米人の家みたいでカルチャーショックを受けたものですが(笑)、それでも色々なことがあったようです。その頃も色々な話を聞かせてくれたんですが... その後私も彼女も引越してしまって、今は音信不通になってしまってるんですよね。仲良かったのになあ。とても残念。(ハヤカワepi文庫)

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アダム・トラスクは、1862年、コネチカット州の農家の1人息子として生まれた少年。しかしコネチカット連隊に召集されていた父・サイラスが帰宅すると、トラスク夫人は夫から戦争から持ち帰った感染症にうつされ、それを苦に自殺。サイラスはすぐに近所に住む農夫の娘に目をとめて再婚し、アダムの1歳年下の弟となるチャールズが生まれます。軍隊を礼賛しているサイラスは、2人の息子に軍隊式の訓練を強要。弟のチャールズは力でも技でもアダムに勝り、軍隊式の訓練も受け入れていましたが、暴力や争いの嫌いなアダムにとって、それは苦痛でしかない習慣。しかし父は2人が成長した時、いかにも軍隊に向いていそうなチャールズではなく、アダムを騎兵隊に送り込んだのです。

ジェームス・ディーン主演で映画にもなってるこの作品なんですが、私は映画も観てなければストーリーも全然知らない状態。なんとこんな大河ドラマだったとはー。ええと、アダム・トラスクとその弟チャールズ、アダムの息子のキャルとアロンという、2世代の4人の男たちが中心となってる物語なんですけど、ジェームズ・ディーンがやってたのは、アダムの息子・キャル役だったみたいですね。話の最初から最後までちゃんと映画化してるかどうかは知りませんが。作中にはスタインベック自身もちらっと登場して、自伝的作品でもあったのか! と、またまたびっくり。

で、この作品で唯一事前の知識として知ってたのは、聖書の創世記のカインとアベルの話をなぞらえてるという部分だったんですが、アダムとアロンが「アベル」で、チャールズとキャルが「カイン」ということなんですね。ということはA(アベル...アダムとアロン)とC(カイン...チャールズとキャル)の対立ということなのか。羊飼いであるアベルの捧げ物は神に受け入れられたのに、農夫であるカインの捧げ物は受け入れられなかったのと同様に、アダムとアロンは父に愛され、チャールズとキャルは父の愛情を感じられなかったという図。
でもこの4人を見てて感じたのは、純粋すぎるアダムやアロンの弱さ。この世が既にエデンの園ではない以上、純粋すぎる人間は生き延びていくことができないってことなんですかねえ。アダムもアロンも万人に愛されるような人間だけど、悪に対する抵抗力が全然ないんです。だから悪そのもののキャシーという1人の女性に滅ぼされちゃう。それに比べて、キャルとチャールズは強いです。自分の中にある悪を持て余して苦しみながらも、生きぬく力は十分持っているんですよね。作中に効果的な嘘のつき方の話が出てきたけど、嘘の中に真実を少し混ぜるだけで、あるいは真実の中に嘘を少し混ぜるだけで、その嘘がすごく強くなるのと同じようなことなんだろうな。
読み始めた時はこんな大河小説とは知らなかったので、一体誰が主役なんだろう?って感じだったんですけど、いやあ、面白かったです。こんなに面白いとは思わなかった。随分前に読んだっきりなのですっかり記憶が薄れてるんだけど、パール・バックの「大地」を思い出しました。4人以外の登場人物もそれぞれ良かったですしね。私が断然気に入ったのは、アダムの家にコックとして雇われる中国人のリー。でも映画にはリーは登場しないんだそうです。勿体ないなー。(ハヤカワepi文庫)

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カッスルは、イギリス情報部に入って30年以上経つベテラン情報員。現在は6課でアフリカ担当として、さほど重要とも思えない極秘電報の暗号を解読したり、逆にこちらから電報を送ったりする日々。かつて南アフリカに勤務していた時に知り合った黒人女性のセイラと結婚し、その息子サムと3人で郊外での生活を送っています。しかしその6課から情報が漏洩していることが発覚。6Aにいるのは課長のワトスンとカッスル、そして40代で働き盛りのデイヴィスのみ。調査の結果ワトスンとカッスルは嫌疑を免れ、デイヴィスが疑われることに。独身でジャガーを乗り回し、年代物のポートワインに目がなく、賭け事もするデイヴィスは、調査をした丁度その日の昼食時にも報告書を持ち出そうとしていたのです。

あまりピンと来ないままに、ハヤカワepi文庫に入っている作品を読み続けていたグレアム・グリーン。著者紹介には「イギリスを代表する作家であるとともに、20世紀のもっとも偉大な作家のひとり」とされてるんですけど... いえ、決して悪くはないんですけど、どこかピンと来なかったんですよね。それはもちろん読み手である私が未熟なせいなんでしょうけど。でもこの作品は面白かった!
この作品は、紛れもないスパイ小説ではあるんですけど、私がこれまでに読んだスパイ小説とは雰囲気が全然違いました。スパイ小説といえば普通、東西の駆け引きあり、裏切りあり、恋愛あり、派手なアクションありの、もっと手に汗を握るサスペンスで、ページターナーって感じの作品が多いと思うんですが、この作品は何ていうか、ものすごく静かなんです。イギリスの冬空のようなイメージ。実際、ジェームズ・ボンドシリーズが作中で何度か皮肉られていたりなんかして。
スパイ物というよりも、ずっしりと重い人間ドラマ。最後に明かされる真相も皮肉です。実際にグレアム・グリーンが第二次大戦中にイギリス情報部の仕事をしていたということもこの作品にリアリティを与えているんでしょうけど... それ以上に、ふとした拍子に垣間見えるキリスト教的な部分が作品に深みを出しているのかも。いやあ、良かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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1948年10月。かつては名のある画家として尊敬を集め、多くの弟子に囲まれて一世を風靡しながらも、今は引退して、隠居生活を送っている小野益次。終戦を迎えて日本の状況は大きく変わり、戦時中の小野の行動が元で、周囲の目は手を返したように冷たくなったのです。自宅で一見穏やかな日々を送りながら、小野は自らの過去を回想します。

「日の名残り」(感想)のような「信頼できない語り手」による物語なんですが、こちらの方があからさまですね! 主人公がかつてのことを回想しながら物語は進んでいくのは同じですし、その言葉をそのまま額面通りに受けとめられないのも一緒。それでも「日の名残り」は、そのまま受けとめてしまうこともできる作品なんです。でもこちらの作品では、どうしても小野が物事を自分に都合の良いように解釈し、記憶を改竄し、さりげなく自分の行動を正当化していこうとする部分がイヤでも目につきます。周囲の人々との記憶の齟齬も読みどころ。それに、何度も繰り返し「自分の社会的地位を十分に自覚したことなどない、自分は家柄など重視しない」というように語られているんですが、それが逆に自負心を浮き彫りにしているようだし、1年前に娘の紀子が破談された事件が、予想以上に小野を傷つけていることがよく分かります。確かに戦時中の小野は、自分の行動に信念を持っていたのでしょうけれど... 今はそれを屈折した感情で正当化することでしか生きながらえることができないんですね。そんな1人の男の悲哀がよく表されているように思います。
彼の身近な人間、彼の行動をつぶさにみてきた人間の視点から語られたら、この作品とはどれほど違う作品が出来上がるんでしょう。ほんと全く違う物語になってしまいそう。読んでみたいなあ。そんな作品が書かれることは、絶対ないでしょうけど...。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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文化大革命の嵐の吹き荒れた1971年のはじめ、再教育のために山奥の小さな村へと送り込まれた羅と馬。羅は有名な歯医者の息子で18歳、馬は普通の医者の息子で17歳。再教育とはいっても、普通なら2年の期間が終われば町に帰ることができるはず。しかし反革命分子の息子である2人が帰れる可能性は、千分の三もないのです。厳しい労働に明け暮れる中、2人は仕立て屋の美しい娘・小裁縫に恋をします。そして友人のメガネがこっそり隠し持っていた本を借りることのできた2人は、初めて読むバルザックの作品に夢中になり、小裁縫にもバルザックのことを語って聞かせることに。

在仏中国人の映画監督、ダイ・シージエが書いた、自伝的作品なのだそうです。
許される本といえば、「毛沢東語録」のみ。それ以外の全ての本は禁書として扱われるような世の中で、こっそり西欧文学を読んだ時の衝撃というのは、私たちが日頃している「読書」とは計り知れないほどの違いがあるんでしょうねー。主人公の「目がくらみそうだった! 心は酔いしれて朦朧となり、気を失うかと思った」という言葉にとてもよく出ていました。分かる気がするなあ...。それまで愛国心や共産主義、政治思想、プロパガンダといったことしか知らなかった彼らに、バルザックの本は色鮮やかな未知の人生を描き出していきます。いくらこういった空間に閉じ込められようとも、「再教育」をされようも、到底抑えきれないものってありますよね。そしてその影響が三人三様で出てくるところが、またいいのです。彼らのその後はどうなるんだろう...。これはぜひ続きを知りたいものです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のダイ・シージエ作品の感想+
「バルザックと小さな中国のお針子」ダイ・シージエ
「フロイトの弟子と旅する長椅子」ダイ・シージエ

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1冊目は、カポーティの若き日の紀行文の「ローカル・カラー」と、著名人について書いた「観察記録」。2冊目は、ソ連でオール黒人キャストのミュージカル「ポギーとベス」を上演することになったアメリカの劇団に随行した時の記録「詩神の声聞こゆ」と、京都でのマーロン・ブランド会見記「お山の大将」と、日本人の印象を書いた「文体ーーおよび日本人」。

うーん、とても感想が書きにくい...。どれも小説ではない、ってせいもないのでしょうけど、やっぱりそれも関係あるのかな。まず1冊目の「ローカル・カラー」や「観察記録」は、スケッチと呼ぶのが相応しいような文章。そして「詩神の声聞こゆ」は、カポーティが「初めて短篇喜劇風"ノンフィクション・ノヴェル"として構想した」という作品。
でも私がこの2冊のうちで一番好きなのは、そういう風に表題作となるような作品ではなくて、まずジャン・コクトーの紹介でフランス文学の大女流作家コレットに会った時のことを書いた「白バラ」でした。8ページほどの短い作品なんですが、最初は緊張していたカポーティが、一瞬にしてコレットという人物に魅せられ、その後も影響を受け続けたのが十二分に分かるような気がします。コレットの最後の言葉も印象的。それと、映画「サヨナラ」の撮影のために京都に来ていたマーロン・ブランドと会った時のことを書いた「お山の大将」も好き。ある人物を叙述する時、決してその人が満足するように描かなかったというカポーティですが、そういった人々の中でもっとも心を痛めたのがマーロン・ブランドだったのだそうです。でも、私はすごくいい文章だと思うんだけどな。成功者という位置には相応しくないほどの、強い感受性を持った青年像が浮かび上がってくるようです。

この2冊には、それぞれ「犬が吠える」という副題が付いていて、それはカポーティがアンドレ・ジッドに教えてもらったアラブの諺「犬は吠える、がキャラバンは進む」から来ているのだそうです。解説で青山南さんも書いてたけど、確かに犬は吠えるもの。それでもカポーティは、進み続けていたということなのでしょうね。(ハヤカワepi文庫)


+既読のトルーマン・カポーティ作品の感想+
「カメレオンのための音楽」トルーマン・カポーティ
「ローカル・カラー/観察記録」「詩神の声聞こゆ」トルーマン・カポーティ

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ブライトンに来て数時間のうちに殺されてしまったヘイル。検死結果は自然死だったのですが、殺される直前にヘイルに会っていたアイダは、本当に自然死なのか疑問を持ち、色々と調べ始めます。ヘイルを殺したのは、17歳の少年・ピンキーとその仲間たち。ピンキーたちのやり口は万全のはずだったのですが、彼らは1人だけ、自分たちの行動を証言できる人間がいることに気付きます。ピンキーは早速その1人、16歳の田舎娘・ローズに近づき、今後彼女が証言したりすることのないよう、結婚してしまおうとするのですが...。

ブライトン・ロックと言ったら、私はQueenの曲しか思い浮かばないんですけど(笑)、ブライトンで売られている棒キャンディーのことなんだそうです。棒のどこで折っても「ブライトン」という字が現れる... って、要するに観光地名産の金太郎飴のことなんですね。(笑)
これは初期の傑作とされている作品。これまで読んだグレアム・グリーンの作品の中では、これが一番面白かったです。キリスト教色に関してはいいんですけど、やっぱり戦争色は薄い方がいいなあ... と言いつつ、「権力と栄光」は、実は気に入ってたりするんですが。(読んでから時間が経つにつれ、だんだん印象が鮮明になってきました)
この作品のピンキーは、何をしでかすか分からない不良少年。はっきり言って悪党です。周囲から見れば、どう考えてもローズがピンキーに騙されているとしか見えないでしょうし、アイダもそう考えてるんですが、実際のところはちょっと違うんですよね。ローズは世間知らずだけど、愛する男と結婚できるというだけで有頂天になってしまうような娘ではないんですもん。それでも、アイダは一度会っただけのヘイルのために、そして彼女自身が「正しいことをするのが好き」なために、ローズにつきまといます。...世間一般的には、アイダの方が圧倒的に正しいはずなんですが、この作品の中で魅力的なのは、何と言ってもピンキー。この2人がカトリック信者だということが、後のグリーンの作品の方向性を予感させるようです。(ハヤカワepi文庫)


ということで、これでハヤカワepi文庫の現在刊行されている35冊は全て読了です。
ボリス・ヴィアンの「日々の泡」だけは、先に新潮で読んでたんですが、今年の3月22日にアゴタ・クリストフの「悪童日記」を読んで以来、全部読み終えるのに3ヶ月ちょっと。最後にかたまってしまったグレアム・グリーンは、私にとってはちょっと難物だったんですが、だんだん良さが分かりそうな気もしてきたし、その他に大好きな作品がいっぱい。アゴタ・クリストフ「悪童日記」も、カズオ・イシグロ「日の名残り」も、リチャード・ブローティガン「愛のゆくえ」も、アンジェラ・カーター「ワイズ・チルドレン」も、アニータ・ディアマント「赤い天幕」も、ニコロ・アンマニーティ「ぼくは怖くない」も... と書くとキリがないのでやめますが(笑)、素敵な作家さんとの出会いが多くて、面白い作品も色々とあって、この3ヶ月すごく楽しかったです。早く次の本も刊行されないかな。次にどんな作品が読めるか、今からとっても楽しみです。


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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「事件の核心」は長編。西アフリカの植民地が舞台です。警察の副署長をしているスコービーとその妻のルイーズが中心となる物語。かつて1人娘を失ったという経緯もあり、しっくいりいっていない2人。この土地にも我慢できないルイーズは、1人で南アフリカに行くことを望み、スコービーは地元の悪党に金を借りてまで旅費をつくることに。そしてルイーズがいなくなったスコービーの前に現れたのは、夫を失ったヘレンという若い女性。しかしそこにルイーズから帰ってくるという電報が入って... という話。
これはグレアム・グリーンの最高傑作と言われる作品なのだそうで、確かにこれまで読んだグリーンの作品の中では楽しめたような気がします。(「権力と栄光」の方が良かったようにも思うけど) でも物語としては、やっぱり今ひとつ掴みきれず...。そもそも題名の「事件の核心」の事件って何?!と思ったら、この作品を訳した小田島氏ですら、何が正解なのか掴みかねているのだそう。そして、本国ではカトリック系新聞雑誌でスコービーは救われるのか地獄に堕ちるのかという論争が盛んに行われていたというほど、カトリック色の強い作品です。カトリックの教義から言えば、本来スコービーが救われることはないだろうと思うんですけどねえ。

「二十一の短篇」は、その名の通りの短編集。これまでにも全集などで出ていた作品が新訳で再登場なのだそう。8人の訳者さんたちが、それぞれにご自分の訳した短篇に簡単な解説をつけていて、これが実は本文よりも面白かった! でももしかしたら、グリーンは短篇の方が私にはすんなりと読めるのかもしれません。全体的にキレが良くて、全部ではないんですけど、結構楽しめました。

ということで、これでハヤカワepi文庫全34冊読了...! と思っていたら、欠番だった32番が4~5日前に刊行されてました。グレアム・グリーンの初期の傑作だという「ブライトン・ロック」。私には今ひとつその良さが分からないグリーンなんですが、あらすじを見る限り、今度は戦争絡みとかカトリック絡みではなさそう。今度こそその良さが分かるといいなあ。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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上海の租界に生まれ育ったクリストファー・バンクスは、10歳の時に両親が次々と謎の失踪を遂げ、イギリスにいる伯母に引き取られます。両親を探すために探偵を志したクリストファーは、やがてイギリスで数々の難事件を解決し、名探偵としての名声を博すことに。そして消えた両親の手がかりを探すために、日中戦争のさなかの上海に戻ることになるのですが...。

クリストファーの一人称による語りなんですけど、これがものすごく不安定。同じくハヤカワepi文庫のパット・マグラアの「スパイダー」(感想)解説に、「日の名残り」(感想)の執事は「信頼できない語り手」だと指摘されていたんですけど、それ以上ですね。クリストファーは、自分がイギリスに帰る船旅を、いかに希望に満ちた明るい態度で過ごしていたか、イギリスに着いてからは、いかに寄宿学校の生活にすぐに順応したか、自分がいかに本当の感情を表に出さないまま相手に対しているか、その都度強調するんですけど、ゆらゆらゆらゆら、今にも足場が崩れてしまいそうな感じ...。とは言っても、もちろんそれは意図的なものなんですよね。相手の意外な言葉にクリストファーが驚いたり反論したりする場面が何回かあって、それを裏付けてると思います。
物語前半の上品で華麗なロンドン社交会の描写は、いつのまにか日中戦争の戦火へ。そしてクリストファーが無意識に目をつぶっていた真実が明らかに。クリストファーの記憶が、彼にとって都合の良い方向に少しずつズレていたのは、きっと自己防衛本能だったんでしょうね。前半では輝いて見えた人々も、後半ではその光を失い、真の姿が見えてきます。
でも、こちらも悪くなかったんだけど... 好きという意味では、やっぱり「日の名残り」の方が段違いに好き。あちらの方が全体のバランスも良かったし、何より完成されていたという感じがします。

本の紹介から、ミステリ的要素の強い冒険譚かと思って読み始めたんですけど... 確かにそういう面もあることはあるんですけど、それは単に物語の形式といった印象です。ミステリ目当てに読むのは、やめておいた方が無難かも。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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1930年代のメキシコ。共産主義革命が起こり、カトリックの教会は全て破壊され、司祭たちが踏み絵を強要されていた時代。ほとんどの司祭たちは国外に逃亡し、潜伏していた者たちは見つかりしだい銃殺に処せられていたこの時、国内に残っていたのは2人の司祭だけでした。1人は結婚することでカトリックの戒律を破ったことを周囲に示したホセ神父。そしてもう1人はカトリックへの信仰を捨てきれず、しかし殉教者となる勇気もないまま逃亡を続ける不良神父。彼は年老いた騾馬に乗りながら、警察の捜索を網を縫って北を目指します。

グレアム・グリーンの代表作の1つで、遠藤周作の「沈黙」に大きな影響を与えたという作品。今までの4冊では一番面白かった気がするんだけど... まだあんまり消化してません。
神父は、逃亡する前から既に祭日や断食日、精進日といったものを無視するようになっていたし、妻帯を許されないカトリックの神父でありながら、6歳になるブリジッタという娘がいるんですよね。破戒神父です。逃亡し始めてからは聖務日課書を失くし、携帯祭壇を捨て、通りすがりの百姓と自分の司祭服を交換。神父としての彼に残っているのは、司祭叙任十周年のときの原稿だけ。そこまで堕ちながらも、彼が依然として神父でしかないというのはどういうことなんだろう? この極限状況の中で神父であり続けることに、一体どれだけの意味があるんだろう? なんて思いながら読んでました。彼には、守り通さなくちゃという信念を持つほどの信仰はないし、そもそも主体性がないんです。告解したくとも、自分の娘(罪の結晶)を愛してるから、祈りはどうしても娘へと向けられてしまうし。
「権力と栄光」という題名なので、「権力」というのは当然国家権力で、国家とカトリックの対比なのかと思ってたんですが、訳者あとがきによると「神の力と光」というのが正しい意味なのだそう。(原題は、「THE POWER AND THE GLORY」)...そうだったんだ! この題名が定着してしまってるから、変えるに変えられなかったみたいですね。それと訳者あとがきで、この作品とキリストの生涯との共通点が挙げられてるのが面白くて、なるほどなあーなんて思いながら見てたんですけど、「そうした読み方はあまりほめたものではないし、慎むのが当然だと思われる」とあるんです。なんでなんだろう? 私がグレアム・グリーンをまだ良く分かってないからかな?(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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まもなくメイダー・ヒルの聖リューク教会で結婚式を挙げ、ボーンマスへ新婚旅行に行く予定のバートラムとケアリー。しかしバートラムが会社の株主の1人で「御老体」と呼ばれている大金持ちの老人に会ったことから、予定が狂い始めます。御老体はモンテ・カルロで結婚するべきだと言い張り、秘書に段取りを組むように言いつけます。結婚式には御老体も来る予定。しかし当日、御老体は現れませんでした。バートラムとケアリーは、せっかくだからとカジノを覗いてみることに...。

お金はそれほどないけれど幸せな2人が、カジノを体験してしまったことから雲行きが怪しくなるという物語。でも雲行きが怪しくなるのは、負けがこんでしまったからではなくて、勝ってしまったから。多少お金があっても邪魔にはならないと思うんですけど、ケアリーは「ねえ、お願いだからお金持にはならないで」と頑固に言い続け、お金があるからという理由だけでバートラムと別れそうになるんですよね。お金よりも人間性が大切とは言っても、ここまでデフォルメしちゃうと、ちょっとスゴイ。
でも、気軽に読める小編なんですが... グレアム・グリーンだからきちんとした作品なのかといえば、謎です。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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ある名もない村で生まれたトビアスの母は、盗人であり乞食であり、娼婦。母の客でただ1人農夫ではなかった男は村の学校の教師で、トビアスに必要な服や教材を揃えてくれます。彼の娘・リーヌは、トビアスのただ1人の友達。しかし、トビアスは12歳の時、彼が自分の父親であることを知ってしまうのです。トビアスは大きな肉切り庖丁を持って寝室に入ると、眠っている2人を貫くように刺し、その足で国境を越えてゆきます。

「悪童日記」の三部作とはまた違う作品なんですが、内容的にはかなり重なってますね。ここに登場するトビアスの故郷の国も、多分ハンガリーでしょうし、主人公が越境してること、自分の過去を作り上げてること、かなり空想的で、その空想を言葉として書き留めている面も一緒。そしてこのトビアスの姿は、「悪童日記」の時以上に、作者のアゴタ・クリストフ自身に重なります。自分の母国から追い出され、生活のために敵国の言葉を覚える必要に迫られ、その言葉で文章を書いているという点も同じ。おそらく彼女は、これからも同じような主人公、同じような世界を書き続けるんでしょうね。
作中にはいくつもの死が登場するんですが、アゴタ・クリストフはあくまでも淡々と描いていきます。まるで、その1つ1つに感傷的になることを読者に許さないみたい。トビアスが待ち焦がれてる空想の世界のリーヌも実際に現れるんですけど、その場面もトビアスの空想のよう。予想通りのアンハッピー・エンドなんですけど、失恋の悲しみよりも遥かに大きな悲しみが作品全体にあるので、それはむしろ瑣末なことに見えてきます。事実をあるがままに受け止めて生きていく2人の姿が印象に残りました。(ハヤカワepi文庫)

+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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強国がひしめくインドシナ戦争下のサイゴン。アメリカ経済使節団で働いている青年・パイルが訪ねて来るのを待っていたイギリス人記者のファウラーは、フランス警察によってパイルの水死体が見つかったことを知らされます。ファウラーとパイルはかつてベトナム娘のフォンを争い、結局ファウラーがパイルに負けたという間柄。しかし尊大で騒々しくて子供っぽいアメリカ人記者たちとは違う、謙虚で生真面目、理想に燃えたパイルに、ファウラーは好感を抱いていたのです。

「第三の男」(感想)以来のグレアム・グリーンの作品。「第三の男」も私にはちょっと読みづらかったんですが、これはそれ以上に読みづらかったです...。全然ダメというわけではなくて、面白い部分と詰まらない部分が混在してる感じなんですが、グレアム・グリーン、もしかしたら苦手なのかもしれない...。ハヤカワepi文庫の読破を目論んでる私ですが、あと6冊残っていて、そのうちグレアム・グリーンの本が4冊も控えてるんですよねえ。大丈夫かしら。(そんなことを言いながら、全部読んだ頃には大ファンになってたりして・笑)

ええと、どんな理由があっても、それがたとえ正義であっても、人を殺す免罪符には決してならないはずなんですが、それでもやっぱりアメリカは正義を掲げて他国同士の争いに介入し続けてますね。この作品は1955年に書かれているので、ベトナム戦争(1965-1970)すら起きていない頃だというのが驚きなんですが、古さなんて感じないどころか、むしろ今の時代に読んだ方が伝わってきそうな作品です。もちろんアメリカにも戦争反対の人は沢山いるでしょうし、実際に戦闘に参加する時は割り切らないとやってられないって人も多いんでしょうけど... 実は一番タチが悪いのは、パイルのような理想に燃える男なのかも、なんて思ったり。ある東亜問題専門家の本に傾倒しているパイルは、自らの意思で正義を行っていると信じてるんですけど、多分、実際のところは、上の人間にその本を渡されて、巧妙に操作されてるだけなんですよね。知らない間に自分の意思が刷りかえられてる。そしてそんなパイルを微調整するだけで、上の人間は自分たちの手を汚さずに済むわけで... パイルの無邪気さが哀しいぞ。
...なんて書いてますが、そっち方面には圧倒的に知識不足な私のことなので、全くの的外れかもしれません。(あらら) でも、それもまた1つのからくりなんだろうな、とそういう作品でした。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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1978年の夏。9歳のミケーレは、偶然入り込んだ廃屋の中に、1人の少年の姿を見つけます。少年が既に死んでいると思い込んだミケーレは、そのまま仲間たちにも何も言わずに帰宅。しかしその少年は、まだ生きていたのです。それを知ったミケーレは、その少年に水や食べ物を差し入れし始めるのですが...。

イタリア南部の小さな集落が舞台の物語。ぎらぎらと照りつける太陽に真っ青な空、乾いた熱い風、一面の金色の小麦畑。読んでいると、そんな情景が目の前に広がるような作品。大人たちは日々の貧しさに喘ぎ、豊かだという「北部」に憧れて、いつかはこんな場所から出ていってやると思っているし、確かに生活はとても貧しそうなんですが、子供たちの生活は、そんな情景がバックにあるせいか、すごく力強くて豊かに感じられました。小さい妹の世話を押し付けられて文句を言ってるミケーレだけど、実際にはとても面倒見の良いお兄ちゃん。このミケーレがとってもいい子なんです。
でも偶然少年を見つけてしまったミケーレは、じきに、この件に村の大人たち全員が関係していることも知ってしまい、そんな子供時代に別れを告げることになります。自分にとって絶対的な存在だった父が、実は弱く罪深い人間だったことを思い知らされるのは、9歳のミケーレにとっては大きな衝撃。大人たちのやっていることを薄々感づいても、無邪気に聞けるほどの子供でもないし、かといって黙って見過ごすことができるほどの大人でもなく、相談しようにも相手がいないミケーレ。信じていた相手からは裏切られるて散々。そんな風に、いきなり大人になることを求められるミケーレが可哀想ではあるんですが、自分なりの筋を通して、やるべきことをやろうとするミケーレの姿はとても爽やかでした。
epi文庫の作品は映画化されているものも多いんですが、その中でもこの映画の評判は良かったようですね。公式サイトはこちら。(ハヤカワepi文庫)

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プラハの裕福な家に生まれた母親と、貧乏な若い技師の間に生まれた詩人・ヤミロール。母親に溺愛されて育ったヤミロールは、自分の言葉が周囲に大きく影響を及ぼすことに気づき、常に自分は特別なのだという意識を持つようになります。

この方、「存在の耐えられない軽さ」を書いた方だったんですね。という私は、原作も読んでないし、映画も観てないのですが...。
短い章を畳み掛けるような構成で、「詩人」ヤミロールの一生を描いた作品。生まれたのは、第二次世界大戦後の混乱期、そして思春期には「プラハの春」が、という時代背景で、これはクンデラの自伝的作品でもあるのだそうです。小説というよりも、むしろ散文詩のような感じかな。でも、クンデラらしさが一番表れていると書かれていたんですけど... 文章自体は読みやすかったんですけど... 作品はちょっと分かりづらかったです。というよりむしろ、作品にあまり近づけなかったような気が。
自信たっぷりでいながら、常に他人の賛辞がないと不安な小心者。唯一自分を常に認めてくれる母親からは、結局精神的に巣立つことができなかったし、赤毛の恋人を愛しているとはいっても、決して美しくない(どころかブスらしい)恋人を愛している自分に酔っているように見えました。結局のところ、ヤミロールは彼女たちを通して自分しか見てなかったんでしょうね... そんなヤミロールの最期が哀れです。
チェコスロバキアでこの作品が発禁処分となって、フランスに亡命したというミラン・クンデラ。その後はフランス語による作品を発表しています。(ハヤカワepi文庫)

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生まれた時から内向的で、科学の天才と言われながらも、今はアパートの部屋に引きこもり、極力人づきあいを避けて生活しているジュリアン。対照的に、生まれながらに外交的で、話すよりも早く歌い始めた妹のポーラ。2人は同じアパートの上下の部屋に住んでおり、普段はポーラがジュリアンの世話をしています。しかしプロのオペラ歌手を目指すポーラは、自分の声の可能性を試すためにヨーロッパへ。そしてポーラが留守の間は、それまでポーラの部屋を掃除していたソーラという女性が代わりにポーラのアパートに住んで、ジュリアンの世話をすることに。

ジュリアンが現在のような対人恐怖症になってしまったのは、父親の影響。父親自身は、死ぬまで2人に何も語ろうとはしませんでしたが、ナチス・ドイツ時代にアウシュビッツに収容されて生き延びた人間なのです。でも同じような家庭環境に生まれ育っていても、ジュリアンは何も語ろうとしない父に大きな影響を受け続け、ポーラはそれほどの影響は受けなかったんですよね。きっとポーラは、それまで家の中で何か重苦しい雰囲気を感じていたにしても、普段はジュリアンの感じていたような父の呪縛を感じることなく育ったんでしょう。事実を第三者から聞いた時に初めて、大きな衝撃を受けたポーラの姿が印象的でした。そして、それまでは妹のポーラが兄を守る立場だったのに、その出来事を境に力関係が逆転するのも興味深かったです。この2人と比べると、ソーラの存在感はやや弱かったかなと思うんですが、それでもソーラとジュリアンがお互いに心を開く過程がごくごくゆっくりと描かれていたのがとても良かったです。
物語はジュリアンとポーラ、そしてソーラの3人の視点から語られ、ごく短いパートで移り変わっていきます。。3 人の視点から、現在のことや過去のことが次々と語られて、徐々に全体像が見えてくる感じ。テンポが良くて読みやすかったです。重いものを含んではいますが、むしろ元々は詩人だというロズナーの描く美しい情景の方が印象に残りました。(ハヤカワepi文庫)

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ロンドンの下宿に住んでいるスパイダーは、過去の思い出が甦って目の前の光景に重なるような感覚に混乱して、日記をつけ始めることに。それはスパイダーの子供の頃の物語。その頃のスパイダーは、怒りっぽい父と優しい母との3人で、今の下宿から程近い街に暮らしていました。しかしスパイダーが12歳の時、父はあばずれのヒルダ・ウィルキンソンと出会い、夢中になり、なんと母を殺害してしまうのです。ヒルダは、我が物顔にスパイダーの家に居座るのですが...。

解説によると、物語分析には「信頼できない語り手」という言葉があるんだそうです。この物語の主人公・スパイダーは、まさにその「信頼できない語り手」。何も予備知識を持っていなければ、読者は当然1人称の主人公の言うことを信じて読み進めることになりますけど、どこかの時点で、その認識を覆されるわけですね。ミステリで言えば叙述トリック。普段、ミステリの感想を書く時に、「素晴らしい叙述トリックでした~」なんて書いてしまったら思いっきりネタバレなんですけど(書いちゃダメですよ!)、この作品に関しては、主人公に対する印象の変化が主眼なので大丈夫なんでしょう... きっと。本の裏にも解説にも主人公の狂気について思いっきり書いてあるし。...それでも「叙述トリック」という言葉を書くと、どこか後ろめたくなってしまうのは、ミステリ者のサガ?(笑)
この「信頼できない語り手」に、某有名古典ミステリが挙げられているのは当然として(もちろん作者も作品名も伏せられてましたが、読んでる人はぴんと来ますよね)、カズオ・イシグロの「日の名残り」(感想)も挙げられていたのにはびっくり。あれも叙述トリックだったのか...!(違います) でも言われてみると、確かに。納得。あの主人公は自信満々だし、プライドもすごーく高いし、何食わぬ顔で事実をさりげなく脚色してそうです。

まあ、叙述トリックなんて言葉が出てくる通り、この作品もミステリ的ではあるんですが、むしろサイコホラーですね。最初は普通の主人公に見えるんですが、もしかしたらこの精神状態は...? と感じ始めた頃から、どこからどこまでが事実なのか分からなくなっちゃいます。本当に殺人事件はあったのか、あったとすれば誰が殺したのか。そして誰が殺されたのか...。
でも私自身、叙述トリックもサイコホラーも苦手なこともあって、正直ちょっと読みづらかったです。主人公の狂気も、あまり楽しめず仕舞いでした。残念。(ハヤカワepi文庫)

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宇宙の成り立ちから太陽系の誕生、そして生物の進化といった壮大な物語が繰り広げられる、12の奇妙な物語。
語り手は、宇宙が出来る前から生き続けているというQfwfq老人。さすがビッグバンの前から知ってるだけあって、老人の物語はちょっと凄いです。とにかく壮大。そしてユーモアたっぷり。だって、ある女性の「ねえ、みなさん、ほんのちょっとだけ空間(スペース)があれば、わたし、みなさんにとてもおいしいスパゲッティをこしらえてあげたいのにって思っているのよ!」という発言がきっかけで、ビッグバンが起きたなんていうんですよ! なぜビッグバンの前に人間が存在していたのか、しかもスパゲッティを作るって... なーんて言ってしまうのは、あまりにも野暮というもの。カルヴィーノはよくこんな荒唐無稽な話を思いつきますねえ。Qfwfq老人は、「二億年待ったものなら、六億年だって待てる」なんて簡単に言ってしまいますし、1億光年離れた星雲と気の長いやりとりを続けていて、時の流れも雄大。子供の頃は、友達と水素原子でビー玉のような遊びをしてるし、友人とは「今日、原子ができるかどうか」という賭け事をしています。しかもこの原子が誕生するかどうかという凄い賭けが、サッカーチームの試合の結果の賭けと同列に並んでるんです。(笑)
この本は、元々はハヤカワ文庫SFに入っていたそうです。SFがちょっと苦手な私は、SF寄りの作品よりも、やっぱり幻想的な情景が描かれてる作品が好きですね。12編の中で一番好きなのは、「月の距離」という作品。水銀のような銀色に輝く海に船を漕ぎ出し、脚榻の上に載って月へ乗り移る描写がとても素敵。あと、月に行って、大きなスプーンと手桶を片手に月のミルクを集めるというのも。この月のミルク、成分を聞いてしまうと実は結構不気味なんですけど、この作品の中で読むとまるで夢のようです。
そして河出文庫から出ている「柔かい月」は、これの続編と言える作品なのだそうです。訳者さんが違うので文章がやや読みにくいらしいのですが、やっぱり気になります。(ハヤカワepi文庫)


+既読のイタロ・カルヴィーノ作品の感想+
「宿命の交わる城」イタロ・カルヴィーノ
「不在の騎士」イタロ・カルヴィーノ
「レ・コスミコミケ」イタロ・カルヴィーノ
「なぜ古典を読むのか」イタロ・カルヴィーノ
「まっぷたつの子爵」「木のぼり男爵」イタロ・カルヴィーノ
「イタリア民話集」上下 カルヴィーノ
「魔法の庭」イタロ・カルヴィーノ
「見えない都市」イタロ・カルヴィーノ
「マルコヴァルドさんの四季」カルヴィーノ
「冬の夜ひとりの旅人が」イタロ・カルヴィーノ
「柔かい月」イタロ・カルヴィーノ
「カルヴィーノの文学講義」イタロ・カルヴィーノ
「パロマー」カルヴィーノ
「くもの巣の小道」イタロ・カルヴィーノ
「むずかしい愛」カルヴィーノ

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トルーマン・カポーティの生前最後に出版されたという作品集。「序」には8歳の時に文章を書き始めて以来、自分なりの文学修行に励み、17歳の時に主だった文芸季刊誌に送った原稿が認められてデビュー。それ以来様々な試みをしながら、最終的に物語風ジャーナリズムに惹かれるに至った心情が書かれています。そして作品は3部に分かれて、全14編が収められています。

カポーティの作品は、確か中学の頃に「ティファニーで朝食を」を読んだきりなんですが、その時とはまた全然イメージが違ってびっくり。なんと、南部出身の方だったんですか! 「ティファニーで朝食を」のイメージそのままの、お洒落で都会的なニューヨーカーかと思ってました。でも、確かにこの作品集を読んでみると南部を舞台にした作品が多いし、南部を舞台にしていない作品にも、どこか南部の濃密な空気がまとわりついているよう。
「序」に、控えめに書くのを好み、単純ですっきりとした仕上がりを目指して試行錯誤した上で書きあがったのが「カメレオンのための音楽」だと書かれているように、すっきりと無駄のない文章。でもすごく雄弁なんですよね。作品の中には、トルーマン・カポーティ自身が「TC」として登場することもあるんですが、ノンフィクションともフィクションとも言い切れない不思議な雰囲気。というか、「TC」が登場すればするほど、フィクションに感じられてしまうのはなぜかしら。この中で私が特に好きだったのは、表題作の「カメレオンのための音楽」。ここで描かれているのは、色とりどりのカメレオンがモーツアルトに聞き入っている不思議な情景。会話が行き違い、宙ぶらりんのまま打ち切られてしまう短編には、とても存在感があります。あとは、姉御肌の女優の機転が楽しい「命の綱渡り」や、マリリン・モンローとのやりとりを通して、素顔のマリリンを間近に見ているように感じられる「うつくしい子供」も好き。
でも作品も印象的なんですが、「序」がまた良かったです。「神が才能を授け給うにしろ、必ず鞭を伴う。いや、鞭こそ才能のうちなのだ。自らを鞭打つ。」とか、「単に出来のよい作品と本物の文学とには相違がある。この違いは些細なようにみえて、決定的、根源にかかわる。」とか... ちょっと「おおっ」と思うでしょう?(ハヤカワepi文庫)


+既読のトルーマン・カポーティ作品の感想+
「カメレオンのための音楽」トルーマン・カポーティ
「ローカル・カラー/観察記録」「詩神の声聞こゆ」トルーマン・カポーティ

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ニューヨークの有名企業で働くキャリアウーマンのダイアナは、3年以上も前の失恋を未だに引きずっている状態。それでも占星術師で霊能力者のマーガレットおばさんに、これから3年間は人生でも最高の時だと約束されて、楽しみにしていました。しかしそのそんな時、両親と兄の乗った車が酔っ払い運転のトラックと激突。ダイアナはいきなり家族を3人とも失ってしまいます。どん底まで落ち込んだダイアナは仕事を辞め、車でふらふらと旅に出るのですが、しニュージャージーの田舎道で、バイクに乗った老女・ロージーをはねてしまい...。幸いロージーは無事で、ダイアナはロージーと彼女の孫・ルイーザの家に滞在することに。

私にとってアメリカ人、それもニューヨーク在住のキャリアウーマンといえばドライなイメージなので(単純思考)、これほどウェットな人もいるのかと少し驚きましたが、自分でも感情を持て余しているダイアナの気持ちは伝わってきましたし、ダイアナがロージーやルイーザに、なかなか自分の家族の事故のことを言おうとせずにいた気持ちも良く分かります。本当に悲しいことがあった時は、下手に同情の言葉をもらっても困ってしまいますものね。でもそんなダイアナに投げつける、ルイーザの大人気ない言動は傍から見ていても見苦しいほど。いくら美人で魅力的でも、言葉の暴力というのは決して許されるべきことではないはず。...とは言え、この時のダイアナに限って言えば、ルイーザの存在が逆に良かったような気もします。人の振り見て我が振り直せではないですけど、自分よりも困ったお嬢さんであるルイーザの相手をして振り回されているうちに、ダイアナはいつの間にか元の自分を取り戻しつつあったのですし。
水面に浮かんだ何千何百というクランベリーの赤い実の色と水の青、紅葉した木々と長靴の黄色、コバルトブルーの空。でもこの作品の文章からは、今ひとつその情景が思い浮かべられなかったのだけが残念。実際に見てみたくなりました。(ハヤカワepi文庫)

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双子の兄・エサウからは長子としての権利を、そして目が見えなくなった父イサクの祝福までをも奪ったヤコブは、エサウの憎しみから逃れるため、北のハランの地にいる母の兄・ラバンのもとへ。そこでヤコブは美しいラケルに出会い、ラバンの4人の娘たちを妻とすることになります。4人の妻から元気な子供が13人育ち、ヤコブの家は繁栄するのですが...

旧約聖書の創世記に登場するエサウやヤコブ、そしてその妻や子供たちの物語。聖書でいえば、創世記の29章から最後の50章までですね。物語の語り手となるのは、ヤコブの唯一の娘・ディナ。
創世記のエサウやヤコブの物語や、息子のヨセフとエジプトの王・パロの物語は有名だし、何度も読んだことがあるんですが(読んでるとは言っても、信仰の対象としてではなくて、単に読み物としてですが)、ディナに関してはほとんど何も知らなかったし、印象にも全く残ってなかったんですよね。まあ、改めて聖書を開いてみても、ヤコブからヨセフまでの記述は40ページ弱あるのに、ディナに関する記述といえば、ほんの数行。これは覚えてないのも無理はないかな、とは思うんですが、聖書の記述は元々男性中心なので、これでも女性としては十分書かれてる方かもしれません。そしてその「ほんの数行」を元に書き上げられたのが、この「赤い天幕」。あの数行から、1人の女性の生き様が、これだけ生き生きとした物語として再現されてしまうとは... 娘として、妻として、母として生きたディナの波乱万丈な人生が、この数行からこれほど見事に力強く浮き上がってくるなんて、ほんとびっくりです。読み始めた途端に、すっかり引き込まれてしまいました。面白かったです~。
ちなみに題名の「赤い天幕」というのは、女性たちが出産や月の障りの時を過ごす、「女性」を象徴するような場所。まだ大人になっていない少女が、早く大人になりたいと憧憬を持って眺める場所でもあります。もちろん住んでいる場所や民族、信仰する神によって違うので、そういうしきたりを持たない人々もいるんですが、でもだからこそ、ディナにとって、自分の家族を象徴し、自分のルーツを辿るような、大きな意味合いを持つ場所なんじゃないかと思うんですよね。さらにディナは、産婆をしていた叔母のラケルについて、多くの女性たちの出産の介助をすることになるので、物語の中では、「生」や「死」についても繰り返し描かれることになります。数知れない女たちの出産場面と、生命の誕生の力強さ、そして常に存在する死への不安...。いやー、良かったです。やっぱりハヤカワepi文庫は好きだなー。これで丁度20冊目です。(ハヤカワepi文庫)

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あまりの出来の良さから盗作が相次いだという「あなたの年齢当てます」に始まり、「わたしを見かけませんでしたか?」「話し手の言い分」「聞き手の言い分」「ヒモをためてますか?」などなど全19編のエッセイが収められた本。夜中に台所で僕は本を読みたかったのkeiさんが、先日のたらいまわし企画「"笑"の文学」で挙げてらした本です。(記事

なるほど、こういうユーモアだったんですね~。全部読み終えてみると、やっぱり「あなたの年齢当てます」が一番面白かったです。冒頭はこんな感じ。

このごろの建物の会談は、むかしより勾配がきつくなったように思う。けこみが高くなったのか、段数が多いのか、なにかそんなことにちがいない。たぶん一階から二階までの距離が年々伸びているせいだろう。そういえば、階段を二段ずつ登るのもめっきりむずかしくなった。いまでは一段ずつ登るのがせいいっぱいだ。

もうひとつ気になるのは、近ごろの活字のこまかさである。両手で新聞をひろげると新聞がぐんぐん遠くへ離れていくので、目をすがめて読まねばならない。
つい先日、公衆電話の料金箱の上に書いてある番号を読もうと後ずさりしているうちに、気がついたら、ボックスから体が半分外へはみだしていた。この年でめがねなんて考えるだけでもばかばかしいが、とにかく新聞のニュースを知りたくても、だれかに読んで聞かせてもらうしかなくて、それではどうも物たりない。最近の傾向なのか、みんながひどく小声でしゃべるので、よく聞き取れないのだ。

こんな調子でどんどん進みます。この「あなたの年齢を当てます」にだけ、味のある挿絵が入ってるのが、またいいんですよねえ。淡々とした語り口の中には、実に皮肉っぽいユーモアがたっぷり。やっぱりこの「淡々とした」というところがポイントでしょう。(笑)
他の章も悪くないんですけど、やっぱり「あなたの年齢当てます」がずば抜けてるかな。この場合、読み手である私が男性じゃないというのも関係ありそうですけどね。世の中の奥さん連中を題材に取っている、「全く女ってやつは」という文章が多いので。男性、それも既婚の中年男性が一番楽しめそうな気がします。(ハヤカワepi文庫)

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伝説のチャンス姉妹、ドーラとノーラは、認知こそされていないものの、著名なシェイクスピア俳優サー・メルキオール・ハザードの娘。ハザード家は演劇一家であり、彼らとは離れて育ったドーラとノーラもまた、10代そこそこから舞台に立ち、ショービジネスの世界で生きてきていました。そして今日はドーラとノーラの75歳の誕生日。父親のメルキオールも同じ日が誕生日で、こちらは100歳の誕生日。当日になってドーラとノーラにパーティへの招待状が届きます。

わー、面白かったです! 物語は、ドーラが自叙伝を書くために誰かに話を聞かせているという形式。とにかく終始テンションが高くて猥雑な雰囲気だし、「この男のことはお忘れなく」「○○については適当なところで説明するつもり」「もうすぐわかります」とか言って、ドーラの気分次第で話がどんどん飛ぶし、双子が5組(!)も登場するせいで、ただでさえ多い登場人物はさらにややこしくなってるし、その上演劇一家らしくそれぞれの愛憎関係が複雑かつ華やかなので、読み始めは、もう大変。
でも一旦ペースを掴んでしまいさえすれば大丈夫。ショービジネスの世界らしい華やかさが満載で、楽しかったです。かなり長い作品なのに、一気に読んでしまいました。フレッド・アステアやジンジャー・ロジャースといった実在したスターたちが話の中に登場するのも楽しいし、ドーラの語りにシェイクスピアからたっぷりと引用されてるのも、雰囲気満点。当時のファッションについても、ばっちり分かります。そしてロンドンの演劇界の中心であるハザード一家の歴史を紐解けば、それはそのままロンドン演劇界の歴史なんですねえ。この人たち、誰かモデルがいるのかしら? 到底架空の人物とは思えない存在感なんですけど!
浮き沈みの激しいショービジネスの中で、決して良いことばかりだったとは言えないはずのドーラとノーラなんですが、終始パワフルに人生を生きていて、苦労も苦労と思わずに笑い飛ばす力強さがいいんですよねえ。もちろん75歳になる今もお洒落心は忘れず、「今でも年のわりにはちょいと悪くない脚だと思うわ」と脚を引き立てる服装を選ぶところも可愛いところ。でも、ドーラとノーラが望んでいることは、本当はただ1つ、実のお父さんであるメルキオールに娘だと認めてもらって、お互いに抱きしめあうことだけなんですよね。お父さんの前に出ると、いつもの毒舌ぶりから一転して、10代始めの少女に戻ったようになってしまう2人も可愛いかったな。最後の最後まで、いや、ちょっととんでもないんですけど... お見事でした。(ハヤカワepi文庫)


+既読のアンジェラ・カーター作品の感想+
「ワイズ・チルドレン」アンジェラ・カーター
「魔法の玩具店」アンジェラ・カーター
「夜ごとのサーカス」アンジェラ・カーター
「血染めの部屋 大人のための幻想童話」アンジェラ・カーター

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1905年。26歳のアインシュタインは、特許庁に勤めながら、博士論文の他に光量子に関する論文やブラウン運動に関する論文など、次々に論文を発表していました。まさに相対性理論を確立しようとしていたアインシュタインが、夜毎にみた不思議な夢の物語。

プロローグとエピローグ、そしてインタールードという章でアインシュタインと友人のベッソーのやり取りが描かれている他は、アインシュタインのみた夢が次々に物語となって展開していきます。それは30編の、様々な時間に関する夢。時間に始めも終わりもない円環の世界、突然時間の流れが変わってしまう世界、時間が空間と同じく3つの次元を持っている世界、機械時間と肉体時間を持つ世界、時間の流れが地球の中心から遠く隔たるほど遅くなる世界、時間が規則正しく着実に流れていく世界、原因と結果が不安定な世界、平穏無事な1日、1ヶ月、1年がひたすら通り過ぎていく世界...。時間の持つ様々なバリエーションの描かれ方は、まるでヨーロッパ映画の一場面のよう。ベルンを舞台にした様々な物語は、1905年という時代を感じさせて、とても優雅で情景的です。そこに展開される様々な人間模様が、短いながらもなかなか良かったんですが... 問題は、私が相対性理論を全然知らないこと! 様々な世界の情景が興味深くはあるものの、結局それらを淡々と目で追うだけになってしまいました。実際の理論と照らし合わせて読めれば、もっと面白かったんでしょうにねえ...。この作品には、ちょっと予習が必要かも。
作者のアラン・ライトマンは、現役の物理学者なんだそうです。訳者あとがきに「現代物理学の仮説を踏まえた時間の性質も巧みにイメージ化されている」とあるので、詳しい人なら楽しめると思うんですが... 私にはその辺りはさっぱり... ふはー。(ハヤカワepi文庫)

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1949年。祖父が亡くなり、牧場が人手に渡ってしまうことを知った16歳のジョン・グレイディ・コールは、親友のロリンズと共に牧場のある町を出ることに。2人は馬でメキシコへと向かいます。途中で彼らが出会ったのは、一見してすごい馬だと分かるような馬を連れたジミー・ブレヴィンズ。ジョン・グレイディはジミーを突き放すこともできず、3人は一緒にメキシコを目指すことに。

しばらく国内作家さんの作品が続いてたんですけど、図書館の予約が回ってきた本も一段落。またepi文庫を仕入れて来たので、海外作家さんの作品に戻ります。
ということで、これは全米図書賞、全米書評協会賞などを受賞し、愛好者の熱狂的な支持を受けた作品とのことなんですが...
うーん、ものすごく読みにくかったです。英語の文体が特殊だそうで、それをそのまま日本語で表すためにと、ろくすっぽ句読点のない長い文章が延々と続くんです。句読点がなくても舞城王太郎作品みたいなパワーがあれば面白い味が出るんでしょうけど、これは読みにくかったですー。会話文には「」がないし、メキシコ人との会話にスペイン語が沢山登場して気が散っちゃう。(ついつい単語の意味を頭の中で確認したり、発音したくなっちゃうので) その上、読んでいても、なかなか状況が見えてこないんです。特に冒頭はもうほんとワケが分かんなくて、読み始めてすぐに、こっくりこっくりしてしまいました...(^^;。
この作品が発表されたのは1992年。確かに、たかだか15年ほど前の作品とは信じられないほど、「カウボーイ」がまだ生き残っていた当時の雰囲気を伝えてくれる骨太な作品だし、ハイウェイを車が疾走する横を2人の青年が馬で旅をする図も面白いんですけど... 読んでいても一向に絵が浮かんでこなかったです。うーん、残念。(ハヤカワepi文庫)

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主に、20代後半から30代ぐらいの女性を描いた13の短編。既に若さだけで突き進んでいけるほど元気でもなく、忙しい日々の中で恋も仕事もあまり順調でなくなってきている、ちょっと生活に疲れた女性たちの姿が描かれていきます。描き方がかなりドライなので、読みやすかったんですが、1冊通して読もうとしないで、短編1つずつを別々に読んだ方が良かったかも。元々短編集が得意じゃない私、途中でちょっと飽きてしまいました...。一番短い「初めての地震」という作品のインパクトから見ても、短編的なセンスは十分ある方みたいなんですけどね。
そして読みながらちょっとびっくりしたのは、結構日本について書かれた部分があること。登場する女性が着物を着ていることも多かったし、「日本には、クリスマス・ケーキ現象というのがある。(中略)ところがクリスマス当日の二十五日になったら、東京じゅうを探して歩いても、ケーキはひとつも見あたらない。それまでにケーキは全部捨てられてしまうのだ。無料であっても、ケーキをほしがる人はもういない。日本では、二十五歳の女はクリスマス・ケーキと呼ばれている」ですって!(笑)(ハヤカワepi文庫)


ということで、ハヤカワepi文庫を立て続けに読んできたんですが、手元にあるのはこれでオシマイ。また近いうちに仕入れて来なくっちゃ。これで14冊読んだことになるんですが、全部で33冊あるから、まだ半分も読んでないんですね。まだまだ楽しめそうです~。

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13歳だった末っ子のセシリアの自殺をきっかけに、自殺に魅入られ始めたリズボン家の姉妹たち。彼女たちが自殺したのは、6月のヘビトンボの季節のことでした。一体彼女たちに何があったのか...。

美しいリスボン家の姉妹たちに憧れていつも見つめていた「ぼくら」がまとめあげたという体裁の作品。実は以前、ほしおさなえさんの「ヘビイチゴサナトリウム」を読んだ時にこの作品のことが出てきて、それからずっと気になっていた作品なんです。なんとハヤカワepi文庫に入っていたとはー。
でも、あまり期待通りではなかったです...。どうにも読みにくくて堪りませんでした。もう本当にこの題名の通りの内容で、一種異様な雰囲気の中で、破滅に向かっていく姉妹たちが淡々と描かれていくんですが... 解説には70年代のアメリカを象徴しているようなことが書かれてたんですけど、その辺りも正直あまりピンと来なかったし...。この作品は映画にもなっているので、そちらを観た方が良かったのかも。
本当は彼女たちを守ろうとしていただけの母親が、結果的にここまで彼女たちを追い詰めてしまったというのが何とも...。反抗しようとしても、結局その呪縛に囚われてしまっていた彼女たち。育てられた歳月の重みを感じてしまいます。(ハヤカワepi文庫)

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大学が冬休みに入り、4ヶ月ぶりでニューハンプシャーからロサンゼルスに帰ってきたクレイ。両親は別居中で、家にいるのは母親と2人の妹。毎日のようにコークできめて、友人らとパーティーに繰り出すクレイの日々を描いた作品。

昨日は村上春樹作品かと思ったら、こちらはまるで、村上龍さんの「限りなく透明に近いブルー」! でも「レス・ザン・ゼロ」が発表された当時、アメリカでは衝撃的だったらしいんですが、「限りなく透明に近いブルー」が発表されたのは1976年。「レス・ザン・ゼロ」は1986年。こちらの方が10年も後なんです。それを考えると、「限りなく透明に近いブルー」って、世界的に見ても早かったんですねえ。

ここに描かれているのは、80年代の西海岸の、セックスにドラッグにパーティ三昧の、虚無的で退廃的な日々。プールがあるのが当たり前のような裕福な家に生まれ育ちながらも、全てにおいて投げやりで無軌道な若者たち。常に他人と一緒にいなければ時間を潰すこともできないような彼らなのに、他人と本質的に関わることは避けていて、あくまでも表面的なつきあいだけ。
んんー、悪くはないんでしょうけど...
私はやっぱり「限りなく透明に近いブルー」の方が格上のように思いますね。先に出会ったのがそちらだったというのも大きいのかもしれないですが。...どちらにしても、アメリカの若者の無軌道な話って、あんまり好きじゃないんですよね(^^;。(ハヤカワepi文庫)

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その図書館は、普通の図書館とは違い、人々が大切な思いを綴った本を保管するだけのために存在する図書館。保管された本を調べたり読んだりする人は誰もおらず、図書館に来るのは、自分が書いた本を置きに来る人々だけ。そして「わたし」の仕事は、それらの人々に会って本を受け取り、その本を登録すること。人々は24時間いつでもやって来るので、この職について以来3年間、「わたし」は図書館から一歩も出ない生活を送っていました。そんなある日やって来たのはヴァイダ。並外れて美しい自分の容姿を恥じていたヴァイダですが、「わたし」と恋に落ちて図書館に暮らし始めることに。

一読して感じたのは、まるで村上春樹作品みたい!ということ。そして、人々が書き綴った本は誰にも読まれることなく図書館に保管され、図書館がいっぱいになると洞窟に移され、そのうちに朽ち果てることになるのですが、その部分はまるで「恥」を全て川に流しているボリス・ヴィアンの「心臓抜き」(感想)のようでした。こういう不思議感覚の作品は大好きです♪

でも、読み終えてから原題の「THE ABORTION」を見てびっくり。これは直訳すると「堕胎」のこと。そして訳者解説によると、ヒロインとなる「ヴァイダ」(Vida)の名前は「生命」を表す「Vita」から来ているのだそうです。この作品のテーマは、「生」と「死」だったんですね。
そう思って読み返してみると、物語のモチーフが色々と深い意味を内包していることに気づきます。まずここの図書館は、様々な人々が自分の書いた本を置き去りにする場所。新しい命をせっかく生み出したかと思えば、人々はそれらの命をこの図書館に捨てていってしまうんですよね。まるで「堕胎」のように。そして「わたし」とヴァイダは、本当の堕胎のためにはるばるメキシコまで行くことになるんですが、彼らにとってのメキシコは、本を書いた人々にとっての図書館。結局、その旅によって「わたし」は結局職を失ってしまうことになるんですが、図書館から外の世界に出ようとする「わたし」の姿は、まるで子宮から生まれ出る赤ん坊のようにも見えてきます。
リチャード・ブローティガンの作品は初めて読んだんですけど、いいですね。他の作品も読んでみたいです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のリチャード・ブローティガン作品の感想+
「愛のゆくえ」リチャード・ブローティガン
「西瓜糖の日々」R.ブローティガン

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アメリカの黒人作家にして初のノーベル賞受賞者という女流作家・トニ・モリスンの作品。そういえば黒人作家による黒人の物語というのは、ほとんど読んだことがないかもしれません。これは黒人の少女ピコーラの物語。

ここに書かれているのは、黒人の中の差別意識。登場するピコーラという少女は、学校に友達なんて1人もいないし、黒人の少年たちにすら軽蔑され、いじめられています。黒人対白人という構図なら分かりやすいんですが、ピコーラが通ってる学校は、別に黒人蔑視というわけではないんです。転校生としてモーリーン・ピールという少女も登場するんですが、この子も黒人でありながら、周囲には「夢のようにすてきな黒人の女の子」と思われてます。とても裕福な家に生まれ育ち、肌の色は薄く、黒人はもちろん白人の子供たちも彼女のことをからかおうとしないどころか、むしろ魅了されてるんですよね。先生すらも。
黒人の中でも肌の黒さによって差別感情があるのは当然のことかもしれないんですけど、ピコーラがこれほどまでに手ひどく蔑視されているというのは衝撃的でした。むしろ白人と結婚する黒人の方がどっちつかずの状態で敬遠されやすいのかと思っていましたよ...。(この辺りの状況には、とんと疎くてお恥ずかしい) 黒人の中に、ここまで白人本位な美意識が入り込んでいたとは。そしてピコーラは、自分の眼が青い綺麗な眼だったらみんなに愛されると思って、毎晩のように神様にお祈りするんですよね...。
この作品は1940年代のアメリカの話だし、もちろん今とは多少状況が違うとは思うんですが、それでもきっと黒人による黒人差別はおそらくなくなってないんでしょうね。ピコーラをいじめる黒人の少年たちも、肌はピコーラと同じように黒いんです。白人に差別され続けている鬱憤がピコーラに対して噴出してるというのは分かるんですけど、これじゃあ、自分自身を貶めているのと同じこと。
でもこの作品において、作者は加害者側にも被害者側にも加担しようとはしません。ありのままの事実を淡々と書いているだけ。そしてピコーラや彼女の両親の人生を遡ることによって、その差別的な心情がどのようにして形成されていったのか、分かるような構成となっています。考えさせられる作品でした。(ハヤカワepi文庫)

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先日「日の名残り」(感想)がものすごーく良かったカズオ・イシグロさんの作品。今回は英国だけでなく、日本も舞台になってるんですね。現在英国の田舎に住んでいる悦子と、ロンドンから訪ねて来た娘のニキの会話、そして長崎に住んでいた頃の悦子の回想シーンで物語は進んでいきます。回想に主に登場するのは、長崎にいた頃に悦子の夫だった二郎、その父親の緒方さん、近所に住んでいた佐知子とその娘の万里子。

長崎に住んでいたはずの悦子がなぜ今は英国に住んでいるのか、二郎との間に一体何が起きたのか、そして回想シーンに一番多く登場する佐知子やその娘の万里子が悦子の人生に、本質的な意味でどのように関与しているのか分からないまま、悦子の回想は続いていきます。はっきりと分かるのは、景子という娘がいたけれど、彼女が自殺してしまったということだけ。「景子は、ニキとはちがって純粋な日本人だった」という文章から、この景子がおそらく二郎との間に出来た娘であろうということ、悦子が日本人ではない夫と再婚したこと、夫が娘に日本名をつけたがったという部分から、その男性が親日家らしいことだけは分かるんですが、今どこでどうしているのやら。生きているのでしょうか、それとも既に亡くなっているのでしょうか。どうやら家にはいないようです。となると、やはり亡くなったと考える方が妥当なのでしょうか。そして、すぐには分からなくてもそのうちに明かされるのだろうと思っていた部分が、結局ほとんど明かされないまま物語は終了してしまってびっくり。
確かに普通の人が過去のことを思い出す時は、自分以外の人間に説明するように思い浮かべるわけじゃないし、きっとこんな感じですよね。もっととりとめがなくてもおかしくないです。でも幼い頃に英国に渡り、そのまま帰化、日本語を外国語として育ったというカズオ・イシグロ氏が、こんな風に行間から感じ取るタイプの作品も書かれるとは意外でした。英国人というより、日本人の作品みたい。
回想シーンを見る限り、悦子と佐知子はまるでタイプの違う女性。2人の会話はどこまでいっても噛み合いませんし、理解し合っているとは言いがたい状態。長崎にいた頃は良妻賢母タイプだった悦子と、あくまでも「女」である佐知子とは全く相容れないのですが... 後から振り返ってみると、佐知子と万里子の関係は、悦子と景子の関係に重なるんですよね。景子を死に追いやったのは結局自分なのではないかと感じている悦子。1人の女性の中に「母」であること、「妻」であること、「女」であることが上手く同居できれば良いのでしょうけれど、大抵はどれか1つに比重が傾きがちでしょうし、それが自分の本当の望みとは違っていた場合は...。
すっきりとはしないんですけど(笑)、色々余韻が残る作品です。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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昨年の9月に付き合い始めてから、彼が電話をかけてきて、家へ訪ねてくるのを待つだけの生活になってしまった「私」。仕事や日常的な用事は無難にこなすだけ。しかし彼は妻子のある東欧の外交官。じきに任務を終えて、母国に戻ることになります。

本国フランスでは、出版されるやいなやベストセラーとなり、マルグリット・デュラスの「愛人(ラマン)」と並ぶほどの売れ行きを示したという作品なのだそうです。
でも、私には今ひとつピンと来なかったかな...。よくある恋愛物とは一線を画してると思うんですよね。あくまでも自分のことを客観的に見てシンプルに書いてるのがいいと思うし。でも、惹き込まれなかった。斉藤由貴さんが解説で、「あなたは、自分を見失う程の恋愛に溺れた事がありますか」と書かれてるんですが、もしかしたら私が惹き込まれなかったのは、そういう経験が乏しいせいなのかも? 恋愛はしてても、自分を見失う程恋愛に溺れたことなんて、あったかしら...。ここまで純粋に相手のことだけを思って生活することができるのって、確かに1つの贅沢かもしれないなあ。
もちろん、経験がなくても惹き込まれる人は惹き込まれるんでしょうね。恋をしている最中よりも、恋を失った時に読んだ方がしみじみと響いてくるような気がします。(ハヤカワepi文庫)

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キャロル・リ-ド監督、オーソン・ウェルズ主演で有名な映画「第三の男」の原作。
映画は随分前に一度観たきりなんですが、それでもあの主題曲やオーソン・ウェルズの存在感、プラターの観覧車、最後にアンナが歩み去っていく場面など、すごく強い印象が残ってるんですよね。それに比べると、この原作本には、残念ながらそれだけの力が感じられなかった気がします...。原作とは言っても、映画が作られる前から存在していた小説ではなくて、純粋に映画のために書かれた作品とのことなので、映画さえ良ければ別に構わないし、それが正解だと思うんですけど... 例えばオーソン・ウェルズの、「ボルジア家の30年の圧制はミケランジェロ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、そしてルネッサンスを生んだが、スイスの 500年のデモクラシーと平和は何を生んだ? 鳩時計さ。」という台詞がないと淋しいです!(これはオーソン・ウェルズが考えた台詞なのだそう) それにラストも全然違う! 映画の方がいいです! そもそも本におけるアンナの描写は、「美しくはないけれど、正直そうな顔」。アンナ役のアリダ・ヴァリって、かなり美人さんじゃありませんでしたっけ?(しかもあの存在感ってば) でも、逆にアメリカ・ソ連・フランス・イギリスという4大国によって分割されていた当時のウィーンの状態は、本を読んで初めて良く分かりました。すごいことになってたのね...。
この映画がお好き方には、キャロル・リードとの間の話し合いによって映画が出来上がっていく過程を書いた序文も興味深いのではないでしょうか。ラストシーンのことについても、言及されています。(ハヤカワepi文庫)


+既読のグレアム・グリーン作品の感想+
「第三の男」グレアム・グリーン
「おとなしいアメリカ人」グレアム・グリーン
「負けた者がみな貰う」グレアム・グリーン
「権力と栄光」グレアム・グリーン
「事件の核心」「二十一の短篇」グレアム・グリーン
「ブライトン・ロック」グレアム・グリーン
「ヒューマン・ファクター」グレアム・グリーン

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35年もの間ダーリントン卿に執事として仕え、卿が亡くなった今は、屋敷を買い取ったアメリカ人のファラディの執事となっているスティーヴンス。父親の代からの執事であり、執事としての高い矜持を持っています。しかし多い時には28人の召使がいたこともあるというこの屋敷に、今はスティーヴンスを入れて4人の人間しかいないのです。そんな時に思い出したのは、ダーリントン卿の時代に女中頭として働いていたミス・ケントンのこと。結婚して仕事をやめ、ミセス・ベンとなっている彼女は今はコーンウォールに住んでおり、先日届いた手紙では、しきりに屋敷を懐かしがっていました。丁度ファラディがアメリカに一時帰国することになり、その間、何日かドライブ旅行をしたらいいと勧められたスティーヴンスは、彼女に会いに行くことに。

ああ、なんて美しい作品なんでしょう。要はドライブしながら色々なことを回想していくだけなんですけど、良い小説とはこういうもののことを言うのかも、なんて思いながら読みました。
華やかななりし時代のスティーヴンスの仕事ぶり、執事としての誇り、執事に大切な品格の話なども興味深いですし、気さくにジョークを飛ばす今の主人に戸惑い、ジョークを言うことも自分に求められている仕事なのかと真剣に考えてしまうスティーヴンスの姿が楽しいです。慇懃でもったいぶっていて、少々頑固な、古き良き英国の執事の姿が浮かび上がってきます。一番楽しかったのは、スティーヴンスとミス・ケントンのやりとり。最初はことごとく意見が対立し、冷ややかなやり取りをする2人なんですが、かっかしてる2人の可愛いこと~。
最後の夕暮れの場面もいいんですよねえ。この場面にスティーヴンスのこれまでの人生が凝縮されて、重ね合わせられているようでした。最高の執事を目指し、プロであることを自分に厳しく求めすぎたあまり、結局、自分自身の人生における大切なものを失ってしまったスティーヴンス。老境に入り、些細なミスを犯すようになったスティーヴンスは、おそらく今の自分を亡き父親の姿とダブらせていたことでしょうね。もちろんスティーヴンスの中で美化され、真実から少しズレてしまっている出来事も色々とあるのでしょうけれど、無意識のうちにそうせざるを得なかったスティーヴンスの人生の斜陽に、イギリスという国の斜陽も重なってきます。第二次世界大戦が終わって10年(という設定)、アメリカがどんどん台頭し、現在の主人もアメリカ人。こうなってみると、戦前に屋敷で行われた重要な会議の場面でのやりとりも皮肉...。イギリスでは最早、本物の執事が必要とされない時代になりつつあります。
そんな中で、「ジョークの技術を開発」するなどと言ってしまうスティーヴンスの姿が、切ないながらも可笑しくて、また良かったです。(ハヤカワepi文庫)


+既読のカズオ・イシグロ作品の感想+
「日の名残り」カズオ・イシグロ
「遠い山なみの光」カズオ・イシグロ
「わたしたちが孤児だったころ」カズオ・イシグロ
「浮世の画家」カズオ・イシグロ
「私を離さないで」カズオ・イシグロ
「充たされざる者」カズオ・イシグロ

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近未来のアメリカが舞台。キリスト教の原理主義者の一派がクーデターを起こして、ギレアデ時代が始まります。その頃、中絶を含めた様々な産児制限や性病の流行、環境変化によって、白人種の出生率が急落しており、それを憂慮していた彼らは、全ての女性から仕事と財産を没収。再婚の夫婦と未婚者の私通は全て姦通だとして子供を取り上げ、妊娠可能な女性を選び出して「侍女」としての教育を施し、子供のいない支配者階級の男性の家に派遣。彼女たちは出産のための道具とされることになったのです。

侍女たちはくるぶしまで届く赤い衣装を纏い、顔の周りには白い翼のようなものが付けられて、周囲とは遮断されています。私物と言えるようなものは一切持てませんし、部屋からも自殺や逃亡に使えそうな道具は慎重に取り除かれています。もちろん日々の行動に自由はなく、その存在に人間性などこれっぽっちも求められていません。まさに「二本足を持った子宮」。
各個人からその個性を奪い取るには、名前と言葉を取り去るのが一番効果的なのね... というのが、この作品を読んで最初に感じたこと。単なる出産する道具である侍女たちの名前は「オブ+主人の名」。この物語を語っているのは「オブフレッド」と呼ばれる女性ですし、他にも「オブグレン」だの「オブウォーレン」だのがいます。日々決められた通りに行動し、侍女同士での挨拶ややり取りも決められた通りの言葉のみ。

一見荒唐無稽な設定なんですが、考えて見れば十分あり得る未来。この作品は1985年に書かれているので、それから20年経ったことになるのですが、世界的な状況はますます悪化するばかり。十分通用するどころか、ますますこの設定が現実的になっているのかも...。それでも子供や夫を奪われて「侍女」となった女たちは、そうなる以前の暮らしを覚えているんですが、次世代の「侍女」たちは、元々そのような自由な世界が存在していたなど知る由もなく... その辺りには全然触れられてなかったんですけど、そういうのもちょっと読みたかったなあ。
でも、ここまで管理社会となって、人々も大人しく従ってるんですが(でないと、すぐに処刑されちゃうので)、そんな中でもやっぱり人間的な感情が垣間見えるんですよね。特に子供ができない夫婦にとって、侍女はありがたい存在のはずなんですが、そう簡単に割り切れるものでもなく...。水面下で入り乱れる感情も面白かったです。(ハヤカワepi文庫)

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「悪童日記」(感想)に始まる3部作の、2作目と3作目。早速買ってきて読んだんですが... いやあ、もうびっくり。もうすっかり振り回されてしまいました。でも、色々書きたいことはあるんですけど、下手なことを書いたらネタバレになりかねないので、ここにはあまり書けそうにないです... それでも今度の2冊は「悪童日記」とは、また雰囲気がまるで違っていて驚かされたし、途中何度「これまで読んできたものは一体...?!」となったことか。全部読み終えてみると、「悪童日記」の「ぼくら」が痛々しすぎる...。好き嫌い度で言えば「悪童日記」がダントツで好きなんですが、この2作も面白かったです。
「悪童日記」は独立して読める作品だし、これ1冊だけで満足するというのもアリだと思うんですが、「二人の証拠」を読む時は、続けて「第三の嘘」が読めるように手元に用意しておくことをオススメします。「悪童日記」1冊だけ読んで終わりにするか、もしくは3冊全部読むかどちらかしかないですよ、これは。「二人の証拠」を読んで「第三の証拠」を読まないというのはありえないー!(ハヤカワepi文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ

+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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崖に沿った小道を歩いていた精神科医・ジャックモールは、白い家から叫び声がするのを聞き、急いでその家の中へ。そこには出産を間近に控えたクレマンチーヌが、陣痛に苦しんでいました。出産の手助けをするジャックモール。出産は無事済んで、3人の男の子が生まれます。そしてジャックモールはそのままその家に留まることに。

ジャックモールは生まれた時から成人であり、精神分析医。生まれたのはこの前年で、身分証明書には、名前の横に《精神科医。空(から)。満たすべし》と印刷されています。思い出も過去も持たない空っぽの彼が、人々の願望や欲望で自分を満たそうとするんですが...
この村自体は、とても変わった場所なんですよね。老人市では老人たちが競に掛けられているし、家具屋では小僧を虐待。死んだ小僧はあっさりと川に流されてます。そしてそういった行動をする村人たちの「恥」は、赤い水が流れる小川で「ラ・グロイール」と呼ばれる男が全て拾い上げています。恥を知る心配はいらない村人たちにとって、教会は魂の安らぎを得る場所ではなく、物質的な恵みを求める場所。
ジャックモールがここに来てから、カレンダーも狂ってしまったようですし、何かが微妙にずれ続けていきます。それが、出産した時は息子たちを厄介なものとしか思っていなかったクレマンチーヌの、息子が何か危険な目な遭うんじゃないかという強迫観念を募らせていくのと重なって、もうどんどん捩れていっちゃう。そして読んでるうちにその捩れにすっかり巻き込まれてしまうんだけど、こういうのって理屈抜きに物凄く好きです。先日読んだ「日々の泡」(感想)以上に妙な話だし、こうやって書いてても状況説明をしてるだけで終わっちゃってるんですけど、ものすごく吸引力があって一旦読み始めたら止まりませんでした。
本国では1953年に発表された作品。50年前に書かれたとは思えないほど、現代的、今日的な作品です。ボリス・ヴィアンってつくづく凄い人だったんだなあ。この人の作品と出会えて良かった! またそのうち他の作品を読んでみようと思います。(ハヤカワepi文庫)


+既読のボリス・ヴィアン作品の感想+
「日々の泡」ボリス・ヴィアン
「心臓抜き」ボリス・ヴィアン
「アンダンの騒乱」「ヴェルコカンとプランクトン」ボリス・ヴィアン

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第二次世界大戦末期。「大きな町」からおかあさんに連れられて「小さな町」にやって来た双子の「ぼくら」は、おばあちゃんに預けられることに。「大きな町」は昼も夜も襲撃を受けて、もう食糧も手に入らないのです。近隣の人々に「魔女」と呼ばれるおばあちゃんは粗野で吝嗇。働かなければ食べ物はもらえません。はじめはおばあちゃんに従うことを拒否する「ぼくら」ですが、1人で黙々と働くおばあちゃんを見るうちに、働くことを決意します。

立て続けにファンタジーを読んでいたので、今度は全然違う作品を。とは言ってもまだまだ翻訳物が続きます。これは随分前にもろりんさんにオススメされていた作品。字が大きすぎてツライ~と敬遠していたハヤカワepi文庫なんですが、気がついたらすっかりのめりこんでしまいました。解説によると、「大きな町」とはおそらくハンガリーのブタペストであり、「小さな町」は、ハンガリーのオーストリア国境近くに存在する小さな町。双子の少年の日々が、日記風に綴られていく作品です。

まず、少年たちの冷静なまなざしと淡々とした語り口がとても印象に残る作品。と思ったら、これは彼らの作文の練習によるものだったんですね。生き抜くために、「練習」と称して自分たち自身を鍛え上げようとする少年たち。祖母や他の人々から受ける暴力や罵詈雑言に耐えるためには、「体を鍛える練習」と「精神を鍛える練習」。お互いに殴り合いをしたり罵詈雑言を浴びせて、痛みを感じなくなることを覚えます。様々な状態を知るためには、「乞食の練習」と「盲と聾の練習」。時には断食をしてみることも。そして普通の勉強もします。正書法、作文、読本、暗算、算数、記憶の学習には、父親の辞書と祖母の聖書を利用。しかしそれらは全て彼らにとっては生きていくための方策を学ぶ手段。彼らは自分たちの哲学に従って行動しているだけで、たとえ聖書を暗記するほど読んではいても、信じているわけではありませんし、お祈りもしません。
2人の作文のただ1つのルールは、「真実でなければならない」。極力感情を排除して、客観的に冷静に事実のみを書いていくんですが、この作品はそんな2人の作文そのままの作品。でも感情を排除することによって、逆に静かで圧倒的な迫力が出るんですね。強制収容やナチスドイツによるユダヤ人虐殺などの事実が、まるで浮かび上がってくるようです。ごくごく簡潔な文章なのに、雄弁な文章よりも余程ずっしりと響いてきます。戦争を扱った作品は多いですが、こういう作品は初めて。もうびっくり。私は基本的に戦争物は苦手なんですが、これは本当に良かったです! こんな凄い作品だったとは、もっと早く読めば良かったわー。読み終わった途端、また最初から読み返してしまいました。続編だという「ふたりの証拠」「第三の嘘」も、早く買ってこなくては!

それにしても、ハヤカワepi文庫のラインナップいいですねえ。今手元にあるのは、ボリス・ヴィアンの「心臓抜き」だけなんですが、他の作品も俄然読みたくなってきました。大人買いしてしまいそう。(笑) (ハヤカワepi文庫)


+シリーズ既刊の感想+
「悪童日記」アゴタ・クリストフ
「ふたりの証拠」「第三の証拠」アゴタ・クリストフ

+既読のアゴタ・クリストフ作品の感想+
「昨日」アゴタ・クリストフ
「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」アゴタ・クリストフ
「どちらでもいい」アゴタ・クリストフ

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